【マスコミ昨日今日】(8)
2014年6〜7月
【平和憲法が死んだ!】
7月1日、安倍晋三内閣は従来の憲法解釈を変更し、集団的自衛権を行使できると閣議決定した。これで日本の陸海空軍(「自衛隊は単なる固有名詞であり、一般名詞としての表記は「日本軍」が正しい。中国「人民解放軍」を中国の陸海空軍と表記するのと同じ」は海外での戦闘行動が可能になった。日本は戦争できる国になった。2014年7月1日は「平和憲法が死んだ日」だった。
マスコミの報道・論評が何故、平和憲法の死を許したのか? いくつかの問題点を指摘したい。
◆第1の論点=ウソつき首相を非難する下品な主張に欠けていた
朝日は7月9日付朝刊に<集団的自衛権 憲法解釈変更、割れる社説 新聞各紙にみる論点>と題する記事を掲載した。小見出しから拾うと<朝日・毎日・東京は批判 在京6紙>となる。
▼朝日毎日東京vs読売産経日経の対立
<朝日新聞は、戦後日本が70年近くかけて築いてきた民主主義が踏みにじられたとして「憲法の基本原理の一つである平和主義の根幹を、一握りの政治家だけで曲げてしまっていいはずがない」と批判。大野博人論説主幹は「集団的自衛権にしろ集団安保にしろ、武力行使にともなう内外への責務や負担がどれほど重いか、目をそらしたままの決定は危うい」と話す。>
<毎日新聞は「歯止めは国民がかける」との見出しで、社説を1面に掲載。米国の要請に応じることで「国の存立」を全うすることに疑義を呈した。小松浩論説委員長は「目先の脅威が議論になりがちだが、過去の教訓を踏まえ、警鐘を鳴らすのがメディアの役割。『国の存立』を大義名分にして、過ちを繰り返してはならない」とのメッセージを込めたという。>
<東京新聞は1日に1面に社説を掲載し、一内閣による解釈改憲を批判。2日は、政府が挙げた行使が必要な例について「自民、公明両党だけの『密室』協議では、こうした事例の現実性は結局、問われず、『海外での武力の行使』を認める『解釈改憲』の技法だけが話し合われた」とした。>
逆に読売・日経・産経の3紙は肯定姿勢だったということになる。
<読売新聞は「安倍首相が憲法解釈の変更に強い意欲を示し、最後まで揺るぎない姿勢を貫いたことが、困難な合意形成を実現させた」と歓迎した。新解釈は「解釈改憲」と本質的に異なるとし、「過度に抑制的だった従来の憲法解釈を、より適正化した」とした。>
<日本経済新聞も、台頭する中国などに対して、米国が「世界の警察」役を担いきれなくなった、として閣議決定を評価。ただ、「ここまで急ぐべきだったのか疑問」と指摘。「政権が交代するたびに路線が変わるようなことは、あってはならない」と釘を刺した。>
<産経新聞は「自民党がやり残してきた懸案を解決した。その意義は極めて大きい」と述べた。解釈の変更という手法については「国家が当然に保有している自衛権について、従来の解釈を曖昧(あいまい)にしてきたことが問題なのであり、それを正すのは当然」と主張した。>
▼ブロック紙・地方紙では反対40・賛成3
ブロック紙・地方紙については<反対40紙、賛成3紙 地方・ブロック>という小見出しがあった。
<ブロック紙や地方紙は、反対の声が多数を占めた。朝日新聞が2日付社説(論説)を調べたところ、賛成は北国新聞(石川)や富山新聞、福島民友の3紙、反対は北海道から沖縄まで40紙あった。多くは立憲主義の否定、平和主義の危機に警鐘を鳴らしている。
秋田魁(さきがけ)新報は、安倍政権を「戦後70年近くかけて一歩一歩進めてきた平和国家の歩みをわずか1カ月半、計13時間の与党協議で『戦争ができる国』へと強引に方向転換させた」。
徳島新聞は「戦争の恐ろしさを知っていた本県選出の三木武夫元首相や後藤田正晴元副総理が生きていたら、認めなかったのではないか」と訴えた。
安全保障や憲法を集中的に取り上げた社もある。信濃毎日新聞(長野)は3月から今月8日までに「安保をただす」と題した社説を計38回掲載。2日は「憲法は権力を縛るものなのに政権が思うまま解釈を変えられるのでは、意味がなくなる。今度の閣議決定は解釈改憲のあしき前例を作った」と述べた。
西日本新聞(福岡)は5、6月で計22本を掲載。1日は憲法9条の条文を載せ、解釈変更での閣議決定を「9条の骨抜き」と批判。2日は与党協議を「お粗末の一言」と断じた。井上裕之論説委員長は「平和友好条約を結ぶ中国をなぜ敵とみなすのか。外交努力をせず安保環境が危ないとあおるのはおかしい」と指摘する。
沖縄タイムスは「憲法クーデター」と批判。「沖縄の軍事要塞(ようさい)化が進むのは間違いない。沖縄が標的になり、再び戦争に巻き込まれることがないか、県民の不安は高まるばかりである」と書いた。>
かなりの力作であることは評価できる。とくにブロック紙・地方紙については、きちんと社説を読むだけでもたいへんな労力だ。いまでは各紙のホームページで読めるようになっている。信濃毎日や西日本、沖縄タイムスの意欲的な姿勢には、私自身気付くべきだった。
▼多数に読まれたか? という疑念
教えられた立場で言うのもおかしいが、この記事はどの程度読まれたのか? と考えてしまう。3面トップの大きな扱いである。硬派(社会面・文化面・家庭面などを「軟派」と呼び、政経、国際分野の記事を硬派とする業界用語)の記事としては1面トップに次ぐ扱いなのだが、内容まで「読みたい」と思った読者は少数だったのではないか?
社説をはじめ集団的自衛権をテーマとする記事は、上品にすぎた。購読者に「読ませる」ためには、その上品さが大きな欠陥だったと指摘したい。マスコミ各社の世論調査でも、集団的自衛権容認の解釈改憲に「賛成」の国民は少数派だ。それなのに安倍内閣が断行したのは、首相本人が解釈改憲で「平和憲法」を骨抜きにするという強固な意思を持っていたからだろう。安倍首相本人が脇目もふらず突っ走ったのだから、「反対」の新聞論調に効果はなかった。
▼ニュースショーで語らせるには?
