【北から南から】フランス便り(19)

民主主義のないEU:根本的な批判の紹介

鈴木 宏昌


 パリはようやく秋らしくなってきた。まだ緑も多いが、歩道が毎日枯葉で覆われるようになっている。マロニエの葉は、虫にやられ、しばらく前から葉が落ちていたが、プラタナスの大きな葉も散り始めている。今日は冷え込み、日中の最高気温が8度と寒い。まだ、寒い日と暖かい日が交互に来る感じながら、朝が遅くなり、8時くらいまで、外は暗い。

 最近の大きなニュースは、なんと言ってもEUに押し寄せる難民問題だった。シリヤ・アフガニスタンの内乱は膠着状態となり、4百万を超える難民がトルコ・レバノンなどに避難している。その一部が漁船でギリシャ・イタリアを目指す。小さな漁船に何百人と乗るので、少しの波でも沈没し、何千人という痛ましい死者を出している。死んだ小さな子供が海岸に打ち寄せられた写真は、テレビ・インターネットで流れ、大きなショックを引き起こした。
 そこで、ドイツのメルケル首相が立ち上がり、ドイツは、80万人の難民を受け入れる用意があると発表すると、情報は直ちに中東に流れ、すさまじい人の波がドイツを目指すことになった。この騒ぎの中で、明らかになったのは、EU内部の混乱である。難民受け入れに反対しているハンガリア・ポーランドなどの東欧諸国と人道的見地から受け入れに積極的なドイツ、北欧と別れ、意思決定ができない状況になっている。ギリシャ危機に続いて難民問題とEUの機能不全が目立っている。

 このような中、最近EU統治と自動車産業の労使関係という小さな研究会に参加する機会あった。思いもかけず面白く、EUのあり方について考えさせられる研究会だった。これまで、EU反対派というとマリーヌ・ル・ペンの極右FNのイメージを持っていた。彼女は、フランスの社会問題の原因を無国籍のEU政策と移民の増加と喧伝し、現在の政治に不満を持つ農民、年金生活者、失業者などの支持を確実に伸ばしている。国の主権を制限するEUには、何でも反対という単純な構図である。
 その一方、左翼の人たちからは、EU内の民主主義の欠如という批判は昔からあった。正直のところ、その論理が私にはあまり理解できなかった。拡大されたEUで、直接選挙で、EU大統領やEU委員を選ぶことは非現実的だし、また実質的な権限を持たない現在のEU議会をどのように改革できるのか分かりかねた。ところが、今回の研究会で、3人の旧知の研究者が大変に興味深いEU批判の報告を行った。この三つの報告を中心として、フランスの進歩的な知識階層が持っているEUの現状批判を紹介してみたい。

◆ 1 なぜ自動車産業ではドイツが一人勝ちなのか?

 私の友人のパルディ氏(イタリア人)は、ヨーロッパの自動車産業研究のネットワークを組織している中堅の研究者だが、彼の報告は、私が以前から持っていた漠然とした疑問に答えてくれるものだった。その疑問とは、なぜフランス・イタリア・イギリスの自動車産業が縮小している中で、ドイツ車のみ生産を伸ばしているのかという点である。周知のように、自動車産業は裾野の広い産業で、その盛衰は国内経済・雇用に与える影響が大きい。
 ドイツのフォルクスワーゲン、BMW、ベンツ各社が近年その生産を伸ばしているのに対し、フランスのルノー、PSA(プジョー)、イタリアのフィアット社はシェアを大きく落としている。一般的に、人件費を含めた競争力の低下がその原因とされているが、ドイツとフランスの賃金水準に大きな差があるわけではない。また、一部の人は、フォルクスワーゲン社の海外展開の成功(中国、東欧)でフォルクスワーゲンがトヨタを凌ぐまでになったと考えているが、BMWとベンツは積極的に海外展開をしているわけではない。

 パルディ氏は、まずEU内の自動車生産に関する長期データをグラフで示し、2000年までは、EUの自動車市場が緩やかに拡大し、生産台数(4輪乗用車)は約1500万台弱となるが、2013年には1130万台と約300万台ほど低下する。西ヨーロッパ全体の自動車生産の中で、ドイツのシェアは、2000年の35%から2013年に48%に伸ばした。これに対し、フランスは2000年の19%から2013年には13%と落としている。イタリアにいたっては、2000年の約10%から3%と壊滅的である(フィアットとクライスラーとの合併の影響が大きい)。
 この対照的なドイツとフランス・イタリアの動きを解く鍵として、報告者はEUの安全・環境基準の影響と東欧自動車市場の特殊性を指摘する。EU基準であるエアーバッグの設置、CO2の排出規制に対応する新車となると、車体はどうしても重くなり、価格も高くなる。したがって、EU基準の強化は、もともと技術力が高く、高級車に強みを持つドイツがシェアーを伸ばし、中級車を得意としていたフランスが次第にその競争力を失う。低価格の車を得意としていたイタリアは、EUの規制強化と東欧からの安価な車の輸出に挟み撃ちに会い、大きく後退したとする。

