【マスコミ昨日今日】(3)
2014年1月〜2月
◆◆「日本のベートーベン」佐村河内(さむらごうち)守の「代作」犯罪
「全聾(ろう)の作曲家」と言われ「日本のベートーベン」とまでもてはやされた佐村河内守(さむらごうちまもる=50歳)の主要作品が、別人の「代作」だった事件である。
どうしてこの事件の方が第1テーマなのか? 単純に日付順なのだ。しかし多くの人びとを欺した詐欺と言ってもいい、この代作事件は、メディア社会でなければ成立しなかった。「全聾」「ヒロシマ」「被爆2世」といったキーワードをそろえるなら、マスコミは間違いなく騒ぎ立てる。その確信があったからこそ、佐村河内は詐欺的な人生を構築したのだろう。
佐村河内の行為が「詐欺」だとすると、「愉快犯」の典型といえる。広辞苑第六版の定義は「世間を騒がせてそれを楽しむ犯罪。また、その犯人」だが、まさにぴったりではないか。愉快犯が花咲く土壌となっているのが、いまのメディア社会だ。だからこそこの「事件」のニュースバリューは大きいと考えたいのである。
▼読売と朝日の1面コラム
ネットで読売の記事が読める「読売プレミアム」で、「佐村河内」をキーワードに検索すると、2つの1面コラムが並んで出てくる。
1つは夕刊1面の「よみうり寸評」で、「事件」前の2013年9月14日紙面。以下に全文を紹介しよう。
<全聾(ぜんろう)の作曲家、佐(さ)村(むら)河内(ごうち)守さんの交響曲第1番「HIROSHIMA」がヒットを続けている。一昨年の発売以来、CDの売り上げは17万枚。現代のクラシック作曲家としては空前のことだという◆1963年、被爆2世として広島に生まれた。独学で作曲を始めるが、35歳で聴力を失う。音楽家として致命的なハンデを負った絶望の中、轟音(ごうおん)のような耳鳴りに苦しみながら、交響曲を完成させた◆若い頃、研究のため図書館に3年通い、書き写した資料はリポート用紙100冊分を超えた。修行僧のような求道。強靱(きょうじん)な精神力が、困難な状況での創作を可能にしたのだろう◆高校の頃にあこがれたというマーラーを思い起こさせる壮大なこの作品では、絶望や希望を暗示する旋律が交錯する。それは作曲者の半生とも重なる◆佐村河内さんの著書「交響曲第一番」に、「人は闇に堕(お)ちて初めて、小さな光に気づくのでしょう。私の生は闇に満ちています」とある◆その作品は、障害や困難と闘う人たちへのエールにも聞こえる。>
もう1つは朝刊1面のコラム「編集手帳」で、今年2月6日紙面。つまり事件が明るみに出た翌日である。以下が全文だ。
<折々、坂本九さんの『見上げてごらん夜の星を』(詞・永六輔、曲・いずみたく)を聴いている。生前も愛唱していたが、坂本さんが航空機事故で亡くなって以降、その人が夜空の星から歌いかけているかのようで、余情はいっそう深い◆音楽は曲がすべてで、作曲者や歌い手の境遇は二の次、という説もあろう。理屈ではあるが、耳を経由して心で受け止めるものである以上、なかなかそうも割り切れない。境遇に胸を揺さぶられ、聴き入る音楽もある◆両耳が聞こえない。〈現代のベートーベン〉〈魂の旋律〉と呼ばれた。交響曲『HIROSHIMA』などで知られる作曲家、佐村河内(さむらごうち)守さん(50)である◆じつは別の人物が作曲していたという。佐村河内さんの代理人を務める弁護士が明らかにした。「私の生は闇に満ちています。闇の中で聞こえる音。それを形にするのが私の音楽です」。かつて本紙にそう語っている◆障害をもつ多くの人にとって佐村河内さんは、生き抜く勇気の光を降らせてくれる“夜の星”であったろう。仰がれて、胸の痛む日はなかったか。人間とは、弱く、かなしいものである。>
かつて「本紙」に語っていた部分は、ウソだった。そのウソを見抜けず、本紙はそのまま記事にしてしまった。真実の報道でなく、ウソをそのまま真実として報道したのである。それでも「人間とは、弱く、かなしいものである」という詠嘆調で終わってしまう。これではマスコミのミスについての論評になっていない。
