【オルタの視点】

安倍長期政権を生んだ背景
―― 選挙制度と「民意」扱いのおかしさ ――

羽原 清雅


 安倍晋三首相の自民党が2017年10月の衆院選挙で圧勝、2020年の東京五輪を超えて、2021年秋までの長期政権を担えることになった。正当な選挙結果であり、尊重しなければならない。
 前号の「オルタ」で、選挙制度や政策の課題を指摘したが、結局は変化のない結果をもたらした。そして、約20年間8回の衆院選挙に見られた諸問題をあらためて披瀝し、選挙制度見直しの契機とはならず、むしろ安倍政権長期化の可能性を生み出した。

 制度が問題ではない。前号で指摘した内政、外交などの政策面のみならず、政権のありようでも、本来「民意」を象徴すべき国会を軽視し、その運用自体に問題を残している。野党の臨時国会開催要求を黙殺、自己目的的なご都合解散を強行した。野党のおかしな分裂騒ぎに漁夫の利を得たような勝利でもあるが、権力本体の姿勢を見落としてはなるまい。

 さらに、政権党ばかりの責任ではない。野党のだらしのなさが、政権担当の期待はおろか、政権チェックの機能すらも失った状況を作り、本来は野党が叫ぶべき「二大政党時代」「政権選択」のアピールを権力側に逆手に取られ、宣伝効果を生み出すまでになっている。
 「反省」「丁寧」「おわび」「謙虚」などと言葉を並べる安倍首相だが、その実質的な中身を伴わないことはすでに有権者に悟られている。底が割れているのだ。

 それでも、議席の3分の2を占めた政権は強い。権力者としての自覚や、権力というものの限界意識が乏しい強さだからこそ、懸念が絶えない。
 とくに、これから日本の将来の姿勢に関わる憲法の改定が論議の的になろうとするとき、その論点と取り上げ方、ことの運び方は極めて重要で、下手をすれば将来に禍根を残しかねない。
 それにしても、大きな岐路に立つ日本の先行きは、どのような方向に進むのか。不安は消えない。

◆◆ 1.選挙制度の分析 ―「小選挙区制度」の招く非民主的構造

◆ 1> 政党の得票率と議席配分の非民主制

 今回の衆院選挙について、下記の別表をもとに、論点を整理していきたい。
 小選挙区制の問題は、政党の得票率と、その政党への議席配分にかなりの差があって、総体としての投票結果である「民意」が国会に反映できない点にある。選挙で示された民意が議席数に反映しないことで、現在の安倍「一強」体制が出来上がり、国会が議論の場ではなく、議員の「数」による勝負の場になる。「数は力」がものをいう世界になっている。
 安倍首相は5月に、改憲のスケジュールを示したが、選挙中に憲法問題にはほとんど言及しなかったのも、国会の発議は3分の2の議席数で押しきれるので、国民投票さえ乗り越えれば、あとは念願の改憲が果たせる、との計算あってのことだろう。その国民投票も、テーマを「自衛隊容認」「教育無償化」「緊急事態の対応」など、比較的納得を得やすい枠にとどめて提起することで、とにかく改憲の実績を挙げようとしている。

 具体的に見ると、今回の選挙では、自民党は48%の得票率で75%の議席を手にしている。まさに、半分に達しない得票(民意)で4分の3の国会支配の権限を握るのである。たしかに、政権担当の力量を示すことのない野党のだらしなさに問題があるわけだが、過去8回の衆院選挙の結果から見ると、民主党が政権を握った際に自民党と入れ代わる事態は経験したものの、その後は安倍首相らの思うがままの政治運営が許容されてきた。政治権力の失敗が、さらなる「一強体制」という不幸を国民にもたらしている。
 国会の議席数で政治の方向、政策が決められることが民主主義の原則とはいえ、その前提である議席の配分が「民意」を反映せず、またそれを黙認・許容したままに、一強権力に動かされていく体制はおかしくないだろうか。

