【コラム】
大原雄の『流儀』
コロナ禍の中で…、歌舞伎風景(1)
初秋の東京・東銀座。晴海通りに面した沿道にある歌舞伎座の前。いつもなら、人々が溢れかえっている。通行人の邪魔になるから、トラブルが起きてもおかしくないのに、ここだけは、そういうことが起きない。松竹や歌舞伎座のスタッフが、劇場の外に出て、芝居小屋へ入ろうとしている人々をテキパキと案内している所為でもあるが、溢れかえる人波を避け遠慮ぎみに道路を通り抜けて往くのは、いつも通行人の方だ。
2020年10月のある日。まもなく開場なのに、歌舞伎座の周りには、ほとんど人がいない。開場前になってポツポツ、人が現れる程度。8月の歌舞伎興行再開以降、歌舞伎座は、幕間(まくあい)無しの4部制、観客も役者も総入れ替えというスタイルで上演している。午後2時50分、今回の第二部開場時間になったので、私も歌舞伎座の中に入るとしよう。
歌舞伎座は、今、それまでの上演制度をガラリと変えて興行している。
通常、歌舞伎座では、昼夜2部制を主体としている。昼の部、夜の部で、それぞれ、興行の座頭役者を主軸にした配役で2つの興行を完結させるか、長尺の出し物を昼夜「通し」で結び、座頭役者1人を軸にした配役で舞台を完結させる、という演出方式である。
あるいは、夏場。長老、老練、ベテランなどの役者は、避暑などで舞台を休むか、地方に巡業に行くかで不在となり、歌舞伎座興行としては、「納涼歌舞伎」(八月興行)など花形、若手を軸にした「名場面集」の歌舞伎興行3部制で上演するか、している。
ところが、今回は、幕間無し、部ごとに観客は総入れ替えする「4部制」というユニークな、前例のない、私は、初めて見る歌舞伎の興行形態だ。史上初の試みと言われている。
そこで、ここでは、コロナ禍対策で始まった歌舞伎座の「4部制」興行を軸に据えながら、国立劇場も含めて、「コロナ禍の中で…、歌舞伎風景」と題して書いてみようと思う。「コロナ禍」をキーワードに、前号の東京国際映画祭から、歌舞伎座・国立劇場などの歌舞伎風景(2回連載)へ、と筆を進める。
なお、11月22日、国立劇場出演中の歌舞伎役者の中からコロナ感染者が見つかった。この感染者と濃厚接触者と確認された2人の役者を含めて、3人が出演関係に絡み、興行側は11月の国立劇場、12月の歌舞伎座、同じく12月の京都南座では、部分的に役者の休演(代役対応)や公演中止などの処置をとった。適切な対応で、この業界の「危機管理」の効率性が透けて見える措置だ、と思った。これについては、次号以降で詳しく経緯を書き留めておきたい。
★ ある若手歌舞伎役者からのメール
大原 雄 様
お返事いただいておりましたのに、
その後、返事をできておらず申し訳ありませんでした。
今月より、遂に、歌舞伎の本公演の舞台が再開し、
厳戒態勢の中、歌舞伎座で舞台を行う中で、
他の仕事も止まることなく、
ギリギリのスケジュールで生活しておりました。
8月の歌舞伎座、
このような状況下でも来てくださるお客様に感謝し、
日々、精魂つくし演じております。
今、止まってしまったら、
「伝統を続けていくことができない」、
僕は強くそう思います。
(略)
これからも様々、他の企画も考えております!
何か閃かれることなどありましたら、お願い申し上げます。
今年は一段と暑い夏になりそうです。
お体ご自愛くださいませ!
