■【安部政権を振り返る】

安倍非憲法的長期政権の終焉と群れ派閥の生んだ菅類似政権

羽原 清雅

 安倍晋三政権の7年8ヵ月が終わり、裏方の内閣官房長官としてその期間を仕切った菅義偉氏が首相として登場することになった。安倍氏は2度目の病気退陣だが、最初の、内閣人事を決めたあとに総辞職するという「投げ出し」に比べれば、今回のほうがベターではあった。だが、代わりに登場した後継者・菅義偉氏は、成功にせよ失政にせよ、とにかく安倍政権の取り組みの殆どを継承する、という。
 衆院議員の任期はあと1年しかなく、東京五輪開催となれば、総選挙のタイミングはあまりなく、年内にも早まることだろう。では、菅新政権はそれまでの暫定なのか、選挙に勝って継続となるのか。菅首相の政治姿勢や政治の方向が変わらなければ、国民は安倍長期政権の名残の政治に身を置くことになる。それは、幸なのか、不幸なのか。
 安倍政治の特性とその功罪を振り返りつつ、菅政治の進展を考えたい。

         <安倍政権の優位性>

 長期政権の維持、比較的高い支持率、ある程度の政策推進など、安倍政治は問題も多かったが、成果を認める見方も少なくない。まずは、その背景を見ておきたい。

・強い基盤 まず、民主党から政権を奪還した就任前の衆院選挙に大勝(2012年)し、以来、衆参の「ねじれ」解消(参院選・13年)、定数の3分の2確保(衆院選・14、17年)、改選数の過半数確保(参院選・16、19年)と圧倒的に強大な基盤を作り上げた。連続当選を可能にしてもらえた議員たちの敬服(追従)度は高まり、自民党内の異論を封じるとともに、安倍政治の徹底ぶりを可能にした。ただ、そのマイナス面としては、党内論議に活発さを失わせ、安倍的保守化を強めることにもなった。

・一強体制 これは、選挙の大勝が招いた結果でもあるが、野党の分断・離合集散状況を強め、多弱野党の抵抗力、対抗力を削ぐことになった。むしろ一強化の責任の一端は、政党としての態勢を整えていない野党にもある。
 それ以上に問題は、7回の衆院選で小選挙区比例代表並立制の欠陥が蓄積されたにもかかわらず、その選挙システムが安倍体制を支えたことだ。
 自民・民主両党の政権交代の失敗、両党6人の首相の1年交代、という過渡期の行きがかりが、2大政党による政権交代、という謳い文句のウソを暴いたのだ。

 これまでも繰り返しているので、詳しくは触れないが、1選挙区一人の仕組みは、野党の排除のみならず、政党総裁らの公認権掌握による権力集中、党内権力の集中化による論議の低迷と党体質の一枚岩化、候補者の選択基準の「才覚」よりも「従順度・好み」への傾斜、政治家としての理念の主張よりも権力への追随傾向、といったマイナス面を強めた。議員誕生の制度の狭さ、民意を反映しない無効票の多さ、選ばれる議員の質の低下などもある。長期政権によって、その流れが定着したことも挙げられる。

 制度の見直しが必要視されても、その制度によって生まれた議員が同調するはずもない。メディアも、改革不可能な制度、として許容し、政治的マイナスに目を向けようとしない。制度誕生前に指摘されていたマイナス要素が、見事に裏付けられたにもかかわらず、である。

・世論の分断 長期の安倍政治下では、さまざまな社会的構造や意識の変化はあったが、戦後75年の歴史を振り返っても、戦時下での生命に関わるような変動、緊迫ほどのことはなく、あえて言うなら安定状態が続いた、と言えるだろう。
 そのような中だが、戦後の民主主義のもと、職業や労働形態、意識やものの見方は多様化して、多様な立場や主張が表面化、政治からの国民へのアプローチも難しくなった。

 ある意味で歯切れのいい安倍政治は、世論というものを支持層と不支持層に分断していった。トランプ政治の2分化ほどではないにしても、好きと嫌いを従来よりも鮮明にさせた。
 元来の自民党的保守の分厚い支持層に対して、不支持層は安倍政治の方向にケシカランと思いつつも、代弁野党の脆さについてはいけず、さらに少数化を重ねる。

 さらに、18歳選挙権を認めたこともあり、政治の可否、問題の所在などに興味を感じない若い世代は次第に無関心層となり、従来の無関心部分を取り込んで第3ともいえる厚い層を築いた。第3の層は、教育も受け、判断力もあるが、政治の流れやその意義などへの興味を持てず、選挙権の行使からも遠ざかっていった。みんなの認める長期政権ならいいじゃないか、時折ヘンなこともあるようだが、まあいいか、といった無関心、それに近い世論も支持勢力に組み込まれた。
 若い世代は当然ながら、過去の歴史のうえに今日の日本があることに関心なく、「いま」と「これから」に思いが強い。それを変えることは容易ではなく、やはり戦前の全く別の社会システムの存在や、「日本の過去の『負』」を実感しながら、今の政治の実情や周辺国との付き合いや理解にたどりついてもらうしかあるまい。

