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メールマガジン「オルタ」111号(2013.3.20)
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 ◎ 『日本と北東アジアをパイプラインで結ぼう』          
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現実と政治・社会の未来    三上 治

安倍政権の成立とともに外政あるいは内政に対して打ち出した強権的な言辞に対して国内以上に外国から右傾化という警戒の声が出された。これは対外的には民族主義的で国家主義的な、そして対内的には強権主義的な色彩の濃い政策が打ち出されていることへの懸念である。尖閣諸島問題や拉致問題で中国や北朝鮮に対する対決的な姿勢が示されていることである。また、国内的には憲法改正が主張され、強い国家を目指すとされていることだ。

エネルギー協力の進展と日ロ平和条約     望月 喜市

プーチンの東方政策、意志と政策(WTO、APEC、極東発展省)  大統領として第3期目を2011年5月に開始したプーチン氏は、東部ロシア(シベリア・極東)を一方の足として、欧州部ロシアの足と並んで、2本足で立ちあがる巨人ユーロアジア大国ロシアを実現すると豪語した。この発言の背景には、極東を全国平均レベルに引き上げ、アジア太平洋地域への進出拠点とするという内政と、中国の極東進出を阻止するという外交分野の両サイドの判断が込められている。東方ロシアと隣接する日本は、欧州部ロシアだけでなく、今後はますますロシアの極東政策を注意深く観察し、対応する必要がある。

■公害大陸・中国―公害病患者の苦しみに日本も中国もない―      濱田 幸生

公害研究創始者、宇井純先生の「予言」  今から35年以上前になりますが、私は宇井純先生の「公害原論」の自主講座に参加していたことかあります。今にして思えば、この後に沖縄で住民運動に関わり、有機農業へ飛び込むきっかけを与えていただいたのが、宇井先生でした。まだ40歳になったばかりの宇井先生は、当時ようやく研究の端緒についたばかりの「公害」、今の言葉でいえば環境問題を専門とする日本で最初の研究者でした。いまでこそ環境問題は金になるようですが、当時は異端の学問でした。いや不遇なんてものじゃなく、従来の学問に楯突く奴と見なされて「永久助手」のままでした。

≪連載≫海外論潮短評(66)

新しい地平が必要な軍事報道         初岡 昌一郎

イギリスのマスメディア専門誌『ブリティッシュ・ジャーナリズム・レビュー』   昨年12月号は、軍事報道が退役軍人や軍事研究者らの活動を通じ、軍部による誘導を受けていることを反省しジャーナリスト自身が批判的分析的な目を持って軍事報道にあたるべきだと主張する論文を掲載している。この研究誌は、BBCなどの放送機関や、『ガーディアン』などの有力紙、そしてグーグルなどのIT企業の後援によって発行されている。筆者のアンドリュー・グレイは、元ロイター通信の報道記者。この論文は、日本のジャーナリズムや読者にとっても参考になる視点を提起しているので要約紹介する。
  
≪連載≫宗教・民族から見た同時代世界    

上座仏教を民間信仰が彩るミャンマーの仏教   荒木 重雄

民主化と開放がすすむミャンマーに観光で訪れる人がふえている。観光客が赴く先は、なんといっても、シュエダゴン・パゴダをはじめ由緒ある仏塔(パゴダ)や寺院(僧院)である。  さて、ミャンマーで信奉される上座仏教(テーラヴァーダ)では、唯一の崇拝対象は仏陀(釈尊)であり、したがって寺院・仏塔で祀られるのも仏陀像(釈尊像)のみなのだが、実際にはしばしば、多様な尊像が、釈尊像の脇侍ふうに祀られていたり、隣接する祠堂に祀られていたりする。いささか異国風とはいえ釈尊像には見慣れているわたしたちの目は、ついつい、異彩を放つそれらの尊像や、それらに熱心な祈りをささげる人々の姿に惹かれる。そこで、それらの尊像はいったい何なのか、人々はどのような思いをそれらの尊像に向けているのか、池田正隆氏の著作『ビルマの仏教』(法蔵館)の助けを借りてさぐっていこう。
  
≪連載≫落穂拾記(20)

自殺はどこまで減るものだろうか(下)       羽原 清雅

前回に続いて「自殺」に触れたい。 伊豆大島の民謡「大島節」「あんこ節」の歌い手で、大島の御神火太鼓を始めた大島里喜(1909-86)という女性がいた。彼女は幼いころ、郷里の大島から東京・牛込に出て、今の新宿区内の小学校に通っていたことがある。家庭の事情があったのか、繁華街の神楽坂あたりに預けられていたものだろうか、ともかく学校に来たり来られなかったりで、登校や勉強には苦労していたようだ。じつは、彼女の担任の教員だったのが筆者の母親で、里喜が長じてその世界で名を上げ、大島の観光振興に役立っていたころ、彼女が浜町あたりで経営していた料理屋などで時折会っていたようだ。筆者も一度は東京で、また大島に行って再会したことがあった。余計なことながら、母親の死の直前、「アア、海が、花が見える、リキさんがいる・・・」と無意識のなかで漏らしたことが記憶に残る。その大島里喜から聞いたのが、大島に発生した自殺の流行騒ぎだった。今回、そのあたりを調べてみた。 

