【オルタの視点】

虚構の「政権選択選挙」
――破たんした小選挙区制度の結末

羽原 清雅


 10月22日の衆院選挙は、あれこれの意外性をはらむなかで、新たな政治の展開を始めようとしている。ここで、少し中長期の視点も含めて、現在の政治状況を見ておきたい。

 第1に、いろいろの動きの中で、最大の変化は、2大政党時代をうたった衆院の小選挙区制度は「ついに」というべきか、「やっと」というべきか、さまざまな点で破たんを迎えた、ということ。1994(平成6)年に小選挙区比例代表並立制を採択、96年に最初の衆院選が行われて、今回は8回目の選挙である。
 この選挙制度はいろいろの波紋とマイナスをもたらしてきたが、メディアも政界も目を向けようとせず、この制度にもたれかかるままに政治の矛盾を招いてきた。この長きにわたった失敗に気付き、改革の契機としなければならない。この制度の導入時に関わった河野洋平、細川護熙、さらに山崎拓、故加藤紘一はじめ議員を去り、冷静な判断に戻って、この制度の「非」を認めたことからも、わかることだろう。

 第2に、ハプニング的な政界再編成の動き。これは、拙速にしていい加減、あまりほめる点はない。各党の獲得議席を見なければ、今後の政治動向は見えてこないが、不安定な状況が続くことは間違いない。

 第3に、この5年間の政治の進路を強気に進めてきた自民、公明両与党による安倍政治をどうとらえたらいいか。2度目の安倍政権は「一強」状況にあぐらをかき、民意を離脱したあれこれの驕りと疑惑の前に「国難突破」なる大義<怠欺>を打ち出し、国政を問うべき国会で発言や質疑もしないままに衆院を解散した。この点も、反省を含めて、もう一度見直したい。
 「自己陶酔解散」「国難加速選挙」の安倍自公政権が反省も示さないままに、選挙後に進もうとする方向は、従来の継承でいいのか。

 ただ、あえて新味があったのは、第一野党として政権の対抗軸になるべきはずだった前原民進党内で、志向的な整理が一応ついたこと。「自民党」保守に対して、「希望の党」保守が生まれ、一方に「立憲民主党」なるリベラルを名乗る新党ができ、さらに独自路線の既成「共産党」が存在する形になった。
 しかし、① 政権を維持してきた自民党、公明党に反省や謙虚な姿勢が生まれるか
     ② 希望の党の中身は具体的にどういうものなのか
     ③ リベラル的とされる新党が成長し得るのか
     ④「改憲」の動向とその内容の各党の取り上げようはどうなるか
     ⑤「原発」の存廃政策、自然エネルギーへの転換策などはどうか
     ⑥ 危機寸前の安保政策、北朝鮮対応などにどう取り組むか
 といった今後の展開はまだ定かではない。

◆◆ Ⅰ.小選挙区制度の破たん

 こんどの選挙をめぐる意外続きの事態によって、小選挙区制度が民意を置き去りにし、この制度による政治のありようが、時とともに歪められていくことが如実に示された。政治は生きものであり、揺れる民意がときにおかしな選択をすることもあるが、民意を表す制度自体が政治の劣化を招く元凶になっていることに目を向けなければならない。

 1 > 多様な有権者意識への反逆  2大政党による政治を志向したはずの選挙制度だが、現実には政権交代をし得る二番手の野党が長らく出てきていない。政治のありよう、政策のひずみを正すことができない。このことは、政権党の固定化、「一強体制」の持続から、もたらされている。
 基本的におかしいのは、有権者のものの考え方がさまざまに多様化しているにもかかわらず、二者択一、是か非か、黒か白か、といった結論を迫る選挙制度自体。本来なら、多数決という決め方は少数意見にも配慮し、法案など政治に修正の余地を残しつつ論議を重ねるべきなのだが、大政党にそうした配慮はなく、一極側の結論で突っ走る。当選の決まったあとの国会となれば、議員の「数」さえ押さえれば、民意の動向など配慮しないかの姿勢である。要は、制度自体が時代の民意にそぐわないのだ。しかも、野党に十分なチェック能力がない。

 あえて言えば、日本人には二者択一のいずれにつくか、という対決志向よりは、話しつつ折り合いをつけていくという手法になじみがある。数の力で押し切る政治よりも、納得のいく政治、がいい。

 2 > 「一強」を作り出すリスク  この制度では、2大政党による政権交代を可能にするよう、得票の最も多かった政党に、得票率による配分(つまり「民意」)以上の議席数が与えられる。第2の野党にも若干の過剰配分があるので、2大政党がその議席配分のサービスにしがみつく限り、この制度を改められず、制度温存の背景になっている。しかも選挙制度の決定権は、政党、政治家の手にあり、メディアまでがその枠組みの発想にとどまれば、「民意」は矛盾の中に閉じ込められるしかない。過去7回の選挙はこうした矛盾の重なりのうえにあり、抜き差しならなくなったのが、今回の破たんである。

