【コラム】海外論潮短評(103)

将来の躍進が期待される国
— ジョコウィ大統領下のインドネシア —

初岡 昌一郎

 国際的な知識人の中に多くの読者を多く持つ、英週刊誌『エコノミスト』2月2日号が長文の特別報告で最近のインドネシア動向を分析している。編集部執筆になるこの報告は内外多数の協力者の名前を列挙し、広範囲な取材に基づくことを示している。「ジョコウィの時」という原題のこの報告を冒頭の総論、中心的な課題、そして最後の展望を中心に要約的に紹介する。

◆◆ 原料国から工業国への険しい道

 4世紀前、この地域の産出する香料は黄金に劣らない価値を持っていた。オランダ、イギリス、スペイン、ポルトガルが香料貿易の支配をめぐって2世紀にわたって争った。オランダが優勢となり、オランダ東インド会社の領地が蘭領東インドと呼ばれ、これがのちにインドネシアとなった。

 香料の魅力が減るにつれ、オランダ人植民者たちは他の商品に目を向けた。錫と石炭が採掘され、油田が開発された。大規模なプランテーションがタバコ、ココア、コーヒー、ゴム、茶、砂糖、藍を栽培するために開かれた。1945年の独立以後も、インドネシアは原料生産に基礎を置く経済を維持してきた。

 今日のインドネシアは人口(2億5500万人)と経済規模で東南アジア最大の国だ。世界のパームオイルのほとんどを生産し、ゴム、ココア、コーヒー、金、石炭の生産で大きなシェアを持つ。原料が輸出収入の約60%を占める。20世紀を通じインドネシアは繁栄し、総額と一人当たりで見て、GDPは着実に成長した(1997−9年のアジア金融財政危機当時を除き)。21世紀になっても、主として中国の強い需要のおかげでこれが継続した。

 しかし、このところ中国の需要が減退し、原料商品価格が低下するにつれ、インドネシアは苦闘している。その経済成長率は、2004年の6.2%から2014年の5%へと落ち込んだ。経済成長の鈍化とともに、弱点が明らかになった。インフラと教育に十分な投資を怠ってきたし、政治システムは脆弱で情実と汚職がはびこっている。首都のジャカルタはブームに沸き、ジャワ地方は繁栄しているものの、多数の人々が暮らす東部諸島は「忘れられたインドネシア」と評されている。

 2004年、直接選挙によるインドネシア初の大統領となったスシロ・バンバン・ユドヨノは熱狂的なファンファーレで就任したが、2014年には逃げるように去った。後任者のジョコ・ウィドド(ジョコウィと広く呼ばれている)はこれまでのインドネシア大統領とは異なっている。彼はジャカルタのエリートたちから歓迎されておらず、軍隊には縁がなく、国会議員でもなかった。中部ジャワの街、ソロ市で貧乏な家庭の長男として生まれた。ソロ市長、のちにジャカルタ知事として、その実務能力で高い評価を得た。最も重要な大衆的魅力は清潔な政治である。

 一般市民が彼を支持したのは、汚職腐敗一掃に取り組む意欲を示したからである。中小企業者は、彼が家具輸入業者であったので、悪名高いインドネシア官僚機構の複雑な形式主義を整理してくれることを期待して支持した。外国の投資家は、これまでよりも保護主義的でなくなるとみて歓迎した。

 ジョコウィは7%成長に復帰させることを公約し、閣僚を党幹部ではなく、テクノクラートで固めることを約束した。原料輸出主導時代が終わったことを彼は認識しており、高付加価値の製造業とサービス業の誘致に意欲を示している。それには大規模なインフラ投資と事業環境の改善が必要なことも理解している。

 ジョコウィは幸先の良いスタートを切った。就任3か月後には、無駄な燃料費補助を打ち切った。しかしながらその後、彼の当選を祝福した熱意は冷え込んでいる。彼の公約に対比すると、達成された成果がはるかに小さい。成長は軌道に復帰しなかっただけではなく、低下し続けている。昨年のGDPは4.8%で、2009年以後最低。インフラ投資について議論は盛んだが、実行に移されたものは少ない。彼の外交政策は当初かなり刺激的にみえた。隣国の漁船を拿捕し、外国人麻薬業者を処刑した。外交政策の混乱と与党との争闘での敗北が、彼の立場を弱めている。

 過激派の恐怖と宗教的非寛容が増大しており、これまでの7年間は沈静化していたテロリズムがジャカルタで1月に再発した。ジハーディスト(聖戦を唱えるムスレム過激派)が中心街を攻撃し、4人の市民を殺害した。選挙前の信頼が揺らいでいることを多くの人が懸念している。

◆◆ 政治行政 — 腐敗の根は深く、広い

 昨年12月の2−3週間、国会政治倫理公聴会審議のテレビ中継に市民はくぎ付けになった。セティヤ・ノバント下院議長が汚職容疑に問われていた。清潔な政治のために闘うジョコウィ大統領の前進を示すものであったが、巨大な難題が待ち構えていることも明白になった。

