【オルタの視点】

むのが最後に語った憲法集会
― むのたけじさんとの長い旅(2)

河邑 厚徳


 2016年5月3日の有明防災公園での「憲法集会」が、むのたけじが人前で話した最後となった。集会には5万人の市民が集まり熱気があふれていた。むのさんは事前に息子の大策さんとこの日話すことを練り上げてきた。テーマは三つ。戦争の本質、戦争は始まったら止められない、憲法九条、だった。時間は10分。この日、この場所でのむのさんの顔には気迫があふれていた。

 「むのたけじでございます。今日の集まりは戦争を絶滅できる目的を実現できる、その力を作る集会です。でもこの会場にお集まりの方々の中で満70歳より若い方々は、戦争とはどういうものかを国内で体験する機会を持ちませんでした。私はジャーナリストとして戦争を国内でも海の外でも経験しました。そういう年とった人間として、より若い方々のために短い時間ですが三つのことを申し上げたいと思います。

 まず戦争とは何か。それは常識では考えられない狂いですね。私どもは従軍記者として出かけたから武器を一つも持っていません。それでも両軍が戦闘している場所で取材活動をやれば兵隊と全く同じ心境になります。じゃあ何か、相手を殺さなければこちらが死んでしまう。死にたくなければ相手を殺せ。戦場の第一線で立てばもう神経が狂い始めます。これに耐えうるのはせいぜい三日ぐらいですね。あとはもうどうとでもなれ、本能に導かれるようにして道徳観がつぶれます。だからどこの場所でも戦争があると女性に乱暴したり、ものを盗んだり、証拠を消すために火をつけたりする。これが戦場で戦う兵士の姿です。その兵士を指導する軍のお偉方は何を考えるか、どこの軍隊も同じです。敵の国民をできるだけたくさん、できるだけ早く殺せ、そのために部下を働かせろ、すると勝てるね、これが戦争の実態です。

 こういう戦争によって社会の正義が実現できるでしょうか。人間の幸福が実現できるでしょうか。出来るわけはありません。だからこそ戦争は決して許されない。それを私たち旧い世代は許してしまいました。しかも戦争の進み方はまことに恥ずかしい姿でした。日清戦争以来、十年ごとに戦争を続け、昭和6年の満州事変から15年戦争をやって、結局ナチスドイツと同様ファシズムの日本とは一緒くたにされて近現代史に例のない無条件降伏、条件なしの敗北で戦争を終わらせました。なんとも申し訳ない、特に私どものように新聞の仕事にたずさわって真実を国民に伝えて道を正すべき人間が何百何千人いて何もできなかった。それはなぜなのか二番目に申したいと思います。

 戦争を始めてしまったら止めようがないということを力説したいのです。明治憲法といわれた大日本憲法は、最も古めかしい君主制度の下で、我々国民は憲法の中で国民とも人民ともいわれず臣民、家来でした。戦争が始まってしまって、もし国家の方針に反対することを言ったり書いたりすれば、治安維持法で無期懲役ないしは死刑が決まっていた。そういう状況だったんです。だからこそどういうことになったのか、二番目の私が言いたいことは本当に無様な戦争をやって無様な尻拭いをしてそして残ったのは何か? 憲法九条です。憲法九条は二つの顔を持っています。

 マッカーサー司令部のほうから見ればナチスドイツとファッショの日本は国家としては認めない、だから交戦権は認めない。戦争はやらせない、軍隊は持たせない、本当に泣いても悔いても足りない程の屈辱だったはずなのに、旧い私たち日本人はそれを感じ取りませんでした。それで何だ、私もその一人ですが、この憲法九条こそは人類に希望をもたらす。そういう受け止め方をした。そして70年間、国民の誰をも戦死させず、他国民の誰をも戦死させなかった。それが旧い世代に出来た精一杯のことです。道は間違ってない。

 今、国連に加盟してる約200か国のどこの国の憲法にも、日本憲法九条と同じ条文はありません。日本だけが星のようにあの九条を高く掲げてこうして働き続けているのです。これが通るかどうか、必ず実現するとこう断言します。それはこの会場の光景がもの語っています。御覧なさい、若いエネルギーが燃え上がっているではありませんか(会場拍手)。いたるところに女性たちが立ち上がっているではありませんか。これこそ新しい歴史が大地から動き始めたことなんです(大拍手)。とことん頑張り抜きましょう。
 第三次世界大戦を許すならば地球は動植物の大半を死なせるでしょう。そんなことを許すわけにいきません。戦争を殺さなければ現代の人類は死ぬ資格はない、その覚悟をもってとことん頑張りましょう」

