【視点】

敵基地攻撃論は正しいか

――戦前回帰への道を忘れない
羽原 清雅

 2021年の衆院選が終わった。有権者の選んだ結果は最高の決定であり、揺るがす気持ちはない。ただ、選挙の言論戦ではあまり論議にはならなかったが、「敵基地攻撃」を容認する意見は予想以上に根強いものだった。
 この議論は、戦前の歴史から見ても、相当にリスキーなものである。取り返しのつかない道に誘導し、またも戦闘を交わす双方に大きな被害と悔いをもたらすことになるのか、歴史に照らして、進行し始めているこの道を回避したい、との思いで見ていきたい。

 <各党候補者の思考傾向>
 朝日新聞<朝日・東大共同調査>によると、候補者全体に「敵基地先制攻撃」について、「賛成①」、「どちらかといえば賛成②」、「どちらとも言えない③」、「どちらかといえば反対④」、「反対⑤」を、各候補者に質問した(11月2日付・不回答者、四捨五入もある)。
 この結果は、①と②を「賛成寄り」とし、④と⑤を「反対寄り」としている。③の「どちらとも言えない」は除外しているが、一応賛成①、反対⑤を合わせたもの以外と受け止めていいのだろう。

 この数字によると、各政党全体では「賛成寄り」44%、「反対寄り」28%である。とすれば、③は28%になる。
 「賛成寄り」44%の内訳は、自民34%、維新8%、国民民主と無所属候補は各1%。敵基地の先制攻撃の意向は、自民、維新の保守系以外の国民民主にも広がっている。
 「反対寄り」の28%の内訳は、立憲民主15%、公明5%、共産2%、れいわ1%、それに自民もわずかながらの3%あり、国民民主は1%で党を2分している。
 単純に比べれば、このような結果である。自民党の3%はだれか、なぜか、を知りたい。国民民主の双方に分かれた内情は、候補者の半数が保守化の傾向を示したということか。公明党は与党ながら、「反対寄り」ばかりで5%になっている。

 注目されるのは、4年前の前回衆院選で同紙が同じ質問をした際には、自民では「賛成寄り」は26%、「反対寄り」は12%、「どちらとも言えない」が63%であった。つまり、この4年間で、「賛成寄り」は26%→34%に、「反対寄り」は12%→3%になり、さらに「どちらとも言えない」が28%→63%と、「敵基地の先制攻撃論」がかなり高まっている。
 4年前の野党は、「反対寄り」は立憲の87%、維新の73%、共産、社民の全員、それに与党の公明も75%と高い数字を示していた。前回選挙では存在した希望の党は、反対寄りが44%、賛成寄りが19%、どちらとも言えないが38%だった。4年を経た各党の詳しい数字は不明だが、自民党以上に「賛成寄り」が増えていることは事実だ。

 <防衛力強化論を刺激>
 同紙の調査によると、「防衛力を強化」について、政党ごとの各候補者に聞くと、「賛成寄り」が75%(自民50%、立憲、維新各9%、公明、国民各2%など)で、「反対寄り」はわずかに6%(立憲3%、共産2%など)に過ぎない。
 また、「日本にとって中国は脅威か」の質問に、「脅威、または脅威に近い」が61%(自民41%、立憲、維新各9%、国民2%、公明1%など)、「パートナーに近い」は8%(立憲4%、公明3%、自民1%)にとどまっている。

 東京都の25選挙区について、同紙都内版(10月22、23、26、28、29日付)で4年前と比較すると、「北朝鮮に圧力を優先するか」との質問では、自民は「賛成寄り」が24人から16人に減少、立憲では松原仁、長妻昭の「賛成」のほかは「反対、またはどちらかといえば反対」が8人から3人に減り、「どちらとも言えない」が4人から13人に増えている。
 中国の日本の空海域への進入、軍事費の増額、台湾海峡の緊迫など、あるいは北朝鮮の再三のミサイル訓練、対韓国関係の不調続きといった国際関係が投影して、先手必至の空気を高めたのだろう。北朝鮮については、相次ぐミサイル訓練などに「慣れ」が生じたのか。

 <維新と立憲の不可解>
 東京25選挙区の候補者の対応を朝日新聞都内版で見ているうち、オヤッと思ったことがある。
 ひとつは維新候補者16人の回答である。

 「防衛力の強化」 賛成 14人/どちらかと言えば賛成、どちらとも言えない 各1人
 「敵基地の先制攻撃」 どちらかと言えば賛成 13人/どちらとも言えない 3人
 「北朝鮮への圧力優先」 どちらかと言えば賛成 15人/どちらかと言えば反対 1人
 「日米安保の強化」 どちらかと言えば賛成 15人/賛成 1人
 「中国は脅威」 どちらかと言えば賛成 14人/賛成、どちらとも言えない 各1人
 「原発廃止」 どちらとも言えない 14人/どちらかと言えば賛成、同反対 各1人

