「迷走」の果ての「狡知」
― 戦後70年、安倍談話を読む ―

木村 知義


 なんとも無残な「談話」だった。
 8月14日夕刻、プロンプターと手元の原稿を頼りに、ひと言一言、意味の連なりとはおよそ無関係に切れ切れに語る安倍首相会見を見ながら、空虚としかいえない「談話」に聴きつづける忍耐を試されている思いがしたものだ。例年とは異なり「夏休み」を地元山口で過ごし、東京に戻って夕方5時からの閣議に臨んだ安倍首相だったが、閣議決定を経て会見に立った姿に「生気」を感じることはできなかった。各メディアがこぞって「継承」という見出しで伝えたように、「侵略」「植民地支配」「反省」「おわび」の「キーワード」は「談話」のいずこかには盛り込まれた。
 しかし、だからどうだ、というのだろうか。

 結局、「キーワード」論議に矮小化されてしまい、ことばが無残に消費されるばかりだった。われわれが歴史とどう向き合うのかという重い問題が、戦後70年の節目の今回もというべきか、深められないまま夏が逝こうとしている。
 首相の側近とされる自民党の稲田朋美政調会長が11日のテレビ番組で「未来永劫謝罪を続けるのは違う」と述べて、「おわび」は明記すべきではないとの立場を強調した。
 謝罪する気持ちもなく、謝罪したこともない人々が、もはやこれ以上の謝罪などすべきではないと語り、世界の趨勢が植民地主義の時代だったのだからわれわれがそうしたからといって「悪いのはわれわれだけではない」などという論理が平然と語られる。
 また、「過去のおわびをそのまま継承するのであれば、新しい談話を出す意味はない」「いや、おわびは入れた方がいい。入れないリスクの方が大きい」などという議論がまかり通る「薄っぺらな風景」にはことばを失うばかりである。
 こんな体たらくで談話に「おわび」を潜りこませたからといって、中国や韓国・朝鮮、そしてアジアの、世界の人々の琴線に触れることはありえない。

 重ねて言わなければならない。われわれの加害の歴史をごまかすことなく直視し、なぜそのような戦争にわれわれは「熱狂」したのか、根源に遡って検証し、そのような歴史を繰り返さないために、何を、どうすべきなのかをくっきりと胸に刻む、そうした真摯な営為としてなされるべきことである。ゆえに、結果としての、まさに痛切な表出としての「ことば」が問われるのだ。侵略という認識もなく、植民地支配もせいぜい「欧米を中心に19世紀の大きな流れとなっていた植民地支配の歴史」に触れる形で言及するといった、ごまかしと自己合理化の域を出ない歴史認識で「おわび」ということばを並べたからといって、それがいかほどの意味があるのか、われわれはいま一度真剣に考えなければならない。

 それにしても、「百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」と語る安倍首相に、歴史をまるで他人事のように叙述する「虚ろさ」はいうまでもないが、日本社会に抜きがたく存在する「史観」― その代表的なものが司馬遼太郎氏の作品群に魅せられる「国民意識」だろう ― を刺激しながら巧妙に本質を隠す「狡知」を見たものだ。

 もちろん、ここだけにとどまらない。
 「戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました」というのだが、侵略に抵抗して戦った人々は戦うことを強いられただけであって、「戦火を交えた」のではない! 好き好んで戦ったわけでもなく、命を「失った」のではないのだ。
 あるいは「忘れてはならない」と語る「戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたこと」とは何を指しているのか・・・。
 挙げはじめれば、きりがない。

 「安倍総理は日々成長している。オーストラリアからインドネシア(バンドン会議60周年)、そして米国議会での演説という流れの中で進化している・・・」、夏に予定される「安倍談話」に深くかかわる人物がそう漏らしたと耳にしたのは5月半ばごろのことだった。その後ずっと、この「成長」という意味を測り兼ねていたのだったが、なるほどと皮肉な「合点」がいった。
 「迷走」の末の「狡知」というべき「成長」が確かにあった。
 「迷走」!?
 結論からいうと、誤算につぐ誤算、安倍首相にとっては「後退」に次ぐ「後退」としかいえない状況のなかで安倍政権は、いま、きわめて複雑な「多元連立方程式」に直面し「ストレス」を高めつつあるというべきだろう。

 そこで見ておかなければならないのは、「中国」の存在の重さだ。
「安保法制」法案を強行採決して参議院に送ったところ「民心の離反」に直面し、政権発足後初めて不支持が支持をはるかに上回ることになった。政権の危機である。
 さて、どうするか。参議院の審議では「中国脅威論」に舵を切ることになる。
 本音はともかく、それまでは極力封印してきた「中国の脅威」を連発する首相に尋常ではない姿を見たのは私だけではないだろう。しかし当然のことながら今度は中国からの不信を招くというジレンマに陥る。谷内国家安全保障局長を訪中させてまで「中国」に活路を見出そうとしたことが水泡に帰すという焦燥感に苛まれる。

