【書評】

『認知症の時代―支え合える社会を目指して』 吉水 卓見/著

『認知症の時代―支え合える社会を目指して』吉水 卓見/著
   PHPエディターズ・グループ/発行 定価1,500円<税別>

羽原 清雅

 高齢者の5人に一人が認知症・・・という現実からすれば、関係ない、とは言えない。でも、「まだ大丈夫」と思えば、あまり近づきたくないのが人情だろう。しかし、身辺にそのような方がいれば、無関心でもいられまい。
 いずれは認知症になることもあると思って、少しその知識を持ってみよう、そんな気分でこの本を手にしてみると、漠然とした印象が「なるほど!」と変わり、なんとない覚悟が身についてくる。

 著者は、下関に病院を持ち、訪問看護ステーション、特別養護老人ホーム、在宅のケアセンターなどを千賀子夫人とともに大規模に運営しながら、自ら治療や相談にあたって50年になるベテラン医師である。患者やその周辺に密着しながら、現場からの報告でもある。
 また、認知症患者の身になっての注意点や、周辺の人達の相手の仕方を具体的に示してくれるばかりではなく、認知症の歴史や社会環境の変化、その研究の進展と課題といったごく一般的なイメージを示してくれる、そんな特徴が読む気を引き出しているようだ。

 度忘れと認知症 ものの置き場を忘れる、相手の名前が出てこない、日付が思い出せない・・・その場限りのもの忘れは年齢とともにありがちになる。それが恒常化し、深まってくると認知症なのだろうが、その定義は「脳の海馬、前頭葉、大脳皮質といった複雑な記憶のネットワークが障害されている状態」、あるいは「記憶の障害によって社会生活になんらかの支障が出てきたとき」だとされる。
 前者のような生理的健忘に対して、病的(アルツハイマー型認知症)になると、物忘れはその内容、範囲が経験や体験したことの多く、あるいは全部に及び、日常生活に支障があってもその自覚はなく、新しいことが覚えられず、怒りやすく、また意欲が低下する、という。

 とかくありがちな『徘徊』は「会社に行かないと」「犬の散歩をしないと」「家に帰りたい」とか、『入浴の拒否』は「脱いだ衣服が盗まれる」「裸は恥ずかしい」「浴室に幽霊がいる」とか、『ショートステイ拒否』は「自分がいないと不貞が…」「厄介払いされるのでは」といった心理になる。妄想も出やすく、なにか見当たらないと「盗まれた」、配偶者へのコンプレックスが嫉妬や疑惑になり、家族が他人と思える、といった感覚に陥る、という。

 しかも、こうした認知症現象は高齢化社会が進むにつれて、日常化する。2025年ころまでは、65歳以上の高齢者は5人に一人くらいが認知症だが、90歳以上になれば半分くらいは認知症になるだろう、と怖い見方をする。だが、現実だろう。

 対応の難しさ 認知症の難しさは、この食べ物が健康にいいとか、この行為は悪、とかの判断は弱ってきても、情緒的な好き嫌いとかの感情は患者の感情の中にかなり残っていることだ。健常の人にはわかりにくいだろうが、医療の世界ではこれが常識であり、この姿勢は立ち位置を変えてみないと分からない。この点がとくに強調されている。

 心理的にだます、否定する、無視する、子ども扱いをする、脅かす、急がせる、人や状況によって異なる主観的な現実を認めない、仲間はずれにする、無理強いをする、放っておく、軽蔑する、からかう、など心理的な影響は避ける。また、腕を握る、引っ張って連れて行く、押す、押さえつける、背後から話しかける、暴力をふるい暴行をする、などの身体的な対応にも気を付けることが必要である。
 熱い、寒い、暗い、空間が広すぎる、などの物理的な環境や、感情的になるなど不適切な家族、介護者、医療者といった人的環境も要注意だという。