 EU規制は、EUの大手メーカーとEU委員会の交渉で決まるが、2000年以降、ドイツの意見、基準が大勢を占める構図になっているという。もう一つの鍵である東欧圏への生産拡大は、2004年のEU拡大とともに本格化し、現在では、ポーランド、チェコ、ルーマニアなどで自動車生産が進み、全体で300万台を超えるまでなっている。東欧市場の特殊性は、自動車生産が伸びているにもかかわらず、国内の新車販売がほとんど伸びていないことにある(とくに、ポーランド)。その原因は、中古のドイツ車が大量にこの東欧市場を占め、ドイツのシェア拡大の後押しをしているためだ。非常に面白い指摘である。ドイツは、新車の分野では、EUの安全・環境基準が厳しくなればなるほど、その技術的優位を確保し、ますますシェアを高めることができる。その裏では、10年、15年使われたドイツの中古車が東欧市場を支配し、大量のCO2を排出しているという。

◆ 2 Erne 教授のEU経済安定化と成長協定への批判

 Erne 教授は、EUレベルの労使関係を専門とする一級の研究者である。今回は、2011年に採択されたEUの「経済安定化と成長」に関する協定を題材に、現在のEUの意思決定のあり方を鋭く指摘した。「経済安定化と成長」協定は、加盟国の財政規律と成長を求めるもので、アムステルダム条約を根拠にして1997年にEU閣僚会議で承認され、EU基準となった。内容的には、公共の財政赤字をGDPの3%以内に抑えることを柱として、マクロ経済の不均衡を防ぐことなどが定められている。その後、2004年にEUが東欧諸国などに拡大したことから、この基準の実施状況をどのような形で監視するかが議論された。
 ようやく2011年に採択されたのが一般的に 6Pack と呼ばれる経済安定化協定となる。ここで、財政赤字、負債、マクロ経済の不均衡の監視体制が具体化されることになる。財政規律を強く主張するドイツやオランダの線に沿って協定は結ばれた(当時フランスの大統領はサルコジ氏)。財政赤字に関しては、基準を上回る国は、毎年EU財政閣僚会議に改善案の提示を求められることになる。また、構造的なマクロ経済の不均衡を審査するために、9つのインディケーターが採用される。もしも財政赤字や経済の不均衡が改善しない場合には、制裁措置も盛り込まれることになった(現在まで発動されたケースはない)。

 Erne 教授は、まずアメリカやドイツといった連邦国家でも、連邦政府には、財政上の主権を持つ州の財政に干渉する権限ははないと指摘する。ところが、EUは主権国家の集合体であるにもかかわらず、経済安定化の名目で各国の財政政策を監視、干渉する機構を設けてしまっている。具体的には、9つもあるインディケーターを各国ごとに作り、項目ごとにランク付けをする。その資料を基に、各国の閣僚が当該国の予算案などを審査する。
 一国の予算編成、財政政策といった各国の労使関係に大きな影響を与える政策が、EUレベルで討議される。当然ながら、労働者の生活に直結する公務員の給与や社会保障は、緊縮予算の影響を受ける。国のレベルでは、労使交渉の当事者である労働組合はEUレベルの討議にはまったく参加できない。とくに特徴的なのは、当事国の審査は、各国ごとのインディテーターの一覧表を基に行われ、全体のコンテキストから断絶された数字の世界で行われる。

 この Erne 教授の批判は興味深い。緊縮政策を強いられるポルトガル、スペイン、アイルランドは財政赤字削減のために、賃金の切り下げ、年金改革などを受け入れざるを得なかった。ギリシャにいたっては、EUの提示する条件を飲まなければ、市場で借金することができないまでに追い込まれた。大幅な公務員の整理、社会保障給付の引き下げなどが労働者の反対にもかかわらず行われている。これもすべて、経済安定化協定と結びついている。2011年の協定締結の際、各国の労働組合は大きな反対の声を上げることができなかった。組合は、身近なリストラなどに組合員を動員し反対活動することはできるが、抽象的な市場や国家枠を超えたEU政策となると対応することが難しいと教授は分析していた。

◆ 3 民主主義のない現在のEUを正面から批判する R. Salais 氏

 サレ氏は、失業問題や雇用政策に詳しい労働経済学の大物である。フランス独特の官庁エコノミストの一方の雄で、失業問題の権威として知られ、EUの雇用政策にも一定の影響を持った時期もあった。ここ4、5年ドイツの研究所で活動をしていたので、彼が主にEU誕生の歴史などを読み直していたとは知らなかった。昨年、「Le viol de l’Europe」(直訳するとヨーロッパの強姦、ただしこのヨーロッパはギリシャ神話のヨーロッパ)という本を出版し、現在のEUのあり方に徹底的な批判を行う。まず、サレ氏は、EUの出発点をアメリカのマーシャル・プランと位置づける。
 マーシャル・プランは、当時のアメリカのGDPの1%にも及ぶ資金をつぎ込み、戦後の荒廃したヨーロッパ経済の復興に貢献したことで有名だが、この資金の受け皿として一つにまとまったヨーロッパの復興計画を条件とした。とくに、頭にあったのは、仏独を和解させる欧州共同体だったという。しかし各国の足並みが揃わず、結局は、欧州石炭・鉄鋼共同体とOEEC(現在のOECD)という受け皿建設にとどまることになる。マーシャル・プランの終わる1950年からEEC発足のローマ条約まで、実に多くの欧州共同体の構想が打ち出される。その一部には、民主主義をベースにした政治統合への動きがあったとしている。ローマ条約は、結局、スパーク報告を受けた形で、関税撤廃を目的とした6カ国の経済共同体として発足する。この時点で、民主主義を基盤とするヨーロッパは消えることになる。

