【オルタ広場の視点】

悪化する「日韓関係」の根にあるもの

羽原 清雅

 日韓関係のギクシャクが続いている中で、3・1独立運動(後述)から100年を迎えた。
 当面する多様な課題を、どのように打開するか、その見通しは立っていない。歴史的な深い根っこの部分から発生した事態なので、そう簡単には片付かない。
 両国の政治的指導者の対立は、双方のメディアを巻き込んだ対立にもなった。それだけにとどまらず、国民各層に対決強硬論、自国正当化の論、憎悪攻撃の論など、さまざまな対立的な攻防が見られるに至った。もちろん、歴史的和解に立ち返って両国の修復を説く人士も出ている。
 当面する対立点の早期打開は必要だが、折に触れて蒸し返される両国の衝突的な事態を持続的になくしていく長期的な取り組みも考えなければならないだろう。国を引っ越すことができない以上、隣国として相互理解を図る策を、双方ともに謙虚に考えていかなければ、長い和平の関係を保つことはできない。

          数々の対立

 日韓両国の間では、第2次世界大戦後に限っても、李承晩ライン、竹島問題などが尾を引き続けている。国家間ではこのような領土領海の問題は長期化しがちだが、そうしたこと以外でも、昨今はあまり大きな問題とすべきでないところで対立が激化している。あらためて、事実関係を整理してみたい。

1 > 韓国人元徴用工問題 2018年10月、韓国最高裁(大法院)が戦前、日本に徴用された労働者による損害賠償請求について、親日鉄住友、三菱重工業などの賠償を認め、韓国内の資産凍結措置まで実行されそうになっている。
 日本政府は、1965年の日韓請求権・経済協力協定で、5億ドルの経済援助もしており、解決済みだとする。また、解決のためにはこの協定に基づく仲裁委員会に付託しよう、との姿勢だが、韓国側は応じようとはしていない。
 対象となる日本企業はほかにもあり、裁判は続く。賠償を請求する訴訟人は数百人に及ぶ。

2 > 慰安婦財団の解散問題 2015年の朴槿恵大統領との間でまとまった慰安婦救済の財団は、4年後の文在寅大統領の下で解散された。日本政府はかねて「お詫びと反省」の気持ちを込めたとし、この合意が「最終的な、かつ不可逆的な解決」だとして、これ以上の譲歩などはあり得ないと主張、反発を強めている。

3 > 海上自衛隊問題 海上自衛隊と韓国側との不仲状態が続く。軍事力を擁する組織の対立は、ひとつ間違えれば、大きなリスクにつながる。戦前とは異なるが、軍事摩擦はいつ火花を拡大させるか、どんな戦闘への大義名分を思いつくか、偏狭なナショナリズムの炎上を招かないか、そうした懸念は消えない。
 2018年12月、日本海での警戒に当たる海上自衛隊の哨戒機に対して、韓国海軍の駆逐艦がレーダーを照射したとして、応酬が続いており、未解決のままになっている。日本側の抗議に対して、韓国側は反論するが、データなど客観的な論拠が十分に示されず、落着しない。
 また10月の国際観艦式では、国連海洋法条約で軍艦旗掲揚が認められているが、韓国側は国旗と異なる軍艦旗の掲揚は認めない、との方針で、日本の海上自衛隊は旭日旗を掲げられないことから参加しなかった。だが、他の参加国は、自国艦船用の旗を掲揚していた。
 さらに4月の海上共同訓練には、レーダー照射問題の決着がつかないため、海自最大級の護衛艦「いずも」の釜山港寄港を断った。

4 > 国会議長の天皇発言問題 韓国の文喜相国会議長が2月、慰安婦問題をめぐって「国を代表する首相か、もしくは近く退位する天皇が(元慰安婦)の手を握り、本当に申し訳なかった、とひと言言えば問題はすっかり解消する」、さらに天皇について「戦争犯罪の主犯の息子」と述べた。元慰安婦に会うかどうかの問題ではなく、天皇に対して、要職にある公的人物がそのような発言をすること自体、対日関係をゆがめかねない。
 天皇は象徴として、政治がらみのことに関わらないことを知らないはずはなく、しかも天皇の償いの日々ともいえる言動も承知のはず。知日派といわれる、国家最高の公的人物に、ふさわしい物言いではなく、むしろ日本に生まれる反感を敢えて煽ろうとしたのか。だが、その可否は別として、韓国内の一部に消えない反天皇感情を象徴的に語った、と言えなくもない。

