【コラム】風と土のカルテ(31)

高齢者の地方移住政策への疑問

色平 哲郎


 過疎地を数多く抱えた信州で暮らしていると、地域の将来が気になって仕方がない。

 2年前に日本創成会議が、2040年に全国896の市区町村が「消滅」の危機に直面すると発表したときは、ゾッとした。正確にいえば、出産に適した年齢層の女性の人口減少などにより、896の市区町村の自治体経営が成り立たなくなるということで、今の状況を考えると現実味のある話だ。さらには、『地方消滅』(増田寛也編著、中公新書)などという、丸ごと地方が消えるかのような題名の新書まで出て、嫌な気分になった。

 これに対して、政府は「地方創生」と称して東京一極集中からの脱却、地方への人口移動を推奨する。自治体間の「若者争奪戦」があおられ、大都市の医療・介護の受け皿不足から「高齢者の地方移住」も政策課題に並ぶ。

 いったいこんなプランで大丈夫なのだろうか、と疑問を抱いていたところで、『人口減が地方を強くする』(藤波匠著、日経プレミアシリーズ)という本に出合った。

 本書によれば、近年の地方から東京圏への転入超過は「わずか10万人」。人口減の著しい秋田県や島根県であっても、県庁所在地の地方都市には20〜24歳人口が一定数ある。
 仙台市や福岡市は、東京よりも若者の割合が高く、仕事のあるところに人は定着するという当たり前の認識に立て、と説く。

●高齢者は家族の呼び寄せで都市部へ

 高齢者の地方移住策に関して言えば、そもそも75歳以上の後期高齢者については、家族などの「呼び寄せ」による都市への人口流入の傾向が顕著で、むしろ地方から都会へという流れにある。

 著者は、「介護サービスが不足する東京圏の高齢者が移住することで、地方の介護や医療、その他のシルバー産業の雇用が増え、若い女性の雇用の受け皿もできる」という政策判断に疑問を呈する。

 たとえば、北海道伊達市は、2000年ごろから高齢者移住を積極的に受け入れた。サービス需要の増加で若い世代の流入も増えたが、景気が回復すると札幌市などで求人が増え、若い世代は逆に流出しているという。

 介護分野の人材確保が難しい最大の要因は「低賃金」だ。都市であれ、地方であれ、高齢者の生活を支える介護従事者の処遇が向上しなければ、移住など画に描いた餅だろう。

 一般的なホームヘルパーの給与は、年間300万円を下回る。財源を介護保険料に頼っている間は給与の引き上げは難しい、と著者。介護保険料の制約下で給与を上げるには「現場や管理部門に技術革新やICT、ロボットなどを導入することにより、労働環境を改善し、生産性を高めること」が必要と述べ、こう指摘する。

 「具体的には、すでに進みつつある人感センサーによる見守りサービスのさらなる普及はもちろんのこと、要介護者情報のクラウド化や動画データの送受信による健康状態の確認、投薬管理、要介護者やヘルパーの肉体的負担を軽減するためのロボットスーツやそれに類するものなども、積極的に導入することが必要となります」

 人感センサーはともかく、ICTの導入や技術の高度化がどれだけ介護の生産性を高めるかについては、なんともいい難い。各論ではいろいろ見解の相違もあろうが、現在推し進められている高齢者の地方移住策の課題を知るには、手頃な好著といえようか。

 「介護」は、科学や技術というより、弱者や高齢者を敬う至高の実践哲学。思想(孝)や信仰(恩寵)を超えたところに展開するケアこそ、世界人類の共通文化であるということを忘れてはならないだろう。

 (長野県・佐久総合病院・医師)
     
※この原稿は著者の許諾を得て「日経メディカル2016年7月29日号から転載したものですが文責はオルタにあります。


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