テレビのニュースショー番組への影響を考えてみれば分かりやすいかもしれない。「コメンテーター」とか言うらしいが、数人並んで何ごとか言う役割の芸人たちがいる。中には新聞社の現職あるいは元職の論説委員という肩書きを持つ者もいるが、テレビに出ている限り「芸人」の言動をとる。つまり「正しいこと」を主張するのではなく、「ウケること」を最優先して発言する。
このテレビ芸人たちは、それほど勉強しているとは思えない。ニュースショーに出ているのだから新聞を読むぐらいのことはしているのだろうが、深く読み込むのではなく、一瞥(チラ見)程度だろう。「ウソつき首相」という大見出しをつけるような紙面づくりにしなければ、彼らは「首相発言に問題あり」と言ったりはしない。
いま多くの人たちの日常生活は、「ニュースに触れるのはテレビだけ」といったものになっているようだ。新聞社は「テレビ芸人に発言させるための紙面づくり」を目指す必要がある。
▼平気でウソをつく安倍首相
安倍首相は、これまで前例がないほどの「平気でウソをつく首相」である。政府の憲法解釈変更を閣議決定して、集団的自衛権を認めるという今回のテーマが一躍浮上したのは5月15日だった。首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)が報告書を提出。それをうけて首相が記者会見した。この会見で首相は、赤ちゃんを抱く母親や子供らを乗せた米軍艦が戦地から日本へ避難するという概念図を描いたパネルを使った。「集団的自衛権を行使できないというこれまでの憲法解釈では、自衛艦が米艦を守れない。憲法解釈変更によって守ることができるようになる」という主旨の発言を強く印象づけるためだ。その概念図は、首相直々の指示によって官邸スタッフがつくったという。
このパネルの想定は、あり得ないことだった。紛争国が「熱い戦闘」状態になり、その国に住む日本人の「救出」が必要な事態は起こりうる。しかし米国の船が日本人を乗せて救出してくれるだろうか? 紛争地がどこであろうとも、日本人だけでなく、米国人もいる。軍艦であろうと民間船であろうと、米国の船が運行できたら、米国人最優先で乗船させるのが当然のことだ。いくら「同盟国」だといっても、日本人を米国人より優先して乗船させることはない。仮にそんな命令を出した大統領がいたら、次回選挙では敗北必至だろう。
▼あり得ない想定パネルづくりを自ら指示
報道によると、朝鮮半島有事の場合について、米国船による日本人救出が日米間で協議されたことがあった。しかし米側の姿勢は、「米国人救出で手一杯。日本人を乗船させる余地はない」というものだった。あり得ない想定についてパネルまでつくらせ、NHKなどが同時中継した記者会見で使うなど、立派なウソつきだ。国民に「集団的自衛権行使は必要」と訴えようという熱意のあまりといえるのか……。ともかく国民を欺したことは間違いない。
テレビニューショーの影響まで考えると、下品な言葉をつかった「ウソつき首相」記事の公用は明らかだろう。芸人たちが「ウソつき」の言葉に飛びつき話題にする。「テレビしか見ない」国民たちも、家族や近隣の会話で「ウソつき首相」を語る。そうなってこそ、マスコミの影響力は発揮されるのである。
▼狭い海峡を機雷封鎖というウソ
安倍首相はシーレーン防衛も強調し続けた。ペルシャ湾の出口のホルムズ海峡や、インドネシア・マレーシア間のマラッカ海峡が機雷封鎖された場合、日本に原油が入らなくなる。自衛隊が機雷を除去するのが、「国民のため」だという論理だ。両海峡とも航路は狭く、機雷封鎖されてはたいへんだといわれているのは事実だ。しかし現実には、この両海峡が機雷封鎖された前例はない。戦争でもないのにそんなことをしたら、封鎖を実行した国が、世界中を敵に回すことになる。論理的な可能性があるだけで、現実には起こりえないケースなのだ。首相だから、そんなことは知り尽くしているはずなのに、機雷封鎖でタンカーが運行できなくなる可能性があるように発言するのもひどいウソだ。
安倍晋三首相は、かなりひどい「平気でウソをつく人」なのだ。その事実をどんどん報道しなかったから、首相のウソがまかり通ってしまった。
▼日本侵略の前例は元寇だけ
安倍首相は、世界中の国々が「日本侵略」を狙っていると考えているのではないか? 「いくら何でも、それほど非常識ではないだろう」とは思う。しかし発言を聞く限りでは、そう思い込んでいるのではないかという疑いを消せない。
日本を侵略しようとする外国の試みがあったのは、長い歴史上たった2回の元寇(げんこう)=文永・弘安の役だけなのだ。1274(文永11)年と、81(弘安4)年のことだから、いまから700年以上も前のことになる。それなのに安倍首相の発言を聞いていると、日本以外の全ての国が「日本侵略」を狙っていると思い込んでいるとしか考えられない。小学校から大学まで東京・武蔵野市のお坊ちゃん学校・成蹊学園に通ったのだから、そんなことを知らないのかもしれない。
仲良しの副総理・麻生太郎蔵相の漢字読み間違えと同じこと。小中学校時代の勉強不足がたたっているのだ。間違いでも知らない場合でも、近辺にいる人が、教えようとしたはずだ。しかし「間違いですヨ」と善意の忠告をしてくれても、「不愉快だ」と態度で示すだけのゴーマンな人がいる。そういう場合、善意の忠告をする人は消え去ってしまう。間違いを指摘してくれる人が誰もいなくなってしまったのが、安倍政権トップとナンバー2の現状だろう。
▼侵略ばかりの「日本の戦争」
日本の戦争についていえば、19世紀末から20世紀前半にかけて、日本は「侵略戦争の時代」だった。日清・日露両戦争、第1次世界大戦、日中15年戦争から第2次世界大戦と、ひっきりなしに戦争していた。それ以外にも、シベリア出兵(1918年8月から22年10月)ノモンハン事件(39年8、9月)の対ソ戦が加わる。戦闘地域は大半が東アジアで、対米開戦後に太平洋上の諸島が加わる。すなわち、日本は侵略戦争をしかけてばかりいたのだ。