 安倍政治は、かつてないほどに「看板」を掲げ、キャッチフレーズを乱発した。
 アベノミクス解散、国難突破解散、好循環実現内閣、未来挑戦内閣、安定・挑戦内閣、一億総活躍社会、アベノミクス3本の矢、戦後日本外交の総決算、働き方改革、全世代型社会保障、女性活躍社会、地方創生、人づくり革命、人生100年時代、待機児童ゼロ、岩盤にドリルで穴をあける、などなど。
 いま思えば懐かしいというよりも虚しいが、そのつどメディアの話題となり、ときに期待をそそった。だが実際には、ときとともに忘れられ、消えていった。期待を持ったことさえ忘れて。ただ、このような看板が、政治の流れに一過性の期待を持たせ、支持層をとらえたことは否めない。

・高い支持率 新聞各紙の世論調査は、どれを見ても概して高い水準で推移していた。朝日新聞によると、就任時の支持率は59%、不支持率は24%(2012年12月)。ピーク時の13年は支持60%、不支持19%。
 では、安倍首相のスキャンダル時はどうだったか。森友問題時の不支持は52%、支持は25%。加計問題時では不支持48%、支持29%(13年2月、5月)。桜を見る会問題時は、不支持44%、支持36%(19年11月)で、3件を通じてみると、不支持率の方は下がり、支持率は逆に上向いている。同じ状況が続くと、不支持層は諦めがちになり、世論は次第に「慣れていく」ものなのだろうか。

 先の辞意表明直前は不支持率50%、支持率29%だったが、表明直後は「安倍政治を評価」が71%、「評価しない」が28%だった。病気引退へのご祝儀的同情はあったにしても、高い評価ではないだろうか。

         <安倍政治の非憲法的姿勢>

 安倍首相は憲法改正の信念を言い続けた。それは、政治家の姿勢として当然だろう。しかし、政権を握る為政者として考えるとき、国としての基軸である憲法に基づかず、おのれの個人的信念で動いていいものか。改憲を党是とする自民党政権ではあるが、為政者がおのれの主張を優先させ、現に社会の基準となっている憲法を軽視、その規定を逸脱することは許されない。安倍政治は、その点に大きな歪みを生み、マイナスのレガシーを残した。

・「国会」の軽視 安倍政権は、何度か野党の要求する臨時国会開会の要求を黙殺した。国会の召集の権限は内閣にあるが、開催の要求が出されても「いつまでに」開くかは、その内閣の判断にまかされる。2大政党による政権交代を目指した選挙制度のもとにある内閣は、第一野党を中心とする勢力が要求し、格別の事情などのない限りは、筋としては応じることが重要だ。立法の案件がなくても、国民の前に論議を示し、政府の立場を見せ、野党の指摘、批判に対応することで政治の姿を示すことが民主政治のありようだろう。
 政治状況が仮に不利であるにしても、為政者たるもの、国権の最高機関としての国会を重んじるとともに、その土台でもある憲法はなによりも尊重しなければなるまい。

・脅かす三権分立 具体例がある。検事総長と内閣法制局長官の人事に、典型的な恣意的な判断があった。
 まず、検事総長の後任に、安倍首相らが望む東京高検検事長を据えるために、この人物について前例のない定年延長を容認しようとした。その法的根拠を国家公務員法に求めたが、検事長の定年延長は認めておらず、検察庁法でも規定していない。そこで、検察庁法の改正に動く。だが結局、検事総長候補自身が賭け麻雀をしていて、問題は白紙に。森友、加計問題が立件でもされるとすれば、便宜を図りうる検事総長には政権に近い人物が望ましい、との判断が官邸側にあったのでは、と疑われていた。

 また、内閣法制局長官の人事では、集団的自衛権の行使容認を強く求める安倍首相は、従来の内閣が認めていなかった「行使」を進めるために、その法的解釈を変更できる人物を長官に据えようとした。歴代内閣は集団的自衛権の行使については認めない方針で一貫していたが、まずはこの解釈を変え、さらには安保関連法体制を整えて行使可能に持ち込もう、との意向だった。トップ官僚を替えることで法令の解釈を思い通りにする、いわば憲政のありようとしては邪道に走った。権力の乱用にも当たる。その結果、国会での強い反対の声を排除して、集団的自衛権の一部行使を実現した。
 国会の軽視であると同時に、三権分立の原則をないがしろにする人事であり、それに伴う立法操作であった。

・官邸官僚の跋扈 安倍首相は、菅官房長官のもとで、集団的自衛権行使を軸とする安保法制化を進めるために内閣に「国家安全保障局」(2014年1月)、また各省庁の幹部官僚の一元管理を可能にするために「人事局」(同年5月)を新設した。前段のような措置ができるように、都合のいい人事を進めるためだ。