          韓国の問題点

1 ) 政府としてのありよう 元徴用工賠償の問題、海自機照射の問題など、韓国政府の対応は、国際的な場での討議と解決策案出への方策に乗ろうとしない。竹島問題もしかりである。正当な理由を国際的なルールのもとで判断を求めることを避ける。「弱み」ある態度か、と思われることのないよう、むしろ積極的に日本側に打開の道を呼びかけてもおかしくない。竹島問題についても、同じことが言えるだろう。
 大統領のナショナリズム高揚による人気政策、あるいは選挙のための布石づくり、といった見方もあるが、それでは一時的にはしのげるとしても、その後にマイナスの尾を引きずらせることになり、ご当人自身も史上に汚点を残すことにもなりかねない。

2 ) 狭い愛国心のデメリット 歴史的に消えにくい反日感情をあおる政治姿勢でいいのか、という問題もある。自国の安定的発展と繁栄を維持していくには、短期的な人気をあおることでは実現しない。民族志向の強いといわれる文大統領が、北朝鮮との連携を強め、ともに朝鮮半島全体の発展を望む、という姿勢は間違いではあるまい。しかし、長い眼で見た国のありようとしては、短期的、一時的な人気取り政策では確保できない。
 彼に必要なのは、一時的な大衆向けの人気取りではなく、まずは体制の違いを理解し合いつつ、北朝鮮との和平に道筋をつけ、相互の関係に寄与できる空気を作り上げていくことだろう。
 韓国の内情からすれば、決して容易な道ではないが、きちんとした方向性のある姿勢で一つひとつの打開、改善策を可能にするなら、韓国歴代の指導者を凌駕する評価になるだろう。
 ただ、そのイメージはまだ具体的には見えていない。逆に、狭いポピュリズムに陥れば、概して歴代の指導者と同じ轍を踏むに違いない。そのあたりの判断材料はまだ見えてこない。

 同じように、日本の過去の罪過を攻撃することで、ある程度の民意は確保できようが、その発想が将来的な健全な国家関係を築くうえで支障になるようなら、望ましいとは言えまい。たしかに、日本の政治的対応もいささか狭く、大きな展望での両国関係を描いているとは言えないが、韓国もまた偏狭な愛国心、ポピュリズム、ナショナリズムに陥れば、打開への道はさらに遠のき、憎悪感を強めて見えない壁を堅くするばかりだろう。

3 ) 韓国民の国際認識 日本が島国として生きていかなければならないように、韓国もまた半島の一角に限られた小国としての条件から抜け出せない。したがって日韓ともに、地政学的に周辺の大国、強国を意識した政策を余儀なくされる。かつてのように、弱みを抱えた国に腕ずくで侵略を仕掛けるようなことはできない。また、強大国の庇護を受けざるを得ないにしても、祖国の自覚を持ち、軍事的態勢には限界のあることを心得ていないと、どこまでも付け込まれ、あるいはしっぺ返しにあう可能性もある。
 慰安婦像や元徴用工の像を各所に建てる動きが止まらない。そうしたい韓国の反日感情は長く心の底から消えることはないだろう。日本に対してその仕返しを、といった気持ちを捨て去ることも難しいだろう。だが、そのような事態を続けることは、日韓の溝を深めても、協力関係にはなりえない。それでいいのか。
 小国同士だからこそ、互いを信じられるような国民の意識を醸成し、信頼ある関係を構築する必要がある。とはいえ、罪過を抱えた日本、そして筆者自身も、そのように言い出せる立場にはまだないのだが、長期的にはその方向は真理だろう。
 韓国の指導者たちが、かつての日本の所業の怨念を伝える気持ちはわからないではない。しかし、若い世代に怨念を植え付ける歴史教育は望ましいものではない。

 いつの日か、韓国が同じ民族の北朝鮮と和解することがあれば、相手を攻撃し、南北の戦争とその苦しみの恨みを伝え続けることは決してプラスにはなるまい。できるなら、長い眼で見た将来展望を描ける日本であり、韓国であるよう努力を重ねたい。
 短視的なリーダーのもとでは、それは難しいことにちがいないが、心の深い部分に育てていくことが和平をつかむ根本ではあるまいか。

