【横丁茶話】

徴兵制をめぐって

西村 徹


 集団的自衛権に反対する大きな拠りどころとして徴兵制の復活を挙げる人が少なからずいた。元防衛省高官で新潟県の市長さんをしている人やリベラル派の自民党長老である野中さんとか加藤さんとか古賀さんのような人もいた。そしてそれは相当に有効であった。集団的自衛権の閣議決定には無関心だった徴兵適齢期の若者のあいだに「徴兵になるなら」という拒否反応が現れ、内閣支持率にまで響いた。

 ところが、それを追うように、集団的自衛権と徴兵制は必ずしも連動しないという説も、おなじく集団的自衛権には反対であり閣議決定を違憲とする人のあいだから出された。一口に経済徴兵と名付けられているが、格差の開いた今日では徴兵によるよりも貧困層から徴募すれば十分兵員は確保されるというのである。

 徴兵制が殺し文句になると考えるのは、旧帝国陸海軍のイメージに立って考えるからである。戦時体験を持つ人々がそう考えるのは当然ではある。昔のままの大日本帝国陸海軍が、そっくりそのまま復活すれば新潟の市長さんの言うとおり凄惨なリンチも復活するだろう。だから「苦役を強いられない」とする現憲法も変えないと徴兵はできないだろう。

 しかし、あんな凄惨なリンチの横行する軍隊は欧米には存在しなかった。日本がどこからあのようなシステムを採りいれたのか知らないが、ナチスの軍でもあんなことはなかったのではないか。ひょっとすると帝政ロシアの軍は似ていたかもしれない気がする。現在の自衛隊はたぶんブラック企業などよりははるかに人権が護られているだろう。だから石破幹事長が徴兵による役務は苦役ではないというのも一理あると思う。旧軍の残忍は自衛隊ではなくスポーツ界に遺伝子を残している可能性は考えられるが・・

 ドイツは軍事費節減のために徴兵制を廃止したが、むしろ徴兵制によってネオナチに対する抑止力が働いていたのが、それがなくなりはしないかとの懸念が示されたという。しかし抗命権、抗命義務を課すことによってそれは保証されるものとされたという。朝日新聞2014年6月29日に編集委員・松下秀雄氏が「(政治断簡)殺し合い、あなたが命令されたら」と題してそのように書いている。 

 また、そこには「ベトナム戦争から撤退した73年、米国で徴兵が停止されると、大半の国民にとって戦争はひとごとになり、国は戦争をしやすくなりました」という京都女子大の市川ひろみ教授のコメントも紹介されている。

 問題は徴兵制にあるのでないと結論できる。しかし問題は徴兵であろうが志願制であろうが関係なく集団的自衛権を認めれば日本のイメージは激変して、もはや平和国家とは認められなくなることにある。国境なき医師団その他の人道支援活動は一挙に危険に満ちたものになる。日本各地の原発などがテロの標的になる。海外の日本人がテロの標的になる。ヴェテランのリベラルが徴兵制を持ち出したことで無関心だった若者が被害意識に目覚めたのは、小市民感情として無理からぬことだとして、彼らの思考がそこに止まって自足していてよいのだろうか、それは身勝手ではないかと私には不満が残る。

 スイスは永世中立専守防衛に徹する平和国家である。敗戦後の日本でも、国家の理想像として「東洋のスイス」という言い方がさかんであった。そのスイスは国民皆兵で国民は徴兵義務を負い30歳までは有事に際して召集に応じる予備役となる。昨今徴兵制廃止が国民投票によって否決された。負担の平等という点で、どうもこのほうが整合性があると私には思える。

 軍とは名乗っていないが実質上完全に軍の機能を備えた自衛隊を持っている以上、あなた任せの志願制ではなく国民皆兵ならぬ国民皆自衛隊のほうが筋が通るのではないかと、私もまた古い頭で考える次第である。(2014.7.14)

 (筆者は堺市在住・大阪女子大学名誉教授)


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