 この結果、各省庁として考えていた幹部が起用されず、首相官邸好みの人事が進められるなど、従来の各省庁に任されていた人事権は官邸が握ることになった。官邸は各省庁を動かしやすくなり、官邸の望む行政施策が可能になった。これが定着するに伴って、官僚たちは官邸の意向に沿うべく動くようになっていった。
 官僚は本来、これという自分の手掛けたい仕事に夢を持ち、そのために自説を述べる人材が多いはずだった。だが、職務内容よりもポストを求める傾向が強まり、そのためには官邸の期待に沿うことが第一として、出世昇進のために上意に沿い、おもねる者達が台頭してきた。

 この公務員としての姿勢、資質を歪める環境は、安倍政権ならではの負の遺産で、これが今後、このシステム構築と活用にあたった菅氏の政権に踏襲されれば、優れた日本の官僚機構の凋落がますます強まるのではないか。それほどに大きな過誤といえよう。菅氏は否定するものの、総裁選挙の渦中にあって、元官僚たち自身が具体例をいくつも挙げている。

・森友、加計、桜の残したもの 悪質官僚の腐敗、跋扈を見せつけたのが、これらの事件であった。下部官僚の自殺を招いても、真相は隠され続けている。
 高級官僚が国会の場で、知らぬ存ぜぬで通し、隠蔽、虚言に徹する。国会を通じて国民をも騙す。具体的な事例には触れないが、安倍氏が「首相も、議員もやめる」と啖呵を切り、その昭恵夫人が不法を疑われる森友右傾学園の名誉校長就任を受けるというのだから、関係官僚も追い込まれる。また、首相夫妻擁護の壁となった幹部連が相次いで上層のポジションに取り立てられるのだから、真相はますます隠され、次の悪事隠蔽を招く。官僚の姿勢も悪い方向に揺らぐ。

 能力ある官僚群の活用は、時の政権におもねって私利を満たすことではなく、国民のための中立性、公平性を維持して、経済機能や国民の生活実態を掌握、長期的な課題や方向性を視野に置いて機能させることだろう。民主党時代には、官僚排除の姿勢が示され、官僚群の能力を借りきれず、自らの失政を招いた。
 中立、公正な官僚システムを早急に回復しなければならない。

・公文書を残さないマイナス 安倍政権は、かつての政権にはないほど、不正の課題を残した。とりわけ、言わざるを得ないのは公文書へのこだわりの無さである。責任者、関係者としては、都合の悪い文書は捨てたいだろう。しかし、政権を握った以上、後世に歴史を残し、おのれの治世への判断を仰ぐ度量がなければならない。
 彼は国会で、歴史の判断を仰ぐ、との姿勢を示していた。しかし、具体的には歴史に委ねるべき公文書を残そうとせず、また改ざん、削除、消去などの事例が多く、そうした処理を容認ないし黙認、あるいは密かな奨励まであったのではないか、との疑惑を残した。それらのことはとりわけ、前述の森友、加計、桜の事例で見せつけることになった。身を守るための証拠隠滅、との印象はいまだに残る。

 国としての海外での軍事的行動に伴う記録などは、相手国や関係国が将来成長度を増してきたとき、あるいは日本の不名誉な事例を提示してきたようなとき、どのような対応をするのか。資料なし、黙殺、でいいのか。これは、大陸や半島に侵出した日本が、相手側の指摘に対して果たすべき十分な証明ができなかったことにも通じるだろう。歴史に耐えられることの重要さを感じる政府でなければならない。
 そればかりではない。内政においても、国の方針を変えたような場合、その時代の検証可能な記録を残し、証明しうる必要がある。いっときの政権の言動、判断を軽んじず、歴史に残してこその現代国家だろう。この点は、私的隠蔽を国のレベルにまで広げたことは、安倍政権の大きな過ちであった。

         <安倍首相の狭隘性>

 安倍政治は確かに、「日本」変革の方向のきっかけを作った。しかし、問題はその方向だ。安倍氏個人としての政治家としては、環境に恵まれて概してのびのびと発揮できたかもしれない。だが、問われなければならないのは、その思考の狭隘性がもたらした影響である。

・狭い立脚点 安倍氏の初心、信念といったものは、一政治家としてはどのようなものでも構わない。だが、宰相を目指し、果たした以上、まず国民総体の考えや望む社会、あれかしの将来がなんであるかを認識し、それをどう判断し、自らの政治の指針に据えるか、トータルに考えなければならない。
 だが、安倍氏は祖父岸信介の姿勢を受け継ぎ、その達成こそがおのれの使命だと狭く考え、また再起を狙う際には日本会議という特定の集団の方向になびき、イデオロギッシュな政治姿勢を取ることになった。岸氏の時代と、安倍氏の時代の大きな変化や相違を読み取れず、我が道の正しさを信じすぎた。二人の共通性は、民意の汲み上げ方と狭隘な政治姿勢だった。

 安倍政治の狭隘性は、弱小化した野党を「暗黒の民主党時代」と刺激したように、寛容な姿勢がなかった。支持層と不支持層の分断を招き、政治方向に中和を求めるといったゆとりを失った。日本人の譲り合い的な気持ちは乏しく、一強の政情と狭い選択肢にこだわり続けることにもなった。首相として、固定的支持層ばかりに目が行き、不支持層などの批判を受け止める度量が乏しかったとも言えるだろう。この姿勢は最後まで変わることはなかった。