2月6日は朝日の「天声人語」も佐村河内がテーマだった。途中からの引用とする。
<耳を疑うような真相である。「全聾(ぜんろう)の作曲家」で知られる佐村河内(さむらごうち)守さん(50)の主要な作品が別人によるものだったという。代理人の弁護士がきのう明らかにし、驚きと動揺が広がった▼自著などには、被爆2世として生まれ、作曲は独学、35歳で聴覚を失ったと書いている。苦闘の中で紡いだという交響曲「HIROSHIMA(ヒロシマ)」をはじめ、幾多の曲が感動と共感をもたらした▼ところが、十数年前から、本人が提案したイメージをもとに別人が曲を作っていたという。代作か分業か分かりにくいが、本人側が「ファンを裏切り、失望させ、言い訳のできないこと」とわびている通りなのだろう▼朝日新聞も折々に記事を載せてきた。本人からきちんとした説明を聞きたいが、感動話に何かと弱いメディアの習性を自戒したい。「美談は泣きながら疑うことを誓う」。そんな谷川俊太郎さんの詩の一節を思い出させて、うそ寒い風の吹く心地がする>
▼お詫びした朝日 ほおかぶりの読売
「朝日新聞も折々に記事を載せてきた」「感動話に何かと弱いメディアの習性を自戒したい」という言葉があるだけマシとはいえる。いずれにせよ、「うそ寒い風」が吹こうとも、疑うことを忘れたら、報道という仕事が成り立たない。
朝日は6日付朝刊2社面トップの<実の作曲家「18年間代作」 佐村河内氏、別人が曲作り>という記事の末尾に<おわび>を掲載している。
<朝日新聞はこれまで佐村河内守さんの活動を折にふれて報じてきました。しかし、佐村河内さんの代理人が5日、佐村河内さんの作品とされていた楽曲について、十数年前から第三者によって作られていたことを明らかにしました。朝日新聞としても取材の過程で気づくことができませんでした。佐村河内さんに関して事実と異なる内容を報じてきたことを読者の皆様におわびします。
さらに事実関係の確認を続けていますが、2008年2月11日付朝刊に掲載した「ひと」欄の「聴力を失ってから15の作品を生み出した作曲家」や、昨年7月29日付夕刊に掲載した「被災地へ祈りのソナタ 全聾(ろう)の作曲家・佐村河内守が新作」など佐村河内さんについて論評した記事を削除します。>
毎日の場合、同じ日の2社面にベタ(1段)見出しで<本紙も記事掲載>という記事を掲載した。全文を紹介しておこう。
<毎日新聞は2008年7月以来、佐村河内守氏の活動を紹介する記事約20本を東京本社朝刊や大阪本社夕刊、地方版などに掲載してきました。昨年8月11日朝刊「ストーリー」では、担当記者が2カ月以上をかけ、佐村河内氏と骨肉腫で亡くなった広島の少年との交流や、少年にささげる鎮魂歌を来日した米国の青少年合唱団が歌い上げる様子をつづりました。事実関係にはなお不明な点が残りますが、創作活動に関する佐村河内氏の説明に重大な虚偽があったことは間違いありません。
文化芸術分野では、盗用かどうかのチェックは広く行われています。しかし今回はオリジナル作品のため不自然さに気付かず、別人の作とまでは思いが至りませんでした。
長年、学芸部の取材は芸術性を見極めることにありました。佐村河内氏は、東日本大震災の被災地で「希望のシンフォニー」と呼ばれる「交響曲第1番 HIROSHIMA」や「全ろうの作曲家」であることなどが共感を呼び、社会現象になりました。本紙報道にブームに乗った一面があったことは否めず、遺憾と言わざるを得ません。原点を再確認しつつ、幅広い分野のニュースに取り組む文化報道を模索していきます。【東京本社学芸部長・岸俊光】>