 先日、韓国内で話題を呼んだ映画『金子文子と朴烈』を見た。日本人の悪行とその非民主的な制度的仕組みを突きつけられると、つらい。だが、それは否定できない歴史的事実であり、直視するしかない。二度とあってはならないと同時に、民族的蔑視の風潮が戦前の社会で広がった無自覚、追随の状況を再現してはならない、と思う。

          顧みて 日本は

 最近の日本の対外政策は、あまり優れてはない。だから、韓国側の怒りはいつまでもジワリとにじみ出てくるのだろう。日韓関係の不調は、歴史的な経過を踏まえない限り、平和的な打開はできない。「現在」「戦後」という短いスパンで対応する限り、韓国側の沈潜した怒り、憤懣は収まらず、何らかのきっかけがあれば大きく噴出してくる。
 このことは、「植民地化」「日本側の体制に組み込まれた戦争参加」という韓国・朝鮮民族の屈辱、という視点での理解を持たなければ、長期的、平和的な信頼に基づく基盤を構築できないだろう。
 その日本政治の理解の乏しさが、折あるごとに、韓国政府、ひいては納得しつつある若い韓国民を怒りに向かわせる。韓国メディアが、そうした怒りを誘う報道から抜け出さないのも、その論調に瑕疵はあるにしても、歴史的な対日関係の基盤に問題を抱えているからにほかならない。

1 ≫ 条約、協定依存だけでいいか 日本政府は、元徴用工などの問題では、1965年の日韓基本条約(佐藤栄作・朴正煕)、日韓請求権・経済協力協定締結によって「解決済み」と強調する。
 たしかに、両国の間では、植民地時代の名残を消し、独立国としての存在を相互に認め、また無償供与3億ドル、官民借款5億ドルをもって賠償請求権を放棄して決着した。請求権には、韓国政府が義務を負って対応することになった。また、個人としての請求権は、日本としては解決済み、消滅した、と受け止めてきた。条約や法的には、そのような論理が成り立つのかもしれない。だが、そこで開き直るだけでいいのか。
 慰安婦問題にしても、2015年の安倍首相と朴槿恵大統領の間での日韓合意について、日本側は「お詫びと反省」をしたし、「最終的、かつ不可逆的な解決」であって、今さらの破棄のような韓国側の方針転換は極めておかしい、とする。安倍首相は国会でこの点をひたすら繰り返す。 
 たしかに、韓国側の対応は国際的なルールにもとる。だが、それだけで済ませられるものだろうか。

2 ≫ 条約、協定で済まされない事由 条約や協定の尊重は、ゆがめられてはならないし、いずれの国でも順守しなければならない。そのうえで、敢えて言わなければならない。
 韓国には、植民地化以来の日本への怨念、屈辱が心に刻み込まれている。それは時に、理性では抑制できない思いに駆り立てられる。そのことを、日本人は軽く見てはいけない。
 踏まれた足の痛みや残された傷跡は、踏んだ者にはわかりにくいだろうが、だからと言って無視し、詫びることもなければ、相手の怒りは高まり、尾を引くだろう。

 まして、教育水準が高まり、経済状態が向上すれば、歴史を学び、当時の事態を分析することになり、感情的な怒り以上に、客観的、かつ冷静に往年の理不尽さに気づくだろう。戦場にならなかった戦前の日本人には思い至らないような実態が、彼らの心にはよみがえるに違いない。  
 戦乱は終えたとはいえ、戦後長引く苦境に置かれ、食糧にも事欠くような状況で、やむを得ない気持ちで条約などに調印したとするなら、豊かになって、教育を受けた韓国の若い世代が、往時の決着に納得しないとしても、それは不思議ではない。
 両国間の条約は守られなければならない。だが、戦前の長い期間心身の苦痛と屈辱を与えた責任を回避するが如く、条約の文言だけに逃げ込めば、怒りを招くことは必定だろう。
 条約や協定などの決定だけにとどまらずに、韓国民の気持ちに立つことができれば、心から詫びる気持ち、二度とあってはならない謙虚さ、苦しみに耐えた先代、先々代へのいたわりなどの姿勢が韓国民に届けば、いつか分かりあえて、相互理解のなかに新たな国民的な交流が育ってくるだろう。

