【北から南から】フィリピンから(7)

日比の技術の結晶、リコーペンタックス
— 半世紀越える名ブランド、今では全機種セブで —

麻生 雍一郎


 記者が読売新聞の記者としての第一歩を踏み出したのは50年前の1965年。入社するとすぐ編集記者職の全員が一眼レフのカメラを買わされた。アサヒペンタックスだった。値段は月給より高く、以後1年にわたって給料から毎月、代金を自動引き落としされた。取材活動に必携のカメラは会社支給ではなかった。右手に取材メモ帳とボールペン、左肩にカメラが記者たちの日常のスタイル。ペンタックスのカメラはそこそこ重くて、読売新聞の記者はしばらく経つと左肩が右肩より下がるよ、などといわれたものだ。半世紀を経た今日でもペンタックスは日本のカメラを代表する名ブランドだが、それがいまでは日本ではなくて、100パーセント、フィリピンのセブで組み立てられているという。驚いて、その組み立て現場を見に行った。

 戦後まもなく、日本発の一眼レフカメラを発売した先駆者がペンタックスだった。以来、卓越した技術開発力を誇り、日本のカメラの代名詞の感があった。そのペンタックスのレンズ交換式デジタルカメラの全機種がいまではセブ州マクタン島にあるリコー・イメージング・プロダクツ・フィリピン社で作られている。ラプラプ進出のきっかけは、1986年に創設されたマクタン輸出加工区(MEPZI)だ。

 フィリピン政府はマクタン・セブ国際空港に隣接する広大な土地に外国企業を呼び込み、産業の発展と雇用の増大を図るため、MEPZIをつくり、法人事業税の減免など各種の優遇措置を取って進出を呼びかけた。ペンタックス社では早くから、香港、中国でカメラのボディを、台湾で交換レンズを作ってきたが、フィリピン側が提示した優遇措置、豊富な労働力と優位性のある人件費、また視力がよく、手先が極めて器用というフィリピン人の長所などを総合的に勘案して、進出を決めたという。1991年のことだった。

 ペンタックスの組み立て工場で働く労働者数は常に1000人以上を数え、そのうちの6割が女性だ。各工程の作業場はまるで病院の無菌室を思わせる。精密なカメラを作るのに一番の敵はゴミ、埃(ほこり)だ。エアコンが効いたクリーンルームでは防塵服に身を固め、ゴーグルを付けた女性たちが計器を調整し、細かな作業の手を黙々と動かしている。案内の係員、記者、カメラマンは無菌状態ではないので、廊下越しにその作業風景を覗いていく。初心者向けからプロが用いるレンズ交換式のカメラまで全てここで組み立てられていく。なかでも日本の「カメラグランプリ」はじめ、日・欧・米のカメラ関連の優秀賞を総なめし、高級一眼レフの象徴ともなってきた「645シリーズ」は、内蔵する2000個の部品を全て手作業で組み立てるという。驚くべき職人芸がここマクタン工場で発揮されているのだ。

 マネジャーの黒田真一郎さん(40)によると、「645シリーズ」の組み立てを担当するのは、社内トップレベルのメンバーから選ばれ、日本で腕を磨いてきた選りすぐりの職人たちだ。「手先が器用で、細かい作業に欠かせない視力—。それらを備えたフィリピン人ならではの最高傑作が645シリーズなのです」と黒田さん。645シリーズの第一弾、645Dは4000万画素の緻密さで、昨年6月発売のモデルチェンジ機の「645Z」は5140万画素まで増え、発売当初は生産が追いつかず、3か月待ちだった。これで写した引き伸ばし写真を見せてもらったが、人の顔なら毛穴まで、木の葉なら一番端の葉脈までくっきり出ているのには驚いた。価格はレンズとセットで100万円もするが、プロには喉から手が出るほどほしい1台だ。