・特定秘密保護法など問題法案の処理 安倍政権の支持側からすれば、「よくやった!」とされる特定秘密保護法(2013年)、集団的自衛権の一部行使容認を含む安全保障法制(15年)、「共謀罪」法(17年)については、かなり強引な成立を図った。一強多弱の国会であるから、成立は可能だ。それなら、なぜ丁寧に説明をし、野党の指摘に正面から答えなかったのか。これらの法律は、抽象的な表現も多く、運用次第では権力の思い通りに動かせる部分があり、懸念が消えなかった。幸いこれまでのところ、そうした事例は出ていないようだが、法律の扱いは少数意見の尊重などプロセスが大切で、結果としては成立させるのだから適当に、では許されない。

 「美しい国つくり」「戦後レジームからの脱却」のスローガンを掲げた一期目の1年間も、イデオロギー的傾斜を見せる政治姿勢をとっていた。愛国心醸成を狙う教育基本法改正(2006年)、教育改革関連3法(07年)、軍事優先策としての防衛庁の省昇格法(06年)、憲法改正に先立つ国民投票法(07年)などを成立させたが、民主党に大勝した選挙後とあって、いささかマイペースの運びだった。

・改憲に向けての狭い姿勢 安倍政権以前の自民党政権下では、中曽根康弘時代でも憲法改正については概して慎重な扱いが目立っていた。だが、安倍氏は安定多数の与党を握ったこともあり、改憲に強気に取り組んだ。祖父岸信介の思いまで、前面に打ち出した。

 2期目就任時の2012年末、安倍氏は憲法96条の改正を言い出した。つまり、衆参3分の2以上の賛成で国会が改憲を発議し、国民投票の過半数で改憲を可能にするルールを変えて、衆参とも賛成は過半数で発議できるとしてはどうか、と主張。だが、改正内容も決まらずに手続きの変更はおかしい、と反発されて果たせなかった。一強多弱下ではなんでもできる、との思いだったか。

 また、問題の9条について、自衛隊の存在を明記して、憲法論争に終止符を打つよう主張する。まだ、公式的な論議もないうちに、終止符を打つ、という。
 国民投票法を早くに成立させたが、改憲不改憲を国民投票にアピールするにあたって、肝心の政党等の広報をめぐる課題すら決着していない。富裕な政党は相当な宣伝ができるが、小党などは太刀打ちできない。そうした他者への配慮が乏しい。狭い、というしかない。
 さらに、衆院解散についても、内閣の恣意的解散もありうる7条解散か、内閣不信任案可決、内閣信任案否決の場合の69条解散か、の結論も得ていない。

 基本的には、論議の対象になっている4項改憲<自衛隊の根拠規定、緊急事態条項の創設、参院選合区の解消、教育の充実>についても、自民党のリードによる項目設定だったが、本来なら改憲対象とすべき条項の選別の論議が必要なはずで、そうした手続き自体も省略されたままである。
 しかも、改憲不要とする意見もまだまだ分厚く、安倍氏の思い通りに取り組むこと自体、無理があるだろう。与野党、そして第三者的な学者たちの論議も必要になる。
 公正な論議の舞台ができることを前提に、長く、広い論議を可能とすることで、時間稼ぎに論議を拒む野党であってはなるまい。

・メディアの選別 安倍政権の拙さを表面化させたのが、メディアの差別的扱いだろう。その手法に自己満足はあろうが、一国の宰相として、国民全体の指揮者として、幼稚、稚拙、そして狭隘極まりない、と言いたい。記者会見などで、批判的なメディアに対して、対応する説明で応じず、論点をずらして逆に攻撃する。テレビなどの出演でも好みで分別する。
 佐藤栄作首相も退任最後の記者会見で、打ち合わせの行き違いもあったが、新聞記者を追い出してテレビに向かって、おのれの言い分のみを伝えようとしたことがあった。

 総理大臣は、より多くの国民に語りかけ、納得と理解を深める責任を負う。新聞記者たちに伝えるのではなく、その向こうにいる多数の国民に話しかけ、伝えようとするのが責務でもあるだろう。記者というものは、首相という権力を批判的に見、問題の所在を指摘するために周辺にいる機能である。単なる野次馬と思わないほうがいい。
 首相の言い分のみを聞いて納得する人々もいるが、さらにその言い分の影にあるもの、問題点や課題、プラス面とマイナス面、今後の対応などを質問して、その解説や展望など判断材料を多くの人に提供することがジャーナリズムの任務である。
 ニコニコと聞いていても、問題点や弱いところなど厳しい指摘をすることがなければ、この仕事は成り立たない。指摘に「非」があれば、次の機会に指摘し、正しいところを伝え、補えばいい。

 政治家というものが、出身政党や支援母体の言いなりになって、自己の見解を述べられないとするなら、政治家失格だろう。有権者の票による資格である限り、その感覚は多様でなければならない。そのうえで、信じるところ、やむをえざるところを語り、理解を得る努力をしなければならない。「好み」に合うことのみを選ぶ政治家であっていいのか。
 下駄の雪、金魚のフン、であってはならないということだ。

