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メールマガジン「オルタ」 86号(2011.2.20)           

◎* 劣化する日本政治とどう向き合うのか。
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□*目次

■*衰える日本の政党・政治状況             羽原 清雅


■最近の沖縄情勢を元県知事大田昌秀氏に聞く     編集部


■地球環境問題解決へのアプローチ(2回目)     阿野 貴司


≪連載≫
■海外論潮・短評(43)「消えゆく世界の森」     初岡 昌一郎
  ~グローバルに押し寄せる高齢化社会の波~
■A Voice from Okinawa(19)               吉田 健正
  ~「緊張と対立の海」から「対話と平和の海」へ~
■宗教・民族から見た同時代世界            荒木 重雄
  ~国際社会に祝われるスーダン南部の独立は
                        何を意味するのか~  
■農業は死の床か再生のときか             濱田 幸生
  農業への無知を晴らす中から、
             平成の不平等条約・TPPを迎撃しよう!
  ~日本農業はとっくに開かれている!~


■【横丁茶話】
 小沢一郎は悪党か?                    西村 徹


■【私の視点】
  河村減税の「庶民革命」に敗れた菅民主の増税路線仲井 富
  ~名古屋の結果をどう見るか~


■【北から南から】
 中国 深センから                    佐藤 美和子
  『新年好!2011』
 米国 マジソン便り                   石田 奈加子
  『マヂソンにはどんな人がすんでいますか。』


■【エッセー】
 バレンタインカードに寄せて               武田 尚子


■【玲子さんの映画批評】
 ソーシャルネットワーク                   川西 玲子


■俳句                             富田 昌宏


■川柳                              横 風 人


■【編集後記】

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■ 衰える日本の政党・政治状況          羽原 清雅
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 二〇一一年は、第二次世界大戦の終結から六六年。自民・社会両党による五五
年体制が生まれて五六年。自民長期政権に代わった非自民の細川護煕・羽田孜・
村山富市政権の崩壊から一五年。そして民主党政権が生まれてほぼ一年半、とい
うことになります。
  昨今の政治状況は衰退気味で、国民の失望感を高めています。これをさかのぼ
って総括し、そのうえで今後の問題を考えてみましょう。
  政治記者として現場を見てきた立場なので、イデオロギーや利害を離れ、各政
党に距離を置きつつ、極力客観的な視点から考えていきたいと思います。


■■【戦後六六年を総括すると】


  まず、戦後の混乱期の状況から触れていきます。


■■<<戦後の改革>>■■


  一九四五年八月、戦争が終わり、やっと天皇制下の軍部・官僚支配から抜け出
して、先進国並みの民主主義が国民にあてがわれます。日本の新しい出発として、
新憲法が生まれます。その具体的に進められた制度改革の主なものは次の五点
といえるでしょう。
 
  一.女性の解放 女性も参政権を得て、女性下位の扱いから、やっと男女同権
    になります。
  二.労組の結成 弾圧を受けてきた労働組合の結成がうながされ、労働基準法、
    労働組合法などの三法が生まれます。
  三.教育の改革 天皇の赤子(せきし)として忠誠を尽くすという教育から、
    個人の尊重、自由と民主の視点に立つ教育制度(教育基本法、学校教育法
    など三法)に変わります。
  四.思想の解放 政治犯の釈放、戦前の治安維持法や思想統制の特高(秘密警
    察)などの廃止、戦争を遂行するなどした公職者の追放といった身柄や精
    神の拘束システムがなくなりました。
  五.経済民主化 戦争推進産業であった財閥の解体、自作農育成の農地解放、
    経済の自由競争による活性化などの方向が示されました。


■■<<保革の激突>>■■


  理想としては、この五大改革が民主化の基礎になりましたが、戦争で失われた
産業基盤や人的生活的環境はひどいもので、衣食住はボロと飢餓、掘っ立て小
屋、さらに失職、赤貧の日常でした。人心は乱れ、各種の犯罪も多発していまし
た。  
  当然、日本の将来の方向も定まらず、混迷のなかを模索するばかりで、しかも
戦後の貧窮のもとで、資本家経営者たちと労働者農民たちの対立がなにかにつけ
て激化しました。
  そんななかで、保守側では、戦前の名残をとどめつつ日本自由、日本協同、日
本進歩などの政党が生まれ、また革新側では戦前の官憲による弾圧で解体状態だ
った日本社会党が新結成され、また日本共産党も活動を始めました。


■■<<冷戦組み込まれ>>■■


  戦争が終わるとすぐに、アメリカとソ連を軸とする二つの陣営による対立、い
わゆる資本主義・自由主義圏と社会主義・共産主義圏との東西冷戦が始まります。
これは、一九八九年のベルリンの壁崩壊に象徴される東欧諸国の崩壊によって、
一応終息するまで続きました。
 
  その対立のなかで、日本は当初の戦争を放棄して平和主義の国づくりに向かお
うという方向を変えて、西側の基軸であるアメリカのカサの中に組み込まれてい
きます。冷戦が熱戦に発展したのが一九五〇年の朝鮮戦争で、この戦争は日本に
特需をもたらし、戦後の復興に大きく寄与しました。

 さらに、翌五一年には、西側に大きく接近していった日本は独立できることに
なりました。サンフランシスコ講和条約です。この条約と同時に、アメリカ軍の
日本受け入れを認める日米安全保障条約も締結することになります。そして、こ
の条約の存在が今日の沖縄基地問題の論拠になり、紛糾のタネになっているわけ
です。また、戦争遂行の東条内閣の閣僚であった岸信介(安倍晋三元首相の祖父)
をはじめ、戦争責任を問われたA級戦犯容疑者らが数多く公職などに復帰、戦争
の責任や反省がうやむやにされる、といった禍根を残すことにもなりました。


■■<<五五年体制>>■■


  一九五五年、講和・安保問題で左右に分裂していた社会党が統一すると、これ
を追って保守合同による自由民主党が生まれます。いまの社会民主党と自民党で
す。この二大政党の対立時代は三八年間もの長きにわたりました。その間政権の
交代はありませんでしたが、この両党で政治が仕切られた時期を「五五年体制」
と言っています。
 
  この体制下で、自民党はスポンサーでもある財界の論理に走り、また官僚に政
策を全面的に依存するなどするうち、次第に汚職などの腐敗が進むようになり、
ロッキード、リクルートなど、多数の事件が表面化しました。一方の社会党は、
万年野党の経験不足や気楽さもあって、地に着いた政権構想や具体的な政策がで
きず、さらに資金、組織、人材といった本来政党として育てるべき基盤を労働組
合に依存、しかも党体質や政権構想などの論議を一元化できないままに、非日常
的なイデオロギーや派閥の対立を繰り返すなど、国民の支持を伸ばせませんでし
た。

 その間隙を縫って、民社党(一九六〇年)、公明党(一九六四年)、新自由ク
ラブ(一九七六年)、社会民主連合(一九七八年)などの中小の政党が台頭して
きました。この新党結成は、価値観が多様化するなかで、二大政党制では民意を
代表できない、ということでもありました。
  自社両党中心の時代(一九五五|八〇年)を五五年体制前期とすると、社会党
が弱まり、多党化していく過程については五五年体制後期といえるでしょう。


■■<<非自民政権>>■■


  一九八九年、米ソの東西冷戦が終わります。いつもこの対立を意識して動いて
いた内外の様相が変わっていきます。両大国の衝突の懸念はなくなりましたが、
宗教や民族的怨念などによる局地的な戦争、抗争が増えるなどしました。国内で
は、新たな対応策に十分な見通しが立てられないままに、外交は対米路線を踏襲、
国内ではリクルート事件の波紋が広がって首相や首相経験者などの政界、さら
に経済界、官界、報道界にまで波及、要人多数が関係していることが判明し、こ
のような腐敗政治に怒る国民の前に、宮澤喜一政権は身内の自民党内の反乱もあ
って倒閣されました。
 
  そこで登場したのが、非自民の社会党、公明党、細川の率いる日本新党、自民
離党の小沢一郎らの結成した新生党など八党派が推した細川内閣でした。三八年
ぶりに自民長期政治から離脱して、新しい政治をもたらすとの期待が膨らんでい
ました。ところが、最初に自民党との間で手掛けたのが衆院の小選挙区制導入な
どでした。

しかも政治資金の疑惑も出て九ヵ月弱(二六三日)で細川は退陣、つ
いで羽田首相も二ヵ月(六四日)で辞任。このあと登場した社会党の村山首相は、
自民党との連立によるものでした。村山は、今では修正されましたが、安保条約
の堅持を言うなど、政権維持のために社会党の年来の方針を変えざるを得ません
でした。この短期二代の非自民政権は三二七日、自民支持による村山社会党政権
は二年半足らずの五六一日で終わりました。


■■<<短命自民政権>> 


 一九九六年、自民党の橋本龍太郎が、社会党出身の村山から首相の座を取り戻
しますが、選挙に敗退して在任は一年半。ついで小渕恵三首相は急逝して二年弱。
密室談合で誕生したといわれた森喜朗首相は一年。ただ、このあとの小泉純一
郎首相の在任は独特の手法によって、五年半近く(一九八〇日)に及びました。そ
の功罪はあとで触れますが、久しぶりの長期政権でした。
 
  しかし、そのあとを継いで二〇〇六年九月に就任した安倍晋三(病気退陣、三
六六日)から三代にわたって、福田康夫(突然の辞任、三六五日)、麻生太郎(
選挙敗退、三五八日)のいずれも一年間ずつで交代しています。そのあとの二〇
〇九年九月に、民主党が政権を握り、鳩山由紀夫が首相になりますが、これも二
六六日で退任、現在の菅直人に代わりました。橋本以来の一四年間に九人の首相
が、小泉以来では五年余で五人の首相が出ては消えていきました。
  それでは、ここから小泉政治以来の政治状況を解析していきましょう。


■■【自民党凋落の背景】


 相次ぐ自民党政権の交代の背景はなんだったのでしょうか。また、一時的にピ
ークを築いた小泉政権の功罪はどう考えたらいいのでしょうか。 

 小泉時代を懐かしむ声がいまも残っています。それまでの橋本、小渕、森三代
の復活自民政権が、明らかな衰退傾向を示していたところに、「聖域なき構造改
革」「改革なくして成長なし」という意外な人材が登場しました。小泉のキャラ
クターと手法は、古い自民党の密室的政治をオープンな政治に切り換えたように
演出したり、上から目線の政治を対等目線に変えて見せたり、たしかに新鮮な印
象を与えました。

 大衆的なテレビになじむような小泉劇場型、政策などの説明や論拠の明示を避
け、ひとことで印象のみを残すワンフレーズ・ポリティックス型、人事では週刊
誌の話題になるような面白がられる人材の起用、複雑な課題には「人生いろいろ」
といった切り返し、それにブッシュ大統領夫妻の前でプレスリーもどきの戯れ事
を演じて恥じない神経・・・・そのパフォーマンスは、ミーハー的な若返りもあ
って、これまでにない人気を集めました。また、イエスかノーか、是か非か、正
か邪か、といった二者択一型の単純化した、つまりわかりやすい選択を迫る手法
で支持を集めました。
 
  長期に及んだ小泉政治は一見、自民党中興の役割を果たしたかに見えました。
しかし、こうした政治はともすれば衆愚的な状況を招きます。現に、小泉時代最
大のイベントとなった「郵政選挙」です。この二〇〇五年の衆院選で、自民党は
圧勝しましたが、問題は憲法、外交、財政再建、地方自治など多くの問題を抱え
ながら、それらはほとんど問題とせず、郵政改革のシングルイシューの選挙にし
ました。また、メディアは愚かにも、小泉チルドレンや「刺客」擁立に目を奪わ
れ、政策のあり方などに論議を向けませんでした。この選挙自体、郵政改革関連
法案が参院で否決されたというだけの理由で、しかも閣僚を罷免して衆院を解散
するという疑問を残すものでした。
  
  それでも、こうした強引なやり方によって多数を占めた自民党は久々に勢いづ
きました。
  「骨太の方針」として進めた経済財政改革は、民営化と規制緩和に取り組んで、
新自由主義的な発想による「小さな政府」路線を取りました。それが郵政民営
化、道路公団民営化、経済特区設定、市町村合併、社会保障制度見直しなどに向
かわせました。一面では、景気の拡大、国債発行の削減、消費者物価や完全失業
率の改善などのメリットも生み出しましたが、しかしその後、貧富や格差拡大や
非正規労働者の増大、金融不安などの大きなひずみとして国民生活にはね返って
来ました。そうしたことが、今日も大きな社会問題として響いていることはご承
知の通りです。
 
外交政策では、拉致問題に踏み込むピョンヤン宣言に決断を見せたものの、相
手のあることでもあって凍結状態にとどまりました。また、イラク戦争を支持す
るという、対米関係のみに気を使って協議不十分なままの方針を打ち出しまし
た。靖国参拝にも内外から厳しい非難が向けられました。
 
  このような小泉政治はいまも尾を引いていることが多く、民主党政権の改革を
はばむ壁の一因にもなっています。民主党の非力もありますが、長期政権のあと
の変革はそう簡単に進むものではないことを示しました。
 
  そこで、「カオ」のすげ替えとなります。それが、安倍、福田、麻生三代の一
年交代の政権です。交代の早い政権は一からのスタートになるので、どうしても
もたつきの時間を要し、加速するかと思う間に退陣です。時間のかかる課題や政
策は進まず、緊張感、継続性、安定性、政治的成熟は望めません。長期的には政
治への信頼、関心を失わせます。国外からも政権を見極めているうちの退陣です
から、信頼関係は生まれず、それが三代も続けば、相手国の陣容も変わって、落
ち着いた外交関係など生まれません。

 安倍の病気を理由とする退陣劇は、状況からすれば明らかに政権の重みに耐え
切れない責任放棄による引退でした。次の福田も突然の放棄で、国民をあ然とさ
せるものでした。「次」へのバトンタッチを早めに試みたことが失策でした。麻
生は自信満々、吉田茂首相の孫として政権の座についたものの、上から目線の政
治を嫌われ、また国語力不十分の能力にも国民の不信を買うことになりました。
こうした結果、二〇〇九年八月の衆院選での自民党敗退の事態になるのですが、
これは麻生一人の責任というよりも、自民党政権への決別を意味するものでした。

 小泉政治の不安定さ、続く三政権の心もとなさ・・・・これはとりもなおさ
ず、自民党保守政治の行き詰まりを示すものでした。小泉時代のひずみが国民生
活にのしかかり、その後に改善の措置はとられず、「首のすげ替え」による政権
交代のからくりとデメリットは国民に見抜かれました。
  その反動が民主党政権の台頭につながりました。しかし、・・・・これについ
ては次項で触れていきます。そのまえに、自民党の問題点を見ておきましょう。


■■【自民党の「負」を抱えた民主政権】■■


  第一は、自民党内の人材の枯渇です。
  安倍、福田、麻生と相次いで自民党が推戴した首相が、このように短期しか持
たなかったこと自体、人材の払底を物語っています。自民党は小選挙区制導入以
前には、たとえば三角大福中の時代(佐藤栄作後の、田中角栄、三木武夫、福田
赳夫、大平正芳、そして中曽根康弘の各政権)、どの首相候補も派閥やカネによ
る、えげつない多数派工作に走りはしたものの、一方ではそれぞれに政権目標を
練り、ブレーンを擁し、ともあれ日本の将来について準備を続ける姿勢がありま
した。各派閥には、その人物を擁立し、そのために役割分担で支えようとする態
勢がありました。
 
  そのような気迫は、いまの自民党には見受けられません。小選挙区制の導入
で、確かに党の発言力が増して、派閥の力は衰えています。しかし、問題なのは
この小選挙区制度です。この点はあとで触れるとして、かつての中選挙区制度に
も問題はありましたが、一区から三|五人の当選者が出ると、その中には強い個
性や統率力があったり、党の方針に反してでも自らの主張を展開したりする人物
が国会の場に臨むことができました。一人のみの当選という現行制度では、自分
の考えを強く訴えると、過半数の票が取りにくく、円満で、抽象的で無難な物言
いの人物ばかりが出てしまいます。
 
  良い政治家、という概念は説明しにくいのですが、少なくとも政党にあって
も、幹部や多数にただ従順に従うのではなく、不利不遇はあっても、基本的に自
らの信条に基づいて発言、行動することが求められます。そのような風潮が失わ
れたところに、民主党も含めて、人材の払底と衰退の状況が広がっています。

 第二は、国際状況や国内の社会の様相は大きく変わっていますが、いまだに五
五年体制的な、東西冷戦的な枠組み思考から離れられないことです。
 
  中国の軍事力増強を懸念するのは理解するとして、即 敵対的な物言いが出た
り、反発しようとしたりします。むしろ、その懸念あり、とするならば、なぜ官
民それぞれの力量において外交関係や交流を強化して、日本の懸念を伝えつつ、
牽制したり、中国の真意をつかんだりの努力をしないのでしょうか。日本も、中
国も、地理的に引っ越せない以上、政治姿勢としてもっと率直な自己主張と相互
理解の努力が必要です。

尖閣諸島問題にしても、日本の固有の領土であることを国際的に認知される努
力を重ねるとともに、中国をしてこれ以上実効支配に移らせないようにするため
には、長期的な相互信頼の外交努力以外に手はないと思われます。中国には、人
権問題、貧富の格差問題など多くの課題があり、国際的な民主国家となるとすれ
ばそれまでに時間を要するし、日本としても共有できる価値観に至るまでの努力
が必要です。
 
  対米関係についても、同じことが言えます。普天間問題にしても、戦後のアメ
リカ追随型の発想では打開できません。沖縄の基地集中の状態が固定化している
のは、アメリカが日本の平和と安全を守ってくれるという前提に始まっています
が、だからといってアメリカの求めるすべてを受け入れればいいのではなく、沖
縄という狭い地域に基地を集中するというムリな実態を、アメリカ側にもっと強
く主張すべきなのです。

普天間移転問題は、その代替地確保が沖縄と本土双方とも心理的、物理的にむ
りである以上、あとはアメリカ政府に対して、日本の実態をもとに「削減」ない
し「国外」を強く主張するしかありません。論議もせずに日米合意を打ち出すと
ころに、根源的な誤りがあります。   

 安保条約を自動延長化することで両国間の摩擦を避けてすでに五〇年。アメリ
カにもの申せぬ形がすっかり定着してしまい、はなはだしい不平等条約である日
米地位協定の改定もまったく要求できないでいます。

もともと「日米同盟」という発想自体、いわばまやかしで、アメリカは弱りつ
つあるとはいえ、国際政治、経済全般、軍事態勢、そして資源などの国力におい
て世界全体にとっての存在であり、これに対して日本は経済こそグローバルな力
を持つとしても、国力、軍事力、政治的影響力などの各面ではアジア型規模の国
家であって、決して「対等な同盟」などありえません。現に、アメリカの核のカ
サの中にあることを前提に、日本の安全保障が想定されています。また「小」な
りとはいえ、日本も主権国家であり、自己主張が必要です。

 冷戦構造の枠組みにとどまって発想を変えず、日米同盟の深化、共同防衛の強
化ばかりをうたい、アメリカに「距離」を置けずに追随するのみでは、基地問題
など日本の立場、日本の主権のもとに打開、前進するわけもありません。まさに
これが、冷戦思考から抜け出せない今日の日本外交の実像です。

 第三は、野党になった自民党に「政権復帰」の気構えが極めて薄いことです。
  長期低落傾向にあった自民党は、かねて政権保持の延命策として小選挙区制度
の導入を願っていました。でも、五五年体制最後の宮澤自民党政権までには成し
遂げられませんでした。皮肉なことに、リクルート事件など相次ぐ政治腐敗が続
発、国民の強い批判のなかで、政治とカネなどの問題を改革する必要に迫られ、
この際とばかりに小選挙区制度の導入もひっくるめて動き出したのです。それも
具体化したのは、非自民の細川政権になってからでした。

小選挙区制度の生成自体に問題があるわけですが、ここでは触れません。
 
自民党延命の策であったこの選挙制度は、二大政党を作り出すことによって政
権交代を可能にする、というのがうたい文句でした。たしかに、その可能性はあ
ります。だから、「麻生後」に民主党が政権の座につきました。自民党の再起
は、小選挙区制度下の小泉政権で果たせたかに思われましたが、むしろ自民党政
権の行き詰まりを見せて、退化したことは前段で述べたとおりです。

 二大政党の政権交代を言うなら、野党に下った自民党のあるべき姿は、国民が
自民党を見限った理由、長期政権下でマンネリ化した問題点、政治運営システム
の可否などを十分に見直し、反省を示したうえで、その教訓に学びつつ、具体的
な改革案、新しいビジョン、将来展望など、民主党政治に勝る具体策を示して、
政権復帰を目指すべきなのです。そうすれば、自民党にはともあれ政治経験があ
り、人材も擁しているので、国民の支持も取り戻せるはずです。

しかし、谷垣総裁はじめ幹部たちの言動を見ている限り、長期政権の反省、将
来の政権像などを示すことはなく、その発言は民主党のアラ捜し的批判や中傷ば
かりになっています。五五年体制下での社会党的体質を踏襲しているかの印象を
受けます。

 「ねじれ国会」での自民党の対応をみても、駄々をこねる子どものように、説
得力を欠き、国民世論への配慮なく、応じうるかどうかの与野党協議さえ不十分
に映っています。
  この点は、支持率がどんどん落ち込む民主党政権に対して、伸びるはずの自民
党の支持率までが低迷している点に実証されています。
  考えてみれば、二大政党制に幻惑された国民はまことに不幸だ、ということに
なります。


■■【民主党、おまえもか】■■


  折角の政権を確保できた民主党ですが、一年半たってその期待は凋落するばか
りです。
  第一には、自民政治への失望が野党民主党への過大な期待になったこと。確か
に、脱マンネリ、政策の変容、テアカのつかない新人事、などは魅力を感じさせ
ました。その期待のリアクションとしての失望感はかえって大きく跳ね返ってき
ました。

 第二に、政権担当の構想や準備が不十分だったことが、時間が経つにつれて、
はっきり見えてきたこと。あいまいマニフェストは、財源のあてのないバラ色の
ばらまき策を示した結果、実質的な変更を迫られています。事業仕分けや諸改革
による制度的ムダに切込む力の弱さ。財源見通しの悪さ。鳩山首相自身が漏らし
た「沖縄問題の不勉強」ぶり。菅首相自身の「消費税増税」の唐突発言。有能な
官僚群の排除の誤りと統率力のなさ。寄り合い所帯による党内の温度差。党を一
元化するための論議の不足。いろいろ挙げられるでしょう。

 第三に、自民党体質への類似というか、回帰していることも問題です。まず小
沢問題の根源は自民党的なカネの扱いを民主党に持ち込んだことにあります。政
倫審に出るか出ないかの対応などは、かつての自民党内での派閥の駆け引きを見
ているようです。鳩山前首相の親がからむカネの問題も自民党所属のころからの
ことで、彼ら幹部のあいだで新党の基盤つくりとなる政治資金の考え方が欠落し
ていたことを物語っています。また、普天間問題などに見られるように、次第に
かつての自民党の流れに回帰しているように思われます。
 
これは、確固とした姿勢で政権を担う準備していなければ、それまでの現実路
線を踏襲したほうがやりやすく、いきおい古きに戻りがちであることを示してい
ます。それは結局、不幸は国民に、ということになってきます。

 第四に、新政権として変革を目指す以上、既得権益や馴れてきた既成のシステ
ムを変えるには、そのメリット、デメリットを説明する必要があります。どちら
が望ましいか、どの点を我慢しなければいけないか、といった理解を得るには、
議論をオープンにしつつ繰り返すことで、納得してもらわなければなりません。
現状では、そうした説明が不十分です。短視的で表面的なメディア自体のあり方
に問題もありますが、本来は政党としての責任が問われます。
 
民主党が新たな政策を推進するには、まず自民党政権下の制度や政策、手順や
運用など、いろいろな壁を越える必要があります。はじめての政権担当ですか
ら、多少の混乱や時間の経過はやむを得ないでしょう。ただ、こうした点に十分
な目配りがないと、結局は自民政治の延長に過ぎなくなり、「民主党、おまえも
か」ということになってきます。
  こうした問題点は、各党の分析のなかで触れられるでしょうから、詳述は避け
ます。


■■【政党のあり方と今後の課題】■■


  以上、自民党と民主党の問題点をおおまかに見てきました。それでは、ほかの
政党はどうでしょうか。

 まず、公明党。自民党と民主党の狭間で、その去就が注目されていますが、や
はりかつての連立仲間の自民党寄りのスタンスをとっているようです。しかし、
期待されるとすれば、キャスティングボートを駆使して、民主党政権に対して是
々非々で臨み、政策の修正を求めつつ、自党の主張を具体化させていくことでし
ょう。

公明党は、地方議会の主力である自民党に接近し、与党化することによっ
て、行政当局とも関係を強めてきた経緯から、国政レベルでも政権党に歩調を合
わせつつ伸びてきました。したがって、簡単には自民党との関わりを切り捨てら
れないでしょうが、政党の原点に立ち返れば、どのような施策を国民に還元する
か、が問われます。民主党の不安定が続く限り接近できないでしょうが、いつま
でも自民党の「下駄の雪」では、党としての伸張は図れないというジレンマもあ
ります。

 共産党。政党助成金を蹴り、日常活動もねばり、地方議会で地道に活動するな
ど、個性ある行動をとっている点で評価はされているのでしょうが、いっこうに
伸びません。共産党アレルギーは、若い層には薄いはずながら、共感が得票に現
れません。他党との協調がなく、党の政策に実現性が低く、「どうせ」「マンネ
リ」ということになってしまうのか、むずかしいところです。
 
機関紙「赤旗」には、かつてのような社会改革的な特ダネや内部告発が乏し
く、党内向け新聞の色合いが濃くなっています。政党資金確保の手段としての機
関紙にしては、裾野を広げるという点で工夫が足りないように思われます。

 そして、社民党。沖縄問題をめぐる党首の閣僚罷免という事態があって注目さ
れましたが、これは好転にもマイナスにも向けられず、支持か不支持か、判断に
迷う状態です。沖縄問題の矛先がいつも政府にのみ向けられ、アメリカにもの申
そうという主張が出てこないなど、視野の狭さが抜けません。