侵略戦争をしかけ続けてきた国のトップが、「すべての国が日本侵略を狙っている」と言わんばかりの発言を繰り返し、平和憲法を骨抜きにしようとしている……。これが日本の現状なのであり、かなり恥ずかしい姿だ。無知については、「勉強した方がいい」と忠告したい。ウソについては「ウソと坊主の髪はゆっちゃ(言っちゃ、結っちゃ)いけない」という諺(ことわざ)を進呈したい。アベちゃんは還暦の歳男(としおとこ)だが、当方はそのひと回り上の午(うま)どしなのだ。
▼実現した「ナチスに学べ」発言
ここまで書いてくると、昨年7月29日、麻生副総理の「ナチスに学べ」発言が、まさにそのとおり実行されたことに気づかずにいられない。問題の麻生発言は、当時世界1民主的といわれていたワイマール憲法下のドイツで、ヒトラーのナチス独裁政権が誕生する経過を語りながら、「ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていた。誰も気づかないで変わった。あの手口に学んだらどうかね」というものだった。
シンポジウムはジャーナリストの桜井よしこ氏が理事長を務める「国家基本問題研究所」主催で、都内のホテルで開かれた。桜井氏が司会をし、麻生氏のほか西村真悟衆院議員(無所属)や笠浩史衆院議員(民主党)らがパネリストを務めた。スジガネ入りの「右翼」といっていいメンバーで、現職の副総理がパネリストとして出席するだけで「驚き」である。
ユダヤ系人権団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」(本部・米ロサンゼルス)が翌30日、「一体どんな手口をナチスから学べると言うのか」と題した抗議声明を発表し、麻生氏に見解発表を求めた。朝日・毎日両紙の報道もあったため、麻生氏は8月1日、文書で「コメント」を発表した。その全文は以下のとおりである。
<7月29日の国家基本問題研究所月例研究会における私のナチス政権に関する発言が、私の真意と異なり誤解を招いたことは遺憾である。
私は、憲法改正については、落ち着いて議論することが極めて重要であると考えている。この点を強調する趣旨で、同研究会においては、喧騒(けんそう)にまぎれて十分な国民的理解及び議論のないまま進んでしまった悪(あ)しき例として、ナチス政権下のワイマール憲法に係る経緯をあげたところである。私がナチス及びワイマール憲法に係る経緯について、極めて否定的にとらえていることは、私の発言全体から明らかである。ただし、この例示が、誤解を招く結果となったので、ナチス政権を例示としてあげたことは撤回したい。>
朝日が8月1日付で掲載した麻生発言の冒頭部分は
<僕は今、(憲法改正案の発議要件の衆参)3分の2(議席)という話がよく出ていますが、ドイツはヒトラーは、民主主義によって、きちんとした議会で多数を握って、ヒトラー出てきたんですよ。ヒトラーはいかにも軍事力で(政権を)とったように思われる。全然違いますよ。ヒトラーは、選挙で選ばれたんだから。ドイツ国民はヒトラーを選んだんですよ。間違わないでください。
そして、彼はワイマール憲法という、当時ヨーロッパでもっとも進んだ憲法下にあって、ヒトラーが出てきた。常に、憲法はよくても、そういうことはありうるということですよ。ここはよくよく頭に入れておかないといけないところであって、私どもは、憲法はきちんと改正すべきだとずっと言い続けていますが、その上で、どう運営していくかは、かかって皆さん方が投票する議員の行動であったり、その人たちがもっている見識であったり、矜持(きょうじ)であったり、そうしたものが最終的に決めていく。>
である。
直接改憲に触れた発言は以下のとおりだ。
<しつこく言いますけど、そういった意味で、憲法改正は静かに、みんなでもう一度考えてください。どこが問題なのか。きちっと、書いて、おれたちは(自民党憲法改正草案を)作ったよ。べちゃべちゃ、べちゃべちゃ、いろんな意見を何十時間もかけて、作り上げた。そういった思いが、我々にある。
そのときに喧々諤々(けんけんがくがく)、やりあった。30人いようと、40人いようと、極めて静かに対応してきた。自民党の部会で怒鳴りあいもなく。『ちょっと待ってください、違うんじゃないですか』と言うと、『そうか』と。偉い人が『ちょっと待て』と。『しかし、君ね』と、偉かったというべきか、元大臣が、30代の若い当選2回ぐらいの若い国会議員に、『そうか、そういう考え方もあるんだな』ということを聞けるところが、自民党のすごいところだなと。何回か参加してそう思いました。
ぜひ、そういう中で作られた。ぜひ、今回の憲法の話も、私どもは狂騒の中、わーっとなったときの中でやってほしくない。>
▼文書コメントもウソ
この発言のどこからも、麻生氏が「ナチス及びワイマール憲法に係る経緯について、極めて否定的にとらえている」とは言えない。ドイツ国民が選挙でナチス党とヒトラーを選び、静かに「ナチス憲法に変わった」ことは、肯定的に評価されているとしか思えない。麻生氏が文書でまで発表した「(私が)ナチス及びワイマール憲法に係る経緯について、極めて否定的にとらえている」というのも大ウソである。安倍政権は首相も副総理もウソつきで、まさに「ウソつき政権」といえる。
<注> 朝日は記事に「ナチス憲法」と書いているが、それは存在しなかった。ナチス政権は1933年3月、立法権を国会から政府に移譲する内容の「授権法」(正式名称は「民族と国家の苦難除去のための法律」。「全権委任法」という略称が用いられることもある)を成立させた。この立法にあたって、ワイマール憲法の改正手続きが取られたが、授権法が「憲法」を名乗ることはなかった。
《<注> 終わり》
いずれにせよ、麻生副総理が語った「憲法改正は静かに」路線は、安倍内閣による解釈改憲の断行によって見事に実現した。朝日・毎日・東京プラス大半のブロック紙・地方紙が構成する「護憲派新聞群」の戦いは手痛い敗北に終わった。
◆第2の論点=公明党の「演技」報道は正しかったのか?
