【オルタの広場から】

日本語を学ぶ世界の若者を育てる
――31年の努力の奇特な夫妻

羽原 清雅

 この1月、「世界の日本語学習者『日本語作文コンクール』」なるものに、初めてにして、最後になるかもしれない審査委員(10人)を頼まれ、初体験をした。
 詳しくは後述するが、今回は第3回。応募がすごい。66の国・地域から9,086編が集まった。アジア・中東は中国を中心に27、ヨーロッパ18、オセアニア2、北米3、中南米8、アフリカ8で、ブータン、ベルギー、サンマリノ、カナダ、メキシコ、ドミニカ、ケニアの7ヵ国が初めて参加した。
 応募は、海外の大学生、社会人、日本語学校や高校生たちが7割、国内にいる留学生、日本語学校、社会人、日本在住者たちが3割だった。

 1回目は54ヵ国・地域の5,141編、2回目が62ヵ国・地域の6,793編、とまだまだ増える傾向にある。今回で終わるとすれば、惜しい限りだ。
 筆者の関わったのはごく一部の活動でしかないが、まだまだ多くの活動を重ねてきている。しかも、その活動はこの夫妻二人でコツコツと続けてきたもので、すでに31年間に及ぶ。
 政府の外交の姿がいっこうに見えず、為政者が軍事強化の路線を強めるばかりの昨今だが、じつはこのように「日本と世界」の将来に生きる架け橋を構築している人材もいるのだ。

 縷々述べたいが、お忙しい方は、この原稿の最後の部分だけ見て頂ければ、と思う。

その多様な努力と成果 活動をしてきた人物に触れる前に、まずは、これまで31年間続けてきた仕事ぶりを知って頂きたい。

 1)季刊誌『日本』 平成初期の1989-97年までの8年間、30ページほどの季刊誌『日本』を33号まで刊行。計72万冊を、中国はじめアジアや欧米諸国など41ヵ国・地域以上の大学、日本語学校、外務省の海外文化広報センターなどに寄贈。国内では留学生の多い大学、日本語学校約110校にも贈った。
 日本の出来事、四季折々の行事、季節の言葉、季語・俳句、日本の政治経済、世相の言葉、伝統のスポーツ・文化、日本人の行動様式、日本昔話、古典文学など、内容は多様だった。

 2)留学生対象の『日本語作文コンクール』 やはり平成初期に5回、在日の留学生を対象に実施した。全応募数は3,121編に及んだ。

 3)日本語教材「日本」各種 中国を中心に、大学生、留学生向けの日本語の教材として、1995年から2016年にかけて、6種類を編纂し、最初のものは日本で印刷、あとは大連、北京で印刷した。うち2種類は1巻もの、4種類は上下2巻。
 最初は「精読教材」(3,000冊、中国の約80大学に)。ついで「大学用」(2万6,000冊、約110大学に)、「新版」(2万1,000冊、約110大学に)、「MP付」(約3,000冊、約80大学に)、「最新・改定版」(約1万冊、約120大学に)、「新日本概況」(1万1,000冊、約130大学に)と、日本語の教科書を中国の学生たちに配ることによって、日本語を学ぶと同時に、「日本を知る」基本的な知識を提供した。

 4)デジタル版「日本という国」 時代の変化に対応して、2016年から始めたもので、上級者、初級者向きと、電子書籍の3種類。これについては、最新のものへと改定を進めている。内容は、日本の政治経済、東日本大震災以降の状況の説明、歴史、自然、文学、伝統文化、行動様式、食べ物などについて、わかりやすく紹介している。

 5)「日本語作文コンクール」24回開催 平成スタートの1989年から5回の留学生対象のコンクールについては先述した。1992年からは中国の大学生を中心に16回(応募2万2,781編)、このふたつのコンクールに加えて、中国中心から世界全体に対象を広げた2016年からの「世界の日本語学習者『日本語作文コンクール』」を合わせると、4万6,922編に及んだ。