 選挙制度にパーフェクトはない。しかし、8回の選挙によって、政治のひずみ、ゆがみはかなりはっきり見えてきている。衆院の解散、国会開催要求の無視、安保法制の拡大化、共謀罪導入、特別秘密保護法制の決定など、憲法との関わりが十分に論議されず、立憲主義の理念が顧みられない政治や国会の運営ぶりは、明らかに将来社会に影を落とすことになるだろう。
 選挙制度は政党の利害も絡み、容易に改定されるものではない。しかし、比例代表制の政党への議席数の配分を見ればわかる通り、比例配分の方は概して「民意」をよく反映している。これが、政治の王道というものだろう。
 だが、大きな政党はこの制度の矛盾に声をあげていない。各メディアも、選挙制度自体の構造的矛盾を追及する気配もない。難しい問題なので、簡単に改革の方向が出るなどとは思わない。しかし、制度の適否、問題点を取り上げず、論議の対象とすることもなく、放置したままに政治の流れを受け入れていいのか。メディアにその責任はないのか、そのことを問いたい。

 ちなみに、1996年にこの制度による選挙が行われて20年余。過去の結果を見ておきたい。
 2014年衆院選挙の小選挙区で、自民党は得票率48%で議席の76%、2012年は同43%で79%の議席を獲得。2009年は逆に民主党が勝って、得票率47%で議席の74%を占めた。2005年の小泉選挙では、48%で73%の議席を確保した。いわば、恒常的な「民意」軽視、ないし黙殺の仕組みになっている。
 2大政党拮抗の状況ができ、また両政党の間での政策の違いが明確となり、有権者にとって選択しやすくなったとしても、価値観の多様化した今、この2者択一だけにとどまらない多様な政策や政治志向などを求める声が強まっている。こうした第3、第4の選択肢がある時代には、せめて2大政党が権力の座に就いた時に、少数意見に配慮し、その主張を参考材料とする慣例を作ることが望ましいが、そうした配慮はまず期待できない。

           小選挙区                    比例代表

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 政党   議席数 政党得票率% 議席占有率%      議席数 政党得票率% 議席占有率%
                <予測配分議席数>              <予測配分議席数>

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 自民    218    48.2    75.4 <139>        66    33.3    37.5 <66>
 立憲    18    8.8    6.2 < 18>        37    19.9    21.0 <37>
 希望    18    20.6    6.2 < 60>        32    17.4    18.1 <32>
 公明     8    1.5    2.7 < 4>        21    12.5    11.9 <21>
 共産     1    9.0    0.3 < 26>        11    7.9    6.2 <11>
 維新     3    3.2    1.0 < 9>         8    6.1    4.5 < 8>
 (無所属   22    7.6    7.6 <22>)

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◆ 2> 「民意」を反映しない大量の死票

 投票しても政治に投映することのない1票。これは、いくつかの選択肢からひとつを選ぶ、という選挙システムではやむを得ないことだ。ただ、その採用されない票が多くなると、「民意」が政治に反映しないことになる。この状況はどのようになっているか。

 東京全25選挙区で見ていこう。
 東京は、小選挙区当選25議席、比例代表で救済された12議席と、比例だけで単独当選した5議席の計42の議席を持っている。小選挙区のみで当選者を出した13選挙区では、当選1人なので当然死票は大きく、その平均は、投票者の半数を超える52.28%。また、60%以上の死票を出したのが2つの区、50~59%が6区、だった。また、小選挙区で敗退し比例の方で救済当選を出した12選挙区の死票の平均は20.08%。最大は24.50%、最小で2.68%、20%以上の選挙区とそれ以下が、ともに6区ずつだった。

 このように、比例代表での死票は概して少ないが、小選挙区の方は「民意」が反映しにくく、折角の投票の半数以上が政治に生かされない、という問題を抱える。各党候補者が多く、競合の激しい東京でこのような結果なので、候補者が少なく、激戦になりにくい地方などでは、死票はさらに大きいのではないか。選挙は、単に国会に議員を送り出せばいいのではない。おのれが投じた選挙公約への票が、議員を通じてどれだけ実行に移されるか、あるいは阻止にどう役立つか、という点である。

 今回の小選挙区で、希望の党の死票は85%、立憲民主党は同じく61%だったと言われているが、やはり第一党へのプラスが過剰に大きく、第2、第3の政党には生かされない選挙制度であることがわかる。

