【コラム】宗教・民族から見た同時代世界

バングラデシュ・テロ〜「援助しているのに何故」!?

荒木 重雄


 テロのニュースが絶えない昨今だが、7月、バングラデシュの首都ダッカで、外国人客が集うレストランが武装勢力に襲撃され、日本人7人を含む20人が殺害された事件は、日本社会に大きな衝撃をもたらした。

 真相はいまだ明らかでなく、幾つも疑念が残るが、射殺された5人の実行犯のうち3人は名門私立高を出た恵まれた家庭の若者だったのに、犯行に加わったのは何故? 日本はバングラデシュの最大の援助国で、しかも犠牲になった日本人は皆、援助関係者だったのに殺害されたのは何故? 襲撃の動機・背景は何? の三つの疑問を軸に振り返ってみたい。

◆◆ バングラデシュという国

 テロ事件というと、すわIS(「イスラム国」)か!?と短絡思考に走りがちな昨今のマスコミだが、それは措いて、ここではまずバングラデシュという国の成り立ちから見ていこう。

 1947年、植民地インドが英国支配から独立するに際して、北西部と東ベンガルのイスラム教徒多住地域は、ヒンドゥー教徒が主体のインドとは分離して、パキスタンとして独立した。このとき、両教徒の対立で50万から100万に及ぶ人々が犠牲になった。
 イスラムを国家統一の絆として独立したパキスタンだが、インドを挟んで東西に1800キロも離れた〈飛び地国家〉で、やがて、東西間の社会経済的格差や言語問題に象徴される民族的矛盾が深まって内戦に陥り、東パキスタンは、インド軍の支援を得て、71年、バングラデシュ(「ベンガル人の国」)として独立する。

 こうして、初め宗教的、次いで民族的な対立・混乱を経て誕生したバングラデシュだが、その後も政情不安が続いた。独立運動を主導した〈アワミ連盟(AL)〉を率いた政治家ムジブル・ラーマンが初代首相に就いたが、75年、軍のクーデターで暗殺され、政権を襲った陸軍参謀長ジヤウル・ラーマンは〈バングラデシュ民族党(BNP)〉を結成して民政に移るが、81年、またもクーデターで暗殺され、陸軍参謀長エルシャドが実権を握った。

 軍政の10年の後、91年以降は民政が続くが、以来、故ジヤウル・ラーマンの妻カレダ・ジアが率いるBNPと、故ムジブル・ラーマンの娘シェイク・ハシナ・ワゼドが率いるALが、大衆を巻き込んだ激しい政争を展開して政権交代を繰り返す。
 近年だけを見ても、現野党BNPは2014年の選挙をボイコットして反政府直接行動を強め、対する現与党AL側は、昨年秋から今年春にかけて、BNP幹部と、BNPと連携するイスラム政党〈イスラム協会(JI)〉党首らを、71年の独立戦争当時、パキスタン側に加担した廉で死刑に処している。

 このような政情の不安定と毎年のように襲われる洪水、農村の土地所有、遅れたインフラ、乏しい資本と近代的技術…等々で「アジアの最貧国」といわれてきたバングラデシュは、それゆえ、外国援助への依存度がきわめて大きい。そして、その海外援助によるインフラ整備の上に、90年代以降、外国資本による輸出用縫製業を中心とした経済成長が急速に進んでいるが、一方で、労働環境の劣悪さや低賃金は改善されず、貧富の格差が拡大しつつある。
 これがバングラデシュのショート・スケッチである。

◆◆ 「援助しているのに何故」!?

 さてでは、冒頭に述べた問いに戻ろう。その答えはすでに上述の短描の中に示されている。
 まず、テロの実行犯は社会に不満をもつ貧しい若者とのイメージが一般的なのに、ダッカ・テロに高学歴者が加わっていたのは何故かという問いである。それはバングラデシュの経済成長が輸出用縫製業など低賃金労働に依存していることにかかわる。すなわち、高学歴で高い賃金が望まれる者に仕事はない。
 さらに、教育を受け、広い視野と知識を持つゆえに、社会の不公正や構造的矛盾が明らかに目に映る。

 では、援助関係者なのに殺害されたのは何故、はどうであろうか。バングラデシュは低開発国のゆえに「あらゆる外国援助の実験場」といわれてきた歴史をもつ。その援助には、大きく二つのタイプがある。

 一つは、最も貧しく虐げられた底辺層を対象に、その生存状況の改善と人間としての尊厳の気づき、社会的力の獲得などをめざす、NGO(非政府組織)による働きかけである。日本からでいえば、〈シャプラニール=市民による海外協力の会〉などが早くからこの志向でかかわってきた。
 もう一つは、道路・鉄道・橋・電力・工業団地など大規模な産業基盤整備に巨額の政府資金を提供(多くは有償)するODA(政府開発援助)である。資本の乏しい社会でこの援助資金の配分は、政治権力と結びついて利権となる。先に述べたAL、BNP両党の激しい政争は、ハシナ氏もジア氏も互いに自分の父や夫が相手に殺害されたとの怨念もあるが、この利権の獲得をめぐっての争いでもある。

 ODAは相手国で受益する一部の政治家や企業家のみを富ませる。それは社会の格差を一層拡大し、また、イスラムに反する欲望至上の物質主義・消費主義を蔓延させるとも見える。ODAは一方で、インフラ建設に当たるゼネコンなど供与国の企業にも利益をもたらす。こうしたODAの構造で先兵を務めるのが日本ではJICA(国際協力機構)と関連するコンサルタント会社である。
 立場が違えば、「援助するのになぜ狙われるのか」ではなく「援助するからこそ狙われる」のである。

◆◆ 思惑渦巻くテロ事件の背景

 実行犯グループが地元過激派組織〈ジャマートゥル・ムジャヒディン・バングラデシュ(JMB)〉に属していたことは確かなようだ。だが、そのJMBがIS(「イスラム国」)とどのような関わりにあるかにはさまざまな憶測が飛び交う。バングラデシュ政府がIS関与を否定したいのは、ISの影響力が広がっていると観測されると外国投資が減退するおそれがあるからといわれる。一方、黒幕はバングラデシュの不安定化とインドの攪乱を狙うパキスタンの諜報機関ISI(軍統合情報局)であり、ISは隠れ蓑にされているのだが、IS側は事件に犯行声明を出すなどそれを自己宣伝に利用しているとする説もある。
 ちなみに、与党ALは世俗主義を掲げて親インド、BNPはイスラム主義で親パキスタン。この背景からはパキスタン諜報機関関与説もかなりの程度、頷ける。
 テロ事件の背後には、事件の表面だけでは見えない国内外に亙るさまざまな現実と思惑が渦巻いているのである。

 なお、前号(151号)で南アジア研究者・福永正明氏が同事件を解説している。そちらも参照されたい。

 (元桜美林大学教授)


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