【オルタの視点】

「視野狭窄」の選択だったか — 参院選の結果に思う —

羽原 清雅


 7月10日の参議院議員選挙の結果が示された。戦後70年余の間には、多くの岐路に立たされてきたが、今回は国の基本である日本国憲法に手を着けることが出来る結果を生み出した。これまで重ねてきた日本の進路を変えるかの大きな岐路である。

 この選挙によって、衆参両院でそれぞれ3分の2の議席を確保した政党が戦後初めて台頭したことで、今後は両院の憲法審査会が動き出そうとし、改憲の道をまた一歩進める可能性をはらむことになった。この現実は受け止めなければなるまい。

 投票率は54.70%(選挙区)で、史上4番目の低さ。24回の参院選のピークは1980年の75%弱で、もともと参院選の不投票層は部厚い。今回意思表示した有権者は、有権者全体の半分余でしかなく、有権者の政治責任・政治参加の意識がその程度にとどまっているものの、民意の表明としては尊重すべき数字なのだろう。

 そのうえで言えば、今回の選挙結果についてとくに感じたことは、有権者の「一票」はいささか短視的にものを捉え、長期的に将来の社会に政治の及ぼす影響への洞察に欠けるのではないか、ということである。あえて言うと「視野狭窄」の印象を受けている。

◆◆ <強い目先の関心>

 有権者が悪い、というのではない。視野を広げたら、また別の判断が働いたのではないか、と思う。選挙結果から気付いたことをいくつか挙げてみたい。これが安倍政権容認という結果を導き出したベースではなかったか、とも感じている。
 民主主義の底の浅さというか、目先の利益を第一として、政治の将来的展望など長期的にものを見ない傾向が見てとれよう。

●アベノミクス● 有権者の大きな関心は「経済」にあり、安倍首相は、アベノミクスは遂行途上であり見守るべしと訴え、野党は失政途上で、そのマイナスは大という結果が出ている、と大きく割れた。経済動向は常に動き、結論は出にくく、有権者は「期待」の選択に傾いたのだろう。野党サイドの批判的説得よりも、首相のご都合主義的な数字の扱いや雄弁が優ったということか。
 また、金融主体の経済動向は投資家たちが支持、税制など政府支援を受ける大手企業などは納得、という構造のなかで、増える非正規労働、見通しの悪い年金、打開策の出ない待機児童、低賃金の福祉業種などの社会問題に悩む国民各層の懸念は、不満や怒り、改革の方向に向かわない結果になった。我慢強い忍耐性か、政治への諦めか、今後への期待の表明か、真意はわからない。
 ひとつ驚いたのは、消費増税延期の際に、首相は以前に決然と増税実施を公約しながら、今回は十分な論拠も説明せず、「新しい判断」で延期としたことである。為政者が判断を変えることはありうるが、いとも簡単に十分な説明もなく「新判断」を持ち込むことが許されていいものだろうか。「数」に頼む権力者の非論理な暴政としか言いようがない。

●安保法制化● 特定秘密保護法や集団的自衛権の容認、沖縄の辺野古基地問題など、安保・軍事問題への反応の面で見ると、その選択は支持・決着済み容認・無関心・あきらめ・反対などのいずれであったのか。各紙の世論調査を見ると、いずれの課題にも関心度が極めて低く、そのことが気がかりである。政権の強引な遂行が支持されたかの結果に結びつけていいものだろうか。

●戦争観● 戦争から70年余となり、戦争体験者や戦後の余波を知る世代が減って、戦争がゲームに思えたり、機械操作による戦闘と考えたりして、実際には闘う双方の戦闘員だけではなく多くの民間人を犠牲にし、心情も物資も破壊される戦争の実相から遠のいてしまったのではあるまいか。それが、「国を武力で守る」発想になり、安倍政治の容認につながったのではないか、と感じられてならない。

●挑発勢力● このところ遅ればせながら、多くの著作が「日本会議」の実態を描き出してきたが、この復古的な団体は安倍政治を支え、憲法改定などを推進している。また、中国や韓国、北朝鮮などを嫌い、相手への理解を閉ざして、一方的な話題を提供する雑誌など視野狭窄的なマスメディアが台頭している。この論調に挑発され、魅入られる若い世代なども無視できない存在だろう。
 こんどの選挙結果がポピュリズムによるもの、とは思わない。ただ、ヘイトスピーチ的な言動など狭隘な論理が展開され続ければ、上記のようなバランスを失したあおり行為に乘りやすい空気もあり、要注意だろう。

●タレント跋扈● テレビの影響は、相変わらず大きい。今度の選挙でも、タレント型の当選者は多かった。スポーツ選手(秋田、東京)、テレビ業界(北海道、東京、長野、静岡、福岡)、比例区も歌手(自民)、女優(お維新)などがいる。
 悪いとは云わないが、見識よりも知名度に頼る既成政党の、促成栽培型・質より量という判断は、あまりいいものではない。

