【本の紹介】

『ボクの韓国現代史 1959−2014』

ユ・シミン/著  萩原 恵美/訳
三一書房/刊  2016年1月/発行  定価2500円+税

萩原 恵美(はぎわら めぐみ)

 《訳者は最初の読者/このワクワク感をみなさんにもぜひ》

 韓国では1988年に出版されベストセラーになった『逆さに読む世界史』の著者として名を売り(同書は2008年に3訂版が出てなおも売れつづけている)、世紀の変わり目のころにはMBCテレビの硬派時事番組「100分討論」のスマートな司会ぶりで顔も売ったユ・シミン。その後政界に進出し、Tシャツにコットンパンツといういでたちで国会に登院したり、舌鋒鋭く政敵を問い詰めたりして「政界の風雲児」、「国会の軍鶏」などと呼ばれ、盧武鉉政権のもとでは保健福祉相に任じられてさまざまな福祉政策の旗振り役を務めた。政権交代ののちも政治活動を続けていたが、2013年に政界を引退して現在は作家、評論家として活動している。

 愛嬌ある表情と慶尚道方言で語られるユーモアたっぷりの話術は、しかし理路整然と歯に衣着せず「ミスター辛口」とも呼ばれる。リベラル派のアイコンでありながらバランス感覚にすぐれ、特に若者たちからは父親世代であるにもかかわらずアニキ分として慕われている。「ユ・シミンとともに 〜する」と銘打った冠イベントには多くの若者が集まり、『ユ・シミンとともに読む文化のはなし』というシリーズ書籍も刊行されている。そんなユ・シミンがみずからの半生と韓国現代史を重ねあわせて綴ったのが本書だ。

 韓国では2014年7月の発売と同時に各種メディアの注目を集め、あっというまに13万部を売り上げた。発売後1年以上たって売り上げが落ち着きを見せたころに歴史教科書の国定化問題がクローズアップされたため、ふたたび売り上げを伸ばし、たとえば書店最大手の教保文庫の2016年1月最終週の週間売り上げでは、並みいる新刊書を押しのけて歴史人文書で堂々の5位を記録している。

 韓流ドラマや映画でしばしば舞台となる近い過去の韓国だが、そんな韓国の近い過去について、ドラマの背景となっている当時の社会情勢について私たちはどれほど知っているだろうか。

 自分自身のことを振り返っても高校の授業では三一運動くらいまでしか勉強しなかったし、リアルタイムに遭遇した事件でさえ金大中拉致事件と朴正煕暗殺事件と光州事件が断片的に記憶に残っているくらいだ。それもどこかよその国のニュースというくらいで、当時の私はまだ事件の背景や意味について考えたり知りたいと思ったりするには幼すぎた。大学で専攻したわけでもなく体系的に学ぶ機会もなかった。20代後半になって本格的に韓国語を学び、ことばは操れるようになったものの、韓国現代史については平均的な人に比べればやや知っているというレベルでしかない。

 だからつねに心の片隅に、韓国現代史を一望することのできるコンパクトでわかりやすい情報源がないものかという思いがくすぶっていた。もちろん概説書はいろいろと出ていて購入したりもするのだが、怠惰さゆえか能力ゆえか、通読できずに挫折するか、なんとか通読しても中身がまったく頭に入らないかの繰り返しだった。一昨年秋の韓国旅行の帰り際、仁川空港の小さなブックスタンドでたまたま目にして興味をそそられ、買い求めて読んだのが本書だ。

 日々の暮らしの中で体験した身近な例をちりばめながら現代史の流れを平易なことばで語り、さらにリベラリストの批判的観点から時代を分析する、まさにかゆいところに手が届く1冊だった。いわゆる概説書や通史のように網羅的に記してあるわけではないが、時代の流れを大きく「産業化の時代」、「民主化の時代」、「ポスト民主化の時代」ととらえ、そこに生きる人々の心理をそこに生きたひとりとして生々しく語り、同時にやや俯瞰した位置から鋭く腑分けする、知的刺激に満ちた力作だ。

 韓国現代史の概説書やある人物の生きる道程を綴った個人史(評伝・手記)も世に出回ってはいる。けれどまじめな概説書や通史は肩が凝り、個人史は背景がピンとこないか、背景を説明する長い訳注がついているかでこれまた読みやすいとはいいがたい。その両者を絶妙のバランスでミックスしたのが本書といえる。本のタイトルを「韓国現代史」としているだけあって学生活動家→受刑者→研究者→テレビ司会者→政治家→国務大臣→政党代表→作家という、じゅうぶんに波乱万丈な個人史には多くの紙面を割いてはおらず、歴史上の事件への言及とその分析が軸となっている。それでいて学生集会の混乱のさなかで感じた戸惑いや官憲に連行される場面などは緊迫感みなぎる筆致で、まるで映画の1シーンを見ているかのようである。

 1959年に生まれた赤ちゃんが、年を経るにつれ少年となり若者となり大人へと成長してゆく。そのプロセスを追いながらいつのまにか現代史の勉強ができてしまう。その醍醐味をぜひとも多くのみなさんに味わってほしいと思う。そして同時代を生きる私たちに向けて発せられた著者のメッセージを汲みとってほしいと思う。

 翻訳の苦労話も書いてほしいといわれたが、実のところ苦労といえるほどの苦労はなかった。だっておもしろいんだもん。その一言に尽きる。出版に携わったことのある人はご存知だろうが、訳文の推敲とゲラ校正で原稿を繰り返し読むことになるわけだが、何度読んでもおもしろいので苦にならない。楽しくてたまらない作業だった。そのワクワク感は読んでいただければきっとわかるはずだ。

 (評者は韓国語翻訳家)

●三一書房『ボクの韓国現代史 1959‐2014』<http://31shobo.com/?p=3637


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