【コラム】宗教・民族から見た同時代世界

被災したネパールの人々の宗教:ヒンドゥー編

荒木 重雄


 雨期明けとともに4月の大震災からの本格的な復興が待たれるネパールだが、とりわけ、同国の経済に大きな比重を占める観光を支える宗教施設や遺跡の復旧が急がれている。
 同国の二大宗教は、ヒンドゥー教と仏教である。仏教については前号で述べたので、今号ではヒンドゥーを、観光の視点をまじえて見ておこう。

================================
◇◇ 王宮広場はヒンドゥーの見本市
================================

 ネパールに降り立った観光客がまず訪れるのがカトマンズの中心、ダルバール(王宮)広場である。13世紀からカトマンズ盆地で栄えたマッラ王朝は17世紀にはカトマンズ、バクタプル、パタンの3王国に並立するようになり、各々が王宮前広場を設けて妍を競ったので、現在もこの3市にそれぞれ個性あるダルバール広場があるが、やはり規模が大きく充実しているのはカトマンズのそれである。

 多かれ少なかれ震災の傷跡を残したままであるが、広場を一巡してみよう。
 広場中央の一際高い建物はシヴァ寺院。ヒンドゥーの三大神の1神、破壊神シヴァを祀る。その北側にはシヴァ・パールヴァティー寺院。上層の窓からシヴァとその妃パールヴァティーのカップル像が寄り添って街を見下ろしている。
 広場の南側には一本の大木から建てられたといわれる、独特な吹き抜けの建造物タマンダプ寺院。周りの路上は野菜売りの露店で賑わう。北隣の小さな堂アショク・ビナヤクは縁起のよい象頭の神ガネーシャを祀って、参詣の人が絶えない。
 再び北に向かえば、旧王宮の入り口に猿神ハヌマンを祀ったハヌマン・ドカ(門)。さらに北に進めば巨大なカーラ・パウラヴァ(忿怒相のシヴァ神)が祀られた寺院……と、広場全体がヒンドゥー寺院の複合体である。
 ネパールの歴史と人々の暮らしがいかにヒンドゥーに色濃く彩られているか、広場を一巡するだけで一目瞭然である。

 広場の内外には、土産品やら祭祀具やら日用品やらを商うさまざまな小店や露店が軒を連ねている。庶民の暮らしの息吹が伝わるそれらの店々をひやかすのも、観光客の楽しみの一つである。
 市場の空気に慣れ、少し事情にも通じてくると、それらの店々が、さまざまなカーストの人たちによって営まれていることが見えてこよう。たとえば、金銀細工師はスナール、鍛冶屋はカミ、皮革職人はサルキ、仕立て屋はダマイ、大道芸人はガイネ…というふうにである。カーストによってそれぞれ職業が決まっているのがヒンドゥーの伝統的なありかたであり、近代化の流れで崩れつつあるとはいえ、下町の市場など庶民の間ではいまだ強固に残っている。

================================
◇◇ ネパール・ヒンドゥーとその見所
================================

 ここでヒンドゥー教とはなにか、一言触れておこう。
 ヒンドゥー教徒にとってヒンドゥーとは「ダルマ」である。ダルマとは「人間として行うべきこと」で、具体的には、カースト規制や家族倫理などの社会的規範と、神々の礼拝、儀礼の執行、布施や慈善行為などの宗教的慣行を行ない守ることである。これらを行なうことによって現世の安泰のみならず死後の安寧、とりわけ輪廻でよりよい生まれかわりが保障されるとする。

 礼拝の対象は、シヴァ神、ヴィシュヌ神や、両神の眷属・化身など、いわゆるヒンドゥーの主流をなす神々だが、地方の土着神や自然神、精霊・死霊のたぐいも信仰される。
 ネパールではとりわけ、シヴァの妃ドゥルガーなど女神崇拝と土着神・精霊信仰が盛んであり、したがって、ダーミーやダングンと呼ばれるシャーマンの活動が示すような、供犠や呪術を伴う儀礼も多く行なわれることが特徴である。

 筆者は1970年代、当時の国王ビレンドラの叔父と言葉を交わす機会があり、そのとき王宮では「5マ事崇拝」が行われていることを聞いた。「5マ事崇拝」とは、複数の男女が輪坐して酒(マディヤ)、肉(マーンサ)、魚(マツヤー)、穀物(ムドラー)、そして性交(ミトゥナ)の五つの「マ」のつく事項を共に享受する儀礼、すなわち性交儀礼を含むタントラ(ヒンドゥー左道派)の秘儀である。
 時が移り、2001年、ネパール王族殺害事件が起きる。ディペンドラ王太子が父ビレンドラ国王夫妻をはじめ王族9人を射殺して自らも自殺(?)し、ビレンドラの弟のギャネンドラが王位を継承した事件である。密室で起こったあまりにも謎の多い事件で、王太子の結婚をめぐるトラブルとか、親中派のビレンドラに対して親米印派が後押したギャネンドラによる宮中クーデターとかが取沙汰されたが、麻薬なども使用する呪術的なタントラ秘儀の悲劇という噂も流れていた。

 さて、観光客でも触れることができるネパールらしいヒンドゥーに戻ろう。その一つはクマリ信仰である。

 生き神クマリとは、まだいたいけな少女であるが、シヴァの妃で強力な女神ドゥルガーの化身とされ、旧王宮近くの館に住んで、人々の崇敬と畏怖を受ける。彼女のそぶりから吉凶が判断されるともされ、2008年に王制が廃されるまでは国王も礼拝に訪れていた。

 参詣者(拝観料を払う)が多いと、ときおりメーキャップの濃い無表情な顔を見せるものの、普段は館の奥に潜んで動向が知れないクマリだが、インドラ祭やダサインなど年に七つの大きな祭りがクマリの晴れの舞台となる。山車に乗って街を巡行し、邪気を払って人々に安寧と繁栄をもたらすのである。といっても相変わらずの無表情で、前を見詰めたままじっと身動きもしない。

 クマリというと、このカトマンズの「王室クマリ」がとりわけ有名だが、じつはクマリは各集落にいて、人々の病気治癒や所願成就などの祈願を受ける存在である。ヒンドゥーの儀礼なのになぜかクマリは仏教徒カーストの少女から選ばれ、初潮を見ると新たな少女に交代する。

 さて最後にネパール最大のヒンドゥー寺院パシュパティナートを訪れよう。カトマンズの東を流れる聖河バグマティ川に沿って建つ、獣の主(パシュパティ)としてのシヴァ神を祀った寺院で、本尊は、黄金色の二層の屋根で飾られた堂塔内に祀られたシヴァ・リンガ(男性器を象ったシヴァ神の象徴)である。

 この寺院も、背後の広大な森(ムリガスタリ=鹿の棲家)に散在する数多くの寺院と寺院複合体をなすが、一番の見所は、バグマティ川沿いのガート(石で組まれた階段状の河岸)であろう。ガートには火葬場と沐浴場が設けられ、普段も人並みが絶えないが、シヴァ・ラートリの祭りや毎月の満月の夜には、インドからの巡礼者もまじえ、灯火や線香を携えた参詣の人たちで満ち溢れる。

 王制廃止までは歴代王家の守護寺院であり、庶民用火葬場の上流に王族専用の火葬場もあった、そんなガートの昼夜絶えることのない幾つもの荼毘の火と、その遺灰を流す同じ川の水で沐浴する人たちを眺めながら、無窮の宇宙と無常の人生に思いを馳せるのも、ネパールならではのことであろう。

 (筆者は元桜美林大学教授)


最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