 例えば自民党の得票率は50%に手が届かない状態が続くにもかかわらず、この議席配分のサービスによって7割もの議席をもらい、「一強」となる。民意を反映していない議席を握ることで、政治を思いのままに動かす仕組みを作り出している。補完勢力の公明党は、結党時の理念から離れて、いわば「寄らば大樹の陰」「下駄の雪」に徹することになる。

 3 > 政権交代可能という虚構  この制度のうたい文句は、長期政権を交代させ、新しい政治を登場させるという点にあった。自民党の失政、次いで民主党の政権に値しない準備と訓練不足による挫折。そうしたふたつの失敗の挙句が、自民党の「一強」政治だ。
 民意の不満が高じても、交代するはずの民主・民進党は世論調査で1ケタ支持でしかない状態。基本政策であるべき憲法や原発、税制問題などでも、党内に異質な論を混在させ、一本化ができないままに目先の対応にとどまってきた。誰も、政権可能な党などとは思っていない。したがって、「一強」に対してはもちろん、双方に対する不満の行きどころはなく、政治への不信は増すばかりである。

 2大政党制が事実上崩れていく。すると、政界内部でも大事を求めず、異論対立や役職狙い、選挙区事情などの小事をテコに小党が短期ずつ乱立し、政策そっちのけで「2大」政党にすり寄っていく。まさに政権交代は虚構になって、最近のような混迷の政界になってくる。

 4 > 驕りと腐敗の蔓延  「一強」が民意を踏まえていれば、それはそれでいい。しかし、この選挙制度は1選挙区1候補擁立のために、その人選と公認権は政党代表とその執行部に握られる。議員とはいえ、その言動は政党の原則を踏まえるよりも、党幹部の顔色を見るようになる。その結果、政党代表は首相の機能・権限を自在にすることができ、党内を恣意的に動かせる人事構成を図ることで、「一強」のマイナス面が出てくる。

 たとえば、改憲などその党の主張であっても、多様な意見のあるなかで十分な議論を怠り、一時代のみの運営をゆだねられただけの首相が、「自衛隊の存在明記」のありようなど長期にわたる方向付けを、強引な論理で党の改憲公約とする。そして一強として、反対する党の指摘に耳も傾けようともしない。

 また、驕りのかげで、利益追求の行動が許されるかの気持ちが「お友達」らに広がり、さらに権限を握る官僚たちも「人事」を左右される恐れから、冷静な行政を歪め、「忖度」行政に手を染めるようになる。
 首相夫人までがその機運に便乗する言動をとったのが、モリカケ騒動だった。そうした風潮を増長させたのが、この選挙制度の副産物だった。

 5 > もの言えぬ風潮  中選挙区制時代には、候補者の党方針に沿わない発言や派閥乱立の状態があり、これをなくそう、との期待があった。
 だが、いまの自民党内はどうか。意見を言いたくても、言いにくい風潮が一般化して、議論なく、単純に首相や幹部の言いなりの結論を出すことになりがちである。政党間での一極支配のうえに、その一極の内部でも論議や批判ができないなら、民主主義すら成り立たない。まさに、少数支配でしかない。

 たしかに、発言することで党内に波乱を招く、という見方もある。しかし、それは論議を避ける言い訳にすぎない。有権者からすれば、論議のプロセス、多様な見方を示されることで、政党の主張する政策などの形成過程を知り、その方向に党内がまとまった事情を知ることができる。政党としてのアピールを多様に示し、選択できるようにする、といった風潮が日常化しないと、有権者が政治の見方を鍛え、民主主義に、より習熟するようにはならない。

 6 > 人材の小型化  各政党が1選挙区1候補者を擁立することは、2政党の闘いになれば51%、3政党なら34%の得票が必要になる。それだけの得票をつかむには、政策を述べるにしても、あまり自己主張の強い主張をすれば多様な立場の票が逃げるため、抽象的、ゆるやか、あいまい、といった物言いになりやすい。あいまいに言っておけば、自党が国会の論議で躓きそうになっても、逃げを打てることになる。
 また、選挙に勝つということでいえば、知名度の高い世襲組や、県議などの地域ボスらからの候補者選びが都合よく、その結果、候補者の能力や適格性などは二の次になり、望ましい人材は出にくくなる。言い換えれば、二軍、三軍の選手の登場を許すことになる。現に国会は、見慣れた親たちの手口を踏襲する世襲議員がどんどん増え続け、多様な論議を回避する結果にもなっている。

 個性の弱い、低レベルの議員は、党幹部の言い分に従い、主張の受け売りやシングル・イシュ―のもの言い程度になる。「都民ファースト」の都議たちは、党幹部から個々の発言を禁じられるので、この集団の様子はほとんど知ることができない。まさに、政治低迷の元凶になる。

 こんどの選挙にあたって、難破寸前の船から数匹のネズミが逃げ出した、と思ううちに、船長自らがおのれの船を意図的に難破させてしまった。救助の船に全員は乗せない「排除」の方針があり、信念を曲げてでも生き延びようとする者、慌てて新たな船を作った者たちも出た。ただ、助けられても命を落としたり、泥舟になったりするかもしれない。船長はいわば、A級戦犯になろうとしている。