◆ 3> 1票の格差の是正はなるか

 今回選挙での1票の格差は、最大で1.98倍だった。議員定数を0増6減と減らし、選挙区割りを19都道府県・97選挙区で変更し、同じ市区でも3分されるような選挙区が生まれるなど、地域の有権者からすると、あまり歓迎できない地域もあった。最高裁は、参院で最大格差は3倍まで、という線で結論を出したが、今後、衆院は2倍前後の格差を許容することになるのか。
 ただ、1人の有権者の政治参加の権利が、選挙区によって2倍、3倍と異なる仕組みは、「民意」のあり方としては、やはり好ましくない。対等平等であるべき、それぞれの民意に多少の格差が生じることはありうるが、これほど大きな格差を制度として放置することは許されない。「制度ありき」ではなく、「民意の対等の表明ありき」の原則が守られなければならない。民主主義下の裁判が、国家のため、制度保護のため、という姿勢ではやはりおかしい。

 そうした立場から、今回の選挙直後に289小選挙区で、弁護士たちが各地裁に選挙無効を提訴している。概して現実に対して許容度の高い判事らが、2倍という格差を容認するのかどうか、注目されよう。
 これも選挙制度の改定とともに、配慮すべき大きな問題だろう。

◆ 4> 重複立候補容認の矛盾

 小選挙区で落選して、比例代表に登録して惜敗率が高い場合は当選する。つまり、落選者がもう一方の制度で救済当選する、という仕組みはわかりやすいものではない。定数の6割強(289議席)が小選挙区で、4割弱(176議席)が比例代表の選出で、両方に立候補できることからこの矛盾が生まれる。
 有権者にはそれぞれの仕組みに対して2票の行使が可能なので、一見矛盾はないようだが、同じ選挙で落選者が当選してくることのわかりにくさはある。一定の公約を掲げて否認された候補者が、別の制度で容認されることには、疑問が残るだろう。

 ただ、小選挙区で第1党が圧倒的な議席を確保するので、敗退した第2党以下がこの制度で救われる、というメリットはある。小選挙区に少数の候補者しか擁立できない公明、共産、維新などの政党にとっては、命綱の制度だということもあろう。

 小選挙区6に対して比例代表4、という定数の比率も問題だ。小選挙区では50%以下の得票の政党が75%もの議席の配分を受ける。一方、比例代表はドント式という計算式で、ほぼ得票率通りの議席を手にする。現行制度にしがみつくとしても、せめてこの二つの仕組みを5対5、あるいは小選挙区部分を4なり3なりに縮小して各政党の得票に応じた議席配分にすべきだろう。
 2大政党の交代を可能に、という理念がほぼ完全に無視されている現在の状況を改革して、やはり「民意」の妥当な議席配分による政治のあり方に向かうべきではないか。

 今後に選挙制度の論議があるとすれば、①全選挙区の比例制導入、②比例制への議席配分を極力大きくした制度の改定、③全選挙区定数3の中選挙区制導入、などの案も考えられるが、パーフェクトの制度などはない。しかし、論議の乏しさ、改定の難しさ、政党の利害、候補者の目前の選挙戦対応、などを理由に、このまま放置し続ければ、政治に規定される社会状況はどんどん歪んでくるだろう。

◆ 5> 低下する投票率の改革

 今回衆院選挙の全国の投票率は、53.68%という戦後2番目の低さだった。ふたりに1人は投票しない、つまり政治に参加しない、政治のありようにものを言わず、ただ決められた方向に引き摺られていく、という結果になっている。
 最低は兵庫8区の42.09%、最高は山形3区の66.75%。最高と言っても、決して高いとはいえまい。45%以下が11選挙区、60%以上が35区である。
 客観的には、天候不順、投票所の遠さ、体調不良、面倒臭さ、などがある。他方、政治への無関心、政治への期待感の希薄化や反発、などがあるだろう。
 物理的には今回、期日前投票が5人に1人までに増えたことなどからすると、なお、選挙運営上の工夫や努力の余地があるだろう。