こうしてみると、読者に「お詫び」した朝日▼学芸部長署名入りの「釈明記事」(と私はみる)を掲載した毎日▼自社の誤報(正確には虚報?)にほおかぶりだった読売、と3紙3様の対応だったことがわかる。「世界最大部数」「1千万部」にこだわってきた読売だが、「真実の報道」には欠けるところがあるという感じた。「だが」と逆につなげたのはおかしい。<「世界最大部数」「1千万部」にこだわってきた読売[だからこそ]、「真実の報道」には欠けるところがある>と書き直した方が良さそうだ。
とくに「よみうり寸評」である。すでに紹介したとおり、2013年9月14日紙面では、丸ごと佐村河内のウソをそのまま紹介してしまっている。この恥ずかしい文章をどう自己批判するのか? あるいはほおかぶりし続けるのか? 注目していきたい。
▼「AERA」は騙されなかった
週刊誌「AERA」(朝日新聞出版)2月17日号は、「アエラは騙されなかった」を特集している。メーンの<消えぬ違和感/ウソに騙されず>という文章は「ライター山形 貢」という署名入り。佐村河内の取材を終えた後のことを以下のように書いている。
<取材後、多角的な記事にしようと複数の関係者に当たってみると、思わぬ展開が待っていた。
「佐村河内氏の話がどこまで本当なのか、甚だ疑問だ」
「クラシックでは時折、過去の作品をモチーフに作曲することがあるが、彼の作品はバッハやベートーヴェン、マーラーなどの影響が色濃く、オリジナリティーに疑問がある」
「お金にうるさい」
「本当は全聾ではなく、聞こえているのかもしれない」
こうした指摘を受け、本誌は記事の掲載を見送った。
確かに取材中、手話通訳の動きが終わる前に彼が話し始めることが何度もあった。帰りのタクシーが到着しインターホンが鳴ると、彼は即座に立ち上がって「きましたよ」と言った>
当然すぎるほどの判断といえる。佐村河内の「物語」を聞くだけでなく、周辺取材もするなら、執筆を見送るという判断は当然出てくるだろう。必要なのは高レベルの「良識」ではない。フツーの人が持ち合わせている常識でいいのだ。
▼「主犯」だったプロデューサー
「AERA」特集記事の1本、<メディアの礼賛が増幅させた虚像「疑いようのない才能>(執筆者は「編集部 田村栄治」)の中に、以下の記述がある。
<佐村河内氏の作曲家としての虚像。それが実像として世の中に浸透したのは、なんといってもNHKの役割が大きい。
2012年11月に「情報LIVEただイマ!」で取り上げたのを皮切りに、「あさイチ」(同12月)「NHKスペシャル」(13年3月)など、少なくとも6回、佐村河内氏を紹介した。前記3番組それぞれの放送直後には、彼の代表作「交響曲第1番 HIROSHIMA」のCD(11年7月発売)の売り上げが急増(オリコン調べ)。(中略)
とりわけインパクトが大きかったのが「Nスペ」だ。(中略)
この「Nスペ」を制作したディレクターの1人、A氏は昨年10月、佐村河内氏の人物像と鎮魂曲ができるまでを著書「魂の旋律」にまとめている。それによると、NHKが佐村河内氏を取り上げたきっかけは、A氏が出した企画だったという。
(中略)同書によると、テレビ制作会社に勤め、TBS「筑紫哲也NEWS23」担当だったA氏に、講談社の社員が07年、「すごい人がいる」と佐村河内氏を売り込んだ。講談社は同年、「あなたには、音楽以外にも伝えるべきものがある」!と編集者が佐村河内氏にはたらきかけ、自伝「交響曲第一番」を出版していた(同書から)。
以来、A氏は取材を重ね、特集「音を喪(な)くした作曲家」を制作。08年9月「NEWS23」で放送した。そして数年後、NHKに佐村河内氏の話を持ち込んだのだった。
こうしてみると、佐村河内氏の認知度アップに、A氏は大きく貢献している。前述の著書でも、佐村河内氏を「音楽家としての疑いようのない才能に尊敬の念は深まるばかりでした」「兄と思ったり人生の師と思うようになりました」と礼賛している。>