 最後に語った憲法9条については、誰も指摘していない論点を、むのたけじは90歳を超えてから気づいたと書いている。この集会でも語っているが9条には二面性があるということだ。補足したい。国家の主権としての交戦権をはく奪する条文は、軍国日本への死刑判決だったという見方である。ファシズム日本が徹底的に国際社会からは断罪された。原爆が子供や女たちの頭上に投下された国は現在まで日本以外にはどこにもない。

 しかし、『進歩派は神の御幣のように憲法9条を立派なものとして祀り上げてしまった(「戦争絶滅へ、人間復活へ」岩波新書)』。ここまでは改憲派の思惑に沿ったような理解にも見え、憲法9条は押し付けられたという考えにつながりかねない。憲法が押し付けられたという常套句は一見もっともに聞こえるが、日本人全体に押し付けられたわけではない。戦争を遂行した軍部、政治家、財閥といった特権階級が、自らが新しい国を作ることができないから新憲法が出来上がったのではないか。そもそも明治の開国だって黒船の外圧がなければ起こっていないかもしれない。明治以来繰り返されてきた長い戦争で最大の苦痛をあじわった日本人一般は、この憲法に感激し歓喜して受け取った。押しなべて一般的な日本人を想定することが幻想的であり、国家主義的ではないだろうか。

 「私は戦地から日本へ帰る復員船の中で、憲法9条と出会った。日本国憲法の草案を伝える、よれよれになった新聞を通じてである。はっきりと二度と戦争はしない、と書いてある。武力をもたないと宣言している。私たちはみな泣いた。戦闘で死んだ戦友の何よりの手向けであったし、傷つけたアジアの人々への贖罪がこれで始まると思った。(『戦後歴程』品川正治)

 前作の映画『天のしずく』での取材中、新婚で徴兵された夫がフィリピンで戦死した、辰巳芳子さんがこう語った。
 「戦争で死にたくなかった若者のいのちの代償こそが憲法9条なんです」。その考えでは改憲論は死者を冒涜することになる。しかし、そのような繰り返された議論を超え、むのたけじは、この憲法の二面性に気が付きそれを逆転する思考を深めていく。否定しつつも、より高いレベルで生かしながら創造的な宣言として保存する(アウフヘーベン)していくのである。むのたけじがむのたけじであるのはここである。

 『ところが一方で、人類が生き続けていくためには、戦争を放棄したあの9条の道を選択する以外にはないといえる。だから憲法9条を良いほうに考えると、“人類の道しるべ”だということもできる。人類の輝かしい平和への道しるべであり、同時に日本自身の軍国主義への死刑判決でもある。その両面をもつのが憲法9条なのです。しかし敗戦後に生き残った約七千万人の日本人は、戦争は苦しかった、つらかった、悲しかった、という経験をもっていますから、GHQから与えられた憲法9条を素直に受けました。でも、憲法9条がもつこうした二重性については、なにも考えなかった(「戦争絶滅へ、人間復活へ」)』

 「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2・前項の目的を達すため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない(憲法第9条)」

 300万を超す太平洋戦争での戦死者は、この高らかに理想をうたった条文に魂の安らぎを覚えたに違いない。戦死した日本とアジアの人々は、平和への理想へと歴史が歩むならば荘厳され、その死が「犬死」ではなかったと思えるのではないだろうか。独立国として交戦権を放棄することの屈辱は、目的を一にする仲間を作りながら平和への道しるべを掲げ続けることで日本人の誇りともなっている。武力に寄らない平和実現こそが人類の存続にかかわる未来のテーマである。
 日本現代史を見れば、日本は70年を超えて9条を守り、平和国家であり続けた。むのさんは、大策さんと講演の趣旨を確認しながら「戦後の60年安保、三里塚闘争、学園紛争、70年安保などがあったが、全部が成功しなかった。それにもかかわらず9条だけは守ってきた事実の重みは限りなく大きい。これはいったい何だろう。これこそ日本人の誇りだと言えるはずだ。そこに未来への覚悟の原点を見たい」と語っていた。この有明でのむのさんの渾身のスピーチは、遺言のように私たちに残されている。

 (映画監督・元NHKデイレクター)


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