前項で書いた安倍首相の記者会見(5月15日)から、1カ月半、「集団的自衛権政局」が展開されたといえよう。その主役は安倍首相と公明党だった。1面トップクラスの記事になるのは、首相発言と公明党の動向が多かった。
閣議決定の前日、6月30日付朝日朝刊は「集団的自衛権、あすにも閣議決定」と報じた。文中に「公明党は今月30日に行使容認に向けて党内の意見をまとめ、翌1日に自民、公明両党が合意する見通し」という記述がある。その前日、29日付朝刊1面は「公明、地方から異論 意見聞く会、紛糾 集団的自衛権」であり、3面に「集団的自衛権『なぜ急ぐ』『情報不十分』 公明、地方議員に危機感」という記事があった。この記事は28日に行われた地方代表者の意見を聞く会の模様をレポートしたものだ。「紛糾」「危機感」がホンネだったとすると、30日にすんなり行使容認で党内の意見がまとまるはずがない。
公明党には「与党から離れるべきだ」という主張などなかった。ましてや、「『平和の政党』でなくなったら、離党する」という勢力など皆無だ。「自公連立は崩さない」が、党内で全体を支配する大原則なのだから、「集団的自衛権容認に異議あり」など演技にすぎなかった、というのが私見である。
私はデキの悪い政治部記者だったので、まともに話ができたのは、故中川一郎氏だけと言っていいほどだ。本人は農相・元科技庁長官など歴任した。元財務相・昭一氏の父だ。その昭一氏も2009年10月に死去したのだから過去の人。83年1月札幌で自殺した一郎氏本人は「大過去の人」ことになる。
一郎氏は右翼的な議員集団「青嵐会」をつくり、「北海のヒグマ」と呼ばれた。本人によると広尾町の農家の長男で、九州帝大農学部卒なのだから、地(じ)は「青白きインテリ」。北海道開発庁の官僚で、大野伴睦長官の秘書官となる。大野の勧めもあって政界入りした。いろいろやっているうちに、地のままではダメと考え「北海のヒグマ」を演じたのだという。
「政治家は演技する」が正しいことは、体感の次元で了解できた。派閥担当となると、政治家との宴席もあった。席上、多くの政治家たちが、田中角栄氏のモノマネを演じた。一郎氏本人を含めて、それぞれに上手だった。首相になった海部俊樹氏の角栄など「絶品」と言えた。角栄氏のモノマネは演技の第一歩だったと思ったのだ。
政治家個人を「演技する人」と考えたら、政治家の集団である政党は、演技者の集団となる。公明党を「平和の党」とする言動が「演技ではないか?」という質問を公明党本体や支持者にぶっつけてみると仮定する。「演技ではありません。ホンネの行動です」という答が返ってくることは間違いない。しかし「迫真の演技」という言葉がある。辞書の説明は「演技であることを忘れさせるほど、真に迫った演技」である。迫真の演技と、ホンネによる行動の差は、紙一重にすぎないのだ。
朝日は7月3日朝刊から4回、「検証 集団的自衛権」を連載した。その第1回は「公明折衝役、石破(茂・自民党幹事長)氏外した首相」であり、第3回は「安保論客、山口(那津男・公明党代表)の空回り」。4回全体の内容が、自公両与党の折衝といった内容だったから、公明党は大喜びだろう。
公明党は1961年11月、公明政治連盟として発足した。3年の前史時代を経て64年11月、公明党として結党大会を開き、保守=自民党、革新=社共両党の枠を乗り越えた「中道政党」を自称した。80年代は、社会・民社両党と協調する社公民路線をとったが、91年東京都知事選では、当時の自民党幹事長小沢一郎と組んで、NHKキャスターだった磯村尚徳を担いだ。
93年8月に成立した反自民8党派連立の細川護煕政権で与党となり、解党して新進党に合流したこともあった。99年10月、小渕恵三政権の与党となり、その後自民党総裁を首相とする内閣では必ず与党となっている。この自民党との協調路線がすでに15年間に及んでいる。
共産党と鋭く対立するのは結党以来の体質であり、それに自民党との協調が加わって、いま公明党の体質となっている。創価学会員で構成されるとされる組織の力は強く、国政選挙のさい、小選挙区では自民党候補を支援する。その「選挙力」があるからこそ、2012年12月の衆院総選挙、13年7月の参院選で、自公与党は圧勝した。
公明党の実態が、「反共」(アンチ共産党)と「与党の座を離れられない」体質になり切ってしまっているからこそ、「護憲」「平和」の演技を迫真のものとする必要があったのではないか?
憲法が骨抜きになり、平和国家が変質しようとしているときになお、「護憲・平和の党」を強調する公明党の主張について「演技」と書かない。これでは「真実の報道」とは言えない。「護憲・平和の党」が、安倍首相の解釈改憲路線に対してさまざまな注文をつけ、自民党に認めさせた。そういう報道のトーンは、安倍政権にとっていちばん有難かったはずだ。
朝日・毎日・東京が、ホントに「解釈改憲反対」だったのなら、自公折衝での公明党のパフォーマンスを「単なる演技」と冷ややかに断じるべきだったはずだ。
【警察の巨大犯罪を葬り去ったままで良いのか?——無意味すぎる松本サリン事件20周年報道】
6月27日が、松本サリン事件20周年だった。事件は20年前・1994年6月27日深夜に起きた。
朝日は6月28日付1面コラム「天声人語」のテーマを「松本サリン事件20年」とし、事件後半年にわたって犯人扱いされた第1通報者の会社員、河野義行氏(現在65歳)をとり上げた。起承転結の「起」部分を除いて紹介しよう。
<▼河野さんは最近の講演でこう語っている。「マスコミは大事件や特異な事件になると、バランスを崩していく特性を持つ」。厳しい指摘をいまも否定しきれないのが悔しい。事実の確認を重ねる。予断を捨てる。改めて肝に銘じたい。▼発生の当初、河野さんの自宅には嫌がらせの電話が殺到し、脅迫状が舞い込んだ。「私は社会の敵にされた」と、本紙への以前の寄稿で述懐している。メディアのあやまちが無実の人を追い込んだ。▼「排除の構造」。特定の対象に不特定多数が敵意を向ける社会の姿を河野さんはそう呼ぶ。自分が苦しんだのと同じ仕打ちを、いままさに受けている人々がいると去年知った。ヘイトスピーチで罵(ののし)られる在日コリアンだ。▼人種差別に対抗しようと有識者らが結成したグループ「のりこえねっと」の共同代表になった。ねっとの近著のなかで、排除の理不尽さを訴えている。あの事件はいまなお日本社会の現在を映す鏡であり続ける。>
