【コラム】宗教・民族から見た同時代世界

スリランカ:ラジャパクサ一族は去ったが宿弊・宗派政治は克服できるのか

荒木 重雄

 インド洋の真珠とよばれるスリランカで、7月、政変が起こり、20年近くにわたって同国の政治を牛耳ってきたラジャパクサ兄弟が放逐された。
 原因は、マヒンダ・ラジャパクサが大統領に就任した2005年から他国や海外市場から借金を重ねて進めてきた開発優先政策が破綻し、困窮した国民の不満が爆発したからである。  

 ラジャパクサ兄弟は、シンハラ人仏教徒の名門の出で、2005年に兄マヒンダが大統領に当選。14年には選挙で敗れて下野するが、19年に弟ゴダバヤが大統領に当選すると、兄マヒンダが首相に就任し、以来、二人三脚で、親族を要職に就ける縁故政治とシンハラ人仏教徒優遇のアイデンティティー政治を行なってきたのだが、今年3月頃から大衆の不満が激しい抗議デモとなる中で、兄マヒンダが5月に首相を辞任、デモが大統領公邸占拠にまで及んだ7月には、弟ゴダバヤも大統領辞任を表明して軍用機で国外に逃れた。

 だが本稿で扱うのはこの顛末ではない。じつは、ラジャパクサ政権に迫るデモの映像の中に、デモ隊を煽る僧侶の姿を見かけたのだ。ラジャパクサ兄弟は仏教徒の利益推進者のはずなのに何故? 謎は解けないが、スリランカ政治における仏教の位置の大きさを振り返っておこう。
 
◆仏教徒優遇政治のはじまり

 スリランカの宗教構成は、仏教徒シンハラ人が7割強、ヒンドゥー教徒タミル人が2割弱、残りを各1割弱のイスラム教徒とキリスト教徒で満たす。
 
 独立後、スリランカの政治は、多数派を占める仏教徒シンハラ人が独り占めしてきたが、暴走を重ねた。最初の暴走は、1956年の選挙を「シンハラ仏教ナショナリズム」を掲げて勝利したスリランカ自由党の政策にはじまる。余勢を駆った同党政権は、多数派大衆の歓心を買い一層の支持を得るべく、シンハラ語の公用語化と仏教の国教化を推し進めて、それらを母語や自らの宗教としない人々を、教育や就職の差別で社会的に窮地に追い込んだ。

◆少数派殲滅を功績に政権保持
 
 疎外された人々にさらに追い打ちをかけたのが、83年に起きた宗教暴動であった。タミル人女学生を暴行したシンハラ人兵士が報復で殺害された事件に激高した仏教徒シンハラ人大衆が、コロンボ市内で、ヒンドゥー教徒タミル人の住居や商店、工場を手当たりしだい襲撃して、略奪、破壊、凌辱、殺戮を重ね、4千人ものタミル人が命を奪われ、10万人を超えるタミル人が家を失った。
 
 この暴動には与党組織と軍、警察の計画的関与が指摘されているが、とりわけ記憶に刻まれているのは、多くの仏教僧が先頭に立って大衆を扇動し、暴徒を率いていたことである。

 この事件を契機に、タミル人が集住する北東部2州の分離独立を主張するタミル人反政府武装組織「タミル・イーラム解放の虎(LTTE)」と政府軍とが交戦状態に入り、以来、25年の長きに亙って、7万人を超える死者を出した内戦が続くことになった。

 2002年に一旦は停戦が合意されたものの、05年、冒頭に述べたラジャパクサ兄弟の兄マヒンダが大統領に就任すると、国防次官であった弟ゴダバヤとともに軍事攻勢を再開し、09年にはついにLTTEを北部の密林の一角に追い詰めて、LTTEが「降伏」を宣言するも攻撃の手を緩めず、住民を巻き添えに、プラバカラン議長ら幹部以下、多数のLTTE戦闘員を殺害して内戦の幕を引いた。
 ラジャパクサ兄弟が長年に亙って権力を保持しえたのは、このLTTE殲滅で博した仏教徒大衆の人気によってである。

◆新たな標的はイスラム教徒

 「私たちはシンハラ人仏教徒の支持だけで当選できると知っている」と言い放つラジャパクサ政権が、次なるスケープゴートに選んだのが、同じく少数派のイスラム教徒であった。

 13年、仏教原理主義者の主張に同調して、イスラム教徒の食の安心を保証するハラル認証制度を国内で禁止する。20年には、牛の殺生を嫌う仏教厳格派の意を汲んで、牛の屠殺や食肉処理を禁止する。これは従来、イスラム教徒の生業で、禁止は彼らの職を奪う。ただし仏教徒も牛肉は食べるので、輸入した牛肉の販売は問題なし。
 こうした趨勢のなかで、仏教徒過激派による、イスラム教徒多住地域での民家や商店、モスクへの放火や破壊も相次いだ。それらを報じる映像の中でも、群衆を煽る仏教僧の姿が散見された。

 そして、昨年、ラジャパクサ政権は、新型コロナウイルスの感染防止を口実に、死者の土葬を禁じて、火葬を強制し、イスラム教徒の反発を招いた。「最後の審判」の日、墓から立って神の裁きを受けることを人生の最終目標とずるイスラム教徒にとって、身体の形状を滅する火葬は耐え難いことなのである。そうした事情は知りぬいたうえでの、少数派いじめである。

◆宗派政治の克服こそが課題

 政変のその後に戻ろう。 
 スリランカの議会は、ラジャパクサ大統領の国外逃亡からほどなくして、首相であったウィクラマシンハを新大統領に選任した。だが、彼は、デモに追われたラジャパクサ兄弟の兄マヒンダが辞した首相の座の後釜に、当時大統領であった弟ゴダバヤに任命されて坐った、ラジャパクサ一族の傀儡であり、このたびの議員投票による大統領就任も、ラジャパクサ与党に推されてのことであって、ほんらいなら今回の混乱に責任ある人物として評判が悪い。しかも、「誰が政権に就いても、国民が期待しているような奇跡は起こせない。事態を好転させるための薬は苦いものになる」と識者が語る、スリランカが抱える困難の深刻さを鑑みれば、彼の手腕への期待には疑問符がつく。
 だが、じつは、それにもまして、「多数派シンハラ人仏教徒の優位性を示すことだけが、この国の政権の目的になっている」といわれる、この国の政治風土の変革こそが、ほんとうの課題なのである
(元桜美林大学教授)

(2022.8.20)
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