【視点】

軍事<防衛>3文書の改定迫る

―激化する国際緊張に加担強めるか
羽原 清雅

 2022年12月の安全保障3文書の改定を前に、自民党、経済界、防衛産業関係などを軸に、防衛力強化論が潜行して進められている。これから10年間の日本の平和と軍事政策を左右する方針の決定だが、施行中の政策の延長というイメージが強いためか、ごく断片的に報道されているものの、国会などでの野党の取り組みも極めて低調である。

 今後の10年間には、中国と台湾の関係、ミサイル強化の北朝鮮の動向、またウクライナ戦争後の米ロをはじめとする国際関係など多く、そして高度の緊張が見込まれる。日本にとっても、重要な時期である。
 平和は、軍事力を強大化すれば維持できるものなのか。国家権力に素直に従えば、国民の生命・財産は守られるのか。当面する課題に、もっと広い角度からの論議があってしかるべきではないか。そのような観点から、この問題に触れていきたい。

 2期目の安倍晋三首相のもと、2013年12月に、10年ほどのスパンで外交・防衛政策の基本方針を見ようと ①「国家安全保障戦略」が初めて策定された。これを踏まえて、すでに継続して改定期にある ②「防衛計画の大綱(防衛大綱)」がつくられ、その目標水準達成のための5年間を想定する ③「中期防衛整備計画(中期防)」が設定され、そのもとに毎年度の防衛予算が組まれることになっている。ちょうどこの12月には、この3つの文書が一斉に改定期を迎える。したがって、非常に重要な時期でもある。

 1954年に防衛庁が設置され、58年度からほぼ3年間ごとに防衛力整備計画が作られ、77年度からの「防衛計画の大綱」にそって、86年度からは「中期防衛力整備計画」に切り替えられている。
 ちなみに、SOCO(沖縄特別行動委員会)、いわゆる沖縄関係と米軍再編関係の経費を除いた防衛予算は、2021年度が5兆3,422億円、22年度は補正分を含めると5兆8,661億円で、この10年間は連続して増額されている。

 *相次ぐ軍備増強の諸論議

 ロシアの仕掛けたウクライナ戦争を機に、自民党などから「軍事力の一層の強化」を説く声が強まっている。北朝鮮の相次ぐ核・ミサイル実験、中国の香港抑圧に続く台湾への攻勢といったアジアの緊張材料が続くなかで、ウクライナ問題は戦争への不安を身近に感じさせていることは否定できない。長らく他人事のようになっていた「戦争」に切迫感をもたらせたのだ。他国の戦争状態が、平和をどのように確保していくかという点に論議が向かわず、いかに軍事力を強めていくか、という方向を強めている。

 すでに、戦争に実感のない世代が増えており、「戦争は嫌だ。怖い。身を守らなければ」の思いは強い。若い政治家たちも、その感覚なのだろう。身を守るには米国の核が必要、自衛隊の防衛力を拡充強化しなければならない、と素朴に思うのだろう。だが果たして、それだけでいいのか。その点はあとで触れるとして、まずいま、国会論議などでごく断片的に伝えられている状況に触れておきたい。不安をもたらしているのは、次の6点である。

 1>核兵器保有論と非核3原則の修正論議
 2>敵基地攻撃論の台頭
 3>経済安全保障推進法の制定
 4>軍事予算のGDP2%以上の増強論
 5>防衛省の軍需<防衛>産業との接近
 6>緊急事態条項の設定問題

1>核兵器保有論と非核3原則の修正論議
 ロシアのウクライナ侵攻の4日後にあたる2月27日のテレビで、安倍晋三元首相は「日本はNATO式に核保有を論議する必要がある」と発言したのを機に、自民党などから一斉に核共有(核シェアリング)の論議をすべきだ、との発言が相次いだ。安倍氏はその後も、派閥の会合や雑誌でも語り続けている。安倍派の福田達夫総務会長は「日本は唯一の被爆国であることを踏まえたうえで、論議は回避すべきでない」と述べたほか、世耕弘成参院自民党幹事長、高市早苗政調会長、菅義偉前首相らも同調する発言をした。