読売は今年6月24日から社会面で上中下3回の連載「松本サリン 20年」を掲載した。「下」のタイトルは<「組織の正義」人生を翻弄>。末尾に犯人扱いされた河野氏が登場する。以下の文章だ。
<事件の被害者でありながら、犯人視されるという二重の被害を受けた河野義行さん(64)は、4年前から鹿児島市で暮らす。妻の澄子さんは、意識が戻らないまま08年に亡くなり、8人目の犠牲者となった。三回忌を終え、「人生のリセット」のため移住した。
今も各地で冤罪(えんざい)や報道被害について講演を行っている。今年4月には、長野県の地元民放局などが主催したシンポジウムに出席し、「事実が異なる時は、速やかに訂正してもらいたい」と訴えた。
事件にかかわった死刑囚3人とも面会した。09年から10年にかけてのことだ。みな礼儀正しく、河野さんの目には「普通よりも真面目な人間」に映った。
河野さんは、事件から1年ほどが過ぎた頃、捜査員を名乗る男性から匿名の電話があったと明かした。男性は「我々には大きな事件を早く解決したいという功名心があった」とわびたという。
教団の指示に従ったオウム信者。一刻も早く犯人を突き止めようとした警察。いち早く伝えようと確認が不十分なまま情報を流した報道機関。「それぞれに『組織の正義』があったのでしょう。それは一般企業でも同じ。そういうことをしないとはだれも言い切れない」。河野さんの言葉は社会への問いかけでもある。>
松本サリン事件について「日本社会の現在を映す鏡であり続ける」と書くのも、オウムはもちろん警察も、報道機関も「組織の正義」に沿って行動したと書くのも、同じことかもしれない。私見では、こんな書き方はいわば詠嘆調でしかなく、著しく具体性を欠く。オウムはともかく警察や報道機関にとって正しい行動はどういうものだったか? 組織「の正義」ではなく、「市民(あるいは社会人)の正義」とは何だったか? という具体的な問いに何も答えていないからだ。
河野氏の「組織の正義」論をとるならば、警察や報道機関の行動原理もまたカルト・テロ集団・オウム真理教と同じだったということになる。河野氏は被害者の立場だったから言い難いだろうが、読売新聞は加害者の一員だったのだから、「私たち報道機関もオウムと同じ論理で行動したという告発を突きつけられたことになる」という文章で結ぶことは、不可欠だというべきだ。天声人語も同じことで、「排除の理不尽さを訴えている」河野氏と同じレベルの行動を目指すとすれば、報道機関は何をなすべきか? きちんとした見解をうち出すべきだったはずだ。
以上は、報道機関として最低限必要な行動としての注文である。この小文ではさらに、松本サリン事件をうけた警察と報道機関の迷走は、2度目のサリンテロ・地下鉄サリン事件(95年3月20日)を成功させるという結果をもたらした。死者13人、重軽症のサリン中毒患者約6,300人という犠牲は、警察と報道機関がしっかりと社会的任務を果たしていたなら、ゼロですんだはずだと主張したい。そうした具体的内容があってはじめて、新聞論調などの主張が意味を持つことになる。紹介した天声人語も、読売連載の末尾も、単にカッコ付けだけをねらった駄文にすぎないというのが私見である。
長野県警は当時、県警記者クラブの記者たちに対して「河野氏の犯行」と決めつけた、激しいリーク(意図的な情報漏洩)作戦を展開した。このリーク作戦は、警察庁も了承していたらしい。私はその後、在籍していた新聞社の長野支局員だった記者と話す機会を得たが、彼は「河野氏の犯行と決めつける記事を書いたのは長野支局だったが、社会部は私たちより積極的に『こういう記事を書いたらどうか』などと示唆し続けていた。中には『こういう記事を書くべきだ』という提案もあった。力関係から言って、社会部の提案には従わざるをえない。社会部に書かされた記事もあった」という主旨の話をしてくれた。
社会部の示唆の背景に警察庁のリークがあったことは間違いない。警察庁と長野県警が一体となってリークし、東京社会部と長野支局が一体となって、恥ずべき大誤報が実現したのである。
読売の連載「中」(第2回)のタイトルは<「既成概念」超えたテロ>。以下の記述がある。
<捜査本部は、事件発生6日後の7月3日、原因物質をサリンと発表。その2日後、大学の理学部や農学部などを卒業した化学の知識がある警察官5人を集め、サリン原料の流通ルートを調べる専従班を発足させた。
専従班は、原料の中で流通量が限られる薬品に目をつけた。薬品会社から入手した購入者リストには、企業に交じって唯一、個人名で購入した人物がいた。購入伝票に記された東京都内の住所を訪れると、5階建てビルの1階の事務所に、松本智津夫死刑囚が写った教団のポスターが貼ってあった。
事件発生から3週間余り。7月21日のことだった。
建物に足を踏み入れた捜査員は、すぐにただならぬ雰囲気を感じた。階段を歩いていると、次々と窓が開き、誰かが見つめているのがわかった。慌てて外に出ると、遠巻きに男がカメラを向けていた。尾行をまいて捜査本部に戻った捜査員は「俺たちはとんでもない相手と戦うことになるかもしれない」と報告した。
11月中旬には教団とサリンを結ぶ決定的な証拠を手にする。松本サリン事件直後に異臭騒ぎがあった山梨県上九一色村(当時)の教団施設近くで採取した土壌から、サリン生成の際に生じた分解物が検出された。>
この部分は、これまで報道されたことのない新事実だろう。松本サリン事件の捜査でオウム真理教が浮かび上がったのは、事件後1カ月足らずの7月21日のことだったのだ。当時すでに警察は、オウム真理教が巨大な犯罪者集団であることを認識していたはずだ。
オウム真理教と警察当局の最初の対決は1990年10月22日、熊本県警が主体となったオウムへの一斉捜索だった。熊本県波野村にあったオウムの根拠地(「道場」としていた)などについて国土法違反で捜索令状をとり、富士宮市の総本部、東京・世田谷の東京本部、支部など1都4県の12カ所を家宅捜索したのである。当時の報道で、警視庁、静岡県警などの応援をえて警察官約400人を動員したとされている。当然、警察庁を通じて警視庁や各県警に協力要請をしていたはずだ。
その丸1年前、89年11月3日深夜には、横浜市で坂本堤弁護士一家3人の惨殺事件が起きていた。一家が居住していた横浜市磯子区のアパートがオウム真理教の集団に襲われ、室内は荒らされ、風呂場から血痕が見つかるなど、一家3人惨殺事件であることは明らかだったが、神奈川県警は当時、「襲われた痕跡はなかった」とウソ発表をし、同月15日「一家3人行方不明事件」として公開捜査をした。
