■【コラム】
宗教・民族から見た同時代世界

ニュージーランド新女性外相が入れ墨で示すマオリの誇りと世界観

荒木 重雄

 昨年クライストチャーチで発生した銃乱射事件では、犠牲者や遺族に深い思いやりを示すとともに即座に銃規制を強化。世界中で猛威を振るう新型コロナウイルスでは早期に厳格なロックダウンを敷いて国内感染を低いレベルに。その人間味と的確なリーダーシップで国際社会の注目を集めたニュージーランドのジャシンダ・アーダーン首相が、去る11月、2期目の内閣を発足させた。

 20人の閣僚中、8人が女性、先住民マオリが5人、副首相は同性愛者を公表している人物と、アーダーン首相が「とても多様」と誇る、その多様性を象徴する存在が、同国初の女性外相に就任した、マオリで、顔に伝統のタトゥー(入れ墨)を施しているナナイア・マフタ氏である。

 マフタ氏は1996年に国会初当選。16年に「私のアイデンティティーを表す」とタトゥーを入れ、「顔にタトゥーをした最初の女性国会議員」と話題に。17年からマオリ開発相と地方自治相を兼務してきた。アーダーン首相は彼女を「外交の鍵となる素晴らしい人間関係を築くことができる人物」と評価する。

 ではそのマオリ、現在、同国の人口の約17%を占めるとされるマオリのアイデンティティーとはなにか、その精神世界の一端を、この号では垣間見ておこう。

◆ 伝承の故郷、遥かなハワイキ

 マオリとは、英国人が入植する以前からこの土地に住んできた人々である。伝承によれば、神話的な航海者クペが「ハワイキ」から来航して「アオテアロア」を発見し、ハワイキに戻って人々に伝えた。そこで、7艘の航海用大型カヌーに分乗した人々がアオテアロアに来航した。それがかれらの祖先だとされる。

 その時代は10世紀以前とも14世紀ともされるが、ハワイキは 「とこしえの地」を意味し、ポリネシアのタヒチやクック諸島と想定され、アオテアロアとは「白く長い雲がたなびく地」の意で、ニュージーランドにつけたマオリの呼び名である。ともに、なんとも美しい呼称ではないか。

 マオリの死者の魂は、ニュージーランド北島北端の岬からハワイキに向かって旅立つと信じられている。そして、来航した7艘のカヌーはそれぞれ名称が伝承されていて、約500に及ぶマオリの部族はそのいずれかのカヌーに遡るという。

◆ 大地と森から生まれた人々

 マオリの創世神話を紹介しておこう。原始の混沌のなか、「父なる大空・ランギヌイ」と「母なる大地・パパトゥアヌク」は愛し合うあまり重ねた身体を密着させていて、70人の子供たちは狭い暗闇に閉じ込められていた。広い空間と光を求めて子供たちが両親を引き離そうと、さまざま工夫するなか、その一人タネ・マフタ(森の神)が父母の隙間に潜り込んで父親を両足で蹴り上げて、引き離すことに成功し、光がもたらされた。

 天高く引き離されたランギヌイは悲しみの涙を流し、それは雨となってパパトゥアヌクに降り注いで彼女の身体に海と湖を造り、パパトゥアヌクも悲しみの霧を立ち上らせた。気の毒に思ったタネ・マフタは、父に太陽と青空、夜空に輝く月と星を与え、母には森の木々を与えて装わせた。ランギヌイが落とす涙は森の木々を繁らせ、パパトゥアヌクを美しく飾った。

 子供たちは男ばかりであったため、タネ・マフタは母親である大地の赤い土から人間の女を形造り、命の息を吹き込んで、妻とし、女の子(ヒネ・ティタマ)をもうけた。タネ・マフタはこの娘との間にも子供をもうけ、人間の繁殖が始まるが、やがて自分の夫が父親でもあることを知ったヒネ・ティタマは悲嘆にくれて冥府に下り、死を支配する神となり、死が始まる。

 マオリの人々はすべてこのタネ・マフタとヒネ・ティタマの子孫であり、自らの肉や骨を構成する要素はパパトゥアヌクの大地と森であるとする。

◆ 共同体への訪問者受け入れ

 マオリのアイデンティティーを象徴するもう一つは、各部族の集落の中心をなす「集会の広場(マラエ)」とそこに建つ「祖先の家(ワレ・ティプナ)」である。そこで共同体の集会や儀礼が行なわれるが、祖先の霊が宿る最も神聖な場所とされる。ゆえに一般に部族外の者の立ち入りは許されないが、それでも訪れる来訪者は、独特の伝統的な儀礼を経なければならない。

 来訪者は広場の入り口で、まず、武器を手にした数人の戦士たちと向き合うことになる。歩み入ろうとすると、屈強な戦士の一人が道をふさいで、武器を振り回し、目を大きくむき、舌を出して、来訪者を威嚇し、来訪者との間に木の枝を落とす。来訪者の代表が威嚇に屈せず戦士と目を合わせながら枝を拾い上げると、害意のない訪問と認められ、すると、戦士に替わって若い女性が歩み寄り、来訪者の前を後ろ向きに歩きながら「ハエレ・マイ・ラー・・・(進んでください、遠くからの訪問者たちよ、ようこそ、ようこそ)」と歌いながら建物の前まで誘う。
 そこで来訪者と受け入れ側が、双方の祖先や他界した人々のためにともに泣く儀礼を行ない、来訪者から受け入れ側に友好の印として贈り物が捧げられると、ようやく、祖先の身体であり祖先の魂を宿すとされるワレ・ティプナに入ることを許される。

 この儀礼は、来訪者およびその祖先の霊と、受け入れ側の人々およびその祖先の霊が、呼応し合い、親密になり、一つの共同体の成員となることを象徴しているとされる。すなわち来訪者は部族の一員、家族の一員として迎え入れられるのだ。

 このような精神世界をもったマオリは、しかし、英国による植民地化の過程で悲劇的な歴史を辿ることになるのだが、正月を目前にしたこの時期に相応しい記述はここまでとして、後の歴史は次号に回そう。 [出典は次号に記載]

 (元桜美林大学教授・『オルタ広場』編集委員)

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