【コラム】落穂拾記(44)

「悪筆」作家譚

羽原 清雅


 「悪筆」と言われて久しい。新聞記者は「勧進帳」の原稿の読み込みもあるが、時間に追われて書くことに慣れざるをえないので、いつの間にか悪筆が身についてしまう。「名前の3文字目はどんな文字か」などというデスクからの問い合わせは少なくなかった。かつてはA4判半分のざら紙に、新聞の一行分15字ずつを2Bか、ダーマトグラフの黒の鉛筆で書き、一枚ずつ電送したので、「悪字」は嫌われたものだった。
 「君のハガキは名前がなくても、わかるからいいよ」といわれたこともあるが、うれしいわけではない。
 もちろん、新聞記者にも文字の達者な人はいる。きちんと整列し、一字一字がきれいで、まことにわかりやすい。ただし、「文字がうまいのでミスに気付かず、つい出稿したよ」というデスクもいた。
 近年、書痙のような症状が出て書く文字が乱れ、いっそう読みにくくなり、自分で書いたメモまで読めないことさえある。「悪筆」ここに極まれり、である。ただ、パソコンの機能の整った今では、私信までパソコンに依存するのだが、それでも大助かりである。

 ところで、悪筆について書く気になったのは、紀伊国屋書店を創業した粋人・田辺茂一の生誕110年を記念する「作家50人の直筆原稿−雑誌『風景』より」という企画展をのぞいたことからだった。新宿歴史博物館(新宿区三栄町)で、7月5日まで開催されているので、おすすめである。

 この月刊の文芸・文壇誌は、田辺が書店のサービス用にと思いつき、舟橋聖一を会長とする「キアラの会」が編集。当初の顔ぶれは三島由紀夫、吉行淳之介ら、その後井上靖、林芙美子、有馬頼義らも加わった。林は雑誌刊行の頃には亡くなっており、原稿の展示はない。
 昭和35(1960)年10月に創刊され、舟橋の没する同51(1976)年4月まで、足かけ17年、通巻187号まで続き、その間に掲載された50人の生原稿が展示されている。
 表紙絵と挿絵は風間完がずっと続けた。会場の作家たちの似顔絵は、この博物館の職員ふたりの作だが、似顔絵としてはちょっと面白味に欠けるが、特徴は良くとらえている。

 「悪筆は悪文にあらず」という当然の前提で、「悪筆」ぶりを見てきた。
 最高位はなんと言っても、黒岩重吾。斜めにマス目を埋めた文字は読みづらく、編集者による赤インクでのリライト文字が半分にも及ぶ。活字を一字ずつ拾う植字作業を助けるための赤インクだ。編集者のこぼす声が聞こえるようだ。
 「悪筆」の一種だろうが、書き殴り派筆頭は、石原慎太郎と田村泰次郎。下手、というよりは多産型の作家として書き慣れたというか、筆致を早める習性の所産だろう。
 マス目の修正、手直しの多いのは井伏鱒二、吉行淳之介、子母澤寛。二度、三度読み返すたびに、気に入らないところにペンが入るのだろう。川端康成の原稿も整っているが、よく手が入っている。もちろん、原稿の内容にもよるのだろうが。
 書き慣れて文字が踊り、乱れを見せるのが、瀬戸内晴美、舟橋聖一、村上元三。一字一字は読みやすいし、活字化するのだからマアマア、といった感じ。松本清張もこの組だろうか。

 マス目を守り、一字一字がしっかりと整然と並ぶのは三島由紀夫を偲ぶ記を書く井上靖。ほかの原稿も整然としており、新聞記者としては珍しいほど。有馬頼義、星新一、江藤淳、立原正秋たちも整っている。五木寛之、司馬遼太郎、遠藤周作も直しは少ない。「文字はひとを表わす」というが、ひと自体を知らないので、なんとも言えないが、さまざまな作風からすると、一概に人柄まで示しているとまでは言えないのではあるまいか。

 詩人の原稿の文字は、概してきれいにしっかりマス目に並んでいる。茨木のり子、谷川俊太郎、堀田善衛、草野心平、大岡信たちだ。字数が少ないし、短い言葉で表現するためじっくりとマス目を埋まるからだ、とも考えられるが、作家の人となりにもよるのだろう。
 女性作家のコーナーもあり、宇野千代のところに北原武夫の原稿が置かれているのもご愛嬌。
 きれいにマス目を埋めるのが壺井栄。瀬戸内晴美の対極風。吉屋信子、佐多稲子、幸田文、山崎豊子、森茉莉、田辺聖子たち、いずれも丹念に一字ずつを記している感じで、女性らしい細やかさも見える印象だ。まあ、個性の波はあるので、各人をまとめてしまうとほめすぎか。

 田辺が『風景』に寄せられた直筆原稿など2000点余を新宿区に寄贈したことで、この展示が持たれたものだが、これらを別の角度から分析してみると、文学的にも、作家分析としても、おもしろそうだ。
 今の作家たちの大半は、パソコン入力によるのだろう。1960年生まれの宮部みゆき、1963年生まれの京極夏彦をはじめ、刊行される本が次第に部厚になっていくのも、パソコン活用の影響ではあるまいか。冗漫なところも出てきてちょっと読みづらいのだが、これは作家の好みでもあるので、やむを得ないのかもしれない。

 それにしても、パソコン作家の台頭によって、このような直筆原稿を見ることはできなくなる。この種の企画展は、これが最後になるのかもしれない。

 (筆者は元朝日新聞政治部長)


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