3 ≫ 現実はどうか 一時代の政権担当者が、当時の一定の国内事情からやむなくも条約を締結したとしても、それは守られなくてはなるまい。国際関係は継続性、安定性がなければ持続しない。
 しかし、それでもなお、それだけで済まされるか、という課題もある。
 振り返ってみて、明治維新(1868年)後の日本は、朝鮮、中国などに対して先進国並みの帝国主義の道に進んだ。1876年、江華島事件を引き起こすことで、弱小混迷の国に対する武力優位の欧米先進国同様に、日朝修好条規なる不平等条約を結ばせる。
 朝鮮の内政の混迷に付け込むように、1895年には朝鮮の時の権力者・閔妃を暗殺して、日本の意に従う政権に切り替える。しかも、その首謀者は長州・萩出身の在朝鮮特命全権公使・三浦梧楼。犯行に加わった全員免訴ののちの三浦は、枢密顧問官を経て、大正期には政界の黒幕として隠然とした発言力を発揮した。さらに、首相、初代韓国統監を務めた伊藤博文が暗殺された翌1910年には、韓国併合条約を押し付けて、植民地化を進めた。
 その後は、朝鮮蔑視の風潮のもと、日本の思うままに強引な武断政治、従属政策を展開。兵隊、労務者、慰安婦などの今日に課題を残す植民地支配に入っている。
 第1次世界大戦(1914‐18年)が終わり、米国のウィルソン大統領主導によるベルサイユ条約で「民族自決の原則」が打ち出されたことが大義名分になって、1919年、朝鮮民衆の間に「3・1独立運動」が起き、中国では知識人や学生たちを中心に「5・4運動」となって、日本や欧州の帝国主義国への怒りが大規模に表面化した。しかも1917年には、ロシア革命が実り、ツアーリズムを打倒、労働者、民衆の時代を招き、この影響も受けた。

 このような国際的な影響を受けた3・1独立運動などは、ある意味で独裁政治をはねのける時代の流れでもあった。3月1日は、日本によって退位させられた高宗(大韓帝国初代皇帝・李氏朝鮮からは第26代国王)の葬儀の日で、この日を期して民族主義者たちがソウルで独立を宣言、これに呼応した多数の民衆が「独立万歳」を叫んで蜂起し、これが朝鮮全土に広がっていった。参加者200万、8,000の死者、1万6,000の負傷者、5万以上の検挙者を出した、とされる。この動きの中心は民族主義者から農民、労働者らに代わっていった。 

 日本の戦後は、このような無道な統治、虐待、惨状、侮蔑といった悪行について、多くの犠牲者とその親族たちの怨念を受けざるを得なかった。この事実を忘れることなく、少なくとも心の中に踏まえた振る舞いがなければ、いつ怨念の火花が繰り返されるかわからないのだ。
 具体的にいうなら、第2次世界大戦前後の植民統治下の朝鮮半島側の被害は、徴用700万、徴兵38万、それらによる死傷者100万以上、否応もない死刑も含めたBC級戦犯140余人、慰安婦4万とも言われている。それぞれの家族、縁者、知人らの苦しみを含めれば、その数は計りようもない。

 これまでの日本国内での論議や対応策は、日本側の立場に限定された思いが先に立ち、侵略され、踏みにじられた相手側の痛みへの思いが希薄だったのではないか。その認識の浅さのゆえに、戦後70年余を過ぎても怨念が消えず、くすぶり続け、時に発火させているのではないか。

4 ≫ 何をなすべきだったか 日韓条約による賠償拒否、慰安婦問題対応の流産など、日本側は条約や合意をタテにして、韓国側の思いを蹴とばしておけばいいのだろうか。
 経済関係は別としても、これらの問題の根っこは、植民地化や戦争巻き込みの歴史にある。だが、日本サイドは条約締結後、「すべて、こと終われり」のままにし過ぎていなかったか。この条約が生まれるとき、韓国内では問題点が多く指摘され、反対の動きも非常に強かった。慰安婦問題も、日本軍関与の事実が実際に裏付けられている以上、一部だとはいえ、この合意への反対の風潮が納まっていない状況からすれば、「こと終われり」だけでよかったのか。