 それにしても、かつての政党人は入党にあたって、おのれの主張や立場を明確にし、多少の対立や不満があっても、離党、脱党、移籍などの身の振り方は相当慎重に熟慮し、選挙で勝ちそうな党派に鞍替えしたり、政策や主張を簡単に変えたりしない程度の基本があった。そのような基本が損なわれてきたことも、小選挙区制度と無関係ではあるまい。

 7 > 死に票の堆積  1選挙区1候補者の選挙では、2政党の候補者のいずれかが落ちると、投票の半分に近い有権者の意向(票)は黙殺されることになる。三拓になり、四択になれば、当選者の得票が少なくなるので、落選者の生かされない票の部分はさらに大きくなる。比例制の部分で救済する、という論もあるが、その余地は極めて小さい。民主主義は有権者の意思のもとにある、という原則からすれば、民意の大半が黙殺される、きわめておかしな制度、ということになる。

 8 > 1票の格差放置か  過去の衆院選については、すでに最高裁で違憲状態なり違憲の判決が示されたように、1票の重さ、民意の的確な反映、国政参加の不平等という基本的な問題がある。参院選では1対3程度は認める、という判決が出たが、それは小さい格差ではなく、問題は残る。小選挙区制度だけの問題ではないのだが、死に票問題とともに、選挙制度の改革に取り組むべき重要な課題である。

 衆院でも、人口に基づく選挙区の変更が行われ、同じ市や区を二つなり三つに区分けしたりして、有権者にわかりにくさを増す結果になっている。この問題も選挙制度全体のなかで見直すべき点だろう。

 以上のような課題をはらむ小選挙区制度だが、この仕組みをこのまま許容していくと、政治の劣化、政治家の貧困化はさらに進むばかりで、日本の将来の可能性をつぶしていくことにもなりかねない。
 この衆院選の最大の焦点は、この制度の問題点がさらけだされた以上、制度そのものについて、政党関係者を除いた場で、客観的に基本から再検討する、その改編の契機を作り出すことなのだ。
 この制度を改定する方向に進まない限り、政治の前途には「自由民主」も、「希望」も、「立憲」も、生まれてくることはない。

◆◆ Ⅱ.解散の非論理性・総選挙の混迷

 <理不尽な解散> 安倍首相が衆院解散を目論んだのは、①北朝鮮をめぐる緊迫への国論の統一、②民進党などの野党混迷のスキ狙い、③森友、加計学園問題追及の回避、④2021年までの総裁・首相の任期延長の土台作り、などを狙ったものである。

 だが、①については、トランプ・安倍同盟の「対話」を棄て「圧力」に傾く路線は、北への挑発になって、かえって不穏、の印象を生んだ。②は有効に見えたが、民進党解体には成功したものの、小池登場・希望の党誕生・立憲民主党発足、と裏目に出た感がある。③は一見、目算通り、かとも思えるが、どうか。その処理のまずさは、かえって国民に疑惑を強めていないか。そして、④は当初ほどには楽観はできず、むしろ自民議席の減り具合によっては安倍退陣すらを思わせる政情になった。
 したがって、この成否は投開票を待たなければなるまい。

 むしろ問題は、安倍解散の論拠となる「7条解散」自体に疑問が高まったことだ。
 解散は憲法7条で、内閣(要は首相)の助言と承認により天皇の国事行為として可能になるが、これは首相の恣意によって解散できる理由にもなる。今度の安倍解散はこれによる。もうひとつの解散のスタイルは、69条によるもので、これは内閣不信任が可決、または内閣信任が否決された場合、解散権が行使される。1978年に、長く保守政権を支えてきた保利茂衆院議長自らがその経験を踏まえて、7条解散への依存は望ましくない、との見解を明らかにして論議になっていた。

 このため、安倍解散はその推測される理由と、あるいは8月の改造内閣以来、国会での説明も質疑も一切しないままの解散だったこともあり、「恣意解散」との見方が出ていた。

 <前原民進党の解体・立憲民主党の出発> 前原代表は代表選挙に勝ち、就任したばかり。そして、突然の小池都知事との談合による党の解体。前原代表は、①候補予定者全員の希望の党参入 ②安倍政権打倒だけではなく、原発抑制、安保法制の見直し、改憲内容の詰め、などを期待して合流するつもりだったのだろう。しかも、連合の神津会長も同席しての交渉だった。

 だが、実は小池知事の口車に乗せられたというべきか、「選別・排除」ありの結果、民進党は参院議員を残したまま、解体という事態を招いた。リーダーの独走で、まさに神津会長ともどもA級戦犯と言われるゆえんである。このような政党の無軌道ぶりは、戦後政治のなかでも珍しい。

 また、改憲や安保法制などに反対してきながら、改憲推進、安保体制重視などの小池党に転進する前議員たちは、当選のためとはいえ、その基本的な変節を疑われざるを得ない。この人物たちが、これから希望の党でどのように泳ぐのだろうか。その決定に従わざるを得ない有権者の思いはどうなるのか。