・後継人材を育てたか 安倍氏は、岸田文雄氏を後継者の一人に考えていたようだ。だが、育ちきれなかったか、口先だけのことだったか、は分からないが、結局手元で頼りにした菅義偉氏に納まった。長期政権も間もなく終わり、という頃には、特定はしないまでも複数の人材が嘱望されていていいだろう。
 それが、できなかった。おのれの宰相の座に汲々としすぎていたのか、衆院選で勝ち、さらなる居続けを想定したか、そうでもあるまいが、結果的には日本の政治にとって「最適任者」であるか、迷いかねない人物に落ち着いた。

 日本の政治の抱えている課題はコロナにとどまらず、非常に多く複雑だ。そうした視点で見ると、人を見る目の狭さ、が感じられる。おのれの治世をそっくり継続することがいいか、あるいはその点を踏まえながら足りなかった部分を補い、さらに新展開するか、そのあたりを政権末期にあたって、どのように考えていたのだろうか。

 狭隘ではないことを一つだけ。奔放に動く昭恵夫人の言動を許容していることだ。森友学園に通い、名誉校長に応じる。あちこちに顔を出して、受けもよろしい。筆者も一度、福祉施設オープン時にお会いしたが、明るく庶民風であった。首相夫人に認められた自由度は大きく、それが夫の足を引っ張っていたのかもしれない。

         <政策への取り組み>

 個別具体的な政策課題には触れない。ただ、日本なり世界が抱えている難題への取り組みが妥当であったか、的確に取り組まれたか、そのようなことから考えてみた。

 おおまかだが、政権がすべての課題に対応できるわけではないし、社会に横たわる問題を
 ① 長く継続したり、状況の変化の波を受けたりして対応の変遷する問題
 ② 極力、結論を急ぐべき問題
 ③ 課題が大きく、即対応できず、研究や対応策の検討を要する問題
 ④ 相手国や地域との交渉、兼ね合いなどの必要上、結論に至りにくい問題
などに分けて考えてみよう。

 そこには、為政者が、避けて通りたいもの、公約上あるいは「好み」的に急がなければならないもの、国民的な要求が強く、取り組まざるを得ないもの、などがあって、そのような為政者の意志、判断、力量、政治環境などの影響も考えると、そう簡単には仕分けできないが、極めての私見として考えてみた。

対応の変遷する課題 アベノミクス<大規模な金融緩和、巨額の財政出動、成長戦略>を中心とする経済政策は、まさに対応を変化させつつ持続させていかなければならない課題だ。アベノミクスの評価は両論あり、円安、株価上昇への評価の一方、経済の成長戦略不調、大手企業の優遇、金融政策依存、国債依存、賃金低迷、雇用率改善の一方での非正規労働増加など批判の要素も少なくない。財政への影響、社会的格差の拡大など、現時点よりも将来への影響に懸念が残る。

 ついで外交問題。対ロシア北方領土問題をめぐる安倍首相の姿勢は感心できない。4島は日本固有の領土と教科書にまで書かせる強権を行使しておきながら、おのれの交渉時には「2島」を匂わせる。主権を握るロシアは、安直に取り組めると軽んじるだろうし、領土問題がそう簡単に決着するものではなく、姿勢を変えるべき性質のものではあるまい。また、プーチン大統領との会談、連絡の濃密さを誇るが、そのような表面的な提携が重要なのではなく、その接触内容こそ点検が必要だろう。自国ファーストのメディアが陥りやすい姿勢で、いささか度が過ぎている。

 対米国姿勢でも、トランプ大統領との親密さを誇る。日米同盟を謳歌する土台だろうが、トランプは安倍氏を引きつけておいて、高価な武器購入を迫る。そして日本がベッタリと応じる。外交は、もっと裏の裏までシビアなはずではないか。後述したいが、日本は軍事に走りすぎているが、その前段にあるべき相手との外交、交流に力を注ぐべきではないのか。

 中国との関係は、安倍氏の靖国参拝は一回で止まり、当初の対中政策は2017年ころから軟化、接点を持とうとするようになり、その点は望ましかった。米中対立の進む中で、米国との同盟の強調はいいが、アジアの隣国として生活上の依存度の高い一方で、尖閣などでの緊張のやまない中国との接触は、政治・外交、大衆、文化なども含めて重要だろう。一方に傾斜せず、日本の立場を強く持って対応していきたい。
 ただ、日本が取り組もうとしている敵基地攻撃能力の保有については、予想もしない緊張を次期政権にもたらすのではないか。大きなバクチを打つことになってはいけない。

 近年、摩擦の多い韓国だが、これは安倍時代だけではなく、日本の抑制した姿勢が望ましく、双方の興奮、憎しみの定着が最も良くない。落ち着いてもう一度、双方の歴史認識について理解を深めるべきだろう。双方が地勢的な距離とその歴史を考えるべきだ。すでに外交決着がついており、あとはすべて解決済み、などという政治姿勢で通ると思うほうがおかしい。長く植民地として受けた屈辱を、被害者が忘れるわけもなく、そうした国民感情への配慮なく接する日本政府のほうがおかしい。惨劇を残した事実は、長くじっくりその歴史を反省し、口には出さないまでも心の底に根ざさなければなるまい。