 投票は各人の権利であり義務でもあるから、やはり大きな課題としては、義務教育段階での政治意識の啓発不足があるだろう。学校教育はなにかと批判にさらされることから、政治がらみの授業に足踏みして、制度や仕組みには触れても、判断に及ぶような事柄、身近な政治動向などについては避けて通る。そこに、身近な生活などに及んでくる政治に近づかないような体質を植え付ける結果を生み出す。クールに政治を見、判断する訓練はできないことではないし、教育者は行政とその権力を恐れる前に、授業での政治の冷静な取り上げ方を検討すべきだろう。海外の政治に関する教育のありようの研究も必要だ。政治行為に踏み込んだ、かつての日教組の時代はすでに終わっている。

 また、期日前投票の拡大も課題だろう。選挙の管理業務はなかなか大変だが、投票所設置場所等の拡大、可動式つまり巡回自動車による投票方式、投票時間の拡張、投票アピールの工夫なども考えてほしい。

 この問題は、安倍首相が憲法改定を狙い、国会の発議後に国民投票にかける段取りにも関係する。
 というのは、国民投票での投票が、有権者の半分程度にとどまった場合、それだけの意思表示で、憲法による、将来長きにわたる日本のありようを決めていいのか、という基本的な前提に関わるからだ。国民投票法には、最低の有効投票率が決められていない、という欠陥がある。
 また、この法律には、選挙法のような運動の規制はなく、改憲に向けて、あるいは護憲に向けてのアピール行動は、いわば際限なく実施できることになる。テレビや活字メディア、街頭宣伝、文書配布や戸別訪問、署名活動など、資金次第で運動ができる。「改憲はカネで買える」といった事態を回避する術はないものか。この不安はまだ現実のものとしては取り上げられていないが、今から懸念される問題ではある。

 先ごろのスペイン・カタルーニャ州独立に絡む国民投票の報道を見て、半数に近いと言われる独立反対派はほとんど投票に参加しないままに、独立の方向が決められた。国民投票の一方的な推進は、この地域のみならず、スペインという国全体にマイナスを及ぼす。詳しい背景はわからないのだが、日本に引き比べて、この報道を見ていた。

◆ 6> 選挙結果の報道に対する疑問

 選挙を終えると、活字メディアは普通、選挙結果を分析し、問題点や傾向、今後への影響などを取り上げる。ところが、今回もまた、小選挙制度のありよう、つまり政党の得票率と議席配分が極めてアンバランスで、もたらされる「一強」政治の元凶の一つがこの制度自体にあることの指摘が、ほとんど見られないのだ。この2、3回の選挙では、そうした報道が消えた。

 制度自体に問題はない、との判断か。だが、「一強」政治の非は、特別秘密保護法、安保法制、共謀罪法など政治的対立のたびに指摘されていた。「一強」と選挙制度は無関係なのか。そうではあるまい。
 だが、新聞の社説は「なぜ、衆院選で自民党は多数を得たのか。死票の多い小選挙区制の特性もあるが、それだけではあるまい。」として、その最大の理由を、小池、前原両代表の「権力ゲーム」、「政略優先の姿勢」だと指摘する(朝日・10月23日付)。言うのなら、死票の問題以上に、小選挙区の議席配分と「民意」との矛盾についてだろう。また、野党のいい加減さという「当面の現象」に転嫁せずに、長年に及ぶ選挙制度のひずみという「政治構造」に言及すべきだろう。

 また、毎日新聞の座談会(24日付)で、宇野重規東大教授は「安倍内閣不支持の数字が選挙結果に表われないのは、小選挙区制のためだ」と言いつつ、「現在の制度は、今なお維持続行すべき『実験』だと思っている」「現行制度は野党が不安定化し分裂しがちである。選挙制度を見直すにしても、93年以来の改革を否定するより、改革が目指していたものを実現するには何が必要か、という議論を進めるべきだ」「一つの選挙制度が一国の政治社会に根付き政治文化を形成するには、1世代にあたる30年くらいかかると思う。まだ途上だと考えている」と主張する。

 また、遠藤乾北大教授は「小選挙区の弊害に目を向け、中選挙区に戻したり、比例を増やして参入の敷居を下げたりすると、極右政党も国政に登場しやすくなる。一長一短がある。1人区を前提にした選挙制度は、極端な政党の参入可能性を抑えられる。現在の制度は理想的ではなく、欠点だらけだが、制度をいじれば日本のデモクラシーが良くなる、というのも幻想だ」と述べている。ともに50歳前後である。