この事件について神奈川県警から警察庁への報告は「行方不明事件」というものだったかもしれない。しかし神奈川県弁護士会や日弁連は「オウムが関与して一家3人が拉致された」という主張を展開していた。オウムに関心を持っていた警察当局は、神奈川県警の発表・報告が真相とはみていなかったはずだ。
長野県警は7月21日に、松本サリン事件についてもオウム真理教が関与していたことをつかんだ。それなのに河野氏犯人説のリークは続けた。7月21日を境に、河野氏犯人説リークの意味は変わったはずだ。これまで警察を悩ませ続けてきたオウム真理教がまたまた出てきた。松本サリン事件でも、オウムとの対決が迫られることになる。警察が失敗し続けているのだから、オウムとの対決はやりたくない。オウムとの対決を回避するためには、これまでどおり河野氏犯人説のリークを続けるのが良い。すくなくとも「オウム真理教の関与」という新事実がマスコミに漏れるのは避けよう……。7月21日以後は、河野氏犯行説リークの意味づけが、こういうものに転じたはずだ。
その後、翌95年3月20日の地下鉄サリン事件に至る経過をたどってみよう。94年9月には、「松本サリン事件に関する一考察」というタイトルの怪文書が、マスコミ各社などに送られてきた。主旨は、サリンをつくる能力を持っているのはオウム真理教だけで、松本サリン事件にもオウムが関わっているということに尽きた。この怪文書は「オウム発」だということが、その後判明した。
読売の連載は「上」で、<読売新聞は9月27日の特集面で、事件の検証とともに、警察や報道に対する河野さんの反論を掲載した>と書いている。怪文書もプラス材料になって、特集面記事掲載に踏み切ったものとみられる。
読売新聞は翌95年1月1日(元旦)付朝刊1面トップで、<山梨の山ろくでサリン残留物を検出 「松本事件」直後、関連解明急ぐ>という見出しの記事を掲載した。全文を紹介すると以下のとおりである。
<山梨県上九一色(かみくいしき)村で昨年7月、悪臭騒ぎがあり、山梨県警などがにおいの発生源とみられる一帯の草木や土壌を鑑定した結果、自然界にはなく、猛毒ガス・サリンを生成した際の残留物質である有機リン系化合物が検出されていたことが31日、明らかになった。この化合物は、昨年6月末に長野県松本市で7人の犠牲者を出した松本サリン事件の際にも、現場から検出されており、その直後に同村でもサリンが生成された疑いが出ている。警察当局は両現場が隣接県であることなどを重視、山梨、長野県警が合同で双方の関連などについて解明を急いでいる。
◆有機リン系化合物 悪臭騒ぎ、土壌から
悪臭騒ぎがあったのは昨年7月9日午前1時ごろ。同村の住民から「悪臭がする」と山梨県警・富士吉田署に届け出があり、同署や地元保健所などが現場一帯の調査に当たった。しかし、原因の特定には至らなかった。
ところが、同県警がその後、現場一帯を詳細に調べた結果、草木などが不自然に枯れて変色した場所が発見された。一帯で草木や土壌を採取、警察庁科学警察研究所に鑑定を依頼したところ、昨年11月末になって、土壌からサリンの残留物である有機リン系化合物が検出された。
化学専門家によると、サリンは空気中に放出されると、分解されて次第に毒性はなくなるが、有機リン系のこの残留物質は長期間土壌に残る。残留物自体の毒性は低いが、自然界には存在せず、薬品としても市販されていないという。
警察当局では、「この残留物の検出だけで、サリンが生成されたとは断定は出来ない」としている。しかし、専門家によると、この残留物の有機リン系化合物はありふれた化学物質ではなく、理由もなくこれ自体を作ることは考えにくく、サリンが作られた可能性が大きいという。
警察当局はこの悪臭騒動が松本サリン事件のほぼ12日後に起きているうえ、現場が隣接県にあることを重視。昨年12月初めに、担当専門官が現地調査し、山梨、長野県警合同で、関連などについての解明に当たることになった。両県警では、全国警察の協力を求め、サリン生成に使う薬品の購入ルートを中心に、捜査を急いでいる。
サリン残留物が検出された上九一色村は、本栖湖の東南5キロの富士山ろくに広がる。悪臭騒動では、被害者こそ出なかったが、住民から「胸が苦しく、吐き気がする」「汚物のにおいではなく、化学的なにおいだ」などの訴えが出た。
昨年6月27日深夜に起きた松本サリン事件では、マンションや社員寮の住人ら7人が中毒で死亡、翌28日、発生場所で第一通報者の会社員宅が被疑者不詳の殺人容疑で家宅捜索を受けた。会社員は事件直後に入院、7月30日に退院後、2日間、長野県警の事情聴取を受けた。
〈サリン〉第二次大戦直前にナチスが開発した猛毒ガス。呼吸器だけでなく皮膚からも侵入し、呼吸筋や心機能をまひさせて死亡させる。無色無臭で、常温では液体だが、揮発しやすい。致死量は体重60キロの人で0.6ミリグラムで、毒性は青酸ガスの20倍。>
この年、2月28日午後4時半ごろ、東京都品川区上大崎3丁目の目黒公証役場近くの目黒通り路上で、同役場事務長假谷(かりや)清志氏が、男数人に車で連れ去られた。同日夜、都内の新聞・通信社テレビ局などに、「オウム真理教の関係者」と名乗る男から、「オウム真理教の4人が拉致した」という内容の電話があった。
假谷氏拉致事件は、假谷氏の妹がオウムに入信、巨額の寄付をしていたことがあり、その退会をめぐるトラブルだったことが判明した。オウムが起こした事件としては、よくあるケースだった。しかしマスコミへの電話はオウムがやらせたもので、「オウムは戦うゾ」という闘争宣言の意味を持つ行為だった。
麻生幾著『極秘捜査—政府・警察・自衛隊の対オウム事件ファイル』(文藝春秋 2000年8月)という本がある。警察サイドで書かれた、オウム真理教事件の捜査記録といった内容だ。警察庁の国松孝次長官以下、当時の警察幹部が実名で登場するし、取材の場面もある。ノンフィクションであることは確実だろう。
この「極秘捜査」では3月15日、地下鉄霞ヶ関駅構内に不審なアタッシュケースが置かれた事件に注目している。警視庁は「いたずら」と発表したが、アタッシュケースの中身は超音波振動による自動式の噴霧器だった。置かれた場所は、警視庁、警察庁に向かう人たちが利用する「A2」出入口付近。この中にサリンを入れればどうなるか、という謎かけと脅しの意味で、オウムが置いたものだというのが「極秘捜査」の解釈だ。
