安倍政権の「Uターン現象」の危うさ

羽原 清雅

 安倍政権は一年を越して、意気軒昂である。
 「歴史」はジグザグと失敗を重ねながらも、前進する。「戦後」もそのようなたどり方をしてきた。しかし、安倍政権の進路は、このあたりでUターンしそうであり、頼りなくもあった「戦後」の折り返し点になりそうな気配を感じる。
 半年前、参院選で「ねじれ国会」を解消した安倍政権について、この『オルタ』(2013年8月)に≪政局を「6年間体制」で考えよう≫とのタイトルで書かせてもらった。筆者自身は、安倍政権が「持続的な強力体制」である、という感じ方は変わっていない。ただ、昨年末の秘密保護法成立、靖国参拝、辺野古への基地移転の強行といった一連の対応をめぐって、政治記者やOBの間に「意外に短命政権になるのでは」といった声も聞こえる。

 はたしてそうか。
 健康問題、スキャンダルなどのハプニングを別とすれば、やはり安倍政権の強さは続くように思える。「6年体制」とは、2015年春の統一地方選での自民党の足場固め成功、2016年夏の参院選を同年12月の衆院議員の任期を半年繰上げて衆参ダブル選挙にしてともに勝利、そして安倍総裁の任期である2018年9月までの保身・・・・この条件が充たされると、今の時点から考えて、あと4年半以上続く可能性がある。こうした前提が崩れれば別だが、今日の「戦後のUターン」状況を考えると、やはり長期政権が進みそうな道を想定し、警戒すべき点は先の長い読みを重ね、早目の新たな対応を考えたほうがいいように思えてならない。

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【安倍政権の強さの土台】
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 これは前回も触れたので、簡潔の整理するにとどめたい。

1>一年交代・民主党政権批判
 ほぼ一年交代で6人の首相が変わり、うんざりしたところに期待の政権交代。ところが、その政権担当能力にはあきれるばかりの低レベル。その反動が安倍政権への大きな期待に。

2>「一強多弱」の与野党
 野党のチェック機能のもろさや、救いがたい野党間の乱れは相変わらず。民主党の海江田体制は、元幹部らが非協力的で、一部は先の見えない野党再編成に動く。野党の再生、政権復帰は当分ないのではないか。与党である公明党へのチェック機能に期待があるが、「下駄の雪」状態が続く。

3>自民党内の批判勢力の不在
 小選挙区制度による政党指導部の発言権強化のもと、異論を立てる派閥や議員が淘汰された形だ。さらに一派をなすだけの後継者の不在もある。その気になりそうな麻生、石破、石原、小池の各氏たちが首相の器に見えるのはいつのことだろうか。

4>「ねじれ国会」の解消
 権力サイドの思い通りの立法、制度改革を可能にした多数支配の衆参国会が生まれた。秘密保護法成立の経緯は忘れがたい。この国会は一票の格差をめぐって「違憲」「違憲状態」にあり、さらに得票数を反映しない議席配分であることを忘れてはなるまい。
 あらためて言うまでもないが、数字を示すと、前回衆院選では自民党の小選挙区の得票数43%で議席占有率79%、参院選挙区の得票数43%で議席64%を占めており、半分以下の有権者の支持ながら国会では決定権を握るのである。しかも、その有権者の民意反映のための選挙区には一人一票に違憲的な格差が生じているのだ。

5>「お仲間」政権の結束
 一期目の安倍政権が「お友達」政権なら、今は思想的に同じグループを起用した「お仲間」政権である。たとえば、菅義偉、世耕弘成、加藤勝信、谷内正太郎ら官邸主導チーム、麻生太郎、甘利明、下村博文、新藤義孝、古屋圭司、稲田朋美ら「右寄り」閣僚の結束は強い。しかも、政党の存在感は薄く、「政高党低」現象が続く。