◆◆ <向けるべき課題の方向>

 安倍首相は、憲法改正の方針がすでに結党の目標に掲げてあることを理由に、争点として発言しようとはしなかった。発言は「当面」に限られた説明が多く、長期的な課題や争点を身近に考える内容とは遠かった。
 だが、今後日本がどうなるのか、という先行きを考えたうえでの候補者や政党の選択が乏しければ、当面の利害に目を奪われがちになり、長期的展望の視点が遠のき、より多くの角度から照射して、プラス・マイナスを見極めるチャンスを失ってしまう。
 政党の選択、候補者選びなどが目先のことを軸に取り組まれがちであること、テレビ等で見慣れている知名度の高い人物を選びがちであること、政治の及ぼす影響が孫子の代に至るまではね返るという懸念が薄いことなど、このような有権者の視野の傾向はその可否とは別に、率直に認めなければなるまい。
 政治権力の視野狭窄についていえば、政権自体が展開不透明な重大な将来的課題に触れることを避けがちなこと、また次期政権を狙う野党も、現政権を批判はしても、政権担当時に背負い込むことになる将来的な課題に触れようとせず、概して政権維持のために前政権に類似した政策を掲げて、身の保全をはかろうとしがちであることも、視野の広がらない背景になっている。
 ここで、今後の中長期的に見た日本のあり方について、念頭に置いておくべき課題に触れておきたい。

●憲法改正● 日程にのぼろうとしている改憲問題だが、自民党は「非常事態時の対応」など個別の課題から手を着け、第9条などの国論を二分する課題までに改憲志向の地ならしをする構えである。
 日本がこれまで対外的に、経済、技術、福祉、教育など平和的な面で、かなり重要な支援的役割を果たすとともに、戦前の、軍事大国たらんとして武力に頼る政策をとり国論形成の議論を疎んじる国だ、というイメージを徐々に払拭してきた。
 長い眼で見て、将来の舵取りの路線を、軍事重視に切り替えるべきか、平和追及の日本の役割を持続していくか、を考えなければなるまい。
 憲法は、民意による権力抑制の機能を持つ立憲主義の立場を揺るがすものであってはならない。そうした原理原則は、憲法の基本的なあり方を考える政党などにより、深く、長く、早く問題点を示し、国民各自に深い考えを求めていかなければなるまい。
 憲法のもたらす大きな意味合いを歴史を踏まえつつ、深く、グローバルに考えていきたい。

 日本会議など、深く静かに先行して改憲ムードの土台作りに努める勢力に対抗して、理論武装をし、具体的な日本のあり方を考えるムードを広げる日常活動を強化しなければなるまい。このことは、遅くとも次期衆院選までに、それこそ津々浦々に広げる態勢をつくるべきだろう。
 安倍首相は「自民党草案をベースに」国会の憲法審査会での各党協議に待つ、という。だが、この草案のめざすところは、これまでの日本の進路をきわめて大きく変節させるもので、民主主義の根幹を揺るがす条項を連ねている。これを「ベース」としていいものだろうか。
 一極多数を握り、党内の論議も希薄な政党が跋扈する国会に委ねるだけではなく、逐条にわたる微妙な文言の使い方を、各人がもう一度厳しくチェックしてみる必要に迫られている。

●集団的自衛権● 日本のこれまでの歩みは前述したように、平和国家としての信頼を確保しうることを重視して、それなりの取り組みを進めてきた。少なくとも、東南アジアなど近隣諸国での、戦前の軍事力による植民地的支配の悪夢を断ち切らなければならない。
 地球の裏側までの軍事行動の拡大、と言われる安保体制の強化は、果たしてかつての日本支配下のアジア諸国の内心が納得するかどうか、である。武力に頼る政策が「日本の変節」として批判を浴びることのない外交姿勢が重要である。
 次項の特定秘密保護法とともに、これらの問題はこれからの日本の進路を歪めかねない危惧を抱えているところに、視野狭窄に陥らず、長期的なチェックの気構えが必要なのだ。