さすがに3月の段階では、警察庁がマルSシフト(麻生の本の表記は○内部にSの字=Sはサリンだろう)をつくっていた。当時の長官・国松孝次氏を中心に幹部による会議を随時開き、オウムの問題を協議していたようだ。それまでのマルSシフトは刑事局だけだったが、3月13日、国松のリーダーシップで公安局の幹部も参加させる新マルSシフトに切り替えた。刑事警察も公安警察も捜査部門だから、いわば親戚にあたる。だからこそ互いに対抗意識をむき出しにする「近親憎悪」関係にある。それを克服するため、公安局の幹部も協議に加わる態勢にしたというのだ。
「極秘捜査」によると、13日の会合では山梨県上九一色村のオウム根拠地に踏み込むDデーを何時にするかも話題になった。<Dデーのタイミングはやはり「4月の統一地方選後」が選ばれた>という記述になっている(同書74ページ)。「やはり」と書いているのは、それが警察の常識だからだろう。
統一地方選となると警察は選挙違反に目を光らせる「対策本部」をつくる。この年、トップバッターの都道府県知事選は3月23日告示だったから、少なくとも知事選実施の東京・大阪など13都道府県では、13日の時点で本部は発足していたはずだ。後段の市町村長、同議員選挙投票は4月23日だった。警察の選挙違反捜査は、投票終了後に本格化する。「統一地方選後」というのは5月中旬以降だったと思われる。そののんびりした感覚に驚く。
オウムの方は、元旦付読売の記事をうけて、オウム対警察の「全面戦争」と考えていたはずだ。もっと小さな犯罪の場合でも、犯罪者は「警察との戦い」を意識する。巨大テロ集団に成長したオウム真理教が、警察との戦いを意識したなら、巨大なサリンテロを実行するということは当然意識しなければならない。それなのに新マルSシフトの会議では、「オウムへの先制攻撃が必要」という認識がまったく出て来ないのに驚く。
『極秘捜査』の記述を追うと、その後警視庁が假谷氏拉致事件で上九一色村のオウム基地捜索をやりたがっており、その日どりとして3月18日を主張していたという記述が出てくる。しかし国松長官以下の警察庁幹部は、この主張をつぶしてしまう。警察庁としては、オウム基地捜索の場合、どの事件で令状をとるか、さまざまに検討していた。假谷氏事件を材料に警視庁がトップバッターになることについては「抜け駆け」のような印象を持っていたらしい。
いずれにしても「上九一色村のオウム基地にはサリンがある。軽率に踏み込むなら、サリン攻撃による大きな被害も想定される」として、18日踏み込み案はつぶされてしまった。地下鉄サリン事件が起きた3月20日以前の、オウムへの先制攻撃のチャンスは、警察庁がつぶしてしまったのだ。
「新左翼」運動が華やかだった1979年ごろ、共産党が好んで展開した警察への非難が「過激派泳がし作戦」だった。過激派の違法行為に対して摘発する行動をとらずに見過ごしている。過激派を泳がすことによって、国民の「左翼」への反感を高めていく。そういう世間のムードを利用して、共産党など正統左派への弾圧を強める……と説明すれば良いだろうか。
オウム真理教は左翼ではなく、カルト(狂信)テロ集団だったが、日本の警察は適切な捜査を実施せず、泳がせっぱなしだった。坂本弁護士一家惨殺、松本・地下鉄の両サリンなど巨大犯罪を含む、極めて多数の犯罪行為を成功させてしまったのである。
松本サリン事件20周年で報道・論評を展開するなら、まずこの「警察の組織犯罪」を厳しく指摘しなければならない。その厳しい論調があって、報道・言論機関である新聞社自身についても、それを見逃してしまっていたことについて厳しい自己批判が展開できる。
朝日の天声人語、読売の連載以外にも、松本サリン事件20周年を機にした報道・論評は多かったが、いずれも口先だけ、きれいごとの「反省の弁」レベルでしかなかった。
【「子育て崩壊」世代の女性都議発言は正しかったか】
6月18日、都議会本会議で起きた女性都議へのヤジ問題は、非難の的になっている。みんなの党の女性都議、塩村文夏(あやか)氏(35)が一般質問し、出産や不妊に悩む女性の問題に、質問時間の半分を割いたという。「不妊治療を受ける女性のサポートを都は手厚くすべきだ」などの訴えに、自民党などの議席から、「お前が早く結婚すればいいじゃないか」「産めないのか」などとヤジが相次いだ。塩村氏が声を詰まらせながら質問を続けると、「おい、動揺しちゃったじゃねえか」と別のヤジも飛んだという。都議会事務局に対する電話、メールなどの抗議は1千件を超えたという。
朝日・毎日は21日付社説でこの問題をとり上げ<都議会の暴言 うやむやは許されぬ>(朝日)<都議会ヤジ 『品位』以前の問題だ>(毎日)などと手厳しく批判した。たしかにヤジそのものが問題なのだし、言葉も下品といえる。しかし子どもの出産は女性しかできない。
主役の塩村文夏(あやか)都議(35)がどういう人物か? 「週刊文春」7月3日号が<涙のヒロイン 塩村文夏「華麗なる履歴」」>という記事を掲載している。1978年広島県福山市に生まれだが、被爆二世を自称している。
岡山県内の高校に在学中からモデルなどの芸能活動を始めていたが、高校卒業後に上京。都内の共立女子短大に通いながら、グラビアアイドルとして本格的な芸能活動を始めた。1997年ごろには、バラエティ番組の人気コーナー「熱湯コマーシャル」に出演。ビキニ姿で熱湯風呂に入っていたりした。
その後、英国やオーストラリアに留学し、一時期は航空会社のキャビンアテンダントとしても働いていた。「自動車ライター」を名乗っていた時期もあったが、最終的にはテレビ番組制作に関わる「構成作家」といった役どころになった。
政治との出会いもこの頃。知り合いから「みんなの党が『見栄えの良い候補者』を探している」という話を聞き、すぐに「それ、イイ!」と飛びついた。さまざまな経過があったが、昨年6月23日投開票の東京都議会議員選挙世田谷区から「みんなの党」公認で立候補、2万3621票を獲得し6位で初当選した。可能な限り確認作業をしたが、とくに間違いはないようだ。
この「華麗なる遍歴」を読んで、塩村文夏という人は、家庭に入って妊娠・出産・育児をするといった暮らしでないなら何でも良い……という人生を送ってきたのではないか? と思うようになった。
