【メイ・ギブスとガムナッツベイビーの仲間たち】(20)

サングルポットとカッドゥルパイの冒険⑮

高沢 英子

 鎌首をもたげた蛇夫人のあたまが、ガム宿にかかげてあった看板を揺らせたとき、たまたま、その看板にペンキを塗っていた一人のユーカリの実がいました。彼は、ちょうどいま、そこで何が起ころうとしているのかを見て、いきなり、蛇夫人の首をめがけて跳び下り、腕と両足で、蛇夫人の喉を、力いっぱいしめつけました。なんて勇敢なガムナットでしょう。これまでも、気のいいトカゲさんや蛙たちが、いつもひどい目に合うのを見ていたので、我慢できなかったのかもしれませんね。

 蛇夫人は、苦しまぎれに、道で尻尾をのたうたせ、どうなることかと見守っていたみんなは、歓声をあげました。トカゲおじさんも元気づいて、彼女に突進してぶちのめし、おおぜいのガムたちが、騒ぎを知って、坂道を駆け下りてくるし、ガム宿からも、みんな出てきて、その場をとりかこみました。しゃんとなって這い出した蛙おじさんが、彼女の上にとびのりました。蛇夫人は、こんなにおおぜいの敵に囲まれて、うごきが取れず、もうおしまいだと必死になって「私の友ただちよー!、助けてー!」と叫びましたが、卑怯者のバンクシャーたちは、いつのまにかその場を逃げ出し、遠くに姿を消していました。

 こうして、とうとう蛇夫人は、身動きできなくなり、尻尾を巻き込み、悪いことばかりして来た頭をぐったり垂れて、死んでしまいました。それをみたみんなは歓声をあげました。これまで蛇夫人は、ほんとに、悪いことばかりしてきたので、彼女をやっつけたのは、賞賛すべきことで、みんな大喜びでした。
 そしてリリー・ピりーのお父さんは、みんなに、ガム宿でお祝いのディナーパーティを開こう、と呼びかけました。

 サングルポットとカッドゥルパイは、さきに出会った大きな痩せカエルさんがその場にいるのに気が付き、おやおや!と叫び、彼と握手して「おじさん、どこからここへ来たの?」とたずねました。
 「蛇の腹のなかからさ」とカエルさん。「きみたちが、あの土牢からでたとき、蛇ばあさんは、わたしを呑みこんだんだのさ。けど彼女が眠りこけたとき、わたしはあいつののどをかきむしって、彼女が咳きこんだすきに跳び出して、ずっと隠れてここまできたんだよ」

 これを聞いたみんなは「これまで聞いたいたこともないすばらしいストーリーだ!」と感動しました。
 「それにしても、私が助けてやったあの小さな女の子は、どこへいったのかなあ?」とカエルさん
 「どんな女の子?」
 「小ちゃなほぐれ花の女の子さ、さっきまで、わたしといっしょにいたんだよ・・・」

 聞くが早いか、サングルポットとカツドゥルパイは駆けだして、こっそり帰ろうとしていたほぐれ花をつかまえました。彼女は、自分が汚らしい格好をしているのが恥ずかしくて、逃げだそうとしていたんです。

 「どうしたことなの?」リリー・ピリーがサングルポットとカッドゥルパイのあとから駆け付けて、わけを聞き「まあ、あの子は、ちょうど父さんの新しい演劇に、ぴったりの女の子だわ」と叫んで、小さなほぐれ花にキスをし「あなたもディナーに一緒に来て下さいな」と誘いました。
 そして「わたしが上着を差し上げるわ。うちに来て、わたしの妹になってください―わたしは母さんも姉妹もいないのよ」といいました。

 それを聞いた小さなほぐれ花は、幸せいっぱいで、口もきけませんでした。リリー・ピリーは優しく彼女の肩を叩くと、みんなにユーカリガムの花のバレーのチケットを配りました。そのチケットは、ちょうどその晩、大劇場で始まるユーカリガムのバレー初日のチケットでした。

 みんながピリー氏とリリー・ピリーに喝采し、サングルポットとカッドゥルパイ、カエルさんとトカゲさんにも喝采し、パーテイでどんちゃん騒ぎをし、その晩は、ガムナッツたちはみんな」、とても幸せな気分で胸がいっぱいでした。
 (おわり)

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 これで、サングルポットとカッドゥルパイの冒険談はひとまずおしまい。かれらは、これからも、まだまだ多くのことを知り、森の世界で楽しく生きてゆくことでしょう。
 次回は、これに続いて、森の仲間たちに受け入れられたほぐれ花が、あらたに勇気を出して、つぎの冒険に乗り出して行く物語を紹介したいと思います。

 さて、メイ・ギブスが、こうして、オーストラリアの南の海辺都市シドニーで、ガムナッツたちを世に出したのは、1913年のクリスマスのことでした。日本では大正2年のことです。オーストラリアのブッシュの森に棲息する多様な生きものや植物などを夢中でスケッチしながら、メイ・ギブスは何を考えていたのでしょうか。

 翌1914年、ヨーロッパで第一次世界大戦が勃発します。オーストラリアとニュージーランドも参戦、若者たちを戦場に送りました。〈ディッガーたち〉この国ではヨーロッパ戦線に送り出した兵士のことをそう呼びました。当時のヨーロッパ戦線では、塹壕を掘り〈ディッグして〉兵士たちはその中にひそみ、突撃の合図で飛び出す戦略がとられていたからです。
 戦は1918年まで続き、メイの描くイラストは、これら泥と戦火にまみれて戦うディッガーたちのもとにも届けられ、故郷のブッシュの森のユーカリの妖精物語は、かれらにせめてもの楽しみを与え、生きる力を与えるものだったようです。

 こうして、字を覚える前に描いていたという天性の画家メイは、母国イギリスから戻って、この国で生きることを決意し、両親の住むパースを離れ、シドニーで、あらたにイラストレーターとして自立することをめざします。
 もともと自然に親しむ喜びは人一倍知っていたものの、ひととコミュ二ケーションをとるのは、どちらかと言えば苦手なシャイな性格で、親しい友といえば、イギリスから共に帰って来たレンに、ラケル・マシューなど。シドニー市街からは内海を隔てたニュートラル・ベイのアパートをシェアして暮らしながら、献身的なレンに助けられ、ひたすら自然の樹々や生きものをスケッチし、温かな目で彼らを見つめた物語を編み出し、しっかりしたデッサンと美しい色彩のイラストを添えて書き続けていたのです。

 レンは本国でのキャリアを生かしてシドニーのGPOで電話交換手の地位を得て、暇さえあればメイと共にフェリーで市内観光を楽しみ、メイはやがてシドニーの出版界で良い評価を得、徐々にオーストラリア国内で知られるようになってゆき、1916年、彼女の最初の絵本がシドニーで出版されます。

 いっぽう、もともと画家を志していた父のハーバートとセシーは、彼女の才能を認めながらも、30歳をとうに過ぎても結婚の意志を持たない娘の行く末に、気を揉んでいましたが、彼女はブッシュの森のさらなる物語のプロジェクトを胸に抱き、イラストを描くのに夢中で幸せに満たされていました。そして、やがてこの時期、彼女の人生にひとつの大きな転機が訪れます。それについては引き続き33号で、やや詳しく紹介させて頂こうとおもいます。

 (エッセイスト)
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