【視点】

立憲民主党はこれでいいのか

羽原 清雅

 衆院選で伸び悩んだ野党第一党の立憲民主党の人事体制が改まり、新しい挑戦に入った。声高に政権取りを訴え、自民党の相も変らぬスキャンダル風の汚点を衝く枝野幸男体制は、党内での不評を表面化させたものの、その業績等は話題にもならずに消えた。
 11月30日の党内選挙は、泉健太代表、西村智奈美幹事長、逢坂誠二代表代行、小川淳也政調会長と代表選挙を争った4人の共同体制を発足させた。

 戦後の保守・革新の争い、革新内部のイデオロギー路線とその派閥争いの様相は影を潜めた。立憲民主党は、野党的、左翼的な闘争性を弱めてきているが、政党としての個性をおぼろげにして、むしろ自民長期政権ににじり寄る雰囲気を呈し始めた。
 その自民党は、安倍的急進保守グループの跳梁とアンチグループの消滅、そして憲法や法制度軽視と金銭的腐敗体質の温存を印象付けているものの、議員多数を頼りに批判や改革を受け入れず、安定を装っている。有権者の政治離れは進む一方だが、こうした膠着状態のままでいいのか。攻めるべきと同時に、政権を狙う野党はつらい立場にある。
 このように、国会は保守化の方向に舵を切った感がある。また、政治が次第にちんまりと小型化して、ドラスチックな展開はあまり期待できない印象もある。
 そんな時代の流れだからこそ、将来に向けて耳を澄まし、眼を見開いておく必要がある。目立たないが、怖い時代でもある。

 *政権をどのように狙うのか

 枝野前代表は声高に政権奪取を叫んで衆院選に臨んだ。<国民は立憲などの政権を求め、その能力を認めている>と思ったのだろうが、しかし党勢を減じる結果を招いた。
 世論は、民主党政権時代の非力ぶりを見て(東日本大震災の対応は自民党政治でも同じようなミスを犯しただろうが)、野党の政権能力に期待していない。そのことは各紙の世論調査によっても、長期間一桁支持にとどまってきたことで示している。いまだに政権能力を育て、身につけるに至っていない、と感じている。覆水盆に返らず、だからこそ党の取り組みを替える努力が求められる。しかし、これまでのところ政権確保への準備が全く見られず、「政権」はお題目に過ぎなかった。

 自民党の安定した長期政権にとって代わるには、なにが必要か。
 まず、自民党政権の継続してきた政策、政治姿勢に対して、どのような違いのある政権を目指すかをアピールしなければなるまい。自民党政治を変えるとするならば、どのような社会を築いていくか、このことを、そして政党としての機軸を国民の前にきちんと示すことができるかどうか、がカギを握る。

 ついで、政治が変われば、社会の動きも大きく変わる。よほどの悪政続きでなければ、急激な変化が引き起こされることを国民は好まないから、既成の政権を替えようとはしない。
 この政権交代の過渡期をどのように過ごすか、が難しい。いっきょに替えることはできない。なにがどう変えられ、どのように変わっていくのか、国民はこれが知りたい。だからこそ、野党は現行政権の施策を知悉し、過渡期にはどの政策を当面維持し、あるいは急いで手を付けるのはなにか、といった点をまず大筋だけでも示しておかなければならない。

 そのうえで、本格政権を握るようになったら、本来の目標の施策にどのようにたどり着かせるか、を示しておく。少なくとも、段階的に政治の方向を変えていく準備が必要だ。
 新しい政権を握れば、期待や注文も多くなる。それらに耳を傾け、応えられる能力がなければ権力は維持できない。

 政権の交代は、相当の覚悟と準備がなければ不可能である。少なくとも権力の惰性で持ってきた自民党の方が安定できる、と思われれば、マイナスがあってもその方が長続きして、容易に野党の出番はない。その覚悟は泉健太体制にあるのか?
 教条的、抽象用語では国民の多くは納得しない。直接の政権到達は「数」を確保すれば可能なのではなく、準備こそ重要なのだ。

 *まずは与野党の伯仲を

 政権達成の前になすべきは、与野党伯仲の状態、つまり第2段階を築くことだ。伯仲下の自民党になると、野党への配慮なくしては現状の維持はできないという弱みを抱える。思い通りの政策遂行はできなくなる。
 固定層に頼る保守自民の手口は巧みで、地域単位の血族的な選挙基盤のもとに是非を問わずに支援する土着的な態勢ができ上っている。長期政権による経済的なフォローも可能だ。これをどのように説得し、切り崩していくか。党員にはさまざまな意見がある。これをまとめ、異論を説得し、まとめていくリーダーが必要だろう。今の立憲は、党としての一体感が見えず、大まかな方向性を伺い知る程度の存在に過ぎない。
 伯仲化するなかで、野党なりに政策をめぐる利害地図を知り、政権に取り組む難しさを身につけることだ。

