【コラム】中国単信(127)
中国茶文化紀行(64)
「「羊羔酒」と「雪水茶」の衝突と共存」
趙 慶春
前回「羊羔酒・雪水茶」に関する典故が「茶」と「酒」文化の衝突であり、異なる価値観の衝突でもあると紹介したが、元代の人は「羊羔酒・雪水茶」をめぐって多様な視点から多くの意見を出しており、思想的な多様性を見せていたのである。これは多民族社会であるからこその文化現象なのだろうか? いくつかの詩から元代文化の多様性を見てみよう。
まず、「羊羔酒・雪水茶」に関する一首。
吴儆「寄題郑集之醉夢斎」
……
但問雪煎茶, ただ問いたいのが「雪煎茶」で、
何如羊羔酒。 「羊羔酒」と比べるとどうだろうか?
これはまだ茶と酒についいて、穏やかな問題提起に過ぎないが、元代に入ると、一気に百花繚乱状況となる。
(一)非難「酒=俗」派
張之翰「煎茶」
魚眼才過蟹眼生, 魚眼(湯沸かす時の泡)が立つや蟹眼が生れ、
小団湯鼎発幽馨。 小団茶の湯の鼎から奥深い香が立ち上る。
三生竈鬼清無夢, 三世の竈神の「清」(濁、俗でないこと)のお蔭で夢もみない、
一夜波神沸有霊。 一夜の波神は沸騰し、霊が宿る。
竹雪熟時浮乳白, 竹上の雪が沸騰する時、白乳のような沫が浮き、
松風響处断煙青。 松風が起きて、切れ切れの煙は青い。
莫教移近銷金帳, (茶を)銷金帳に近づかせてはならない、
恐被羊羔酒染腥。 羊羔酒に染められ生臭くなる恐れがあるから。
葉顒「寒窓与客夜話雪水煎茶客劇談陶清党俗戯賦一絶贈之」
雪水煎茶響地炉, 雪水で茶を煎じれば地炉が響き、
十分風致党家無。 溢れるような風雅意趣は党家にはない。
知君久压羊羔酒, 君が長い間羊羔酒を抑えているのは知っているので、
回贈従人笑武夫。 帰ったら付き人に贈り、武人を笑わせよう。
葉顒「丁酉仲冬即景・雪水烹茶」
枯枝旋拾帶冰燒, すばやく枯枝を拾い、氷がついたまま燃やすと、
雪水茶香滚夜涛。 夜涛(沸騰の湯)が滾り、雪水茶は香る。
党氏豈知風韻美, 党氏は風韻の美を知るはずもなく、
向人猶說飲羊羔。 人に羊羔酒を飲むことを自慢気に話している。
葉顒「雪水煎茶」
雪水烹佳茗, 雪水で美味い茶を烹ると、
寒江滚暮涛。 寒江に暮涛が滾るようである。
春風和凍煮, 春風のなか雪を沸かし、
霜葉带氷焼。 霜葉を氷とともに燃やす。
陶谷声名旧, 陶谷の声名は古く、
盧仝气味高。 盧仝の意趣は高い。
党家寧弁此, 党家にはこれができるものか、
羔酒醉清宵。 ただ羔酒を以て清夜に酔うだけではないか。
(二)「茶=清」賞賛派
楊公遠「雪十首」(其一)
徹夜陰風恣怒号, 冷たい北風が夜を徹して吹き続け、
誰家帳底飲羊羔。 帳の中で羊羔酒を飲んでいるのは誰か。
何如榾柮炉辺坐, やはり榾柮(木材)炉のそばに座り、
雪水煎茶興味高。 雪水で茶を煎じる興趣は素晴らしい。
葉顒「庚子雪中十二律」(其一)
……
地炉煮茗松涛響, 地炉で茶を沸かせば松涛が響く、
絶勝羊羔飲酒杯。 必ず酒杯で羊羔酒を飲むのに勝る。
仇遠「冬日小斎即事」
……
窓外十分西日照, 窓の外に夕日が十分に当たり、
簾間半点北風無。 簾の隙間に北風は少しもない。
一瓶雪水煎茶熟, 一瓶の雪水で茶を煎じれば、
清气真能压武夫。 清気は間違いなく武人を圧倒できる。
(
(三)「茶・酒」双方派
山翁「贈子山索茶就以為」
可憐醉党与醒陶, 酔う党進と醒めている陶谷を憐れむべし、