 この党は、こうした当面する課題への取り組みにも問題がありますが、それ以
上に社民党のたそがれをいかに克服するか、という基本的な取り組みを問われて
います。かつての社会党時代の遺産を食いつないでいる現状を打開して、将来的
な発展にどのようにつなげるか、という問題です。

 たとえば、今春の統一地方選挙に向けて党員の高齢化に悩んでいるように、若
返りへの取り組みの問題があります。社会党時代のひところ、社会新報を拡張す
ることによって、党の資金的基盤を労組依存から一般の有権者に裾野を広げるよ
う態勢を切り換え、機関紙収入によって地方活動家の生活基盤を築いて、その数
を確保しながら人材育成につなげ、国民へのアピールを強めようと試みたことが
ありました。

これはきわめて重要で新たな方向だったのですが、急成長した社会主義協会勢
力の背伸びが先輩党員、議員たちの反発を買い、その後の成長の芽も摘み取って
しまいました。この教訓は大切で、地方の若い人たちが地道な活動を続けること
によって、その経験と時間のなかで足場から党を築き直すカギを示しています。
短期に追われ、長期を構えない社会党時代からの社民党。この脱皮がかかってい
るわけで、日常の活動とともに、歴史の反省に学ぶことも必要でしょう。

 そのほか、自民党のあがきの中から離脱して行った小党。彼らの狙いは、小さ
いながらも、当然政治的主張の実現に近づくことです。しかし、今の力量ではみ
ずから状況を動かすことはできません。基本的には保守勢力の再編成が念頭にあ
り、その時期を待つ、というのが本音です。


■■【政治のハード、ソフト両面の改革を】■■


 政局はこれから、大きく揺れようとしています。
  通常国会での予算審議と予算関連法案をめぐる野党自民党との攻防はどうなる
のか。その結果の菅政権の責任はどう問われるのか。春の統一地方選挙での民主
党退潮は必至とされ、その責任をめぐる党内の紛糾はどう展開するのか。新スタ
ートした内閣・党人事の成否はどうか。ひいては菅政権倒壊を招くとすれば、こ
れを機に政党再編の動きは進むのか・・・・こうした動向が注目されています。

それに先立つ小沢問題の行方と国民の反応も、民主党政権のイメージダウンを
誘うもので、党内の亀裂ばかりでなく、国民との亀裂にもなります。自民党に
とっては、敵失のチャンス、保守再編成が動き出す好機の到来、といったところ
です。

 ただ、見落としてはならないのは、そうした事態は日本政治の衰えから来てい
るもので、政治本来の改革を目指すようなレベルのものではないということで
す。そして、このような政治状況の衰えの原因はどこから生じているのか、を考
えておきたいものです。

 つまり、そのひとつは、政治家を生み出すシステムの問題、小選挙区制度にあ
ります。いわば、政治のハードの部分、です。この改廃抜きに政治の進展は望め
ません。価値観が多様化しているにもかかわらず、二つの大政党だけに有利に票
が集中して、民意を示す数値をはるかに超えた多数の議席が配分される矛盾をす
でに五回の衆院選で許してきています。それは、政治の劣化と同じテンポで進ん
できました。   

 そして、一区一人という選挙では、中選挙区制のように、個性の強い人材が出
てくることがむずかしいことは前述しましたが、テレビ映りのいいイケメンや弁
舌で当選するだけでは、実力者の言いなりになるようなチルドレンが出るばかり
です。

 小沢問題を見るとき、小沢の師であった田中角栄と同じように「政治は力、そ
の根源は数と金」という姿勢が読み取れます。小沢邸の新年は、チルドレンを集
め、数を誇示して菅政権を威嚇することで幕を開けました。一、二年生議員が馳
せ参じ、また党大会でも競って政権批判をしました。

 菅首相への批判は置くとして、チルドレンたちは小沢のカネの問題が解明され
ないことへの国民の不満や批判をどう考えているのでしょうか。民主党の伸びた
理由のひとつは、明らかに政治とカネの問題を明確にし、清潔といえる方向に一
歩でも進めることにありました。それが、自分らのつくった政権を自らけなし、
対立するはずの自民党などを喜ばせている構図は、いかにも不可解です。

 この程度の議員が「風」を受けて国会に登場してくるのが、いまの選挙制度で
す。テレビの国会審議などを見ていて感じるのは、自民党もまた、幹部たちの発
言ですら、かつて政権を担当したことがないかのように品位を欠く攻撃や言動に
終始し、説得力の乏しい理由をもって国会審議を妨げ、与野党協議を遠ざける姿
勢に堕しているように見受けられます。この実態も、議員としての資質を欠きな
がら当選してきている現実を示すもの、といえましょう。

 さらに、「死に票」が圧倒的に多いという民主主義の根幹の問題も生じていま
す。一区一人ですから、当選者以外の票は国政に反映しないことになります。候
補者の多い選挙区によっては過半数の票が黙殺されています。これも、選挙制度
の過誤と言わざるを得ません。

 もう一点は、すでに参院選挙で違憲状態という判決が出ているとおり、「一票
の格差」是正の問題です。鳥取県の有権者には五票分の発言力がありますが、東
京、大阪など大都市部の有権者は一票だけ、ということになります。都市部有権
者の政治的意思はないがしろにされているわけです。本来、有権者はすべて対等
平等というのが憲法上の理念です。
  このような制度的なハードの部分の矛盾を改廃して、さらにソフトの部分であ
る政党の運営や活動、政策などについて、ぜひ目を向けて行きたいものです。

             (帝京平成大学教授・元朝日新聞政治部長)  

                                                    目次へ  

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■ 最近の沖縄情勢を元県知事大田昌秀氏に聞く        編集部
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 オルタ編集部は1月25日に、那覇市の大田平和総合研究所で元沖縄県知事大田
昌秀氏に、2時間にわたって最近の沖縄現地情勢についてお聞きした。
  編集部からは加藤宣幸・船橋成幸・竹中一雄・荒木重雄・初岡昌一郎が参加し
た。
 
◇編集部
  沖縄県民は先の名護市長選挙・県知事選挙・県議会決議などで基地の県内移設
  反対の意思を明確に表明したと思いますが、菅政権は日米合意に理解を求める
と称して閣僚をつぎつぎに訪沖させ説得しようとしています。基地の県内移設は
果たしてできるものなのでしょうか。ご意見を伺いたいと思います。

■■大田■■
  非常に難しいと思います。移設先に予定されている辺野古では、92歳のおばあ
さんや88歳のおじいさんたちを中心に15年近くも座り込んで抗議をしている人た
ちがいますからね。絶対に基地の新設は認めないと言って。抗議や抵抗のための
座り込みなんていうのは、普通は長くても2か月程度で終わるものですが、辺野
古の場合は、5か年から10年以上も続いていますので、並大抵の決意ではないか
らです。

 以前に基地建設を前提に環境調査をするため工事を受注した業者が海中にやぐ
らを組み立てたところ、反対派の自然保護団体の女性たちが海底に潜って支柱を
引き抜くなどして作業を中止に追い込んだほどですからね。
 
これに手を焼いた防衛省は、海上自衛隊の艦船を送り込んだものです。それで
もまだ一部を除いて工事は着手できないままですからね。座り込んでいる人たち
の中には80代の高齢者たちが少なからずいます。海風が吹き荒ぶ海岸での座り込
みは、体にも悪いにもかかわらず、生活を犠牲にして阻止行動をとっているので
すよ。それというのも沖縄戦の体験があるからですよ。子や孫たちに同じ苦しみ
を絶対に味わわせてはならないと。

 その上、本土ではほとんど議論にもなっていませんが、辺野古近郊の住民が基
地の新設に反対しているのは、それなりの理由があるからですよ。
 
第一に辺野古海域は、付近住民にとって一番大事な生活の源泉だからです。戦
時中から戦後の米占領下にかけて食糧難で飢餓寸前の時、イノーと称される内海
から魚を取ってやっと命をつないだだけでなく、戦後はそこで取った魚を売って
子供たちを学校へ通わせることができたからです。そんな大事な所に基地を作ら
れたらいざという時に生活を保証することができなくなります。
 
また環境問題も無視することはできません。沖縄県は、3か年程かけて沖縄全
域の環境調査をして、3つのカテゴリーに分けてそれぞれの地域を指定していま
す。すなわち「全面的に開発を認める地域」と「一部しか開発を認めない地域」
と「一切の開発を認めず現状のまま保全すべき地域」の3種です。大浦湾一帯は、
「一切の開発を認めず現状のまま保全すべき地域」の1位にランク付けされて
いるところです。そこに基地を作れば、県は自ら決めた環境保護条例や環境保全
指針に違反することになります。
 
さらにまた大浦湾一帯には経済問題も絡んでいます。本土では、実情をよく知
らないまま、沖縄の経済は基地がなければ破綻する、などと勝手に決め込んでい
る人たちが少なくありません。しかし、それは事実に反します。たしかに196
0年代の初め頃までは、基地から入る収入は、県民総所得の過半数の52%ほどを
占めていました。当時は地元から5万人余の人たちを雇用していました。

そのため米高等弁務官や一部の地元経済界首脳は、基地の存在それ自体が沖縄
にとっては一大産業だとして「基地産業論」を公然と唱えていました。ところ
が、1972年の沖縄の日本復帰時点になると、基地収入は県民総所得の15%に
激減したほか、基地従業員の数も2万人足らずとなりました。それが現在では基
地収入は県民総所得の4・6%で、多いときでも5・4%程度です。基地従業員
の数も9004人に減っています。

 では何で経済を支えているかといえば、観光産業です。それもエコ・ツーリズ
ムが中心となっていて、大浦湾一帯は殊の外自然がきれいなだけでなく、ジュゴ
ンなど絶滅危惧種の生物なども生息していて、エコ・ツーリズムのメッカとなっ
ています。そこに基地を作られたら経済的にも大きな打撃を受けかねません。こ
のようないくつもの理由があって已むにやまれぬ気持ちで沖縄の人たちは、阻止
行動に立ち上っているのです。
 
ところが、本土ではそうした実情について知りもしないまま、ただ政府が決め
たとおり辺野古に移設さえすれば、万事上手くゆくといった話で終わってしま
う。つまり辺野古に新設される基地の中味についての議論がまるでなされていな
いのです。

 日米両政府の当初の発表では、辺野古に建設予定の基地は、建設期間は、5年
から7年位、建設費用は、約5000億円と発表していました。しかし、米議会
の会計検査院は、建設期間は少なくとも10年はかかる。その上、最新式のMV22
オスプレーを二十数機配備するので、それが安全に運用できるための演習が必要
なので実際に使用できるまでには少なくとも十数年はかかると公表しているので
す。

しかも日米両国の軍事専門家たちは、基地の大きさは関西新空港並みになる
し、建設費用も1兆円から1兆5000億円もかかると推測しています。あまつ
さえ、現在は、2週間に1度ヘリコプターを洗浄しているけれど、海上に基地を
作ったら演習する度毎に洗浄しなければならない。ヘリコプター1機を洗浄する
のに約4トン程の真水が必要だが、沖縄は年中水不足で困っているのにヘリ洗浄
に要する数百トンの真水をどこから持ってこれるか、と疑問を呈しているしまつ
です。
 
在沖米海兵隊の元砲兵隊中隊長のロバート・ハミルトン氏は、辺野古基地は、
日米安全保障問題とは何の関係もなく日本国内の経済・政治問題でしかない、と
言明しています。その上、普天間基地のトーマス・キング副司令官は、辺野古に
作る基地は、普天間基地の代替施設ではなく20%基地機能を強化した基地にす
る、そのため現在の年間の維持費約280万ドルが新基地では約2億ドルにはね
上がるが、それを日本側に負担してもらうと述べているありさまです。

 それどころか、国防総省の報告書によれば新設の基地は運用年数40年、耐用年
数200年になる基地にする、というのです。これでは、文字通り在沖米軍基地
の固定化、恒久化であり、県民にとっては、未来永劫、基地との共生を強いられ
ることになり、たまったものではありません。
 
ところで、日米両政府は、普天間基地は、街のど真中にあって危険だから、よ
り人口の少ない辺野古に移すと危険が防げると折にふれて強調しています。これ
に対し地元の主婦たちは、人間の命は平等ではないのか。都会の人命は大事で地
方の人たちの人命は軽く見ているのか、基地が都会で危険なら地方でも同様に危
険だ。なぜなら基地のあるところでは事件・事故は防ぎようがないから、と主張
しているのです。たしかにそのとおりで、それには言葉の返しようがないのです。
 
事実、1972年に沖縄が日本に復帰してからでも、すでに基地から派生する
事件事故は6000件近くも起きています。政府は口を開けば、日米安保条約は
「国民の生命・財産を守るため国益に適う」とか「アジア・太平洋地域の平和と
安全を維持するために不可欠だ」などと言う。ところが国益な筈の日米安保条約
に基づく基地負担は本土のどこも分かち持とうとはしない。こうして、米軍基地
は沖縄の人々の反対意思を無視して一方的に沖縄に押し付けられているのです。
これでは日米安保条約は、沖縄を手段にし、犠牲にして成り立っているようなも
のです。
 
その結果、沖縄の人々は、生命財産を守ってもらうどころか、夜となく昼とな
く人間の受忍の限度を超える爆音に晒され、日常的に生命の危険に脅えて暮らす
外はないのです。その上、財産権の侵害にも泣き寝入りを余儀なくされているの
が実情です。 こうした実情を、見れども見えずと対岸の火事視しているのが本
土の政治家であり、大手のマスコミではないでしょうか。

◇編集部
  知事の権限といえば、大田さんは知事時代に毎年アメリカに出かけられ、国防
総省(ペンタゴン)・国務省・議会・シンクタンクなど米国側要人に直接沖縄基
地の実情を説明され、返還要求を随分強く働きかけられてきたと聞いております
が。

■■大田■■
  おっしゃるとおり、私が県にいたときは、毎年アメリカへ通い続けて基地問題
の解決について要請しました。おそらく他の都道府県の知事と私たちとの基本的
な違いは、私たちが十代の人生で最も多感な時に自ら銃を執って戦場に出た実体
験を持っていることだと思います。そして私は、自分の目の前で多くの恩師や学
友たちが非業の死を遂げるのを見てきました。私のクラスメートは125人いま
したが生き残れたのは40人そこそこでしかありません。

その事実が戦後、軍事基地に対する私の言動をずっと律してきたように思いま
す。本土のマスコミは、1995年9月に起きた少女暴行事件以降、私が基地に
反対するようになったと報じましたが、それは事実ではありません。同年2月に
ジョセフ・ナイ米国防次官補が「東アジア戦略報告」を発表、今後30年から50年
以上にわたって東アジアに米軍10万人体制を維持する旨、公言しました。そのた
め、私は、在沖米軍基地がいつまでも固定化される恐れがあるとして、それ以
後、沖縄には一切基地を受け入れるべきではない、と決意したのでした。

そしてすぐに「基地返還アクション・プログラム」を策定して翌96年1月に
公表しました。すなわち2001年までに一番返し易い所から10の基地を返して
ほしい。ついで2010年までに14の基地、さらに2015年までには嘉手納飛
行場を含め残りの17の基地を全部返してほしい、というものでした。それができ
たら2015年には、沖縄は「基地のない平和な社会」を取り戻せると考えたの
です。
 
では何故、2015年をすべての基地返還のターゲットにしたか、と言います
と当時、アメリカでは『2015年の世界情勢』(2015 : The Global Trend)
といった2015年を一区切りの目標に設定した未来予測の本が何種類かでてい
たのでそれに準じたわけです。ちなみにそれらの著作によると、各種の資料を分
析した結果、2015年までには朝鮮半島や台湾海峡の問題もほぼ落ち着いてい
るだろうから在沖米軍も必要なくなると予測されていたからです。
 
こうして私たちは、この県が策定した「基地返還行動計画」を日米両政府の正
式の政策にして欲しいと強く要請しました。すると、96年4月の日米両政府首
脳の会談を前にして当時の橋本龍太郎総理から私のところへ最優先に返してほし
い所はどこか、と問い合わせがありました。そこで私はすぐに「普天間です」と
応じました。普天間は周りに幼稚園から大学に至るまで16の学校がある他、病院
や公共施設などがあって自他共に「世界一危険な飛行場」と称していました。当
の普天間基地の海兵隊員たちでさえ、何時事件・事故が起きてもおかしくないと
の観点から「時限爆弾」と呼んでいたほどだったからです。

 事実、宜野湾市役所によると、普天間基地所属のヘリ部隊は、過去30年間に15
件の墜落事故を起こし、米兵の死者・行方不明者43人、負傷者14人を出していま
す。また2004年8月13日には、同基地所属のCH53D大型ヘリが隣接する沖
縄国際大学(学生数5700人)の本館ビルに墜落、炎上して3人のパイロット
が重軽傷を負っただけで、奇跡的に民間人の犠牲は免れました。その前年11月に
空から同基地を視察したドナルド・H・ラムズフェルド米国防長官は、「事故が
起こらない方が不思議だ。3~4年以内に閉鎖しなさい」と部下に指示した、と
報じられたほどです。
 
ところで、96年4月、橋本総理は、ウォルター・F・モンデール米駐日大使
と普天間飛行場の返還について合意した旨、私の方へじかに電話をして来られま
した。その結果、沖縄県が2001年までに10の基地を返してほしいと要望した
のに対し、普天間を加えて11の基地を返すことに日米双方が合意しました。その
ため私たちは大いに喜んだのですが、随分後になって11の基地を返すけれども、
その中の10までが県内に移設されると分かり、県としてはそれは到底容認できな
いと拒否するに至ったのです。

普天間飛行場についても当初は、移設の話はなく、後に移設計画が表面化した
時点でも辺野古と特定されずに沖縄本島の東海岸と抽象的な発表がなされただけ
でした。これが、そもそも「普天間問題」の始まりとなったのです。

 そこで私は、任期中、毎年アメリカへ通いウィリアム・J・ペリー国防長官や
リチャード・L・アーミテージ元国防次官補らの他、国務省の高官や海兵隊のカ
ール・E・マンディ総司令官らとお会いして沖縄の実情を説明し、基地の返還を
要請し続けたのです。

それに対しアメリカでは、マイケル・J・マンスフィールド元駐日大使やJ・
ウィリアム・フルブライト上院議員、マイケル・H・アマコスト元駐日大使らの
他、ハワイ選出のダニエル・イノウエ上院議員、パッツィー・ミンク下院議員、
同じくニール・アバクロンビー下院議員らに加えて太平洋区域司令部のスミス副
司令官(海軍提督)及び国防情報センターのジーン・ラロック所長(元海軍少
将)や基地閉鎖統合委員会のジェームズ・クーター委員長らがとても厚意的に面
会に応じ何かと力を貸してくれました。
 
さらにまた日本政策研究所を主宰したチャルマーズ・ジョンソン教授(最近死
去された)やオーストラリア国立大学のガバン・マコーマック名誉教授、イギリ
スのシェフィールド大学アジア研究所のグレン・フック所長らに加えてニューア
メリカ・ファウンデーションのスティーブ・クレマンソ副所長、ケイトー研究所
のダグ・バンドー上級研究員ら、著名なシンクタンクの軍事専門家たちが、沖縄
問題に深い理解を示し、多くの論文を発表するなどして大いに私たちを支援して
くれました。

 それに反し日本政府の高級官僚らは外交は国の専権事項だなどと言って冷淡そ
のもの、歴代駐米大使も当方の要望を米側に伝えるのでなく米政府側の意向を当
事者の沖縄側に受け入れさせるのに汲々たる情けない有様でした。そんな事情も
あって私たちは、たんに基地返還を要望するだけでなく、県としても基地の実情
に即して独自に解決策を模索することになりました。何回目かの渡米の時、ペン
タゴンに寄っての帰途、私を案内していた若い国防総省の職員が、さりげなくグ
アムへ寄ってみたら、とヒントを与えてくれました。
 
米連邦議会には、グアム選出のロバート・A・アンダーウッド氏という下院議
員がいました。彼にはいまだ議決権は与えられていなかったけれどもその他の面
では他の議員と何ら変わることなく活動できる立場にありました。私は早速彼の
事務所を訪ねていろいろとグアムの実情について話を聞きました。

そのさい彼は、一度グアムに立ち寄ってみたらと誘ってくれましたので、私は
訪米の帰りにグアムに立ち寄り、ジョセフ・F・アダ知事やそのスタッフらと会
うことができました。幸いにグアムには沖縄県人が少なからずいて県人会も組織
されていて大いに激励されました。グアムにはアンダセンという飛行場があり、
私は自らそこを視察したりしました。

そこは、嘉手納の4倍、普天間の13倍もある巨大なもので、もともとB52の基
地だったのが、B52が残らず米本土に引き揚げてガラ空きの状態でした。それと
は別にグアムにはアプラ湾という海軍基地もありましたが、米軍の世界的な再編
によって閉鎖されたためグアムの経済は非常な苦境に陥っているとのことでした。

 私たちは、在沖米軍基地の削減・撤去については、基地から派生するもろもろ
の痛みを他所に移したくはない、との思いから本土他府県に基地を移せとは、当
初は一切主張しませんでした。基地問題の本質的解決は、米軍が米本国に引き揚
げてもらうことだと考えていたからです。沖縄には、「他人に痛みつけられても
眠ることはできるが、他人を痛みつけては眠ることはできない」という言い伝え
があります。

そのような歴史的背景もあって、私は、(グアムの住民が反対さえしなけれ
ば)との条件をつけて、在沖米海兵隊の一部、とりわけ普天間基地の海兵隊を米
自治領のグアムに引き取ってもらえないか、とグアム政府首脳に打診してみまし
た。すると彼らは経済的苦境を克服するため「歓迎したい」と言ってくれまし
た。そこで私は、アンダーウッド下院議員を沖縄にお招きして普天間基地をはじ
め基地の実情を見てもらいました。

 すると、グアム政府首脳は、話し合った結果、インフラの整備の問題があるの
で、最初は3500人だけを引き受けたいと数字をあげて言ってきました。当時
普天間には全部で2500人位しか兵員はいなかったので、私は普天間の海兵隊
員は全員引き取って貰えると胸をなで下ろしたのでした。
 
ところがその後、この問題は意外な展開となりました。アンダーウッド議員か
ら、3500人の在沖米海兵隊をグアムに受け入れると決めたことにたいし他所
から文句が出て(本人はどこからとは明言しなかった)困っているので、当分数
字の話はそっとしておこうとの提案がありました。そこで私はいかなる意味でも
相手を困らせる積りはなかったので、即座に応諾しました。その結果、普天間問
題は宙に浮く形となっていました。

グアムも戦時中、沖縄と同じように住民が旧日本軍によって大変悲惨な憂き目
に会ったことを知っていたので私は、その後、あえて催促することはしませんで
した。グアムでは先住民のチャモロ族とグアム政府との関係が必ずしも良好とは
いえなかったので、チャモロ族が基地問題についてどう考えているかが気がかり
でした。はからずもグアム政府からの帰途、約100人ほどの先住民らしき人た
ちが赤鉢巻をして丸く輪になって座り込んでいるのに出会いました。

私はそのリーダーに会って座り込んでいる理由を聞いてみました。すると彼
は、グアム政府が彼らの土地を取り上げてその代金を払っていないので抗議の座
り込みだと語ってくれました。そこで私は、グアム政府が沖縄の米軍基地をグア
ムに受け入れたいと言っているけど、どう思うかと訊いてみました。すると彼
は、金さえ払ってくれたら別に異議はない、と言うのでホッとしたものです。
 
ところで宙ぶらりんの形になっていた在沖米海兵隊のグアム移転問題は、ほぼ
11年ぶりに息を吹き返す格好となりました。すなわち2006年5月に日米間で
「再編実施に関するロードマップ(道程表)」が合意され、それに基づいて在沖
米海兵隊の中から8000人の兵員(米側の記録には8600人とある)とその
家族9000人を2014年までにグアムに移すことが決定されたのです。

それどころか、その2か月後にハワイに司令部を置く米太平洋軍が海軍省と話
し合い、独自に「グアム統合軍事開発計画」を発表、グアムに沖縄基地に匹敵す
る一大軍事拠点を構築する旨、明らかにしました。しかも同計画に基づき、早く
も同年12月にはグアムと北マリアナ連邦のテニアン島の8000頁余に及ぶ膨大
な環境影響評価報告書を公表してグアム住民の意見を徴すべく公告縦覧に付す手
際の良さでした。

ちなみに同報告書を見ると、在沖米海兵隊のほとんどがグアムへ移ることが示
唆されていることが判明しました。そのことは、元桜美林大学教授の吉田健正氏
が『沖縄の海兵隊はグアムへ行く』という著作で詳述しているとおりです。した
がって辺野古に基地を新設する必要は全くない、というのが私などの率直な考え
です。

 では、肝心のグアムの現状は、どうなっているのでしょうか。むろんグアムに
も沖縄同様に基地に反対する人たちも少なくありません。基地の拡大によって人
口が急増するにもかかわらず水道や電気、道路、病院、学校などのインフラの整
備がそれに追い付かない、といったことが問題視され、議論の的になっているか
らです。
 
また文化遺産として先住民が大事にしている歴史上最初の集落跡に米軍が実弾
射撃演習場を2つも作ろうとする計画などもあって反発を買っています。こうし
た事情もあって、本土の『朝日新聞』や『毎日新聞』などは、グアムの人々が在
沖米海兵隊の受け入れに強硬に反対している旨を強調する形で報じています。
 
しかし、グアムの『デイリー・パシフィック・ニューズ』紙は、総じてグアム
政府首脳は苦境の経済発展を図るため在沖米海兵隊の受け入れに賛同している旨
報じています。一方、米軍はグアム住民の賛否いかんにかかわらず既定の「グ
アム統合軍事開発計画」に基づいて予算を組み着々とインフラの整備にとりかか
っています。

それに危機感をもつ何人かのグアムの女性が沖縄にやってきて地元の反基地運
動をしている女性たちと連帯してグアムの軍事化に反対しています。たまたま3
か月程前に沖縄を訪れていたグアムのフェリックス・カマチョ知事にそのことに
ついて意見を訊いたら、「それはわれわれの内政問題だから他所の人が気にする
ことはない」との返事でした(知事はその後交替した)。