この文章を読むと、少なくともAは、佐村河内の「共犯」だったと言っても良いだろう。2人は、少なくとも平等な「共同正犯」だったと言える。しかし自伝「交響曲第一番」を書かせ、出版に持ち込んだのはAである。作曲や執筆という「詐欺的な行為」を実行したのは佐村河内だが、それをやらせたのはAで、2人の関係で「主」はA、佐村河内は「従」となる。
アマゾンで検索すると「魂の旋律」の著者は古賀淳也となっている。ネット百科事典ウィキペディアで調べて見ても、これがAの実名であることは間違いない。
結論として強調したいのは、佐村河内の「詐欺的行為」という犯罪は、メディアの世界でこそ実現したものであり、その主犯はメディア世界の人物、古賀淳也だということである。
田村の文章の末尾は以下のとおりである。
<佐村河内氏をめぐる物語は、あまりにドラマチックだった。その物語にNHKなど信用あるメディアが酔い、虚偽を事実として扱った。朝日新聞を含めた多くの報道機関も、その扱い方を少なからず参考にし、彼を紹介した。その結果、子どもを含む多くの人びとが彼の「作品」と半生に心を動かされ、真相に驚き、心を痛めた。
メディアが虚実を見誤ったときの影響ははかり知れない。今回の大スキャンダルは、特にメディア関係者に、そのことの再認識を迫っている。>
この「佐村河内の犯罪」について、新聞とテレビで構成される「エスタブリッシュのメディア」の中で起きたものだと考えたい人たちがいる。新聞・テレビを厳しく監視している出版社系のメディアが、「犯罪」を暴いたのは事実である。新潮社発行の月刊誌『新潮45』が昨年(2013年)11月号で、「佐村河内は耳が聞こえているのではないか?」という文章を掲載。それが「代作者」新垣隆に大きく影響して、「週刊文春」の取材に対して、代作の事実を「自供」した、という経過だった。
出版社系メディアが勝利の雄叫びを上げるためには、主犯・古賀淳也が立ち直れないほどの大キャンペーンが実現しなければならない。その「宿題」を提示してこの項を終わろう。
◆◆選挙報道はこれでいいのか 都知事選全マスコミが舛添勝利に貢献
▼マスコミの世論調査報道が的中
ずいぶん騒がれた都知事選だが、結果は舛添要一の順当勝ちだった。どうして「順当」と言えるのか? 舛添の人気が、宇都宮健児や細川護煕をはるかに上回っていたのか。あるいは舛添陣営の集票パワーが、他陣営とは比較にならないほど強力だったのか……。そんなことは誰も知らない。
マスコミの情勢調査報道どおりの結果になったから「順当」なのである。都知事選の動向を占う世論調査は、マスコミ各社が行っている。「各社」と書いたが、全国紙は朝毎読3紙と日経。それに共同通信を加え合計5社になる(内閣支持率・支持政党などを問う全国世論調査を新聞社と同様、月1回行っているNHKは都知事選についての調査はやらなかったようだ。
それぞれ結果を報じる記事の掲載日と見出しは、以下一覧表のとおりだった。
【朝日】
■都知事選、舛添氏リード 細川氏ら3氏追う 朝日新聞社情勢調査=1月27日
■都知事選、舛添氏優位保つ 細川・宇都宮両氏追う 朝日新聞情勢調査=2月3日
【読売】
■都知事選 舛添氏リード 宇都宮、細川氏が追う 本社情勢調査+[スキャナー]無党派にも舛添氏浸透=2月2日
【毎日】
■都知事選:序盤情勢 舛添氏が先行 追う細川、宇都宮氏−−毎日新聞世論調査=1月25日
■都知事選:舛添氏優勢 細川、宇都宮氏追う−−毎日新聞終盤情勢調査=2月3日
【日経】
■舛添氏が先行、細川氏追う 都知事選で本社世論調査=1月27日
■都知事選、舛添氏リード保つ 終盤情勢調査/細川氏ら追う=2月3日
【共同通信】
■都知事選、舛添氏先行 細川、宇都宮氏ら追う=1月24日
■都知事選、舛添氏優位 細川、宇都宮氏続く=2月2日
▼序盤は「先行」「リード」、終盤は「優位」「優勢」
1月下旬段階で記事掲載となっている「序盤」情勢調査では、舛添の「リード」「先行」であり、2月初めの「終盤」情勢調査では、舛添「優位」「優勢」などの言葉が使われている。
