宗教・民族から見た同時代世界
エジプトで進みはじめた軍主導の政治プロセス
エジプトで、ムルシ前大統領をクーデターで追い落とした軍主導の暫定政権の手になる改正憲法が、1月に実施された国民投票で98%の賛成を得たとの選管発表によって発効した。
投票所前でまで「憲法に賛成」の大々的な官製キャンペーンが展開され、反対を表明した政治組織のメンバーは逮捕される、投票してもしなくても結果は決まっていると市民には無力感が漂うなかでの、あまりにもあからさまな高率での賛成であった。
ともあれこれにより正当性を得たかたちで、軍主導の政権移行プロセスは大統領選、議会選へと進んでいく。
大統領選で最有力候補に取沙汰されているのは、クーデターの首謀者、軍トップのシーシ国防相兼副首相である。
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◇◇ 強権化が止まらぬ暫定政権
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昨年7月のクーデター以降の、軍傀儡政権の強権ぶりは凄まじいものがある。
ムルシ氏の出身母体、ムスリム同胞団に対しては、クーデターに抗議するデモを治安部隊が武力で排除し、8月までに900人以上が死亡したのをはじめ、「攻撃を受けてもやめない」デモに武力弾圧を繰り返し、現在にいたるまで犠牲者は後を絶たない。
その間に、同胞団の幹部の大半と団員・支持者を大量逮捕。新聞やテレビを総動員して同胞団は国の安定を脅かすテロリスト集団と煽り立て、そして12月には「テロ組織」に指定して、同胞団とその支持者は今後の大統領選や議会選からも排除されることとなった。
自由と人権の抑圧は国民一般にも及んでいる。
デモを取材していた少なからぬ記者や写真家が死亡したり拘束されたりしているほか、軍の行動を批判的に報じたカタールの衛星放送アルジャジーラのエジプト国内放送をはじめ、10を超える放送局が放送中止命令を受けている。
11月にはデモ規制法が制定され、ムスリム同胞団支持者のみならず、同法に反対する市民や世俗・リベラル派の青年活動家たちも逮捕されている。
こうしたことで、昨年7月以降、少なくとも7万5000人の市民が拘束され、1万2000人以上の市民が軍事法廷にかけられているというのが、在カイロの人権団体による推計である。
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◇◇ 宗教・世俗派・軍の鼎立
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新たに制定された憲法では、女性の権利などを盛り込む一方、民間人を軍事法廷で裁く規定など軍の権限を強化したのに加え、宗教政党の結成禁止を明示したのが大きな特徴である。
軍権限の強化はもちろん問題だが、宗教政党禁止は、中東アラブ世界ではとりわけ重大な意味をもつ。そこで、中東におけるイスラムと世俗派と軍の関係についてあらためて見ておきたい。
中東では長年、少数のエリート層が権力と富を独占し、多くの貧困層がイスラム運動に救いを求めてきた。それゆえ、エジプトのみならず、イラクのフセイン元大統領しかり、リビアのカダフィー元大佐しかり、シリアのアサド大統領しかり、独裁者は軍の力を背景に世俗的な統治とナショナリズムの称揚で政治から宗教色を排除することによって大衆蜂起を封じ込めてきた。
都市の富裕層はこの世俗的権力の恩恵に浴する寄生的存在である。
これが従来の権力構造であったのだが、3年前のチュニジアに始まりエジプトに広がった「アラブの春」では、人口の半数に及ぶ若者たちが「パンと自由」をスローガンに掲げて登場し、フェイスブックやツイッターによる大量動員を武器に政権を退陣へと追い込んでいった。
エジプトの場合は、軍の位置に特異性があった。というのは、ムバラク元大統領は軍出身ながら軍から自分を追い落とす後継者が現れることを恐れ、治安を公安警察に依存して、軍を権力中枢から外していたことである。
政権から疎外されていた軍の治安出動に助けられたかたちで革命派が勝利するが、そこで、その後の政治過程をめぐって、「パン」を求める人々と「自由」を求める人々の間に分裂が起こり、併せて軍も権力を主張して、三者鼎立の緊張関係が生まれた。
中東世界で一党独裁的な権力が倒れたあと、選挙で勝てる組織力を持っているのは、独裁政権下の逆境でも貧困救済など草の根の社会活動で宗教ネットワークを維持してきたイスラム組織だけである。エジプトでも当然のことながら、ムスリム同胞団が「パン」を求める貧困層の票を集めて、議会選にも大統領選にも勝利した。
しかし、長らく非合法化されてきたゆえでもある同胞団の閉鎖的な体質とそれがもたらした失政に対して、世俗・リベラル派とよばれるより富裕な層の、より観念的な「自由」への欲求や、革命の成果を簒奪されたとする感情、さらには既得権益を奪われたと感じる嫉妬心などからの反発が向けられ、これに、好転しない経済に苛立つ庶民感情が重なって批判の波が盛り上がったところで、それに乗って一気に形勢を逆転させたのが軍のクーデターであった。
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◇◇ 宗教政党禁止でなく対話こそ
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エジプトにおける軍の影響力は絶大である。50万人の将兵と100万人の予備役を抱え、軍需から民生に亙る産業を擁して、国の経済の3割を占めるともいわれる。
その軍がいま、独自に権力を目差しているのである。とすれば、軍事政権が憲法に宗教政党の禁止を掲げる意味の大きさは明らかであろう。
だがしかし、である。エジプトでは日々のパンにも困る貧困層が人口の4割を占め、若者の3分の1が失業している。貧困対策や社会福祉でこの層に浸透してネットワークを広げ、この層の人々の厚い信頼と固い支持を勝ち得ているのはイスラム運動である。この勢力との公正な対話を封印したままでは、社会の安定は望むべくもない。
「アラブの春」は「イスラム復興の春」といわれたが、いま目立つのは世俗派や旧来の軍・官僚機構からの揺り戻しである。エジプトがその典型となったが、「アラブの春」を経験した諸国に共通する趨勢である。
そのなかで唯一、安定した歩みを進めているのが、「アラブの春」の発端をつくったチュニジアである。ここでもイスラム政党のナハダが制憲議会第一党となったが、左派と連立政権を樹立。つねに世俗派との協調路線を重視してきた。
ナハダの代表は語っている。「野党抜きでも審議は続けられるが、国全体のための憲法を制定したい。権力に固執するより、民主主義の実験を成功させる方が大事で、アラブ世界の歴史を切り開きたい」(東京新聞、2014.1.13)。
中東に民主主義を育むのは、こうした努力の積み重ねによってであろう。
(筆者は元桜美林大学教授)