(引用、終わり)
★「厳戒態勢」の歌舞伎座
歌舞伎座入口では、「切符もぎり」(観客の入場資格のチェック)の中年男性のスタッフから、「チケットの片券を自分でもぎってください」と言われる。スタッフは、さらに、私に手指を消毒するように促す(両手の掌と指を丹念に消毒するようにと、勧めてくれた)と同時に、私の体温を離れたまま測定できる「サーモグラフィー」で検温してしまう。体温が37度5分以上あるかどうか瞬時に選別する。
サーモグラフィーとは、物体から放射される赤外線を分析することで、体表面の皮膚温度を測定することができる装置である。サーモグラフィーの検温装置は、カメラの前に立つと体の表面(額や耳)の温度を測定して結果を表示してくれる、という。対象者に接触せずに、素早く検温ができる、というわけだ。
さらに、彼は、私のマスク着用の有無をチェックしていた。マスクは、必ず着用しないと入場を断られるかもしれない。スタッフの対応はテキパキしている。不特定多数の観客に毎日接するスタッフたちは、日々、コロナ感染の懸念があるのは、当然だろう。
若手の歌舞伎役者のメールにあったように、「厳戒態勢の中、歌舞伎座で舞台を行う」という決意の披瀝を受けて、私は、厳戒態勢で「もぎり」をしている男性スタッフに、こう、声をかけてみた。
「『歌舞伎座は、命がけで再開した』、という話を聞いたので、歌舞伎を観に来た」と言ったら、「お客さまも命がけで舞台を観にきてくださるから、(歌舞伎座の予防対策は)当然です」という趣旨のことを中年のスタッフは答えた。
人が集まる場所、人を集めるビジネスというのは、今、皆さん、命がけなんだろうな。ならば、こちらも覚悟を決めて場内に入ろう。1階ロビーには、歌舞伎座のスタッフの姿ばかりが目立つ。通常なら、ロビーでは、あちこちに人の輪が咲き乱れる。それぞれの役者の後援会に参加している熱心なファン、常連客の接遇をする歌舞伎役者のお内儀など梨園(歌舞伎界)の関係者の姿も今は全く無い。ロビーにいた女性スタッフに聞いたら、「皆さん、自粛しているようですよ」という答えが返ってきた。当然ながら誰も、どこかの大統領のように新型コロナに感染して、足元を掬われたくはないだろう。
十月歌舞伎。私が、久しぶりに入場した歌舞伎座のロビー風景などをまとめておこう。こういう風景は、意外と記録に残されないかもしれないからだ。既に触れたように、歌舞伎座入口でのチケットの片券(半券)の「もぎり」は、「ご自分でお願いします」と言われ、箱を差し出された。ついで、距離を取り、つまり密着(いわゆる「3密」=密閉、密集、密接の禁止)にならないよう、いわゆる「フィジカル・ディスタンシング(間合いをとって)」での検温。両手の除菌消毒も励行。着用するマスクも必携。熱があったり、マスクをしていなかったりすると入場を拒否されるかもしれない。
私は、もうお世話になっていないが、イヤホンガイドの貸し出しや返却は、歌舞伎座の外で対応するようになっていた。場内のイヤホンガイドのコーナーは、無人で看板のみがある。看板には、次のようなことが書いてある。
「お貸出・ご返却場所のご案内 お貸出・ご返却は正面玄関外へ出て右手です。荒天時のお貸出しは地下二階木挽町広場です。こちらのカウンターではご対応しかねます」。
厚目の赤い絨毯が敷き詰められた1階ロビーには、どこを見ても梨園(歌舞伎役者にご内儀ら)の姿無し。歌舞伎界の功労者のブロンズ像と並ぶように立っている歌舞伎座のスタッフの姿ばかりが目立つ。いつもなら、1階ロビーは、観客が右往左往して混雑しているはずだ。
ロビーを抜けて客席のある場内に入る。1階席は、この日は、かなり空いていた。コロナの影響で、この所、いつも、こんな感じなのかもしれない。2階席、3階席も順次覗いてみる。
