民主主義の土台が壊れる

―「数」依存の政治の矛盾は許せるのか―

                               羽原 清雅


 昨年末の衆院選はふたたび自民党一強の結果になり、来年夏の参院選で3分の2を確保すると、さらに「改憲」の状況が整う。国会勢力で政治の方向が決まること自体、当然だが、そこに選挙制度に問題や支障があれば、おかしな方向に行くにしても、それが「民意」なのだ、という強弁も可能になる。

 選挙制度の修正や検討自体が、国会にある政党の手にゆだねられ、「政党間の対立」で結論に至らない、ということで大政党有利のシステムが維持される。その結果、民意がゆがめられ、見捨てられても、批判をかわすことができる。世の中の「安定」とは、そうした結果的横暴状態を放置しておくことなのか。原発の再稼働、9条の改正、福祉関係経費の下方修正、外交よりも軍事路線の強化などに対する反応が、各紙の世論調査での「非」が過半数、あるいは半数近い数字になりながら、淡々と進められる。その方向性が仮にやむを得ないとしても、国会等での論議が足りない。「多弱」野党にも大きな責任があるが、まずは3分の2を占める自公勢力に問わなければなるまい。

 そしてなによりも、選挙制度の矛盾のもとに、抽象的な言動も牽制しうる秘密保護法制、「危機管理」の名のもとの個的権利の制約など「統治しやすい国・国民」がつくられ、気付いた時には修復不能に近い制度社会に包まれてしまっている、という反民主の道にもつながっていく可能性を秘めているところが怖い。

 だからこそ、選挙制度によって人為的に作られる巨大政党の権力が、本来はいかに砂上の楼閣のもとにあるか、を考えておきたい。そして「これが民意だ」とするおごりの生まれる、非論理的で脆弱な基盤について、数字の面から見ていきたい。

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1> 得票率と議席占有率のアンバランス
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●〔小選挙区制〕
 別表を見ていただきたい。極端な小選挙区制から見ていこう。
 2009年は自民政権の失政もあって、民主が47%の得票率で73%の議席を占めた。2012年の安倍政権復活時には、民主党の躓きによって43%の得票率で79%の議席を得た。そして今回、48%の得票率で75%の議席を手にした。
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 別表

 過去3回を見ると毎回、得票率が40%台、半数以下なのに、70%以上の議席を握る。「民意」を投影しない最大の矛盾はまさにこの仕組みのまやかしにある。すでに7回の小選挙区比例代表制の選挙を実施しているが、巨大政党有利の仕組みを変える論議はほとんど出てこない。マスメディアも、原理原則に目を向けず、現実の流れに取り込まれてしまっていて、基本的な矛盾を突き、改革の手立てを考える様子はない。

●〔比例代表制〕
 比例代表制当選者を含めた全議席の占有率は、比例代表制の方に小党の当選者が入ってくるのでシェアが下がる。それでも、毎回40%台の得票率にもかかわらず、民主も自民も60%を超える議席を手にしている。

 この比例代表制は、小党の救済のために並立させた経緯はあるが、そうばかりとも言えない。14年選挙では、自民が33%の得票で37%の議席をとり、民主、公明も得票率からすると、議席のほうが1%多い。一方で、小党の共産、社民は得票だけの議席は与えられていない。12年、09年の選挙でも、自民、民主、公明は多めの議席配分を受け、小党のみんなの党、共産、社民は得票分の議席は持てなかった。
 つまり、名目としての「小党の救済」であっても、実態は小選挙制と同じように、大政党に有利な制度になっている。所詮はこの比例制の方も、大政党有利、つまり二大政党統治のための仕組みになっている。

 しかも、国会議員の定数削減という課題に対して、大政党は小選挙区の方の手直しは極力避けて、「比例代表制の定数削減」に向かっている。小党がさらに存在しにくい制度に進もうとしているのだ。
 特定の政党云々ではなく、この選挙制度自体、有権者の多様化した価値観に逆行して、単に「政権交代がしやすいように」二者択一を迫る形になっている矛盾を許容しているのだ。