●特定秘密保護法● メルマガ「オルタ」では、集団的自衛権の問題に先立って、この秘密保護法のリスクを取り上げてきた。現に、この法律の施行以来、国会に出される文書や資料は黒塗り一色で、内容のつかめないものが横行するようになった。「国家秘密」の名目で、国民の目にさらされない体制がジワリと、またひとつ増えたのである。
 たしかに公的に明らかにされるべきでない秘密はあるだろう。しかし、法律や制度の陰でひそかに進められること、また国家名目の秘密事項が次第に増えていくこと、の怖さがある。
 法律や制度というものは、それを尊重、厳守することで、議論の切り捨て、法的対象以下・以外の救済の怠り、改定へのかたくなな抵抗、などのマイナスを伴うものであることも念頭においておきたい。
 こうした今の状況は見抜きにくく、この姿勢が慢性化すると、国民は国家の秘密に取り込まれ、国家管理下に置かれることになりかねないのだ。
 このような傾向は、早い段階でチェックし、ブレーキの掛けうる状態にしておくべきで、そのようなことのできるのは選挙での長期的な監視能力を強化する以外にはないだろう。
 たしかに心もとない面はあるのだが、中長期的な権力機能の監視はやはり選挙で示すことこそが第一、と考えざるを得ないのではあるまいか。

●包囲網外交● 安倍首相は精力的に世界各国に足を運ぶ。悪いことではない。ただ、その狙いが中国、朝鮮半島の囲い込みにある点が愚策である。日本の平和外交の路線は、歴代の自民党政権でも、曲がりなりにも定着し、国際的にも次第に理解されてきている。
 首相は、肝心の隣国に行かず、首脳らの対話もごく形式的で、いきおい民間の交流が減り、観光客の足も伸びなくなっている。こうした身近であるべき国・国民との相互理解を阻む旗振り役を務めているかの様相である。
 そこに、誤解が進み、ちょっとした火種が大ごとになりかねない懸念が生まれる。尖閣列島周辺の緊張状態に、抑制の協議が生まれず、軍事力強化による対決型の方策が進められる。
 このような姿勢は、双方に一種の偏狭な愛国心を助長させ、小さな衝突が大きな反目につながる。いわば、こうした不幸な外交のありようは、長い眼で見ていかなければならず、もし日本が現在の分岐的状況を踏み違えれば、大きな誤りを犯すことになりかねない。

●生活不安● 金融、株価、企業収益など不透明な経済動向のなかで、この経済余波を受ける国民の生活はどうか。安倍首相は、都合のいい数字を列挙して、目くらまし戦術を駆使する。
 だが、日常生活の物価は上がり、非正規労働による低収入は結婚、出産など人生設計を阻む。少子化の一方で、高齢化とともに生活の維持に苦しむ層が増え、目減りしかねない年金に頼れず、生活保護に救いを求める傾向が今後さらに進む。貧しさは教育の貧困を招き、教育の格差によって将来の生活を脅かされる層が増える。
 生活の不安に耐えられる層はいい。だが、そうはいかない層は、社会的な脱落や、未成熟な社会感覚から思いがけない犯罪などに走ることにもなるだろう。
 こうした構造的な課題は、よほどの哲学を持ち、邪心のない長期的、多角的な判断のもとに取り組まれなければなるまい。本来、選挙ではこうした長期的、構造的な政党のアピールがあり、それに対する判断が求められるのだが、そうはいかず目先の利害や、人気投票レベルの選択にとどまっている。

●1,000兆円の債務● 国や地方自治体の抱える債務は1,000兆円を超えながらも、この国債などの借金を頼りに景気浮上を狙い、毎年膨らませていく。景気が復調すれば、自然に消えていく、と政府・与党は説明するが、そうした相殺はここまで借金が膨張すると説得力はない。
 財政上の財源確保策、使途のありようを本格的に再検討して、景気上昇の期待感から離れての対応が必要だろう。大手企業優遇の政策によってその経済的恩恵が一般の人たちに及んでくる、という論理はいま、ほとんど成り立っていない。このことも、政治を長期的に考える大きな材料だろう。

●言論統制● 安倍首相の意向を反映して、選挙では改憲問題を争点から外し、論議の対象外にされた。さらに、改憲はもともと党是であり言うまでもない、という姿勢のほか、政府が改憲するのではなく、国会での政党の論議で改憲を図るのだ、といささか詭弁風の扱いとした。そして、一部の小政党からの改憲阻止の発言が出るにとどまった。
 「3分の2」確保の狙いが改憲にある以上、民意を啓発するうえでも、内容に触れ、争点化することが正道であった。したがって、この対応は、一種の「言論封じ」ととらえられてもやむを得ないだろう。
 また、テレビは党首討論をはじめ、選挙報道の時間をかなり削減した。また、芸能人による政治軽視とも思われる無責任発言も視聴された。
 テレビ不認可もありうるとする高石発言に及び腰のテレビ各局が、政権の意向に忠実になり、本来の報道機関の責任を果たさなくなる傾向は、先行きの怖さを覚える。

 政治を長期的に考え、政治のもたらす「将来」を厳しく見つめなければなるまい。
 TPPの行方はアメリカの大統領の姿勢で一波乱ありそうだし、沖縄の基地問題も地元抜きに、政府方針だけでは進められない現実がある。これらも、短視的に目先のみで考え、また他人事として見ていると、いつかおのれの生活に跳ね返ってこないとも限らない。

