【コラム】
宗教・民族から見た同時代世界

パンデミックは人間界の欲望や闘争心を照らす

荒木 重雄

 疫病は先史時代から幾度も人類を襲ってきた。その歴史をひもとくと、なぜか疫病の流行が、人間界の、宗教も背景にした、野望や覇権争いと微妙に絡んでいることに気づく。
 古くは紀元前14世紀のヒッタイトとエジプトの戦争や、紀元前5世紀のスパルタ対アテナイのペロポネソス戦争が、疫病の流行で帰趨の決したことが知られているが、パンデミックとして人口に膾炙する14世紀のペストや1918~20年の「スペイン風邪」もそうである。

◆ 黒死病とスペイン風邪の闇

 1347年から5年余り、欧州で猛威をふるったペストは、中央アジアで発生した。モンゴル帝国内を伝わって黒海周辺まで及んだところで出くわしたのが、クリミア半島のカッファの支配を巡ってモンゴル人と戦争していた北イタリアのジェノヴァ人だった。ジェノヴァ兵士の帰還に伴って欧州に上陸したペストはたちまち全欧州に蔓延し、「黒死病」と恐れられ、じつに、欧州の人口の3分の1を失わせる惨禍をもたらした。
 恐怖におののく人々は、ユダヤ人をスケープゴートにし、井戸に毒を入れたなどと濡れ衣を着せて、虐殺や追放に手を下した。
 一方、人々が無残に死んでいく状況を眼前に「神の存在」への疑念がうまれ、やがてルネサンスにつながっていく。モンゴル側でも帝国の衰退を早めた。

 1918年から20年にかけて当時の世界人口約18億人の内、約5億人が罹患し、5千万人前後が死亡したとされる「スペイン風邪」の流行をもたらしたのも、また戦争であった。発生地は米国のカンザス州あるいはサウスカロライナ州のあたりとされるが、折から第1次世界大戦のさなか、参戦した米軍が欧州戦線に進軍するに伴って欧州に持ち込み、そこから世界全体に蔓延した。当時、参戦国が戦略的に被害を秘匿していたなかで、中立国であったスペインが状況を公表していたところから、「スペイン風邪」という誤解をよぶ呼称がつけられた。

 第1次大戦の世界史的な影響の最大の一つは、オスマン帝国の解体による西欧のイスラム世界支配であり、それが現在の世界の不安定化の一要因を形成することも留意されるべきであろう。

◆ 宗教界もキーワードは「3密」

 さて、このたびの新型コロナウイルス蔓延で注目されるのは、宗教界においても、「3密」(密集・密閉・密接の回避)の観点からである。
 となると一番懸念されるのが、イスラムの礼拝や巡礼である。とくに毎週金曜日にはモスク(礼拝所)での集団礼拝が慣習になっている。大勢が堂内に集まって一斉に礼拝するのだから、濃厚接触は避けられない。

 そこでイスラム諸国では、政府が集団礼拝の自粛や禁止にやっきになっている。世界最多のイスラム教徒を抱えるインドネシアでは警察が住宅街を巡回して「礼拝は自宅で」と呼びかけ、マレーシアでは違反者を次々逮捕しているが、礼拝に訪れる人とのいたちごっこが尽きない。

 厳格なイスラム教国のパキスタンでもモスクでの集団礼拝を禁じているが、一部の信徒が礼拝を強行し、止めに入った警官を群衆が袋叩きにする騒動も起こった。宗教への介入は暴動に発展しかねず、政府は対策に苦慮している。
 同国での最初の集団感染はイランの聖地帰りのシーア派巡礼者たちから発生したため、隔離施設の周囲では抗議デモや放火が起きた。これが多数派スンニ派との宗教対立につながることが懸念されたが、どうにか大事には至らずにすんだ。

 今年は4月24日から1ヶ月、ラマダーン(断食月)に入った。ラマダーンでは通常、日の出から日没まで一切飲食を断つが、日没後は、親族・友人が集って盛大に会食し、モスクで集団礼拝が行われ、夜市も賑わう。また、断食月明けはイードとよばれ帰省や祝祭が目白押し。今年はこれらがすべて禁止されているが、信仰と宗教慣行が深く根づいたイスラム教徒に、禁止で「3密」が守られるとは考えがたい。

 キリスト教では4月12日がイースター(復活祭)であった。世界各地の教会でミサが開かれたが、教会に入る信者の数を制限し、代わりにミサの様子をライブ中継する教会が目立った。ローマ・カトリックの総本山バチカンのサンピエトロ大聖堂でのミサも、参加者をごく少数の聖職者らに限定し、テレビやインターネットで生中継した。
 フランシスコ教皇はそのミサのメッセージで、コロナウイルスに向き合うために全世界が結束すべきことを説き、各国の政治指導者に「誰もが尊厳ある生活を送れるよう行動を」と呼びかけ、「『無関心』や『分断』といった言葉を永遠に禁止したい」と訴えた。

 一方、ミャンマーからは、自粛要請に反して集会を開いたキリスト教の牧師らが警察に告訴され、アウンサンスーチー国家顧問がこれに不快を示す声明を出したとのニュースも届いた。

 ミャンマーやタイなど東南アジアの上座部仏教圏では、5月の満月の日(今年は7日)にヴェーサカ(ブッダ記念祭)が祝われる。この日は、釈尊の誕生日だけでなく、悟りを開いた「成道」、初めて説法をした「初転法輪」、亡くなった「入涅槃」の日ともされ、寺々に蝋燭を手にした善男善女が集い、僧に先導されて本堂や仏塔を巡ったのち、僧たちに布施をし、菩提樹に水を注ぐ。もともと穏やかな祭りではあるが、やはり今年は「3密」に配慮し、自粛気味であったと聞く。

◆ 強い指導力を希求する陥穽
 さて、冒頭の、パンデミックと人間界の「闇」に戻ろう。トランプが展開するWHO(世界保健機関)を巻き込んだ米中覇権争いから、安倍と小池のバトルまで、すでに充分に喧しいが、警戒すべきは、感染拡大が、世界各地で、政権が強権的な姿勢を強め国民への干渉を強化する格好の口実となっていることである。

 トランプ大統領の米国、プーチン大統領のロシア、習近平国家主席の中国などはいまさら言うに及ばないが、カンボジアのフン・セン首相やハンガリーのオルバン首相は、非常事態法を制定して、メディアの規制や人の移動・集会の禁止など、表現の自由や人権を超法規的に制限できる権限を手に入れ、フィリピンのドゥテルテ大統領は、反抗的な民衆への躊躇なき射殺を軍・警察に指示し、あるいは豪州では、警察や住民相互による過剰な監視に加え逮捕・起訴、罰金・禁固が乱発される「警察国家」化が指摘されるなど、その傾向が顕著になっている。

 コロナ禍を改憲に絡めようと企らむ安倍政権とその周囲の動きも、その一端であろう。私たちの先の見えない不安が、分断や差別に走ったり、安易に強い指導力を求める方向に赴くことを、厳に戒めたいものである。

 (元桜美林大学教授・『オルタ広場』編集委員)

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