 吉水医師は、山口県下で最初に「ユマニチュード介護」を取り入れ、普及の努力を重ねてきた。この基本は、患者と同じ目線、同じ姿勢で接すること。患者は視野が狭くなっているので、その視野の中で話し、手を添えてやさしく接すること。「例えば、横から、後ろから、上から話すと患者さんは恐怖を感じてしまう」「私はあなたに害を加えたり、強要したりするのではありませんよ、と理解してもらうこと」だという。

 認知症の歴史と展望 吉水医師が医学部を卒業したのは50年前。当時は「人生50年」などと言われていた時代で認知症になる前に死ぬことも多かったので、認知症になる機会も、その人数も少なく、目立つ話題にもならなかった。認知症はいわば長寿化の産物、ともいえたのだろう。もともと「痴呆」の症状は、「耄碌」「老耄」「ボケ」などと表現されていたが、用語としてふさわしくなく「認知症」になった、と指摘している。ついでながら、秀吉、ヒトラー、毛沢東らの「心の病」を指摘していることも面白い。

 認知症の増加について、吉水医師は ①少子高齢化 ②物の豊かさ ③医療・介護・福祉の発展、向上、をあげる。さらに農漁業の衰退と第3次産業化、村(コミュニティ)の衰退と都市化(孤立・孤独化)の進行、地域などの絆の喪失と個人・利己主義の浸透と行きすぎ、家族の崩壊による核家族・老老家族・独居老人の増加などの社会構造の変化を指摘している。

 認知症の治療は可能か。進行を完全に抑え、完治することはできない。予防と進行速度の抑制は可能、とする。「現状では、2-5年程度余命が延びる」と見る。治療薬は数種しかなく、ひとつは認知症そのものの治療薬、もうひとつは怒りや興奮を抑えるといった対症療法のもの。認知症にならない予防薬の研究開発も日々進められている。

 認知症発生の原因は、脳の神経細胞がタウ蛋白やアミロイドβといった物質の蓄積によって破壊されることだが、破壊された脳細胞を再生させる治療法は当分難しいのではないか、と見る。再生の治療薬がまだ無理であれば、まずアミロイドβ除去の抗体を発見し、これが神経細胞に溜まるのを阻止することで予防することが治験の段階に入っている、と解説している。

 認知症克服の社会 筆者の吉水医師は壮大な夢を語る。まず、大家族制を取り戻すこと。ひとつの家に祖父母からひ孫までが一緒に住むことによって、「顔と顔を合わせることで共感し合える社会です。お互いに助けたり助けられたりするのが大家族制の利点です」。つまり、「介護の必要な高齢者を病院や施設に預けるのではなく、無理なく家族で支えられます」。
 第2に、第1次産業の復活。家庭、家族という集団を維持できる農業を再生する狙いから、かつての第1次産業8割、第2、3次産業2割といった産業人口の構造に戻したい、ということのようだ。近代化した国としては容易なことではないが、部分的にでも実現の方策を取り入れた日常を考えることも面白いだろう。

 このことは同時に、食料対策の危機になるのだ。今日の日本人の食糧自給率は3、40%で、この状態で輸入に依存していると、2050年代にも全地球規模の食料危機が想定され、「その時になって慌ててももう遅い」としている。国連のSDGs(持続可能な開発目標)で2番目に上げられている食糧危機を真剣に考えよう、との意向を示している。
 「次第に、自然を野蛮なもの、文明が発達していないものと考えたり、自然を征服したつもりになったりするなど、傲慢になりました。・・・CO₂増加、異常気象、食料危機、そういうものが忍び寄っています。国連のいうSDGsを実施しなくてはいけない時期に来ています。」
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 吉水医師の指摘は、広範囲での改革を求めている。
 その大きな視点は、容易には具体化しないだろう。国連のSDGsの具体的な対応が難しいように、ロマンある政策の実行は具体化しにくいものだ。しかし、このような大きな問題提起は大切だと思う。人間の尊厳をどのように守り続けるか、認知症以上の問題点を指摘してもいる。

 (元朝日新聞政治部長)

(2022.4.20)
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