オルタ広場66号(2023.10.20)統一教会「解散」の措置は有効か—根を張る関連諸団体に警戒を
オルタ広場65号(2023.9.20)【時世時節】関東大震災から100年—ある津和野人の体験国民離れの政権人事―国政の足場を国民に返せ!
オルタ広場65号(2023.9.20)政治学者朝河貫一に学ぶ・序「有事」対応 これでいいのか—朝河貫一に学ぶ                              
政治学者朝河貫一に学ぶ・本篇戦前の「日本政治」を見る在米学者の目—朝河貫一生誕150年に考えたいこと
オルタ広場64号(2023.8.20)120年前、新宿に女性の「写真学校」があった!
オルタ広場64号(2023.8.20)国連の眼で見た日本の問題点—「ジャニーズ」に厳しい見方
オルタ広場63号(2023.7.20)大谷、菊池を育てた高校時代の監督の信念
オルタ広場62号(2023.6.20)トカラの離島出身教師の生涯<下>—離島など11校勤務の戦後平田 松栄著
オルタ広場62号(2023.6.20)【時世時節】郵便貯金の没収は「詐欺師もどき」
オルタ広場61号(2023.5.20)トカラの離島出身教師の生涯<中>—戦乱従軍のむなしい5年8カ月
オルタ広場61号(2023.5.20)「将来」を考える政治を!
オルタ広場60号(2023.4.20)トカラの離島出身教師の生涯<上>—戦前・戦後の翻弄に教育の筋を通す}
オルタ広場60号(2023.4.20)劣化する政界、遠のく民意
オルタ広場59号(2023.3.20)徴用工問題、日韓の雪解けなるか—甘い「歴史認識」に将来はない
オルタ広場58号(2023.2.20)全国に広がる統一教会の罪過統一地方選挙 ひとつの焦点
オルタ広場58号(2023.2.20)【沖縄の地鳴り】「逃げた知事・泉守紀」の実像
オルタ広場57号(2023.1.20)安保3文書をめぐる緊張の今後―権力者独走・国会論議欠如・世論の静けさ
オルタ広場56号(2022.12.20)36,37年前旧統一教会の実態は報道されていた―政治は黙殺、被害者量産 その責任は
オルタ広場55号(2022.11.20)旧統一教会問題をめぐる政治状況―付・安倍晋三元首相と旧教会の関わり
オルタ広場54号(2022.10.20)政治家の衰退した倫理観と旧統一教会問題——判決、そして各界プロの発言からわかること
オルタ広場53号(2022.9.20)沖縄戦に殉じた荒井退造に見る「死」の周辺
オルタ広場53号(2022.9.20)宗教困窮者を見捨て、「票」目当ての「広告塔」でいいのか——国会議員らの旧統一教会問題をめぐって
オルタ広場52号(2022.8.20)低劣な感性、政治家は何のために存在するのか――旧統一教会の政界汚染を見る
オルタ広場51号(2022.7.20)日本社会の曲がり角になるか―権力与党の膨張と少数野党の責務―
オルタ広場49号(2022.5.20)軍事<防衛>3文書の改定迫る―激化する国際緊張に加担強めるか―
オルタ広場48号(2022.4.20)【書評】『認知症の時代―支え合える社会を目指して』 吉水 卓見/著
オルタ広場46号(2022.2.20)吉田松陰にさかのぼるか、沖縄の「格差」問題――戦前戦後に通じる長州的軍事強化路線
オルタ広場44号(2021.12.20)「琉球処分」「沖縄軍事化」路線と山県有朋——没後百年、今日に続く政府の沖縄感覚
オルタ広場44号(2021.12.20)立憲民主党はこれでいいのか
オルタ広場43号(2021.11.20)【視点】敵基地攻撃論は正しいか――戦前回帰への道を忘れない
オルタ広場43号(2021.11.20)衆院選に見る「安定志向」――変革の芽を摘まないために
オルタ広場42号(2021.10.20)岸田政権「韓信の股くぐり」なるか――堕すれば安倍・菅政権踏襲へ
オルタ広場41号(2021.9.20)最高裁判決は正しかったか―沖縄・孔子廟の課税免除の取り消し決定問題
オルタ広場41号(2021.9.20)政治転換の前提は尽くされているか―安倍・菅政権の惰性的延長を避けるために
オルタ広場38号(2021.6.20)【書評】『原発事故は終わっていない』併せて45年前『原子力発電の手引き』との対比
オルタ広場38号(2021.6.20)沖縄戦時下の本土著名人の戦争観―朝日新聞寄稿に拾う
オルタ広場37号(2021.5.20)大逆事件の犠牲者・管野須賀子について残された記録――補遺としての「中山泰昌」
オルタ広場36号(2021.4.20)【図書紹介】『「葬式ごっこ」八年後の証言』 電子版で復活!