 選挙制度の定着に時間が必要、極右政党排除、といった理由はわかる。仮に改革しても理想的なデモクラシーに近づけない、といった点もわかる。だが、『実験』『欠陥だらけ』でいいのか。
 8回の経験で、野党の未成熟、与党のおごり高ぶりを見てきた。そして、各種の法制度の改革など、日本がリスキーな道を歩み続けており、論議不十分なままに将来の道筋を決める改憲が進められようとしている。『実験』を続け、『欠陥』を承知で継続した結果、『数』の力で憲法が改定され、さまざまな社会的なデメリットがもたらされても、現行の選挙制度を続けるだけの意味があるのだろうか。学問としての政治的展望もまた、現実を踏まえたいところだ。研究対象としては面白い現象が続いてはいると思うのだが。

 この制度導入に関わった河野洋平、細川護熙ばかりでなく、森喜朗、故加藤紘一、野中広務といった自民党などの幹部級の面々が、この小選挙区制度を次第に批判してきている現実をどう考えるか。選挙現場を知り、国会運営のリーダーたちの批判を検証し、問題点をチェックしようとしないメディアのありようも理解できない。

 選挙制度は簡単に脱皮できるものではなく、また理想的な社会を容易に構築できるものでもない。過去の各回の選挙制度審議会、政党の論議などを長らく見てきて、そんな幻想は毛頭もない。
 ただ、継続的な矛盾を目のあたりにして、日本の進路を歪めかねない状況を生む制度を、なぜ消極的維持論のままに黙視してしまうのか。

 メディアは、後世に責任を負う。朝日新聞は戦時下で、軍用機献納や戦争謳歌の記事を載せ、国家のために命を落とすことを礼賛し、国際情勢を見ない日本ファーストの立場で他国侵略の旗を担いできた。
 その反省が、戦後の多くの記者には残っていた。同じように今、この選挙制度のもとで、不十分な憲法論議のまま、多数支配の論理が通れば、そして的確な問題提起のないままに現状容認の方向をたどれば、将来の社会の様相が歪むことはある程度予想がつく。

 今日の政治状況が「歴史」として見直されるとき、どのように反省することになるのだろうか。おそらく、今後も国政の方向を左右していくであろう、この選挙制度の問題に触れないわけにはいくまい。「野党のせい」だけの論法では、今日の政治状況は説明できまい。たとえば20年後、30年後に、21世紀初期の「いま」の政治を「歴史」として見るとき、努力のないままに「数」の支配を認めているその結果として、大きなゆがみを生じていたとしたら、責任を問われるメディア人は、どう答えるのだろうか。

◆◆ 2.安倍政治の強さと野党の分断状況―続く「一強多弱」

◆ 1> 安倍政治の強さとリスク

 安倍首相の人気は、自民党の得票数ほどには人気がない。
 選挙中の毎日新聞の世論調査では、安倍続投を「よいと思わない」47%、「よいと思う」37%だった。
 選挙後の朝日新聞の調査では、「続投してほしい」34%、「そうは思わない」51%と、振るわない。また、自民一強状況についても「よい」15%、「よくない」73%だった。
 だが、自民党の得票数は48%と高く、議席ははるかに多く配分される。

 野党分裂による「漁夫の利」による、との多くの指摘があったが、安倍政治と自民党の側からの分析は不十分な印象があった。筆者も、適確な指摘は思い当たらない。ナンデダロ、にとどまる。

