【沖縄の地鳴り】
新たな沖縄と砂川の連帯 〜亡き父とともに辺野古へ〜
砂川平和ひろば主宰/福島 京子
砂川闘争60年、敗戦70年の年に皆様のご支援をいただき、沖縄を訪れることができました。砂川闘争で、父宮岡政雄は常に沖縄につながる闘いを目指していました。米軍基地を抱える町は、安保条約と日米地位協定に縛られ、すべて共通する闘いだからです。
その沖縄の闘争現場に、ずっと行きたいと思っていた願いが今回かないました。
沖縄に着いた翌日、河野道夫さん、仲西美佐子さんにご案内いただき、辺野古、高江を訪れました。
辺野古の座り込みテントに行く途中、対岸の海辺に近づくと、潮溜まりにカニや磯の小さな命がありました。その海の先のキャンプ・シュワブ沖に不自然なスパット台から長く杭が伸びているのが見えました。そして、カメラの望遠レンズをのぞくとそのスパット台を大きく囲むように、立入禁止区域を示す赤いフロートが見えました。静かな海の向こうに、不釣り合いな構造物が、沖縄の闘いの現場を見せていました。
その後、大浦湾の辺野古漁港近くで座り込みを続けるテントを訪れました。一人の女性は椅子に座って、編み物をしていました。もう一人の女性は、パネルを抱えて訪れた人に説明をしていました。日曜日、思ったより静かな闘いの現場でした。
テントから、大浦湾を見ると、対岸から見たスパット台から伸びた杭は、より間近となり海を占拠し、赤いフロートがそれを守っているのをはっきり見ることができました。
日曜日ということで、作業は中止、そして抗議活動もない大浦湾は静かにたたずみ、スパット台とフロートがその景色の邪魔をしています。
フェンス越しにキャンプ・シュワブが見え、そのフェンスには以前支援の旗がいくつも張られていたというのに今はフェンスだけ‥‥旗は1枚残らず剥ぎ取られています。それを剥がしたのは、地元民だという。
旗を取られたということを聞いて、私は60年代の砂川闘争を思い出しました。ベトナムに飛んでいく飛行機の飛行停止を求め高く竿に掲げた何枚もの赤い旗。滑走路間際の砂川の空に何本も旗がたなびくその景色は、闘いの象徴でもありました。
その旗が、夜中になん本も剥ぎ取られたのです。砂川の旗を剥ぎ取ったのは警察でした。警察と闘うよりもより困難なのが地元の軋轢です。辺野古に生きる地元の人々の重苦しいものがその行為から伝わってきました。
この日は、辺野古地区の伝統行事ハーレーの日だとのことで、辺野古を見学する私たちの傍らで地元の青年たちが、忙しそうにしかし楽しげに、ハーレーの船の搬入に浜辺を行き来していました。
この辺野古の伝統行事ハーレーが、いつまでも変わることなく、この若者から、また次の若者へと変わることなくこの大浦湾でできるように受け継いでいかなければなりません。それが辺野古の闘いなのです。
辺野古の海に浮かべるのは、ハーレーであって、海保の船が占領する海にしてはなりません。コンクリートで固めた基地にしてはなりません。ハーレーを迎える、生き生きとしたかつ静かなこの大浦湾を守らなければならないのです。
その後、キャンプ・シュワブのゲート前の座り込みを続けるテントに行きました。暑い暑い沖縄の空の下、テントがあるとはいえ、暑さに変わりはありません。
そこでスピーチの順番を待ちました。鳥取から来た高校生集団、そして次に子どもを連れたお母さん‥‥私はその姿に、割烹着を着た母に連れられ座り込みに行った私の姿を重ねました。砂川の母も、沖縄の母も戦争に繋がる基地に反対する思いは同じです。
砂川からの連帯を亡き父の思いもこめて、発言しました。闘争に妥協はない、絶対反対で決して基地を作ってはならない。砂川から持参した反対同盟旗を転写した旗をフェンスに括りつけ、砂川と沖縄と連帯して闘うことを誓いました。
その後、高江に行きましたが、現地は座り込み8周年で、テントには留守番の人のみでしたので、座り込み8周年の会場に行きました。会場からあふれるほどの人が集まっていました。
座り込みを8年間し続けてきた、高江の闘いは飛べない鳥ヤンバルクイナにも似た地味な闘いです。しかしその地味な闘いをし続けることが、やんばるの森を守り続ける闘いになるのです。やんばるの森は様々な命を大切に育んでいる森です。私たちの社会もやんばるの森にならなければならないのです。
しかし座り込み8年とは一言で片づけられないほど深い闘いです。会場があふれるほどの熱気は、やんばるの森に集まる熱気です。この熱気をそのままオスプレイの配備が発表された横田基地に届けたいものです。
沖縄大学で、桜井国俊さんから環境アセスメントからの辺野古の闘いを伺いました。国の不条理な対応に闘いの困難さが伝わってきました。
今後もあらゆる方面から闘い続けることの大切さ、また環境アセスメントの闘いは、辺野古に運ばれる各地の土砂の搬出先との連帯した闘いが可能となり、沖縄と本土の一帯した闘いへ展開していけるものと思います。またそうしていかなければならないものです。
沖縄に於いては、戦後伊江島で米軍の強制接収に反対する阿波根昌鴻さんが非暴力の闘いを展開し、金武湾では埋め立てに反対した安里清信さんが「海は人の母である」との闘いでお金ではない未来の海を守る闘いをしました。
砂川闘争の勝利は、正にこの阿波根さんの非暴力の闘いと安里さんのお金ではない未来を守る闘いの二つを合わせた闘いで勝利したのです。沖縄にはこの二つの闘いの歴史があるのです。この二つの闘いを受け継ぎ、基地はどこにもいらない闘いをゆるぎなく続けていくために、今再び沖縄と砂川の連帯した闘いをしていきたいと、辺野古と高江を訪れ強く決意しました。
今、安倍政権は辺野古ありきで、民意を無視し、集団的自衛権の根拠になりえない砂川判決を持ち出し、なりふり構わず戦争国家へ突き進んでいます。沖縄と砂川と連帯し、まず安倍政権の暴挙を阻止しましょう。
(写真 琉球新報の記事 2015年6月29日)