客席は、前後左右を空けて、座る。着席禁止の座席は、シートベルトのような2本の赤いテープで封印がなされている。観客席の人影は、どの階とも、ガラガラ。芝居が始まっても、「大向こう」禁止なので、役者への「声」援は、無し。役者への支援は、拍手だけ。静かなもんだ。花道は、七三(シチサン)もスッポンも使わない。役者たちが花道を足早に通過する場面が目立つ。2階や3階ロビーのベンチも、一つおきに着席禁止の張り紙がなされている。トイレの床には、距離をとった形で足元に「離れてお並びください」というシールが貼られている。
歌舞伎座も国立劇場(大劇場)も、この春の興行では、当初予定した歌舞伎公演がコロナ禍によるイベント自粛という行政側の要請で実施できなくなり、劇場には観客の姿が全く無しのまま、予定されていた顔ぶれの歌舞伎役者、演奏方などで舞台を上演した。この際、両劇場とも、舞台を映像に収めて期間限定で無料配信をしていた。それ以来、両劇場とも、長い間、歌舞伎の公演を休止していた。
そうした中で、歌舞伎座は、8月から前例のない4部制で歌舞伎興行を再開する方針を決めた。国立劇場(大劇場)も、10月から2部制で歌舞伎興行の再開を決めた。
★ 歌舞伎座の挑戦
歌舞伎座の4部制の歌舞伎上演は、恒例の「八月納涼歌舞伎」をやめて上演された「八月花形歌舞伎」から、始まった。
贅言;歌舞伎座の納涼歌舞伎は、いわば、若手花形をベースにした夏興行。1990(平成2)年8月、歌舞伎以外の演目(演歌ショーなど)の「興行月」であった8月に31年ぶりに歌舞伎公演を行うと松竹が発表し、以降、歌舞伎座における毎月(1年、12ヶ月全て)歌舞伎公演が実現した。歌舞伎座では、ベテラン中堅が、地方へ巡回興行に出たり、避暑に出たりした後、若手育成の舞台として活用するため、納涼歌舞伎と名付けて、若手、花形の役者を軸に3部制で上演してきた。
今回は、100年ぶりに地球規模のパンデミックとなった新型コロナウイルスによる感染症のため、3月以降、全国的に半年近く歌舞伎興行が打てなくなっていた歌舞伎界。こうした中で、歌舞伎の殿堂、東京の歌舞伎座では、起死回生の対策の一つとして、3部制の「八月納涼歌舞伎」から、一気に歌舞伎史上初の4部制上演の試みへと踏み切った、と言える。
「八月歌舞伎」は、歌舞伎役者や劇場スタッフ、さらに観客などの間で、公演途中での感染者発生などを懸念しながらの上演だったが、初日から千秋楽まで、8月は無事故で乗り切り、以後、歌舞伎座は、9月、10月、11月、12月とも、予定された月2回の休演日を除いて、感染拡大による休演はない状態(12月、代役など一部だけの急遽休演はあったが、舞台では支障なく予定された演目は、上演された)が続いている。
歌舞伎座では、コロナ禍が蔓延する前は、2020年の興行のビッグイベント予定は、5月から7月までの3ヶ月間の大興行として、海老蔵の「十三代目市川團十郎白猿襲名披露興行」が開催されるはずだったが、延期されている。江戸歌舞伎の宗家・市川團十郎家の継承の儀式となる舞台は、いつまで延期されるのか。当面、襲名披露実施の判断は難しいことだろう。
★ 八月花形歌舞伎は、コロナ対応「小手試し」か
八月花形歌舞伎を始め、歌舞伎界の新しい試みを記録しておくことは、必要なことだろうと思うので、コンパクトながら書き留めておきたい。
八月花形歌舞伎
第一部(午前11時開演)の演目は、「連獅子」。ユニークな4部制のトップを切る。主な配役は、狂言師右近・後に親獅子の精(愛之助)、狂言師左近・後に仔獅子の精(壱太郎)、浄土の僧遍念(橋之助)、法華の僧蓮念(歌之助)。
第二部(午後1時45分開演)の演目は、「棒しばり」。主な配役は、次郎冠者(勘九郎)、太郎冠者(巳之助)、曽根松兵衛(扇雀)。
第三部(午後4時15分開演)の演目は、「吉野山」。主な配役は、佐藤忠信・実は源九郎狐(猿之助)、逸見藤太(猿弥)、静御前(七之助)。