 6)表彰式 中国の学生対象の受賞表彰式は各地で開かれた。天津・南開大、大連・遼寧師範、北京大、洛陽・外国語学院、南京農業大、北京日本学研究センター、上海外国語学院、あるいは北京の日本大使館などで行われた。これは単なる儀式ではなく、集まった若者たちから日本を知ろうという声が広がることに意味があった。

日本と中国 最近の中国との関係は、必ずしも好ましいとは言えない。沖縄周辺海域への中国公船の通行、漁業活動の進出、軍事力の増強などへの不安があり、さらに米国の対中強硬姿勢は日本の政治へのあおりにもなって、戦後やっと開かれた国交の道と雰囲気は寂れ、日中友好の民間の交流もあえぐようになっている。
 戦前の日本軍などの生死を伴う蛮行ばかりでなく、児玉誉士夫をはじめいわゆる軍民に関わった大陸浪人たちの乱行、民族蔑視の風潮など、挙げれば限りない被害を及ぼした。その加害者の日本がとかく忘れがちになる歴史認識については、まだ被害の実感の残る中国の人々の間では怒りを再燃させやすいし、その語り継がれる風土も簡単には消えない。

 でも、若い人たちに日本の姿勢を理解してもらう努力を、長く丹念に続けていくことこそが、隣国中国との関係を好転させていく最善の道であることは間違いない。
 互いを知り合い、相互理解を深め、過去の固定した観念を修正することで、この永続的な道筋を築きつつあるのが、このプロジェクトの狙いではないか。
 さらに広げて考えれば、島国で資源の乏しい日本は、その存在と進む方向をしっかりと示し、その真摯で長期にわたって変わらないという姿をよく理解してもらうことがなによりも大切だろう。
 このプロジェクトは、そのような地道で、一見小さく見えがちな営みを着実に築いてくれている。触れ合う世界に散った若者たちが、日本を伝える。そして、日本とのつながりを愛おしむことになるのではないか。

貢献の夫妻とは こうした31年に及ぶ活動に取り組んだのは、じつは夫妻のおふたりなのだ。大森和夫、弘子さん。思い立ったのは48歳のときで、1988年に「日本国際教育協会・駒場留学生会館」に取材に行き、これを機に留学生に会って「もっと日本のことを知りたいが、難しい」「日本人の友達ができない」「経済的に苦しい」といった声を聴いたことだった。
 半年後の平成元年1月、政治記者の生活を捨てて朝日新聞社を退職。48歳。じつは筆者も、仲間として一緒の仕事をしていたので、突然の退社は奇異だった。今、この原稿を書きつつ、仲間といった軽い意識はすでになく、感嘆あるのみである。

 季刊誌として『日本』を刊行しよう、との思いで、身構えたのは人件費などを掛けず、夫婦だけでなんでもやろう、退職金の尽きるまで、せめて3年は、ということだったという。
 作業場は4畳半の自宅。3年間は原稿は手書きで、イラストも描いた。原稿書き、編集、出版、寄贈の宛名書き、荷造りなど、ふたりだけの作業だった。やがて、多少のカンパ、留学生たちの手伝いも加わったが、不景気の波があり、資金繰りや、ときに病患に襲われるなど、難関も少なくなかった。それでも、個人の支援628人、それに団体からの援助も次第に増えていった。それにしても31年間は長い。

 確定申告時の収支決算を見よう。世界の日本語学習者対象の作文コンクールを始めた2017(平成29)年のものだ。
 支出 ①海外の1等受賞者の日本招待 51万5,000円 ②入賞者100人の賞金総額 241万円 
③賞状、送金手数料 35万円 ④入賞作文の出版 284万1,432円 ⑤諸雑費 91万
5,000円 ⑥海外への郵送、連絡、通信費 21万7,000円 ⑦国内郵送費 8万1,000円 
⑧国内の連絡、通信、パソコン経費、コピー費など73万8,000円 
合計 811万2,664円
 収入 ①個人支援 27人(うち1人は500万円)572万5,000円 
②大森氏の個人負担 238万7,664円 
合計 811万2,664円
 個人として出費した金は、31年間で1億円に上ったという。