 ともあれグアムでは賛否両論が渦巻く中で米軍は2006年の合意に加えて米
太平洋軍独自の一大軍事拠点化計画を踏まえ、沖縄からの移設に備えて工事を進
めているので、普天間問題の最短最善の解決方法は、政府がこうした米軍の意向
に沿って、さらにはグアムの軍事基地化に伴う急激な人口増加などにも配慮して
インフラの整備に資金を提供することだ、と思います。

ただ懸念があるとすれば、アメリカの財政がかつてなく厳しい状況に陥ってい
て、議会では大幅な軍事予算の削減が議論の的になっているので、果たして当初
計画通り予算の手当ができるか否かという問題があります。

 グアムへの移転が望ましいのは、少なくともグアムは、連邦議会に代表者を送
っているので、グアム住民の賛否いずれかの世論を代弁することは可能だと思わ
れるからです。(もっとも沖縄同様に議会では、マイノリティの声として多数派
から無視されるかも知れませんが…)
 
ではグアムへの移転を着々と進めていながら何故に米軍は辺野古に執着するの
でしょうか。それは一つには、海兵隊の一部が辺野古に留まれば、日本政府から
の思いやり予算が期待できるだけでなく沖縄では熟練した労働者が簡単に得られ
るから基地の維持が他に較べきわめて容易だからです。

 その上、辺野古基地の新設については、じつは一般には知られていない裏の事
情があります。 在沖米軍の主要な基地は、那覇軍港や普天間飛行場、浦添市の
キャンプキンザーなど、嘉手納以南の最も人口が稠密で便利な本島中・南部に集
中しています。そのため基地から派生する油漏れなどの公害をめぐって米軍と地
域住民との間でいざこざが絶えませんでした。

それでも1972年に沖縄が日本へ復帰するまでは、米軍は核兵器から生物化
学兵器に至るまで自由勝手に沖縄に持ち込んでいました。沖縄には日本国憲法も
アメリカ憲法も適用されていなかったので自由に振舞えたわけです。ところが
1969年に沖縄本島北部の久志村の米軍弾薬庫で毒ガスが漏れて二十数名の米
兵が入院する事故が起きました。それをアメリカの『ウォール・ストリート・
ジャーナル』紙が暴露したため大騒ぎとなり、怒った沖縄住民が核兵器や毒ガス
兵器の即時撤去を求める運動を展開しました。

その結果翌70年に米軍は、「レッド・ハット作戦」と称してそれらの兵器を
太平洋上の米軍が管理するジョンストン島へ移送したのですが、全部移送したか
どうかは政府でも県でも確認できた者はいないので、世論調査をすると今でも沖
縄には核兵器があると考えている人たちが6、7割を占めています。

 このような背景もあって、沖縄の日本復帰が近付くにつれて住民の反基地闘争
が復帰運動との相乗効果もあって勢いを増すようになりました。すると、あたか
もこうした情勢を予見していたかのように1960年代初めに赴任したアメリカ
のエドウィン・O・ライシャワー駐日大使が復帰前にさまざまな画策をしていた
ことが米国立公文書館の解禁になった記録から判明しています。
 
すなわち、つとに1962年の時点でライシャワー大使は、沖縄の日本復帰が
実現して、日本国憲法が沖縄にも適用されるようになると、嘉手納以南の主要基
地の運用が困難になると危惧していました。そのため嘉手納以南の都市地域にあ
る主要基地を一まとめにしてどこかに集約する案を在沖米軍と模索し始めていま
した。

そして1965年頃から水面下で復帰の話が進展すると、秘かにアメリカのゼ
ネコンに委託して、八重山群島のいりおもて西表島などを含め沖縄全域を調査さ
せて基地を集約するのに相応しいいくつかの候補地を選択させました。そのあげ
く、翌66年には、風向きや海域の水深など巨大基地の建設に適合するあらゆる
要素を検討した上で、最終的に大浦湾一帯を最適地に選択したのでした。

 そしてアメリカのゼネコンのダニエル・マン・ジョーンスン&メンデンホール
社に委託して集約基地の具体的図面まで描かせていました。同計画によると、キ
ャンプ・シュワブ沿岸に海兵隊の飛行場を設置するとともに隣接する水深30メー
トルの港湾には海軍の航空母艦用の埠頭を設置する上、対岸には陸軍の弾薬庫と
桟橋を設け、陸からも海からも自由に爆弾が積めるような計画となっていました
(現在、普天間では民間住宅地が近接しているため、爆弾は積めなくて嘉手納で
積んでいる)。
 
ちなみに普天間飛行場の代替飛行場については、具体的に滑走路の詳細な図面
なども仕上がっていました。しかし、当時はベトナム戦争の最中で米軍部は巨額
の軍事費を費消した上、折からドルの下落なども重なって財政上計画を実現する
ことが困難に陥っていました。その上、当時は沖縄にはまだ日米安全保障条約は
適用されていなかったので米軍は、基地の移設費から建設費、維持費に至るまで
すべて自己負担しなければなりませんでした。そのため折角練り上げた計画を保
留せざるをえなくなりました。

 一方、ライシャワー大使が懸念した復帰後の基地の自由使用については、日米
両政府が密約を結んで復帰後もそれまで同様に保証されることになったので、そ
の点の懸念が消えたのも当初計画を棚上げする理由となったのです。
 
しかるにそれが今45年ぶりに息を吹き返す恰好となっているのです。なぜなら
現行計画のV字型もI字型の滑走路も、かつての図面と重なるだけでなく、基地
施設の位置もほとんど同じだからです。しかも現在は沖縄にも日米安全保障条約
が適用されるようになった結果、新基地の移設費、建設費、維持費もすべて日本
国民の税金で賄うことになると言われています。

 いきおい、米軍にとって棚上げしていた往時の計画が日本側の資金負担で完成
するとなると、こんな良いことはないのです。それこそが米軍側が辺野古に執着
して止まない理由だと思われます。国民一人当たり700万円余、国として10
00兆円近くに及ぶ借金を抱えている日本政府に、1兆円から1兆5000億円
ともいわれる巨額の費用を投じてグアム移転(日本側は7000億余円負担)と
は別に辺野古への基地を新設する意味があろうとは、私などには到底理解できま
せん。にもかかわらず政府はこれまでの経緯を十分に検証もしないまま事を進め
ようとしているのです。
 
政府が沖縄住民の強い反対の意思を無視して辺野古案を強行すれば、必ずや人
命にかかわる事件・事故が起きかねず、そうなると、行政がコントロール出来な
い事態となり、沖縄を犠牲にして成り立っている日米安保体制そのものが崩壊す
る恐れがあることを警告せざるをえません。政府にぜひとも真剣に考えてほしい
点です。


  ◇編集部
  基地問題に対する本土の大手マスコミと沖縄現地二紙の報道ぶりには大きな乖
離があり、本土住民の総論賛成各論反対という世論にも、沖縄県民の感情は反発
していると思いますが。


■■大田■■
  たしかにおっしゃるとおりで、本土マスコミの報道や論評には首をかしげざる
をえません。常に表面的なことにこだわり本質的問題にタッチすることを避けて
いるように思われてなりません。その点、こと沖縄問題に関する限り、本土のマ
スコミと沖縄のそれとの間には、埋めようがないほどの心理的亀裂があるように
みています。

 私は社会学やジャーナリズムを専攻したものとして、地元新聞の投書欄にとく
に注目していますが、以前は知識人やいわゆる投書マニアといわれる人たちの投
書が多かったけれども、最近は漁民や農民など、ごく普通の一般庶民や主婦たち
の投稿が目立って増えています。しかもそれらは、過去のインテリの投書のよう
に物事を婉曲な言い回しでなく、ストレートな表現でずばり要点を突いているの
です。

とりわけ最近は、上から一方的に沖縄に過重に押し付けている基地問題や沖縄
に対する政府の不当な差別への不満の声が際立って多くなっています。とりわけ
本土側の「沖縄差別」へ抗議する意見と「沖縄の自立・独立」を志向する言論が
いわばキーワードとなって紙面に溢れています。

 昔から沖縄の人々は権力に正面から立ち向かわないで、本音を隠して体よく振
舞うなどと言われていますが、必ずしもそうとは限らないと思います。むしろ逆
に我慢の限界を超えると住民感情が一気に爆発しかねず、過去には思いもかけぬ
騒動・事件が何件も起きています。今の基地問題においても同じで、県内には怒
りのマグマが幾重にも溜まっていて、いつそれが表面化するか分かったものでは
ありません。

ですから私は折にふれ、政府関係者には、「行政がコントロール出来ないよう
な事態に県民を追い詰めないで欲しい」と言い続けているのです。その点、本土
の大手マスコミには、ぜひとも真剣にそのような事態を直視して本質的議論をし
てほしいと切に念じて止みません。

◇編集部
  お忙しい中、長時間有難うございました。(了)

(注)大田昌秀(おおた まさひで)氏略歴
   1925年沖縄県久米島に生まれる。1945年沖縄師範学校本科2年のと
き鉄血勤皇師範隊の隊員として沖縄戦に参戦。情報宣伝を任務とする千早隊に所
属する。1954年早稲田大学卒業。その後米国・シラキュース大学大学院終
了、修士号取得。その後、東京大学新聞研究所で3年間研究。1973年ハワイ
大学イースト・ウエストセンターで1年間教授・研究。1979年フルブライト
交換教授としてアリゾナ州立大学で教授。1957年~89年琉球大学教授、法
文学部長。1990年~98年(2期8年)沖縄県知事。2001年~07年参
議院議員。現在大田平和総合研究所主宰。
 
『これが沖縄戦だ』『総史沖縄戦』『沖縄のこころ』『沖縄の民衆意識』『近
代沖縄の政治構造』など共著を含め和英両文の著書80冊余。
最近著は『こんな沖縄に誰がした ~普天間移設問題―最善・最短の解決策~』
(同時代社刊・1900円)

 (編集部と大田氏との話し合いは2時間に及んだのですが、編集上の都合で社
会問題化しつつあるアメラジアン問題その他を載せることが出来ませんでしたこ
とをお詫びいたします。この原稿は編集部が録音・編集し大田平和総合研究所に
校閲して頂いたものですが、文責は編集部にあります)

                                                    目次へ

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■ 地球環境問題解決へのアプローチ(2回目)
                          阿野 貴司
───────────────────────────────────
 物質の大量消費に走る根底には、大量生産をしないといけないと信じ込んでい
るという背景があります。大量生産をすれば、豊かになれ、幸せになれると信じ
ているのです。ですから、地球環境の諸問題は色々とありますが、それら問題を
引き起こす原動力は、大量生産、大量消費、大量廃棄という経済活動にあり、さ
らに、そういう大量廃棄の経済活動を行う背景には、自分さえよければ、組織さ
えよければ、わが国さえよければという欲望があります。

 つまり、環境破壊につながる大量廃棄の経済を推進する究極の原動力は、自分
さえよければ他人はどうでもいいというエゴにあり、その結果、ドンドンと自我
がエゴになり、肥大化していくわけです。ですから、一人一人、個人個人の気持
ちは、別に環境破壊を引き起こしたいわけではなく、根源は自分たちが幸せにな
りたいという自然な感情の発露にあるという点が問題の原点にあります。

 こういうことは、ある程度豊かになった先進国においては、倫理観の欠如、と
いうような概念で説明ができ、特に昔のわが国であれば、言わなくてもいいくら
いに常識として身に付いていた内容です。自分さえよければ、我が社さえよけれ
ば、我が国さえよければ、というようなエゴの拡大は、自然と恥ずかしいことと
捉えられ、そういう方向にいかないことに美徳を見出していたわけです。それが
一生懸命にエゴを減らしましょうと言わなければいけないということは、言わな
くてもいいぐらい常識だったものが、言わなければいけないというような状況に
なってきているということです。

 ですから本来は自我が減れば減るほど、我々は精神的に成熟した社会を築いて
いるという指標になります。つまり、取り決めは無くても常に相手のことを考え
るため、ことさらに取り決めを増やさなくてもうまくやっていけるというのが、
本来の人として成長した人間が形成する社会の在り方のはずです。それなのに、
法律などの決まりが増えているということは、いかに我々はそういうものに頼ら
ないといけないかという精神的レベルの低下を引き越しているという証拠になっ
ています。その結果、気持の交流というつながりが益々減ってきています。

 実は「つながりの減少」により、様々な関係性が見えなくなってきているという
ことが、幸せ感、豊かさ感が感じられなくなってきている本質的な原因なのです。
幸せ感、豊かさ感というのは、物の所有そのものではなく関係性から来るものな
のです。つまり、幸せの本質は、関係性にあり、関係性は、人と人、人と物、
人と自然、というようなそれぞれの間に存在するのです。


■【幸せの源泉】


  例えば親子でも恋人同士でもいいのですが、幸せはどこに感じているのでしょ
うか。物質レベルで考えて、彼氏や彼女の炭素原子とか筋肉とかという物質その
ものを愛しているのでしょうか。そういう物質そのものに幸せと感じているわけ
ではなく、幸せは、彼や彼女の、笑顔とか、優しい声とか、おもいやりとか仕草
とか楽しさとか笑いとかという、お互いの間にある関係性に存在しているのでは
ないでしょうか。

 物との関係においても、「自分の物」という所有そのものではなくて、自分の好
きな楽器が奏でてくれる音楽、そのものにしかできない役割をしてくれることに
対する、感謝や愛着が、自分の物というものから得られる幸せや豊かさの本質で
はないでしょうか。自然との関係においても、見た景色に癒されるとか、吹いて
くる涼しい風の感じや、夕陽の美しさなど、自分と自然との間に築かれる関係性
が豊かであればあるほど、我々は幸せだなー、豊かだなー、ありがたいなーと思
えるわけです。

 これに対して、自分さえよければということは、これらの人と人、人と物、人
と自然との間に築かれた豊かな関係性を断ち切っていくことになります。幸せ、
豊かさの本質である関係性を、ドンドンと失っていくわけですから、自らドンド
ンと幸せでない方、豊かさの源泉が枯れていく方向に向かうことになります。そ
うすると益々、孤立感を感じるようになり、その寂しさを癒すために、幸せにな
りたいという気持ちを、物質の消費に求めることになります。

 幸せは物の消費にあると信じ、大量消費に走るわけですから、大量生産のため
に、もっとたくさんの資源、もっとたくさんのエネルギーが、必要となります。
その結果、たくさんのゴミが廃棄され、環境問題が益々進んでいくことになりま
す。

 そして関係性を失った人達はそれがストレスになり精神的に問題が起きたり、
病気という形で今までになかった精神を病む病気が増えてくるというようなこと
にまで繋がってくる場合があります。根本的原因として、関係性の貧困化、欠如
があるということが、きちっと分かるようにならないといけないわけです。

 誰との関係性の欠如が根源にあるかというと、最も最初の重要な関係性は、「
自分」との関係性です。今、自分が嫌いな人が増えていると言われています。で
すから、先ず大事なことは、自分にとって自分ほど素晴らしいものがない、この
今生きているというありがたい事実を認識して、自分自身が生きていられるとい
うことを感じ、自分を好きになることが最初の出発点なのです。

 自分との関係性が見えてくると、次に、親子、兄弟、友達等々、楽しいな、有
難いなと感じられる繋がりが段々と見えてきます。このような豊かな関係性の中
にいると、普通は自分さえよければとはならないのです。一番分かりやすいのが
母親と赤ちゃんの関係です。お母さんは、エゴで赤ちゃんに何かを期待して育て
ているわけではないのです。この子が大きくなったら、いくら回収できるかなど
と思って一生懸命育てているわけではないのです。うんこしようが、おしっこし
ようが、泣こうが、わめこうが、すべてを包み込んで全部可愛いいから、ただた
だ、無償の愛で育てているのです。

 無心になっていく中でお母さんのエゴというのは、極限にまで減らされていく
のです。そして、その中でお母さんは、最大限の喜びを赤ちゃんから貰えるわけ
です。ですから正式な関数かどうか分かりませんが、反比例の関係ですね。自分
がドンドンエゴを減らせていけばいくほど、赤ちゃんからお母さんは最大限の幸
せを得ていくのです。そして赤ちゃんとお母さんの間には繋がりが形成されて、
豊かな関係性が築かれます。この関係性が豊かになることにより、本当の幸せ、
本当の豊かさ、本当の幸福というもので包まれていきます。

 このお母さんのような、人に優しい気持ち、利他愛にあふれた気持ちで、人に
接することができるメンバーが増えてくると、自分さえよければではなくて、み
んなと一緒に幸せになりたいというふうに、幸せになりたいという欲望の質と方
向性が変わっていきます。そうするとそういうメンバーが集まった会社は、他社
とともに発展したいというふうに同じ欲望でも自分の会社さえという発想ではな
く、発想そのものが変わります。


■【大量生産から必要最小限へ】


  このような変化が世界中に拡がっていくと、欲望とはエネルギーの一種ですか
ら向上心というふうに言い換えたっていいと思のですが、地球全体でみんなが幸
せになれるようにという方向に変わってきます。そういう人達が行う経済活動と
いうのは、もはや大量生産、大量消費、大量廃棄ではなくて、必要最小限の経済
に変わってきます。大事なことは、必要最小限というのは我慢したり、貧しくな
ったりするのではなくて、満足度は減らないということです。つまり、満足度
100パーセント、すなわち一つ欲しいときに一つ消費する、三つ欲しいときに
三つ消費するという経済ですから、常に満足だということです。

 今の大量廃棄は、一つ欲しいときに安いから三つ買って、二つは腐らせるとい
う経済です。いままでは三つ分の売り上げがあるということに重きが置かれてい
ますが、大事なことは幸せ感、豊さ感ですから、基本的に一つ欲しいときに一つ
供給があれば良いわけです。この結果、不要なものが生じずゴミが出ない必要最
小限の社会となっていきます。

こういう経済活動の中では不必要なゴミが減ってきますから、大量廃棄に支え
られた地球環境問題は、問題そのものが消失してしまいます。必要なときに必要
な分だけが消費され、なによりそれらを分かち合う友達、親子、人間関係、会
社、国家間、人類あるいは自然との共生というような意識の中に、我々は、幸せ
感、幸福感をみることになります。幸せの本質は、関係性の豊さにあるというこ
とをはっきり見切って、ただそれを実現するのに物質の力をある程度借りる。着
るものがあるとか必要最小限の物質は非常に重要ですね。

 しかし、豊かさ感の本質は、関係性にあるということを見抜いていけば、ドン
ドン豊かになります。この結果親子関係は、より豊かになり、友人関係ももっと
楽しくなり、笑顔がさらに増えていきます。このように職場も楽しくなり、なに
より生きて行くこと自体が楽しくなっていきます。

 物質の消費量が多いと幸せ、消費量が少ないとそうではないという近代主義の
価値観自体をそろそろ見直して、本当の幸せ、豊かさは、こういう豊かな関係性
の中に本当はあるんだよ、だけど豊かな関係性を得るには、ある程度の物質は大
事だよねということに気づくことが大切です。当然、一人一人好きなものは違い
ますがその違う幸せ、違った関係性を持つ。そしてその違った関係性を持った人
との関係性がまた豊かさを増すわけです。

 自分と同じものばかりだったらつまらない。もっともっと広く深い関係性が出
てくると思います。ではそういう関係性が本当に存在しているということを、我
々がもっと自分に対して言い聞かせるために、科学という比較的客観性が高いと
考えられている方向から見ていきましょう。科学的データから考えていくと、ど
のような関係性が我々の回りに存在しているのか、我々はどのような関係性に包
まれているのかということがわかるのでしょうか。多くの科学的に証明できる関
係性の中に我々が存在することを知り、我々は本当は非常に豊かな関係性に包ま
れているんだよということを、自分自身に言い聞かせることができるとどのよう
に意識の変化が起こるのでしょうか。


■【様々な関係性:生命40億年の歴史】


  我々は非常に多くの関係性の中に存在しています。ただそれを"あたりまえ"と
いう五つの文字で普段は消去しているだけです。例えば人類の歴史を生物の系統
樹というものから考えると、地球上の全生物と進化的に関係があることがわかっ
ています。また、ミトコンドリアというものを聞かれたことあるでしょうか、我
々が、酸素呼吸が出来るようにエネルギーを生み出すための器官として、細胞の
中にミトコンドリアというものがあります。

これが、不思議なことにお母さんからしか受け継ぐことができないのです。お
父さんに由来するミトコンドリアは持っていないのです。ですからずっと人類の
先祖を辿っていくと、ミトコンドリアイブといって最初のお母さんというところ
まで到達します。このようなことが、ミトコンドリアDNAを解析すればわかるの
です。このような解析によりアフリカで発祥した数少ない人が、我々のご先祖様
であるということが科学的に分かってきています。

 我々は今、白人だ、黒人だ、黄色人種だ、言葉が違う、文化が違うなど、肌の
色や言語など色々な違いについて注目していますが、要はそのミトコンドリアイ
ブであるおばあちゃんという共通祖先を持つ兄弟じゃないかという認識ができる
と、遺伝子DNAの共通性という意味でものすごい関係性があることに気がつきま
す。

 人間同士はもちろんのこと、霊長類、よくニュースにもなりましたチンパンジ
ーですね、このチンパンジーと我々でも98パーセント以上のDNAが一致してしま
ったという衝撃的というか、いささか悔しいような結果が科学的に明らかにされ
ています。要するに、遺伝子を構成するDNAの塩基配列のレベルでは、科学的に
はほとんど変わらないのです。

霊長類としてのチンパンジーと我々ですらこの僅差ですから、我々人類の個体
間にある差異は、0.1%程度であり、違いを論ずる前にいかに似ているかという
共通認識を持つ方が、科学的データからは理に適った認識といえるのではないで
しょうか。99%以上の共通性を持つという事実に共感できる感性の上に、僅かな
差異をお互いの特徴、個性として認めていくという新しい相互認識に今後の新し
い方向性があるように思えます。

 いずれにしましても、人類の民族差は、共通祖先から比べればDNAレベルでは
ほとんどないといっていい位に一緒なのです。ほんのちょっとの違いが、こうい
う我々の肌の色とか背格好の差などという特徴を生み出しているだけなんだとい
うことですから、もっと我々が自分たちに言い聞かせるべきは「共通祖先を持
つ」という事実です。

これは別に宗教でもなんでもなくひとつの事実です。単に科学的事実ですか
ら、共通祖先を持つということは、人類は広い意味で兄弟だったのだ、親戚なん
だということになり、もしこのように思えば、我々は対立とか違いを見出すほう
に一生懸命エネルギーを注ぐのではなく、そのエネルギーを同じかそれ以上に、
一緒なんだという共通認識に向けることができると、もっと豊かな関係性が開か
れるヒントあるいはチャンスになってくることでしょう。

 それをもう少し科学的に説明しますと、進化系統樹というもので理解すること
が出来ます。DNAという遺伝情報物質は、GATCという四文字で書かれているとい
うことを聞かれたことがあると思いますが、我々のDNAとかチンパンジーのDNAを
比較する場合、この四文字の塩基配列として並べます。すると99%同じであると
いうことは、G、次がA、そして、A、T、C、C、・・・というような配列が一方に
認められると、もう一方にも全く同じ配列が現れ、100塩基に1個くらいの割合
で、異なる塩基配列が現れるということになります。たまにある場所がCで、片
一方がTでとか、というように違いが認められるわけです。

このように似たような配列を示す部分を並べて比較していきますと、どこが違
うのか、さらにその異なる配列を示す場所がいつごろ違いを生じたのかというこ
とが分かってきます。そしてその違いが生じたのが何百万年前というようなこと
が進化のスピードから分かりますので、順々に進化状況にあてはめていきます
と、その何億年前にこれとこれとが遺伝子的に分岐した、次にこれとこれが分か
れたというようにキチッと出てしまうわけです。
 
このような比較を多くの生物間で行いますと、生物の進化やその分かれた道筋
が、枝分かれした樹のような図として示すことができます。枝分かれは分岐を示
し、枝の長さから進化後の時間経過を知ることができます。このようにして何パ
ーセントが人間と違うといようなことを調べると、我々とカリフラーでも結構似
ているというようなことが分かってくるわけです。

 それぐらい地球の生物はすべてDNAを遺伝情報物質として用いているという意
味では共通です。大腸菌から、アサガオ、ゾウに至るまで、同じ物質が用いられ
ています。ですから、もし我々がDNAレベルにまで浸透するような意識を持てた
ならば、どれほどの一体感をあらゆる生物に対して感じることが出来るのでしょ
うか。違いを見つけて争うのではなく、共通性に共感し一体化を感じるという、
このような意識を持つ新しい人類に進化出来るかもしれないということです。

 そしてミトコンドリアイブを(論理的に)理解した上で、感じることが出来れ
ば、人類は共通の祖先から分かれた一つの種であるということが分かりますし、
他のあらゆる生物も、DNA型生物であることが本当に分かれば、地球の生物は皆
兄弟であるということが科学的事実としてわかることと思います。

 先祖を敬いましょうという我々の持つ常識的感覚を時間的に、何万年、何百万
年、何億年という単位で、少し延長して理解する範囲を広げるだけです。これは
証拠もあるし科学的に今のところ認められている事実です。

今までは差異、違いに目を向け過ぎてこんなに違うんだっといって敵対関係を
作ることにすごくエネルギーを使ってきたのですが、共通点に目を向けて、これ
までと同じかそれよりちょっと多目のエネルギーを、こんなに似ているんだぞ、
だからそんなに喧嘩する必要なんてないんだぞという意識を我々が作る方向にも
し向けたとしたら、人間として共通の祖先を持っている、人類というひとつの大
家族、親戚にすぎないという事実が分かっています。

 そうすると今起こっている歴史的な差異、国家、民族、言語、肌の色、等々の
違いというものは、違うといっても何万年か、何百万年前か程度の違いになりま
す。しかし、生命誕生後40億年の生物進化という歴史の中で生物を捉えますと、
この何百万年程度の差や、ここ何千年の歴史上の差異や問題などは小さなほこり
かゴミのようなものです。

ですから、自然科学的に全生物は、DNAレベルで見れば共通の物質を有し、人類
はひとつの種にすぎないのだということにもっと大きな意識が向かうと、様々な
差異はほんの小さなことで、そのほんの小さなことに、ことさらにエネルギーを
使って、拡大して、拡張して、もうワザと違うんだというふうな形でここまで争
いの種を作っているということが見えてきます。本当はもっともっと似ているの
です。