第四部(午後7時開演)の演目は、「源氏店」。主な配役は、切られ与三郎(幸四郎)、妾お富(児太郎)、番頭藤八(片岡亀蔵)、和泉屋多左衛門(中車)、蝙蝠の安五郎(彌十郎)。
史上初の4部制では、各部の演目が、いずれも1演目1時間程度という内容で、幕間無しの総入れ替え制。開演中も、1階の桟敷席の後ろの扉は、開け放されたまま。換気に気をつけている、というわけだ。その代わり、外の騒音が、舞台にも聞こえてくる、と出演者は言う。各部の終演ごとには、観客ばかりでなく、出演者・スタッフを全て入れ替える。その間、劇場内の各所で、消毒が実施される。
こうした体制をとる結果、本来、4階の幕見席まで含めて1,808席あるにも関わらず、販売されるのは、823席と、半分以下の少なさだ。劇場内の座席は、左右と前後が空席になるよう、テープで封印されているからだ。さらに、桟敷席や幕見席は、当面販売しない。大向こうのかけ声の禁止、観客は、声援の代わりに拍手で役者やスタッフの労をいたわる。歌舞伎座では、コロナ禍が一定の収束を見せるまでは、こうした厳しい制約のもとで興行を続ける、という。観客側にも、徹底した感染防止策への協力が強いられる。松竹は、まさに「厳戒態勢」での決死の歌舞伎興行を続けているのである。
江戸時代に庶民の間で花開いた歌舞伎は、古典芸術として400年を超える歴史を誇る。歌舞伎役者にとどまらず、舞台上で役者をサポートする黒衣、竹本などの浄瑠璃語り、長唄・清元や三味線、「四拍子」と呼ばれる大鼓、小鼓、太鼓、笛などの邦楽演奏家、衣装・床山、大道具・小道具の道具方、劇場を支えるスタッフなど裾野の広い芸能だ。歌舞伎再開までの歌舞伎座では、5ヶ月間上演なしの「空白」の影響は、未だに計り知れないダメージを残しているのではないか。
例えば、いちばん肝心な「世代を超えて継続する芸の伝承」にも支障が出やしないか。「新薄雪物語」や昼夜通しで上演される「仮名手本忠臣蔵」のように、各世代、各役柄の歌舞伎役者が出揃わないとできない出し物がある。現在のような4部制では、上演は不可能だ。礼儀を重んじる梨園(歌舞伎界)で受け継がれてきた「楽屋挨拶」も、当面禁止ということで控えている、という。役者間の親密な交流も自粛気味だ、という。現在は、厳戒態勢の中で、芝居小屋に出勤する歌舞伎役者たちは、舞台、楽屋含めて、場内での滞在は、2時間以内という制約がある、という。特に、若い役者たちには、舞台の裏表で先輩たちから学ぶ機会を奪われ続けることは、将来的には大きな損失になるだろう。
幕が開く。無人の舞台では、邦楽が演奏される。演奏者に何か違和感があると私は思った。気が付いたら、長唄や清元の演奏者は、皆、口元を黒い布で覆っている、ではないか。いわば、一種の黒マスク、というわけだ。
★ 未来へ、先行する役者たち
コロナ禍での休演が続く歌舞伎界で、何人かの歌舞伎役者たちは、4部制での舞台再開の前から自主的に(もちろん松竹との調整は済ませているだろうが)コロナ後の新しい環境に立ち向かって、これまでとは違う表現形式を模索し始めている。
休演の期間中、歌舞伎界は、試行錯誤していた。無観客の歌舞伎上演、その映像の無料配信などの試みである。「配信公演」(配信歌舞伎、オンライン歌舞伎)などという新たなキーワードも使われ始めている。私は、役者たちのそれぞれの試みの舞台の、全てを観た訳ではないが、貴重な試みの軌跡だけでも、記録しておかなければならないだろう。このテーマの記載にあたっては、朝日新聞の芸能欄の記事や松竹歌舞伎会の月刊会報(冊子)「ほうおう」、国立劇場の「あぜくら会」の月刊会報(冊子)「あぜくら」などの記事を参考にさせていただき、一部は引用もした。
<幸四郎の冒険>