審査の状況 筆者の関わった3回目のコンクールの作業ぶりを見てみよう。テーマは「自分の国に伝えたい日本のこと」。
 2019年3月に作文の募集にかかり、世界に発信。11月に締め切り。書式さまざまな原稿は9,000編余。駆け込み応募のメールが218通も。たどたどしいものから名文の類まであり、この最初の読み取りが大作業。この回の特徴は、初心者レベルのものが増えたので、選別に苦労があった。
 まず夫妻の手で予備審査、ついで第1次審査を経て絞り込んだ90編を10人の審査員が各自採点、その中の合計点上位の60編と、それに入らなかった国・地域の10編についてメールを送って、本人確認の写真をメールに添付してもらい、作文に疑問点があれば確認、若干の添削も認めて、ランクを決めていく。賞を取った人は、2、30歳が圧倒的に多い。*印は初参加の国。

 1等賞は、日本国内と海外在住から1人ずつ。今回は女性のみで、名古屋大学事務職勤務のベトナムのチャン・トゥ・チャンさん、ミャンマーで丸紅系企業に勤めるレイレイピューさん。コロナ禍のいま、ミャンマーからの招待旅行は成るか?
 2等賞5人も女性ばかり。台湾(梅光大留学中)、ポーランド(小学校教師で、日本語学校生)、キルギス(ビシケク大准教授で70歳)、エジプト(カイロ大日本語学科大学院生)、中国(瀋陽工業大)。
 3等賞は20人。男性はベナン、マダガスカル、ポーランド、カンボジア、マレーシア、ラオス*、韓国、中国2人(15歳の上海外語大付属学校生も)。女性はドミニカ*、ハンガリー、ウクライナ(42歳)、リビア(15歳の高校生)、モンゴル(18歳のモンゴル大学生)、韓国(60歳の主婦)、中国5人(48歳の日本語教師も)。

 努力賞は30人。男性はウズベキスタン、アルゼンチン、カナダ*、スリランカ、中国の5人。女性はケニア*、エジプト、インドネシア(各17歳)、タイ、韓国、モンゴル(各16歳)、サンマリノ*、ブルガリア、フランス、ベルギー*、ポーランド、パキスタン、カザフスタン、ウクライナ、ミャンマー、スリランカ、カンボジア、中国8(15歳、18歳を含む)の25人。