 問題の根がくすぶる以上、日本側は民間の運動を支援したり、友好関係と日本の立場や姿勢をわかってもらうアピールをしたりするなどして、韓国内に広くアプローチし、民や官として「寄り添う」施策を生み出しておくべきだっただろう。長く引きずった怨念の解消は、為政者による条約や合意だけでは極めて不十分で、やはり国民同士の理解や納得の装置や活動を進めておくべきだった。多くの国民を長く、広く巻き込んでの衝突だったことからすれば、日本の官民のフォローがもっともっと必要だったと思われてならない。

 そのような国民の間に根を下ろす交流活動によって、韓国人たちの根強い不快感に少しずつ和らぎをもたらし、日本人の反省の気持ちが伝わることが、本当の和解につながるのではないか。怨念の長かった時間だけ、分かりあえる時間を費やさなくてはなるまい。

5 ≫ 日本ファースト思考に反省を トランプ米大統領の登場以降、自国のファースト思考が横行するようになった。おのれの母国が第一であることは、言うまでもない政治の要諦だろう。そして、その「第一」を見事に築いていくことが他国との外交の使命だろう。祖国第一だからこそ、相手国との交流、相互理解、違いの分かりあえる親近感が必要であり、それを育てていくことが為政者の責任であり、イロハでなければなるまい。利己的な「我こそは」でなく、譲り合い、一歩身をおさえた姿勢こそ、自国を大切にする初心の姿勢だろう。

 日本には、韓国、中国からの観光客たちが多数押し掛けている。お金を落とす期待が高まり、そのための歓迎もある。それはそれでいい。だが、中国に出かけるツアーなどは下火になる一方で、誘いの広告も減るばかり。韓国にしても、それに近い。このふたつの国に出かけても、身辺の危険などは何もないし、むしろ親しく迎えてくれる空気がある。
 世論調査を見ても、日本人にはヘイト的な風潮が強まっているような数字が並ぶ。これは、政治や外交の緊張関係からもたらされているようにも感じられる。事実、一部のメディアの見出しなどには、敵対、嫌悪、憎悪を誘う文字や文章が並ぶ。一種の狭隘な自国ファースト思考の表れに違いない。このような空気を抑制しない限り、本当の平和な関係はできない。

 戦後70年余の日本には、平和志向が根付いてきている。だが一方で、同じアジア圏にあって、他国のマイナス面を誇大に拾い上げ、嫌う風潮をあおり、交流を阻害するような現実もある。観光収入、経済効果は歓迎するが、日本人の交流は狭い部分に閉じ込めようとするかの風潮だ。自国ファースト思考のはき違い、憎悪のプロパガンダは、望ましくなく、長い眼で見れば日本人の針路を誤らせかねない。
 こうした傾向は、昨今の政治姿勢や外交政策の狭隘さが影響しているのではないか。日韓関係、対中政策、沖縄基地問題など、日本本位、ファースト思考の狭い取り組みの姿勢を、あまり考えることなく、為政者の姿勢をよしとして容認、あるいは追随する人々を巻き込んでいるように思われる。
 例えば、外国人労働力の受け入れについて言えば、人手不足という一面から、十分な対応策もなく、受け入れようとする。当面は男手ひとつを受け入れるというが、いずれ経験を積み、不可欠な技術者、農業者などに育てば、家族を持つ。その時、住居をはじめ、妻たち家族の処遇、言語や習俗などの子どもたちの教育、医療福祉面の待遇、地域環境との関わり、母国との関係など、多岐にわたる配慮が必要になる。使い捨て、期限付き就労、低賃金、劣悪な労働環境では、失踪や犯罪などの問題を生むだろう。これも、狭隘な自国ファースト思考に違いない。

 このように、高齢化、人口の減少化の進むなかで、日本としてのメリットのみを考える対外的な取り組みは、日本在住を望む外国人労働者たちに、不快な印象を与えるに違いない。そして、ジワリと日本への反感につながる。
 日韓関係だけから見ても、基本的な政治姿勢、日本の外交政策、在日外国人との関係、民間中心の対外交流などに多くの課題を読み取らせてくれる。

 日韓関係をもういちど、考え直してみたい。

 (元朝日新聞政治部長)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