【オルタの視点】

安倍・菅的「だましのテクニック」

羽原 清雅


 安倍首相が突然のように、沖縄・辺野古の基地建設工事の中止を言いだした(2016年3月4日)。対決の続いてきた国と沖縄県とが和解して、国は工事を中止し、県側も訴訟3件を取り下げることにした。穏やかな打開、を思わせる「善政」である。

 この安倍発言を報じる新聞記事は、その狙いや悲観的な見通しも書いているが、見出しなど総体としては、激突が緩和されるのではないか、との印象を与える。
軍事基地の長期存続や新たな沖縄基地の固定化、米国に言いなりの安全保障装置作り、などの懸念をはらみながらも、日頃関心のない人々や、あまり沖縄の民意を懸念していない層には「安倍さん、やるなあ」「よかったね」と受け取られる。

 案の定、この発言のあと、毎日新聞の世論調査(3月7日付)はこの和解について、安倍内閣支持層の70%が評価、不支持層でも53%が評価した、という。読売新聞の調査(同日付)も、評価する69%、評価しない19%、だった。つまり、ホッとしたのだ。

 短期的なこうした感慨が間違いだとは思わないが、いくつかの疑問が消えない。

<1> 普天間飛行場の辺野古への移転は「国外、県外への移転」を願った沖縄県民多数の期待に反した方向であり、国はその方針を米側の意向に沿い、地元の意見は聞かないままに「国策」として遂行し、強硬に工事を進めてきたのが現実だ。だが、安倍政権はこの「国の大方針」を変える気はなく、従来の姿勢を堅持しながらの「和解」方針なのだ。沖縄県も、従来の「辺野古反対」「県外移設」の主張を変えていない。相変わらずの「水と油」である。そこに、この「和解」の欺瞞がある。

<2> もし真に和解しようというのなら、その交渉は国内問題として政府と県が話し合えば済むことではなく、日本政府は米国と外交交渉を持たなければならない。内政問題ではなく、外交マターである。そうした姿勢の変化があったうえでの国と県の「和解」でない限り、一筋のヒカリも見出すことはできない。
 沖縄をめぐる地位協定も、不平等条約の際たるものでありながら、長期にわたって基本的な交渉すら持ちかけようとしない。そのくせ、「国」「国家」の存在をひけらかし、「個人」「民主」「立憲」などの基本をないがしろにして、国民を束ねる方向を画策する。
 この基本的な姿勢が日本の将来をおかしくしかねない。

<3> 昨年の8月、一時工事の中断が菅官房長官と翁長知事の間でまとまり、その1ヵ月余の期間が持たれた。双方に譲歩の余地のない経緯であったので、不思議な中断と思われた。だが、この中断のころ、集団安全保障問題についての国会論戦がまさにピークに達しようとしており、そこに油が注がれることのないように、という官邸サイドの計算があった。うまい作戦であった。

<4> では、今回はどうか。
 6月に沖縄県議選、7月には改憲のかかる参院選、場合によっては衆参同時の選挙戦が想定される。まさに、次世代の方向が大きく問われる舞台が待ち構えている。
 政府・首相官邸にとっては正念場であり、「辺野古」の工事遅延くらいの「譲歩」は安いものでもあった。沖縄は乗せられたのである。

 ところで、この問題はごく一部の事実に過ぎない。
 安倍首相の日頃の言行自体に問題がある。これを支える菅官房長官が率いる首相官邸の「(悪)知恵」の出しっぷりに関わる現実である。
 安倍首相は、大平正芳首相の対極と言っていいほど、歯切れがよく、自信に満ち、決然と「是か、非か」の強気で攻撃的な発言をする。その言葉を、何気なく聞いていると、一見論理的でもあり、頼りがいのある政治家の登場を印象づける。論理性よりムード調で、テレビ向きであり、政治のかじ取りに思い悩んだり、選択肢の幅を示しつつ苦吟したりするなどの気配も見せない強い首相である。国際会議でも見劣りのしない、頼もしいわが宰相、である。

 首相の、とくに最近の話法なり状況突破の技術を見ていて、感じることがある。
 まずきっぱりと強硬な自己主張をする。その論法にはあれこれ言いつのる感さえある。「私はこの国の責任を持つ内閣総理大臣である」という自負のもと、一見論理的に強硬な姿勢を見せる。国会では、言葉に詰まる閣僚を押さえて答弁に立つ。民主党政権の失敗に対比して数字的な自慢によって正当化を図る。

 ときに、野党議員の質問をナンセンス視したり、もっと大きな視点を持て、と言ったり、睥睨の姿勢も見せる。炎上した保育園の過少問題では、正面から認めた発言をすれば問題はないものの、「匿名の指摘に答えられない」などのはぐらかしに失敗して、お母さんたちに国会を囲まれたりする。

 謙虚に説明すればいいのに、と思うが、強気が本性なのだろう。
 だが最近、まず「強硬」に発言、しばらくして「譲歩」的な発言に切り替え、緊張をほぐしてみせるケースがある。だが、根本は譲らない。世論の「ホッ」とした気分に誘い込み、「アベさん、いいとこあるなあ」「野党が攻撃するほどかたくなではあるまい」など、気分的ゆるみを提供する。だが、基本を変えることはほとんどなく、譲らないのが特徴だ。

 長年、多くの閣僚、議員の発言、質問に対する答弁を聞いていて、安倍的テクニックは優れていると認めざるを得ない。それは世論の緩和策というのか、世論操作のひとつの手口であり、「目くらまし」論法、と言っていいのではあるまいか。