オルタ広場36号(2021.4.20)【書評】『戦場の漂流者―千二百分の一の二等兵』<語り>半田 正夫  <著>稲垣 尚友 
オルタ広場35号(2021.3.20)【沖縄の地鳴り】沖縄・摩文仁に死す 宗貞利登<朝日新聞那覇支局長>の場合
オルタ広場34号(2021.2.20)教育行政は難しい―14年間の教育委員の経験から
オルタ広場33号(2021.1.20)新局面の挑戦を ――安倍・菅長期体制の変革こそ}
オルタ広場32号(2020.12.20)「アメリカ世<ユー>」下の挑戦―「日米のはざまでの沖縄立県のあがき
オルタ広場31号(2020.11.20)権力の奈良原繁・民主化の謝花昇の対立――近代化・本土化の中の「差別意識」
オルタ広場31号(2020.11.20)菅首相の日本学術会議問題は妥当か―狭く短期の政治権力と広く長期の学術界の攻防 
オルタ広場30号(2020.10.20)行きつく「琉球併合」を再考する――最近の政府と沖縄の関係への投影
オルタ広場30号(2020.10.20)学術会議の「排除」をめぐる「負」の歴史―強権発動のもたらすもの
オルタ広場29号(2020.9.20)戦乱下沖縄の「疎開」の実態――広がった犠牲者の背景
オルタ広場29号(2020.9.20)安倍非憲法的長期政権の終焉と群れ派閥の生んだ菅類似政権
オルタ広場28号(2020.8.20)沖縄戦遂行の日本軍と県民の断絶
オルタ広場27号(2020.7.20)沖縄戦にあった日米対話的交流
オルタ広場26号(2020.6.20)「法解釈の変更」を、国民は知らなくていいのかコロナ禍に潜む「財政運用」はこのままでいいのか―「民意」を歪める安倍政権の独断
オルタ広場26号(2020.6.20)「さまよへる琉球人」考――広津和郎原稿・94年前の転変
オルタ広場25号(2020.5.20)日本語を学ぶ世界の若者を育てる ―― 31年の努力の奇特な夫妻
オルタ広場25号(2020.5.20)沖縄「差別」の政治的背景 ― 私感として
オルタ広場24号(2020.4.20)戦前・沖縄での「不敬罪」の波紋
オルタ広場24号(2020.4.20)コロナと安倍政治
オルタ広場23号(2020.3.20)<復帰前の沖縄の印象記>にみる沖縄
オルタ広場22号(2020.2.20)昭和初期・93年前の沖縄差別
オルタ広場19号(2019.11.20)岩手県大槌町 台風被災の状況
オルタ広場18号(2019.10.20)被災8年余「復旧」の明暗
オルタ広場17号(2019.9.20)安倍人事から「総裁4選」の可能性を読む
オルタ広場16号(2019.8.20)安定・無風の日本なのか――参院選を巡る政治環境
オルタ広場15号(2019.7.20)新聞記者が政治家になる事例をたどって――朝日新聞出身者の130年を見る}
オルタ広場13号(2019.5.20)「令和」下の天皇と政治権力
オルタ広場12号(2019.4.20)<悪化する「日韓関係」の根にあるもの>についての補遺
オルタ広場11号(2019.3.20)悪化する「日韓関係」の根にあるもの
オルタ広場9号(2019.1.20)戦争というもの】(12)(完)――「戦争は悪」を原点に
オルタ広場8号(2018.12.20)【戦争というもの】(11)――70余年後に尾を引く「戦争」の残滓
オルタ広場7号(2018.11.20)【戦争というもの】(10)――なぜヒロシマ・ナガサキの悲劇は世界を動かせなかったか
オルタ広場6号(2018.10.20)【戦争というもの】(9)――メディアの戦争遂行の責任
オルタ広場6号(2018.10.20)【自由へのひろば】終わりの始まりか 安倍3選政権
オルタ広場5号(2018.9.20)【自由へのひろば】「コカリナ」が響く四半世紀―― 東京2020に向けて、子どもたちが燃える
オルタ広場5号(2018.9.20)【戦争というもの】(8)―― 徴兵制(兵役)拒否を再考する
オルタ広場4号(2018.8.20)戦争というもの(7) ――ある兵士の二重の不幸
オルタ広場4号(2018.8.20)「一強政治」と「弱小分断野党」の現実長期展望なき社会/笠信太郎70年前の分析――
オルタ広場3号(2018.7.20)戦争というもの(6)身近に感じる戦争・他人事の戦争 <下>
オルタ広場2号(2018.6.20)戦争というもの(5)戦争の仕掛け段階に始まる大きな過ち
オルタ広場1号(2018.5.20)戦争というもの(4)― 戦争はどのように組まれ、「負」を残すか <上>
第172号(2018.4.20)加藤宣幸さんのこと