 野党のはずの日本維新の会の松井一郎代表が、岸田首相の非核3原則を保持するとの主張に「おかしい。超党派で論議し、国民に判断してもらえばいい」といささか無責任な発言をすれば、玉木雄一郎国民民主党代表はいかにも自民、維新の会に接近するように「(核持ち込ませずは)何を意味し、どこまで型通りに順守するのか議論すべきだ」と述べている。反対論ないし消極論は、与党公明党の山口那津男代表、泉健太立憲民主党代表、共産党からあがった。
 今のところ、自民党安保調査会では非核3原則の見直しを打ち出す予定はないようだが、強い意見が通りやすい自民党内のこと、今後の動きを見るしかない。

 核を「作らず、持たず、持ち込ませず」の非核3原則は1967年、佐藤栄作首相が沖縄復帰に先立って言い、その後は「国是」の扱いでもあった。もっとも、そこには密約があり、核搭載艦船の日本寄港を黙認、許容する余地を残している。
 とはいえ、ヒロシマ・ナガサキから遠ざかろうとしても、「核兵器」のもたらす被害の大きさは増すばかりであり、核の脅威を実感しない状態に置かれた国々の人々がその暴虐ぶりを知ることになれば、全地球的に「反核」の方向に進み、新たな動きが生まれることは間違いない。政治がそのことに気づかないか、無視している限りは、人類の危機は救えない。国民の人命・財産を守る、という政治の最大目標からずれた政治家が多すぎるのだ。

 ウクライナに対して、ロシアが核使用の可能性をのぞかせる現在、核保有の国々が主張する「核の抑止力」への期待感は弱く、核の脅威の不安の方が強まっている。今年1月、ロシア、中国を含む米英仏の核保有5カ国という国連安保常任理事国が突然のように核保有国間の戦争の回避と核軍縮の取り組み重視の声明を出したが、翌2月にはロシアの侵略が始まり、核使用の発言さえ飛び出している。
 唯一の被爆国である日本も、保有国・非保有国のはざまで各禁止条約締結の動きにさえ同調せず、核の傘による防衛に依存したままだ。

 無数と言われるほどの核を所有しながらにらみ合う大国の現状だが、仮に各国の原子力発電所に非核によるミサイルが一発でも正確に撃ち込まれれば、核兵器使用と同じだけの破壊と殺戮がもたらされるに違いない。核によるにらみ合いだけで済まされるはずもない。
 「核兵器」の脅威は同時に、原発という「平和的核利用」の恐怖も考えた方がいい。

2>敵基地攻撃論の台頭
 この問題は、日本が戦後長く掲げてきた「専守防衛」の原則を揺るがすことになりかねない。目先の実態が積み重ねられ、拡大解釈の余地が拡げられ、憲法をゆるがせにしかねない問題なのだ。憲法を解釈によって徐々に改変してきた保守政治だが、この問題は相手国を直接刺激することになる重大な岐路、ともいえるだろう。
 安倍政権下での安保法制(2015年)によって、日本の専守防衛は「密接な関係にある他国」を守るところまで広げられたように、憲法の形骸化がさらに進められようとしている。

 自民党は安全保障3文書の策定に向けて、自衛目的で敵のミサイル発射基地などを破壊する「反撃能力」を保有する、との方針を固めて岸田首相に提出した。
 これまで昨年来、敵のミサイル基地などを「先制」攻撃できる能力を持てるように、との方向で検討してきた。しかし、日本が「専守防衛」を打ち出している以上、敵国を攻撃するということはまずい、との判断で表現を改めたものだ。しかし、当初の検討は「敵基地先制攻撃能力」を持つ、という方向でのスタートだった。
 「先制」攻撃は、防衛の姿勢を攻撃に替えることを意味する。相手国の攻撃に先駆けて、日本側から攻撃を仕掛ける、という。明らかに「専守防衛」の方針に反する。しかも、敵基地に必ず命中できる射撃能力が保証できるのか。つまり敵基地周辺の攻撃によって、一般の非戦闘民間人を巻き込む可能性はないのか、という懸念もある。
 しかし、いざ戦闘となれば、国内世論は闘う方向にまとまりがちで、先制攻撃や基地周辺への攻撃も、良し悪しの論議を超えて、認めてしまう可能性がある。したがって、このような論議が自民党内で何度もあった以上、先制攻撃は絶対にない、とは言い切れないだろう。そこに、危険がある。成り行き次第で、先に手を出す可能性も否定できず、またこのような経過を経てきた以上、過去の戦時の経緯からみても、法的文言が破られるリスクは高い。