 たとえば、2015年末の慰安婦をめぐる日韓両国の合意。日本軍に関わりのある慰安婦問題を、いかにゼロ状態に近づけるかに腐心してきた安倍的世界だったが、この問題はもともと国際的な感覚からすれば否定できるものではなく、また隣国関係をこれ以上悪化させることは避けざるを得ないところにまで追い込まれて、強硬な姿勢を改め、妥協することになった。だが、将来的に若い世代にまで謝らせたくない、あるいは慰安婦像の撤去を前提にするかの「未練」のようなものを付け加えた。

 この譲歩には、両国に反発があるが、事実に基づけばひとつの決断として評価できよう。史実への抵抗にも限界が見えて、強硬から譲歩へと切り替えた好例である。 

 衆院定数の是正問題でアダムス方式を受け入れる、との決断を示した。これも、追い込まれたものだが、2015年の人口数を基にせず、2020年の国勢調査の結果まで延ばすのだ、と言い出す。民意を反映しない選挙システムにこだわり、おのれの「非」を認めない。

 強硬姿勢を改めて、譲歩したものわかりの良さをアピールはするものの、内実は自己権益にしがみつくばかり。でも、世間はこの「ものわかりの良さ」を評価する。しかし、定数問題ばかりではなく、政党の得票数と獲得する議席数との大きな格差と、その結果のもたらす民意が反映されない選挙制度といった現実については手付かずのままだ。

 さらに、東京五輪の舞台となる国立競技場の設計問題。
 閣僚や自民党有力者らの扱いのまずさに呆れた世論を前に、首相はカッコよく「白紙化」を打ち出す。世間は、決断の首相に拍手を送る。だが、こんどは聖火台設置の問題が出て、あきれさせる。今度は、さしもの首相も沈黙する。

 野党の言ってきた「同一労働同一賃金」を、首相が言い出した。
 理想の方針であることは間違いない。だが、そう簡単に実行できるものではない。容易にはできないほどの障壁の厚いことを知る民間の関係者は、抵抗しない。首相がうたい文句にしても具体化の努力はしないさ、と読むからだ。言葉の遊戯で、実行の手を出さない。それでも、一般の人たちは、「首相の決断」として評価を与える。

 アベノミクスは失敗か否か。一般の市民の好況感は生まれていない。収入は増えず、購買の機運は高まらない。でも、国際経済の動向の影響などで、失敗という断定もしにくい。一般の人々は、安倍首相の旗振りに疑惑を感じながらも、失政との判断までにはいかず、しばし時間を与えて支持し続ける。強い姿勢を変えようとはしないが、状況判断のむずかしさが、幸運にも彼の政策を支えているようだ。  

 強硬方針からわずかな譲歩へ——だが、現実は変わらない。それでも、安倍支持の空気は変わらない。スゴイ政治性である。

 その支えが、彼の「話術」とともに、国会における「数」の支配である。
 さらに、各種の世論調査の支持率もまずは堅調である。
 国民の不満や批判を代弁して、問題点を浮き彫りにすべき野党の影は極めて薄い。
 中国を囲い込むという外交の姿勢は、効果こそ見えてこないものの、その見えにくさがカバーして批判を遠ざけている。長い目で見ると、マイナスを蓄積しているのだが。
 そこに、パフォーマンスとしては最高の舞台であるサミットが近づいている。

 これまでも、秘密保護法、集団的自衛権という大課題を実らせ、ひたひたと世の中を変え得る状況に導いてきた。次には、手の付けやすい「緊急事態」対応などを突破口に、憲法改正の悲願に挑める環境を徐々に整備してきた、という自信もある。

 しかも、権力を傘に着てカネに手を出す閣僚や、テレビ等の抑制を権力のもとに正当化するなど、おかしな答弁を言いつのる閣僚たちがいても、政権は世論調査の支持を受けて、いまのところびくともしない。首相が強気と譲歩を多発しても揺るがないところにも驚きがある。

 そうした「力強さ」のもとに、参院選挙がひたひたと近づいている。
 しかも、改憲の土台作りともなるよう、衆参ダブルの選挙さえ想定されている。
 衆院の議席は多少減っても、参院の議席は増えそうで、改憲に向けての「衆参3分の2」議席の確保も、「夢」とばかりは言い切れない状況になりつつある。

 なにしろ、内容的に弱体の野党は、議席数においても弱体なのだ。
 自民党の改選50議席、公明党9、おおさか維新2、日本の心1など、改憲支持勢力は改選数62に対して、貯金ともいえる非改選議席を84も抱えている。
 一方、改憲阻止勢力の改選数は多く、民主党42、共産3、社民、生活の党各2で、改選数49に対して、非改選議席は27しかない。
 つまり、162議席という3分の2の改憲またはその阻止勢力を確保するには、改憲派は78議席をとればよく、反対に阻止勢力は135議席の確保が必要になる。
 今の野党にその確保ができるか。

 国会審議を見ていると、安倍首相の確固たる信念というか、裏打ちのない逃げ口上というか、いささかわびしいが、一方の野党側にしても どのような社会を築こうというのか、大きな対立軸を示さないままの姿がさびしい。
 この国はどこへ行こうとしているのか。むなしさの残る日本のありようである。

 (筆者は元朝日新聞政治部長・オルタ編集委員)

※この原稿はオルタ147号のコラム落穂拾記(50)として執筆されたものですが著者の了承を得て編集部が掲載欄を移したものです。


最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