1等賞の作文は ミャンマーのレイレイピューさん(丸紅ネピドー出張所勤務、32歳)は「伝えたい!日本人の働き方」を書いた。以下、紹介しよう。

 <十年前、日本・静岡国際ことば学院外国語専門学校に留学し、2年間滞在したが、自分が生まれ育った国の伝統、習慣、文化や考え方等と異なることにカルチャーショックを受けた。文化的衝撃というのは、母国から離れて外国で生活している誰でも体験するのは言うまでもないが、私は驚くほどカルチャーショックを受けた経験がたくさんある。
 ミャンマーでは先生、親や偉い人と話す時には目上の人に敬意を表すために腕を組んで話すが、日本では腕組みするのは礼儀正しくないとか、日本のお坊さんは結婚できる等の文化である。何にも増して一番驚き、そして、尊敬したのが「日本人の働き方」だ。
 それはサークルKというコンビニでアルバイトをしたときのことだ。最初の時、作業内容とやり方が全然分からなかった私に対して、副店長が優しく丁寧に色々教えてくれた。お店の品物の前出し、フェイスアップ(商品を整える作業)、先入れ先出し、棚割り等の売場管理、接客態度やマナーから売場の整理整頓まで徹底的に教えてくれた。しかも、副店長の彼女は一方的に教えたりやらせたりしているのではなく、彼女自身も一生懸命に働く人だった。
 それらの仕事が終わって手が空いてたとき、「今から一番大事な作業のやり方を教えるよ」と言われた。一番大事ってどんなことかな?と思っていたら、それはトイレの掃除だった。母国で家族と一緒だった頃は、自分のお皿さえ洗わなかった私が今皆が使うトイレの掃除をさせられた直後は、涙が溢れてくる程嫌だった。
 ある日、副店長が病欠して、彼女の代わりに日本人一人が出勤した。その人は一度もお店に来たことはないがお店の作業を効率よくこなしていた。接客態度も誰より上手くて、お辞儀も上手だし、
 トイレ掃除をする時まで笑顔でちゃんとやる人だった。その人の働き方を見て、すごく気になったので先輩に聞いてみたら社長だと分かって、また、ショックを受けた。
 社長なのにバイト店員と同じ制服を着て、同じ作業を行って、トイレ掃除まで嫌な顔一つもせず頑張っている姿に心が奪われ、頭を下げた。
 私の国では、社長が掃除するどころか、社員さえ自分が担当している仕事ではないと無責任・無関係で一切協力しようとしない。その上、雇用者と従業員を差別したり、偉そうに振る舞う人が多い。日本のバイト先のその社長は、トイレ掃除が嫌だった私の気持ちを変え、責任感や「働く」ことの本質的な価値を教えてくれた。
 私を照らしてくれた光、でもある日本の留学生時代の体験を、ミャンマーの人たちに伝えるように努力している。これからも、多くのミャンマー人が「日本人の働き方」を学んで、国がさらに発展することを願っている。>

            ・・・・・・・・・・・・・・

 大森夫妻の頑張りについては、これで終わる。
 彼にはひとつのお願いがある。「健康で、もっと頑張れ!!」との気持ちはあるが、それは言いにくい。
 筆者は地元新宿区で若干教育に関わっている。この区の住民の13%ほどが外国籍の人々で、都市部の自治体ではトップクラスの人口比である。共稼ぎ、深夜労働という家計維持に追われて、子どもたちに付き合えない家庭も少なくない。親たち自身も、母国で十分な教育を受けられなかった人たちが多い。「日本」になじみ、そうした知識を得るような環境になく、待遇にも恵まれないままに黙々と働く家庭が多いのだ。日本語の会話は、子どもが通訳して知らせるような家族もある。
 多様な言語の国・地域から集まっており、その周辺の学校では7ヵ国の言語のチラシなどを作って、学校や地域の行事、給食事情、健康管理などを知らせている。それでも、伝える難しさが消えない。日本の習慣、社会や教育の仕組み、季節の行事といった生活基盤の情報が身についていないことから来る難しさがある。

 そこで、大森夫妻が教材などで蓄え、一定のレベルの大学生たちに発信してきた「日本」についての情報を、小中学生に伝えるようなわかりやすさに手直しして、もういちどご苦労をお願いできれば、と思う。デジタルの近代的機材を欠く人たちも多いので、「活字」であってほしい。可能なら、留学生たちを動員して、来日した時の苦労した点などを加味して、わかりやすくリライトして頂ければ、日々の生活を多少とも暮らしやすくしてあげられるのではないだろうか。

 本来なら、言う以上は資金も出して、口を出すべきだが、その力はない。
 せめて、コロナ禍を機に、国が配る10万円が集積できたら、などとの期待はある。
 学校ごと、あるいは教育委員会による購入は不可能か、などとも考えるのだが、徒手空拳の類にとどまる。
 そして、外国籍の人々を対象とする取り組みに、各位の知恵と理解がいただければ、新たな段階を模索して行きたい。

 ともあれ、大森夫妻の努力と成果の歳月を読んでいただきたい。

        連絡先: 大森 和夫・弘子 様
         〒190-0031 東京都立川市砂川町2-71-1-C621
         Mail: yuraumi@yahoo.co.jp
         HP: http://www.nihonwosiru.jp/

 (元朝日新聞政治部長)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