 北朝鮮については、いつか補償や国交正常化の話し合いを持ち、和平の道を論じなければならない。このことを、為政者はつねに念頭に置くべきなのだ。安倍氏のように、「拉致」の問題が打開しなければ、話が始まらないと言い続ければ、両者の接近はあり得まい。その拉致問題の対応は後述したい。

結論を出すべき課題 対応策はすぐに出ないにしても、結論に向けてもっと努力しなければならない問題も多い。重要、かつ緊急の対応が遅くはないか。

 少子高齢化問題は、統計上早くから想定されていながら、また政府や国会も重々承知しながら、手を打ちかねたまま。大きな課題はとりわけ、その影響の範囲が広がり、利害のブレも大きくなる。しかし、放置は許されない。歴代政権が言い続けていながら、先送りしてきた。それほどに難しいからこそ、長期の時間と期待を握る政権は、まず打開すべきであったが、そうはいかなかった。官民に多様な意見、提案がありながら、それらを統括して結論を出す機能を発揮しなかった。国の進路を決める重要な土台でもあり、その果たし得なかった責任は大きい。

 少子高齢化問題の対応策ができれば進むはずでもあった、多様多彩な課題のある福祉政策面も、いまだ進みきれない。部分的に進展したジャンルも少なくないが、まだ道遠し、の段階だ。多彩な要求、個別の条件、地域性、可否の混在など、容易ではないが、いずれにせよ大きな問題で、対応や結論が出来にくいとして先送りしていたら、いつ望ましい方向に向かえるのか。安倍氏の責任を問うつもりはないが、時間と発言力を持った政権として、官僚組織を駆使して、より大きな取り組みができていたら、とは思う。

 原発問題は継続的に推進する、と安倍氏とその後継者はいう。トイレのないマンションと言われる汚染物質、海に流すというものの産業的ダメージに対応できないタンク満杯の汚染水。それでも、原子力発電がいいのか。コストが高く、大気汚染が指摘される石炭への依存も次第に厳しくなるなかで、むしろ自然エネルギー開発への注力が必要ではないか。再検討なく、結論が出ているかのように事態を放置していいのか。安倍政権は引き返す決断をせず、先送りの構えで時間を稼いだ。政治の局面が変わるときでなければ、事態は進まないだろう。やるべきことをやらなかった、との印象がある。

 沖縄の基地問題、地位協定の問題も、当事者たる沖縄県民を突っぱねたままだ。この問題も、これまでのプロセスには地元無視の積み重ねがあり、政治姿勢を根本的に検討し直すことが必要だろう。国策とはいえ、地元への説得不十分のまま無視黙殺はおかしい。これも、一強にして、長期政権だからこそ、結論に向かうべき課題であった。

 財政政策についても、結論ありきの継続ではなく、将来的な影響を見直し、改めるは改めるべきだった。国債依存の政策では、コロナ禍の思わぬ歳出はあったが、発行される国債の4割を日銀が抱え、さらにどんどん発行可能、という構えだが、その重荷は若い将来の人が背負わざるを得ない。その人たちが時代に合った新規事業をしたくても、財政が許さない、といった発展阻害の要因を抱えることにもなり、「いま優先」の政治でいいのか、という問題がすでに提起されている。安倍政治は、これに応えることなく、重荷を増やしてきた。

検討を待ち、対応すべき課題 これは、概して国際的な課題として、日本単独の解決を求めるよりも、協調、協力関係に取り組み、非協力国への参加を求めるべき問題だろう。

 最大の課題は、地球温暖化への対処。このままの状態を許容すれば、大きく言えば地球崩壊か、人類の生活環境やさまざまなありようを負の方向に変えることにもなり、ひいては子々孫々を苦しめる結果になるだろう。これは、専門家に委ねるべきで、政治はその見解を受け入れつつ、対応を模索、決定、実行すべき立場になる。政治に携わる人々は事の本質を知り、国際協調の先頭に立って、決断を下さなければなるまい。これまで、そのような姿勢が見られない政治であった。それくらい重要で、大きな課題ではある。

 原子力発電の汚染物質の問題も、同じくらいに重要だが、日本国内の問題としてはやはり可及的速やかに打開すべきであり、結論を急ぐ範疇の課題で、結論を待つという悠長な扱いにすべきではない。
 核兵器を無数に抱える国々は、かりに防衛のためだとしても、あるいは他国制覇のためだとしても、それほど多くの個数を抱える必要があるのだろうか。異常な事態での爆発、思わぬ攻撃、あるいは事故的な爆発による被災があれば、国民、周辺国民を巻き込んで大量に殺戮することになるだろう。自国防衛を理由にしたとしても、それを保有した結果の自国民の絶滅という事態を、為政者はどのように考えるのか。

