≪連載≫落穂拾記(34)

教師の立場、親の立場

羽原 清雅

 裁判官出身者の盗撮、政治家のカネをめぐるいかがわしさ、記者たちの暴力沙汰、警察官の破廉恥など、職業柄にふさわしからざるニュースは絶えることもない。でも、不快だけれど驚かない。
 組織の一部には、必ずと言っていいほど、おかしな振る舞いの人間がいるもの、と思っているので。
 「犬が人を噛んでもニュースではない。人が犬を噛んだら、それがニュースだ」。よく言われた譬えである。じゃあ、狂犬が出たらどうか、といった例外もあるが、まあ、おおざっぱにいえば「驚き」という点ではおもしろい比喩だろう。

 一過的に生じたこのような事態は、その時点は目を引くが、次第に忘れられていく。一過的な事件など発生ものは、「驚き」というニュース性からだれしも報道の価値を見定めることができる。しかし、時代的、世相的に大きな流れの中でとらえるべきニュースは、さばき方がむずかしい。ひとつの「驚き」に端を発して時代的流れを見つけだすセンスは、とくに社会部記者にとって身につけておきたいところだ。

 そのひとつが、4月の入学式シーズンに報道されたケースだった。これには、大いに驚かされた。
 埼玉県の高校教師4人が、職務である学級の担任としての入学式を欠席して、自分の子どもの小中高校の入学式のほうに列席した、という。
 しかも、その事情を学校長が受け入れて了承していたのだ。
 筆者が新聞記者だったころの見方としては、やはり「教師としておかしいのではないか」という視点に立っていただろう。ところが、この報道を見ると、一般的な受け止め方はそうではなく、わが子の入学式に出席した教師を擁護する意見が半数を占めたのだから、びっくりだった。

 これはなんだろう。
 時代の流れというか、考え方の変化というか、戦後70年も経って、民主的な個人主義の社会が広がり、定着すると、このような変化も出てくるものか、と、目から鱗が落ちる、といった比喩がさっと頭に浮かんできた。
 かつては、親が出るとしてもせいぜい卒業式程度だったが、いまは卒業式、入学式だけでなく、入学試験にも保護者が付き添う。入試時期の早大・大隈講堂には、親たちがかなり多く待機しているのを見かけた。やがては、入社試験にも出かけかねなくなるのだろうか。
 少子化現象の副産物、そして学校・塾の共存のご時世、ということだろうか。
 新聞記者も若返ってきたことで、家庭の事情を重視する視点が生まれ、これらの両論を踏まえるスタンスがとれるようになったのか、と、これも新鮮な「驚き」だった。

 もうすこし、新聞記事から実情を紹介しておこう。
 発端は、埼玉県議がフェイスブックに「怒り心頭。権利ばかり言う教員はいらない」といったことを発信。保護者からも抗議の電話があったという。
 それが新聞、テレビに報道され、入学式から1週間後には、埼玉県教委には「教員擁護 65件」「校長らの批判 48件」「教員の批判 34件」が寄せられたという。
 この反応を寄せた世代はわからないが、おそらくは若いほど教師擁護、年齢の高いほど批判が強かったのではないか。その分かれた世代は何歳くらいだっただろうか。
 入学式の欠席を容認した学校長は大体50歳代後半だから、1960年前後が岐路になっているのだろうか。また、容認した理由は、本音として了解したのか、教師や労組への気遣いからやむをえなかったのか、そのあたりを知りたいところである。

 筆者が「驚き」を感じたのは、教師たるもの、まずは新入生を迎える担任の責任感覚、どのような子どもたちと初顔合わせができるかという喜び、付き添う保護者に教師の姿を見て知ってもらう意味、などがあるはずという先入観が根強くあったからだ。
 それが、教師だけでなく、学校長が容認していた、というので、二度びっくりだった。
 それで、70歳代の筆者の感覚は、もう時代遅れ、シーラカンス化したのか、と驚いた次第であった。
 この春、中学校の卒業式で、久々に「仰げば尊しわが師の恩」と歌声を聴き、いいメロディだな、などと思ったこともあり、そのギャップは大きかったこともある。「教師礼賛」ともとれるこの歌を歌う学校はあまりないようだ。