6>「お仲間有識者」の政策立案
 安倍首相の思いのままに政策や制度改正を可能にする面々を「有識者」として迎え、はじめから結論が透けて見えるかの議論の末に、思い通りの法案の骨格ができ、多数国会を通過させうる状況にある。安倍政権の強みだろう。
 その顔ぶれの一端を見ると、情報保全諮問会議(渡辺恒雄、永野秀雄、住田裕子ら)、NHK経営委員(百田尚樹、長谷川三千子、本田勝彦、中島尚正ら)、日銀総裁(黒田東彦)、内閣法制局長官(小松一郎)、教育再生実行会議(八木秀次、曽野綾子ら)、安保法制懇(柳井俊二座長ら)、安保防衛懇(北岡伸一座長ら)、ほかに岡崎久彦、金美齢らがいる。
 このような装置は、将来に禍根を残すことになるだろう。

7>メディアの二極化
 読・産経VS朝・毎の二極構造が鮮明になり、総批判を回避するとともに、政権は都合のいい一方の見解に乗れる。結果的にメディアの影響は政治に及ばず、世論とは異なる方向に進むこともできる。
 さらに、メディアが客観性を失い、自己主張に溺れること、権力に擦り寄ることが怖い。

8>世代の若返り
 物的に豊かな時代の若者は政治に関心が乏しく、的確に歴史を学ぶ機会も少
なく、その実感がなくかつ保守化の中にあり、声高な靖国や愛国心、対外排
除などの主張がストンと胸に落ちる傾向にある。権力の利用度も高い。

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【不安材料】
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 安倍政権には、経済再生の期待がかかる。バブル崩壊後の1990年代以降、経済全般の低迷から抜け出そうとしながらも、歴代の政権は果たせなかっただけに、なんとかしてほしい、との思いが強い。その点では、各種の手立てには疑問も残るが、安倍政権の主張はわかる。
 ただ、その一方で、危惧すべきことも少なくない。経済政策はもうしばらく見守るとしても、多くの課題があり、賛否の分かれる問題も多く、そうした不安材料が複合化するような場合、有権者はじめ社会の大半がNOを突きつけることもありうるだろう。
 そればかりではなく、長期的に見ていくと、このような不安の連鎖は日本の将来をおおきくUターンさせる要素が多い。しかも、この政権には強行を許す舞台が整っているところに、さらなる不安を突きつける。

1>経済の陰りは?
 この政権によって、経済が上向くことは期待したい。ただ、懸念はなお続く。
 アベノミックス第三の矢である成長戦略は順調に進むだろうか。ボーナスは若干上向いたが、春闘による賃金アップは確保されるだろうか。中小企業にまで及ぶだろうか。若者から希望や意欲を奪うような不安定雇用、例えば非正規社員や派遣労働が長く続けば、生産や消費は低迷するのではないか。
 そんな懸念以上に、消費税8%アップによる経営への打撃は大丈夫なのか。消費者の買い控えや、低所得者の生活圧迫などは、安倍的好景気循環論を狂わさないか。
 安倍政権はいろいろの政治課題を抱えているものの、経済好調への期待によって、眼くらまし状態となって安倍人気を支えてきているが、経済の不調はいっきに政治的諸課題への批判を噴出させかねない。消費増税の反響を見守りたい。

2>外交を見捨てた「靖国」の波紋は?
 首相就任一年を機に昨年末に、念願の靖国参拝を果たした。一期目の首相在任時に参拝しなかったことで「痛恨の極み」と述べた首相だが、なぜ突然の参拝に踏み切ったか。
 ひとつは、首相の政治的基盤である右寄りの「創生日本」「日本会議」などの団体への「約束」履行の意味がある。しかも、ネトウヨによる「安倍の行く行く詐欺」批判も気がかりだっただろう。「ヘイトスピーチ」運動とリンクすることまでは考慮していなかったとは思うが。
 つぎに、「中韓朝などは参拝しようがすまいが、批判する。それなら行けばいい」といった無責任さも感じられる。

 「英霊」賛美の是非はともあれ、A級戦犯と一般兵士を一緒の扱いにしていいのか。外国要人や天皇は靖国には行かない。むしろ、行けないのだろう。東京裁判に言いたいことはあるにせよ、講和条約を受け入れた前提には、戦争責任を負うのはA級戦犯だ、という事実を、日本政府は国際的に認めたことになっている。「村山談話」よりも前に、日本は侵略戦争を仕掛け、多大な被害をもたらしたことを認めている。そうである以上、国際的な認識に逆らう参拝という行為は、非難を誘ってもやむを得ないだろう。