 日本は核兵器を持たないが、その絶滅の動きに同調せず、保有・非保有の国の仲立ちをしてなくしていく、という。理屈ではありうるだろうが、現実には保有を認めない、という立場しかありえない。核兵器のゲームを楽しんでいていいのか。廃棄の方向へ圧力をかける側に立って、積極的に動くことが被爆国の政治にとっての正道なのだ。安倍政治には、その視点が欠けていた。

相手国などとの課題 この課題は①のところで触れた。ただ、安倍政権時代の不可解を取り上げたい。北朝鮮との拉致問題である。安倍氏、菅新首相も拉致された被害者の帰国について様々なルートで動いている、ただそれは機密なので明らかにはできない、という。

 しかし、これまでもそのような極秘の動きがあれば時間とともに多少とも漏れて、たとえ失敗に終わっても、「努力」の証しはできていた。長期政権のもとで本当に動いていたのなら、なんらかの気配が流れていただろう。つまり、遺家族向けの言い訳として、動いているが成功していない、と逃げ口上にしているのではないか、との疑惑さえある。
 逃げの一手、という言葉があるが、それは遺家族にとっては納得しかねる発言ではないか。「圧力」のみに走り、「対話」はしない、という姿勢の現れか。不成功でもいい、そうした疑惑を晴らす努力のプロセスくらいは示すべきではないか。

         <安定継続か、論争下での新機軸か>

 突然の安倍政権の交代は、長年のどかに過ごしてきた自民党を動揺させた。派閥のありよう、長期的政策に絡む政治の方向、人材育成などの点を見ると、これが国会の過半数を制して長期政権を維持した自民与党の姿なのか、と思わざるを得ない。

・派閥の堕落 自民党の長い歴史の中で、派閥の持つ意味はマイナス面も少なくなかったが、許容されたのは、派閥というものが次の日本をつくる宰相育成の場だったからだ。
 競合する派閥のトップは、どんな日本の社会をつくっていくかという点で競っていた。三角大福中の時代は、そのカネ集めや使いよう、員数集めなどが批判されたが、どの派閥も宰相足りうるような人物のもとに、あるいはその政治の方向に共感を持つ者が集まっていた。

 だが、今回はどうか。安倍退陣という突然の事態ながら、任期あと1年に迫る時期に大きい5つの派閥が候補者を持たず、菅という勝ち馬乗り競争に動いた。「若手育成中」と言いたいのだろうが、5年、10年後ではなく、目前の政治をどのように動かすか、という課題に応えようとしていない。派閥が、総裁選挙を1、2回休むことはあっても、5大派閥が一斉に談合するかのように勝ち馬乗りに取り組むのは異常ではないか。

 各派閥には、政策や方針におおまかなイメージがあった。同一選挙区に同じ党の複数候補が立つ中選挙区制の頃はとくにそうだった。派閥は党内党、と言われていた。それをプラスの面としてみれば、党内党であればこそ、しっかりした政策を提示して次のチャンスを狙うことが当然でもあった。それが、いい面での派閥エネルギーとして、党内論争を起こし、切磋琢磨し合うことにもなっていた。

 だが、今回は中派閥の岸田、少派閥の石破両候補が名乗り出ただけだった。大きな派閥にうごめく数人が名を出して見せたが、その主張などはまったく知られておらず、派閥がどうあれ、見るからに立候補できるような人材には思えなかった。推薦20人を持てるかどうか、ではない。日頃からどのような社会、進路を目指すか、憲法をどう考え、当面の財政経済の状況をどう捉えるか、などの見解を示さない限り、総裁・総理の座を云々すべきではない。有権者にとっては、与党支持にしろ、野党支持にしろ、テレビに顔を見せる程度で出馬する候補者など、もってのほかだろう。ナメルナ、と言われるだろう。

・闘い取る党首<首相>の座 自民党総裁にせよ、内閣総理大臣にせよ、多数決で決まる。だから、どの派閥も、意見を共有する多数議員を擁し、当面する立法的政策を論じるだけではなく、日本の長期的な姿勢などについて論を交わすなどして、政治の資質を高め合う。
 かつてはそこにカネがつきものだったから、今の小選挙区に変えざるを得なかった。

 だが、1区一人の小選挙区制では、同じ選挙区で競合相手がいないから派閥に入ったり、忠誠を尽くしたりの必要はない。かわりに、党総裁なりそれに近い党幹部に接近して公認してもらい、いいポストにつけてもらうことが課題になる。派閥自体の力が弱まったのはそのためであるし、議論や主張もせず、議員の質が落ちているのもそうした事情による。
 その派閥の弱まりは、自派からの総裁、総理候補を出すよりも、党総裁やその周辺に近づいて、甘い汁のおすそ分けに預かる傾向に力がこもる。単なる群れ、である。

 かつての政権交代では、岸信介→池田勇人、佐藤栄作→田中角栄、森喜朗→小泉純一郎のように、政権のイメージを変え、新たな姿勢や方向性を示すことで局面打開の機能が働いた。田中→三木武夫→福田赳夫→大平正芳のケースは、すでに激しい攻防を経ていたこともあって、まずは調整程度の変化にとどまった。宮沢熹一→細川護熙、村山喜市→橋本龍太郎、野田佳彦→安倍晋三の場合は、異なる党派への政権交代なので、変容は当然でもあった。