まずスタートを切ったのは、代替わりで若返って、いろいろと精力的に歌舞伎の取り組んでいる十代目松本幸四郎である。6月から7月にかけて、「図夢(ズーム)歌舞伎」と銘打って5回分を生で配信した新作歌舞伎の「忠臣蔵」であった。いわゆる「オンライン歌舞伎」の一種で、同じ役者が、違った役を同時に演じているように見える動画演出だったらしい(問題意識が希薄だった私は、実物を見る機会を失っていた)。「舞台では、見られない視線や作り方を心がけた」と、幸四郎は言う。いわば、舞台より配信に特化した製作姿勢が、際立っている点は、注目される。
6月27日(土)から7月25日(土)まで、「仮名手本忠臣蔵」が、この配信のために新たに再構成された。5回に分けて配信された図夢(ズーム)歌舞伎「忠臣蔵」。これは、もう、新作歌舞伎だろう。これまでの舞台中継や歌舞伎の映像化とは一線を画す「オンライン配信」専用の作品として生まれ変わった。新しい形での歌舞伎作品誕生。主役の松本幸四郎は、各回にわたり大星由良之助をはじめとする「仮名手本忠臣蔵」の主要な配役を一人で勤めたのである。
幸四郎は、第1回配信の「大序から三段目」では、この物語の敵役である高師直と、全編を通じて重要な役どころの加古川本蔵の2役を初役で演じた。第2回配信の「四段目」では、大星由良之助、第3回配信の「五、六段目」では、斧定九郎を演じる。
400年を超える歌舞伎の歴史で初めてとなる、オンライン上演形式の歌舞伎。構成・演出・出演の松本幸四郎は、歌舞伎の手法を用いた映像作品の構想を長年温めてきた、という。コロナ禍を「禍」ばかりで、打ちのめされるのではなく、「禍福は糾える縄の如し」ということで「福」に転じさせている。幸四郎からは、そういう熱意が感じられる。
<吉右衛門の心意気>
東京の観世能楽堂で、無観客収録方式で製作された新作歌舞伎「須磨浦」。今や、歌舞伎界の長老格の中村吉右衛門の独自の舞台が、8月29日から9月1日まで、配信された。これも、残念ながら私は、実際には、見ていない。9・3付けの朝日の記事によると、演目は、「須磨浦」という新作歌舞伎。吉右衛門が、松貫四(吉右衛門のペンネーム)という名前で、書き下ろした新作。古典歌舞伎の義太夫狂言の名作「一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)」でも、吉右衛門の当たり役となっている主人公・熊谷直実を演じる一人芝居。源平合戦の戦場で立ち会った我が子を殺さざるを得なかった父親の武将としての不条理を、仏教的な無常観と重ねて描いた作品である。
朝日新聞の記事を引用してみよう。「特筆すべきは、東京・観世能楽堂の能舞台を用い、紋服姿で演じられたことによって迫ってくる役者の地芸の力」と絶賛している。ああ、観たかったなあ。演出的にも工夫されている。「2人の黒衣を馬に、手にした扇子を刀に見立てるなど、想像力を喚起する演出も効果的だ」という。「馬を引き、橋掛かりを去ってゆく背中に万感の思いが宿る」と、ベタ誉めだ。
松竹は、歌舞伎座の「八月花形歌舞伎」など劇場公演の「オン・デマンド配信」も始めた。松竹が以前から取り組んできた「シネマ歌舞伎」路線が、コロナ禍を奇貨として新しい歌舞伎興行(配信歌舞伎)の流れへと、奔流を太くして行くような予感が私の中で生まれている。舞台の映像化から、映像の舞台の自立化へ、とでも言っておこうか。
贅言;「シネマ歌舞伎」とは、松竹が製作している映像作品のこと。歌舞伎の舞台公演を高性能カメラ(デジタル画像)で撮影をし、それを映画のように、劇場のスクリーンで上映する手法。2005年1月の「野田版 鼠小僧」(作・演出:野田秀樹。2003年8月、十八代目勘三郎主演、歌舞伎座で上演されたものの映像作品)が、東京の東劇で公開されたのが、最初のシネマ歌舞伎。
シネマ歌舞伎は、歌舞伎界のデジタル対応の嚆矢となるべく、また、若年層や地方の観客を掘り起こす作戦。歌舞伎座改築後、歌舞伎座の観客の8割は、40代以上と言われ、観客の高齢化・先細り傾向が心配されている。