 長年にわたってインドネシアが腐敗問題を抱えてきたことを否定するものはいない。国際NGO「トランスペアレンシー・インターナショナル(TI)」が昨年公表した「腐敗認知指数」によると、168ヵ国中、インドネシアは88位であった。TIの「グローバル・腐敗バロメーター」では、インドネシア人の86%が政党と司法機関が腐敗しているとみている。

 EUは、「広範な政治腐敗」「腐敗した司法機関」及び「大規模な汚職」を挙げてインドネシアを批判してきた。政治運動に資金を出すものは、気前のよい見返りを期待している。インドネシア人は役人があらゆる機会に袖の下を求めると文句を言っているし、外国企業は裁判制度が頼りにならないことを憂慮している。

 ジョコウィ以前の大統領も汚職を取り締まろうとした。メガワティは、2002年に汚職摘発機関KPKを設置した。その機関は資金とスタッフの不足であまり事件を処理できなかったが、敬意は払われていた。ユドヨノは2004年の就任時に徹底した対策(ゼロ・トレランス)を宣言したが、相次ぐ与党内のスキャンダルに悩まされた。ジョコウィは、強力な反汚職対策の実績を持つ初めての大統領である。

 彼がソロとジャカルタの首長であった時、清潔な統治で評判が良かった。ジャカルタ知事時代、公共支出の透明性を高めるために、公共の場所にその内容を掲示した。部分的にではあるが、役人の手を通さないオンライン納税をできるようにした。大統領就任後は、オンラインでの公開資材調達を推進しており、これが数十億ドルの節約を実現したといわれている。

◆◆ 13,466の島からなる国のインフラ問題

 「我々は長い間、海洋、海峡、湾岸に背を向けてきたが、それらは我々の未来である。インドネシアを海洋国家として再生させよう」とジョコウィは就任演説で述べた。インドネシアは世界最大の島嶼国家であり、約500キロにわたって、13,446の島が広がっている。カナダに次ぎ、世界第2の長い海岸線を持つ。豊富な資源にも拘わらず、年間僅か42億ドルの海産物を輸出しているにすぎない。領海のはるかに小さなベトナムが57億ドル、タイは72億ドルも輸出している。インドネシアは、他国の漁船に領海を侵犯されているとして、沿岸警備を強化しようとしている。

 インドネシアの人的資源、富、経済活動は人口稠密なジャワに集中している。バリを除くすべての離島は、無視されてきたと感じている。ジャカルタの年間一人当たりGDPは約2,890ドルであるが、最東端のパプアニューギニアではその3分の1以下であり、マルク諸島でも半分強である。インフラの改善が東部における基礎物資のコストを引き下げ、地元産原料を加工する製造業で雇用を増やし、商品価格を有利にすると期待されている。

 しかし、これまでのところ事態の打開は痛々しいほどに遅々としている。ジョコウィが期待している資金を全額得たとしても、それでも依然として不充分である。インフラ充実のニーズにこたえるためには、向こう10年間に少なくとも2000億ドルの支出が必要と見積もられている。現行会計年度に世銀が8億ドル、アジア開銀が20億ドル、日本の開発機関が発電所向けに3.35億ドルの融資を決定している。

◆◆ 「未来の国、インドネシア」— 潜在能力の現実化はハードルを乗り越えてこそ

 19年前のアジア金融財政危機がインドネシアに深い傷跡を残した。1997年7月から98年1月の間に、その通貨ルピアは対ドルで80%の価値を失った。株式は暴落、銀行は国有化され、インフレと失業が高騰した。それは壊滅的と見えたが、現在回顧してみると、それが祝福であったと多くのインドネシア人は見ている。インドネシアはその危機をチャンスとしてとらえ、多くの懸案だった改革を成し遂げた。

 今日の状況は危機的ではないが、一連の諸問題がインドネシアの前途を妨げている。原料商品価格の低落、グローバル貿易の停滞、中国の需要減少など。幸いにして、原料輸出国としてのインドネシアはこの嵐を乗り切るのに他の国よりも有利な立場にある。世銀は今年と来年の経済成長を5%と予測している。

 中国での賃金上昇が、いくつかの労働集約型輸出産業をピックアップするチャンをインドネシアに与えた。しかし、近隣諸国も同じことを目指しているので、インドネシアは政策とメリットで競わなければならない。新しい環境で繁栄するためには、所与の機会をとらえてより迅速かつ大胆に行動しなければならない。ジョコウィはこれを理解している。彼は開発モデルとしてシンガポール、ベトナム、アラブ首長国連邦を重視している。

 しかし、インドネシアはそれらの国と違い、巨大かつ多様であり、ますます制御困難となっている。ジャカルタの住民は世界のどの街よりもツイッターに多く投稿しているが、それにもかかわらず、その5分の1は電力にアクセスできない。国が地理的文化的に多様であるだけでなく、国民が非同時代的に多様な生活を送っている。ジャカルタからマルク諸島に旅行すると、時代を遡及しているような印象をうけえる。