 ですからもし科学的な事実をきちっと見据えてそこから出発すれば、恐らくこ
れらの違いというのは非常に小さな違いだと思います。DNAということからいけ
ばほんのわずかな違いです。そういう事を知っているのに、その科学的事実を日
常の感覚に反映させることができるか、つまり意識の進化が出来るかどうという
ことが問われているのです。科学的な事実は、60数億の人間は全員、ヒト科、ホ
モ・サピエンスという一つの種に属しているということですね。

 ここでなぜ"種"という概念をわざわざ持ち出したのかといいますと、例えばバ
ラとチューリップを見ても、綺麗な花ということで、ことさらに違う、違うと、
違いを強調しないと思います。どちらも綺麗な花だと我々は素直に言えます。し
かし、実は科学的には、バラ科とユリ科というふうに分類上の「科」というレベ
ルで違うのです。科というのはどういうことかというと生物を動物、植物という
ふうに分けて、次第に細かく分類していくと、この科、ファミリーというところ
まできます。

 ここでバラ科とユリ科という違いは、生物学的には大きく違うのです。ところ
が、地球上の全人類は、同じヒト科の中のホモ属、サピエンス種というさらに細
かい、細かい分類レベルに完全に含まれます。つまり、地球上には、ホモ・サピ
エンスというただ一種が存在しているだけなのです。赤いバラと赤いチューリッ
プの差と、我々人類の差異は、その違いのレベルがまったくちがうということを
知って頂ければと思います。

 ヒト科、ホモ族サピエンス種、ホモ・サピエンスですから、分類を住所に例え
ますとバラとチューリップが国名(科)のレベルで違うのに、ヒトの差異は、何
々県(ホモ属)、何々市(サピエンス種)、まで同じで、町名のレベルでようや
く違いがみられるという程度の話になります。要するに、このように小さな、小
さな、何丁目の中の違いに差異を見出して争ったり、競争したりしているのです。

 バラとチューリップは国が違うぐらい違う。だけどそっちは許しておいて、あ
るいはどちらも美しい花と認めておいて、人のときだけこの何丁目の違いで差異
を言うということは結局、何丁目と何丁目の争いのようなものです。丁度、町内
会の運動会みたいなことを大々的にミサイルなどの武器を使ったりして争ってい
るという話になります。これくらい我々は、科学的根拠に基づかない「差異」に注
目しているのです。


■【様々な関係性:ご先祖様の数】


  いきなり生命40億年の歴史や、ミトコンドリアイブまでいくような大きな流れ
の中での関係性をイメージしたり理解することが大変な人は、もう少し身近なと
ころ、つまり我々は、必ずお母さんお父さんから生まれてくるという事実から理
解されるといかがでしょうか。

そのお父さん、お母さんも、おじいちゃん、おばあちゃんから生まれてくるわ
けです。今生きておられる、おられないは別にして、必ず生きているうちに命の
バトンを伝え、子孫を残されたわけで、どのおじいちゃん、おばあちゃんにも、
必ずお父さんお母さんがおられたわけです。

 そして、一世代が仮に三十年とします。昔はもっと短かったかも知れませんが
仮にそうすると三百年というと十世代です。十世代ということは、ご先祖様の
総数は、2×2×2×・・・、と10回掛けるってことは、二の十乗、つまり千
二十四人ですから約千人です。一人の人間を十世代さかのぼると、約千人の直系
のご先祖様がおられることになります。さらに十世代さかのぼりますと、さらに
掛ける千ですから百万人、もう十世代で十億人です。三十世代、一世代三十年で
計算しますと約九百年前ですから、とりあえず平安時代ぐらいですね。

 平安時代の人口ってどんなものでしょうか、今の日本で一億人ですから、まあ
多くて一千万人程度、というようなレベルではないでしょうか。そのときに一人
につき十億人のご先祖様ですから、仮にあなたと私が完全な他人になるには、二
十億人の人口が必要なわけです。このようなことがありえないということは、我
々は基本的にどこかで親戚にならざるを得ないということです。このように千年
程度の長さで考えても私達は完全に関係しているわけです。

 私達は親を大事にしなさい、おじいちゃんおばあちゃんを大事にしなさい、ご
先祖様を大事にしなさい、くらいまでは常識として分かるのです。さらに遺伝子
DNAレベルでいくともっと多くの生物が進化的に関係していることが分かってき
ますから、結局、ご先祖様を大切にする感覚をちょっと延長して、生物のご先祖
様を敬うという感覚を持つだけで、人間を大事にしなさい、だってみな兄弟なの
だから、生物を大事にしなさい、だってみんなご先祖様なのだから、親兄弟なの
だからというようなことが理解できます。

我々の意識というのは、慣れ親しんだ考え方に執着する傾向があります。この
ため、このような新しいことを聞くと、「えっ」とか、あるいは「なに言ってい
るの」とかと最初は思うものです。しかし、段々と慣れてくるとそれはそうだ
なっというようになり、実際に身に着くと昔の感覚がひどく野蛮で稚拙な感覚で
あったというような変化があらわれるのです。
このような意識の進化を遂げる為にも、科学的事実に基づく教育が大切になっ
てくるのではないでしょうか。
   <以下次回に続く> (筆者は近畿大学教授)

※この原稿は2010年7月24日・東京明治大学で行われた社会環境学会セミナーの講
演をオルタ編集部が整理し著者の校閲を受けたものですが文責は編集部にあります。

                                                    目次へ

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≪連載≫
■海外論潮短評(43)                          初岡 昌一郎
    ~グローバルに押し寄せる高齢化社会の波~

■A Voice from Okinawa (19)                     吉田 健正
   ~「緊張と対立の海」から「対話と平和の海」へ~

■宗教・民族から見た同時代世界                   荒木 重雄 
   ~国際社会に祝われるスーダン南部の独立は何を意味するのか~

■農業は死の床か再生のときか                    濱田 幸生
  農業への無知を晴らす中から 、平成の不平等条約・TPPを迎撃しよう!
   ~日本農業はとっくに開かれている!~
───────────────────────────────────
───────────────────────────────────
≪連載≫
■ 海外論潮短評(43)
  ~グローバルに押し寄せる高齢化社会の波~
                        初岡 昌一郎
───────────────────────────────────
 「グレイ色の"津波"が、予想されていたところに到来しただけではなく、地球
全土を飲み込みつつある」。アメリカの国際問題専門誌『フォーリン・ポリ
シー』2010年11/12月号に掲載された、フィリップ・ロングマン論文は
このように口火を切っている。

 筆者のロングマンはかつて『USニューズ・アンド・ワールドレポート』誌副編
集長であったが、今はニューアメリカ財団上級研究員で、人口問題専門家として
健筆を振るっている。彼がこれまでに書いた論文や記事は、『ファイナンシャル
・タイムズ』、『ハーバード・ビジネス・レビュー』、『ニュー・リパブリッ
ク』などに掲載されている。以下は、同論文の要旨。


■"世界は人口爆発に直面している" ― 「確かに、だが高齢者人口増加による」


  国連人口局の予測によると、世界の人口は向う40年間に約三分の一増加し、
現在の69億人から90億人となる。 以前に予測されていたよりも出生率が低
下したのにも拘わらず増勢が続くのは、高齢者の急増という予想外な理由による。
今世紀中葉には、5歳以下の子どもは4900万人減少すると予測されている
が、60歳以上は12億人増加する。

 人口のグレイ化が急速に進行する理由は、第二次世界大戦直後の人口爆発時に
誕生した世代が世界的に高齢化することにある。特に欧米等では、復員軍人の帰
国によって、1940年代から50年代にかけて出生率がドラマチックに高くな
った。そして1960年代と70年代には、多くの開発途上国がベイビーブーム
を経験した。乳幼児死亡率が衛生・医学の進歩のために大幅に減った時代でもあ
る。今先進国では戦後世代が60台に達しているが、途上国の人口爆発世代もあ
と20年で高齢化に突入する。

 グローバルなベイビーブーム世代も将来減少に転ずるが、それまでに出生率が
継続的に低下するので、人類は史上初めて本格的人口減に直面することになろう。
ロシアの人口は、1991年当時よりも既に700万に減少している。日本の
場合、現在の1.25%という特殊出生率が継続すると仮定すれば、2959年
には新生児が一人になる。最近の『ネイチャー』誌の調査によると、世界的にみ
て人口が2070年以後減少に転じる可能性は五分五分である。国連予測による
と、2150年にはグローバルな人口が今日の半分になる。


■"高齢化は富裕国の問題だ"― 「間違い」


  ローマ時代やアラブ中世において、文明化と贅沢な生活が人口減につながると
考えた学者たちが既にいた。しかし今日、とても贅沢のレベルに達していない社
会において、出生率が人口維持レベルを下回ってきた。
 
1970年代にまず北欧で「人口維持を下回る出生率」が問題化した。その後、
他のヨーロッパ、ロシア、多くのアジアとラテンアメリカの諸国、カリブ海諸
国、さらには南部インドへと問題が拡がった。レバノン、モロッコ、イランなど
の中近東諸国でさえも、今ではこうした現象が見られるようになった。現在、人
口維持を下回る出生率となっている59ヶ国中、18ヶ国が国連の定義による"
開発途上国"である。

 実際、ほとんどの開発途上国が前代未聞のスケールで人口高齢化を経験しつつ
ある。イランを例にとると、1980年代末までは、女性は平均約7人の子ども
を産んでいた。ところが今日では平均1.74人となり、人口維持に必要な2.
1人を下回っている。したがって、2010年から2050年の間に、イランに
おける60歳以上の人口が今日の7.1%から28.1%になると予測される。
この数字は今日の西欧における60歳以上の割合を上回る。イランだけでなく、
キューバ、クロアチア、レバノンなど、同じように急速な高齢化を経験している
諸国が、高齢化社会到来前に豊かになるチャンスは必ずしも大きくない。

 高齢化進行の理由の一つは都市化にある。世界の半分以上の人口が今や都市に
住んでいる。都市において子どもは補助労働力ではなくなり、むしろカネが掛か
る存在となる。他によく挙げられる理由は、女性の働く機会が増えた事と、年金
制度が普及し、子どもに老後を頼らなくなる事である。決して、人口抑制政策が
効果を上げたからではない。確かに、人口抑制策を推進し、時には強制までした
インドで人口が減る兆しが見えるが、抑制策をまったく採らなかったブラジルな
どの諸国でも同じ傾向が生まれている。


■"西洋は人口的に命運が尽きる"― 「そうなるかもしれないが」


  アジアのほうが先行きさらに暗い。アジアの世紀を予測する人たちは、ハイパ
ー(超急速)高齢化時代を考慮に入れていない。日本の"失われた10年"は、1
980年末に労働力が減りだした時から始まった。アジアの人口動態からみて日
本は例外的ではなく、むしろ先駆的だ。台湾と韓国も最低水準の出生率であり、
15年以内に人口減少が始める。シンガポール政府は心配のあまり、手厚い出生
奨励策をとってきたが、今では結婚奨励策までも採りだした。

 中国はいまのところ、人口減初期段階に伴う経済的メリットを享受している。
少子化初期社会では女性の労働力化が進むので、その段階では労働者数は減らな
い。しかし、一人子政策の徹底と極めて低い出生率によって、一人が二人の親と
4人の祖父母を支える、いわゆる"1-2-4社会"へ急速に突入する。
 
  将来、アジアは慢性的な女性不足社会となり、人口稠密なこの地域がアメリカ
西部開拓時代のような男女比率になりかねない。選択的な中絶により、中国では
男性が16%多くなっている。インドも似たような男女比率になり、結婚難とな
っている。これまで、アジアほど急速な高齢化と人口構成のアンバランスを経験
した社会は歴史上にない。


■"高齢者は働き続ける" ― 「もし、健康であれば」


  これは疑問符付の仮定である。中年層のアメリカ人は、ますます杖や歩行器、
車椅子に頼っている。多くの顧客が身障者なので「ウオールマート」はカートを
電動化した。最近の調査によると、50-64歳のアメリカ人の40%以上が、
既に日常生活を正常に行なえなくなっており、500mの歩行ないし階段10ス
テップの登昇を休息なしにできない。これは、10年前と比較して大幅な体力低
下である。
 
  アメリカ人だけではなく、肥満と運動不足のライフスタイルがグローバルに拡
がっている。1995年から2000年の間に、成人の肥満は世界的に2億人か
ら3億人に増加した。そのうち、1.15億人が開発途上国にいる。あらゆると
ころで、マクドナルドとケンタッキーが店舗を増やしており、自動車内とテレビ
の前で過ごす時間がますます増えている。

 今や、世界中で10億人以上がオーバーウエイトと推定されており、心臓病か
ら糖尿病に至る成人病が蔓延している。 もちろん、人々が健康に老いて行くの
を支援し、もっと長く働かせるためにできることは多い。最近のEU委員会報告が
指摘しているように、もっとパートタイムの仕事を提供する事は高齢者が労働市
場にとどまるのを奨励するだけではなく、労働と家族生活の緊張を緩和し、出生
率を引き上げる。健康な食生活は生産的な生活を延長するのに役立つ。

 しかし、グローバルな競争に参加しうる高齢者の数は限られたものであろう。
標準退職年限を引き上げるべきという、今や世界中で共通して見られる議論の根
拠は薄弱だ。心身障害率が進み、多くの高齢者が働けなくなる割合が爆発的に高
くなっていることから、高齢者が労働市場に長くとどまる傾向が今や頭打ちにな
る傾向にある。
 
  高齢者が現代経済の求める技能を持っていたとしても、多くのものが働き続け
るのは困難だ。アメリカで技能職の失業率が高止まりしているのに、使用者が有
能な技能職不足に悩んでいるという報告は、このパラドックスを裏付けている。
変化が激しく、技術的に急速に高度化する社会では、技能がすぐに陳腐化し、高
齢労働者は追いつけない。


■"高齢化社会は平和的になる" ― 「必ずしもそうならない」


  「老人性平和」の到来を語る学者の論理は、一人っ子世界では徴兵制が不可能
になり、戦死は許容されなくなるという。年金とヘルスケアのコスト増大が軍事
費拡大に歯止めとなり、軍備の維持をますます困難にすると見る。中年層と高齢
者によって支配される社会はリスクを嫌うようになり、戦争や暴力肯定のイデオ
ロギーに左右されるよりも、犯罪防止や社会保障などのプラクティカルな内政に
関心が高まる。
 
  高齢化により安定的かつ平和的になった社会の例として、よく引き合いにださ
れるのが日本である。西欧も"68年世代"がまだ若かった時、国内的動乱で揺ら
いだが、戦後のベイビーブーム世代が老い、子どもが減るにつれて政治的社会的
課題がラジカルなものではなくなった。

 だが、このバラ色のシナリオには幾つかの問題点がある。まず、急速に高齢化
する国で経済的混乱による社会的諸影響の結果、若年者数に急変動が生ずる事が
ある。その好例はイランである。国連予測によると、15-24歳のイラン人は
2020年までに2005年当時より34%減少する。これは、1979年革命以後の
イラン経済の急激な下降を反映したものであり、また宗教者政権が妊娠中絶を容
認したことも影響している。

 しかし、2020年から35年にかけて、出生率の継続的低下にもかかわらず、子ど
もの数が34%急増すると予測される。出産可能年齢のイラン人女性がこの間に急
増するので、母親世代よりも一人当たりの子ども数が減ったとしても、絶対数が
増える。だが、これは長期的な人口トレンドではなく、一時的な"エコー・ブー
ム"にすぎない。

 リビアからパキスタンにいたる他の多くの回教国も、同様な若年人口変動を経
験するだろう。ほとんどの中央アジア諸国も、2020年代にエコー効果による大規
模な人口増加に直面する。ラテンアメリカで最も不安定なペルーとベネズエラに
ついても、これが当てはまる。向う20-30年、問題の山積する地域でエコー・
ブームが若年層を爆発的に増加させる一方、先進工業国では高齢化が進行する。
これが世界を最大の危険に晒す。


■"グレイの世界は貧困化する" ― 「手を拱いていれば」


  社会の富と人口構成の関係は循環的。出産率が低下し、高齢化が進むと、養育
・教育する子どもの数が減る。これが女性を正規労働に参入するのを可能にし、
家計収入を増加させ、少なくなった子どもに対する教育費支出を拡大する。他の
条件が同じならば、これら二つの要因が経済発展を刺激する。1960年代から70年
代にかけ、日本がこの局面を通過した。他のアジア諸国がすぐ後を追い、中国が
今その段階に突入しつつある。

 しかし、その後は暗転する。時が経るにつれ、低出生率は就労人口を減少さ
せ、高齢者負担を増大させる。高齢化は消費減につながる。若い成人層が減る
と、耐久消費財と住宅の新規需要は落ち、起業精神も低下する。高齢者は新規事
業の開拓よりも、既存の雇用維持に関心を寄せる。無理やり消費を拡大しようと
して信用供給を増加させ、公共投資や補助金にカネを注ぎ込むと、結局は潰れざ
るを得ないバブルを拡大させ、公的債務増大のツケを後に残す。
 
  しかし、出生率は永久に低下することを運命付けられていない。一つの突破口
は、スウェーデンの道である。それは、女性が多くの子どもを出産し、養育する
事による経済的不利益を回避するために大規模な国家的施策を採る。しかし、こ
の道を選択した諸国もこれまでの成功は限られたものである。

 もう一つの道は「タリバン・ロード」だ。これは伝統的価値への回帰で、女性
が母性の役割以外に社会的経済的役割を持てなくする。これは高出生率を維持す
るかもしれないが、ファンダメンタリストを除き、受容されうるものではない。

 第三の道があるにはあるのだが、そこに到達する道筋は確実ではない。かつて
存在したような、家族単位の農業と家族企業が形成していたような社会を復活さ
せる道である。そこでは子どもは負担ではなく、財産であった。家族が消費単位
ではなく、生産的企業単位であるような社会を構想してみたい。家族の経済的基
礎を復活させうる社会こそが将来を持つ。それ以外の道は灰色である。


■コメント


  高齢化社会の問題を世界的に捉える視点はこれまであまり見えなかった。これ
までの人口論は、地球が継続的な人口増にどこまで耐えうるかという観点が中心
となっていた。そして、先進国は高齢化と人口減に直面し、開発途上国は人口爆
発に悩むという理解が常識となっていた。新生児10人中、9人が途上国で生まれ
るという比率に変化はないものの、今や出生率自体がグローバルに低下しつつあ
る。
 
  出生率の低下は歓迎すべき事であろうが、人口のアンバランス、特に急速な高
齢化が現下の世界的課題となっている事が本論で浮き彫りにされている。高齢化
が特殊日本的な問題でない事、そしてこの傾向が構造的かつ長期的なものであ
り、人口構成の是正は容易なものではなく、可能であっても時間がかかることが
分かる。

 こうした認識は、現在まで積み重ねられて来た政策の抜本的な再検討を迫るも
のである。消費拡大のための刺激策を中心とした成長政策が如何に幻想的で、不
可能かつ非現実的な目標を追い求めてきたかを浮き彫りにする。これは誤った認
識というよりも、そのような政策から短期的な私的利益を追求する強欲に基づい
ていたと見るべきかもしれない。それを許してきたツケは最早許容の限度を越え
ている。

 国際競争上の優位追求を口実とする経済成長策や、安全保障上の脅威をプレイ
アップした防衛費の維持拡大よりも、国際的国内的な人間安全保障を優先し、生
活の質を向上させる道を選択しなければならない。高齢化社会の得失を長期的に
踏まえた経済的社会的イノベーションが焦眉の課題となっている。

 ロングマンの結論は、ややノスタルジックかつ空想的に聞こえるかもしれない
が、今後現実味をますます帯びるような気がする。環境と資源を大事にするグロ
ーバル社会を構想すると、大量生産と大量消費を無理やりに推進する市場競争至
上主義と決別を図らざるをえなくなる。"スモール・イズ・ビューティフル"の世
界こそグローバルな未来であろう。

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≪連載≫
■ A Voice from Okinawa (19)   吉田 健正
  ~「緊張と対立の海」から「対話と平和の海」へ~
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 このところ、「尖閣諸島問題」が注目されている。特に昨年9月に中国漁船が
海上保安庁の巡視船に体当たりした事件は、両国で領土ナショナリズムを刺激し
て日中関係に深刻な影を投げ、軍事衝突さえ懸念される事態になった。保守派の
間には、中国が尖閣の次に沖縄本島を狙うのではないかとして、その基地強化を
呼びかける声さえある。昨年12月に閣議決定された新防衛大綱にしたがって、沖
縄本島だけでなく、宮古、八重山、与那国では自衛隊の配備・増強が進んでい
る。まさに戦争前夜だ。

 日本側からすれば、戦後の米国統治時代を含めて、尖閣の所属に疑問はない。
しかし、中国や台湾は、尖閣は昔から台湾の付属島嶼であったとして、日本の主
張に反論する。しかも、日中間に領土問題は存在しない、と断じながら、日本の
対応は腰が引けた感じだ。
 
  1960年代末の海底油田・ガス田存在報告が、「騒ぎ」の発端だと言われるが、
所属問題は明治期にさかのぼる。日本政府は、「同諸島は、(明治中期以来)、
一貫してわが国の領土たる南西諸島の一部を構成している」と明言するものの、
明治時代の、あるいは日中国交正常化後の領有宣言へのためらいや、太平洋戦争
後、「南西諸島」に尖閣諸島を含めて統治していたはずの米国の、沖縄返還後の
「中立的」対応、尖閣が(普天間基地や嘉手納基地などと同じく)現在も米国の
実質的占領下にあることが、影を落とす。

 対中関係悪化への懸念、東シナ海における安全保障態勢悪化や米国の対応への
懸念、「大陸棚」をめぐる国際法の解釈や尖閣をめぐる史実の問題、当初予測さ
れていた海底油田・ガス田の規模への疑問、共同開発の実現可能性への疑問、な
どもある。

 日本と台湾・中国との関係が緊張すれば、沖縄にとって問題は深刻だ。沖縄と
しては、台湾・中国からの観光客を増やし、人的・経済的交流を図り、近海での
安全な水産業を確保したい。尖閣諸島の海底に油田・ガス田が眠っておれば、沖
縄の利益になるような形で開発したい。しかし、日中対立は沖縄の期待をぶち壊
してしまう。緊張を理由に、宮古や八重山に自衛隊を送り込めば、沖縄にとって
事態はさらに悪化しかねない。

 米軍が射爆撃場として管理し、日本人の無許可立ち入りを禁じている尖閣の島
々(黄尾礁=久場島と赤尾礁=大正島)を、中国に対しては日本が領有権を主張
するという不思議な構図。ここには、日本の一部でありながら、日本政府(自治
体職員)や日本国民が米軍の許可なしでは立ち入りができない普天間基地、嘉手
納基地、キャンプ・シュワブ、弾薬庫、那覇港、その他多くの米軍基地と共通す
る問題もある。

 「尖閣諸島問題」は、領有権、海底資源開発、漁業、安全保障、沖縄の対台湾
・中国関係など多岐にわたっており、しかもきわめて複雑なので、ここで突っ込
んで論じることは私の能力を超えるが、私なりに事実関係を整理してみたい。な
お、尖閣諸島領有をめぐる日本と中国の領有権については、緑間栄沖縄国際大学
教授が『尖閣列島』(ひるぎ社、1984)で歴史的、国際法的観点から論じ、また
米国の対応については関西学院大学の豊下楢彦教授が「『尖閣問題』と安保条
約」(『世界』2011年1月号)で分析しているので、詳しくはそちらをご覧いた
だきたい。


◆沖縄トラフの対岸


  まず位置を確認する。南西諸島は、奄美群島から八重山諸島まで、太平洋側の
南西諸島海溝(琉球海溝)、東シナ海側の沖縄トラフ(海盆。海底の溝)に挟ま
れている。中国大陸沿岸から広がる大陸棚が窪地になったところが沖縄トラフ
だ。尖閣諸島は、八重山列島からトラフを越えた、いわば溝の対岸、中国沿岸か
ら延びる大陸棚の突端に位置する。大正島(中国名「赤尾礁」)、久場島(同
「黄尾礁」)、北小島、南小島、魚釣島の5島と3つの岩礁(沖北岩、沖南岩、
飛瀬)である。

 次に、尖閣諸島をめぐる歴史的背景。日本政府(外務省)は、「尖閣諸島が我
が国固有の領土であることは、歴史的にも国際法上も疑いのないところであり、
現に我が国はこれを有効に支配している。尖閣諸島をめぐり、解決すべき領有権
の問題は存在していない」と、次の歴史的根拠を挙げている。少なくとも明治中
期以降、第二次大戦後の米国統治時代を含めて、日本の領域とされてきたことに
疑問はない、というのである。

 ①尖閣諸島は、1885年以降、政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三に
  わたり現地調査を行ない、単にこれが無人島であるのみならず、清国の支 が
  及んでいる痕跡がないことを慎重確認の上、1895年1月14日に現地に標杭を建
設する旨の閣議決定を行なって、正式にわが国の領土に編入した。

 ②同諸島は、爾来、一貫してわが国の領土たる南西諸島の一部を構成している
  ③従って、サンフランシスコ平和条約においても、尖閣諸島は、同条約第2条
に基づきわが国が放棄した領土のうちには含まれず、第3条に基づき南西諸島の
一部としてアメリカ合衆国の施政下に置かれた。
  ④1971年6月17日署名の琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆
国との間の協定(沖縄返還協定)によりわが国に施政権が返還された地域の中に
含まれている。
 
⑤中国が尖閣諸島を台湾の一部と考えていなかったことは、サンフランシスコ
平和条約第3条に基づき米国の施政下に置かれた地域に同諸島が含まれている事
実に対し、従来何等異議を唱えなかったことからも明らかであり、中華人民共和
国政府の場合も台湾当局の場合も、1970年後半東シナ海大陸棚の石油開発の動き
が表面化するに及びはじめて尖閣諸島の領有権を問題とするに至った」


◆当初は慎重な領有権主張


  このように、日本は「尖閣諸島をめぐり、解決すべき領有権の問題は存在しな
い」と明確に主張する。しかし、いくつかの疑問点も残る。たとえば、

 ①「琉球国」は1872年から79年にかけて「琉球処分」により琉球藩→沖縄県と
して日本に併合されたが、そのときに尖閣諸島が含まれていたかは不明である。

 ウイキペデイア「尖閣諸島問題」によると85年9月、沖縄県令(知事)・西村
捨三は、「久場島、魚釣島は、古来より本県において称する島名ではあり、しか
も本県所轄の久米・宮古・八重山等の群島に接近している無人の島であるので沖
繩県下に属しているのであるが、『中山伝信録』(中国の古文書)に記載されて
いる釣魚台、黄尾嶼、赤尾嶼と同一のものではないと言いきれないので、慎重に
調査する必要がある」と、内務省に報告。