 <枝野新党の成否>  排除組のひとつは、枝野・福山新党ともいえる「立憲民主党」への結集を促して、結果的に若返りにもなった。もう一方は、これまでの党運営に責任のある、保守型の元幹部野田佳彦、岡田克也らで、「無所属」に追いやられた形だ。希望の党転身組と、3分裂である。

 枝野らの結党にプラス面を求めるとすれば、政権担当のエンジンではありえず、期待されるのは「一強政治」のブレーキの機能発揮だろう。民進党はこれまで、政党の進路や政策面での対立などで一致結束を見出せず、また左右両系統の混交状態に整合の努力を怠ってきたことに問題があった。新党が、かつての社会党同様に、連合などの労組に依存し、気兼ねをすることになれば、前途はあるまい。
 そして、本当にすっきりした政党かどうかは、得票の出方、議席の確保、党内運営などの動向を見なければ、期待するわけにはいかない。社会・社民党の末路に似た状態も予想のうちだろう。

 <希望の党のテクニック>  突如として小池希望の党が現れ、当初の期待感は次第に薄まり、獲得議席の予想は最後まで見通せない。ただ、原発ゼロを言いつつ規制委の対応は容認するという揺らぎ、外国籍の地方選挙権排除の方針を公約から消した変化、改憲の内容の不明確さ、衆参一院制の導入、北朝鮮に対するミサイル防衛策など、新党とはいえ、その行方には不安も大きい。

 小池代表が、日本会議の要職にあったこと、安倍第1次政権時の安保法制化への推進、希望の党結党にあたっての民進党への「踏み絵」の内容、などから透けて見えるのは、自民党や日本会議の地下水脈でつながりつつ、権力掌握のための「安倍おろし」のみを狙っているような点である。つまり、第2保守勢力として、先行きは公明党以上に自民党と融合していくのではないか。そのことは、民進前議員のうち立憲民主党に行った候補には刺客を立て、維新の会、一部の自民党の候補者、民進党前議員で保守系かつ無所属で立候補する者とは競わない、という姿勢にも伺える。

 従来の新党結成や政党統合などとは異なり、ムードや「風」待ちではなく、ソフトムードを装いながら、実はかなり計画性と方向性を持った新権力掌握・ウルトラ保守の動きのように感じられる。

 <新政権の行方>  これは、選挙結果を見るしかない。あえて予想されるケースを、いくつかあげてみよう。
 ① 自民党の過半数確保→安倍政権の存続と従来路線の定着→2021年までの長期政権の可能性
 ② 自民党の過半数前後への退潮と公明党の不調→安倍退陣と、これに替わる後継首相の模索
 ③ ②の場合、公明、維新の党などによる補強→安倍政権存続か、自民党サイドでの新総裁・首相選出
 ④ 同じく②の場合、自民党と小池希望の党などの連立→安倍の交代と、石破ら小池支持の総裁・首相の登場→2020年の東京五輪後の「小池首相」の模索
 ⑤ 希望の党などの躍進→首相は小池以外の人物だが、まだその後の予測は不能

◆◆ Ⅲ.安倍政権のこれまでを問う 

 ここからは、過去5年間の安倍政権の果たしてきた功罪を見ていきたい。

 <安倍政権の復活と第1次時代の正体>  2度目の自公の安倍政権は、これまでに4回の国政選挙で「一強」体制を手にしている。まず、民主党政権を倒した衆院選で政権を奪還して過半数を確保(2012年12月)、翌年の参院選で衆参ねじれの状態を解消して安定化(13年7月)、次の衆院選で圧勝して改憲発議可能の3分の2議席を確保(14年12月)、次いで参院選でも3分の2を抑える(16年7月)。つまり、自民政権復興の道を進んできた。

 安倍首相の最初の政権(2006年9月-07年8月)は、なにをしたのか。「お友達内閣」「論功行賞政権」と言われたのだが、在任わずか1年間にしては是非を別として、‘実績’は残している。

 ① まず教育再生会議のもとでの、自民党、保守勢力待望の教育基本法の抜本的改正。
 ② 教育関連3法の成立。国、郷土を愛する心、伝統と文化、道徳心、新しい公共、など穏やかな表現ながら、それまでのリベラルで個人、民主、平和などを強調した従来の教育のありようにメスを入れ、また教育委員会など行政の関与を強化した。
 ③ さらに、国家安全保障の官邸機能強化会議を設け、集団的自衛権の行使と憲法関係の調整のために首相の私的諮問機関として安保法制懇(安全保障有識者懇談会)を持った。安倍辞任に伴って棚上げになるが、第2次政権で息を吹き返し、法制化に成功。この最初の官邸の会議担当の首相補佐官を務め、「原爆は仕方なかった」発言で辞職したあとの防衛相に就任したのが、いま話題の小池百合子だった。そして、
 ④ 防衛省の昇格。
 ⑤ 改憲の前段としての国民投票法制定など。