 ひとつ気になることがある。
 安倍首相ばかりでなく、メディアなども「英霊への感謝と慰霊は必要、むしろ当然」といった日本の立場からの見方を語るが、この戦争が他国への「侵略」によるものであり(日本兵士の死は国家のためだったとしても)、戦争相手国の多くの一般民衆を犠牲にしていることを忘れるべきではない。自国の領土での戦乱に巻き込まれ、死に追いやられた国民には祖父母、両親、兄弟姉妹への想いは長い間消えないことを、日本はまず念頭に置かなければなるまい。  
 つまり、人の痛みを感じず、語らず、しかも侵略した側の「英霊」と戦争責任者を一緒に祀り、あの戦争を容認するとも受け取られる言動は、国際的に認められない。

 案の定、中韓朝などの諸国は猛反発だ。アメリカも外交上強い言葉である「失望」と述べた。アメリカは、中国と歴史的な交流のあった日本に対して、米日中の穏やかな関係つくりと緊張をなくす方向を期待していただろう。それが、以前から悪化したままの対中、対韓関係をいっそう不安定にした。「日米同盟」とはいったいなんなのか。
 外交の道は当分のあいだ断たれることになり、相手国の一般の人々に往時の戦争被害と残虐な死を思い起こさせるとともに、忘れかけもした反日感情を呼び覚まされ、拡大することになった。
 この愚かな一国の宰相の言動は、どのような方向で収まるのだろうか。
 「対話のドアはオープンにしている」というが、相手の痛みや怒りに配慮せず、自ら動こうとしない「相手待ち」の外交姿勢で関係が改善、前進するつもりなのだろうか。

3>外交よりも軍事強化路線は?
 年末の安倍政権は、「国家安全保障戦略」を決定し、「国家安全保障会議」を発足させた。また、「防衛計画の大綱」「中期防衛力整備計画」も決めた。
 これらは、安倍首相がライフワークとする「改憲」「国防軍創設」「集団的自衛権確保」などを具体化する方向の一環である。「積極的平和主義」の名のもとに、従来の「節度ある防衛力の整備」から「実効性の高い統合機動防衛力を効果的に整備」と変えた。また、敵のミサイル発射基地をたたく「敵基地攻撃論」は抑制的な表現ながら、弾道ミサイルの対応に関連して「検討の上、必要な素地を講ずる」とした。さらに、5年間の防衛費は24兆6700億円と増え、戦車に代わる機動戦闘車99両、オスプレイ17機、無人戦闘機3機、水陸両用車52両などの配備を進める。
 そして、武器輸出3原則を改めて、アメリカなどと武器開発の技術協力を可能にする方向がとられる。集団的自衛権の解釈変更もまじかに迫っている。これらの裏には、軍需産業を振興させ、景気刺激の材料とする期待もあるのだろう。

 これらの決定は、尖閣、竹島などの領土問題を口実とする軍事強化の路線である。たしかに中国の軍事費の増強は日本との比ではないが、日本が外交努力を見せようとせず、このように軍事強化を進めることは中国、韓国、北朝鮮をさらに刺戟して、外交を閉ざし、軍拡競争に拍車をかけることになりかねない。
 これは、安倍政権のリスキーな一面である。「戦後」を終わらせるとともに、日米同盟ばかりに頼らず自力で強い日本、そして軍事力に裏打ちされた「力」の外交・・・・そこに「戦後」をUターンさせる意図を感じさせるのだが、安倍政権がひとつ間違えると取り返しのつかない道をたどることになりかねないのだ。

4>沖縄の基地拡大の波紋?
 沖縄の仲井真県知事は年末、「基地の県外移転の公約に変更はない」と言いつつ、普天間から辺野古への移設手続きを容認、安倍首相との約束を絶賛した。普天間の5年以内の運用停止、オスプレイ訓練の半分は県外でする、などの条件はほとんどが「検討する」に過ぎなかったのだが。
 そして、年が明けて移転先の名護市長選は、かなりの差をつけて移設反対を鮮明にした市長が再選された。秋の同市議選、年末の知事選で地元沖縄の民意が示されるが、国として住民の思いを無視した処理でいいのか。
 本来、75%に及ぶ沖縄の基地集中という状態がおかしく、鳩山首相にしても国内向けでなく、政府としては外交交渉において堂々とアメリカに対して基地削減を求めるべきであった。