 しかし、同年10月21日には外務卿(大臣)・井上馨が、「清の新聞が自国の領
土である花瓶嶼や彭隹山を日本が占領するかもしれないなどという風説を流して
いて、清の政府や民衆が日本に対して猜疑心を抱いている。

 こんな時に、久場島、魚釣島などに国標を建てるのは徒に不安を煽るだけで好
ましくない」、「国標を建て開拓等に着手するは、他日の機会に譲り候方然るべ
しと存じ候」と内務卿・山縣有朋に回答。11月24日には県令が、国標建設につい
て、「清国との関係がないともいえず、万一不都合が生じては申し訳ないので、
どうするべきか早く指揮してほしい」との上申書を内務卿に提出したというから、
尖閣諸島を日本領と確定するには、当初から迷いのあったことが窺い知れる。

 上記の『中山伝信録』(中国の古文書)に記載されている釣魚台、黄尾嶼、赤
尾嶼と同一のものでは言い切れない」を、現在の日本はどう解するのだろうか。

 ②日本が閣議決定で尖閣諸島を日本に編入した1895年1月は、前年勃発した日
清戦争が終結する直前(95年4月に講和条約)であり、勝利による「割譲」では
なかったにしても、日本優勢の戦争が影響していたことは否めない。
 
  ③1920年には、魚釣島に漂着した福建省の漁民31人を救護したとして、長崎駐
在の中華民国領事が、「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島」の住民に感謝状を贈
っている。日本側は、これを、当時の中国(中華民国)が尖閣諸島に対する日本
の領有権を認知していたことの証としている。しかし、1920年といえば、中華民
国に統一政府が存在しない内乱の時代である。領事が本国政府の意思に基づいて
「尖閣列島」の所属を明記したのか、あるいは中華民国の認識が1949年に成立し
た中華人民共和国に引き継がれたかは、明らかでない。

 ④サンフランシスコ平和条約第3条には、米国が(日本に代わって)唯一の施
政権を有する地域として、「北緯29度以南の南西諸島」の「領水を含む領域及び
住民」と特定している。しかし、同条は南西諸島の範囲を特定せず、「尖閣諸島」
にも触れていない。また尖閣諸島には「施政権」を行使する対象となる「住民」」
もいなかった。

 (ただし、沖縄返還協定の議事録には、米軍統治下の南西諸島が具体的に経度
・緯度で示されており、そこには尖閣諸島も含まれている。また、米軍は黄尾嶼
と赤尾嶼の海域および空域を海軍所轄の射爆撃場に指定した。現在も黄尾嶼と赤
尾嶼は、現在も米軍の射爆撃場に指定されたままであるが、射爆撃場としては利
用されていない。)


◆海底油田報告で顕在化した領有問題


  国連アジア極東経済委員会が、1968年に行った調査の結果、尖閣諸島周辺にイ
ラクの埋蔵量に匹敵するほどの海底油田・天然ガス田が存在する可能性が高い、
と報告したのは1969年。70年代に入って、それが確実視されると、台湾も中国も
尖閣諸島の領有権を主張し始め、台湾は米国のガルフ社に周辺海域の石油採掘権
を与えた。台湾では教科書の地図でも日本領から中華民国領(釣魚台列嶼)と書
き改められた。「70年代後半」ではない。その後の調査では、原油の埋蔵量は騒
ぎ立てるほど多くないという。

 日米が沖縄返還協定を締結した1971年には、中華民国と中国が、相次いで、尖
閣列島を台湾の付属、あるいは中国の領土の不可分の一部である、という声明を
発表し、日中間で尖閣をめぐる領土問題が浮上した。しかし、米国政府は、尖閣
は沖縄諸島などとともに日本に返還されるが、領有権について問題が生じたとき
は、当事者間で解決されるべきであり、米国は「中立」の立場をとる、という見
解を発表した。1972年9月に日中国交が正常化され、78年8月に日中平和友好条約
が調印されたが、尖閣領有問題は棚上げされたままになった。

 米国は尖閣諸島が日中のいずれに属するかについての両国の異なる主張には介
入しないものの、尖閣諸島が日米安保第5条の「日本国の施政の下にある領域」
に含まれるとして、尖閣諸島に対する武力攻撃が米国の平和と安全を危うくする
と判断すれば、日本を守るため同盟国として対応する、という立場をとっている。
平和条約にしたがって尖閣を含む南西諸島を統治し、南西諸島の一部として尖閣
諸島を日本に返還したはずの米国としては、何やら奥歯にもののはさまった言い
方である。


◆「帝国」の海より、万国津梁の海


  米国が沖縄、日本本土、韓国、東シナ海、黄海の陸上・洋上基地や空から中国
を囲い込み、日米が中国の軍事的脅威を煽り立てている現況ではあり得ないとは
言えない。中国にとっては、日米安全保障条約も大きな懸念材料のひとつだろう。

 中国が、近い将来、尖閣や沖縄を攻撃するとは思えないが、最初に述べたよう
に、尖閣海域のおける日本と台湾・中国の緊張は、沖縄にさまざまな悪影響を及
ぼす。「もともとの国境線の外側にあった領土を支配する巨大な政治体」を「帝
国」と呼ぶ(スティーヴン・ハウ(見市雅俊訳)『帝国』)。

 かつて琉球王国を中国、日本、朝鮮などの諸外国とつなぐ架け橋「万国津梁」
の役割を果たし、民主党の鳩山首相が東アジア共同体を結ぶ「友愛の海」にした
いと語った東シナ海を、米帝国を後ろ盾にした日本と新興の中国帝国との「緊張
と対立の海」にしてはならない。

 沖縄県の八重山群島や宮古群島と台湾、また県と中国とはまさに一衣帯水で、
関係も深い。関係各国が平和的に共存できるよう、海域の領有問題や資源開発に
ついては、二国間・地域的多国間協議だけでなく、国連、国際司法裁判所などの
力を借りて、平和的・建設的に解決されるよう願ってやまない。ちなみに、上記
の豊下氏は日本が「『領土問題の存在』を事実として踏まえたうえで」、「2000
年に発効した日中漁業協定のような協定を、尖閣周辺の海域を対象に締結すべき
であろう」と提唱している。

 なお、上記の平和条約の第5条は、日本に、国際紛争を「平和的手段によって
国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決すること」、武力によ
る威嚇又は武力の行使を「いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、
また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎むこと」と
義務づけている。

 北沢俊美防衛相は昨年10月11日、ハノイでベトナム、インドネシア、オースト
ラリア、タイ、シンガポールの国防相と会談した際、「(尖閣諸島は)日本固有
の領土だ。歴史的にも国際法上も疑いようがない」と説明した。しかし、全面的
に賛同した国防相はなく、「国際法に基づき平和的に解決することを望む」(イ
ンドネシア)など慎重な対応を求める発言が相次いだ」という(産経新聞、電子
版、10月12日)。

 また程永華駐日中国大使は、雑誌『選択』(2011年1月号)の巻頭インタビュ
ーで、「歴史上ない巨大国家となった今、世界とどう付き合うのか」という質問
に、次のように答えている。
 
  「かつての歴史の教訓として、両国は和すれば双方ともに利し、戦えば双方と
もに傷つけるということがいえる。中国の政治方針は、あくまでも平和発展を目
指し、国は大きくなっても覇権は求めないというのが、数千年来の中国の理念で
あり、現実的な政策だ。覇権を求めれば必ず滅びるという真理は、中国は苦い歴
史的な経験をもって知っている。中国はあくまでも平和的に自国の発展に努める。
日本や隣国との関係もこれを基本方針に据えていく」

     (筆者は沖縄在住・元桜美林大学教授)

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≪連載≫
■宗教・民族から見た同時代世界        荒木 重雄 
  ~国際社会に祝われるスーダン南部の独立は何を意味するのか~
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 世界の耳目をあつめたエジプトの政治変動の帰趨はいまだ明らかでない。そこ
でエジプトは次号に譲って、今号ではもう一つアフリカで注目されるスーダンの
情勢を見ておきたい。
  中央政府を握る北部のイスラム教徒アラブ系と南部のキリスト教徒など黒人系
が対立し内戦を繰り返してきたスーダンで、1月、南部の分離独立の是非を問う
住民投票が行われた。結果は98.83%という圧倒的な独立支持で、7月にはアフ
リカに54番目の新国家が生まれる見通しである。


◇◇分離独立への長い道程


  19世紀以来、英国と英国保護下のエジプトによる征服・支配に抵抗してきたス
ーダンは、1956年、念願の独立を果たすが、1924年以降、英国が南北を分断統治
してきたことに加え、新政権が独立運動を担ってきた北部のイスラム教徒アラブ
系中心となったことから、南部のアニミズム(伝統的精霊崇拝)やキリスト教を
信奉する黒人系住民が反発し、55年、南北間で内戦がはじまった。
  72年、内戦は一旦終息したが、83年、ヌメイリ大統領が同国にイスラム法を導
入したため南部住民が反発、再び内戦に突入した。

 犠牲者が250万人にも及んだとされる二度の内戦の末、ヌメイリの後を襲った
バシル大統領政権と南部のスーダン人民解放軍(SPLA)の間で、2005年、よ
うやく包括和平協定が締結され、バシルを大統領、SPLAのガラン最高司令官
を第一副大統領とする暫定政府が発足した。併せて南部の自治が認められ、この
暫定政府で6年間の統治を行ったうえで南部で住民投票を実施して、北部のイス
ラム教徒系政権と南部政権の連邦を形成するか、南部が独立するかを決めること
となった。

 しかし、その後も事態が順調に進んだわけではなかった。副大統領になったば
かりのガランがウガンダ訪問からの帰途、搭乗ヘリで墜落死すると、謀殺を疑っ
た南部住民がアラブ系住民を襲撃する事件が起こった。
  また、2003年からは、非アラブ系住民が多住するもう一つの地域、西部ダルフ
ール地方でも政府に不満を募らせた黒人系住民が蜂起し、これに対して政府軍に
支援されたアラブ系民兵組織が大量虐殺を重ねて、死者20万人以上といわれる事
態となり、バシル大統領には09年と10年にそれぞれ、人道に対する犯罪やジェノ
サイド(大量殺戮)犯罪容疑で国際刑事裁判所から逮捕状が出されている。
  こうした事態を潜り抜けて2005年の協定が実施されたのが今回の住民投票であ
った。


◇◇宗教紛争?民族紛争?


  スーダンの紛争は、北部のイスラム教徒アラブ系と南部および西部のキリスト
教徒など黒人系の対立と括られるが、ことはさほど単純ではない。南部の黒人社
会にも少数派ながらイスラム教徒がいて、彼らも内戦中はSPLAに参加し、住
民投票でも独立支持に票を投じている。しかし一方でイスラム教徒ゆえの差別を
受けることもないではない。西部ダルフールでは、殺し合ったどちら側もムスリ
ムである。
 
  また、北部の「アラブ系」住民は他の集団を「黒人」と呼ぶが、彼らとて多少
のコーカソイドの混血はあれ基本的には同じニグロイドである。
 
  要は、アラビア語のスーダン変種を話す「アラブ人」が北部を中心に勢力を張
り、イスラムを受け入れたがアラビア語を母語とはしなかった黒人先住民が西部
に住み、アラビア語はおろかイスラムをも受け入れず先祖伝来のアニミズムを守
り一部キリスト教に改宗した黒人先住民が南部に住み、この中で支配的地位にあ
る「アラブ人」と他の二者との対立というのがスーダンにおける紛争の実態であ
る。

 さらにこの構図に経済的利害が重なる。南部は同地方で採掘される石油収入の
配分をめぐって北部と軋轢があり、西部では定住農民である黒人系と牧畜民であ
るアラブ系との土地や水などの資源をめぐる葛藤がある。
  世に単純な宗教紛争や民族紛争はなく、じつはその背後に経済的利害の対立や
エリート層の政治的思惑が潜んでいるのだが、スーダンもまさにその一例である。
  しかし、ことはそこに止まらない。国際社会の利害や思惑が絡む。米国を中心
に欧米諸国はイスラムに対する嫌悪感と人権観念から南部・西部の黒人側にくみ
して政府を非難、制裁を主張し、他方、同国に石油権益をもつ中国などは政府を
支援する。


◇◇南部独立はパンドラの箱か


  このような複雑な構造をもつ紛争の処理であるから、今後の展開も楽観は許さ
れない。事実、南北境界に位置し豊富な石油を埋蔵するアビエイ地区は帰属未定
のままで南北の火種となっている。
  分離独立の動きはスーダン各地に波及する恐れもある。とりわけ、世界最悪の
人道危機を招いたとされながら和平交渉が頓挫したままの西部ダルフールの紛争
への影響は必至であろう。

 この影響はさらに国外に広がることも懸念される。アフリカの国々は、植民地
時代に植民地を支配する側の利害に基づいて引かれた国境線を踏襲して独立し
た。そこに住民の民族や言語、宗教、文化などの実情は反映されていない。この
ため国の枠組みはいまも軋みつづけ、各地で紛争が絶えない。スーダン南部の分
離独立はこのアフリカ各地の紛争を刺激・誘発しかねない禁断の箱を開けるとい
うのである。
 
  多様な地域住民が法治体制のもとで中央政府と交渉し権力・資源の公正な分配
を実現する民主化過程を国際社会は理想とするが、そのような綺麗事ではすまな
い現実があり、その一端にかかわるのが、今日の世界における宗教の一面である。

      (筆者は社会環境学会会長)

                                                    目次へ

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≪連載≫
■ 農業は死の床か再生のときか   濱田 幸生
  農業への無知を晴らす中から 、平成の不平等条約・TPPを迎撃しよう!
   ~日本農業はとっくに開かれている!~
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 私は、この間の記事をTPPをどう迎撃するかという流れの中で書いています。
最新の「日本農業新聞」によれば管内閣の支持率は22%にまで下落していま
す。理由はあきらかです。農民は管内閣に対して、もはや農家戸別補償などとい
う目先のゼニカネでだまされることはありません。管内閣の危険極まる本質をは
っきり見破っています。
 
  それはTPPにより、安価で侵入してくる輸入農産物とのハイパー・デフレ戦
争に農業をたたき込み、一方農業こそが自由貿易・グローバリズムの最大の障害
と見たてての「農業改革」です。管内閣が言う「農業改革」、「日本農業を強く
する」ことが、実はこの10数年間財界が唱え続けてきた財界流構造改革を意味
するのは明らかです。このことは別途詳述したいと思います。
 
  前原外相がもし後継首相の座に座ることになれば、この関西財界のバックを持
つ松下政経塾出身の「開国」大好き政治家はTPPに突き進むべく、財界主導型
農業改革に取りかかると思われます。それも5年先のTPP締結を見据えてとな
ると、それまでに農業の抵抗を「鎮圧」しておかねばならないために、直近でこ
の日本農業撲滅路線が開始される可能性すらあります。
 
  そうなった場合、デフレ賃金抑制下の10%消費税増税と相まって、TPP自
由化によるハイパーデフレが日本国民を直撃します。そして農業を主体とする地
方の人々の経済と生活は再起不能となります。あるいは、管内閣が総選挙に打っ
て出た場合、管首相は小泉郵政改革選挙を手本として、「たったGDP比1.5
%の農業のために自由貿易圏に参入できないんですよ!そうなったら日本は世界
の孤児です。滅びますよ!」と叫ぶでしょう。

 次の総選挙は、まさに日本農業の存在そのものを賭けた戦いとなるでしょう。
私たち農民は絶対に管内閣の農業撲滅政治を許しません。それは総選挙における
1人区の結果に明確に示されることになるでしょう。さて、そもそも9割の日本
人は、昨年10月の菅首相の所信表明演説まで、TPPなどという単語自体を知
りませんでした。ほとんど初耳。寝耳に水。民主主義とは相いれない手法です。
 
  もっとも影響を受ける農業界に事前になにひとつの意見聴取もなく、いや民主
党政府内で討議された様子もなく、まさに管首相ただひとりのワンマンプレーで
出されました。自民党時代だったら各部会でもまれ、各界の意見を聴取し政務調
査会に上げられてから、政府案となるという党内手続きの一切が省略され、これ
だけ大きな事案が首相ひとりの独走で各国首脳が集まった国際会議でいきなり出
されてしまうというのはあまりに異常です。
 
  私たち農業者に至っては、FTAは民主党マニュフェストに出てきましたから
議論の対象に大いにしたものですが、よもやその拡大バージョンであるTPPを
いきなり出して来るとは思いもよりませんでした。一種の脳震盪状態といってい
いでしょう。村の友人はJAが組織した反対デモに行ったのですが、終わった後
の飲み会で、「なんだ、てーてーぴーって?」といった有り様で、実感が湧かな
いというのが実態のようでした。

 実はこの私もそうでした。10月に管首相が言い出した時には、また鳩山前内
閣以来の軽い思いつきが始まったと聞き流していたほどです。これをいきなりな
んの国民的な議論にもかけることなく、国際会議で発表してしまいいわば国際公
約としてしまうとは思いもよりませんでした。そして全マスコミ、産経から朝日
までが一丸となっての「平成の開国万歳」、「日本は世界の孤児となるな」キャ
ンペーンが開始されたわけです。もはや私たち農業者はまるで国策に反対する「
国賊」よばわりです。
 
  残念ながら私たちは有効な反撃ができませんでした。全貌がよくわからなかっ
たのです。しかしあれから4カ月間がたち遅まきながら、私たち農業者にもTP
Pがいかなるものかの全貌が見えてきました。煎じ詰めれば、TPPは米国が主
導する多国間自由貿易協定です。そもそも米国が、WTOのドーハ・ラウンドで
の不調を棚に上げて、自国の利害のために身勝手に始めたことです。

 菅首相は、横浜でのAPECで各国首脳を前に「世界の孤児にならない」、「
日本は鎖国をしている」とまで述べました。普通このような外交的席上では、わ
が国はいかに開かれた国であるのか、WTOの優等生であるのかを力説するもの
ですが、いきなり「わが国は鎖国している」とぶち上げたのです。日本の農産物
のタリフライン(関税品目)が多く、障壁が高いので、実態として輸入ができな
いために、消費者は大きな不利益を被っている、日本農業は過保護なのだ、とい
う声はうんざりするほどこれまでも聞いてきました。
 
  TPPがらみで、農業を日本経済の喉に突き刺さったトゲのように言う人はか
ならずと言っていいほどこの論法を採用しています。
 
  わが国の菅首相もそのひとりだとみえて、誰から吹き込まれたのか(たぶん経
産省でしょうが)正月早々に「開らかれた日本農業へ」とぶち上げていました。
この人はデータをろくに調べもしないで、官僚に吹き込まれたことをそのままし
ゃべるという悪癖をお持ちです。首相の代わりに、「閉ざされた日本農業」であ
げつらわれる品目を上げてみましょう。コメ778%、コンニャク1705%、
落花生593%、バター482%、麦256%、砂糖325%、小麦249%、
などとなります。
 
  これに対して、単純関税率は、日本が12%、米国6%、EU20%ですか
ら、ほら見ろ日本の農産物はバカ高い関税だと主張するわけです。どのような計
算 式を用いたのか、日本の農業関税は50%だという人すらいるようです。
 
  そこで現実のデータを見てみましょう。農業関税を比較した数字があります。
出典はOECD1999です。(「現代の食糧・農業問題」(鈴木宣弘・東大教
授 創森社より引用)です。ウルグアイ・ラウンド終了時のもので、やや古いの
ですが、まぁ現在も下がることはあっても上がることはありません。
 
  これはタリフライン(関税品目)ベースです。有税品目というゼロ関税まで含
んだ指標しか他に国際比較するものがないのです。
  唯一米国5.5%より高い11.7%ですが、EU19.5%、ノルウエーな
ど123.7%韓国62.2%です。これでも日本の農産物関税が、関税が高い
というなら、なにを見てそう言っているのか論拠のデータを教えてほしいもので
す。野菜、鶏卵、果樹などの主要農産物の多くは無関税か平均3%以下です。わ
が国は農業関税に関しては一部品目を除いてほぼノーガードだといっていいでし
ょう。

 逆に高関税のほうが例外です。高関税品目には理由があります。コメは減反政
策という国家カルテルを維持するのが目的です。麦は国内産麦の補助金を捻出す
るために国が麦類の貿易を仕切るという社会主義国家まがいのことをしているた
めです。米と麦に関しては、別の機会に詳述します。
 
  輸入豚肉は「差額関税」というとんでもない制度を農水省は1971年から作
っています。これはまず「基準輸入価格」というものを農水省が設定します。現
在546円です。それより安い輸入豚肉は、この差額を関税として徴収する仕組
みです。一方基準輸入価格より高い輸入豚肉は一律4.3%の関税をかける仕組
みです。この差額を関税で徴収するというやり方をするとどうなるのでしょう
か。豚肉には価格が高いヒレやロースなどの部位と、モモや肩肉などの安い部位
があります。

 安いモモなどはハムやソーセージにするために食品会社が輸入しています。こ
の基準関税方式は、いわば差額関税ですから、安くても、高くても関税をかけら
れるという方式です。食品会社は安い加工用肉をそのまま輸入してしまえば、差
額関税を多額にかけられてしまいますから、なんとか基準価格に近づいて関税を
減らそうとして高い部位であるヒレ、ロース肉も一緒に輸入しています。この方
法をコンビネーション輸入と呼び、どの食品会社もやっている方法です。
 
  と、どうなるのでしょう?このコンビネーション輸入で仕方なく買った高い部
位のヒレやロース肉は、ハムにするのはもったいないということで、一般市場に
流します。しかも元を取ろうとダンピングまがいのことをしています。これが一
般のスーパーに並ぶ安い米国産などの豚肉の出所です。なんの国内豚肉の保護に
もなっていないことがお分かりになると思います。まったく馬鹿な制度を作った
ものです。

 長くなりますから、またの機会にしますが、バターの高関税も農水省の天下り
団体の「農業産業振興機構」がバター輸入を独占していることから発生していま
す。輸入業者は、2次関税を払った上に、いったん機構に輸入バターを伝票上買
い上げてもらい、農水省の定めた806円/㎏の輸入差益を支払わねばなりませ
ん。機構はこのトンネル差益だけで年間11億ももうけています。これは日本の
畜産農家保護とはなんの関係もない、単なる農水省の天下り省益でしかありませ
ん。
 
  日本の農産品高関税には必ずといってよいほど、農水省の利権がからまってい
ます。私たち農家にはなんの関係もないことです。これをみてお分かりのように
、日本農業は関税などによって守られてなどいません。OECD先進諸国の中で
下から2番目の低関税国です。このどこをして、「日本農業は鎖国している」の
でしょうか。
 
  数少ない高関税は、農水省の省益利権にすぎません。ですから、「開かれた日
本農業」などと言われると、どこの国の話やらと笑ってしまいます。ところで、
管首相は幕末に日米通商条約が結ばれた横浜の地をあえて選び、各国首脳、中で
も米国大統領を前にして、「日本は鎖国している」と自国を卑下してみせました。

 先に述べましたように、首相の「鎖国」認識はまったくのでたらめです。わが
国の農業外の関税率もOECD諸国の中でも低く、発展途上国に対しては膨大な
品目を特恵関税扱いでゼロにしているほどです。特恵関税を得ている諸国には、
GDP世界第2位の「発展途上国」中国まで含まれています。
 
  菅首相は歴史がお好きと聞きます。山口県出身の自らを「奇兵隊内閣」と呼ん
だことすらあった御仁です。ならば、1858年11月に横浜で結ばれた日米通
商条約が、産声をあげたばかりの新生日本にとって、いかに大きな重圧だったか
は知らないはずがありません。関税自主権の放棄と治外法権という巨大な不平等
条約を押しつけられた日本にとって、それを破棄することが明治国家の一大目標
だったほどです。不平等条約破棄に至る40年間、日本はしなくていい大きな犠
牲を支払いました。

 関税自主権の放棄とはそれほどまでに大きなことであり、それを薄っぺらな現
状認識しか持っていない維新の志士気取りの安っぽいロマンチスト男に簡単に「
開国」されてはなりません。民主党政権は、沖縄問題、尖閣問題、そして北方四
島問題で連続的に外交をみずから揺るがせた反動で一気に米国にすがりつこうと
しています。
 
  ムード的に「平成の開国」とマスコミは叫んでいます。なにがTPPであるの
かがはっきりしないうちに、「バスに乗り遅れるな」とばかりに走り出そうとし
ています。TPPはすでに米国、カナダ、豪州、ニュージーランドが加盟してお
り、この先約事項に拘束されてしまいます。今、この時期で日本が最も遅れて加
盟すると、日本が協議していないことまで先約決定事項とされて拘束されてしま
います。
 
  まさに「平成の不平等条約」といっていいでしょう。
  TPPはやる必要がない協定です。日本は既に充分「開国」しています。それ
で不足があると産業界が言うのなら個別の二国間交渉で詰めればいいのです。

 いい機会です。安易な日本農業保護論ではなく、自立をめざした論議をする中
から、平成の不平等条約・TPPを迎撃しようと思います。以下、北海道の農業
者の現場からの声と琉球新報の記事をお聞かせします。今、北から南まで、日本
農民は怒っています。なかなか怒らない、おとなしい農民に火を点けてしまった
のです。

       。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。.
        。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。.
  以下、北海道の農業者から頂戴した声です。

 TPPに参加した場合の畜産(酪農と肉畜)の影響ですが、農業の周りにある農
業機械や飼料など資材関係及びその地域のコミュニティなど様々な関連産業も当
然影響を受けますが専門分野外ですので、個人的見解で答えます。先ず、酪農関
係ですが、国内の生乳生産は約800万トン弱ですが、乳製品の生乳換算需要は概
ね1,200万㌧と言われています。
 
  (国内生産量の50%相当が輸入されています)その約800万㌧の内、都府県で
の生産は約400万㌧でその大部分は飲用で消費され、一部バターやチーズにも使
われています。北海道は約50%の400万㌧弱生産しています。ちなみに平成21年
度の生産量は3,824千㌧で、その用途別割合は
  ①バター・脱脂粉乳1,681千㌧(44%) 
  ②生クリーム原料乳963千㌧(25.2%)
  ③飲用乳 746千㌧(19.5%)
  ④チーズ原料乳 433千㌧(11.3%
  となっています。
  ※飲 用乳には、都府県での飲用の為の送乳を含んでいます。

 この状況から言える事は、都府県の酪農家がそのまま存続し、生産量も現在と
同じと仮定すると、北海道で生産している約400万㌧の生乳の内、フレッシュも
のとして輸入が厳しいと思われるのが、飲用乳の約75万㌧+生クリーム96万㌧+
ソフト系チーズ若干程≒200万㌧ですから、単純に考えれば現在の生産量の半分
の生産で間に合う事になります。

 国内全体で考えれば飲用乳需要は約400万㌧、生クリームの大部分は北海道産
なので約100万㌧合わせて500万㌧チョット程度あれば間に合います。チーズ(主
にハード系)及びバター・脱脂粉乳は全て輸入に置き換わるでしょう。
(一部国産にこだわる実需者が居れば少し上乗せされるかな?)
  酪農での影響は牛乳だけではなく、生まれて来る「♂子牛」にも影響が出ます。

 雌雄判別精液を使わない限り53%前後は♂子牛であり、現在は哺育・育成・肥
育して枝肉として消費されていますが、輸入牛肉とまともにバッティングします
ので、採算は取れないでしょう。生まれた♂子牛は化成処理される事になります。
 
  話を纏めると、酪農家は半減(戸数か生産量かはありますが)、北海道で主と
なっているホル♂肥育関係は壊滅、交雑種(ホル×黒毛和種)関係は黒毛和種に
近いくらいの枝肉を作れる生産者1/3程度が残る・・・と言った感じかな?と思
っています。北海道では、酪農畜産農家は当然の事、畑作農家も危機感をもち、
農業団体挙げて反対運動を展開している所です。(地域が壊滅すると言う危機感
から市町村行政なども同じ考えで行動しています)

       .。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。.