 第2次政権を握る安倍首相の方針は、その点では一貫している。教育方向の手直し、安保・防衛政策の強化、改憲の推進など、今日の安倍政治につながっている。ただ、そこに政策の狭隘性が見える。

 こうした‘実績’が、右翼勢力である日本会議が頼みの綱として安倍再起に動いた理由、と言っても過言ではない。しかも、こうした勢力に呼応して、第2次政権ではさらに教育の変革、集団的自衛権の行使などの具体化を進めている。

 <第2次政権を洗う>  そこで、「一強」政治を強めてきた第2次安倍政権の約5年間の軌跡をたどり直してみよう。

 <3大重要法案の成立>  悪法というべきか、将来的な不安を感じさせ、世論に反対と疑問を残し、しかも国会審議に納得のいく説明を欠き、強硬手段によって成立を図った典型例が、この3法である。「一強」ならでは、の強引な手法への反発と後味の悪さを残した。将来に及ぼすマイナスを思うと、いずれもこれでいいのか、と思わせる内容である。

 1 > 特定秘密保護法  防衛・外交・特定有害活動防止・テロ防止についての情報が、これを握る行政機関の手で「特定秘密」とされれば、隠されることになる。国民が知るべき外交や防衛の内容などが非公開とされ、またジャーナリストや研究者、国会議員らが情報を取得しようとすることも阻害される可能性があって、国民の「知る権利」を脅かす。処罰の適用範囲もあいまいで広範に及ぶ。いつか、特定の問題が起きたとき、大きな懸念をはらむ(2013年12月)。

 2 > 集団的自衛権の容認(安全保障関連法)  自国が攻撃されていなくても、自国と密接な関係のある国に対する外国の攻撃には、実力で阻止する権利を認め、従来よりも地球上の各地での戦闘に参入できることになった。自衛隊の駆け付け警護、多国籍軍への後方支援、尖閣列島などへの不法行為への対処など、十分な説明を欠き、自民推薦の学者までが反対したものである。さらに、内容が複雑で、またボリュームも極めて多様にもかかわらず、質疑が十分できないほどの約20本の法改正案をひとつにまとめて国会に提出した。しかも説明不十分のままに採決を強行、国民が納得できるほどの時間をかけないうちに立法された。国会周辺では連日のように反対する波状的なデモが行われた(2015年9月)。

 3 > 共謀法(改正組織的犯罪処罰法)  テロの未然防止、という名目ながら、犯罪を計画段階から処罰できるという法律で、これもあいまいで広範な内容に厳しい指摘があり、国会内外で大きな反対運動を招いた。プライバシー、表現の自由を損ない、処罰や捜査の対象もあいまいで、運用次第でリスクが広がることが指摘された。異例の質疑打ち切りなど、多数与党の強引な処理が目立った(2017年6月)。

 この3つの法案の扱いで目立ったのは、稲田朋美防衛相、金田勝年法相ら担当閣僚の答弁のお粗末さが際立ったことで、この法律執行の余波がいつか問題を引き起こす懸念を与えた。また、数における「一強」政権にもかかわらず、審議時間を惜しみ、質問に十分答えないままに強硬な議会運営を進めたことも、不信、不安を強めた。

 安倍政権の特徴のひとつは、今回の衆院解散のように、国会を国民に理解を求める議論の場とせず、日ごろ論議を深める説明を避けがちなことなど、国会軽視の姿勢が目立つ。国民の目線で憲法の原則を守らせようという立憲主義を黙殺しがちな憲法に対する姿勢と共通するものがある。

 <軍事体制の強化路線>  日本の防衛体制を強化する背景はなにか。安倍政権登場の3ヵ月ほど前の民主党・野田政権の時代に、東京都に代わって国が尖閣列島を購入したことで、中国側を刺激し、軍事的行動が目立つようになり、日本としても防衛的対応を強めざるを得ない、という事情があった。その延長線上で、北朝鮮が核、ミサイルの実験、演習を激化させ、警戒的な対応が求められるようになったこともある。

 ただ、そうした事情だけではなく、もともと日米『同』盟の緊密化に伴って、米側がかねて日本に戦闘機などの購入を迫るなど、日本の軍事体制強化を求めていることもある。加えて、トランプ米大統領との関係を強める安倍政権は就任以来、日米同盟、尖閣列島や朝鮮半島対応を重視することを理由に、毎年度の防衛予算を増額し、軍事装備を増強する政策をとっている。

 2017年度の予算規模97兆4,547億円のうち、沖縄関係を含む防衛予算は5兆1,251億円、5.25%を占めている。法人税引き下げ、福祉、教育関係予算削減などの政策ともども、問題視する空気も強まっている。そして、1,000兆円を超す借金を減らし、財政を健全化することが求められるものの、努力の道は見えず、そのような姿勢がこの選挙の結果どうなるのだろうか。

 <日米同盟のめり込み>  安倍首相の対米関係で評価すべきは、オバマ大統領のヒロシマ訪問と、首相の真珠湾訪問だった(2016年5月、12月)。わずか一瞬の開戦から、双方の国民がこの相互交流を受け入れるまでに70年の歳月を要したのだが、それでも戦争の虚しさ、「歴史」の局面を切り替えることの難しさ、といった教訓を示したものとして評価されよう。この意義を、他の中国、朝鮮半島などの、かつて侵略し、戦場とした国々との関係にも生かしていきたいところだが、さて?