 政権の交代は単なる安定志向ではなく、本来、緊張があり、政策的闘いがあり、日頃の姿勢に対する国民の評価があって成り立っていくほうが望ましいように思える。
 つまり、政権交代時には、それまでの反省と教訓のもとに、今後はどのように変わっていくかを示すことが、国民にとってきわめて重要なのだ。

・「安定」の名を借りた権力の継承 ところが、今度の政権交代はどうか。大半の派閥が、安倍政権の反省、教訓を示さないままに、その路線をほぼ全てを引き継ぐという人物に結集した。安倍政治は良かったし、コロナ禍があるから安定的継続的な采配が望ましい、という趣旨だろうが、困難なときだからこそ、進むべき道について侃々諤々の論議が必要ではなかったか。もの言わぬ派閥は、この政権が失敗したとき、どのような責任を負うのか。

 「安定」という用語は一見、政治の運営上大切であり、望ましい状態を意味する。だが、それが悪い状態を抱えたまま、改革もせずに持続していく場合もある。安倍政治の7年8ヵ月はどうだったか。そっくりそのまま、継承すべきほどの「安定」の必要があったのか。一強多弱下の政治状況のもと、目立った改革もなく、国会論議も不十分、道義的には退廃の一端を見せて、それでも「安定」で持続、踏襲が望ましいと言えるのか。長期政権に「倦んだ部分」を抱えての再出発で、ほんとうにいいのだろうか。
 これからの菅政治に不調が生じ、新たな欠陥が表面化したとき、自民党の7割を占める菅支持勢力はどのような責任をとるというのか。

・菅という人物 彼が政界に出たときには、筆者はすでに政治記者ではなく、面識もない。
 不安に思ったのは、立候補の表明、記者クラブでの三者討論、候補者としてのインタビューで、彼はいつもメモに目を落としながら、しかもかなりの緊張を見せながら語っていた、いや読み上げていた。長期間、記者会見に応じていながら、自分の履歴や政治目標くらい、一気に話さないのかな、とも感じた。

 もうひとつは、安倍政権下での諸々の課題や政策のほとんどを踏襲、継続するとしたことだ。新味を見せたのは、厚生労働省の改組、デジタル庁の創設程度で、最もよく知るコロナ対策関連の法令改正には消極的だった。あまつさえ、消費税の手直し問題では、さらなる引き上げを認めた翌日、安倍氏の述べていた「10年くらいは上げない」と補足するなど、上手の手から水が漏れる姿を見せた。不安である。

 さらに、彼は「縦割り行政の是正」をいう。だが、これまでの官邸人事の実情から見ると、内閣の人事局の恣意性の強い力を維持、温存しようとする、裏返しの示威表明なのではないか。コロナ禍の対応を見ても、行政の縦割り状態のマイナス面が見えており、名分としては認めたいが、日頃の背景の薄暗さがそれを妨げる。
 「自助、共助、公助」という原則の主張はいい。ただ、その前提となる基本認識が、社会的弱者や富裕者の存在、立場、配分をどのように考えるか、による。現時点では必ずしも期待はしない。

 彼の記者会見での発言ぶりは、気に入らない、あるいは答えにくい時にはぶっきらぼうに切り捨て、あるいはそっけなく木で鼻をくくることで逃げる。安倍氏の国会答弁でピントを意図的に外して饒舌に時間を消化する手法とはまた違う逃げ方だが、今後はどうなるのか。

 突然の大任降下だったとはいえ、「自分だったら」という目標軸が見えなかった。また、外交面については「ほとんどの首脳との電話会談はそばで聞いていた」ので継承可能、と答えている。どこか自立しておらず、心もとない。

 71歳の菅氏は、集団就職組、叩き上げ、農家の出、という。だが、米どころ秋田でも貧農ではなかった。15、6歳の頃はすでに池田首相のもとで高度成長期に入っていたし、高卒であり、いわゆる中卒中心の集団就職の時代ではない。ダンボール工場の2ヵ月程度の労働をしたから、叩き上げなのか。政治家修行としての叩き上げは、大半の政治家にとって当然のことである。大学も昼に通っている。
 彼の責任というよりも、メディアはきちんとした取材をせず、確認不十分な孫引きが多く、結果的に昔の美談調に作り上げて、中身のない礼賛を広げているような印象である。

 新政権第一歩はこれからである。まだ、期待はできない。
 早速の年内選挙になり、勝って残余の1年プラス3年の任期を果たすのか。あるいは、選挙での思わぬ後退となって、安倍任期の残りを果たす暫定のつなぎ政権に終わるのか。
 もうひとつ、衆院選挙後に、菅氏を推した5派閥が散って、しかもそれらの派内から若手が出馬に動き出すか、あるいは石破、岸田の両ライバルが厳しい批判を投げかけ、政権交代の機運を高めて、乱世の状況を生み出すのか。
 政治はやはり、一寸先は闇、である。 <2020.9.15夜>

 (元朝日新聞政治部長)

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