 つまり、その一定の期間は、政党として果たしていきたい目標を柔軟に示しつつ、政権を扱う難しさを身につける。これは、権力に忖度しない、冷静な官僚群の手を借りなければできない。また妥協しつつ、自民党政治の残滓を受け止める必要もある。時間がかかり、自民党と変わらないではないか、との批判が出るのは当然覚悟して、その傍らでおのれの党が果たしていきたい政策の準備に取り組む。問題の解決、運用上の難しさ、マイナス面の波及など、実際の課題が出続けることに学び、完成度を高める努力が求められよう。

 権力の行使は、それほど簡単ではなく、そのことを地について身に沁み込ませる。急げば、ことを仕損じるプロセスだ。これなくして、政権を受け継ぐことはあり得ない。
 だからこそ、自民政治との違いを、全党的に徹底して、夢物語ではなく国民の前に語れることが政権への道につながっていく。

 *立憲民主党の物足りなさ

 泉代表は就任にあたり、「国民の目線で国民中心の政治をする」「政党立案型政党を目指す」などと語った。菅義偉前首相は「国民のために働く」といい、どのような社会を目指すかという理念については語らなかった。それが、政治家としてのおかしさだ。何も語らなかった、というに等しい。国民のための政治は当然のことで、そうでなければなにをするというのか。このような当たり前の姿勢ばかりを語ること自体、政治家としての資質を疑わざるを得ない。政党としての迫力の乏しさを印象付け、早々に期待の道を閉ざしかねなかった。

 ドイツのシュルツ首相は連立政権のもとでの就任時に、「3党に共通するのは、さらなる進歩のための勇気だ」と述べ、気候変動対策と産業育成の両立を表明した。
 この姿勢の違い。党首としてのやる気の方向や姿勢が、国民の期待をどれだけ刺激するか、である。

 野党には、既成権力の疑惑や誤りについての解明、追及、糾弾などの役割と、前述したような政策や姿勢などの面での「相違」の明示や、政権への取り組みを示す役割、という二つの任務を負う。政党首脳は政権のありようを語り、追及などは若手をはじめ論客に任せるなど、双方を果たすことが政党の役割だろう。野党の党利党略としての追及ではなく、憲法との齟齬、国会の軽視、政治道義への反逆、税金の使途疑惑などを正す使命を弱めることは、不穏な社会を放置することにもなり、野党としての任務の放棄にもなりかねず、配慮が必要だ。

 *立憲民主党の他党関係

 立憲民主党は、衆院選での反省から野党共闘にしり込みし始めた。「政権獲得」を強く主張したため、自民党などから共産党との政権構想の矛盾などを指摘された。ただ、立憲の議席確保にとって共産党の協力、あるいは社民党、れいわ新選組などのてこ入れは必要だっただろう。まじかな政権確保の状況にない現状では、保革伯仲に向けてとくに必要なステップになる。自民党と公明党の連立政権にも、調整の必要が折々出ているように、野党側でもいろいろ問題を抱えても不思議はない。
 野党間の調整は重要である。なぜこの共闘の調整にあたった市民連合の山口二郎、中野晃一、前川喜平氏らを前面に立てず、政党が表面に出たのか。第三者の調整弁を活かすべきで、政党はその譲歩の幅を広げ、選挙の果実ばかりを求めず、先行きの政策や政治姿勢に生かす努力をすべきではなかったか。そのあたりに、野党側の未熟さが感じられる。

 国民民主党は選挙後、日本維新の会とタッグを組んだ。小池百合子氏提唱の希望の党に参加し、民主党を去った議員が多く、保守陣営に近づく可能性のある政党である。また、共産党との接近を嫌う連合に同調する姿勢も強い。
 ただ、その政策中心、提案型の政党を目指す一方で、保守側に接近するがために自民党政治の腐敗、国会軽視、現憲法の軽視などについて甘い姿勢を取るように見えることはおかしい。政権にたどり着く距離は遠いとはいえ、野党としての任務を軽く見てはなるまい。

 さらに、連合と野党との関係は、もう一度根本から見直すべきだろう。
 社会党が総評に依存しがちだったころに、総評は資金や人材の補給を果たすかわりに同党への介入が多く、労組出身の議員は総評の指揮に従いがちだった。それは、党の方針に従わず、総評の指示に従い、政党としてのまとまりが整わず、党内紛争や派閥活動を劇化させ、結果的に党自体を消滅させていく引き金を引いた。
 政党は外部組織と対等の関係でなければなるまい。自立すべきである。言いなりにならず、連合も口出しの限界を知り、双方が独立の姿勢を保持すべきなのだ。立憲と国民の関係にも、連合の存在が大きく投影している。とくに、共産党と野党関係への影響は大きい。