 たとえば、自民党の安保調査会長で元防衛相の小野寺五典は「相手側の攻撃が、明確に意図があって、すでに着手している状況であれば、判断を政府が行う」という。「着手している状況」とはなにか。「先制」の余地も含むのか。計画的な謀略をもって挑発、あるいは先制攻撃の大義名分を設けることはないか。政府の判断は当然軍事関係者による、その懸念はないか。軍事関係者は「防衛」という軍事的ジャンルの判断力はあろうが、国際状況や外交従事者、あるいは野党をも含む広範な視野からの判断を欠きがちで、日本の軍部は何度もその過ちを犯している。
 かつての日本軍は、直前まで利用してきた張作霖を爆死させ、鉄道爆破を装う軍幹部の攻撃で満州事変の発端とし、事態の不拡大方針という政府の決定を無視して戦火を拡げた。日中戦争の契機となった盧溝橋事件でも夜間演習を機に戦闘に入り、政府の不拡大方針を破って戦線を拡大した。軍自らが仕掛けることで、戦火を開くのだ。ひとたび戦争となれば、その成り行きはわからない。だからこそ、戦争自体を回避する努力がなによりも必要なのだ。

 敵基地攻撃論に戻ろう。もともと、鳩山一郎首相答弁を代読した船田中防衛長官は「急迫不正の侵害が行われ、他に手段がないと認められる限り、必要最小限の措置をとること、例えば誘導弾等の基地をたたくことは、法理的には自衛の範囲に含まれる」(1956年)と限定的ながら先制攻撃許容の政府見解を示していた。
 また、安倍首相による防衛大綱策定時の自民党提言では「わが国独自の打撃力(策源地攻撃能力)の保持について検討を開始し、速やかに結論を得る」(2013年)とした。さらに、安倍時代の自民党提言に「巡航ミサイルをはじめ、わが国としての『敵基地反撃能力』を保有すべく検討を開始」とした(17年)。さらに「相手領域内でも弾道ミサイル等を阻止する能力の保有を含めて、抑止力を向上させるための新たな取り組みが必要」(20年)というように、自民党の政策にはかねてこのような意図があり、安倍時代にあらためて具体化された形だった。日本の政治は、和平への長期にわたる努力よりも、短期の戦闘準備の方が安直で、お得意でもあるのだ。

 日本国内ではこの方針が認められたとして、敵対国と想定されそうな国はどう受け取るだろうか。軍事行動には、自国にばかり目が向けられるが、相手国もまた日本と同程度、あるいはそれを超える軍事体制をとることを忘れるわけにはいかない。
 北朝鮮の金正恩総書記が4月25日の軍事パレードで、各種のミサイルを多角化に見せた。これは、バイデン大統領が核を戦争抑止の目的に限定せず、先制攻撃を含む実戦使用も辞さないとの構えを見せたことを意識しての対応だ、とする見方が出ている。また、韓国の尹錫悦次期大統領が北朝鮮への先制攻撃に言及したことも、今後の南北関係に影を落とす可能性がある。
 先制攻撃を想定する姿勢は、相手側にさらなる緊張を高め、対立する双方に警戒と不信を生むことは間違いない。

3>経済安全保障推進法の制定
 野党の賛成もあって、この国会で成立した法律だ。
 日本の基幹インフラへのサイバー攻撃、先端技術の流出、物流のマヒ、輸出入の制限や停滞などによって、生活の維持が難しくなるような事態を回避する狙いがある。同法は ①重要物資の供給網(サプライチェーン)の強化 ②基幹インフラの安全確保 ③先端技術開発での官民協力 ④核や武器開発につながる特許情報を非公開にする制度の新設、の4本の柱からなる。狙いは理解できるが、細部の懸念はあり、国会質疑でも指摘された。
 
 これまで日本の研究開発は、大学、企業などの民間が中心になって進められてきた。だが、人工知能(AI)、量子、宇宙、海洋などの分野の先端技術の研究開発は急激に進み、今や民間だけでは追い付かない現状がある。そこで、国が財政支援の手を貸そうとする。だが、先端技術の世界は軍民両方にまたがっている。そこで、国が軍の立場から関与してくる可能性が出る。安全保障の面では防衛省が、海洋の面では海上保安庁が、AIなどは政府各方面が関わりを持ちたいところだ。だが、先年の日本学術会議問題に表れたように、日本の大学の多くは「軍事研究はしない。軍の研究援助は受けない」立場をとり、科学者が太平洋戦争に協力したことを反省して設けられた学術会議も、軍事研究には一貫して否定的な立場をとっている。

