【オルタの視点】

民主主義を装ったファシズムに直面する日本と沖縄
〜沖縄での異常事態は本土の近未来の姿か〜

木村 朗


◆◆ 1.民主主義からファシズムに移行する日本社会

 今の日本社会は、民主主義からファシズムへの移行、平和国家から戦争国家への転換という大きな岐路・過渡期にあると言っても過言ではない。冷戦終結後、グローバリゼーションが世界化するなかで、いわゆる弱肉強食の金融資本主義、強欲(賭博)資本主義などと言われるアメリカ流の、むき出しの資本主義が世界化する。これと、イデオロギー的には新自由主義と新保守主義(新国家主義)と言われるものを両輪として、日本でも規制緩和や構造改革の波が押し寄せてきていた。この流れが、2001年の9・11事件、あるいは2011年の3・11(東日本大震災と福島第一原発事故)以後、急加速している。今の時代状況は、1929年の世界大経後の1930年代の世界、ナチス・ドイツが登場した前後と類似している。あるいは、第2次世界大戦後の、朝鮮戦争が始まる前後から本格化する冷戦の中で、アメリカではマッカーシズム、日本では、アカ狩り旋風が吹き荒れた時代状況と重なる。

 当時の日本は、冷戦の最前線ではないものの、1947年前後から「逆コース」といわれる平和・民主主義と逆行する流れになっていった。その後、冷戦終結を契機に多少の揺り戻しがあった。1993年の非自民党政権・細川政権の成立がそうであった。その後、90年代半ばぐらいまでは、冷戦終結の恩恵を受けていい意味での揺り戻しがあったが、それ以降は「第2の逆コース」に入っていく。その「第2の逆コース」に対するカウンターとして、もう一つのいい意味での揺り戻しがあったのが、2009年夏の政権交代と鳩山民主党政権の登場だった。

 その鳩山民主党政権は、普天間飛行場の移設問題で「国外移転、最低でも県外移転」を掲げたものの、既得権益層(政界・官界・財界・報道界・学界)とアメリカからの総反撃を受けた結果、辺野古V字案に回帰するという形で挫折・崩壊することとなった(鳩山由紀夫・白井 聡・木村 朗『誰がこの国を動かしているのか』詩想社、進藤榮一、木村 朗共編『沖縄自立と東アジア共同体』花伝社、などを参照)。

<沖縄のおかれている深刻な状況>
 菅・野田両民主党政権を経て再び登場した第二次安倍政権登場以降、沖縄では2012〜13年のオスプレイの強行配備、そして辺野古への新基地建設強行などの事態を受けて「構造的沖縄差別」という言葉が定着し、沖縄のアイデンティティーか、沖縄の自己決定権、あるいは沖縄(琉球)の独立という主張・選択肢が静かながら、確かな底流として生まれている(沖縄で「琉球民族独立総合研究学会」をたちあげられた龍谷大学の松島泰勝さんの『実現可能な五つの方法 琉球独立宣言』講談社文庫、琉球新報社の若きエース記者・新垣毅さんの『沖縄の自己決定論』高文研、などを参照)。

 沖縄県の翁長雄志知事が、国連の人権委員会で、「沖縄の人権、自己決定権がないがしろにされている」と主張し、安倍政権のこの間の辺野古新基地建設強行を「強権ここに極まれり」と糾弾している。その翁長知事は、那覇市長時代の2013年1月に、オール沖縄の代表団がオスプレイ強行配備への反対や日米地位協定改定などを要求する「建白書」を携えて上京した際に、「お前たちは日本人じゃない」、「日本から出ていけ」といった、それこそ在日コリアンの人々に対するヘイトスピーチまがいの侮蔑的な言葉が自分たちに容赦なく浴びせられた経験がある。その時の屈辱を翁長さんだけでなく沖縄の人々は決して忘れていない。

 また、その辺野古問題で、県外移設を公約して当選した自民党選出の5人の国会議員が、自民党本部の圧力で壇上に並ばされて、当時の石破茂幹事長に辺野古移設を容認する選択を迫られてうなだれている姿を見せられた沖縄の方々は、この時も沖縄差別に対する深い憤りを持ったといわれる。そして安倍政権が、沖縄が日本から切り離された、沖縄にとっては「屈辱の日」とされている4月28日を、「主権回復の日」として2013年に祝ったということにも、沖縄の人々は強く反発をした。このような沖縄のおかれている深刻な状況を、本土の大手メディアはほとんど伝えず、本土の多くの人びとは無関心で知らぬままである。まさに沖縄に対する根本的な認識の誤りと理解不足・誤解、そして、「無意識の植民地主義」が政府、与党だけでなく、本土の私たち一般市民の中にも深く根付いていることがその背景としてあるからだ。

◆◆ 2.沖縄の怒れる民意に本土はどう応えるのか

 米軍属女性暴行殺人事件に抗議する沖縄県民大会が6月19日に那覇市で開かれ、約6万5千人が参加した。その会場で掲げられた「海兵隊は撤退を」「怒りは限界に達した」とのプラカードに凝縮された沖縄県民の強い思いを、日米両政府、そして本土の日本人はどう受けとめたのであろうか。