 不平等条約である日米地位協定にしても、政府は対米交渉をしない。明治維新前に各国と結んだ和親条約は、外国の領事裁判権、関税自主権、片務的最恵国待遇といった不平等な内容があり、その解消に大隈重信、陸奥宗光ら歴代外相を中心に40年以上をかけて取り組んだ。日米同盟はもともと軍事的には対等ではないが、この地位協定を許していること自体、異常である。
 本来の姿には容易には戻らないが、現状容認だけでいいのか。このあたりの原則を踏まえた打開の努力がないままだと、安倍政権のみならず、日本の政権は国民の納得を得られないことにもなりかねない。

5>教育改革のリスクは?
 教育の改革は、学力低下など構造的な面から提起されることが多い。
 安倍政権下でいま、教育再生実行会議が打ち出そうとしている根幹には、「愛国心」の徹底がある。愛国心はイメージとして否定はできないし、偏狭に陥らない限りその教育も必要と言えよう。
 しかし、グローバルな思考が求められる時代に、狭いナショナリスティックな愛国心を植えつけることになれば、将来に禍根を残す。仮に「靖国参拝」が愛国心の発露だとしたり、「慰安婦」はなかったとの歴史認識をアピールしたり、「侵略戦争というが、日本としては聖戦だった」との歴史観を植えつける教育が広がると、周辺国家との関係は悪化するばかりだろう。
 歴史を極力客観的に、かつ他国の認識と比較しつつ学ぶなかで、その可否を自ら考えつつ愛国心が身についていくほうがいい。

 だが、教科書の検定基準を見直して、政府見解などをもとに「国家」主体の教育を与えるようになると、たしかに国民を束ねやすくなり、狭いナショナリスティックな忠誠型、規律や統制順応型、非・批判反発抵抗型の人間像が多く生まれてこよう。とすれば、戦前回帰になる。
 戦後の民主主義、個人尊重主義には不十分で未成熟な点も多い。利己的に走り、対人配慮が劣り、社会性を欠くケースも目につく。そんな欠陥は戦後の教育にある、として、かつての国家型道徳によって国民を同一方向に束ねたくなるのが権力者の発想だろうが、それでいいのか。
 また、教育委員会制度を改めて、自治体の首長に教育大綱の作成などの権限を集中することも問題で、もし偏向ないし民意と離れた極端な首長が出て4年間を仕切り、ついで人が変わると方針も変わる、といったことでいいのだろうか。
 こうした傾向は、安倍政権の不安な部分であり、戦後の積み上げを切り崩すことにもなりかねない一面である。教育のあり方はきわめて怖いものがある。

6>リスキーな発言がブレーキに?
 「お仲間」政権は、確信的な思考を持つ人物が多く、このかたまりでもある。ただ、その内容が外交的に、あるいは一般的に通用しがたいことが連発される場合、国会審議や人事に影響を与え、政権への不信を高めることにもなりかねない。さっそく、安倍首相は海外での発言で物議をかもした。また、中立の立場が求められる籾井勝人NHK会長が就任の記者会見で、韓国を刺戟し、権力寄りの発言をして、安倍首相をテコ入れした。今後も、そうした発言が飛び出す可能性
があり、そうなればさらに外交などに影響を及ぼすことも予想される。

 安倍首相はダボス会議の際、主要メディア幹部の記者会見(1月22日)で、今年が第1次世界大戦100年の年にあたるとして「英独とも経済的依存度が高く、最大の貿易相手国だったが、戦争が起こった」と述べた。これは、欧米などが注視している今日の日中間に横たわる武力衝突の可能性についての質問に答えたものだ。微妙な発言であり、通訳に問題もあり、また首相の言いたかったのは「だから、その衝突を避けることが必要」という点だったのだろう。
 しかし、言回しがきわどすぎる。「衝突ありうべし」とも取れるし、中国からすれば「武力的衝突を想定しているのか」と受け取る可能性もある。それは安倍政権の軍事強化策や靖国参拝などの文脈からすれば、衝突回避よりは衝突覚悟、とも受け止められかねない。まさに、言わずもがな、のセリフだった。緊張緩和のイメージがあれば、どうということがなくても、今の非対話・無外交の状態ではいっそう不安を高めるのだ。