 安倍首相は、就任前のトランプ表敬以来、とくに北朝鮮対応を中心に「リトル・トランプ」の様相を呈してきている。また、アジアにおける日本の存在、「『同』盟」とはいえ本源的な国力の差、という動かしがたいスタンスを重視しないかの姿勢も問われるべきだろう。

 ●対米依存  岸信介首相時代の「国防の基本方針」に代わって、当面の防衛の基本的指針となる「国家安全保障戦略」を閣議決定した。安倍首相の言う「積極的平和主義」でもあり、具体的には中国、韓国、中東をにらんだ自衛隊の強化、日米同盟の深化、集団的自衛権の行使などによる国際貢献、防衛産業の育成などである。このとき併せて、新防衛計画の大綱、中期防衛力整備計画を閣議と国家安全保障会議で決定した。これは、従来の防衛政策をさらに拡大強化するものだった(2013年12月)。

 ●集団的自衛権の行使  この容認については、前項で述べたので、ここでは触れない。ただ、国家安全保障会議の事務局として「国家安全保障局」が首相官邸に設けられた(2014年1月)。

 日本の軍事力強化に対して、中国も軍事費を10年前の10倍に増やし、13兆円弱に増額した。中国の脅威を強調する日米同盟が、軍事力強化を図ることに対して、中国は自国の封じ込めを警戒する。外交や交流を抑えての、こうした相手国への警戒対応が、軍事的競争を刺激、相互に敵対意識を募らせ、さらに国民に危機感をもたらし、嫌悪感を植え付けていく。もし過失的な事態があれば、戦闘行為に発展することにもなりかねない。多くの国民が戦争の悲惨な実態に苦しんだ歴史から、なにを学んだのか。

 ●武器輸出解禁  従来の「武器輸出3原則」の措置が緩和されて、新たに「防衛整備移転3原則」が閣議決定された。米側から、軍事技術などのノウハウ提供などが求められたもので、日米同盟強化の一端である。戦乱抑制の立場であるべき日本だが、産業界の期待もあって、軍事拡張に踏み出した以上、ブレーキがかかりにくくなった(2014年4月)。

 ●日米防衛新指針(ガイドライン)  この改定は18年ぶりで、集団的自衛権の行使、自衛隊の活動範囲の地理的拡大、という米側の希望通りの対応が盛り込まれた。国内での法的措置が整い、日米同盟にまた一歩踏み込んだことになる。中国は「魂を売った協約」と評し、また日中関係に石を投げたことになる。平和、とはなにか。軍事力、なのか(2015年4月)。

 ●外相と防衛相の兼務問題  安倍内閣の改造人事に先立ち、稲田防衛相辞任時に、岸田外相を兼任させた。短期間の措置ではあったが、長期的に平和的に交流すべき外相のポストと、瞬時に戦闘行為も必要とする防衛相のポストを同一人に兼務させていいのか。軍事力に裏打ちされた外交、という視点から言っても、外交と軍事は常に別の責任者が必要で、こうした混同の人事は避けるべきだった(2017年8月)。

 <外交の問題点>  安倍首相の諸外国訪問は歴代首相の中でも群を抜く活躍だった。外務省によると、就任の2013年からこんどの衆院解散までに、70ヵ国・地域、延べ172ヵ国・地域に足を運んだ。エネルギッシュに諸国と理解と親睦の交流を図ることは望ましい。

 ちなみに、41回(延べ93ヵ国・地域)までの外遊の数字(外務省調べ)で見ると、経費87億7,400万円、随行4,643人、だという。別に、出費が多いことを問題視するのではなく、要は外交の狙いはなにか、中韓封じ込め外交の可否、といった政治姿勢の問題である。

 ●核兵器禁止条約不参加の逆行外交  ノーベル平和賞が、核兵器廃絶を世界のネットによってアピールし活動してきた「ICAN」に贈られた(2017年10月)。米国の核の傘に守られるとする日本政府は、評価するまで2日間沈黙を続けた。しかし、この団体が活動することで、核兵器禁止条約を122ヵ国で決め、来年には発効の見通しになった意義は大きい。この運動の流れは基本的に、また長期的に正しいし、必然の道である。

 ヒロシマ、ナガサキの悲惨さは、平和とか安全とかを平然と建前だけでいう、日米など核保有やその傘に入った各国の幹部などには、わかっていない。非人道的で、生命などの破壊装置を拡充し、地球壊滅にも導きかねない原水爆の恐怖がわかっていない統治者は、政治を導く職柄には極めてふさわしくない。