■【横丁茶話】

柔道論―懐かしい人の話しのはずが                西村 徹

中学の頃、一学年上に群を抜いて体格の大きな生徒がいた。三年生で柔道初段になり五年生で三段になった。なにかと頻繁にマラソンがおこなわれる時勢であったが、かならずこの巨漢は最後尾で校門に入場してきた。懸命に走ろうとして八の字に開いた足は歩幅が短く足踏みばかりしているようで容易に前進しない。その仁王のような巨体の気息奄々たる足どりに、しかし皆は健闘を称えて喝采した。押すのでなく瞬時の牽引が技の決め手になる柔道の足運びが前に進む動作に対して反射的に逆らうからだという風に聞いた。真偽はさだかでないが、まことしやかで、聞いてなるほどと思った。今の柔道のように四国かどこかの闘牛みたいにハナから腰をくの字に折ったりせず、背筋を伸ばしたままの、姿勢の美しい柔道だったからなおさらだったかもしれない。

■【北から南から】
中国・深セン便り

『春節・張家界旅行記 その2』  佐藤 美和子

張家界には、『武陵源』と呼ばれる3つの風景区(景勝地)があり、1992年にはユネスコ世界遺産に登録されています。しかし、武陵源の遊歩道や山道の整備が進み、また2005年頃に世界一長いロープウェイが出来るまでは、その険しい地形のために旅行者はさほど多くなく、メジャーな観光地ではありませんでした。私自身も、授業をサボって旅行ばかりしていた留学時代には張家界という観光地は聞いたことがなく、頻繁に耳にするようになったのはようやくこの数年のことです。 ここ張家界の観光は、とにかく山登りに尽きます。ロープウェイや、なんと切り立った崖にへばりつくように設置された観光エレベーター、また一部バスが通っている区間もあり、観光しやすいようにとてもよく整備されていました。ただしそれ以外の部分は、自力でうねうねと細い山道を歩かねばなりません。これが、なかなかの曲者でした

ビルマ/ミャンマー通信(3)「ミャンマー事務所」に       中嶋 滋

前回まで「ビルマ/ミャンマー」と表記してきましたが、今回から「ミャンマー」とします。ITUCも私がいる事務所をミャンマー事務所と呼ぶことにしました。呼称の変更については、それほど大きな議論はありませんでした。軍事政権が一方的に変更した経緯から民主化を求める人々が「ミャンマー」と呼ばず「ビルマ」と呼び続けてきた政治状況が変わったということだと思います。 もともと「ビルマ」と「ミャンマー」は同じ言葉で口語と文語の違いだそうで,「ミャンマー」と国名を変えた際に「ラングーン」は「ヤンゴン」に変えられましたが、イギリス植民地時代に「ラングーン」とされたのだから「ヤンゴン」に戻ったのも問題ではなく、変更の背景にあった政治状況が問題だったので、その転換があったのだから拘る必要はないというのです。この説の当否は別にして、当地での拘りはほとんどないと言ってよく、海外のNGOや労働組合活動家に拘りが強いようですが、それも変化しつつあります。 
【アメリカ近況】

就任式と【アメリカ合衆国の現状】スピーチにもられたオバマ第2期の政策       武田 尚子

2013年1月21日に行われた第2期の就任式で、オバマは久しぶりに生き生きした表情を見せ、寒風をついて集った1万人近い聴衆に、新たな自信を投影して頼もしかった。  アメリカの歴史を振り返って、最高の演説はなんといってもリンカーン第2期の就任演説と、マルチン・ルーサー・キングの自由へのマーチにすぎるものはないとよくいわれる、今日のオバマのスピーチはたとえその二つの演説を超えないとしても、その内容に実質がしたがうなら、おそらくもっとも重要な政治演説の一つとして歴史に残るだろうと評された。 スピーチの中核は、独立宣言の中で明らかにされた【全ての人間は平等に創られ、その創造者から、生命、自由、幸福の追求という権利を与えられている】という理念である。[アメリカ人を一つに結びつけているのは、肌の色や言語や風習ではなく、その理念に対する忠節なのです]と彼は冒頭に述べ、この考えはスピーチを通して、【一緒に】という言葉で何度も繰り返された。それはただ中身のない抽象的な言葉でなく、貧者や病者や無視された人達に対する市民としての義務を意味していると彼はいう。 
【運動資料】