 社会的なヨーロッパを発達させた Delors の時代(1985−1994年)に関して、ドロールがEUで一番最初に行った措置は資本移動の自由であり、それが、現在の統一通貨ユーロにつながることを指摘する。したがって、ドロールは社会的対話を促進した功績以上に、EU内の資本の自由移動とファイナンスの発展に寄与したとかなり批判的に評価している。現在のEUの意思決定に関しては、リスボン協定の雇用戦略と同様に、数多くのインディケーターが並べられ、国別の評価を専門家集団が行っている。
 そこには一般市民の参加も労使代表の参加もない。また、EUは、Subsidiarity(適当なレベルで問題を処理する原則)を強調するが、どこのレベルが最適かを決めているのはEUなので、EUが有利な形で、問題を加盟国のレベルに落とすことになる。

 さて、サレ氏の本の中では、二つのEUの致命的な欠陥を指摘する。第一点は、統一通貨ユーロに関して、現在のユーロは実質的に競争力の強いドイツを機軸としているため、競争力の弱い国は緊縮政策によりコスト削減することを強いられている。
 もともとドイツは、その強い競争力のお陰で、EU統一市場の恩恵を受け、ドイツ製品を輸出することで最も大きな利益を得ている。ユーロが安定的に運用されるためには、本当は各国の貿易収支のプラスとマイナスをEUレベルのファンドとしてプールする必要があった。プールした資金をギリシャ・ポルトガルなどの競争力の弱い国へ投資し、経済均衡を保つべきだったと主張する。これは、ブレトンウッズの会議でイギリスのケインズ卿が主張したところでもあるという。しかし、現実は、ドイツの論理が勝り、財政安定化の名目で、競争力の弱い国へ緊縮政策を押し付けている。サレ氏は、ギリシャにとっては、ユーロ圏を離脱し、財政政策の主権を回復させ、経済復興を企画した方が中長期的にプラスになると考えている。

 第二の点は、もっとも根源的な批判で、創設のときに市場統合のみを優先した結果、市民の参加や地域の自治といった政治的側面は無視されることになる。ましてや、EUが拡大し、加盟国が28カ国にもなれば、閣僚会議は機能しなくなる。そこで、テクノクラートが集まり、技術的な選択がブラッセルでなされ、多くのEU基準(EU規則)あるいは指令となる。もちろん、加盟国や労使代表に意見を諮る手続きは取るが、技術的な問題として出されるので、明確な判断をすることができない。このように、問題を専門的・技術的な枠組みで提示することで、市場統合の論理を実現している。そこには、市民や国民の声を反映させる仕組みはない。EUは民主主義の砦を自負しているが、皮肉にも、EUには民主主義がないと批判している。
 実に筋の通った、興味深い分析である。サレ氏や彼の仲間は、決してフランスの経済学者の多数派とはいえないが、考えさせられることが多かった。私も、その昔、何回かEU本部に足を運んだことがあるが、その官僚機構の巨大さに驚いた記憶がある。私が関心を持っていた部署は、当時DGVと呼ばれていた労働・雇用関係の部だったが、30いくつもある部の一つでしかなかった。EUが拡大してからは、さらに大きな官僚機構になっていることだろう。EUの規制はますます一般の市民の生活とかかわることが多くなっている。食品の安全基準、自動車の環境基準などがすぐに頭に浮かぶ。

 そういえば、私たちの住んでいるマンションでも、最近古くなったエレベーターの改修工事が行われ、1ヶ月間買い物を6階まで歩いて登るのに苦労した。理由は、EU基準に沿うためだったが、相当の費用分担を強いられた。ともかくフランスではEU基準に対する一般市民の不満は広がっている。フランスは、まだ、本格的な緊縮政策を取っていないので、実生活に対する影響は大きくはないが、本格的な財政緊縮を実行したポルトガル、スペイン、アイルランド、ギリシャの人たちの不満は尋常なものではないだろう。若年の3割から5割は失業状態、その上、賃金、社会的保護は大幅カットとなると、EUの経済安定化協定への反発は強い。それらの市民の声にももかかわらずEUやEU中央銀行が赤字加盟国に緊縮政策を強制できるのは、市民の声を反映させる政治的仕組みがEUにないことによるのだろう。市場と民主主義の対立という大きな命題は、単にEU市民のテーマではなく、日本でも考えるべき問題だろう。  2015年10月17日 パリ郊外にて

 (筆者はパリ在住・早稲田大学名誉教授)


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