【コラム】
『論語』のわき道(20)

阿の字 (二)

竹本 泰則

 わが国では漢字圏以外の国の国名、地名、人名、そしてそれらの国から伝わった外来語の類はカタカナを使って表記することが普通である。ところが、中国ではほかに文字はないので漢字を用いるしかない。たとえばインドは「印度」と書く。米国大統領・トランプは「特朗普」だそうだ。
 漢字はもともと一字一字が意味を持っている。「印」であれば、その意味は「はんこ」、「しるし」といった具合に……。しかし印度の印はその字義とは関係がない。India の In という音と同じような発音をする字として当てられたにすぎない。このように字義ではなく字音を使った表記を音写というようである。大昔、日本語を書くのに用いられた万葉仮名が思い起こされる。

 古代の中国が外国の言葉や文献と本格的に対峙した事件は、仏教の伝来であろう。
 インド生まれの仏教が中国に広く浸透し、定着するまでの過程では、経典を漢字で表すことが必要だっただろうし、現に多くのお経が漢語に訳されている。
 もとの仏教経典はサンスクリット語と呼ばれる古代インド語に対応した文字(梵字)で書かれていた。その中には人名などの固有名詞や意訳になじまない言葉も含まれている。それらの漢語表記は音写を用いることで解決した。

 例を挙げると、わが国でもよく知られたお経に「般若心経」がある。これも梵字の原典から漢訳されたものらしいが、終いのところで「ぎゃーてい ぎゃーてい はーらーぎゃーてい ……」と聞こえるところがある。この部分などは音写で、お経の漢字を見ても意味は分からない。それ以外の部分は、おなじみの「色即是空 空即是色」などという句を含めて漢文により原典の意味を表している(末尾の部分以外にも人名や「般若」など一部の語が音写により表記されている)。

 サンスクリット語の基本となる字母のうちで、最初の音(おん)はa(ア)だそうだが、これには「阿」の漢字が当てられる。漢和辞書の中にはこの字を「梵語の音訳用字」などと説明しているものも少なくない。梵字の音写のために作られた漢字ではないだろうが、この字は仏教関連の言葉に多く使われており、それがこの字の大きな特徴である。たとえば、阿修羅、阿鼻(阿鼻叫喚など)、阿彌陀、さらには阿吽などがある。お釈迦様の弟子の中に「十大弟子」と呼ばれる人たちがいるが、そのうち二人は漢字表記による名前が阿ではじまる。仏教を保護したことでも知られる古代インドの王様・アショーカ王も阿育王と表記される。

 仏教の中でも空海が招来した真言密教では阿の字・音を格別に重視する。真言宗の根本教義を込めるといってもいいほどかもしれない、……(と書いたものの仏教の教義など俗物には手に負えない。お寺でいただいた資料から引くだけだが)何でも、いのちの本源、万物の始まりを表し、大日如来(真言密教における中心の仏)を象徴するものだそうだ。
 瞑想の行には満月の中に阿に相当する梵字が書かれた図柄の掛け軸が使われる。この瞑想法は阿字観、阿息観といわれ、今では一般の人でも体験できるところがいくつかあるようだ。

 相模原の山中にあるお寺でこの瞑想法を実際に経験した。床に座れない身にとっては幸いなことに、椅子に座ったままでかまわないという。もちろん姿勢も整えるし、両手を膝の上に置いて指は決められた形を作る(印を結ぶ)。薄目を開けた状態で掛け軸に書かれた阿の梵字を見ながら静かに呼吸することから始まる。息を吐くときはなるべく細く長く、そして吐ききるようにと教わる。呼吸のうちでも呼、つまり吐く方を重視するのが印象的だった。慣れてきた頃合いで静かに「あー」と小さく長く声を出す。次第にわが身が平静になる感覚だ・・・。
 阿の字を通して大日如来を想い、如来と一体化するというのがこの行の究極らしいが、凡夫にあってはどうあがいても届きそうにない境地である。

 阿という漢字の意味を辞書でみると、大きな丘陵や山、川岸などで入り組んだ部分をいうとの説明があるが、いま一つイメージがわかない。ほかには屋根の棟木とあり、用例として「四阿」が附記されている。この「四阿」という言葉を知らなかったものだから同じ辞書でひいてみたが入れられていない。こういう経験は一度ならずあるが、辞書を使う上で腹の立つことの一つだ。その点インターネット検索は手軽でいい。この語を打ち込むとすぐに「しあ」と読み「あずまや」のことをいう言葉とわかる。『広辞苑』でも「あずまや」に四阿、阿舎と当てられているので(もちろん東屋も)、自分が知らなかっただけのこと、わが国でも使われる言葉だった。