序盤情勢を25日付朝刊で報じた毎日の場合、調査の実施日は23、24の両日だったことが明らかにされている。23日は告示日で、24日は選挙戦2日目。調査対象の市民(有権者)のアタマには、立候補者の名前も充分にインプットされていたとは言えないはずだ。
選挙をテーマとした世論調査の場合、誰に投票するつもりか? の質問に対する回答は、「知名度」調査とほとんど同じとされている。タレントの「好感度」調査などと同様、テレビへの登場が多く、名を知られている人物ほど有利なのである。じつは舛添を候補にすること自体、世論調査の産物だった。
▼自民党が舛添を選んだのも、世論調査の結果
以下は、昨年12月24日付日経の記事である。
<見出し=都知事選へ自民世論調査、舛添氏に高い支持
本文= 東京都議会は24日、猪瀬直樹知事の辞職願に正式に同意した。都知事選は来年1月23日告示、2月9日投開票の見通しとなり、与野党の動きが活発になっている。
自民党が21〜23日に実施した世論調査では、舛添要一元厚生労働相が高い支持を集めた。複数の党幹部によると、日本維新の会を離党し議員辞職した東国原英夫氏も一定の支持を集めたという。
自民党調査は非議員の舛添、東国原両氏のほか、石原伸晃環境相や小池百合子元防衛相、丸川珠代、片山さつき両参院議員らを対象に誰が知事にふさわしいか尋ねた。党幹部は「次の調査では国会議員を外す方向だ」と述べた。
舛添氏は自民党が野党に転落した後、新党改革を結成するために2010年に離党し、当時の谷垣禎一総裁ら執行部が除名処分とした経緯がある。舛添氏は改選期だった7月の参院選には出馬しなかった。>
その3日前、21日付日経には<都知事選「勝てる候補」は? 自民、7氏選び世論調査 >という見出しの記事が掲載されている。「候補の候補」として選ばれた「7氏」のうち6人は上記記事に出ており、残り1人は元NHK勤務のジャーナリスト池上彰だった。日経以外の報道では、この調査で池上も、舛添と肩を並べる「高支持率」を獲得した。しかし池上には、知事選立候補の意思が全くなく、舛添候補になったという。
▼予言の自己成就という法則
社会学の比較的新しい概念として「予言の自己成就」がある。典型的な例が、高名なデザイナーのファッシヨン予言である。「この夏は軽快な服装」「今年秋はエレガントさが好まれる」などと予言する。このデザイナーは流行を「予知」して、予言としたのではない。
デザイナーが高名であればあるほど、人びとはその「予言」どおりに行動しようとする。高名なデザイナーの「予言」が必ず当たるのは、人びとがその「予言」どおりに行動するからである。こうした「予言」は、事実の推移に大きな影響を与える。つまり事実をつくり出す……。メディアが大きな力を持つ現代社会では、この「予言の自己成就」が、必ず成立する、「社会法則」となっているという理論である。
マスコミが書き立てる「世論調査の結果」こそ、最も権威ある「予言」となる。引用した「自民党世論調査」の記事は日経だから、「読んだ人は少数」という指摘もあろう。しかし記事を読んだ人は少数でも、多数に影響を与えることになる。
わかりやすく言えば、テレビのニュースショー番組に「コメンテーター」と言われる人びとが登場している。その人たちは、話題になりそうなテーマについて、新聞記事は細大漏らさず読んでいるはずである。「空気が読めない(KY)」と非難・批判されたら、大きな恥となる。逆に他のコメンテーターが読んでいない「日経の記事」を持ち出すと鼻高々となることができるかもしれない……。日経の記事も、テレビのショー番組で増幅される。
▼空気が支配する日本社会