 TPPの酪農畜産に関する影響は、大きなものがあると思っていますが、個人的
には先に参加している国々がルールを決めてしまってからの参加は大きな不利益
が生じると思っています。WTOでもEPA・FTAでもいつまでも国際的な大きな流れ
に乗らず、国家が存続して行くとも思えません。
 
  先々参加せざるを得ないのであれば、当初から参加し10年間の猶予(ルールの
決め方によっては品目毎に延長もあるかも知れない)中に、国内農業の方法や方
向も見定め、戦略を練る事も可能になると思います。いつまで守りの農業に徹す
るのか?攻撃的な農業は不可能なのか?ただ単にデモをしたり、署名活動をすれ
ばよいと言うものではなく、攻撃的農業の戦略も政府や農水官僚に提案して行く
事も重要だと思っています。
 
  ただ、一部大臣や経団連会長等が何も分からず、GDPの1.5%発言をしている事
には怒りを感じています。

 TPP参加表明と同時に、国民の食糧確保の問題(異常気象が当たり前になって
いる状況の中で、輸出規制が為された時の対応)、投機資金が流入し価格が異常
に高騰した場合の対応、自給率の問題(濱田様がおっしゃるカロリーベースでは
なく、他国と比較できる数値)、農業の問題、地域やコミュニティの維持の問
題、環境の問題、関連産業の問題等々の対応を国民に対して丁寧な説明が必要な
のではないでしょうか?単に所得補償すれば良い・・と言うものではないです。
農業者は「物乞い」ではありません。それと北海道の生乳品質は世界一と自負し
ています。

 でも、狭い国土の中で集約的に生産して行くには、どうしても購入飼料にも頼
らざるを得ません。コストがかかる事だけは、いかんともしがたい・・・と言う
のが現状です。(個体改良や自給飼料増産していくにも肥料等はどうしても掛か
ってしまいます)

          ○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*
  「TPP "見切り発車"は許されない」  (琉球新報 2011年1月18日 )
  国家の政策は常に弱者の立場に配慮し、支援・強化策が先にあるべきだ。しか
し、いま「強者の論理」が強行されようとしている。 内閣改造を機にTPP(
環太平洋連携協定)締結に急傾斜する菅内閣に、「農業や農民を切り捨てる暴
挙」との批判と警戒感が高まっている。
 
  原因は「農政無策」ともいわれる日本の政治の脆弱(ぜいじゃく)さにある。
県内の農家からも「ワクチンもないままに新型インフルが猛威を振るう社会に国
民を放り込むようなもの」との批判の声が絶えない。 農家や農業団体の懸念に
県議会は「地域経済に深刻な影響を及ぼすことが懸念される」として、協議に
参加しないよう政府に求める意見書を可決している。
 
  TPPは、環太平洋諸国間で原則として関税を撤廃し、自由貿易協定を結ぶも
のだ。 現状でも厳しい農家の経営環境の中で、関税撤廃と農産物の自由貿易化
となれば、安い農産物が大量に流入し、国際競争力を持たない県の基幹作物のサ
トウキビや肉用牛、養豚、パイナップルなどが壊滅的な打撃を受けるのは確実だ。

 「TPP参加は日本農業の壊滅への道」との厳しい反対論に、政府はきちんと
答える必要がある。 「安い農産物は消費者にとって歓迎すべきこと」との賛成
論もある。だが、中国産野菜の農薬汚染、米国産農産物の遺伝子組み換え問題な
ど、「安さ」と引き換えに「安心・安全」を失うことへの懸念や警戒への政府の
回答が先だ。
 
  菅政権の中には「GDPの1・5%しかない第1次産業が、他の98・5%の
産業を犠牲にしている」との暴論を吐く外相もいる。 思えば15年前、ウルグ
アイ・ラウンドで農水省は「一粒たりともコメは入れない」と反対していた。し
かし、自由化は加速し、コメは減反を強いられ、農業総生産額はピーク時(7兆
9377億円、1990年)の55%(4兆4295億円、2008年)に、主
業農家は82万戸から36万戸まで激減した。
 
  農業人口の激減、耕作放棄地の増加、食料自給率の低下など、農政無策で農業
を衰退させた「前科」に対する政府不信は根強い。 TPP締結の前に、国内産
業への影響に関する調査、影響に対する的確な対応策は不可欠だ。 食糧安保の
観点からも、"見切り発車"は、絶対に許されない。

             (筆者は行方市在住・農業者)

                                                    目次へ

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■横丁茶話
 ~小沢一郎は悪党か?~        西村 徹
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■議員専用エレベーター?


  徘徊老人という雅号を持つ俳人で、数え年80になる人物の「老人はゆく」とい
うブログに出会った。1月31日の書き込みは見逃せない内容なので、一人でも多
くの人に読ませたい。「老人はゆく」で検索すればたちどころに出てくるが、な
にはともあれその一節を紹介しておく。

   ------------------------------------------------
  【引用開始】
    今朝、参議院議員会館のエレベーターを待っていると、議員専用がき
   たので乗り込もうとしたところ、先に乗った蓮舫大臣の付き人らしき男
   が、「ここは議員専用だから乗れません」と通せんぼしたが、かまわず
   乗り込んで、「専用エレベーターではなく一般のエレベーターにも議員
   は乗っているではないか」というと「あれは誰でも乗れるもの」と答え
   た。「空いていれば誰が乗ろうといいではないか」というが「いやだめ
   だ」という。蓮舫大臣はその間、例の作り笑いを浮かべて素知らぬ顔で
   ある。

   そのうちに彼らは4階で降りた。徘徊は一緒に降りて「あんたは誰の
   秘書だ。何十年も国会に来ているが、こんなこと言われたのは初めてだ」
   といったが返答しない。後ろ姿にむかって「そんなこといってるから
   民主党はダメになったんだ」と言ってやった。
 
    国会議員特権を、こんなにあからさまにいわれたのは1955年に国会に
   足を踏み入れて以来初めてだが、自民党にはこれと正反対の議員がいる。
   中曽根弘文議員(自民党参議院議員会長)だ。昨年末、院内4階の国
   会図書館分館からエレベーターに乗った。3階で乗ってきた中曽根さん
   に、こちらが頭を下げる前に「お邪魔します」と頭を下られ恐縮した。

   この直後に参議院会館の議員専用エレベーターで地下から乗ってきた
   中曽根さんにまた出会ってしまった。1階で地方のおじさん2人が私の
   あとから、あたふたと乗り込んできた。中曽根さんは間髪を入れず「何
   階ですか」と問い、おじさんが行き先階を告げると、ボタンを押した。
   まことにご親切というか、気の利いたというか、自然体の見上げた謙虚
   なお人柄に心底敬意を表した。以後、中曽根さんに会うと深く頭を下げ
   る。成り上がりの民主党議員にはこれがない。
                         【引用終了】
    ------------------------------------------------

 もう一段落あるが割愛する。なるほど怒るはずだ。半世紀を越え60年ちかくも
国会に出入りしている老兵にむかって、ポッと出の人よせシンデレラ大臣の秘書
がよくも言ったものだと呆れる。土井たか子が質問のタネをもらいに駆け込んで
きたこともあり、売れないころの田原総一郎がやはりタネ探しにこの人の研究所
に一日すわりこんでいたこともある。一癖ある顔を一目見て、人が読めなかった
というのも代議士の秘書としてはお粗末にすぎる。これじゃ民主党の惨状がどこ
に起因するのか少し分る気がする。まだこんなに締まらないままでいるのか。崖
っぷちでまだこんなに浮かれているのか。青臭いにも程がある。


■病院のエレベーター、身障トイレ、女性専用車


  病院の病棟のエレベーターは、かならず手術室などへベッドのまま患者を運ぶ
ための優先エレベーターがある。そんな緊急性の高いエレベーターでも空いてい
れば患者搬送目的以外にも利用される。身障者用トイレでも空いていれば身障者
でなくても利用できる。女性専用車でもラッシュでなければ男も乗れる。当地の
スーパーには客用トイレに「従業員も使わせていただくばあいがございます」と
断り書きがある。

 参議院議員会館の議員専用エレベーターには、まれに病院の患者搬送専用エレ
ベーターに相当するような緊急事態があるだろう。しかし病院の患者搬送に較べ
てはるかにまれにしか発生しないであろう。むしろ議員専用以外のエレベーター
は来客用なら、「議員も使わせていただくばあいがございます」と断り書きがあ
ってもいいくらいであろう。客すなわち選挙民からすれば議員すなわち従業員で
あるだろう。

 図式化すればこうなる。これぐらいの心構えでちょうどよいだろうと思う。国
会に限らず地方議会も議員はすくなからず身のほどを勘違いしてのぼせ上がって
いる。名古屋市がいい見本だ。陳情にせよなににせよ、議員会館に来る客は客以
外ではありえない。
 
客に通せんぼするとはもってのほかではないか。まるで三尺の童子の無作法だ。
間違って勝手口から入ろうとする客に、伏して玄関からお入りを願うというの
とはワケがちがう。いつなんどき解散があるかもしれない衆議院はここまで緩く
はなかろうが、参議院は選挙が三年に一回しかないから、つい鈍感になる。しか
し参議院でも中曽根ジュニアのような人もいる。先代からの躾けが行き届いて、
たしなみの芯が通っているのだろう。まったく「そんなこといってるから民主党
はダメになったんだ」と思う。 

 徘徊老人が怒るのもむりはないが、ありていは、見た目ほど驕っているわけで
もなくて、ただただ未熟なのだろう気がする。精一杯忠実な秘書らしく振舞って
いるつもりなのだろう気がする。神輿に乗った蓮舫も、ただ吃驚してしまって、
どうしてよいかわからなかっただけだったろう。というより、テレビで売った顔
を買われていわば今様花柳界からの政界参入だから、花魁道中よろしく付き人は
用心棒風に振舞うだろうし、アイドルはアイドルであり続けるしか芸がなかった
のだろうと思う。ちょうど徘徊老人自身が赤坂の蕎麦屋で偶然触れ合った俳句の
女宗匠から、いささか艶冶な句を送られながら、いかんせん未熟だったばかり
に、間のいい返句ができなかったのと似たようなものだったろう。


■民主の醜態、マスコミの醜態


  野暮は言うまい。看板娘は婉然微笑していればよい。というぐらいは「目の奥
青き」徘徊老もじつは心得ているのだろう。秘書の修養が足りなさすぎたようだ。
未熟、ひたすら未熟。そうでも思わないかぎり、今の民主党総崩れの惨状は理
解できない。しかし、それよりも、なによりも、菅直人が代表になって以後の、
どうしても納得いかないことの一つに小沢叩きがある。菅直人らの小沢叩きとい
うより、むしろ菅直人を踊らせているマスコミの小沢叩きは異常としか言いよう
がない。こうも簡単にマスコミに乗せられてしまう民主党菅直人はこうもチョロ
イ男だったのかというのも驚きだが、こうも組織的に執拗に小沢攻撃を続けるマ
スコミの執念にも驚く。

 小沢一郎について私はほとんど白紙である。剛腕とか強面とか、さまざまな情
緒的風評は十分伝え聞いている。それだけである。好男子とも思わないが醜男と
も思わない。いかつい顔とも思わない。好きでもなく嫌いでもない。テレビで断
片的に一秒ぐらいの映像を見るしかないから人物について、主張について判断の
下しようがない。心酔する人もいるらしいが、嫌われてもいるらしい。仏祖の言
葉とされるダンマパダの227偈には

  人々は黙して坐る者を非難し
   多く語る者を非難し
   適度に語る者をも非難する
   世には非難されぬ者はない

 とある。小沢という人が格別に嫌われたとしても格別に不思議はないことかも
しれない。だからといってこのまま放っておいてすむことではない。やはりなに
が非難されているか、その非難の理由、内容を知らないで雷同するわけにいかな
い。この偈のいわんとするところもまた、みだりに人を非難すべきにあらずとい
うことだろう。

 さて党代表選では演説をじっくり聞き、小沢のいう事が菅よりはるかに筋が通
っていたことを憶えている。また1月27日ニコニコ動画でフリーの記者とのイン
タヴューがあって、じっくり見ることができた。人間がどうのこうのではなくて
言っていることはよく理解できたし納得できた。非難に当たるようなところはな
にもなかった。
 
  既存メディアがなにをいっているか。新聞は「朝日新聞」を購読する以外、間
接にしか知らないが、テレビをふくめて小沢一郎のどこがどう悪いか、具体的な
ことは何も言っていないように私には見える。政治とカネとかクリーンとか漠然
と抽象的なことを言って、これが小沢一郎を非難する言葉のすべてのようになっ
ているが、そもそもカネのかからぬ政治など本当にあるのだろうか。カネを集め
るのは政治家がひとしくやっていることだ。大量に集めたのがいかんというが、
いくらならいいのか。

 玄佑宗久は子供のころ坊主がお布施で生活することに疑問を持ち、たまたま自
宅に逗留した山田無文に問うたという。山田は「入ってくるものは仕方がない」
と言ったという。集まってくるものは仕方がないではないか。小沢に集まるカネ
はクリーンでないが鳩山や麻生の親譲りのカネならクリーンというのはおかしい
のではないか。


■カネのかからぬ革命はあったか?


  革命がタダでできるか。ロシア革命における明石元二郎のケースがある。オバ
マはインターネットで浄財を集めたなどと美談がましくいわれるが、見せかけの
表看板、総額も知れたもの。選挙資金の大方はウォール街や、なにより米民主党
オーナーというべきジョージ・ソロスからのものだ。ソロスのカネはウクライナ
などでも動いた。現在のエジプトの場合にも動いたといわれる。麻生の兵糧攻め
を耐え抜いて政権交代を果たしたについて鳩山のカネ、小沢のカネはモノを言わ
なかったか。平野博文は鳩山から1000万もらったではないか。「ブレア首相を聴
取、労働党への巨額融資疑惑の参考人で」 (2006年12月15日1時31分 読売新聞)
という記事もあった。

 ざんねんながら政治にカネは必要悪だというのが間接民主主義の今のところま
だ逃れられぬ運命のようだ。だからといって諦めるわけにはいかない。まったく
カネのかからぬ政治は絵に描いた餅だとしても、できるだけかからないようにす
るのがいいのはいうまでもない。政治にできるだけカネがかからないようにする
のは誰しもの願いだ。願っているだけではだめだからそのための法規を含めてシ
ステムを整備しなければならない。しかし、それまでは現行法規のなかで対処す
るほかない。現行法規をそのままほったらかしにしておいて、現行法規に触れも
しないことを、風評の煙を立てていぶりだそうとするのは魔女狩りでしかない。

 魔女狩りでないためには、いくら集めたから悪い、でなくて集めたカネは悪い
カネだという具体的な証拠が必要だ。贈収賄が立証されないまま帳簿を書き損じ
たとか書き忘れたとかではしょうがない。ところが新聞も検察も、自分勝手に疑
いたいものを疑いたいだけ疑って、クロだクロだと勝手に騒いで虚構によって疑
わしきは罰せよと言う。小沢は悪い、悪いという。どう悪いのか誰も教えてくれ
ない。小沢だから悪いというだけだ。嫌いなら嫌いとだけいえばよい。嫌いだか
ら悪いとはいえないはずだ。小沢は小沢だから小沢だと言っているだけではない
か。


■笑顔でない顔(まじめな顔)はみな不快そうな顔か?


  小沢一郎のニコニコ動画記者会見(1月27日)を朝日新聞は28日無署名で報じ
た。「朝日」は言う。「小沢氏は笑顔で質問に応じていたが、強制起訴後の身の
振り方を聞かれると不愉快そうな表情に変わり、『国民の要請に従ってやりま
す。変わりありません』と短く答えた」。私が見たかぎり笑顔ではなかったが
「不愉快そうな表情」には見えなかった。笑顔でなく、まじめな顔なら、みな
「不愉快そうな表情」ということにはなるまい。こういう風に、つまり無署名
で、記者の主観を客観的事実報道であるかのように書くのが少なくとも小沢報道
についての朝日新聞の定石になっているかに見える。

 「朝日」はこうも書いている「16日放送のフジテレビの番組では政治資金に
ついて質問した出演者に『今日は政策論議でお招き頂いている。そういうたぐい
はなるべく後の機会にしたい』と、露骨に不快そうな表情を見せた」。放送を見
ていないから判断は保留するほかないが、16日には「露骨に不快そうな表情を見
せた」のだから27日もおなじでなければならないと考えたのだろう。それなら私
の目には27日に「不愉快そうな表情」ではなかったのだから16日も「露骨に不愉
快そうな表情を見せた」というのはウソだろうと思うほかない。朝日は記者クラ
ブで省庁職員が記者の昼寝用枕を準備することなどは報じなかった。富の分配に
ついての小沢発言にも触れなかった。


■小沢の言い分


  富の分配など小沢の言い分をもうすこし念を入れたいと思って『小沢主義』(
2006年・集英社)という本を読んでみた。大枠はほとんど社民的リベラル、心情
的には近ごろ流行のコミュニタリアニズムの気味もあるというところで括れるよ
うな内容だった。小泉改革については「弱者の負担をふやすものばかり。その半
面、累進課税の緩和や金融所得への減税など、富裕層や大企業を優遇する経済政
策だけは着々と進めている」(56ページ)ときびしく批判している。且つまた、
それは、けっきょく「多くの人たちに痛みを与え、その一方で特定の者にだけ利
益をもたらすもので、およそ本来の改革とは似ても似つかぬもの」(85ページ)
と総括し、「ひとたび改革をしようと決意すれば、どこまでも前進あるのみで、
妥協は許されない。

 もし、妥協をするのであれば、最初から改革などしないほうがいい。・・・も
ちろん改革によって既得権を失い、不利益をこうむる人はかならず出る。既得権
者の中には、それまでの仕事を失う人たちだってでてくるかもしれない。しか
し、大多数の人たちに幸せをもたらすためには、それを乗り越えなければならな
い。」(同ページ)と、はっきりしている。
 
  行を変えて「改革がもたらす『現実』に怯えて、改革そのものを中途半端なも
のにしてしまうのなら、最初から改革などやらないほうがいい」(同ページ)と
反復していて、まるで目下菅体制の妥協に妥協を重ねる後退振りを言い当ててい
るかのようで興味深い。

 官僚については菅のように「大バカ」とは言っていない。反対に「日本の官庁
には明治以来集積した膨大なデータと経験がある。それを元にして計画を立てる
のだから、その緻密さにおいては政治家が勝てるわけがない」と言う。(96ペー
ジ)
  そのような官僚を相手に、いかに政治主導を可能にするか、この書物の趣旨を
あえて誤解をおそれずに縮言するならば「政治家が自ら官僚になる」、つまり自
らを官僚の水準にまで練り上げることによるのであるらしい。


■小沢の自己責任論


  読んで違和感をおぼえるところはなく、むしろ共感できることばかりですらあ
ったが、とりわけ興味深かったのはグランド・キャニオンの一件。しばしば小沢
は新自由主義者だとする根拠になっている箇所だ。

 グランド・キャニオンには柵も危険表示もない。毎年何人も落ちて死ぬが景観
を損なうような柵や看板のたぐいはいっさいない。日本だったらどうなるか。肝
心のものが見えなくなるほど邪魔物だらけになるだろう。スピーカーが大音量で
危ない危ないとがなりたてるだろう。こんなことは「自己管理」にゆだねるべき
ことだと小沢は言う。まったくそのとおりだと思う。

 川が流れていれば大抵コンクリートの護岸がなされ30センチほどのコンクリー
トの堤が盛り上げられ、その後堤上に金属フェンスが立ち上がり、高すぎるとい
う苦情が出ては少し低いフェンスに替わる。そのたび公共工事が発生して経済を
活性化させたのではあろうが、今このフェンスが標準化して、どんな河にもつい
ている。ちょうど視野を遮ってはなはだ不都合なものである。こういうものを逐
次撤去して本来の自然状態に戻すことに再度公共事業による雇用を創出すべきと
私は考える。

 その点で私は小沢の自己責任論にまったく賛成である。政治以前に福沢諭吉の
いう一身独立、世にいう「個の確立」がなければならないというのだ。「個の確
立」がないから「弧の確立」が、そして孤独死が結果してしまった。私はこの小
沢の迎合的(ポピュリズム)でないところは高く評価してよいと思う。それが新
自由主義なら新自由主義を評価してよいと思う。私はBI(ベーシック・インカム
)に賛成だ。

 新自由主義のフリードマンが言い出したのならフリードマンに賛成だ。BIさえ
あれば1月8日に起こった大阪府豊中市の資産家姉妹の相続税破産による餓死はな
かった。メイ・サートン『独り居の日記』の中で著者は政治家ド・ゴールの資質
器量についてwholeと修飾していた。政治家は個別の主義によって分類さるべき
ではなくwholeとして見らるべきものであろう。小沢にどれだけの器量がある
か、松本健一は小沢にはビジョンがないという(朝日新聞1月21日)。
そうかもしれないが二代続いた薄志弱行の腰抜けに較べれば確実によいだろう。
三度目の正直という。試してみるに値しよう。

 2月8日朝日新聞書評欄でレベッカ・ソルニット『災害ユートピア』について柄
谷行人が書いていたのを見ただけだが、災害時に虐殺や略奪などのおこるのは軍
や警察の治安維持活動が誘発するケースが多いそうだ。「サンフランシスコ大地
震でも、死者のかなりの部分は、暴動を恐れた軍や警察の介入による火災や取り
締まりによってもたらされた。同じことがハリケーンによるニューオーリンズの
洪水においても起こった。略奪とレイプが起こっているという噂(うわさ)がと
びかい、被災者の黒人が軍、警察、自警団によって閉じこめられて大量に殺され
た」そうだ。

 「阪神・淡路大震災では関東大震災のようなことは起こらなかった。当時、国
家の対応が遅すぎるという非難があったが、むしろそのおかげで、被災者と救援
者の間に、相互扶助的な共同体が自然発生的に生まれた。そのような『ユートピ
ア』は、国家による救援態勢と管理が進行するとともに消えていった」という。
佐々淳行みたいのがいち早く危機管理に乗り出していたなら、逆に浅間山荘事件
みたいのが起こっていたかもしれない。


■マスコミが恐れるのも道理


  一体どこがマスコミに嫌われるのか、ひとつその秘密を見つけることが出来
た。小沢がマスコミに容赦ないのだ。一節を挙げる。

   ------------------------------------------------
  【引用開始】日本のマスコミは、先ほどの「どぶ板選挙」批判もそうだが、政
治を矮小化し、あたかも「汚いもの」のごとく扱いたがる。彼らはいつも「選挙
のたびに政治家は有権者に嘘を言い、有権者を煽て挙げ、そして地元に利益誘導
を約束することで当選している」と書く。

 だが、そんなことで選挙に勝てるとするならば、それは日本人の民度が低いと
いうことだ。つまりマスコミは自分たちを高みに置いて、日本国民全体をバカに
しているわけである。(31~32ページ)【引用終了】
    ------------------------------------------------

 なるほどマスコミに嫌われるわけだ。「マスコミのリーダー潰し」についても
書いていた。マスコミにおもねらないからマスコミは機嫌が悪いのだ。だから小
沢悪党説はすべて根も葉もない作り話だ。作り話の一例を挙げる。田原総一郎が
枝野に訊いた。「あんたが小沢にいちばん嫌われているのか?」枝野は答えた。
「一番ではない二番目だ。私は弁護士ではあるが東北大だ。仙石さんは弁護士で
あるうえ東大です」と。田原がテレビでそう言ったのを私は聞いた。まさかウラ
をとったわけではあるまい。

 嘘でも本当でもない他愛ない作り話だが、こんな風に虚像はつくられるのであ
るらしい。大体デマはこのようにつくられる。菅直人の年金未納問題では武蔵野
市の落ち度によるにものであったにかかわらず、その事実は一切マスコミによっ
て黙殺された。ぬれ衣のまま菅は頭を丸めて四国遍路に赴いた。

 小沢が大連合を画策したとき独断でことを行おうとした。これは衆議によって
阻まれた。同じことを鳩山内閣の外務、防衛、国交各閣僚がやった。普天間代替
地を総理が国外、県外と大声で言っているとき彼らはまったく違ったことを言っ
ていた。誰にも阻まれずに。独断の大連合を阻まれたとき小沢は辞意を表明した。
独断で消費税に言及して参院選で大敗した菅は辞意を表明しなかった。いずれ
が倫理的に高いか。