 また、社会構造が多様化、複雑化してきている昨今、その利害の調整はさらに難しくなっており、二者択一という雑な政策判断では時代を切り開いていくことはできない。つまるところ、今の小選挙区比例代表制の選挙制度は時代に背を向ける仕組みなのである。

●〔復活当選〕
 小選挙区で落選しても、政党が比例代表制の立候補リストに登録しておけば、惜敗率次第で当選になる。落選が当選に変わるオセロゲームである。これは本来、おかしな仕組みというしかない。

 ただ、この仕組みは政権につけない第二党にとっては有効な救済措置になる。2014年選挙で第二党になった民主は35議席中復活当選が34議席に、12年には30議席すべてが復活組の議席に、自民が第二党に転落した09年は55中46議席を占めた。そして、小政党にもそれなりに恩恵があった。

 これを、政権交代を目指す第二党への救済策と見るか、オセロゲームのわかりにくい矛盾と見るか、判断の分かれるところだろう。ただ、有権者にとっては、腑に落ちにくい選出方法だろう。

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2> 一票の格差の矛盾
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 簡単にいえば、宮城5区の有権者には投票権を2.13票使うことを認め、東京1区では1票のみ、になる制度矛盾である。その集積としての「民意」は、実態と異なる方向を打ち出させることにもなる。つまり、憲法の「平等」にもとる仕組みがずっと続いていることになる。

 先の衆院選では小選挙区の「0増5減」の手直しで1.998倍にしたが、ほんの小手先にすぎず、実際の選挙時には東京、北海道など13選挙区で2倍以上の格差のまま、投票が行われた。

 最高裁は2013年11月、12年選挙で最大2.43倍の格差を出したことについて「違憲状態」と判断、参院選も合わせると、過去4回の国政選挙で連続して「違憲状態」になっている。衆院選では、各都道府県に議席を振り分ける「1人別枠方式」を採用していること自体が格差を生み出すもの、として、最高裁は抜本的な見直しを求めている。今度の選挙直後には、弁護士たちが全295の小選挙区で「選挙区間で投票の価値が異なるのは憲法違反」として、14の高裁と支部に一斉提訴をした。要は最高裁がこれまで、「1人一票の民意」をそれほど重視していなかったことにも責任があり、参院選をも含めて制度改革は急務である。

 一方、共産、社民を除く8党が衆院議長のもとに、大学教授、首長らによる選挙制度調査会を設けて検討に入ったが、審議は進んでいない。議員や政党による協議では、利害の対立からまとまりにくいが、第三者中心なら、との期待があり、注目される。

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3> 投票率低下をどう考えるか
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 2014年衆院選の投票率は、52.66%で戦後最低だった。前回は59.32%で戦後最低の記録だったが、それより6.66ポイントも下がったことになる。東京以外ではすべて過去最低だった。50%を割り込んだのは青森(46.83%)を最低にして8県に及んだ。とくに、20歳代は落ち込んでおり、前回の49.45%よりも10%以上減っている。降雪などの影響もあっただろうし、突然の、大義名分の立ちにくい衆院選だったこともあるだろう。

 ただ、2人に1人は棄権という事態は、民主政治からすれば、かなり深刻である。政治の意思決定に有権者の半分しか参加していないことになる。そうなれば、国民の望む政治がなにか、どの方向を求めるか、という点で大きな問題を抱えることになる。

 とはいえ、有権者個々の意思で投票に出かける以上、首に縄をつけて、というわけにいかない。その一方で、政治の方向が国会で決まる以上、たかが一票の行使とはいえ、意思の表示は重要不可欠である。
 なぜ、こんなに投票に行かない人が増えるのか。ひとつは民主主義の慣れで「まあ、俺くらいはいいか」といった風潮があるだろう。学校で抽象的に選挙権を学んでも、政治自体への関心がわかなければ棄権しやすいだろう。国会の審議など政治の動きが面白くない、政治家に信頼がおけない、といった批判的な感覚もあるだろう。