 総評を解体し、連合が再組織された背景には、共産党をめぐる確執が一因であり、今も続いている。しかし、政党の側の自立が先行しなければ、資金と員数を擁する連合の影響力を減少することはできない。社会党消滅の轍を踏まない方がいい。
 連合は大手企業や官庁労組などの組織に傾斜して、中小企業の労働対策や組織努力に比重を置かず、「官製春闘」と不名誉な表現で言われるなど、次第に保守化を印象づけている。国民民主党もその兆候を見せており、野党勢力への影響は計り知れない。

 立憲民主党は、枝野時代の野党がそろって政府側からヒアリングを受ける仕組みを辞めた。その攻撃性が嫌われ、また共闘関係を見せたくないということだろうか。
 しかし、国会での閣僚や政府答弁が質問のポイントを外し、行政側の逃げや虚偽、隠ぺいなどの答弁に対抗して、官僚に直接正そうという機会を自ら捨てるという。成果はいろいろの面で発揮されていた。この追及放棄、事実への接近策撤去でいいのだろうか。
 さらに、定期的に持たれてきた野党の国会対策委員長の会議を必要時だけにするという。権力に対抗するには、野党間の密接な協力は必要ではないのか。基本的なおかしさがある。

 *2大政党制の難しさ

 現行の小選挙区比例並列制は、2大政党の政権交代を可能にするために生まれた。ただ、議席配分が妥当性を欠いて大政党に有利、小政党にダメージを与えている。しかも、ただでさえ有権者の半分程度の投票率でしかないうえに、死に票を極めて多くする制度で、民意を反映しにくくする制度である。
 2大政党とはいえ、実際は多数の政党が存在しており、制度の狙いは理論上では成り立ちにくい。ふたつの政党がいくつかの基本的な政策等で対立して切磋琢磨するという論理は正しいとしても、野党側が政権を取るために対決軸を示さず、現行政権ににじり寄って選挙に勝つだけで取って代わろうという姿勢なら、国民の願う施策には遠くなるばかりだ。

 したがって、与野党ともにある程度のグループを形成することは必然だろう。政権の座にある側が「連立」を組むにしても、その施策については納得のいく論議が必要だ。政権を狙う野党も、自党の主張の厳守と譲歩とは峻別しなければならない。ただ、与党に比べれば、まだ政権に近づけない野党間の調整は基本問題でない限りは甘くなるだろう。
 この点は、市民連合の学者たちの冷静な論理が、もっと説明されてしかるべきだろう。 

 そのような姿勢を基本として、充分な調整が必要だ。だからこそ、野党はいかに政策提案型になったとしても、現行政権におもねり、批判もそこそこにすり寄るような姿勢は許されない。この基本を有権者にはっきり示し、自党の原則とは食い違いのないことを示さなければならない。そこに、国民民主党と維新の会との接近に疑問の余地が生まれている。

 さらに言うなら、立憲民主党の陣容を見ると、党代表の泉健太、政調会長の小川淳也、国対委員長の馬淵澄夫、選対委員長の大西健介の4氏までが国民民主党から転身し、中には小池氏主導の希望の党から移ってきた保守系の履歴を持つ幹部もいる。移ろいの多い政治家については、一般的にその信条をしっかり見ておく必要がある。「転進」は政治家として、数揃えや選挙用、権力接近などの打算傾向もあり、その事情や志向などを明確にすべきだが、その点は最近のメディアでは寛大になってきている。

 立憲民主党がそのような疑問を持たれるのは、政党として現行政権に対してどのような社会を目指し、たとえば原発、核問題、地球温暖化、対米対中姿勢などについて、段階的な対応にせよ、論点を狭めようとの姿勢が見えないからだ。状況の変化によって変わることはあっても、抽象的でおぼろげで、且つロマンも見せない政権などは、国民に望まれていないことを、政党自体が自覚すべきなのだ。そうした点まで、党内結束の原点が語り合われていないことが、この党の政治家への心もとなさを生む。先に触れた党代表の挨拶内容にも、その点が示されているのだ。

 問題を孕みながらも、「政権大事」に巧みに結束する自民党政治にどう対応するか。野党が接近することは、さらに自民党を助け、むずしい政治課題への取り組みを歪めることにもなりかねない。自民党が憲法の論理に従えばいい。ただ、狭い超保守化グループが発言力を陰に陽に強め、その方向に進んでいる。このひずみを正すとすれば、もろいながらも、野党の存在しかない。一歩下がって考えるなら、野党が政権を取る以上に重要なのは、自民党政治のゆがみをチェックできる政治勢力の存在である。
 しっかりしろ、野党!!である。

 (元朝日新聞政治部長)

(2021.12.20)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