 ついで、NHK新会長が、「従軍慰安婦は戦争をしているどこの国にもあった」「韓国は、日本だけが強制連行したみたいなことを言っているから、話がややこしい。お金をよこせ、補償しろと言っている。しかし、すべて日韓条約で解決している」「政府が右と言っているものを、われわれが左と言うわけにいかない」などと語った(1月25日)。
 この発言は、政治的公平性を決めた放送法に抵触、さらに緊張の続く韓国を刺戟して外交関係はさらに悪化させる。慰安婦が外国にもあったとか、また前提として今のモラルでは悪いこととか言っても、このような被害者を抱える相手国からすれば、怒りを覚えるのは当たり前だ。

 安倍首相の靖国参拝にしても、NHK会長の発言にしても、相手の受けた「痛み」についての配慮がない。植民地化、侵略的戦争の仕掛けなど、戦後の長い交渉の結果、なんとかしのげた歴史を逆回転で呼び覚ましていいのか。中韓両国が日本への怨念を教科書において、子々孫々にまで伝えることになるとすれば、近隣諸国との外交は悪化するばかりだろう。
 日本でも、一部の新聞や雑誌、週刊誌、あるいはヘイトスピーチ運動などが日本の立場のみを強調し、攻撃を受けた相手国の立場や歴史を無視するかの内容がまかり通っているが、このような要人の言動がさらに加速させるのは怖しいことである。ここにも、安倍政権の不安がある。
 もう一点、安倍首相は衆院予算委員会(2月12日)で、集団的自衛権行使の解釈変更について「政府の最高責任者は私である。政府の答弁について私が責任を持ち、そのうえで選挙で審判を受ける」と述べた。この発言はあまりメディアは重視されなかった。しかし、そうなると、まず解釈変更で集団的自衛権を行使できるようにしてから選挙の洗礼を受ければ良い、ということになり、その場合選挙で負けたらもとに戻せるのか、あるいは政府の最高責任者がおのれの解釈で
ことを運べば、国民は選挙以外には手を出せなくなり、しかも違憲状態でもある選挙によって認めさせることにでもなれば「独裁」にもなりかねない、ということになろう。ひどい発言である。

7>その他の課題と不安は?
 得票数と議席の占有率のアンバランスや一区一人選出の課題など小選挙区制度の再検討、それに一票の格差により有権者の権利の不平等などをもたらす衆参選挙区の修正はきわめて喫緊の課題である。安倍政権の責任ではないが、これはやはり自民党総裁として、また現首相としての大きな任務である。政治の根幹に関わる問題で、国会の土台に疑問が持たれていては国民の信頼など得られるはずもない。

 原発についても、東京都知事選で問われたとおり、フクシマの救済はこれでいいのか、再稼動でいいか、輸出までしていいのか、メドの立たない廃炉を含めて核汚染廃棄物処理はどうするのか、など対応を急がなければならない。自民党の押した舛添氏は脱原発の宇都宮、細川氏を凌駕したとはいえ、地震と津波の島国に向かないことを承知で放置すれば、公約の責任を問われよう。

 1000兆円を超す財政赤字は景気が回復すれば、解消に向かうとして、相変わらずの国債発行依存の予算を編成する。これでいいのか。これだけの赤字財政は容易に軽減できない。いささか安易な取り組みも懸念される。
 また、若者たちの将来を考えると、非正規雇用の仕組みをなんとか変えなければなるまい。正規と非正規の雇用ではボーナスの有無、身分や将来の安定度、結婚の可能性など、大きな開きがあり、夢も持ち得ないのが現実である。
 社会福祉、TPPなどの扱いも容易ではない。
 このような課題は、安倍政権だけの問題ではないが、当事者としての責任を問われることにはなろう。