 やはり、政治の持つ重みを教育面、政治の現場などを通じて、関心を持ってもらうしかあるまい。人気投票などのレベルではなく、政治のかじ取りをひとつ間違えると、思いがけない事態を招くという、日常生活から国際的な動きまでの大きな影響の根幹が政治にあることを極力自覚してもらうしかあるまい。

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4> 「死に票」の怖さ
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 投票には行った、しかし候補者も政党も投票通りにはいかず落選するなど、政治に投影することはできなかった・・・そんな思いを持つことがあるだろう。これは、選挙である以上、やむを得ないだろう。
 ただ。この生きてこない票も、制度のあり方で生かすも、殺すも、可能になりうる。言いかえれば、制度次第で「死に票」を減らす措置はできるはずだ。

 こんどの東京都の小選挙区での「死に票」を計算してみた。
 総投票数568万1716票のうち、当選に結びついた得票は47.05%、落選組に投じられた票数は40.47%。ほかに、小選挙区では落ちたが比例制では当選という復活当選組が17議席のうち9議員いて、それが12.48%なので、「死に票」は4割、ということになる。この「死に票」の数字は小さくない。復活当選がなければ、さらに大きな数字になるだろう。政治に反映しない票が大きいことは、好ましいことではない。 

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 小選挙区制度には、いろいろな問題点がある。
 制度がある以上忠実に守る、ということは正しいが、そこに問題が大きく浮き彫りになったなら、正す方向に向かわなければならない。制度というものは簡単には動かしにくく、その枠内での課題を修正していくことは各方面の利害も絡み、とくに制度の改定権限が政党にある場合は容易には踏み切られるものではない。それでは、破綻に至るまで待つのか。そうなれば、制度のひずみによるデメリットは長期にわたって、国民各層、つまり「民意」に矛盾を押し付け、不当のなかに身をゆだねていなければならなくなる。

 小選挙区制度、一票の格差、投票率の低下、そして大量の「死に票」・・・こうした制度的ひずみは、本来の民主主義の土台を壊すことになる。いや、すでに壊れかかっている。現実は暖簾に腕押し、のような状態だが、すでに7回の衆院選で問題の所在はわかっている。改革に手をつけなければいけない時期はとうにきていることも間違いない。

 とくに、安倍政権の政治姿勢は「数」に依存し、信念だという改憲を目指すなどその結果はどうあれ、社会の一大転換期を迎えようとしている現在、「民意」が選挙によって示されることが民主主義だとするなら、まずは選挙制度にこそ手を付けるべきだろう。

 「数」を握る→「民意」の信頼を得た→したがって、公約したことやかねての主張は具体化してよろしい→いや、やらなければ「民意」に反する、このような単純な論理に立つ政権には別の怖さがある。

 もう一点言えば、この二大政党制をとり続けるとするなら、政権党は謙虚さを持って立法時に修正に応じ、第二の大政党は折り合いを求めて修正を図る姿勢を持つよう、その訓練が必要である。賛成か、反対か、の二者択一では複雑な社会的要求は吸収されず、無駄な対決は一部の要求を満たしても総体の納得を得るわけにはいかない。そのときの怨念が、政権の交代後にしっぺ返しのようによみがえり、さらなるマイナスをもたらす。

 最近の政治状況からいえることは、自民政権下で野党勢力を威圧したことが民主政権を生み、民主政権は野党の自民を「数」で黙殺、次いでその失政後に台頭した自民政権は小党化した民主などの野党の要求に耳を貸そうとしていない。社会の複雑な期待を、どの政権も受け入れない。歩み寄り・相互の調整・一歩ずつの譲歩などをもたらす協議の訓練がない。「数」で突っ張ることが常態化して、多様な「民意」の求めに応じようとしない。

 あえて言うなら、この未熟さを二大政党に許す原因もまた、小選挙区制度によるものである。

 そして、期待できない政治に対して興味が失われ、さらに選挙から遠ざかることになり、ふと振り返ってみると予想もしなかった厳しい社会が存在するようになっている。

 そのような岐路に立たされている、という認識は思いすごしであろうか。

 (筆者は元朝日新聞政治部長)


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