 政府は23年度に、文科省、経産省などで尖端技術の調査研究機関を設けるとともに、官民協議会をつくって取り組む予定だ。協議会では、研究開発の資料や説明の提供を求め、研究者らはそれに応じる努力義務、知り得た情報の守秘義務が求められる。また、研究成果は公開が基本だが、扱いは協議会が決めるなど、制約を受ける。政府はすでに21年度補正予算で2,500億円を用意し、全体で5,000億円規模の基金を設けることにしている。国の関わりが強まるにつれ、こうした制約が研究者の自由な活動を束縛するのではないか、という懸念がある。

 そこで、この法律ができれば、民間の研究者ばかりではなく、企業活動が規制されるのではないか、国によって経済活動までが制約されるのではないか、政官業の癒着が生まれ、問題が生じないか、などが指摘されている。また、科学技術が軍事研究に利用されたり、軍事的視点からの規制が強まったりするのではないか、などの懸念も示されている。
 具体的な問題点は不明ながら、この法律はとにかく中国を意識したものである。ロシアのウクライナ、中国の台湾への攻勢といった警戒心が根底にある。軍事的な緊張が強まるなかで、国防という視点からの対策だ。このような動きが国内的に必要だとしても、相手国への刺激のあることも考慮が必要だろう。これは、丹念に見つめていくしかない。

4>軍事予算のGDP2%以上の増強論
 自民党は、安保3文書の改定にあたり提言をまとめ、政府に提出している。その内容は、今は国内総生産(GDP)比1%程度の防衛費を、5年以内をめどに2%以上に引き上げるよう求めている。2021年の衆院選でも「2%以上を目標」を公約として掲げていた。これは、NATO諸国が国防予算の対GDP比2%以上を目標としていることを念頭に置いたものだ。防衛費の増額は自民党年来の念願であり、この改定期を逃すまいとの意気込みはすごい。

 これまでの日本は、三木武夫首相のもとで「防衛費は1%以内」とする枠を閣議決定し(1976年)、中曽根康弘内閣でこれを廃止して、87年度から総額明示方式に切り替えた。防衛庁設置当時は2%を超える予算を要したが、中曽根時代でも1%をわずかに超過する程度で推移していた。国際緊張が増すと、防衛費は増加されるが、しかし2%超過を一気に認めることは滅多になく、問題視されよう。
 22年度の防衛予算は、補正予算分を除くと5兆4,000億円だから、これが認められ、予算規模が安定的であれば、5年間で27兆円という巨額な投入となる。福祉をはじめ、国民生活にいろいろなしわ寄せがあるだろう。3文書の改定が及ぼす国政のあり方を、広く、また長期的にも見ておかなければなるまい。

 財務省はこのような防衛費の増大化について、安全保障上も財政を健全に保つ必要を訴える。防衛費を国債に頼れば、それ自体が国の脆弱性になる、との懸念を見せる。また、ウクライナ情勢の悪化で、ドイツは防衛費の増額とともにその財源を明らかにし、またスウェーデンはその財源にたばこ税、酒税引き上げを決めた、という。
 財務省の財政制度等審議会の部会では、①国の借金(国債)が増えて国の構えが弱まるのはよくない ②国力、経済力がなければ、どんな兵器があっても役に立たない ③防衛力強化のしわ寄せが他に及べば、経済・金融・財政の総合力が問われる、などの意見が出たという。

 「国家の危機を守る軍事・防衛の強化を」と強気の防衛族議員たちが、国としての総体の論議を踏まえず、大義名分を立てて突出した主張を押し通し、しかも政府がそれを安易に受け入れたら、将来に禍根を残す。日清、日露戦争に向けての財政運営ぶり、日中戦争、太平洋戦争時の全てを投入して国民の生命や生活基盤を失わせた、その結果をも考えるべき状況である。防衛重視の予算獲得に応じる前に、財政運営は国全体のバランスと将来への影響を考えて、より広範な論議を経ておくべきではないか。

5>防衛省と軍需<防衛>産業との接近
 防衛族議員らが国情を憂うるのはわかる。その一方で、かつての戦争で、軍部・政府の要路と財閥が接近、財閥の成長、発展に寄与するような関係が戦争の拡大につながった事実が思い起こされる。
 日本全体のありように思いを馳せ、そこに防衛の姿を描く政党であり、国会議員であってほしい。