 そういえば、20年以上前、勤務していた新聞社の地方支局でこんな経験があった。衆院選挙の直前、支局の打ち合わせに出かけたところ、県庁担当の選挙担当がいない。聞くと、育児休暇中、という。支局長は、選挙取材や事務作業はみんなでやるので、育児休暇制度を生かしてほしい、との支局員の声が出たので認めた、という。ただ、入社3年ほどの支局員にとっては初めての、かつ記者生活の中でめったに担当できない選挙報道の経験の場であり、長く続く育児のために1ヵ月ほどの貴重な取材経験を犠牲にしていいのか、新聞記者として自分を高めるプロセスを見逃して、それでいいのか、と申したことがある。
 事例は違うが、職業意識と家庭・家族バランスをどのように考えるか、という点で類似性を感じる。

 かつて教師の「聖職」論争があった。
 極端にいうと、教師は労働者か、宗教者ではないが聖職か、の論争だった。実際は二者択一ではなく、外から見てどうか、というよりは、教師自身が労働の対価を求めての職の選択だったか、あるいは教育になんらかの目標、抱負を抱いての選択であったか、ということだろう。
 後者であるならば、わが子ではなく、これから付き合う子どもたちの最初の出会いを尊重するだろう。教師でなく一般の仕事に就く親たちにしても、ほんとうはわが子の入学式に出たいが、勤務を考えると出られない、といった人が多いのではないか。

 戦後の民主主義の過程で、個人の尊重が言われ、各人の意見開陳の必要が叫ばれ、それが次第に徹底してきている。それはいいことである。
 ただ、個人と社会とのかかわりでは、おのれ優先だけでは通用しないだろう。どうしても、社会との絡みでものを考え、調整していかないと、社会のルールは成り立たない。
 教師は、子どもたちに「社会との付き合い方」を教えなければならない立場。社会はルールとマナーによって、健全さが保たれることが多い。
 「教員」でもあり「教師」でもある立場では、わが子可愛さだけでは通らないこともある。古い言葉になるのかもしれないが、それぞれの職業には「職責」というものがある。

 それでもなお、「職責」よりも「家庭」、教え子よりもわが子、といった選択が広く定着してきた、ということも事実である。
 そこまでのことはわからないではない。ただ、社会の連係動作が生かされず、マナーの乱れ、譲り合いの気持ちの淘汰、個人最優先ばかりの思考、思い通りにならないと敵対行動に走る風潮などがはびこると、そこに戦後の民主主義への批判と攻撃、「道徳」などの名による押しつけ教育の導入、「個人」から「国家」へと国民を束ねる論理の横行などが台頭してくる。

 たとえば、教育委員会制度の改定の立法化のきっかけは、大阪、滋賀でのいじめの対応の悪さによって、この制度全体が悪い、弱点がいじめを引き起こした、とのアピールが拡大されたことで、全国一律に「制度が悪い」として立法化への引き金を引くことになり、首長の権限強化、教委の法的後退を招くことになった。
 自らのコントロールが効かず、いい加減な慣れで動かされていくと、民主主義の自発的な運用が侵され、首長や行政のイニシアチブの強化を望む権力サイドの期待に応えることになる。「個人」を維持するために、どこまで社会との、譲歩を含めた折り合いをつけていくか、その重要さを埼玉県での出来事は示している。
大げさのようだが、しかし昨今の流れを長い視野でとらえてみると、決してオーバーとは言えないのではあるまいか。

 教育現場を見ていると、教師の仕事はかなりハードである。授業の教材作り、放課後の部活の指導、校務の分担などに追われるのは当然としても、学級内にトラブルやモンスターペアレントの登場があったりすれば、心身の苦労は尋常ではない。かつてのような先生の夏休みはとうになくなった。個々の教師に指導力の格差があるのは事実だが、自己成長のための努力は並大抵ではない。そのような現実であるから、「たまにはいいじゃないか」「先生も親の子」といった風潮が流れても不思議はない。
 しかし、子どもたちの「師」であるかぎり、将来の社会の構成員に影響を与える存在である以上、自己中心に引き込まれず、しっかり考えなくてはいけない。

 そんなことを考えつつ、驚きつつ、埼玉県のケースを拝見した。
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 この稿は、5月用に書いたものですが、パソコントラブルで1ヵ月遅れになり、いちどはボツにしようかと思ったものの、やはりアピールしたく、掲載をお願いしました。

 (筆者は元朝日新聞政治部長)


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