 県民大会では、翁長雄志知事は、「21年前の県民大会で二度と起こさないと誓った事件を再び起こしたこと、責任を感じている。政治の仕組みを変えられず、政治家として、知事として痛恨の極みだ」と述べ、日米地位協定の抜本改定や辺野古新基地建設阻止のために「強い意志と誇り」で立ち向かう不退転の決意を表明した。大会決議に、海兵隊の撤退が初めて盛り込まれた意義は大きい。

 シールズ琉球のメンバー・玉城愛さんの「あなたのことを思い、多くの県民が涙し、怒り、悲しみ、言葉にならない重くのしかかるものを抱いている」「安倍晋三さん、日本本土にお住まいの皆さん、今回の事件の第二の加害者は誰ですか。あなたたちです」との言葉には、悲劇に見舞われた女性の痛みを思いやる気持ちと深い悲しみだけでなく、沖縄を見下しているように見える本土への怒りが強く感じられた。

 また、同じシールズ琉球のもう一人のメンバー・元山仁士郎さんの「日本の安全保障とは一体何なのか。一番の脅威は私たち隣人を襲う米軍、米兵の存在ではないでしょうか」「安倍さんの言う日本国憲法に謳う“国民”の中に、沖縄の人は入っていますか。」という国家の在り方そのものを問う発言に、これまでとの“空気の違い”を感じて胸を打たれた。

 今回の事件で、安倍内閣の一人が「タイミングが悪すぎる」と漏らしたと伝えられているが、思わず本音が出たのだろう。県民大会への自民、公明両党などの不参加は、参院選を間近に控えて基地問題の争点化を避ける思惑が透けて見えた。沖縄では小手先の争点隠しは通用しない。沖縄の怒れる民意は今後も変わることなく示されるであろう。
 この問題での菅官房長官の、沖縄県民大会「県全体ではない」との発言には沖縄の民意を無視する安倍政権の驕りがみえた。

 本来、日米地位協定改定問題は、沖縄問題ではなく日本国家全体の問題であり、当然、国政選挙の争点になる。また、沖縄の基地問題は、軍事・安全保障問題である以上に、人権・民主主義の問題である。1995年の少女暴行事件から21年後のいまも人権侵害状況は何ら変わっていない。日本が米国の属国であり、沖縄が日米両国の植民地状態にあることを思い知らされる毎日である。

 繰り返される米軍関係の犯罪や事故に対する沖縄県民の怒りと悲しみはとうに限界を超えている。次なる被害者を出さないためにも、この憤怒に満ちた沖縄の声に私を含む本土の日本人も今こそ行動で応えるべきである。

◆◆ 3.沖縄での異常事態は「緊急事態条項(国家緊急権)」の先取り

 参院選で「勝利」を収めた後の安倍政権の暴走は、衆参両院で「改憲勢力」が3分の2の絶対多数を制することができた驕りなのか、常軌を逸したものとなっている。安倍首相は、参院選では争点化を避けた改憲への意向を、選挙翌日に露骨に打ち出した。いま沖縄では、その改憲の目玉ともされ、大災害時などに権限を集中させる「緊急事態条項(国家緊急権)」の先取りともいえる事態が起きている。

 それは、名護市辺野古の新基地建設を巡り県を訴え、東村高江の米軍北部訓練場でヘリパッド建設を強行するため県道を封鎖し、辺野古の米軍キャンプ・シュワブ内陸部での施設建設の工事再開を要請するといった、政府による一連のなりふり構わぬ異常事態のことだ。

 政府は22日、県の米軍普天間飛行場の辺野古への移設に関し、県を相手に地方自治法に基づく違法確認訴訟を起こした。同じ日、米軍北部訓練場のヘリパッド移設工事を再開。政府は本土から500人の機動隊員を送り込んだ。

 前日には、県議会は建設中止を求める意見書を賛成多数で可決していたが、政府側は力づくで道路を封鎖して住民を排除し、工事を再開した。現状確認のため現場に向かう県職員の立ち入りも認めなかった。

 こうした過剰な警備による基本的人権の不当な制限、侵害、基地負担軽減を求める県民に対する鎮圧、制圧、強制という手法は断じて許されるものではない。
 さらに問題なのは、こうした異常事態を大手メディアがあまり報道せず、本土の多くの人々は知らないままということだ。翁長知事は18日、本土の人々への問題提起としてあえて馬毛島を視察したが、その意味を理解しようとする姿勢も乏しかった。

 沖縄問題の本質は、日本問題に他ならない。沖縄の基地問題は、安全保障の問題である以上に、人権、民主主義の問題である。本質を理解しようとせず、日米安保体制を容認する立場からまさにひとごとのように「辺野古移設は仕方がない」とする本土の人々のゆがんだ「常識」こそが、あらためて問われている。
 私たちは、権力とメディアが一体化した言論統制・情報操作によって不可視化されてはいるが、沖縄でいま起きている異常事態は、まさに近未来の日本本土の姿でもあることを直視すべきである。 (2016年8月15日:戦後71回目の敗戦記念日に)

 (鹿児島大学教授・平和学専攻 編著『沖縄自立と東アジア共同体』他多数)


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