<壱太郎の出発>
コロナ禍の混沌の中から若い女形役者が、飛び出してきた。若返った松本幸四郎を主軸にしたオンライン配信の新作歌舞伎「忠臣蔵」で敵役・高師直(幸四郎)に言い寄られる顔世御前を初役で演じた中村壱太郎である。歌舞伎愛好家なら、この役者の名前を正しく読めるのだが、歌舞伎に縁のない人なら、「いちたろう」読むだろう。しかし、そうではない。これで「かずたろう」と読むのである。ちなみに、本名(林壱太郎)のままの読み方である。
壱太郎も、自分の創作舞踊の舞台公開をオンライン配信で活路を見出そうとしている。自ら創作した新作歌舞伎を彼は、「ART(アート)歌舞伎」と名付けた。歌舞伎役者、日本舞踊家、和楽器演奏家、モード界の異才などで総合化を目指す異色の舞台の創造を試みている最中だ。歌舞伎役者は、壱太郎と尾上右近。
劇場公演が相次いで中止される中で、演劇界では、このように新しい公演のありようが試行錯誤されている。その多くは、基本的発想は似ている。舞台と映像との融合だ。チケット代金は、オンライン有料配信方式で集める。
幸四郎主演、壱太郎も助演するのは、「図夢歌舞伎」。壱太郎が右近と組んだ「ART(アート)歌舞伎」。壱太郎にとって共演が念願だった演奏家に歌舞伎の効果音や下座音楽(舞台下手の黒御簾の中で演奏される効果的な音楽)などを依頼すると、プロらしくアレンジした音が返ってくる。新しいものを生む苦しみより異業種交流による共作には、「コラボの楽しさ」があるという。舞踊家、演奏家、ヘアメイク、衣装など、「9人で作ったっていう感覚が強くあります」と壱太郎は言う。本来「歌舞伎」は、「かぶく(傾く)」である。新しい試みに挑戦する精神が豊富。「かぶ」いたもの同士の共作こそ、歌舞伎の原点だとも言いたいのだろう。
今回の芝居のテーマは、輪廻転生。歌舞伎は、コロナ禍をものともせず、コロナ後の世界へ生まれ変わって出て行くかもしれない(「壱太郎の出発」の項を書くにあたって、朝日新聞、7・9付けの夕刊記事などを参照・引用した)。
<玉三郎の試み>
坂東玉三郎は、歌舞伎座の9月、10月の舞台で、15年前の映像と生の舞踊を取り混ぜて上演した。シネマ歌舞伎をいろいろこなしてきた玉三郎らしい発想の企画だ。この舞台も実際には観ていないが、玉三郎は、自らの「口上」から、映像を交えて、歌舞伎座の舞台機構を案内する導入部を工夫した、という。
実は、玉三郎「一世一代」の持ち役「鷺娘」は、11年前に踊り納めている。歌舞伎座建て替えのための「歌舞伎座さよなら公演」の舞台であった。本来なら、もう舞台では踊らない演目である。一世一代で封じた演目の蘇り方として、玉三郎は、舞踊と映像のコラボ、という手法を発想した。映像での上映は、シネマ歌舞伎同様で可能。だから、今回は、演目全編は、踊り通さない。映像中の音楽に合わせて、生の踊りを交える。巧妙な抜け道か、デジタル時代の芸能の新たな王道か。そこは、議論となるかもしれない。こうした玉三郎の試みも、玉三郎流の新しいものへの挑戦だったのだろう(朝日新聞、9・10付けの夕刊記事を参照した)。さらに、玉三郎は、新工夫を試みる。
12月の歌舞伎座。「日本振袖始」では、菊之助、梅枝と共演して、岩長姫・実は八岐大蛇を演じる。玉三郎曰く。「なるべく以前の形を踏襲し、個別にお稽古をしてから舞台でお二人に会う形にします」(「ほうおう」、21年1月号)。ぶっつけ本番? 実験精神豊富な玉三郎だが、孝太郎のコロナ感染の濃厚接触者確認に巻き込まれて、12月1日の初日から数日間は、休演となった。
(以下、次号へ続く)
(ジャーナリスト(元NHK社会部記者)、日本ペンクラブ理事、『オルタ広場』編集委員)
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