■菅よ、いずこに行かんとするか


  熟議といって野党とは妥協を重ねつつ党内民主主義を踏みにじり、不条理と戦
うといって小沢叩きという不条理をやっている菅には、もはやなにを言っても仕
方ないかもしれないが「空にも書かん」の思いで書き加えておく。

 財政再建が必要なことはわかる。そのためには増税しなければならないことも
わかる。増税するならするで、納得できる増税であってほしい。増税は経済成長
を生むという、風が吹けば桶屋がもうかることもないとはかぎるまいが時期が問
題だろう。とにかく消費税だというのが果たして納得できるか。それより前にほ
かに出来ることも、まだあるのでないか。今みたいなデフレのときに消費税を上
げると大企業は価格に転嫁できても中小企業はそれができないという。つまり消
費税上げは中小企業増税になるという。

 そしていまでも税金の滞納がいちばん多いのは消費税だそうだ。事前に片付け
るべきことは滞納を減らすとか、デフレを沈静化するとか、すぐ気付くことだけ
でもいくつかある。たとえば、こんなこともある。法人間配当は無税だそうだ。
過去6年でその額は8兆7700億になるそうだ。2008年度だけで1兆9807億だそうだ。
これを先ず改めてはどうだろう。
  これだけなら僅か2兆ほどで取るに足りないのかもしれない。しかしこういう
のを探していけば、塵も積もれば山になりはしないか。かねがね思うところだが
宗教法人に少しは御願いしてもよくはないか。大きな票田だろうからとても手が
つけられないだろうことは承知のうえで、西本願寺御影堂の大修理などを見ると
そう思う。なにしろ建物の修理で55億7000万を費したという。すさまじい財力だ。
代々世襲の門主が本を出すと末寺の坊主に販売の圧力がかかってくるそうだ。
祇園の上得意は坊主だそうだ。織田信長のようなことはできなくても、多少のこ
とはやってもいいではないかと思う。

 相続税もセチ辛くなるそうだ。ある週刊誌の広告で見ただけだが大企業の部長
ぐらいが集中的に餌食になるそうだ。もっと富裕な層は従来どおりだから痛くも
痒くもない。これじゃ中間層を分厚くするのが社会の安定につながるというのと
矛盾するのでないか。部長ドマリという言葉がある。私の高校の友達を見ても、
社長とか副社長とかになったのもいなくはないが、部長ドマリが平均的だ。する
と大学を出て鳴かず飛ばず、平凡な人生の終着点を表わす言葉が部長ドマリだろ
う。やっとたどり着いてマイホームを持って、どうにか中間層に仲間入りしたと
ころで相続税で持っていかれるのでは、いよいよやる気は失せるだろう。

 第二次菅内閣の打ち出している増税案は富裕層にはほとんど響かない。あるエ
コノミストが言った。鳩山の、鳩山による、鳩山のための増税だと。なぜなら大
金持ちはみな会社のオーナーだ。所得をほとんど個人所得とせず、生活費のほと
んどすべては会社の経費にできる。また所得の大半は株だから配当課税は分離課
税にできる。何億配当があろうと税金は一割しか払わずにすむ。党の資金確保の
ためにはよいかもしれない。(2011.2.10)

            (筆者は堺市在住・大阪女子大学名誉教授)

                                                    目次へ

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■【私の視点】
  河村減税の「庶民革命」に敗れた菅民主の増税路線 
    ~名古屋の結果をどう見るか~               仲井 富
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 沖縄参院選(09)知事選の不戦負け、(010・11)北海道5区の補欠選挙敗北
(010・10)、茨城県議選、西東京市議選と連敗(010・12)そして2月6日の名古
屋市長選、愛知県知事選挙では敗北というより大惨敗。民主党の最強地盤でのダ
ブルスコアどころかトリプルスコアの敗北は、民主政権にトドメを刺すとともに、
今後の政局展開に決定的な影響を及ぼす結果となった。以下この選挙結果につい
て分析してみたい。

 要約すれば1)愛知・名古屋の選挙結果は、公約と民意を踏みにじった民主政権
に有権者が「反逆した」結果であり、2)減税の河村、大村タッグが増税の民主、
自民連合候補を粉砕した。3)民主党の公約裏切りが、地方首長新党の流れを加速
させ、4)民主党の4月地方選挙の敗北は決定的となった。5)その結果、つぎの国
政選挙での敗北もまた必至となった。
 
  その後の事態はさらに菅民主政権の自滅、崩壊を決定的にしている。それは名
古屋を契機として、次期地方選挙に出馬する民主党候補者が、東京でも名古屋で
も静岡でも、民主党の推薦または公認を辞退し、他の会派または無所属での立候
補に切り替えていることだ。
  その象徴的な例が、菅首相の地元、国立市で、民主党結党以来の党員で、市議
4期の生方裕一氏だ。

 今年5月の地方選で5期目に挑戦するが、昨年12月末、民主党離党届を出し
た。理由は「菅さんなら改革してくれると期待していたが、結局、菅さんはポス
トにしがみつくだけで、政治家としての覚悟がないことがよくわかった。以前は
『霞が関はバカ』といっていたのに、財務官僚に取り込まれてしまった。マニフ
ェスト詐欺もヒドイ。有権者に対する冒涜であり民主党は解党して出直した方が
よい」。(夕刊ゲンダイ2月18日)


●有言実行の河村に有言不実行の菅民主惨敗 


 全国最強の民主党地盤で総選挙、参院選と完勝してきた民主党が、2月6日の名
古屋市長選挙と、知事選挙、そして名古屋市議会リコール投票で惨敗した。河村
市長は、自分の報酬を2400万円から三分の一の800万円にして、退職金4000万円
をも返上。先ず身を切って、10%減税と議員定数半減を訴えた。捨て身の河村市
長の姿勢を名古屋市民が勝利させた。民主党は衆院選挙で議員定員80人削減の公
約は言葉だけ、無駄を省くことは止め消費税増税へ。普天間県外移設は裏切って
沖縄切捨て。高速無料化、ダム中止も消えた。
 
  ことごとく公約を破り捨て、権力維持のために財務省の掌に乗って、旧自民の
財務大臣を入閣させるという、タケシが言う詐欺師内閣、有言不実行の菅民主党
政権が否定された。しかも河村打倒のために名古屋の民主党は自民党と手を組ん
で見せた。いまの菅民主と同じ姿勢だが見事に失敗し、自民、民主、連合の旧体
制方式も崩れ去った。知事選挙では分裂した自民党候補にさえ敗れ3位だった。


●民主政権と既成政党敗北の名古屋 


  名古屋市長選挙と愛知県知事選挙における民主党の敗北は、数字で見るとまさ
に惨敗だ。市長選挙で河村は約66万票、民主、自民、社民、国民新が推した石田
は約22万票、共産の八田は約5万票だ。ダブルスコアどころかトリプルスコアで、
既成政党が推した石田(民主前代義士)が敗北した。河村改革に反対したのは
民主、自民だけではない。民、自、公、共、社民と既成政党はすべて反対だった。
議会勢力は70対1と河村勢力は1議席だった。

 リコール以外にこの既成政党の既得権益擁護連合を崩すことは不可能だった。
そして戦後政治史上初の政令指定都市における議会リコールに成功した。よくマ
スコミや学者評論家は「河村の手法は大衆迎合主義で独裁の危険がある」と非難
するが、名古屋の実態を知らなさ過ぎる。反河村勢力も公明党が離脱して崩れた。
公明支持層から「議員の1600万円の報酬は高すぎる。せめて市長並みに半減し
ろ」と言う声が高まって方向転換せざるを得なかった。民主、自民、社民、共産、
連合は議員の既得権益擁護の姿勢を変えなかった。

 その結果の惨敗である。名古屋と愛知の有権者は「減税」の河村を大勝させる
ことで、国民への公約を破棄して、消費税増税に舵を切った民主政権に「反逆し
た」のである。
  ▽名古屋市長選開票結果
  当 662251河村たかし 諸前(地域政党減税日本)
    216764石田 芳弘 無新(民主、自民、社民、国民推)
     46405八田 広子 無新(共産推)
     23185杉山  均 無新


●県知事選挙と比例票の比較 国政選挙でも敗北へ


  愛知県知事選挙の結果を見ると、民主の惨敗の意味がはっきりする。下記の表
のように民主党の推薦候補は3位で約49万票だが、過去二回の国政選挙では、民
主党の比例区票は09年衆院選で約190万票、10年参院選で118万票。じつに過去の
国政選挙の3割から5割以下に激減した。愛知県は2009衆院選で全15選挙区を制し
た民主王国だ。その牙城で、民主推薦の県知事候補は当選した大村秀章氏のみな
らず、自民党の県連推薦候補にも後れをとった。中日新聞の出口調査によると、
市長選では民主党支持者の77%が河村氏に、県知事選では57%が大村氏に投票
している。
  民主最強の地盤でのこの結果は、全国の都市部での民主凋落につながる。4月
の首長選挙では、民主党は自公への相乗りはあっても、従来の民主独自の候補者
擁立は不可能だろう。東京、北海道、大阪でも擁立が困難だし、もし擁立しても
敗北は必至だ。大都市を中心に伸びてくるのは、大阪、愛知を中心に広がる、首
長新党であり、みんなの党だ。こういう動きに鈍感だった既成政党は、共産、社
民を含めて大都市部では減少、消滅へという道をたどることになろう。

 首長新党の4月地方選挙の伸長は確実だが、いずれもその大阪都構想や中京都
構想なるものは未成熟だし、たとえ議会の多数派を形成しても、国政の壁を乗り
越えなければ実現は困難だ。必然的に国政への進出がつぎの課題となる。4月地
方選挙で、民主党は地方での基盤を失い次の国政選挙の展望はかぎりなく暗い。
敗北、消滅、あるいは次の政界再編成を予感させる。

▽愛知県知事選開票結果
  当 1502571大村 秀章無新(地域政党日本一愛知の会))
    546610重徳 和彦 無新
(自比例票、09年衆院 958,861 10参院 680,080)
    487896御園慎一郎 無新
(民比例票、09年衆院1,883,229 10参院1,182,899)
    324222薬師寺道代 み新
(み比例票 09衆院 185,966  10参院487,800)    
    141320土井 敏彦 無新
(共比例票  09衆院 250,890 10参院 169,431)


●笑ってしまう民主党の醜態、選挙に負けて報酬削減 


  選挙翌日の2月7日、笑ってしまったのは、惨敗した民主党名古屋議員団が、河
村改革の一つ、議員報酬半減の800万円に賛成すると発表した。だが市民税減税
10%には反対だそうだ。中日新聞の出口調査では、民主党支持者の77%が河村に、
県知事選挙では57%が大村に投票した。このままでは民主党王国の愛知でも
市議会議員全員が危ういと感じたからだろう。だが遅すぎるし、こんな中途半端
な変身を民主党支持者は許さないだろう。
 
  さらに笑ってしまうのは名古屋の惨敗に菅も岡田もきちんとした話が出来ない。
それほど困惑していると言うことだろう。ただ1人、あの旧自民党出身の石井
選対委員長が、「地方選挙の結果だから政局には直接影響はない」などと発言し
ただけだ。民主王国でトリプルスコアで負けた原因はなにか、蓮ホウ以下の人気
大臣?を次々に送り込んで、河村改革の不当性を攻撃した。にもかかわらず、そ
の敗北の責任は誰も取らない。「政権の行っていることが国民に伝わっていない
」(枝野官房長官)などというが、とんでもない。沖縄の切り捨てをはじめ、行
っていることの、あまりのひどさに有権者がノーを突きつけたのだ。

 おそらく、民主党は次の地方選で大都市での首長候補者は擁立できない。国政
政党としての資格を完全に喪失したのである。


●明日なき菅民主、稲盛会長も「こんなていたらくに落胆」と発言


  民主党にとって笑えないことが起きた。長きにわたって政権交代が必要だと、
民主党を応援し続けてきたJAL会長で内閣顧問の稲盛和夫氏が記者会見で「現
在の体たらくを見ると、こういうことで支援したつもりはなかったので、大変落
胆している」と述べた。今後については「一回目の政権交代可能な状態までは一
生懸命、熱を入れたが、私も年だし.あとは静観したい」と距離を置く考えを示
した。(読売2月9日)法人税減税で大企業のごきげんをうかがっているが、まと
もな経営者からは付き合いきれないと突き放されたようなものだ。そして翌日、
古賀連合会長も記者会見で「連合としては最大限の応援をしたが大敗北を喫した。
内部がまとまらず有権者の不信をかった」と苦言を呈した。
 
  菅政権ではもう地方選挙は戦えない、という悲鳴が各地であがっている。それ
とは無関係に、国会で「税と社会保障の一体改革」を唱え、自民、公明への「抱
きつき」を試みたが失敗した。菅民主政権の消費税増税路線は、かつての自社連
立政権の橋本内閣で社会党の久保旦大蔵大臣が演じた、消費税2%増税の姿と重
なる。これを通したのは土井たか子議長だった。そして社会党は消滅し自民党は
生き延びた。

 財務省はこれと同じ役割を菅民主と横路孝弘議長にやらせようとしている。「
これに反対するものは歴史に対する反逆行為だ」などと財務省の振付に乗って、
民主自滅への道をひたすら走っているのが菅民主政権だ。自民、公明もここまで
きた菅民主の「ドロ船」に乗って、ともに沈む愚は犯さない。社民党も、これま
での沖縄を中心にした背信と裏切りをのりこえて、もういちど菅政権と組むかど
うか。安易な妥協は沖縄の県民を怒らせ、社民の重大拠点を失う結果になる。
 
  わたしは1955年から今日まで、左派社会党、統一社会党そして自社二大政
党対立の時代。そして細川政権から自社さ連立、自公連立と、数十年間霞が関界
隈で、政治の世界をのぞいてきた。だがこれほどひどい公約違反を平然とやって
のける政権に出くわしたのは、社会党が安保、自衛隊容認と消費税増税した自社
さ連立政権と今回の菅政権の2回だ。

 村山社会党は消滅した。そして民主党はさらに大きな背信行為を犯して、政権
交代にかけた国民の夢と希望を打ち砕いた。「民主主義にたいする歴史的な反逆
行為」によって自滅崩壊に至ったのだ。ほっておけばこの政権は「憲法改正」ま
で、自民党の案に乗って「あんたらが言っていたことだ」という「抱きつき憲法
改正」までやりかねない。一刻も早く菅民主党政権を打倒することが、民主党支
持者の責務である。
 
  異様な「TPP開国論」歴史の連続性を見抜け 内橋克人氏講演会(農業協同
組合新聞) 2011 年 2 月 09 日

「菅直人首相は歴史上、幕末・明治を第一の開国、あたかも輝かしい開国であっ
たかのごとく信じているようですが、蒙昧とはこのことをいうのでしょう。第一
の開国こそは欧米列強への隷従的・片務的な「不平等条約」でした。相手国は一
方的に関税を決め、日本は独立国家の当然の権利である関税自主権さえ奪われた。
それから領事裁判権という名のもと、犯罪を犯した外国人を日本の法律で裁け
ない治外法権も強制されました。対等な関係における日本の「開国」がやっと実
現したのは、第一の開国から60数年も経った第1次大戦後のことです。近代日本
がいかに苦悶を迫られたか、それを菅氏はご存じない。
 
「開国」という「政治ことば」に秘められた大きな企みが人々を間違った方向へ
導いていく。「規制緩和」「構造改革」がそうでした。これに反対するものは「
守旧派」と呼び、少数派として排除しましたが、今回も同じ構図です。「改革」
とか「開国」とか、一見、ポジティブな響きの、前向きの言葉の裏に潜む「政治
ことば」の罠、その暗闇に目を注ぎながら言葉の真意を見抜いていかなければな
りません。「国を開く」などといいますが、その行き着くところ、実質はまさに
「国を明け渡す」に等しい・・・」正にTPP推進は「国を明け渡す」所業。ア
メリカのロボトミー内閣となった菅政権は地獄に堕ちよ。

 農業協同組合新聞から (徘徊記 上記は友人から今朝送られてきたメールで
紹介されたものです。詳しくは、以下の「続きを読む」をクリックして下さい。

                (筆者は環境問題研究家)

                                                    目次へ

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■【北から南から】

  中国 深センから                    佐藤 美和子
   『新年好!2011』

 米国 マジソン便り                   石田 奈加子
   『マヂソンにはどんな人がすんでいますか。』   
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■ 【北から南から】
 中国 深センから                    佐藤 美和子
   『新年好!2011』
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  元々、『訪日中国人向けアテンド』の続編を書くつもりだったのですが、ワタ
クシただいま絶賛風邪っぴき中。よって、新年のご挨拶のみで失礼します。

 なぜ今頃、新年のご挨拶?それは、今年の春節(旧正月)が2月3日だったから
です。日本の小正月に相当する『元宵節』が、2月17日。これを書いている今現
在、まだ元宵節を迎えていないため、まだまだ春節気分の抜けない中国なのです。

 中国では、春節で年明け、と考えます。そのため、例えば今年2011年の場合だ
と、春節を迎える前の1月中に、「年内は無理だね。年が明けてからにして」な
どという言葉を耳にします。えっ、まだやっと1月なのに、あと11ヶ月も待つの
?と一瞬戸惑ってしまいますが、彼らの言う年内とは、春節前という意味なんで
すね。ただし、中には新暦の年内を指す場合もあるので、納期など業務に関わる
ときは要確認です。

 そして春節を新しい年の始まりと考える中国では、春節があけてから、
「新年好!新年あけましておめでとう!」
  と言い交わします。長年中国に住む私にとっては毎年2回もお正月があるよう
なもので、お得感がありますね。それに12月中に大掃除が終わらなかった時は、
「まぁいいや、ここ中国では新年はまだなんだし」、そして春節にも大掃除がで
きなかったら「私は日本人、春節だからって大掃除する必要ないよね」と、グー
タラ生活の言い訳にもなって、とっても便利なのです(笑)。

 さて、今年の春節も深センで過ごしたのですが、友人知人との新年会がいくつ
もあって、忙しくしておりました。ある食事会はホテルレストランが会場だった
ので、車をそのホテルの地下駐車場に入れようとすると、駐車場ゲート脇に、満
面笑顔の係員が待機しておりました。ん?いつもは誰も居ないのに?あら、駐車
カードを取ってくれるの?香港から越境してきた右ハンドル車じゃないんだし(
中国は左ハンドルです)、自分で手が届くから別にいいのに~。

 そしてカードを受け取ろうとすると、その駐車場係員のおじさん、耳まで裂け
そうなすごい笑顔で「新年快楽!恭喜發財!万事如意!年々有余!」と、めでた
いお年賀の言葉を次々にまくし立てます。あぁ春節だものねぇと、こちらも「春
節快楽!」と返事をしたのに、おじさんカードをぎゅっと握ったまま手放しませ
ん。いったいナンなの???

「えー、めでたい春節ですから、ぜひ御祝儀をお願いします!」
  なんでやねん(笑)!なんで初対面の人に、自分でも取れる駐車カードを手渡さ
れただけで御祝儀や!と、相手にせずカードを奪って、さっさと駐車場に入りま
した。

 あとから新年会に集まった知人らに聞くと、
「うちは御祝儀、渡しちゃったわよ。だって、実は反対の手に鍵束を握っていて
ね、断ったら腹いせに、こっそり車のボディーに傷を付けられるって話を聞くも
の。キズ修理代より安く済むと思えば、仕方ないわ。」
  ええっ、なんてこと!うちも、あとで車をチェックしなきゃ!

 別の人は、「一人にあげただけで済んだなら、まだいいじゃないか。うちは御
祝儀を出したら、後ろにもう一人同僚スタッフがいるから、その人の分もくれと
言って、ポチ袋二つも取られちゃったよ」なんてチャッカリしているんでしょう
……。

 さらに、「うちなんて、もっとすごかったわよ。昨日も外食していたのだけど、
注文取ったウェイターがテーブルから離れないから、仕方なしに御祝儀あげた
のよ。そしたらね、すべての料理をいちいち違う店員が運んでくるのよ。全員に
御祝儀ねだられて、難儀したわ~」
  アハハ~もうここまで来ると、コントですな。

 我が家も自分の住むマンションの管理スタッフや大勢いる駐車場係員、常連に
なっているレストランなど顔見知りの店員さんには、御祝儀、ちゃんと配り歩い
ています。華南地方は特に、その習慣が他地域よりも根強いので、郷に入っては、
ですしね。とはいえ、通りすがりに近い人にまでは、さすがにイヤだぁ~(笑)。

 ちなみに、そういう知らない人にねだられた場合、5元(63円)程度の御祝儀
が相場です。それでも一日に何十人、そして春節期間中で考えるとかなりの実入
りになるとか。マンション管理スタッフなど、顔見知りの場合は10元(126円)
程度。特別親しい場合でも、せいぜい20元(253円)がいいところなのですが…
…ちりも積もれば、なんですよね。

 華南地方では、成人・未成人に関係なく、既婚者は未婚者にお年玉をあげると
いう習慣もあります。時には、若くして結婚した二十歳そこそこの人が、独身ア
ラサーにお年玉を出すハメに、なんて妙なこともあります。うちも、相方の独身
会社スタッフや友人知人の子供たちに配るのですが、子供のいない我が家は出て
行くばかり。友人知人の子供へのお年玉も、物価の上昇と共に年々相場は上がる
一方です。

 相手との親密度によるものの、中国都市部の相場では中学生以下は一人
100~500元(約1300~6300円)。高校大学生以上ともなると、500~1000元(
約6300~13000円)にも上ります。このほど中国のGDPが日本を抜いて世界第二位
になっただけあって?お年玉相場も日本より、ちょっぴり高めですよね。

 この時期、旅行に出かければお金はかかるし、出かけなくてもやっぱりかかっ
てしまう。御祝儀・お年玉に帰省費用や年越し準備など、春節のわずか数日間で
軽く月収が飛んでいくといって、近頃では当の中国人ですら、春節を気重に感じ
る人が増えているそうです。

             (筆者は在中国・深セン・日本語講師)

                                                    目次へ

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■【北から南から】
  米国 マジソン便り                   石田 奈加子
   『マヂソンにはどんな人がすんでいますか。』
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 マヂソンには大きな総合大学がありますので、世界各国から大学生、大学院生、
研究者、教授等が集まります。大学のキャンパスの一部に大学院生と研究者、
教授の家族用の住宅群があり、そこに住んでいますと各国からの老若男女に日々
出会い、いろんな人、いろんな風習があるということが少しも不思議に思われま
せん。この住宅街の区域の小学校はもう国際連合の会議場そのものです。

 研究者、教授住宅を数年の後に出て市の西方の住宅街に家を買って移りました。
1976年のことです。所謂Suburb(郊外)というほどの町外れでなく市内で
すがご近所はみんな白人のアメリカ人家族ばかりでうちだけがまあ外国人・有色
人種でした。4年生の息子は国際連合的小学校から地域の学校にうつりましたが、
全校でうちの息子のほかにはもう一人しか有色の生徒が居ないのにはちょっと
びっくりして、心配になったものです。

 2・3年ほどして右隣の家族が家を売りあとにカルカッタからのインド人の家
族(大学の統計学の先生)が入りました。道の向こう側の人がもうこれ以上外国
人(有色人)に移ってこられては困るということを言ったとうちの主人(パキス
タン出身)が聞いてきました。

 現在右隣は四代目のインド家族(チェナイ、旧マドラス出身)、左隣は奥さん
が台湾からの女性、裏隣のご主人の弟さんのお嫁さんが韓国の女性、お向かいの
娘さんのご亭主はインドネシアから。こういった変化は15年ぐらい前から顕著
になったと思います。それでふと気が付くのはこの辺の有色人種はみんなアジア
系で黒人家庭が一つもないということです。

 今マヂソンの人口の6.2%がアジア系、6.6%が黒人だそうです。全国的
には黒人人口の比率は13%ぐらいですからここでは黒人はずっと少ないわけで
すし大都会のように日常黒人・人種問題が大きく表面に出るとか人々の意識に上
るということはあまりないのですが、貧困・犯罪・麻薬問題に関連して潜在的に
市の一番重要な課題の一つであるようです。

 30年ほど前から市の開発が西と南の方向へ進むと同時に黒人人口のシカゴや
ミルオーキーからの移動が増えたのですが、ゲットーとは言わないまでも市の端
のほうに集中してしまう。子供たちは長時間スクールバスに乗って自宅から遠く
離れた市内の学校に送られるということになる。黒人・貧困人口の市民融和を図
るためにくりかえし、くりかえし住居地域の平均化がスローガンになるのですが
さっぱり実現しない。

 現マヂソン市長が2003年に初当選してからinclusionary zoning(高所得
者と低所得者が隣り合わせで住める住宅地域)をいくつか開発するのに市が予算
を出して協力するといっていたのですが現在そのアイデアそのものが無効になっ
たようです。市の予算には低所得者が家なりアパートなりを借りられるように補
助金を出す基金は少しあるのですが。

 マヂソンは市立の学校の優秀なのが誇りなのですがどちらかというとエリート
教育に偏する傾向があります。同じ少数民でありながら総じてアジア系は学校の
出来が良くて大抵成績の上部を占めてしまう。一方黒人組みは、殊に男の子はほ
ぼ半数が高校卒業前に脱落する。昨今全国的にアメリカの義務教育改革議論がか
まびすしく、Charter School (公立自治学校とでもいいましょうか)をつくる
のが有効な解決策と言う声が優勢です。

 マヂソンではUrban League(都市連盟黒人の組織)の会長が黒人子弟の教育を主
目的に男生徒ばかりのCharter Schoolを設立するのに奔走しています。現存の教
育システムでは色々な面で疎外されている黒人子弟を教育することが出来ない。
殊に特訓のような集中教育を目指すには教組の団体交渉が障害になるので教組に
属さない先生を雇う。本来なら私立学校になるところをCharter Schoolの波に
乗って公立としてやる。いまだに陰に陽に隔離されている黒人社会の必要はよく
分かりますが、近頃の公共機関のプライべタイゼイションとあいまって公私の区
別がなし崩しにあいまいにされていくのには複雑な思いになります。

 ヒスパニックの人口は4%。社会問題としては黒人社会に似たようなこと(貧
困・犯罪・麻薬)ですが、共同体としてはもっと統一していて市政にも積極的に
参加できているようです。数年前に市立小学校の一つが英語・スペイン語のバイ
リンガル教育になり、この一月(2011年春学期)から市立中学の一つが二か国
語のイマージョン教育を始めました。

 1970年代の後半にヴェトナム戦争終結の一環としてアメリカ軍を補佐して
避難民になった原住民を米国本国へ受け入れる必要がありました。ウィスコンシ
ンはラオスのモン族をうけいれることになり北部の農業地域にモンのコミュニテ
イが出来ました。周辺の白人社会と人種風習の違いで時々軋轢があることが報道
されます。マヂソンには極少数だけだと思いますが話題になるのはやはりうまく
いかない時だけ。

 近年では大学の法科の教授が授業中モン族の男性を侮辱したとかが問題にな
り、市立小学校の名前をラオス軍の有名な将軍の名にすることをマヂソン市の教
育委員会が提唱したところその将軍がラオス現政権の転覆に加担して米連邦政府
から訴追されていることが分かり取りやめになったいきさつがあります。

 余談になりますが昨十月に大学であった国際会議に出席したローマからの女性
が「マヂソンはWhite Town(白人の町)だ。」と感嘆したことを付け加えておきま
す。 
            (筆者はアメリカ・ウイスコン州・マヂソン在住)

                                                    目次へ

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■【エッセイ】
    ~ヴァレンタイン.カードに寄せて~          武田 尚子
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●●「ひとたび愛にふれた人は、ことごとく詩人になる。」●●
                      プラトン

 アメリカ暮らしも十数年をすぎたある冬の日。買い物に行ったドラッグストア
から、セロファンに1本ずつくるんだ紅バラを、大きなかごいっぱいに盛って出
てくる女性に出会った。ああ、うっかりしていたが、明日はヴァレンタイン.デ
イなのだ! めずらしく店は混んでいて、とりわけカード売り場のあた りには
大勢の人が集まり、カード選びに余念がない。
 
  売り場の熱気につられて足を向けると、まず、ひときわ大型のカードが目につ
いた。開いてみる。「愛する妻へ」と題された詩が記されている。カードの表紙
は、露をのせた大輪のバラである。拙訳でご紹介しよう。

  ああ もしぼくにできるなら
   天にさざめく 星屑と
   露をいただく 地のばらを
   あまさず集め 夕焼けの
   くれないに  包んで贈りたい
   こんなにも君を 愛していると―

 チャーミングな詩ではないか。おおらかなイメージに惹かれて、この日の言葉
をもっと探ってみようと、さらに何枚かのカードを開いてみる。

  「言葉はこの浜辺に無限にひろがるわが愛の真砂の、ただ一粒をもみたして
    はくれません」
   「何千年も人は愛の言葉を口にしてきた。しかし僕の抱く君への愛は、新し
    い歴史の始まりだ。」
   「後ろを見るな。何もかも捨てて跳びこんでおいで!」 

 乱舞する愛の言葉のなかには、思わず立ち止まって読み返したくなるのもある。

  君よ、もしぼくのヴァレンタインになる気がないなら
   このカードは必ずお返しねがいたい。
   ぼくは信念にもとづき
   樹木を救うため
   リサイクリングにまわすつもりだ。
 
  あるいは:
   ヴァレンタイン ヴァレンタイン
   あたしは あんたの思いびと
   あんたは あたしの思いびと
   雨の降る日も 照る日にも
   愛し合いましょ ゆびきりよ
   そうして これから80年
   ふたりはなかよく 90歳!