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 あえて言うと第1に、やはり経済政策さ。プラスとは言えないまでもアベノミクスにまだ期待を持ちたい。法人税を下げ、最賃制を引き上げても、給与は上がらないなかで、金融利得者のメリットは癪だけど。一般庶民のわれわれには身近なプラスが見込めないが、いずれきっと…。
 中小企業者も、高齢者もブツブツ言っても、やはり当面の生活の安定が第一。ゴチャゴチャの野党に経済関係は期待できない以上、安倍自民に期待するしかあるまいよ。とにかく、安定が第一だ。
 第2に、安倍長期政権の安定感には信頼があるね。政策の内容はよくわからないながら、まずは平穏な暮らしが維持できるのは実績があるからだろうな。
 第3に、北朝鮮の横暴に、また非協力的で対日攻勢をかけがちな中国に、強い毅然とした姿勢で対決する安倍首相は頼もしいね。要は目先のことが大切、長い眼で見た中国や朝鮮半島の動向はまだ先のことさ。北朝鮮の暴発は怖いがね。
 第4に、トランプ米大統領との親密さ。かつてない身近さだし、安倍さんの言うことも聞くし。この二人三脚はなんとも言えない関係。トランプの不人気、危なさに寄り添いすぎないか、ちょっと心配だがね。
 第5に、安倍首相をやたらに批判するが、では後に誰を据えるんだ。石破か、岸田か、野田聖子か、そりゃムリというもんじゃろ。ではやはり、安倍長期政権かなあ。東京五輪もあるし、小池サンは心もとないし。
 第6に、安倍首相の国際活動は見上げたもの。あれだけ精力的に各国を回り、経済支援をし、平和的努力と国際的な影響力は大したものさ。まあ、核兵器禁止条約に同調しない対応は気になるけど、日本を核で守ってもらっているのだから、仕方ないさ。
 第7に、安倍首相はたしかに尊大だし、国会軽視や野党蔑視の姿勢もある。でも、反省、お詫び、丁寧に謙虚に、と言っているではないか。もう少し長い眼で見てやろうや。
 第8に、モリカケ問題。これはよくないね。解りやすい説明がないし、奥さんまで校長にするかねえ。役人は出世したいから、先を読んでうまく手を打つものさ。ちょっとまずったね。
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 自民党の得票の理由はそんなところか。
 安倍体制は当面、これまでの姿勢を変えることはなく、ただ憲法問題についての発言は慎重になるだろう。新たな火種を抱えない限り、持続する日々になると思われる。あえていうなら、北朝鮮からの実力行使があった場合、その被害度によっては政治責任を問われよう。また、トランプ大統領の明らかな失政が内外に表われたとき、彼の「下駄の雪」的に二人三脚を組んだ首相の姿勢が問題視されよう。

 見ておくべき要件としては、
  ①改憲などをめぐる公明党の対応、
  ②党内での首相の驕り、嫌気、飽きなどが堆積していく場合、
  ③改憲などでの軽率な対応や発言、
  ④さらなる恣意的行政や、国会に対する軽視態度、
  ⑤あえて加えるなら、石破ら総裁の座を狙う候補陣の地方からの攻勢・批判、などだろうか。
 選挙ではたしかに強さを見せた。だが、政権の長期化に従って、支持世論の離反を誘うような党内外の複雑な動きが出てくるだろう。

 ひとつ触れておきたいのは与党・公明党のスタンスである。今回6議席を減らし、比例代表の得票率を前回の13.71%から12.51%に後退させた。党内、創価学会の女性、青年層からは、安倍路線の過度の傾斜を嫌い、主体性ある発言が乏しい、という声を聞いた。選挙技術に優れ、小選挙区での自民党への票貸しによって、政権党としての恩恵を受けるのだが、正念場を迎える憲法問題での対応は惰性の与党に過ぎないかどうかが問われるだろう。「脱・下駄の雪」である。
 党としての選挙総括の論議でも、公明党の主体性確保、自民党への接近ぶり、などの指摘が下部から相次いでいる、という。党の幹部らがこの潮流を毅然として踏まえられるかどうか。

 政策等については、「オルタ」前号(166号・10月号)に触れたので省略する。

◆ 2> 危うい野党に自覚は生まれるか

 安倍首相の突然の大義なき衆院解散、「国難突破選挙」のスタート、これに先立つ小池都知事の都議選での大人気、その勢いでの希望の党結成、前原民進党代表の小池戦略への同調、小池「排除」発言と反発、そのムードの急変、枝野立憲民主党の結成、民進党の3分裂、そして選挙戦突入。
 希望の党の低迷、立憲民主党の頑張り、共産党と維新の会の不調、そんな野党の分断現象による自民党の圧勝・・・・・おかしな衆院選の展開であった。