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【政治姿勢への疑問】
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 これまで安倍政権の安定の背景と、その陥穽について触れてきた。
 そこで、そうした安倍首相の取り組みの特徴と、その疑問点に触れて締めくくりとしたい。

 ひとつは、安倍首相が頻繁に言う「経済第一」は納得するとしても、景気回復への強い願望の視点からのみ「政治人気」を呼び込んでいることへの疑問である。いわば「経済期待」を目くらましとして支持率を上げ、ほかの政策が進められている感がある。これは首相だけの問題ではなく、有権者の方向でもあるから、ひとまず受け入れざるを得まい。
 また、一年程度で挫折した1期目の首相と比べると、落ち着き、自信、目配りが見えて、信頼したくなるような雰囲気も醸しだされている。
 ただ、その「ことば」の使い方には問題がある。つまり、将来への「可能性」という言い方が多く、これが現実、ないし、そのようになる、と思われるような印象を与えている。また、沖縄問題のように、具体的な課題に対して、「検討する」といった言い方が「やります」といった受け取られ方をしている。これも、首相のうまさであり、受け止める側の未熟さの方に問題があるのだが、このような実態から離れたようなムードで方向付けされていくことには警戒が必要である。

 もうひとつは、価値観が多様に存在し、物事を決める判断や利害関係が複雑化し、さらに国際的な影響も絡み合う、このような社会にあって、安倍首相の言動は単純に過ぎないか。
 イエスかノーか、右か左か、多数か少数か、といった二者択一的な問題提起が多く、ことに当たって調整や修正などを考える余地がきわめて狭くなっているように感じる。たしかに、断定的に課題を設定して、その方向に引っ張ると、強いリーダーシップやガバナンスが人びとをひきつける評価もある。頼りない未熟な一年政権が続いたので、強力にして自信ある姿勢、AかBか、と単純な設定で国民に問いかける手法はたしかに受け入れられやすい。
 しかし、いかにも客観性を帯びているように各種の打開策など提起するのだが、じつは身内の「お仲間」の有識者が案を作り上げ、それを政府案のように国会などに諮るといった手口が目立つ点に危険を感じるのだ。

 本来は、もっと議論をオープンに見せ、論議を多様に広げ、そのうえで原案を絞りつつ、決定の段階に進めるべきところ、それらのプロセスにごまかしと「数」による強引さが感じられる。
 多数決とか民意の応酬・糾合とか、いわゆる民主主義の形式は踏んでいても、実質を伴うプロセスが欠如しているなら、非民主といわざるを得ない。
 安倍自民党の<是か非か>を問うだけの手口は、秘密保護法の処理、あるいは非正規雇用の拡大、法人税の軽減措置などに端的に示されているし、進行中の集団的自衛権や教育改革などでも「危険」はすでに察知されている。
「数」は力ではあろうが、プロセスを大事にしないと、一面では「おごり」の証明にもなってしまう。

 安倍首相の「期待」「可能性」「検討」といった言葉や、久々に自信を見せる首相の言動に、惑わされかねない<強さ>があるのは事実だ。しかし、二者択一的な<力強さ>を振りまかれ、気付いた時には身動きが取れなくなっていることも想定されよう。
 そこに、長期化の可能性を秘めた安倍政権のすごさと恐さがうかがわれる。

 安倍首相の真の狙いは年来の「憲法改正」にある。まずは96条から手をつける。手始めにあれこれと外堀を埋めようとしている。
 だが、長期政権の可能性と、違憲状態にあるとはいえ衆参議席の「数」を握る権力は、教育制度や教科書、指導内容を国家的、権力的統治下に置き、言論束縛の可能性を広げ、外交力を駆使するよりも集団的自衛権掌握や軍事的予算拡充など軍事力への依存度を高め、中韓の反発をもテコにして「靖国」的な歴史認識を呼び戻すなど、改憲に至る以前に、相当の環境整備に成功していくのではないか。

 そう簡単にはいくまい、との見方を持たないわけではないが、あえて極端な警戒心を書いた。経済ばかりが生活ではなく、精神の自由も制約されてはならないとの思いからである。
 ぜひ、反論を待ちたい。

 (筆者は元朝日新聞政治部長)


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