 インドネシアは民主主義の受容に熱意を示しており、5年毎に大統領、国会議員、地方議員を選出する投票を行っている。34の都市と514の地方自治体が独自の議会を有している。これにより、意思決定を迅速に行うことが容易ではない。

 ジョコウィ支持者は、彼が就任後の短期間に見るべき成果を上げていると指摘する。無駄な燃料補助を打ち切り、これまで閉鎖的であった分野を外資に機会を開放した。インフラ投資は加速化しており、成長の見通しはポジティブだ。さらに一番重要なことは、汚職絶滅の指導性を示していることである。

 しかし、「前任者のユドヨノも在任10年間の初期には偉大な公約をしていたが、最後は失望に終わった」と懐疑論者は指摘している。インフラ整備の目標とこれまでの成果、成長と徴税能力の間に大きなギャップがある。「インドネシアは未来の国であり、今後もそのままであり続ける」とシニカルに見る人がいる。

 ジョコウィはこれまで大方の予想に反してここまで進んできたが、政治と行政機関に蔓延する積年の腐敗体質を一掃することは容易でない。もし、彼が2019年までに見るべき成果を達成できず、再選されなければ、また政治が逆戻りして守旧派の手中に落ちるだろう。そうなれば、インドネシアを「未来の国」と呼ぶ人はいなくなる。ジョコウィは正道を進んでいるが、課題はあまりにも重く、残された時間はあまりにも少ない。

◆ コメント ◆

 国際労働運動に関わっていた当時、評者はインドネシアに大きな関心と親近感を持っていた。特にその駆け出し時代、同国を再三訪問する機会があった。1965年に初めてジャカルタを訪問したのはスハルトによる政権奪取の直後で、政治的に混乱状態にあった。当時、首都にある近代的な大ホテルは日本が賠償で建築した「ホテル・インドネシア」だけで、朝食のためにそのレストランに行くと、日本の報道各社特派員全員をそこに見つけることができた。

 政権末期にはリベラルな政治空間を否定していたスカルノが軍部によって打倒され、つかの間自由な雰囲気の生まれたこの中間空位期は短命だった。スハルトの軍事独裁が確立されると、またも結社の自由は大幅に制限され、運動が活発化し始めていた鉄道、郵便電気通信などの官公労働組合は、政令によって与党傘下の大政翼賛会的組織KOPRIに吸収されてしまった。したがって、1971年を最後に、民主化が定着した1990年代までインドネシアを再訪する機会は失われた。ILO総会条約勧告適用委員会を舞台に、インドネシア政府のILO条約違反を告発する活動が、1972年以後の約20年間、私のインドネシアとの僅かな絆となった。

 スハルト体制下の独裁は、社会の末端に至るまでも厳しく統制する全体主義では必ずしもなかったが、徹底的に軍部による支配であった。長期にわたる軍事独裁は「絶対的独裁は絶対的に腐敗する」という政治法則を実証した。この独裁は政治的だけではなく、経済的組織的な軍部の膨張をもたらした。軍隊は批判やチェック・アンド・バランスのない、また経済効率や能率も重視されることのない世界である。この後遺症は、現在もあらゆる面にまだ広く残っている。この軍事政権と最も密接な協力関係を維持してきたのが日本の政府と財界であったが、この総括がなされないまま、民主化されたインドネシアと現在の経済的蜜月が図られてきた。

 20世紀末のアジア金融財政危機はインドネシアに経済的な打撃を与えると同時に、スハルト軍事独裁の崩壊をもたらした。これこそが、この報告の指摘する、危機のもたらした「祝福」である。その後の報道と言論の自由、結社と集会の自由など、基本的人権尊重の広がりが、政治的な民主主義の発展と継続を後押ししている。だが、公正な税制と徴税機構や所得再分配システムの確立はそれほど進んでおらず、公教育と公共サービスの充実が遅れている。社会的経済的な民主主義の深化がインドネシアの今後の発展と安定を左右するだろう。

 民心の安定には経済発展だけでなく、社会的政治的な成熟が不可欠である。普遍的な価値観とは無縁な「アイデンティティ・ポリティクスの罠」に、今後のインドネシア政治が絡めとられないことを願う。この危険はあらゆる民主主義国と開放的な社会にも存在するが、多様性の度合いが非常に高いインドネシアでは、とりわけ懸念される。民族、部族、宗教、地域、言語などの衝突を煽るポピュリズム政治は、取り返しのつかない非理性的な分裂のマグマを解き放つ。この意味でも、ジョコウィ政権の成功を刮目して期待したい。しかし、政権の政治的社会的な基盤の弱さが気になる。また、彗星のごとく登場し、政権トップの座に就いたオバマの場合と同じように、ジョコウィも自らの政策を推進する同志的なチームを持っていない

 (評者はソシアルアジア研究会代表・オルタ編集委員)


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