 そのようななか、岸信夫防衛相は4月13日、防衛産業大手の三菱重工業、川崎重工業、富士通、IHI(旧石川島播磨重工業)など15社のトップと意見交換の会合を持った。岸氏は「防衛産業の技術基盤は防衛力の一部。基盤の維持強化のために何をするべきか考えていきたい」と述べた。企業側からは「適正な利益水準にしてもらわないと防衛事業の継続は厳しい」「下請けの中小企業の撤退が続いている」などの意見が出たという。
 自衛隊の防衛装備品は米国製の占める割合が増えて、国内の防衛産業は衰退気味だといわれる。防衛装備品の高度化が進み、維持費や単価が増えているといい、安倍政権以降、米国製購入を求める米国側のプレッシャーも強く、米政府から直接装備品を買う有償軍事援助(FMS)が増えている。ただ、企業自体が安易に軍事依存する姿勢も改める必要がある。

 トランプ時代には露骨な軍装備などの購入要請があり、「核の傘」下の弱みを突かれていた。日本の防衛産業は米国からの輸入が増え、自前の生産の減少を歓迎しない。ただ、岸時代や田中時代の航空機をめぐる汚職や疑惑が思い起こされるように、疑惑が生じないよう、この点は要注意、ということだろう。

6>緊急事態条項の設定問題
 衆院憲法審査会での論議のひとつに、「緊急事態条項」の導入論が目立っている。
 岸田首相は憲法施行75年の5月3日、改憲への意向とともに、緊急事態について「憲法での位置づけを真剣に議論を」と述べた。国会でも、衆院憲法審査会で強い積極論が出ている。民間でも、横倉義武日本医師会名誉会長を代表とする医療、経済界などの関係者による4月の会合で、感染症の蔓延、大規模災害時の「緊急事態宣言」を憲法に規定するよう提言し、岸田首相に申し入れたという。この席には、高市早苗政調会長ら自民党議員ばかりか、立憲民主、国民民主党の議員らも出席した。

 現状の改憲論議では簡単にはいかないだろう。だが、緊急事態が発生した場合、平時から緊急時のルールに切り替えられるよう制度化すべきだ、という論議は一見、もっともに思われる。ウクライナ問題、コロナ禍などの課題が出てくると、より強い行動力で対応すべきだ、といった意見が高まることもわかる。
 しかし、政府が超法規的に権力を掌握し、緊急事態に対処しようということには、国民の権利を拘束し、日常生活にも規制を課し、また行き過ぎた権力行使の可能性もあって、簡単には法制化できない問題を抱えている。この制度の導入を警戒されるのは、戦前の明治憲法による運用が行き過ぎ、国民へのダメージが極めて強かったことに一因がある。

 明治憲法では、天皇大権として軍の統帥、編制、外交についての権限が委ねられたほかに、「緊急勅令」として公共の安全、災厄回避に際して緊急を要する場合に使える権力があった。
 これは、議会の承諾が必要なので、緊急などの際、閉会中に政府が法律に寄らずに国民の自由を制限する時には便利だった。そして28年の治安維持法の改正にあたり、議会が審議未了に終わったため、処罰範囲の拡張、刑罰改正に死刑を加えるなどの際にこの緊急勅令で決めており、批判が出ても強行することが可能だった。つまり、危険な規定により、死刑などが行われることになった。
 このように、天皇は絶大な権限を持ったし、恣意的に法制を扱うことができた。そのために、戦後の憲法では、この緊急事態条項は外されることになり、今そうした権限を復活させようとすること自体、望まれていないのだ。

 国が強硬に事を進めたい場合、確かに便利ではあろうが、国民の権利の抑制につながり、権力が独り歩きして自由の制約にあたることを憂慮して、戦後の憲法に盛り込まれなかったことを忘れてはなるまい。
 だが、政権と与党の勢力が強まる場合、憲法ではなくても、一般の法令である程度の強制性を政府が持つことができないわけではなく、その意味では当面注目していくべきポイントだろう。
 