宝島社文庫に「子育て崩壊」という本がある。月間宝島編集部編で、2000年3月刊だ。「母親の精神病理」「専業主婦という退屈」「家庭崩壊と漂流する子ども」「父親喪失」など刺激的な見出しが並んでいる。
実子なのに虐待するといった異常な事件が増えたことも大きなテーマなのだが、根底には「子育て」が、必要不可欠で極めて大切な仕事であるという価値観が失われたという世相を描いた好著といえる。
塩村文夏都議は1978年7月生まれだから、この本が出たとき21歳。そのころすでに「子育て崩壊世代」の一員であり、35歳の現在は大スターに育ったと言える。「子育て放棄世代」の大スターが、妊娠・出産・子育てに関する都の施策を手厚くせよ、と迫るのは正当な主張と言えるだろうか。
自分自身は妊娠・出産・育児を嫌いながら、議会の質問としては「大切な問題」と訴える。理屈は付くのかもしれないが、相当にねじれた「屁理屈」に近いものでしかないだろう。朝日・毎日の社説を読んでみても、塩村都議の人となりなどまったく登場しない。
私のつたない知識でも、かつての日本社会では、家庭をあずかる女性の地位は高かったという程度のことは知っている。男は外向けに家の代表者だったが、家庭内では「主婦」が、文字どおり「主(あるじ)だったのである。
東北の農村は大家族制で、3、4世代が「同居」していた。多くの成人女性の中で、シャモジを握る主婦は1人だけ。毎日3食の米飯の盛りつけは、欠かさずその主婦が行う。大家族のうち1人について、さいきんあまり食が進まないといった「異常」を見つけ、医師に診せるなどしかるべき対応をさせる。そうした健康管理なども含めて、主婦の仕事は多く、かつ重要だった。だから家族の中では絶対的な「力」を持っていた。
男の方は、外向けに「家(いえ)」の代表者であった。そして農業など「生産のための労働」の主力だった。大家族制の下では、男のトップもいて、その「家長」が「主婦」と同格だったのだ。
その「家」制度の下で、若い女性たちの最終目標は、シャモジを握る主婦だった。だから学ぶべき事項は多く、現職の主婦が「教育」した。近代化の流れの中で、その主婦教育の意義そのものが見失われた。だからこそ橋田壽賀子氏が脚本を書いた「おしん」では、全てが「いじめ」になってしまった。
「男女平等」は大切な価値観だが、「男女同一」ではあり得ない。男には妊娠・出産ができないからである。家庭をすべて切り盛りし、子育てなども担当するのは大切な「仕事」だ。近代化の流れの中で出てきたフェミニズム(女権拡張主義)は、端的にいえば「肩書き付きの社会的地位」につくことだけを「女権」と考える。
いまや女性の中でも、出産、子育て、家事などを放棄して、肩書きの付く仕事を求める人たちが圧倒的多数となってしまった。それが異常なほどの少子化をもたらしているのだが、朝日・毎日の社説には、その論点が欠けている。
都議会のヤジ事件をきっかけに、男女平等はどうあるべきか? 成熟した大人の論議が展開されることを期待したい。ホンネの発言を、タテマエ論理だけで切り捨てても、何ごとも生まれない。
この問題では自民党所属だった鈴木章浩都議(大田区選出=51)が、「早く結婚した方がいいんじゃないか」というヤジが自らのものだったと認め、謝罪。自民党を離党したが、都議辞職はしなかった。
週刊文春誌は、鈴木都議についても<「産めないのか」発言の“共犯者”を独占直撃! セクハラやじ都議会犯人の下劣 鈴木章浩51歳自民都議>」という特集記事を組んでいる。どうやらほめられるべき人ではないらしい。塩村都議の質問、鈴木都議のヤジというのは、発言の「形式」にすぎない。双方の発言に込められた内容について、きちんと検討し、論評した社説であるべきだというのが私見である。
【ミニニュース】
◇「忘れられる権利」
朝日6月25日付朝刊コラム<いちからわかる!>が紹介している。ネット上の個人情報のうち不都合なものを、消すよう要請できる権利だという。スペイン人男性が検索サイト大手「グーグル」に対して起こした裁判で、欧州連合(EU)司法裁判所が5月、この権利を認める判決を出したという。
男性は10年以上前に、社会保険料の滞納で不動産が競売にかけられた。その後、保険料は払ったが、そのときの公告を掲載した1998年の地元紙の記事がネット上に残っていて、不利益を受けることが続いていた。記事の削除や、その記事に誘導するリンクを検索サイトに出させないよう訴えていた。
判決は「忘れられる権利」を個人の権利として認め、検索サイトは「リンクを削除する義務を負う」と指摘。情報が事実でも、掲載時の目的と時間の経過を考えて「不適切、もはや必要性がない、過剰な」場合はリンクの削除を求められると判断した。
グーグルは判決から約2週間後、EU域内の削除要請を受け付けるフォームを公表。初日だけで1万2千件の申し込みがあったという。1件ずつ検討する、としているという。 ネット時代の人権を考えると必要なものであり、日本のマスコミも積極的に報道・論評していくべきだろう。
◇日本の軍事ビジネス
偶然のきっかけで「週刊ダイヤモンド」6月21日号が目に止まった。表紙に「自衛隊と軍事ビジネスの秘密」と大書されている。それが特集のタイトルだ。
日本の軍事ビジネストップ10の一覧がある。防衛省の調達額順だが、上位10社で、総額の6割を占めるという。一覧は▼1)三菱重工業▼2)三菱電機▼3)川崎重工業▼4)NEC▼5)IHI▼6)富士通▼7)コマツ▼8)東芝▼9)日立製作所▼10)ダイキン工業——となっている。それぞれ説明文付き。例えばダイキン工業についての記述の見出しは「エアコンのトップは実は砲弾の老舗」となっている。
「将官の天下りトップ10が防衛大手と完全一致の蜜月」という記事もある。将官の天下り先上位10社を紹介すると▼1)三菱重工業▼2)NEC▼2)東芝▼4)富士通▼4)日立製作所▼4)IHI▼7)三菱電機▼8)川崎重工業▼8)コマツ▼8)ダイキン工業——となっている(同順位となっているのは、同数のため)。
私はネット古書店アマゾンで入手したのだが、こうした内容について新聞紙上で見かけたことはない。解釈改憲で日本軍についての関心が高まっている時期なのに、どうして新聞はこうした記事をつくらないのか? 不思議だ。
(筆者は元大手新聞社政治部デスク・匿名)
注)7月15日までの報道を対象にしております。原則として敬称略。引用は<>で囲んでおります。