 日本政府は、世界唯一の犠牲国なのに、核兵器禁止条約に参加しない。対米追随の立場から、逆らうことができない。核保有国と持たない国の双方を説得、調整する立場、と説明する。これは結果的に、長期間にわたり核兵器廃絶はしない、というに等しい。対米追随にすぎず、歴史的に耐えられるものではない。このように核保有を正当化し、核への道擁護の国家の姿勢は人道的に許されない。

 ●対中国  日米同盟を強化、深化させる一方で、日本の近隣のアジアでの取り組みには大きな問題がある。それは、対中国、対韓国との関係だ。5年の間に安倍首相と両国首脳との会談は何度かあったが、それは国際会議の折とかで、相手国に出向いて親しく語り合うというケースはほとんどなかった。また、形の上では「会談」とはいえ、ごく短時間で、握手程度の儀礼に過ぎず、人物を知り、直面する課題について深く話し合う、といった機会をつくろうとしなかった。本音の会話がないばかりか、中韓を囲い込む狙いの国ばかりに出向く外交姿勢は、長い不信の関係に陥らせる。安倍外交の欠陥はその点にある。

 ●対韓国  この国の混迷した政情もあり、手が付けにくい状況が続く。折角話のついた慰安婦問題の合意(2015年12月)だったが、その行方は韓国側の異論の高まりの前に風前の灯火ともなっている。日本側も決着済みというだけではなく、侵略、植民地化、圧政下の心身の虐待といった「歴史」の重さを知る姿勢でなければなるまい。苦境期の合意は、その後に相手側の不満が高じて、蒸し返すこともありうる。その点で、信頼の醸成が十分であったかどうか。官民の交流を強めることによって、お互いに理解と許容に進める環境作りが求められよう。まずは時間をかけてでも、じっくり話し合える関係を持つことだ。

 ●対ロシア  安倍首相は、北方領土返還の交渉に努めてきた。それはそれでいいし、歴史的にも日本の領土である。ただ、領土のみの交渉でいいのか。国際的に見て、プーチンと親しく付き合えば、ロシアは簡単に手放すのか。最近になって、シベリアや北方4島の開発や経済交流への対応が浮上してきたが、この方策が先行すべきではなかったのか。

 ●対北朝鮮  緊迫を加えるこの国との対応が、安倍首相の言う「国難」の一つである。彼は「圧力と対話」と言っていたが、ついに「対話」を棄てた。たしかに、北朝鮮の国際感覚では対話は難しい。ただ、首相たるものが「対話」を放棄すると、残る道は「武力行使」「戦争」といった事態になりかねない。トランプと結ぶ首相が粋がり、また強い姿勢を示すのも問題だが、その影響と被害はもろに両国の国民に及ぶ。その事態を避けるためになすべきは周辺国ないし6ヵ国協議の場をさらに追い続け、あるいは第3者的な国の登場を探るなどの努力を重ねるしかない。

 本来なら米国務長官が北京に出向いたように、被害を受けかねない日本の首相も中韓両国などを直接訪問し、対話への努力をすべきだが、これまでの「包囲網」外交によってその道を閉ざしてしまった。そして、トランプ大統領との親交は、北側の姿勢を硬化させ、「対話」を放棄することにもつながった感がある。相手を責めるばかりで、好転は望めるのか。

 また、拉致問題を前面に押し出し、外交そのものを閉鎖状態にしてきたことも問題を複雑にした。拉致という行為はこのうえなく非道で許しがたく、この問題は通常の外交と切り離して対応の道を探るべきではなかったか。いずれにせよ、難しい局面を迎えたいま、安倍外交の行き詰まり、の印象がある。

 <内政をめぐる安倍政治の問題点>
 ●原発許容の姿勢  フクシマの事態から7年目だが、復興に進みきれない状況が続く。しかも、原発依存の政策がとられるばかりで、風力、太陽光などの代替エネルギーの活用計画は進まない。再稼働優先策は今後も原発に依存することを意味し、廃炉や汚染廃棄物の処理策なども不十分だ。原子炉の寿命が尽きるのはそう遠いことではなく、また島国として地震、津波などの自然災害に対して安全、という保障はない。

 希望の党の小池代表は「原発ゼロ」をいうが、その具体策、代替エネルギーへの言及はまだ具体性がない。民進党内にあった原発支持グループを抱えて、どのような政策展開を考えるのか。安倍自民党とともに、不安は消えない。

 ●沖縄排除の論理  普天間基地に代わる辺野古基地の建設は、地元の意向をまったく配慮することなく進む。安倍首相は、中韓両首脳に対すると同じように、翁長知事を無視し続ける。嘉手納基地と同様に、辺野古基地は恒久的な米軍基地になろうとしており、沖縄の基地事情はさらに悪化しようとしている。既成事実を積み上げて、沖縄県民の諦めを待つのみのような政府の姿勢だが、これでいいのか。

 日米地位協定も、沖縄県民の日常を歪めており、問題が起こるとごくわずかに修正してお茶を濁している。新基地にせよ、この協定にせよ、政府が対米交渉を持ちかけることのない姿勢を貫いているところに、おかしさがある。沖縄の受けた戦乱による犠牲、長い年月の差別、そして地域住民の心情に配慮せず、一方的に軍事施設を押し付ける政策でいいのか。少なくとも、現地の民意とその要求を米側に伝え、再考させる努力をすべきではないのか。