*明治憲法下と現憲法下の違い

 戦前の明治憲法のもとでは、天皇に軍部を動かし、戦争に突入する権限があった。したがって、形式的には天皇に責任があり、軍部も官僚たちも天皇の名をもって戦争準備を進め、戦争に入ることができた。戦争産業を握る財閥は、戦争がきわめて簡単に儲けにつながるため、政府や軍部に接近、必要な裏資金を提供もした。
 したがって、政・軍・財の手口は単刀直入で、時に暴力的に歩を進めた。戦争への手続きは簡単なばかりか、天皇の赤子とされた国民はひたすらそれを信じて追従し、反発や抵抗、疑問の表明などは抑圧されて、大陸侵攻の戦端を容易に開くことになった。

 だが、現行憲法に代わってからは、侵略行為などは一切禁じられ、軍事的な動きは簡単には許されなくなった。憲法の改定も、制度的に簡単には変えられない現実がある。名称も「軍事」から「防衛」に代わり、「専守防衛」の枠がはめられた。
 とはいえ、近隣のアジアでは紛争の気配が絶えず、また軍事力の増強が進められており、日本もそれに負けずに予算を増やして装備等を高度化しなければ、という方向が強まっていった。

 問題は、その手法である。いささか邪魔な9条憲法が立ちはだかる。この制約を、徐々に「解釈」を変えることで、実態をかえていく手法が採用された。「防衛」の実態は、憲法の規定から少しずつ離れていき、防衛の規模は広がり続けて、今や日本の軍事費は世界第8位にまで上昇した。
 防衛の建前は「攻められる可能性があるから、万全な防備を」ということで、国民の生命、財産を守る以上必要不可欠、という大前提で予算が投入される。したがって、予算化の是非は問題にならず、その額や使途だけが注目される。

 その国会での決定過程は戦前と異なり、にこやかに、穏やか風に、時間をかけつつ決まって行く。ただ、自民党など与党の「数」が支えであり、疑問を呈するはずの野党は少数にとどまり、またかつてほどの論客はおらず、調査研究の機能も弱く、国会の論議も形式に留まる感がある。現に、敵基地攻撃論や防衛費の大幅増額論などが自民党内の燃え上がっても、野党の質疑や問題提起は静かなものである。
 本来、野党の任務は、問題の所在を先取りし、長期的な視点を持って課題を読み取り、警鐘乱打すべきものだが、その力量は衰えていく一方だ。議員少数のこともあるが、コップの中の嵐状態、野党間の乱れ、与党への接近、政策や調査機能の低迷、短視的視野などで力量がついてこない。
 つまり、軍事費の増強自体が妥当なものかどうか、前提となるべき論議が国会という舞台に出てこないのだ。

*戦争の方向を阻止すること

 戦争というものは、突然にやって来るものではない。ロシアのウクライナ侵攻も、クリミア占領以前から、プーチン大統領の頭にあったことで、徐々に戦争に至る仕掛けを組み立てていたはずである。
 戦前の日本も同様だったが、戦争に至る道筋、戦時に起こる統制や混乱、政治の混迷などを大まかにまとめてみると――。