 谷内氏訪中における中国側との協議については定かではないが、毎日新聞(7月23日朝刊)が注目すべき「内容」を報じた。
 中国側が9月3日に北京で開催される「抗日戦争勝利記念日」の記念式典に安倍晋三首相を招待したが日本側が式典出席に難色を示しているとされる問題で、谷内氏が楊潔篪国務委員と会談(7月16日)した際、楊国務委員は、式典に出席しない場合でも「三つの条件」を満たせば、訪中を受け入れると伝えたというものだ。
 その三条件とは(1)日中間の四つの政治文書の順守(2)村山談話の精神の踏襲(3)首相が靖国神社を参拝しない意向の伝達、とされる。
 この報道については菅官房長官が23日午前の会見で、報道されたような「三条件」の提示があったのかと質す記者に対して「まったくの事実無根だ」と即座に否定した。しかし、流れとしては官邸が政権浮揚の有力なカードとして訪中について検討していることは想像に難くない。政権周辺からは、もともと安倍首相側が訪中に意欲を示してこの話がはじまったということも漏れてきていた。
 谷内氏訪中に際しては李克強首相までが会見に応じてある種の驚きが走ったが、メディアがいうような「破格の優遇」などと浮かれている場合ではないだろう。谷内氏を「子供の使い」にはできないところに追い込まれたといってもいい。いわば逃げることのできない「タガ」をはめられたのだ。「中国」を政権浮揚のカードとしようという安倍政権の思惑を見切った中国側の戦略性というべきだろう。

 一方、「日米ガイドライン」の見直しと接続する安保法制では強力な「後見人」となっている米国も国会審議での「中国脅威論」の乱発に懸念を抱く。アメリカのハンドリングに利する「適度」をこえた、日中間の「過度の緊張」は困るというのだ。加えて首相談話へのあからさまな「牽制」が重ねられた。
 ほんの一例だが、アメリカ国務省のトナー副報道官は6日の記者会見で、「安倍総理大臣がワシントンでの演説で歴代内閣の歴史認識を支持するとしたことに留意している」と述べるとともに「地域の国々が強固で建設的な関係を築くことが、その地域の平和と安定につながり、ひいてはアメリカの国益にもつながる」と畳みかけた。

 そしてもうひとつ、安倍首相にとってはもっとも重い「期待」がのしかかる。
 「中韓両国は、わが国の近現代史を、両国への一方的な侵略の歴史であったとしてわが国に謝罪を要求する外交圧力をかけてきている。わが国の行為のみが一方的に断罪されるいわれはない。幸いにも終戦七十年を迎えて、わが国にようやくかかる風潮と決別し、事実に基く歴史認識を世界に示そうとする動きが生まれてきた。安倍首相の一連の言動にもその顕れは観取できる・・・」とする安倍政権本来の支持基盤からの「期待」だ。これを満足させられなければ、そもそも安倍政権の存在理由がなくなる、というものだ。

 まさに両腕を強い力で引っ張られて体が宙に浮いて地に足つかない状態でもがく、そんな自縄自縛のなかで「迷走する政権」の風景を、いまわれわれは目にしているのだ。
 すべては政権維持と支持率の反転、浮揚の一点で節操なく突っ走る政権が自ら招いたジレンマ、トリレンマというべきである。
 新国立競技場建設問題の白紙撤回ぐらいでは支持率の反転は望めず、たとえ「思い通りの談話」をあきらめ「後退」せざるをえないとしても首相談話を閣議決定することに転じたのは、世論からの批判を回避し、連立与党の公明党に配慮せざるをえなくなった結果である。
 公明党の支持基盤である創価学会からは自民党とともに安保法制に突き進むことへの批判が高まり離反が著しい。水面下では「第二公明党をつくる以外にない」といった声まで聞こえてくる。

 そして、またぞろ「電撃訪朝」といった「うごめき」である。実現性があるかどうかわからないが、小泉政権時代に支持率の急落を一気に反転させた「成功体験の記憶」というのだろうか、とにかく中国がむずかしければ北朝鮮に振ってみるというわけだ。
 拉致問題というきわめて難しい課題を抱えながらも、これこそ安倍政権誕生の「原動力」であることはいうまでもない。事実、最近話を聞く機会のあった日朝関係者は「日朝関係を前にすすめるには強い政権でなければ・・・」と暗に安倍政権への期待感を漏らした。局面によっては「動く」可能性がないではない。しかし、問題は、仮に「強く」はあっても信頼がないということである。
 あっちに振ってみてダメなら、今度はこっちにと、とにかく見境なく振れる「迷走」が背後ですすむ。しかし、そのことへの自覚が見えない。あるのは、どうしのぐかの「狡知」のみ。その程度には成長しているというのだろう。だが、こうした「立ち居振る舞い」が人の信頼を得ることはありえない。ましてや近隣諸国の人々の。

 安倍首相は12日、地元・山口県に入り自民党県連の会合で講演。明治維新100年(1968年)の首相が佐藤栄作氏だったことに触れ「何とか頑張れば(維新150年の)2018年も山口県出身の安倍晋三ということになる」と述べ、秋の党総裁選での再選に意欲を示した。
 時を同じくして、総裁選の選挙管理委員長に野田毅氏を内定した。党税調の重鎮であるだけでなく、活動を再開した「アジア・アフリカ問題研究会」(AA研)会長にして日中協会会長でもある野田氏を選管委員長に据えるというのは、安倍首相の「中国シフト」とみることもできよう。
 しかし繰り返しだが、問題は、こうした「振り子の」のような揺れのなかで中国からあるいは韓国・朝鮮から信頼が得られるかどうかである。
 「無信不立」、信なくば立たず。小泉首相が座右の銘としたことで知られるこのことばを、いま安倍首相はどう聞くのだろうか。

 (筆者は北東アジア動態研究会代表)


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