山本七平(故人)の著書<「空気」の研究>が刊行されたのは1977年(文藝春秋刊、83年10月、文春文庫に収録された)。その30年後の07年には「空気が読めない(KY)」が、立派な日本語として定着した。その30年も前に、日本社会における「空気の支配力」を見抜いていたのだから賞賛に値する。「空気が読めない(KY)」と非難・批判されることばかり恐れていると、人間の思考・行動のスタイルはどうなるか。「空気を読むだけ」で、自分自身の独自の考えを失うことになる。私自身の造語だが「逆KY(空気を読むだけ)」とすることにしている。
逆KYの最も恐ろしい現実は、学校の教室にあるらしい。クラスの誰かがいじめの対象になっている。別の誰かが「いじめはいけないことだ」と考え、いじめに加わることを拒否する。その拒否した生徒が「空気が読めない(KY)」だけの理由で、ある日から新たないじめの対象になるのだという。
選挙報道にもどろう。「予言の自己成就」と「逆KY(空気を読むだけ)」と、2つの原理によって、世論調査の結果報道こそが、人びとの投票行動を縛り付ける桎梏となっているのではないだろうか?
▼世論調査を複数回にする論理
世論調査を何回もやるようになったのは、土井(たか子)ブーム=マドンナブーム▼消費税▼宇野宗佑(当時首相)の女性問題の「3重苦」で自民党が惨敗した1989年7月参院選から、「55年体制の崩壊」を招いた93年衆院総選挙の間だったと記憶する。朝日新聞の世論調査チームが、正確な議席をするためには複数回の世論調査が必要だ、という理論をつくり上げ、それを実行したのである。
序盤、中盤、終盤など複数回の調査をすることによって、○○党支持は伸びている。××党支持は縮んでいる、などの動きがわかる。この動きを読むことによって、投票当日の各党・各候補の得票が正確に予測できる……という理屈だ。
もちろん複数回の世論調査結果が動いた場合、この手法は有効である。しかし各回の世論調査結果は、報道される。その報道は、多数の有権者の意思を示すものである。「逆KY(空気を読むだけ)」の人びとは、「権威ある予言」として受け止める。その後の世論調査結果も、同じ傾向になってしますのである。
▼世論調査結果ばかり読まされる
一昨年12月の衆院総選挙(4日公示、16日投開票)の場合、朝日新聞は「連続世論調査」と銘打って、3回実施した。1回目は、公示の2週間余も前、11月17、18両日に実施、19日付朝刊で報道した。見出しは<衆院選比例投票先、自民22%民主15% 維新は6% 朝日新聞社連続調査>だった。
2回目も公示前の11月24、25両日実施、26日紙面で報道。見出しは<衆院選比例投票先、自民23%・民主13%・維新9% 朝日新聞社連続世論調査>。記事冒頭では<朝日新聞社は24〜25日、衆院選に向けた連続世論調査(電話)の2回目を実施した。衆院比例区の投票先は、自民が23%で、民主の13%を引き続き上回った。日本維新の会は9%で、伸び悩む民主に迫っている>と書いた。文中に<「議席伸ばしてほしい党」自民25%・維新22%>という見出しも付け、「民主党退潮」をはっきりうち出す記事となった。
3回目だけが公示後の12月8、9両日実施。1、2回目は調査終了の翌日、記事を掲載したが、3回目の結果記事は「3日遅れ」の12日付で掲載された。1面記事の見出しは<(朝日・東大共同調査)安倍氏政策、重なる維新 改憲や道徳教育 総選挙>だった。このときは政治面にも記事を掲載したが、見出しは<公共事業「増やす方がよい」、男性48%・女性29% 衆院選・朝日新聞社世論調査>だった。つまり3回目の世論調査では、「衆院選に向けた連続世論調査」という名称自体が消された。さらに比例区についての「どの党に投票するか?」の党派別数値なども明らかにされていない。
以下は推測にすぎないが、当時政権党だった民主党の支持率は極めて低い数字だった。そのまま記事化すると、週刊誌などが「民主党敗北を決定的にした朝日の世論調査記事」と騒ぐと予測。投票するつもりの党派別数値などは掲載を見送った。それに伴い「選挙に向けた連続世論調査」もやめて、「朝日・東大共同調査」とした……といったところではないか?