第171号(2018.3.20)『俳句弾圧不忘の碑』除幕式にて     
第171号(2018.3.20)戦争というもの(3)歴代の戦争犠牲者を「数」から考える―    
第170号(2018.2.20)戦争というもの(2)個人としての戦争への思い
第169号(2018.1.20)戦争というもの(1)
第168号(2017.12.20)改憲の論議の前に
第167号(2017.11.20)安倍長期政権を生んだ背景選挙制度と「民意」扱いのおかしさ
第166号(2017.10.20)虚構の「政権選択選挙」破たんした小選挙区制度の結末 
第164号(2017.8.20)明治・大正期に日本に学んだ中国(清国)の学生たち新宿区に集中した教育機関に見る
第162号(2017.6.20)俳句」まで殺された時代『共謀罪』の拡大解釈に不安はないのか
第159号(2017.3.20)「右傾化」から「退廃」へ世相の動きから見た日本の将来
第158号(2017.2.20)「フアースト政治」のおかしさ 
第155号(2016.10.20)欧米政治の変動と日本、そして「日本会議」 
第155号(2016.10.20)「日本会議」は怖い存在ではないか
第153号(2016.9.20)民進党代表選挙は「再生」につなげられるか
第152号(2016.8.20)沖縄の基地問題 — 沖縄タイムス紙特集面に見る
第151号(2016.7.20)「視野狭窄」の選択だったか — 参院選の結果に思う —
第150号(2016.6.20)「束ねの社会」でいいのか——参院選に潜む課題を問う
第150号(2016.6.20)『オルタ』150号に寄せて
第148号(2016.4.20)731部隊の生体実験と新宿・国立陸軍病院跡の人骨との関係 
第147号(2016.3.20)安倍・菅的「だましのテクニック」 
第146号(2016.2.20)落穂拾記(49)春節の旧満州を垣間見て
第145号(2016.1.20)落穂拾記(48)最近の教育の「明」と「暗」
第144号(2015.12.20)落穂拾記(47)中学生の「安定」志向をどう見るか
第143号(2015.11.20)落穂拾記(46)「信頼」を失う社会状況
第142号(2015.10.20)落穂拾記(45)「今井素牛之日記」刊行の記
第141号(2015.9.20)「安保法制」成立後を考える
第140号(2015.8.20)「言動不一致」の安倍談話
第139号(2015.7.20)「安保法制」危うい日本の進路
第138号(2015.6.20)落穂拾記(44)「悪筆」作家譚
第137号(2015.5.20)落穂拾記(43)ゆるやかなカーブはどこに向かうか
第135号(2015.3.20)落穂拾記(42)子どもたちの「犯罪」に教育は対応できるか
第134号(2015.2.20)民主主義の土台が壊れる「数」依存の政治の矛盾は許せるのか
第134号(2015.2.20)落穂拾記(41)「研究」「活字」に一途の人物像 
第133号(2015.1.20)落穂拾記(40)寿産院事件と帝銀事件のこと 
第132号(2014.12.20)衆院選の結果は何をもたらすか。
第132号(2014.12.20)親しくも重い沖縄
第131号(2014.11.20)大義なき解散・総選挙でいいのか。
第131号(2014.11.20)落穂拾記(39)土井たか子さんを悼みつつ・・・
第130号(2014.10.20)OBから見た「朝日新聞」謝罪問題
第130号(2014.10.20)落穂拾記(38)若者よ 「島根」で学ぼう
第129号(2014.9.20)落穂拾記(37)和紙・紙漉きの時代  
第128号(2014.8.20)落穂拾記(36)知らなかった「葛根廟事件」
第127号(2014.7.20)落穂拾記(35)取材した「新潟地震」から50年 
第126号(2014.6.20)安倍政権—その手法への不安と疑問
第126号(2014.6.20)落穂拾記(33)教師の立場、親の立場 
第124号(2014.4.20)落穂拾記(32)養育施設115年—「悪環境」の子らとともに
第123号(2014.3.20)落穂拾記(31)乱れることば
第122号(2014.2.20)落穂拾記(30)茨城県の「農民映画」からTPPを見ると
第122号(2014.2.20)■安倍政権の「Uターン現象」の危うさ
第121号(2014.1.20)落穂拾記(29)井の中の蛙 「切支丹江戸屋敷」を知る 
第120号(2013.12.20)落穂拾記(28)石橋政嗣氏と溶解した社会党
第119号(2013.11.20)落穂拾記(27)北朝鮮とのかかわりに想う