長対春風笑二豪。 長い間春風に向かって両者を嘲笑う。
十万腰纏騎鶴去, 十万の金を腰に巻き鶴に乗っていけば、
不妨烹雪飲羊羔。 「烹雪」も「飲羊羔」も妨げにならない。
岑安卿「元正二日喜雪走筆示諸姪」
……
翰林石鼎月団片, 陶谷翰林の石鼎と月団茶、
太尉金帳羊羔醅。 党太尉の金帳と羊羔酒。
重裀群飲繍帷底, 敷物を重ねた豪華な帷の中で群飲すれば、
一竿独釣寒江隈。 竿一本を持ち寒江で独り釣りもする。
……
(四)「茶・酒」超越派
耶律楚材「対雪鼓琴」
君不見党侯賞雪斟羊羔, 君は見たね、党侯が雪を観賞する時羊羔酒を飲み、
蛾眉低唱白雲謡。 美しい女性が低く白雲謡を唱っているのを。
慷慨樽前一絶倒, 意気盛んにして酒樽の前で絶倒し、
高談闊論誇雄豪。 意気高揚に談論し英雄豪傑を賞賛する。
又不見陶谷开軒收竹雪, また見たね、陶谷は軒を開け竹の上の雪を集め、
旋焼活火烹団月。 すばやく火をおこして団月を烹すのを。
笑撚吟須吟雪詩, 微笑んで髭をいじりながら雪に関する詩を吟じ、
冷淡生活太清絶。 ひっそりとした生活は清絶すぎる。
清歓濁樂争相高, 「清」の歓と「濁」の樂はどちらが上かと争っているが、
至人視此軽鴻毛。 至人(修業得道者)はそれを鴻毛よりも軽いと考えている。
嗜音酣酒元粗俗, 音楽や酒を好むのは本来粗俗であり、
癖茶嚼句空劬労。 茶や詩句をあくまで極めようとするのは無駄な苦労である。
龍庭飞雪風凄冽, 龍庭に雪が舞い、風は凄冽にして、
天地模糊同一色。 天地は朦朧として同一色となる。
数巵美湩温如春, 数杯の美湩(乳)で春のように温かくなり、
三弄悲風弦欲折。 繰り返し悲しい曲調を奏でると琴弦が折れそうになる。
酪奴歓伯持降旌, 茶も酒も降伏旗を持参して来れば、
詩声歌韻不敢鳴。 詩声や歌韻は敢えて鳴らない。
党武陶文都勘破, 党氏の「武」陶氏の「文」をともに看破し、
真識此心無一个。 本当にこの心(見地)を知る人は一人もいない。
舒頔「対雪」
……
牡丹開時已預報, 牡丹が咲く時(韓湘子)すでに予告したのに、
誰知愁遇藍関道。 藍関道で愁に遇うことを誰が知っているか(雪擁藍関の典故)?
羊羔太俗茶太清, 羊羔は「俗」過ぎ、茶は「清」に過ぎ、
我奇我訶君細評。 私は奇異だと思って責めるが、君は仔細に評価してくれ。
張仲深「題灞橋風雪図」
……
陶家風味党家奢, 陶家の風味、党家の豪奢、
煮茗烹羔総庸俗。 茶も酒もいつも凡庸であり俗である。
清標何似襄阳老, 襄阳老(孟浩然)のような「きりっとした姿」に、
一片襟懐自傾倒。 その胸襟に自ら傾倒する。
……
方回「次韻張鵬飛三絶」(其一)
雪天人品最高者, 雪の日にふさわしい人品無二の者とは、
蓑笠江干一釣竿。 蓑笠を着て江上で竿(を握る)者である。
才有侍児焉識此, 下女などはこれを知るはずもない
党晖陶谷総酸寒。 党進も陶谷もいつも浅ましい。
耶律楚材の詩を筆頭に、これらの詩は「至人」(得道者、仏教で言えば「悟った者」)の境地である。「至人」から見れば、茶も酒もただの「物相」であり「本質」ではない。特に「雪水茶」や「羊羔酒」を極めようとする心は執着心の現れで、取るに足りない価値がないどころか、かえって有害なものとみているのである。
大学教員
(2024.5.20)
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