 カメラの嗜好には最近、大きな変化が出ている。自分だけのカメラ、自分だけの色を求め始めたのだ。マクタン工場ではこうした変化に応えて100色以上のカラーバリエーションのカメラを作っている。求める色にはお国柄が反映する。フィリピン人はブルー、スカイブルー、またコリー・アキノ元大統領が好んだ黄色などを、中国人や台湾人は赤、メタリックやゴールドを好み、日本人はオレンジ、白、グリーン、紫、ブルーと多様だ。昨年は青、赤、白、黄色を配色した、フィリピン国旗を模したバージョンも100台限定で生産した。面白いのは欧米人で、カメラが頑丈で壊れなければいい、と色はあまり気にしない、という。生産のラインアップは645シリーズの他に、エントリー一眼と言われる「K50」、新しい機能満載の「K-S2」、中級者/セミプロ向け「K3」シリーズ、カメラ女子に人気なミラーレスのQシリーズなど、いずれも各国で根強い人気を博している。

 中国、台湾、インドネシア、ベトナム、タイ・・・。マクタン島での生産はアジアの近隣国への輸出ルートという観点からも、マーケットに近接する利点がある。これら消費地の販売代理店から一人ひとりのカラー・オーダーが届くと、マクタン工場では直ちに製作に着手する。日本の場合、輸出、搬送の時間も入れて2週間以内に発注者へ届けられる体制を作り上げた。生産拠点と販売拠点が一体となった「カメラにおけるアジアのハブ」を目指して拠点の整備が進みつつある。

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●「手作り製品をアジア、世界へ」小沼豊社長に聞く

 「メイド・イン・セブ」のペンタックスをアジアと世界へ。陣頭指揮を執るリコー・イメージング・プロダクツ・フィリピン社の小沼豊社長(59)へインタビューした。

Q;カメラ製作もどんどん機械化、自動化されているのかと思いきや、ペンタックスはほとんど手作業で組み立てている。なぜ、伝統的な手法にこだわっているのですか?

A;実はカメラのシェア(市場占有率)で見れば、機械化、自動化を進めたジャイアントメーカーがマーケットの多くを占めます。それならうちはシェアは小さくても本来の伝統、文化を継承して手作業できちっとしたモノ作りをしようと。それに手で組み立てる、というのはフィリピン人職人の気質に合い、機械では作れない個別のさまざまな要求に応えることができます。個性の時代といわれる現代にマッチした、一人ひとりが求めるカメラが作れるのです。

Q;フィリピン人は手先が器用といわれるが、どんなところへ才能が出ますか?

A;ハンダ付け、ビス止め、油の使い方・・・。うまいものですよ。エンジニアと組み立ての優秀な職人から選別して日本へ派遣し、組み立てから工程管理までて徹底的に学びますからね。彼らがまず手作りして、これなら、という段階で量産へ入ります。

Q;100色ものカラーバージョンを作るとは、カメラへの認識が一変しました。

A;最近は誰もが他人とは違うカメラを欲しがります。とくに女性はそうです。黒、シルバー、ワインレッドの3色が基準でしたが、ペンタックスでは5年前、カメラにはタブーといわれたブルーに挑戦し、さらに色々なカラーを取り入れてきました。これからも一人ひとりの嗜好に応えるカラーやデザインのカメラを作っていきます。ペンタックスの愛好者は世界のメジャーではないが、ニッチの層をつかんでいると思う。写真文化の中で感動を与えられる作品を撮れる、といわれるカメラをめざします。

Q;フィリピンで仕事をして感じることは何ですか?

A;台風ヨランダの後、被災地を回りました。家や家財を失っているのに、カメラを向けると怒るどころか、笑顔でポーズをとってくれる。励ましに行ったつもりが、こちらが癒されました。この国の雇用と発展のためにもセブ産の手作りカメラを世界へ普及させていきたい。そのための販売ネットワーク構築に取り組んでいきたいと考えています。

 (筆者は日刊マニラ新聞セブ支局長)


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