 自民党の「政権選択選挙」というキャッチフレーズは、野党状況を知る有権者には、まさに虚構でしかなかった。野党が政権に極めて遠い存在であることは(かつて自社両党が、あえて言えば社会党が架空の政権交代の夢を描いた55年体制前半と同じように)、わかりきった状況で、そんな歴史を踏まえたかのネーミングであった。
 野党共闘は民進党崩壊寸前までに、ある程度実ってはいたが、右派志向の強い希望の党結成とともに崩れ、立憲民主・社民・共産の3党協力が残った程度だった。

 野党には、政権党に対するしっかりした批判が重要だ。
 だが、それ以前に、政党としての原則での一致がなければならない。政党人として共有できる政治姿勢や大きな政策での一致が、帰属する政党への忠誠につながらなければ、政党の団結した言動は保てない。だが、そうした傾向が近年次第に薄れ、党内に不一致勢力の存在を許し、それが内部の混迷を生み、また例えば安保体制、原発、憲法改正ならその内容、といった課題に対して論議を重ね、共通のイメージを持とうともしない風潮が恒常化していた。

 かつての社会党は講和条約、平和条約のありようで分裂したり、民社党とたもとを分かったり、の歴史を経ながら、きわどい瀬戸際に立ちながらも、なんとか政党としての一体性を維持していた。
 だが、最近の政党は、まず員数集め、立候補のための政党参加で、議論や政策の一致は棚上げにしたまま、政党の形だけを維持してきた。従って、党への帰属意識は薄く、勢い勉強に身を入れず、選挙第一・肩書確保といった人物が増えていった。民主・民進から自民へ、あるいは希望の党へ、と政党を渡り歩くことへの恥じらいもなくなった。

 その点、枝野立憲民主党は、希望の党の小池「排除」発言によって生まれたことで、「結束」という第一条件を得た。安保法制反対だった面々が、小池「安保容認」の踏み絵を踏まずに結集したことは、これからの議員らの姿勢に生かされるのではないか。ある意味では、小池代表が結党にあたり、主義主張の合う者で結集を図ろうとしたことは、当然のことでもあった。その意味で、メディアの小池批判は当たらない。ただし、「排除」の用語、その中身と確認の方法には問題があったことは間違いない。ともあれ、立憲民主党の発足は、きわめて心もとないが、こんどの選挙での、唯一の「新芽」ではあった。

 枝野代表は、これまでの政治が「国民から遠い」ことを痛感した、という。1996年の民主党結党時、「下からの民主主義」という理念を掲げたことを思い出したものか、「右でも左でもない、上からでもない、下からの民主主義」とも述べた。多くの住民運動が長続きしなかったように、草の根民主主義はとかく消えがちになる。また、リベラルという政治勢力は「権力」としてまとまりにくい性格を帯びている。

 第1野党、とはいうものの議席は少なく、期待するにはまだまだ早い。
 周辺の野党も、残党の民進、進路を二分したままの希望など、「数」としては連携できそうではあるが、それらに将来性は期待できず、ヘンな交流は過去のマイナスイメージを温存しかねない。安直な「数合わせ」のこれまでの野党戦略にのらず、まずはおのれの党の「立党の精神」はなにか、党内論議は尽くされたか、といった基本をこなすべきだろう。
 いずれにしても、政党としての大きな方向性を示し、新たな地方・下部の組織化を考え、政党人としての揺るぎない結束を示せるかどうか、が19年の統一地方選挙、参院選挙に向けてのカギになる。

 さらに、小政党なので、その存在感を広げるには国会の場とメディアに頼っていては飛躍できない。やはり、全議員が自分の選挙区だけでなく、絶えず各地を飛び回って、その結党の理念を語り、従来の政党イメージを払しょくし、有権者の期待に耳を傾けることだ。とくに、若い世代へのアプローチに力を入れられるか。だが、そのような自覚が、議員全般に生まれ、根付くかは未知数に留まる。

 では、希望の党はどうか。玉木雄一郎共同代表のもとで、小池政治の方向が多数派であることが確認されたが、もとの民進党系には傾きにくく、むしろ反自民というよりは非自民ほどの位置にある。改憲論議に加わろうとし、反原発は時期を不明確のまま、安保法制では推進の立場にあった小池共同代表の方針に従うのではないか。小池的「風待ち」には、2度の風は吹かないのではないか。

