【書評】

『革新自治体—熱狂と挫折に何を学ぶか』 /岡田 一郎/著  中公新書・2016年

木下 真志


 本書の帯に掲載された「美濃部東京都知事の誕生」時の写真に象徴されるように、戦後日本には、かつて「革新首長」が多数当選した時代があった。本書は、一貫して、野党を中心に戦後政治を研究する中堅研究者による「革新勢力」論である。
 福祉に重点的に予算配分したために財政難に陥った、という「革新自治体」にしばしば抱かれるイメージがどのように形成されていったのか、「革新自治体」華やかなりし頃の野党、つまり、社会党と民社党・公明党・共産党との関係、当時の野党の国政選挙に向けた共闘戦略などが論じられる。
 分析の重点は、美濃部東京都知事と飛鳥田横浜市長に置かれ、側近の動向やそれぞれの政策が持っていた問題点も指摘される。

 小稿ではこれ以上の内容の紹介は控え、本書がもつ問題点の指摘から始めたい。学問の進展のためには、批判的検討の方が有益であろうからである。
 新書という性質上、幅広い読者を想定し、エピソード的話題を随所に挿入し、わかりやすく読みやすい記述を編集者から要請されたのかもしれないし、学術論文ではない、とクギをさされたのかもしれない。記述が全体的に教科書風なのも、それが原因なのかもしれない。注や出典の記載方法も、学術論文としての執筆ではないことを暗示しているのかもしれない。

 これらを念頭に内容について踏み込んで行こう。一読した印象からいえば、先に結論があるような記述が目に付いた。つまり、「結果を知っているから言える」ことを言っているような印象を受けてしまうのである。歴史的事実に内在的な分析を加えたというよりも、著者の持つ結論から、諸事実が指摘されているように見受けられた(例えば、「ただ[美濃部の]足を引っ張るばかりの社会党」(p.93)、「飛鳥田の制度設計には大きな間違いが存在していた」(p.192)等々)。

 また、本書のタイトルは、『革新首長と選挙』といい代えても良いほどに、首長選挙に関する記述が多い。選挙に関する描写は細かいのだが、自治体がどのような行政をおこなったのか、「革新自治体」そのものについての説明や分析はむしろ後景に退いてしまっている。『革新自治体』というタイトルからすれば、読者が知りたいことは、結論部分で述べられているような、「革新自治体」によって、政治や人々の暮らしがどう変わり、どのような点が成功で、どのような点が失敗だったのかについてではないだろうか。
 タイトルに関連しサブタイトルの「熱狂と挫折」についていえば、「熱狂」したのは誰なのか、「挫折」したのは誰なのか、冷静に考えると、この二つの主語は、それぞれ異なるのではないだろうか。

 また、社共の足並みがそろわなかったこと(p.190)や、協会派と反協会派の対立(p.146−147、p.182)が社会党や「革新自治体」が低迷した要因とされるが、問題はそれらがなぜ起こったのかという方である。これらを分析し、それについての著者によるより深い要因分析を論じてほしかった。
 つまり、全体を貫通する理論的フレームワークが弱く、それが原因で全体的に掘り下げ不足という印象をもってしまうのである。編年的な記述もそれを誘発する要因となっている。

 これらは、前述のように、新書という性格からの限界かもしれない。
 また、著者は、中道政党を引き付けることの必要性を説き、公明党との連携に活路があった(p.181−182)という見立てのようであるが、逆にこれにより失う票も実はあったのではないか。公明党は、拒否感を強くもたれている政党であるからである。

 加えて私が気になったのは、フルタイム労働者を中心とする当時の有権者の政治意識への過剰な期待である(p.191−193、これは著者に限ったことではなく、多くの論者に見られる)。民間企業労働者は、拘束時間が長く、社会党を支えていた官公労労働者と比較して、少ししか自由な時間を持てなかった(かつてほどではないにしても、おそらく現在もそうだろう)。日々の労働の疲れを癒すべきほんのわずかな自由な時間に、「対話集会」等に参加するのは、ハードルが高く、心理的コストも高くつく。
 民間企業労働者だけでなく、多くの労働者は、家族サービスもあっただろうし、自分の趣味の時間も持ちたかっただろう。たまには、のんびりもしたかっただろう。皆が著者と同じように、「政治」について考えることに生活の重点を置けないのが労働者の実情ではなかっただろうか。もちろん、なかには政治的無関心層もいただろうし、多くの無党派層も存在したことだろう。常に政治について考えてもコストに見合った見返りがあるとは限らない。

 さらには、国民の多くが常に政治について四六時中考えていなければならないような社会が果たして「平和」なのだろうか。思い切って集会に参加して「要望を述べるばかり」(p.192)となるのは当然の帰結であったのではないか。これは著者も述べているように、革新首長だけの責任ではないだろう。

 評者は、以上を本書が持つ問題点とみたが、研究の深まりによってこれらはいずれ克服されていくものであると確信している。本書が戦後のある時期に「革新自治体」が輝いていたことを振り返る恰好の著書であることに間違いはなく、広く読まれることを期待したい。

*)「オルタ」では、同じ著者の著書を論じたことがある(第15号・2005年5月号)。前著から11年の時を経て、著者の研究の深まりを感じると共に、さらなる研鑽を祈念したいと思う。この時代の解明が、日本の政治をよりよくする材料を見つけることに繋がることを評者は著者と共に認識し、これからも戦後政治について考えてゆきたいと思う。

 (大原社会問題研究所嘱託研究員)


最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