第118号(2013.10.20)落穂拾記(26)若かりし周恩来・河野一郎・川俣清音
第117号(2013.9.20)落穂拾記(25)岩手県大槌町 被災2年半後を寸見する
第116号(2013.8.20)「6年間体制」で政局を考える 
第116号(2013.8.20)落穂拾記(24)松本良順・夏目漱石・犬養毅、そして堀部安兵衛 ≪下≫
第115号(2013.7.20)落穂拾記(23)松本良順・夏目漱石・犬養毅、そして堀部安兵衛 ≪上≫
第114号(2013.6.20)落穂拾記(23)片田舎に生きた左翼人がいた
第113号(2013.5.20)落穂拾記(22)橋下「慰安婦」「改憲」発言の意味するもの
第112号(2013.4.20)落穂拾記(21)様変わりの最近メディア事情
第111号(2013.3.20)落穂拾記(19)自殺はどこまで減るものだろうか(下)
第110号(2013.2.20)落穂拾記(18)自殺はどこまで減るものだろうか(上) 
第109号(2013.1.20)劣化する日本の政治―振り子政局下のオセロ国会―
第109号(2013.1.20)戦争の犠牲か。ある新聞記者の自決
第108号(2012.12.20)落穂拾記(17)お笑い芸人はこれでいいか 
第107号(2012.11.20)落穂拾記(16)~「科学(者)万能」の修正が問われる 
第106号(2012.10.20)落穂拾記(15)~鴎外 通俗ばなし <下>~
第105号(2012.9.20)「二択」の政治から「調整」の政治へ―民主・自民の両党首選挙に期待はしないが―
第105号(2012.9.20)落穂拾記(14)鴎外 通俗ばなし <中> 
第104号(2012.8.20)落穂拾記(13)鴎外 通俗ばなし <上>
第103号(2012.7.20)落穂拾記(12)元号「平成」はトクダネだったか
第102号(2012.6.20)落穂拾記(11)「梅月 瀬太郎」なる人物を追う 
第101号(2012.5.20)【対談】「原発ゼロを目指して」
第101号(2012.5.20)落穂拾記(10)~7回忌の松野頼三 言行録から見る歴代首相像~ 
第100号(2012.4.20)【座談会】「対中・ロ日本外交を問う」
第100号(2012.4.20)落穂拾記(9)~ 歴史教科書登場の「人名」を読む~ 
第99号(2012.3.20)落穂拾記(8)~田中角栄 「疑惑」の残照~
第98号(2012.2.20)落穂拾記(7)~シーサー「職人」 石川喜進~
第96号(2011.12.20)温存される日米地位協定への沖縄の怒り
第96号(2011.12.20)落穂拾記(6)~ついえた「鳥取英和女学校」の背景~
第94号(2011.10.20)政治報道は公正に機能したか ―「菅首相退陣」をめぐる新聞の現実 ―?  
第93号(2011.9.20)野田政権に期待はできるか-野党自民党にも「ノー」の世論のなかでー
第92号(2011.8.20)落穂拾記(5)~「藪の中」の自殺騒動~ 
第91号(2011.7.20)落穂拾記(4)~「遊女の墓」異聞~ 
第90号(2011.6.20)≪特集:東日本震災≫ 原発をめぐり科学者の使命と倫理を問う
第90号(2011.6.20)「全国社会運動資料センター」設立の提唱 
第89号(2011.5.20)落穂拾記(3)~汚職列島、亡びず~ 
第88号(2011.4.20)落穂拾記(2) ~死者85人の航空事故、解決まで20日間~
第87号(2011.3.20)落穂拾記(1)~いまもくすぶる「60年安保」~
第86号(2011.2.20)衰える日本の政党・政治状況  
第79号(2010.7.20)各党が自己矛盾をさらした参院選 
第74号(2010.2.20)小鳩政権を変えられない不幸  
第70号(2009.10.20)始動する鳩山政権に期待できるか
第61号(2009.1.20)<おかしくないか>昨今の社会状況
第48号(2007.12.20)2007年政治動向の総決算 
第42号(2007.6.20) 安倍さん、参院選のテーマは「改憲」でいいのですか。
第33号(2006.9.20)安倍政権台頭の政治風土を見る
第29号(2006.5.20)オルタのこだま            
第20号(2005.9.20)小泉選挙と問題点                   
第9号(2004.11.20)「民主党はこれでいいのか」   
第9号(2004.11.20)「民主党に期待できるか」  (座談会)


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