TPP参加に極秘条件あり!後発国、再交渉できず!   濱田 幸生

安倍首相が前のめりになって、あとは「決断」だけという時期になってとんでもない爆弾が炸裂しました。東京新聞のスクープです(※資料参照)。 これを受けて3月8日の衆院予算委員会において、共産党笠井亮議員が追及しました。なかなか鋭い舌鋒で、いままで野党の質問を軽く一蹴しできた政府側が初めてたじたじとなった様子がみてとれました。 私もこの国会中継を聞いていたのですが、岸田外相もその秘密条項の存在を認めています。 う~ん、推進派にとって致命傷になりかねない秘密条項ですね。この秘密条項は、日本より後に交渉参加の意志を示したにもかかかわらず、先に参加表明してしまったカナダ、メキシコのNAFTA(北米自由貿易協定)諸国が、先行参加国から「さて、ご参加されたなら、お教えしましょうか」とばかりに突きつけられたものです。 

■【エッセー】

身辺雑常(3)           高沢 英子

リュウマチという病気について、前号に身辺の状況を含めて見聞きしていることを書いたのも、わたしとしては、ときたま新聞などに紹介されているリュウマチに関する医学的な記事や、患者さんたちの日常の戦いの記録を見て、メディアに登場する情報が、リュウマチに関する場合、どちらかといえば、少し不正確な気がしたり、実際の患者の病状や、心理とずれていると、強く思うことが多かったからである。 それというのも、おおむね患者を代表する形で紹介されているひとびとの病歴などが、頑張ればこんなことも出来る、これもしてきた、あんなこともやった、という肯定的明るい局面ばかりを大きく取り上げ、現実を正直に見詰めて対応していないことに、違和感を感じてきたからである。

■【投稿】日本社会の可能性はどこにあるか

―衆院選を終わってみて「市民リベラル」の可能性は―  横田 克己

2012年12月第46回衆議院議員総選挙は、劇的変化を繰り返し終わった。その特徴は、再度の政権交代が軸となったのだが、近代を仕切ってきた「政党政治」の存在に衝撃的インパクトを与えたと思える。その傾向をみると、11党による多党化選挙戦もさることながら、政治の左右・中道軸が「オールライト」化によって枯れ、戦後資本主義体制が育んできた政党政治の形式民主主義による枠組みの一人歩きが、市民社会との歪みを露呈したといえる。 その内実は、小選挙区制の想定外ともいえる歪みが、得票率(小選挙区)43%で237議席(74%)を占有したに止まらず、投票率が前回を10%も下回って不服従が際立ったことである。従前から「維新の会」や「未来の党」、脱原発や定義不明の「第3極」など賑わいをみせたのは、「失われた20年」にある「政府の失敗」を総括しないまま問題状況を投げ出した「政党政治」の悪あがきだった。

■【俳句】   富田 昌宏

一票の格差違憲や春疾風(はやて)   オスプレイ飛び立つ基地や春一番

【川柳】   横 風 人

日の丸が させる体罰 問えぬまま   忙しや 北と日本測る 放射能 

■【追悼】

河上民雄さんと私            高橋 勉

民雄さんと知り合ったのは、私が矢尾喜三郎代議士(滋賀県選出)の秘書になって2年めの1955年の夏ごろだ(「民雄さん」と呼び慣わしていたので、そう書かせていただく)。矢尾代議士の部屋は当時の第一議員会館8号館の1階で、河上丈太郎先生の部屋が同じ会館の9号館の2階だったから、ご尊父の部屋に行かれる民雄さんとよくお会いした。 そのころ民雄さんが丈太郎先生の部屋に頻繁に通われたのは、左右両派社会党の統一に備えて設置された統一綱領委員会のメンバーだったからだ。同じ委員会のメンバーだった右派社会党書記局の藤牧新平さんといつもいっしょで、廊下を歩きながら真剣な表情で話し合っておられた。2人は右派社会党の論客だったから、綱領委員会での議論の内容を右派社会党委員長の丈太郎先生に逐一報告に上がられたのだろう。

【編集後記】

◎安倍政権は7月の参議院選挙までは「低姿勢」の構えで行くと言いながら、世界同時株高・円安による国民の景気回復期待感で内閣の出足のよさにつられたのか、衣の下から鎧がのぞくどころか本音を丸出しにし始めている。選挙では巧妙に争点からずらして成功したが、原発再稼働、TPP参加、集団自衛権の容認は予想されたところだが、最近は憲法36条改正からさらに一歩踏み込んで9条改正による国連軍参加の集団安保まで言い出し、これには連立を組む公明党もさすがに一応懸念を表明している。 私たちも憲法論議そのものをすべて頭から拒否するものではないが、自主憲法の制定を声高に叫びながら逆に対米従属を深める政権の改憲論議に賛成はできない。