◆ 3> これからの政治日程 ― 改憲論議を中心に

 任期4年の間の政治日程は、日本の進路を問い、ひとつ間違えれば大きなダメージを受けることにもなる。その最大の課題は、憲法改定の行方。ついで、社会の空気を換える天皇の退位と即位(2019年4月)。さらに、日本のイメージを上下させ、若い世代の心に何かをもたらす東京五輪(2020年夏)。
 東日本大震災10年を迎える2021年9月には、恐らく安倍自民党総裁・首相に代わる新たなリーダーが登場、その前後までには衆院選も行われよう。

 その合間に、来年の2018年には日中平和友好条約40周年(8月)、アメリカの中間選挙(11月)がある。2019年は4月に統一地方選挙、7月ごろには参院選挙、10月に消費税10%引き上げ、が予定される。2020年11月にはアメリカ大統領選があり、トランプがそれ以前に消えていなければ、彼か別人かが選挙の対象になる。

 問題の改憲日程だが、来年には改憲草案作りが与野党間で進められ、早い場合には6月の国会会期切れのころに衆参両院での決定によって発議される。あるいは、9月の自民党総裁選挙前後に臨時国会を設定して、改憲の発議を決定。最終的には、2019年1月から6月までの通常国会の早い時期の発議が想定される。ただ、このケースでは、4月に天皇の退位即位があるので、天皇の政治利用、といった批判も出かねず、もっと早い段階が求められそうだ。

 では、国会などの手続きが進んだとして、国民投票はいつか。2019年7月の参院選と同時、との見方があるが、まだ見通すことはできない。ただ、参院の改憲勢力を含めた3分の2議席を確保しているうちの新憲法作り、という日程計算による拙速のスケジュールに乗せられてはなるまい。

 憲法討議では、与野党間での扱い方の論議もまだ始まっていないが、この掛け合いがひとつの勝負どころとなる。自民党は、安倍首相のもとで公約した、①9条への自衛隊明記、②緊急事態条項の記載、③教育無償化、④参院選挙の合区解消、について決めたい、との意向だ。内容はともあれ、改憲自体には同調する公明党、希望の党、維新の会と、これに反対して護憲寄りの立憲民主党、護憲で固まる共産、社民両党と、すり合わせは容易ではない。ただ、自民党にはこれまで通りの「数の力」という切り札がある。

 言えることは、この4項目に乗って論議を進めてはならないことだ。
 公明党や維新の会の教育無償化への同調はあるが、どの党にしても、改憲の舞台に上がる以上、憲法各般にわたって、問題点や要望を出し合い、それぞれの項目について重要度、実態、あるべき姿、将来への影響などを論議すべきだろう。
 憲法の基本は変えない、とはいうものの、自民党のまな板に載せられたテーマに限定するだけでは、戦後に果たしてきた憲法の理念、民主主義・平和主義の基本、国民主権や真の三権分立、立憲主義の意義などを顧みないことになる。4項目の部分的論議では、現行憲法の果たしている意味合いが若い世代に伝わらず、戦前の過去を引きずる守旧に走ることになりかねない。

 むしろ、憲法の求める理念、憲法が社会の基軸であることの意味、逐条ごとの点検、条項間の相互の関係、といった大きな視点からチェックし、必要なら改正すべき点を見直したらいい。
 それに、自民党の4項目のみに目をつむり、「国家」と「個人」の位置づけ、衆院解散権問題、環境問題など、根幹にかかわる多くの具体的な問題を棚上げして、国民の意向を取り付けやすいところから、なし崩しに改憲に向けて突破しようとの野望に乗せられてはならない。教育の無償化などは、現行法の枠内で可能だ。「押し付け憲法」論を展開してきた自民党などは、この憲法によって、やっと日本に民主主義・人権・平和・個の尊重といった思考が取り入れられたことを考えなければなるまい。

 安倍首相は、頑固に自分の在任中に改憲の一部達成を目論み、スケジュール消化にこだわるが、改憲問題は多くの面でまだ序の口にある。「数の力」に訴えかねないごく短期の手続きで、日本の進路を狂わせてはならない。天皇問題、オリパラ問題は他の専門家の稿に譲りたい。

 (元朝日新聞政治部長)

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