◆◆ <選挙自体の問題>

 自民党の参院での過半数確保、衆参両院での3分の2議席の掌握・・・この民意は大切である。賛否はともあれ、尊重されなければならない。
 ただし、衆院の政党得票数と議席の配分数の大きな矛盾のうえに、政権の意向が具体化していくことの危険を忘れるわけにはいかない。近年の国会の審議を見ると、戦前の軍幹部ひとりが発言した「問答無用」が、衆参両院に広がった感すらあり、不当な「数」に依存した政治は、民意に反した方向を選びかねず、いつの日か予想もしなかった不穏な事態に遭遇させられる可能性がある。
 その意味で、選挙制度次第では、国の進む道筋を誤らせる危険をはらんでいる。

●1票の格差● 今回の選挙区での格差は「10増10減」の措置によって縮小された。だが、それでも最大3.08倍の格差が出た。不平等な選挙とする弁護士グループはさっそく選挙無効の提訴をした。2010年の最大格差は5.00倍、13年は4.77倍、これよりはかなり下がったが、それでも一人1票の選挙区の一方で、ひとりが3票分の政治参加できる選挙区がある。ここでは触れないが、衆院の小選挙区制は、もっと大きな矛盾を抱えている。

●18歳からの参加● この選挙から参政権が18歳に下げられた。政治に責任を感じるには、良いことだろう。ただ、この新世代の投票率はあまり振るわなかった。ひとつ感じるのは、政治の仕組みなどは学校教育のなかで教えられるが、具体的な政策や身近な政治に対する対応や判断に至る基礎知識にはほとんど触れられることはない。政治的中立が日教組の先生によって歪められるから、具体的な政治イシューに触れさせない、という指導があるようだ。それは、きわめて保守的、現状維持的で、個々人の成長のもとにある民主主義のありように逆らうかの印象さえある。「寄らしむべし、知らしむべからず」である。現場にあるほとんどの教師の姿勢や思考の現実を見誤ってもいる。
 いくつか選択肢のあるテーマについて、賛否両論の論拠や背景をたどり、客観的な説明や知識を提供しつつ、自分の判断としてはなぜ、なにを選ぶか、という訓練をしていくことは不可欠である。政治に近づかせず、投票に興味を、と言っても、政治への本来の関心は生まれないだろう。

●参院の存在意義● 衆院も参院も政党による支配が続く。そこで、「カーボンコピー」「参院は不要」など、二院政のムダ論が横行する。本来、参院は衆院の立場とは異なり、学識等に優れた人物によって、政党的利害のみに走らず、冷静で客観性のある論拠のもとに広く問題を提起し、判断することが理想の姿だった。
 だが、そうはいかず、次第に衆院と同じ姿になっていった。政党支配を変えることはほとんど期待できないが、参院の良識と言われるものを少しでも発揮できる工夫が参院の各政党に求められよう。

◆◆ <問われる野党の責任>

 低調な政治状況、あるいは与党勢力が膨張する一因は、野党に大きな責任がある。
 強大化した与党勢力にブレーキをかけたり、対立軸を示したりするなど、本来野党のなすべき任務が果されないままに、有権者の選択は消極的にでも与党サイドに流れていく。
 最大野党の民進党への支持が低迷するのも、民主党時代の政権崩壊の姿が尾を引いている。下野したあとも、党内の憲法などをめぐる重要問題などの方向性、基本的な重要政策などが一本にまとめきれず、党内分裂の状況を警戒してその論議も乏しく、政党総体としての心もとなさが目につくままだ。
 自公政権を批判し、弱みを突く勉強度や力量にも欠けるままだ。小選挙区制導入時の狙いだった二大政党による政権交代の可能性など、そのイメージさえ湧いてこない。地方組織も脆弱なままで、有権者に魅力や期待が届かない。
 4つの野党が手を組んだとしても、その日暮らしのような野党に、有権者の選択が及ぶわけがない。与党の自民、公明両党の視野狭窄も相当な問題だが、これに対抗できない野党の視野狭窄もいただけない。政治に大きな視野をもって臨む姿勢が求められよう。
 野党は、現実に甘えすがるべきではなく、政治のあるべきロマンを語って政権の樹立をうたい、清潔で、憤るときには怒るエネルギーを発揮する存在であるべきだ。

 次の衆院選まで、あまり時間があるわけではない。
 大きな転換点を迎えて、今後どのように進むのか、政権与党の危うい姿勢とともに、対抗する野党勢力の立ち直りも厳しく問われている。

 (筆者は元朝日新聞政治部長・オルタ編集委員)


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