 同じ政党だから、同じ主張なのだ、と言えばその通りである。ただ、新しい党で、初出馬の候補者も多く、ここまで意見がそろうものだろうか。党としての統一見解に従ったものだとすれば、候補者の自由な判断はかなり縛られた政党だ、ということになる。政治家としての判断の余地が候補者の段階から拘束されるということは、党内の論議が不活発、不自由になるのではないか。オヤッ!と思った点である。

 一方、政権を狙おうという立憲民主の内情である。リベラルなのだなぁ、とは思いつつ、立党以来の党内の論議が整っていないか、獲得したい政権を握るしてもまず党内での調整が大変だろうなぁ、と思わざるを得ない。これも東京25区のうち出馬した19人が対象である。

 「防衛力の強化」 ①賛成 8人、②どちらかと言えば賛成 2人、③どちらとも言えない 5人、④どちらかと言えば反対 1人、⑤反対 1人
 「敵基地の先制攻撃」 ① なし、② 1人、③ 7人、④ 4人、⑤ 7人
 「北朝鮮への圧力優先」 ① 2人、② 1人、③ 13人、④ 3人、⑤ なし
 「日米安保の強化」 ① なし、②8 人、③ 7人、④ 2人、⑤ 2 人
 「中国は脅威」 ① 2人、② 5人、③ 6人、④ 6人、⑤ なし
 「原発廃止」 ① 10人、② 7人、③ 1人、④ 1人

 <敵基地の先制攻撃が生み出すものはなにか>
 敵基地を先制攻撃することは、どのような波紋を投じ、どのような状況をもたらし、その結果はどのようなことになるのか。
 また憲法上、第9条〈日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない〉に反することにはならないのか。
 「専守防衛」を長年言い続けてきた政府は、どのような変更の理由付けをして、切り抜けるのか。

 このような越えがたい関門を突破するには、これまでのように憲法条項のなし崩し策を取るか、「一強政治」のもとで数による決着を図るのか。この問題は、過去の戦争経験と教訓を抜きにしてはあり得ないことで、政党として以前に、国民に対する個々の政治家としての判断力、責任感、道義感が問われるだろう。

 今回の衆院選では、すでにいろいろな動きが出ていながら、この問題について、与野党ともにほとんど論議していなかった。選挙公約などによる発信も少なかった。北朝鮮のミサイル訓練、対中国外交の姿勢、米トランプ時代の軍事力増強の要求、台湾問題への日米の取り組みなど、複雑な課題を抱えるなかで、各政党が論議しないこと自体、不自然だったのだ。

 対抗国との緊迫が続くなかで、宣戦布告のない状態で、先手を打って攻撃する。相手国の軍事基地に限定して攻勢をかけることによって、基地ばかりでなく、基地を外れて民間等の国民や事物に危害を加えられたとしたら、攻撃された国はどのような出方をするのだろうか。
 対象国は当然、理由のない攻撃、として対抗措置を取るだろう。仕掛けられた戦闘、と主張し、対抗上攻撃した場合の「大義名分」にするに違いない。国際的には、日本擁護の立場をとる諸国があるとしても、先制攻撃の「非」を認めることはできないだろう。

 先制攻撃を受ければ、相手国は国際世論に訴える一方で、報復攻撃に出る可能性が十分にある。それは、ミサイル1発でいい。たとえば、どこでもいいから、原子力発電所1ヵ所を狙う。ヒロシマ、ナガサキを思い、東日本大震災時のフクシマを実感するだけで、その厳しさはわかるだろう。全面戦争などに持ち込まれることなく、先制攻撃の被害はごく一部にしても、報復を受ける日本の被害は極めて甚大であることも十分考えられる。戦時に必要とされる「大義名分」は、先制攻撃側にはなく、先制攻撃を受けた側が主張する結果になる。自明の理、である。
 これが、最近の戦争というものである。

 <歴史に学ぶこと>
 そうしたことを理解しつつ、政治家の立場として、どう考えるか。先制攻撃は構えのみで、敵対
 想定国に「威嚇」ないし「応戦」の姿勢を示しておこう、というだけなのか。だが、そのこと自体、政治家としては浅薄、無知に近い。
 敵対想定国がどこであれ、そうした空気を国民にアピールするだけでも、相手への「憎悪」「侮蔑」「不信」「敵対」「忌避」などの感情を醸成する。愛国的興奮は、いつの時代も、どの国でも自国本位、母国ファーストに陥りがちで、戦闘意欲をかき立てる。そして、愛国心というものは、国民大衆の気持ちをとらえやすく、挑発にも乗りやすい。これは戦前の「聖戦」「一億一心」「ぜいたくは敵だ」「撃ちてし止まむ」「戦陣訓への忠誠」などが定着していったことに示された通りだ。今後類似の事態があるとすれば、その時にまた時流に乗った名文句が生まれることだろう。

