【コラム】槿と桜(20)

韓国の姓名について(2)

延 恩株


 前回に引き続き、韓国の姓名についてです。
 私の「延」(연;ヨン)という苗字が韓国では比較的少ない姓だと書きましたが、韓国人の姓の多くが一文字なのは日本の方もご存じだと思います。
 中国の方も多くが一文字の姓です。そのため姓だけを見て、韓国人か、中国人か判断するのはかなり難しいと感じている方は多いのではないでしょうか。
 実は私も判断つかない場合がよくあります。
 朝鮮民族は漢民族とは系統的には、まったく異なる民族です。ですから中国の影響が及んでいなかった頃は朝鮮民族独自の姓があったはずです。でも中国の力が朝鮮半島に完全に及ぶようになった三国時代(391~668)には、すでに中国風の姓が使われるようになっていたようです。

 確かに韓国人か、中国人か判断つかないことが多いのですが、韓国人とみなすことができる姓もあります。言い換えれば、中国人にはほとんどないと言える姓です。それは「朴」(박;パク)です。もし中国人でいるとすれば、それは朝鮮族の方と見てほぼ間違いないでしょう。
 一方、「何」という姓は中国では珍しくありませんが、韓国にはありません。また「河」とあれば、まず韓国人と判断していいのではないでしょうか。さらに「全」(전;チョン)や「玉」(옥;オク)は中国ではあまり見かけません。

 字体から区別がつく姓もあります。韓国では姓もハングルで書いてしまうことが多く、韓国人にはあまり混乱は生じませんが、日本、中国では常に漢字を用いていますから、注意が必要で、よく字体を間違えているのを目にします。それは、「曹」と「裴」です。この字体なら日本の方も見慣れているはずですし、中国人の姓としてあります。ところが韓国では「曹」は「曺」(조;チョ)という字体になります。よく注意しないと見落としてしまいがちですが、「曹」の縦棒が一本だけです。また「裴」は「裵」(배;ペ)という字体です。こちらの方がより注意が必要でしょう。「裴」の“なべぶた”の部分が「非」の上に移ります。
 日本にも日本独自の国字というものがあり、「峠」「辻」「畑」などがよく知られた字体のようですが、「曺」や「裵」は韓国独特の字体と言えるでしょう。ただ本来は「曹」と「裴」だったものが、いつの間にか「曺」や「裵」になってしまったようで、国字と言えるかどうかは意見が分かれるのではないでしょうか。いずれにしましても、姓が「曺」や「裵」であれば、まず韓国人と判断できると思います。

 ところで日本の方から見ると奇異に映るだろうと思われる姓が韓国にはあります。たとえば、私が思いつくままに挙げれば、「夜」(야;ヤ)「魚」(어;オ)「皮」(피;ピ)「昔」(석;ソク)「甘」(감;カム)「介」(개;ケ)「夫」(부;プ)などがそうでしょう。ところがこの中で現在、日本人の姓として存在しないのは、「夜」「皮」「介」だけのようです。これはいったいどういうことなのか、その他の姓も含めて少し追究してみると、韓日関係を見る何かの足がかりが見つかるかもしれないと勝手に思っています。
 また韓国人の姓には、日本人が帰化してそのまま韓国人の姓として定着し、すっかり市民権を得ているものもあります。
 「長谷」(장곡;チャンゴク)、「辻」(즙;チュプ)、「小峰」(소봉;ソボン)、「網切」(망절;マンジョル)、「岡田」(강전;カンジョン)などがそうです。
 先述しましたように、韓国人はハングルで発音しますから、これらがどのような字体であるのかはほとんど意識しません。そのためもともとは日本人の姓だという認識は持たないのが一般的です。

 韓国人の姓は一文字が多いことは、いま述べたとおりですが、それでは名前はどうかといいますと、圧倒的に二文字が多いと言えます。しかも名前を見ますと、兄弟では必ず一文字は同じ文字が使われているのがわかります。これを行列字(항렬자;ハンニョルチャ、こうれつじ)と言います。
 かつては「同姓同本」(姓が同じ、本貫が同じ)ですと、同じ世代の者は行列字によって同じ文字を一文字入れて名前が付けられましたから、誰もが自分が一族の何代めで、どちらが世代が上か下かがわかりました。
 ところが最近はこうした行列字で名前がつけられるのは、一家族か、近い親戚程度の範囲になってしまっているのが多くなっています。しかも特に女性に多いのですが、韓国の固有語、つまり漢字がないハングルだけでしか表記できない名前をつける人が増え始めています。私の大学の韓国からの留学生にも漢字がなく、カタカナ表記しかできない学生が毎年います。

 さて表記と言えば、人名や地名はハングル以外では原則的にローマ字表記法に基づいて表記されることになっています。ところが韓国を訪れた日本の方から何回か非難めいて指摘されたことがあります。たとえば道路標識に記されている地名のローマ字表記が読めない、わからないというのです。
 このローマ字表記については、実は私も常々おかしいと思っています。それもそのはずで、韓国では定められた表記法に完全に従っているとは限らず、これまでの慣用的な表記がかなり定着してしまっているからなのです。しかもこの表記に原則性がありません。そのため同音でも、複数の表記が可能となってしまっています。たとえば、李(이;イ)は「LEE」「REE」「I」「YI」となり、朴(박;パク)は「PAK」「PARK」「PACK」などといった塩梅です。
 つまり原則に照らしてローマ字表記しているわけではありませんから、パスポートなどに記入される姓名のローマ字表記なども、かなり本人の自由に任されていると言ってもいいのが現状です。ちなみに私の苗字のローマ字表記は「YEON」です。韓国語のローマ字表記法に準ずる表記ですが、「延」の韓国語原音を知らない人には、どのように発音していいのかわからないかもしれません。それならなぜそんなローマ字表記をしているのかとお叱りを受けそうですが。
 確かにローマ字表記を見ても原音に近い音が出せず、本人に訊かないとわからないようなローマ字表記では、世界に取り残されていくのではないかと、祖国を離れている私としては、少々心配になってきます。国としてきちんと取り組むべきときに来ていると思います。

 最後に日本と完全に異なることがあります。それは女性は結婚しても姓名が変わらない点です。子どもは父親の姓を名乗り、生涯、それは変わりません。そのため同じ家族であるにもかかわらず、母親と私は姓が違いますし、祖母が生きていたときには、一家族に三つの姓が存在しました。
 でも夫婦、子どもが別姓だからといって家族の結びつきが弱くなるなどいうことはありませんし、普段は何も意識していません。日本では「夫婦別姓」について議論があるようですが、韓国人の私が言うことではないでしょうが、私はどちらでもかまわないと思っています。大切なのは形ではなく内実でしょう。夫婦、あるいは親子がしっかり結びついている家族を作り上げることこそ、いちばん重んじられなければならないのではないでしょうか。

 (筆者は大妻女子大学准教授)


最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