いずれにせよ一昨年衆院総選挙も今回の都知事選も、新聞報道では世論調査による結果予測ばかり読まされているような気がする(昨年7月参院選も同じだ)。
▼人気投票公表は犯罪
このさい予言の自己成就と、逆KY(空気を読むだけ)の悪弊を認め、率直に世論調査報道を止めたらどうだろうか。
公選法138条の3は<人気投票の公表の禁止>で、条文は
<何人も、選挙に関し、公職に就くべき者(衆議院比例代表選出議員の選挙にあっては政党その他の政治団体に係る公職に就くべき者又はその数、参議院比例代表選出議員の選挙にあつては政党その他の政治団体に係る公職に就くべき者又はその数若しくは公職に就くべき順位)を予想する人気投票の経過又は結果を公表してはならない。>
新聞、雑誌、放送等については「論評の自由」が保証されているが、その条文ごとに「人気投票の公表」は、論評の自由の対象外とされている。
人気投票の公表禁止は、刑事罰則付きの禁止条項だ。第242条の2が罰条で、
<第138条の3の規定に違反して人気投票の経過又は結果を公表した者は、2年以下の禁錮又は30万円以下の罰金に処する。ただし、新聞紙又は雑誌にあってはその編集を実際に担当した者又はその新聞紙若しくは雑誌の経営を担当した者を、放送にあつてはその編集をした者又は放送をさせた者を罰する>
である。
▼提案=世論調査は止めたら?
新聞は社告で、この禁止規定を紹介し、「今後は遵守します」と読者に告げれば良い。その替わり、どの政党、どの候補者に投票すればよいか? といった論評記事を増やしていくという「生き方」を選択するのがいい。
「逆KY(空気を読むだけ)」と「予言の自己成就」の悪弊から脱けだし、健全なオピニオン記事で、読者の「選択」形成を支援する役割を目指すなら、現状よりずっとマシな選挙報道となるだろう。
【毎日の「憲法をよむ」】
毎日新聞が朝刊で長期連載「憲法をよむ」をやっていることに、ようやく気付いた。とは言っても、2月7日紙面(8日から10日は休載)が、第42回でテーマは
<第88、89条 宗教への公金支出禁じる>
そろそろ終わりに近づいている。
毎日を購読している私が気付かなかったのは、掲載面が26〜29面と、あまり広げないところだから。欄外は「総合」となっているが、社会面に近いところに「総合」面があるなど、これまで知らなかった。第1回は昨年11月22日。総前文というべき文章は以下のとおりだ。
<日本国憲法が1947年5月に施行されて66年半。いま憲法を取り巻く状況が大きく変わろうとしている。自民党は昨年4月に改正草案を発表。憲法改正に必要な国民投票の投票年齢などを確定する、国民投票法改正を急ぎ、改憲への環境整備を進める。改正草案は、自衛隊を国防軍とし、国民の権利義務規定にも変更を加える内容だ。2015年の戦後70年を前に、まずは憲法への理解を深めたい。そんな思いで連載「憲法をよむ」を始める。憲太君が抱く素朴な疑問に先生が答える形で各条文を解説する。連載開始にあたり、大阪大大学院高等司法研究科で憲法を研究し、毎日新聞「開かれた新聞」委員会委員を務める鈴木秀美教授に話を聞いた。【聞き手・遠藤孝康】>
各回とも「憲太君」が質問し、「先生」が答えるという対話体をとっている。末尾に現行憲法の条文と、自民党の改正案を対比している。
「安倍改憲政権」の下でタイムリーな企画だといえよう。
毎日新聞のホームページ=毎日jp<http://mainichi.jp/>にアクセスし、検索ボックスに「憲法をよむ」と打ち込むと、第1回から読むことができる。
(筆者は元大手メデイア・政治部デスク・匿名)