1>富国強兵政策→軍事力の自信→日清<1895、6>、日露戦争<1904、5>、第1次世界大戦<14-18>の展開
2>戦争の自信と利益→台湾<1874>、南樺太<1905>、朝鮮半島<10>、山東半島朝鮮半島<22>、旧満州の植民地化<31>と賠償金<台湾は清から50万両/日清戦争で2億両>
3>軍事依存→財閥の成長<8大財閥>→政府、軍部との癒着→右翼勢力<大川周明、北一輝、井上日召、安岡正篤、平沼騏一郎、頭山満、内田良平など/黒龍会、玄洋社、国本社、猶存社など>跳梁
4>軍事予算の膨張→徴兵、軍事力の強化<国家予算中の軍事費・日清期= 66-69%、日露期=同81-82%、第1次大戦期=同35-51%、第2次大戦期=75-85%>
5>侵略の開始・拡大→朝鮮半島<1875-1910>、シベリア出兵<18-22>、山東出兵<27-28>など→満州事変<31>、日中戦争<37-45>の準備段階
6>開戦の大義名分作り→貧窮農民ら救済と移民政策→軍事衝突の謀略と挑発<張作霖爆死(28)、柳条湖事件(31・満州事変)、盧溝橋事件(37・日中戦争)など>
7>愛国心教育<忠君愛国、国民精神総動員、軍神、英霊、聖戦、玉砕、翼賛、八紘一宇>などの徹底
8>各界の同調圧力→各界に愛国運動<大政翼賛会、翼賛政治会、大日本産業報国会、大日本国防婦人会、従軍作家陸・海軍部隊、農業報国連盟、文学・野球・棋道・戦時宗教など各種報国会、労務報国会など>
9>憎悪と侮蔑の宣伝→戦乱の必要→敵国の設定→国民の蔑視、憎悪の空気醸成
10>外交の弱まりと国際的孤立→対華21ヵ条要求強制<1915>、浜口協調外交の挫折<ロンドン海軍軍縮条約の反対高揚/30→統帥権干犯問題>、国際連盟脱退<42対1/33年>、三国防共協定<33>、対米宣戦布告不調<41>
11>反発勢力の弾圧→治安維持法<1925>など各種の弾圧法規反戦論者など拘束<28年3・15、29年4・16両事件、37、38年人民戦線事件など>、殺害<山本宣治、小林多喜二、三木清ら>、言論などの弾圧<滝川幸辰事件、天皇機関説問題=美濃部達吉、矢内原忠雄事件、河合栄治郎発禁事件等>
12>政権・政策への反発→右翼からの攻撃<30=浜口雄幸首相襲撃、32=井上準之助、団琢磨射殺(血盟団)・15事件で犬養毅首相殺害、36=2・26事件で斎藤実内大臣、高橋是清蔵相殺害>
13>軍人政権の台頭<山本権兵衛=海、寺内正毅=陸、加藤友三郎=海、斎藤実、岡田啓介=海、林銑十郎、阿部信行=陸、米内光政=海、東条英機、小磯国昭=陸、鈴木貫太郎=海>
14>戦時規制立法の強化→国民生活の圧迫<輸出入等臨時措置法、軍需工業動員法、国家総動員法、電力国家管理法、賃金統制令、国民徴用令、価格等統制令、奢侈品等統制令、米穀供出令、生活必需物資統制令など>
15>敵対国の軍事抵抗と長期化→双方の戦闘員、民間人の大量死<第2次世界大戦の犠牲者は実に、枢軸国870万人、連合国1,913万人、アジア諸国犠牲者912万人>

 大雑把に見ても、このような布石が打たれ、仕掛けが生まれ、不幸の道を進む。戦争が終われば、勝とうと負けようと多くの犠牲者を出し、戦後不況に苦しみ、破壊のあとの復活に不要のはずだったエネルギーと莫大な資金を必要とされる。戦争を流れに沿ってみていくと、なるように流れていくのだが、逆に結果からたどると、戦争犠牲者とその周辺の悲しみと苦しみ、戦後の苦しい復興の取り組み、愚かで独断的な権力者が横暴に組み立てたプロセス、抵抗や反発を抑圧された国民の声や言論、途中から抜け出すことのできないがんじがらめの状態のなかで進められたことがわかる。日本のみならず、相手国もまた、同じ苦境と犠牲を強いられていたのだ。戦争のパターンはそれほど多くはなく、戦争が積み上げていかれる、その先をにらみつつ、次に登場する権力者の姿勢から読み取ればいいのだ。

 防衛のための軍事力が必要だとしても、その限界を極め、抑制の判断力がなければならない。その自覚が乏しく、想定する相手国の軍事力と同じ態勢を組もうとするところに無理が生じる。日米戦争に見られたように、国力自体の相異を心得ておかなければならない。重ねて言うと、戦争を考えるとき、まず人命への影響を考えること、それは敵対国も同じ苦しみを持つのだということを思うこと、戦後の復興に無駄なコストや犠牲を伴う無駄のあること、と同時に、考えるべきことは相手国との交流を日常的に深め、相互理解を育てていく努力が必要だ。つまり、軍事依存の関係ではなく、政治的な外交を緊密にするとともに、国民同士の交流を重ね、互いの違いを理解し合い、戦乱を防ぐ努力を継続することだろう。
 また、そうした関係を理解する近隣諸国との連携も、維持というときには必要だろう。

 幼稚な書生論に見えるだろうが、長い目で見れば、そのような関係の構築こそが平和の源泉になるのだろう。

*「民主主義」はこれでいいのか

 戦争の阻止、とともに大切なのは民主主義というものはもろい、そのことを知ることだ。制度によって固められているので大丈夫、と思っているうちに、その制度が徐々に崩れていっていることに気づかず、崩れてしまった後にやっと「しまった!」と思うものなのだ――そのことを知って、補強補修をしていかなければ、民主主義のあとに来るものは独裁とか、まとまりのない手前勝手な利己的社会とか、である。ヒトラー、ムッソリーニとか、スターリン、トランプ、ひょっとするとプーチンをも想定される社会が到来する可能性さえあるのだ。