 ●官邸人事とモリカケ疑惑  自民党は小泉首相以来、官僚任せ、官僚支配の行政を改めて、首相のもと、つまり首相官邸に権限を集中、各省庁を自ら動かせるように、また各省庁の縦割り行政の弊害を取り除くために、行政の一元化に向けて機構改革に努めてきた。とりわけ安倍首相は第1次政権のころにそのための懇談会を設けて検討し、2度目の就任後は各省庁の局長以上の人事を掌握するよう努めてきた。内閣人事局の発足がそれである(2014年5月)。

 そのこと自体にはプラス面もあったのだが、昇任人事を気にかける幹部官僚たちは首相官邸の意向に添う風潮を強め、行政の公平性などが二の次になる弊害も出るようになった。

 典型的だったのは、安倍首相がなんとしてでも成立させたかった集団的自衛権の法制化を図るために、従来の慎重な姿勢をとる内閣法制局を抑え、この方針の容認派である小松一郎を長官に起用するといった恣意的な人事を進めたこと。この事例は、他の省庁幹部にも重い圧力になった。

 また、首相夫人が関与した森友学園の建設費の異例づくめの大削減、首相の刎頸の友たる加計学園系の獣医学部新設のための国家戦略特区への格別の組み込み、といった国政の私物化と批判される事態を招いた。この処理にあたった財務省幹部が、論功行賞のためか国税庁長官に昇任するなど、疑惑を上塗りするかの人事まで行った。さらに、この疑惑を解明することなく、衆院を解散する事態に発展させた。

 こうした人事政策の結果、副産物として「忖度」行政が台頭した。この種の問題は今後も発生するに違いない。
 歴代の政権が恣意的な行政をし、あるいは国民に客観的と思わせるための審議会、懇談会などを設置、その人選で政権に都合のいいメンバーを起用することなどは珍しくはない。そのなかでも、安倍人事には疑惑の温床を思わせる露骨な手口が一段と目立っている。

 ●スキャンダルの多発  政治資金やカネに絡む甘利明、西川公也、小渕優子、松島みどりといった閣僚、素行を問われる高木毅復興相、意外や公明党の長沢広明副大臣と樋口尚也、さらに豊田真由子、宮崎謙介、中川俊直、中川郁子、門博文、武藤貴也、山尾志桜里、上西小百合など党派を超えて、昨今思いつくだけでも数えきれない。

 これは安倍首相だけの責任ではない。やはりまずは本人、そして国政を担うに値しない、資質に欠ける議員を提供した各党首脳の責任を問わなければなるまい。そのあたりの政界のゆるみがやたらに目に付くのだ。

 このように多発する国会議員の品位を欠き、有権者を欺く言動は、各党とももっと厳しく処分すべきだし、議員自身に恥ずかしさとか、責任感が湧いてこないこともおかしい。そのようなことが許される政界になったのだろうか。政治の退廃、である。

 ●安倍首相の「丁寧」という説明  安倍首相の演説能力は優れており、歴代首相のなかでも中曽根級と言えよう。その自信ある、歯切れのいい言動が、日ごろ政治に関心を持たない人に「好感」を持たせるのだろうか。

 だが、その話術にはアジテーターとしてならとにかく、国政の責任者としてはどこか信頼しがたいものがある。ひとつは、国会で追い詰められたり、反省の弁を述べたりするなかで、「丁寧に、忠実に説明する」というのだが、その内容は新たなものはなく、従来の言い分を繰り返すのみ。さらに、責任転嫁も激しい。それらは、モリカケ疑惑の国会審議、特定秘密保護法や集団的自衛権問題などの応答に明確に示されているところだ。

 つまり、彼の言う「丁寧」は、野党などの追及に対して、調べ直した新たな事実を持って理解を求めるといった説明ではない。また抽象的な物言いや相手への攻撃で論点をずらしてかわす、といった事例も少なくない。問題点を深める姿勢がないことは、責任ある立場にある者として極めて望ましくない態度だ。
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 現行の選挙制度、衆院選に伴う政界の大変動、そして安倍政権のめざす方向と政治スタイル、の3点について触れてきた。
 選挙の結果はどうなるのだろうか。相変わらず、と言われる程度に終わるのだろうか。
 そうした結果はともあれ、自民一強支配の蒔いたマイナス要素は、しばらくは堪えられても、いずれ崩壊する。だが、その政治が長期化すれば、将来の日本に制度的にも、政策的にも、大きな影響を残していく。そこに、懸念がある。

 長期的に、多岐な展望を持ちたい。将来の日本を、正当を求め、平和を目指し、納得のいく社会にしたい。後世に禍根を残したくない。そして、現状のリスキーな状況を乗越えたい。
 今度の選挙は、その分水嶺にしたいと願う。

 (元朝日新聞政治部長・オルタ編集委員)

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