 阿の字が動詞として用いられる場合には、迎合する、おもねるという意味や、えこひいきするなどの意味が挙げられていた。
 熟語を見ると仏教用語が多いが、そのほかでなじみがある語としては、阿世が出てくる。意味は世間におもねること、出典は『史記』とされていた。
 この熟語の知名度を大いに上げた人は、わが国がまだ占領下にあったときの首相・吉田茂だろう。

 サンフランシスコ講和会議に先立つ一年あまり前、わが国の国内世論は大きく二つに割れていた。米英など西側諸国との単独講和を推し進める政府に対して、学者、知識人、革新陣営などを中心とする人々の中にはソ連などすべての交戦国との全面講和を主張する流れがあって、二つの主張が激しく対立していたようだ。そんな状況下で開かれた当時の与党・自由党の両院議員総会で吉田茂が演説を行い、その中で全面講和派の南原繁東大総長を「曲学阿世の徒」と決めつけた。これが外部に漏れて大騒ぎとなったらしい。
 このときわたしは、小学校に入学して一か月目という時分だから、新聞やらラジオの報道でこの騒ぎを知ったはずはない。それでもこの話題は何となく頭にある。どこでどうして知ったやら。

 ついでながら、南原総長は吉田演説の三日後に記者会見し、「学問の冒瀆、学者に対する権力的強圧以外のものではない。全面講和は国民が欲するところで、それを理論づけ、国民の覚悟を論ずるのは、政治学者としての責務だ。それを曲学阿世の徒の空論として封じ去ろうとするのは、日本の民主政治の危機である」との声明を発表している。
 全面講和論者、ジャーナリズムも吉田発言を非難したに違いないと思うが、この人は謝罪も発言の撤回もしていない。いかにも「頑固ジジィ」の面目か、それとも近頃よく目にするふにゃふにゃした人気取りの失言とは違って、国家の大事に信念をもって対峙していることへの自負の現れということか。

 『論語』に阿の字は出てこない。書き下し文に「おもねる」という読みが現れる例も思い当たらない。意味がほぼ重なる諂、「へつらい(う)」はある。
 その例をひとつ、孔子の言葉である。

  君に事(つか)うるに礼を尽くせば、人 以て諂(へつら)えりとなす

 岩波文庫の『論語』の現代語訳は「主君にお仕えして礼を尽くすと、人々はそれを諂いだという」となっている。
 礼の作法をきちんと守っている自分に対して、それをへつらいとみる人々の無理解を嘆いたものか、あるいはそうした見方に怒っているのか、いずれかであろう。

 嘆きであるか怒りであるかは別にしても、ここは少し意地悪な目でみたくなる。
 何事であれ程度を超えてはよろしくないということがひとつ。孔子自身も別の機会に「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」と中庸が大切なことをいっている通りだ。相手が主君であっても、人々の感覚から見て度を過ぎた丁重さに映れば礼もへつらいとなる。孔子にはそうしたきらいがあったかもしれない。礼を履(ふ)む、礼に従うなどではなく、礼を尽くすと言っているところも気になる。

 もう一つ、この章句の場面もそうだが、当事者間に地位などによる上下の差が明らかな場合にいえることがある。そのような場合は、下位にあるものの平生の態度が問題となる。
 上に対するときと下に対するときでは、礼の表し方に違いがあることは自然といえようが、その違い方(程度)は、やはり大方が納得する範囲に収まるものではなければならない。上には慇懃、下には威を張るなどは世間でよくみられる例だ。上に対してしか礼を表さないのであれば、その礼はへつらいといえる(孔子さまがそれほど嫌味なお方であったなどと思ってはおりませんが……)。

 こう考えていくと、おもねり、へつらいなどという非難は、する側が的外れな見方をしていることもあれば、「心外だ」と憤っている当人の方が問題だということもあろう、そんなこんなが人の世の常のような気がする。
 だとしても、吉田首相と南原総長のぶつかり合いはどう判じたものだろうか……。

 (「随想を書く会」メンバー)
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