 いいかえれば、戦争を招きかねない状況についての責任は、民主主義の原則を失念した国民一人ひとりにあるといっても過言ではない。民主主義は、国民一人ひとりの自由意思に任されており、他力本来に外野席で見ている気分や、評論家気分でいることは許されず、この制度にとっては一人ひとりが主人公であり、プレイヤーであり、責任を分かち合うことで成り立っているからだ。いざ破綻して、責任を他に押し付けようとしても、その結果はおのれが受け止めるしかない前提で成り立っているのだから、これはわきまえて臨むしかないのだ。民主主義とは、そういう個々人の責任のもとにあることを忘れてはならない。

 だからこそ、政治への無関心ののちに「こんなはずじゃなかった!」「けしからん!」と怒る時には、もう遅いことになる。一人ひとりの、日々毎日の注意と判断が生かされていなければ、結果として予想外の権力者が登場したり、無知無能な世襲政治家が台頭したり、あるいは長期の展望なく目先の利益に溺れ、強大国にしっぽを振ったり、やたらに武闘の旗を振ったりすることになる。権力というものは、いかがわしく、だましがちで、あるべき方向を読み取れず、目先のことばかりに現(うつつ)を抜かしがちだ、ということを忘れてはならない。

 では、具体的にどうすればいいのか。これは意外に簡単である。ただ、自分個人が果たさなければならない任務であって、無関心、お任せ、惰性、軽蔑、追随、崇拝、過評価等の姿勢では許されない。民主主義とは本来、そういうもので、個々人の判断の集積において、譲り合いの範囲の中で成り立つものでしかない。きわめて漠然として、融通無碍で、ある意味で無責任なのが民主主義というものなのだ。いわば、民主主義そのものが、一人ひとりのみんなに「お任せしますよ」「皆さんのお好きなようにお決めなさい」「でも、結果責任は持ちませんよ」という姿勢なのだ。有象無象や腕づくの権力者が決めても、単純な多数決でまとめてもいいし、だまし合いや買収、談合、癒着、忖度、強制、利益誘導などの議会での決着もOK、あるいは賢明なリーダーを待ってその話をよく聞いて結論を出してもいい・・・民主主義は、他に責任を迫ることはできにくい性質のものなのだ。

 民主主義の土台は今すでに崩れかかっている。
 政策や将来の方向を決定する権限を持つ国会議員を選ぶ小選挙区比例代表制は、アンバランスで、民意を客観的に反映できないままに20年にも及ぼうとしている。
 有権者の権利としての選挙権も、各種選挙を見ると、国政でも半分ちょっとの参加しかしめされない。投票しない人々は何を、どうしたいのか、どう考えているかが示されないままである。
 まして自治体の議会選挙では、投票率20%台のところがあるように、有権者の半分以下しか投票していない議会が多くなっている。投票しない人の意思は反映しない。それでもやむを得ないのだが、見当違いの政策などが決められても納得、追随するのか。

 義務教育の教科書は、民主主義の仕組みや制度は教えているが、民主主義が800年以上かけて練り上げ、その間にどれだけの血が流され、紆余曲折があって築かれてきたものか、その尊さを教えていない。形式的な制度論だけを飲み込ませても、個人としての納得と判断がどれほど大切なものかという大義をしみこませていない。「納得と判断」「異議と対案」の大切さを教えず、表面的民主主義にとどめている。その方が、多彩な意見が出ず、思う方向にまとめやすく、為政者には都合がいいのかもしれない。
 民主主義が日本に持ち込まれてまだ100年にもならない。発祥の欧州でもまだ試行錯誤の状態なのだから、日本の低迷はやむを得ないのかもしれない。だが、いつまでもこのままであれば、いつか日本の民主主義は形骸化しかねない。
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 政治は今、冒頭に書いたように、いくつもの大きな岐路の選択を迫られている。戦前の政治の大きな失敗を繰り返さないために、より多くの人に、その選択肢の先行きの可否を考え、行動してもらいたい。そのような思いから、つい長いものを書いてしまった。

 (元朝日新聞政治部長)

(2022.5.20)
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