 戦前の日本国内で、「鬼畜米英」「不逞鮮人」などの蔑視や差別感を高め、身近な人達の死を悼む気持ちに結びつけて、交戦意欲を高揚させたことが思い起こされる。世論は、戦争の是非を考えることなく、皇国日本という狭隘な愛国心に固められ、挑発に乗りやすくなっていった。
 戦争準備の初期段階は、戦闘の大義名分を構築し、この敵対する憎しみの感情を積み上げていくところから始まる。突発的に戦闘が始まるのではなく、時間をかけて徐々に土台が積み上げられるものだ。権力者の敵対心や軍事重視の構えが次第に戦闘に向かわせ、大多数の国民が気付いたころには抜き差しならなくしたのが、戦前のパターンだった。

 だからこそ、政治というものは、基本的に和平醸成の姿勢が大切で、緊張が高まっているときこそ慎重でなければならない。憲法は、経験的にその普遍の精神をうたっている。
 さらに言うなら、政治家は日本の立場ばかりで「先制攻撃」を考えるべきではない。相手の国民もまた同じように不安に包まれ、敵対心と憎しみを抱き、軍事強化の路線に進み、ついには戦闘に走る。そして、結果的に双方が戦闘によって生命、財産、文化を失い、その計り知れない痛手に苦しみ続けることに気づかなければなるまい。
 戦争が終結しても、双方の国民の悲しみ、苦しみ、怨念はいつまでも解けない。

 このような互いにすれ違った考え方、受け止め方は容易には消えない。戦後80年が経とうとする今も、中国や朝鮮半島を中心に、未解決の和平条約、慰安婦問題、強制労働者問題などの決着が進まず、その後の緊張関係につながっていることを忘れるべきではない。戦争を仕掛けた側が日本であった、という歴史を拭い去ることは不可能なのだ。世代が代わっても、その事実をかわすことはできない。憎悪を抱きあう前に、和平に向けた努力がなによりも大切、という教訓である。
 後世の政治家はつねにその反省を生かして行く責任を負っている。どの政党に所属しようとも、政治家たるものは、不幸な歴史の教訓と責任を長く心にとどめておくことを忘れてはなるまい。

 縁故、学童疎開時代を経験した筆者は、戦争に向けてさまざまな積み上げが進む時こそ警戒すべきだと思う。緊張が破裂しそうな段階となっては、政治も世論も止めようもないほどに平常心が失われ突っ走ってしまう。その結果、多くの人命が失われ、消しがたい悲しみが広く、長く続くものだ、と実感している。

 戦時に突っ走った時代の政治は、まず戦争を支持する世論が醸成され、ついでメディアを含む各界各層が動員され、そのうえに天皇を押し立てた軍部と官僚らが戦時の体制を時間をかけて積み上げ、しかも相手の立場や窮状を考えることなく、戦火を開いた。
 視野狭窄となった時の政界はその過程で、政争に明け暮れ、まっとうな論議を怠ったうえ、腐敗や癒着の挙句に自ら政党を解体し、本来権力にチェックをかけるべき機能を失わせた。その結果が、ヒロシマ、ナガサキなどの悲劇を生み、いまだに戦争に狩り出された兵士の遺骨が回収もされない現実を残し、いまも被災親族たちを苦しめ、悲しみを抱かせているのではないか。

 政党政治は、この歴史を反芻して、いま抱えている国際関係、とくに「敵基地先制攻撃」という、いわば戦後最大の転換を認めるかどうか、の課題に取り組むべきなのだ。

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 防衛省は11月12日になって、「防衛力強化加速会議」の初会合を開き、敵基地先制攻撃の検討に手を付けた。批判を浴びかねない衆院選を避けての開催である。
 これで、いいのか。「国防」という名を借りて、先に攻撃を仕掛ける。この問題は、一省庁、しかも軍事力行使の機関が手を付けることなのか。課題の大きさからすれば、政府全体の大問題であり、国会も与野党も挙って取り組むべき課題である。このように矮小化して着手していいものか。
 戦前、政党はそのチェック機能を失い、自ら解党したことで、戦争の道を驀進させたことがあった。この問題も、その轍を踏まないとは限らないほどのテーマである。

 まだ遅くはない。国会や首相官邸への国民運動が起こっても不思議ではない。
 感度の鈍い政党を持つ国民は哀れでさえある。

 (元朝日新聞政治部長)

(2021.11.20)
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