 センスのあるエコロジストにも、高砂のじじばばを夢見る小さな恋人たちの行
く手にも幸運を祈る。

 機知に富んだもの、愛らしいもの、熱烈なものとさまざまなヴァレンタインカ
ードの氾濫だ。もともと、カードではなく贈り物が主だったが、ヴァレンタイン
の送り主の名は秘められるのが伝統だった。カードが使われるようになってから
も署名をせず、他人の筆跡を真似るいたずらも再々行なわれたという。

 19世紀の中ごろから20世紀にかけて、相手をちょっとからかったり、笑わせた
りするコミックな内容のヴァレンタインカードが1セントで売られるようになっ
た。それには やさしい愛の言葉の代わりに、相手を皮肉ったり、侮辱したりす
るものもあって「恐怖の1セント」(Penny Dreadful)とも呼ばれ、
ヴァレンタインデイを迎える娘たちを怯えさせたものだという。

  作り笑いにカールも よいが
   パっドでふくらませ コルセットで締め上げりゃ
   身をかがめるのもむりだろう
   あきらめたまえ それで
   ヴァレンタインを見つけようなんて
   問屋がどっこい おろさんよ
 
  とりわけ昨今のアメリカなら、こんな風な「恐怖の1セント」が生まれてもお
かしくないだろう。

  会いたかったよ、
   ほんとに久しぶりだね おや
   しばらく見ないまに
   なぜか今日はちがってみえるね 
   愛らしいそのくちびるにキスをしたいが......
   おっと 君まさか 
   シリコンをいれたのじゃあるまいね
   小さな鼻はもともと悪かなかったが...
   なんだかあごが尖ってきたね
   なに? ぼくの思い過ごしだって?
   そうかもしれない  とは思うが
   疑い始めたらきりがない。
   いってくれ
   いったいどこまでが ほんとの君なんだ?

 冗談をいささか通り越したこんなヴァレンタイン.カードをもらいかねない娘
たちの怖れには、おおいに同情できる。

 欧米で盛んに祝われるヴァレンタインデイの由来についてはいくつかの説があ
るが、大筋で共通している話はこうだ。
  ローマ皇帝クラウデイオ二世は、外敵に囲まれ、くだり坂に向かったローマの
栄光を回復しようと軍隊を募ったとき、妻帯者は強い兵隊になれないと、青年の
結婚を禁止した。しかしヴァレンタインという僧侶は若者に同情し、皇帝に反抗
して秘密裏に一組の男女を結婚させた。それが明るみにでて、ヴァレンタインは
西暦270年に死刑に処せられた。だが彼は後世には、殉教者とみなされるように
なった。

 ローマカソリック教会は、西暦498年に、2月14日を聖ヴァレンタインデイと
定めて布告した。それまで祝われていたローマの、愛と結婚の女神ジュノの祝日
のかわりに、キリスト教のヴァレンタインデイを導入することが、異教の追放に
役立つと考えたらしい。

 さらにローマは、毎年2月15日に始まるルパーケイリアの多産の祭りが下火に
なることをも期待していた。この祭の前夜には、若者はつぼに入れられた多数の
女の子の名前を書いた紙切れを拾い上げ、自分の引き当てた名の娘とその一年は
性的なパートナーになるとされていたのである。ちょうどそれは小鳥がつがいは
じめる日取りだとひろく受け入れられていたことが、ロマンチックな連想をもよ
び、若者にはことに楽しいヴァレンタインの習慣が成り立ったのでもあろうか。

 ヴァレンタイ.デイはこうして、ロマンスや情熱を祝福するどころか、キリス
ト教道徳に従って、若者の性的な情熱を抑制しようとする教会の試みが、むしろ
反対の結果を生んだらしいのは歴史の皮肉であろう。
  もっと面白いのは、カソリック教会はその初期から1500年間の歴史においては、
結婚そのものも高く評価しなかったらしいことである。

 6世紀のグレゴリ―法王は 「結婚は厳密に言って、罪悪とはみなされない。し
かし夫婦がセックスから肉体の喜びを得るようなことは絶対に非難を免れない.
」と断じた。 また12世紀の信ずべき記録によると、結婚した夫婦がロマンチック
な情愛を分かち合うことが、結婚の絆を甘いものにするのを否定はしないが、そ
んな感情を鼓舞することは結婚の役目ではないし、ロマンチックな感情から結婚
に走ることも大まちがいだという。

 だから教会は、女性をランクづけして、最高は処女、次が未亡人、最低が妻で
あるとした。 また結婚とは男の奴隷になることだと説いて(まるでフェミニス
トのように)娘たちに独身の誓いをすること(つまり尼僧というキャリアをもつ
こと)を奨励したのである。

 したがって結婚は、恋に落ちた男女の意志によるのでなく、さまざまな利害得
失をおもんばかる両親や親戚や他人の手で整えられた。それが社会秩序の安定に
つながるとされ、夫婦間の不和や姦通、しばしば暴力さえも結婚生活の常道であ
り、結婚に高い期待を抱かないことがむしろ望まれた。

 しかし時は移り、18世紀ごろから次第に、若人は自由に相手を選べるようにな
った。 ただ、結婚生活により高度の充足が求められる現代、離婚率が大幅に高
まったのは周知のとおりである。
 
私の子供たちが十代だった80年代、70年代から見ると大幅に減ったとはいえ、
アメリカの離婚はまだまだ多かった。長男のボーイスカウトのグループ7人の
うち、離婚していない両親は私たちだけだったし、次男の場合も似たような状況
だった。新しい母親のもとで自分は居候だと私に打ち明けた十代の子もいたし、
幼稚園児でも、父母が多少のいさかいをしてさえ、離婚を心配した。以後アメリ
カの離婚率は下降をつづけているが、現在のストレスの多い家庭生活に、離婚は
いつ現れるか予断を許さない伏兵であることにかわりはない。

 こうした世相を反映してだろう、ヴァレンタインデイには、祝福し謳歌すべき
愛のカードの傍らに、まるでセットのように「さよならーFarewell」と
分類されたカードのあることに気がついた。

 「さよなら」カードはいうまでもなく、別れてゆく配偶者や愛人にむけたもの
で、「別れる前に、僕の胸に君の手をあてて、この破れたハートの鼓動を聞いて
おくれ、過ぎ去ったあの日の思い出に」という、かつてのポピュラー曲「バーミ
ンガム ジェイル」の引用から、「別れる前に、これからあなたのいくところ
に、たっぷりチョコレートがあるかどうかはちゃんと確かめておいたんでしょう
ね」と未練を茶化したもの、また「ほんとうにいっちゃうのか、俺のことを哀れ
な奴と呼ぼうが、落ち込んでるといおうが、むさくるしい中年男と呼ぼうが一向
構わないが、とにかく...電話をかけてくれ...それもしょっちゅうな!」
とかなり切ないものもある。
 
  ところでこんなカードを買うのは一体どんな人なのだろう。別れがあまりにつ
らいので、人はプリントされた他人の言葉を借りることで、生の傷口に触れるこ
とを避けようとするのだろうか?あるいはユ―モアに托して、傷ついた心を伝え
ようとするのだろうか?まるで別れ自体を軽いお遊びにしてしまおうとするかの
ように。

 それもないとはいえないだろう。しかし、別れにのぞんで出来合いのカードを
送るのは、それとは逆に、手軽にロマンスの成立する時代の手軽な愛にふさわし
い、長くは続かない思いを象徴しているようにも思える。

 ヴァレンタイン.デイの習慣は、英国では1400年ごろから始まった。アメ
リカでは1800年ごろから普及しはじめ、南北戦争時代にピークに達した。そ
のころの一新聞は、クリスマスを除いて、これほど人々に喜ばれる祝日はほかに
ないと報じている。ヴァレンタイン.カードは始めはもちろん個々人が手作りし
てできばえを競ったが、さすがはアメリカ、1847年に、マサチューセッツの女性
が量産を企てた。

 多数の女性を雇い、押し花やレースやリボンをのり付けしたカードを流れ作業
で作り、当時で年商10万ドルの企業にして巨万の富を築いたという。興隆する資
本主義の流れに乗ったカード商品は、郵便事業の発達とあいまって庶民にも手が
届くようになり、多くのアメリカ人の日常に組み込まれるようになった。

 「ホールマークの日」とも呼ばれる祝祭日を中心にしたカード売り場には、一
年を通してやってくるいろいろの記念日、誕生日、お見舞い、謝礼、ベイビーシ
ャワー、クリスマス、婚約、ブライダル.シャワー、結婚式、聖餐式、成人式―
バーミツバー、父の日、母の日、お悔やみ などと分類された多種類のカード
が、何でもござれと並んでいる。

 クリスマスやヴァレンタイン、父の日、母の日など限られた日のカードは、年
中売られているわけではなく、その日が終わると、ものの見事に翌日は片付けら
れている。そのために拡張された売り場も元に戻り次の祝日を待つのである。

 まとまりもなく浮かんでくる想念のままに、カード売り場を歩きまわりながら
ふと目にはいったのは「ユーモア」のタイトルにいれられた一群のカードである。

 母から娘にと題されたカードには「35歳になった今日のあなたに、心をこめ
て申します。今年だけは立身出世を忘れなさい!」 「'男の心を捉え、それを
つなぎとめるには'という本を見つけました。あなたの誕生日に最もふさわしい
贈り物と信じて。」「ヒステリーと涙は、私の世代をふくむ女たちの武器のひと
つでした。今あなたの手にしたキャリアは、それらにまさる有力な武器になりま
したか?あなたの本音を聞きたいものです。」 

 なんということだろう。母親たちは、つい3-40年前まで、娘たちに高学歴
を持つ必要を説き、オムツを替えほうれん草をゆでる女の愚を説いたのではなか
ったか。「男の前で皮肉はぜったいご法度ですよ。」というのもある。どうも、
キャリアウーマンの娘を持つ母親も複雑な気持ちらしいのである。

 こうしてカードを開いているうちに、アメリカにきて間もないころ、ショック
を受けた一枚のカードを思い出す。
 
  それは夫の誕生日に寄せて、高齢の彼の伯母から送られたものだった。「ただ
一人の甥に」と印刷されたカバーを開くと「おまえがこんなにハンサムで、才能
に恵まれ、魅力いっぱいの男になるとは想像もできませんでした」そして次の行
にはちょっと小さいプリントで「少なくともあなたの親からはね」とあって、思
わずふき出さした。

 私は何よりもまず「ただ一人の甥」のための誕生日カードが存在することに、
ひどく驚かされたのである。こんなカードがあるくらいなら、姪でも、孫でも、
ひ孫でも、ひいじいさんでも、従兄弟のためのカードでもあるのではないか。そ
して後日、カードの専門店に行けばその通りだと教えられた。もっとも親戚は従
兄弟どまりまりらしくて「親愛なるはとこーDouble Cousin―に」はおそらく存在
しないと、アメリカの友人は笑ったが。

 そして私は、若いころマルキシズムに傾倒して共産党を支持し、サッコヴァン
ゼッテイ事件では座り込みにも行き、哲学書や文学書に通じ、熱して政治を論じ
たという夫のインテリおばさんが、出来合いのコマーシャルカードを使うことに
驚いたのである。しかしその後、一生独身を通した伯母と、結婚して子を生んだ
姉である私の姑の間に、一種の対抗意識が終生つづいていたことを聞かされた。

伯母はおそらく、たまたまこの冗談を見つけて、「少なくともあなたの親からは
ね」という本音を吐露して、ちょっと胸をすっきりさせたのかもしれない。だと
すれば、なかなか微妙なカードの使い方ではある。アネット伯母さんもやるじゃ
ないのと、一人にんまりする。

 こんな風に見てくると、市販カード全体が、アメリカ人のプラグマテイズムに
おあつらえ向きの市場商品の一つにすぎないことはよく理解できる。時間に追わ
れて働く人々には、とうてい机について内奥の思いを文字にする暇はないだろ
う。だとすればそんな人たちにとって、カードは紙コップや紙皿のように、便利
な必需品なのにちがいない。

 またカードは、アメリカにやってくる移民たちのために、代書屋の役目をして
もいるのだろうか。英語の表現に自由でない移民の若者が、恋の相手に送る美し
い絵と言葉が、マーケットでたやすく見つけられる。あるいは故郷の肉親に送る
一枚のカードは、身一つでやってきた自分が、立派にアメリカ人になったことを
自らにも他にも証しする一つの方便なのだろうか。

 おそらくそれもこれも事実だろう。しかしもっと考えられるのは、多くの人々
が、大事なことについやする時間を失ってしまったということではないだろうか。
いや、失ったことにさえ気がつかないことではないだろうか。

 多すぎる選択に迷わされるこの時代、優先順位をきめるいとまもなく、時は容
赦なくながれる。クリスマスがくる、新年がくる、ヴァレンタインデイがくる、
イースターがくる、家族や友人の誕生日が次々に追いかけてくる,、、、それだ
けではない。昨今のフェイスブックなどのソーシャルメデイアによれば、情報や
意見を自由に発信したり受信したりすることが可能なばかりでなく、写真でも音
声でも、テキストでも何でも、使い方は使い手にゆだねられるという、未曾有の
通信空間が実現した。それとともに押し寄せる情報の氾濫は、われわれに何を与
え、何を奪っているのだろうか。

 現在では、かなりぜいたくな市販カードでも、一昔前の複雑な切り紙や折り紙
などで趣向を凝らしたものは姿を消し、ドライな時代を反映してか、感傷的な愛
の言葉も少なくなった。それに、プリントされた愛の言葉は、どんなに美しくと
も、しょせんは他人の言葉に過ぎない。エレクトロニクスのカードの出現は、ま
すますそれを助長するだろう。技術の新鮮さへの驚きが失われたとき、その他大
勢に瞬時に発送できるインターネットのカードが、いったい心に何を残してくれ
るのだろう。

 このカードの売り場では愛情の表現がいくとおりかに規格化されているよう
に、これを買う人々の心も、しだいにテクノロジーと資本主義の強いる規格に、
無意識のうちにはめられてゆくように思える。私たちが失いつつあるのは、時間
だけではない、自分の心なのだろうか....「了」

       (筆者は米国ニュージャシー州在住・翻訳家)

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■ 【玲子さんの映画批評】「ソーシャルネットワーク」     川西 玲子
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 エジプトの革命が世界の耳目を集めた。私も片目でネットでアルジャジーラの
映像を観つつ、片目でスカパー!のCNNとBBCを一日中観ていた。何しろ日本のマ
スコミが意図的にか、小沢問題ばかり取り上げているのである。これでは、ネッ
トを利用せずに地上波のテレビしか観ない中高年の多くは、小沢問題が世界で一
番重要な問題だと思うだろう。

 情勢がいよいよ緊迫してきた時には、なぜか大相撲の八百長問題が突然出てき
てトップニュースになった。なぜこのタイミングに?と疑問に思ったのは私だけ
だろうか。エジプトはアメリカの同盟国だ。ムバラク政権の崩壊は必然的に、ア
ジアにおける最大の「同盟国」日本に、アメリカとの関係を問い直す必要を迫る。
  体制の一角を担うマスコミ上層部はそれだけは避けたいと考えているのではな
いかと、私は勝手に推測している。
 
  で、エジプトの革命でがぜん注目されたのがFacebook(フェイスブック)である。
昨年がTwitter (ツィッター) 元年だとしたら、今年はFacebook元年だ。エジ
プトの革命以後、Facebookの名前が聞こえない日はないというぐらいである。
 
  ネット上でコミュニティーをつくるSNS(ソーシャルネットワークサービス)と
しては、日本ではmixi(ミクシィ)が先行している。それに、昨年あたりから
Twitterが加わった。140字以内でちょこっとつぶやくTwitterは世界中で使われ
ており、昨年イランのデモで活用されて一躍有名になった。中国でもごく僅かだ
が検閲を突破しているTwitterユーザーがいて、一般のネットユーザーに情報を提
供している。

 そして今度はFacebookだ。Facebookがmixiやtwitterと違うのは、実名制をと
っていることである。ニックネームや匿名では使えない。そのため、独特の匿名
文化がある日本では普及していない。「普及が遅れている」という言い方がされ
ている。「だから日本はだめなんだ」「またもやガラパゴスか」という具合に。

 しかし、Facebookが普及したからと言って、日本で革命が起こるわけじゃなし。
せいぜいビジネスに使われるだけだ。国境を超えた人脈を使いたい国際派には
いいだろうけれど。かく言う私もアカウントを持ってはいるが、個人情報を晒し
てまで使いたいとは思わないので、休眠状態である。

 前置きが長くなったが、そういうわけで、上映中の映画「ソーシャルネットワ
ーク」には絶好の追い風が吹いた形だ。Facebookの創業者であるマーク・ザッカ
ーバーグが、ハッキングから始めたFacebookを拡大し、ビジネスとして軌道に乗
せるまでの物語である。

 だがこれはサクセスストーリーではない。マークはアイディアを盗用したとし
て訴えられ、更に共同経営者からも訴えられる。どうしてそういう事態になった
のか。映画はその理由を解説するかのように過去に遡り、Facebookが誕生して拡
大していく過程を見せる。
 
  ハーバード大学のエリート意識や閉鎖的なクラブ、旧態依然の上下関係は、見
ていて愉快なものではない。そこからからはじき出されたオタクのマークは、自
分の居場所をつくるかのごとくFacebookを構築していく。ビル・ゲイツやスティ
ーブ・ジョブスもそうだが、体制に適応できない人間が新しい仕組みをつくって
いく様子は興味深い。これがアメリカの強みということもできるだろう。

 そういう仕組みが各国で旧体制を壊していくのは痛快だ。だが今や、人々はパ
ソコンやスマートフォンを手放せない。世界中どこでも同じような光景が広がっ
ている。瞬時に情報が拡散し、リアクションが全ての世界になりつつある。もは
や思想や思考は成り立たなくなった。ゆっくり考えている暇がない。ブログさえ
衰退してきた。

 世界は一つ。これは平和運動の理想だった。そういう世界が現実になりつつあ
る。これは喜ばしい現象であるはずだ。だが私の心は晴れない。なぜなら、それ
がグローバル経済とセットになっているからだ。こういうはずではなかった・・
・。映画「ソーシャルネットワーク」の苦い結末を観ながら、私の心は重くなっ
た。今、全国各地で上映中。

                 (筆者はメデイア批評家)

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■俳句                             富田 昌宏
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 農に生き農に果てなむ破魔矢受く

 群青の筑波二峯や鍬始め

 鉈に注ぐ酒数滴や山始め

 息災に生きて傘寿や屠蘇に酔ひ

 身の箍(たが)を緩め初湯を溢れしむ

 読初や松本清張「直訴の記」(注)「北原二等兵の直訴」

 人垣を拡げゆく火やどんど焼

 どんど焼火伏せの護符が火の鳥に

 (亡妻と)七草や遺影と交わす赤ワイン

 千金の陽を吸い取りて福寿草

           (俳法「渋柿」代表同人)

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■川柳                            横 風 人
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 不条理を 越える明日の 政策を

 外交の 真意が見えず 振るサイコロ

 争点は 失政20年 誰れ総括

 企業だけ 業務回復 誰の春

 解散を 叫べど当たらぬ 八卦メディア

 国債の AAマイナス 震度6

 受験生 偏差値めげず 苦にめげず

 領土価値 よりよく使える 信託で

 ポピュリズム ここまで来たね 河村さん

 大相撲 組織の怪我が 目立ちすぎ

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【編集後記】 
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◎いま、菅政権の対米姿勢や内政の迷走を見て多くの国民は政権交代とは何であ
ったのかと自問している。総選挙前、民主党は第二自民党だから政策に期待でき
ないという人でも自民党の一党長期支配が終わる政権交代の意義は認めていた。
それはあまりにも過度な対米従属、既得権益のしがらみに身動きできない内政、
市場原理主義による格差拡大などからの脱却を期待したからである。国民の期待
を裏切るこの混迷と、劣化する日本政治に私たちはどう向き合うのか。羽原清雅
氏に『衰える日本の政党・政治状況』として解明していただいた。

◎沖縄県民は、基地の県内移設に明確な反対の意思表示をしているが、菅政権は
日米合意の理解を求めるとして説得工作をしている。現地はどう動くのか。オル
タ編集部では執筆者の初岡昌一郎・荒木重雄・竹中一雄・船橋成幸・加藤宣幸の
5人が1月24日から27日まで沖縄に飛び、知事・参議院議員などを歴任した後も、
大田総合平和研究所を主宰し、沖縄の歴史・文化を踏まえ「平和・自立・共生」
を一貫して主張し、活発な言論活動を展開されている元沖縄県知事大田昌秀氏に
意見を聞いた。

 また、病後にもかかわらず毎号オルタに米軍基地・日米安保などについて健筆
を振るわれ、昨年来『沖縄の海兵隊はグアムへ行く』『戦争依存症国家アメリカ
と日本』などを、あいついで上梓された吉田健正氏とも交歓し、辺野古や普天間
の現場を訪ねた。ジュゴンが棲む素晴らしい環境の大浦湾辺野古海岸では反対小
屋の若者たちを激励した。

 なお、初岡氏とは沖縄復帰闘争以来の友人粟国安喜氏(元全逓出身・元屋良首
席の下で県渉外課長)が終始、車に同乗され現地の歴史・現状などを懇切に説明
して下さったので、今回の訪沖がより充実した。あらためて感謝したい。

◎今月の【私の視点】は、環境問題研究家の仲井富氏からは「河村減税の”庶民革
命”に敗れた菅民主の増税路線~名古屋の結果をどう見るか~」との寄稿があった。

◎1月21日(金)のソシアルアジア研究会では元国連大学副学長武者小路公秀氏か
ら豊富な国際活動に裏付けられた「東アジアの政治経済状況と安全保障の途」と
いう報告があり、非常に興味深かかった。29日(土)には明治大学駿河台校舎で社
会環境学会第10回公開セミナーがあり、南雲智桜美林大学教授の「戯れ歌から
読み解く現代中国の矛盾」という講演を聴講した。当日はオルタ執筆者の篠原
令・段躍中・山中正和・初岡昌一郎各氏など日ごろ中国と深くかかわりのある方
々だけでなく、船橋成幸氏なども参加されていた。

◎【お祝い】
執筆者の羽原清雅氏が前著『「津和野」を生きる~400年の歴史と人びと』(文
芸春秋社刊・350頁・2500円)に続いて、政治関連以外の新著『「門司港」発展
と栄光の軌跡~夢を追った人・街・港~』(書肆侃侃房刊・414頁・2000円)を上
梓された。引き続きこの分野での企画に期待するとともに、まずはこの好著の上
梓を心からお祝いしたい。いずれオルタでも書評などでご紹介する予定である。

◎【消息】
  菅内閣になっても、自民党時代とほとんど変わらない政治の在り方のなかで、
ちょっと目先が変わったのは当然のこととはいえ、内閣府参与の顔ぶれである。
さきに、「年越し派遣村」で有名になった反貧困ネットワーク事務局長の湯浅
誠氏の就任はよく知られているが、2月1日付けの内閣辞令をみると生活クラブ生
活協同組合連合会顧問の河野栄治氏が発令されていた。河野氏と私は1965年に生
活クラブが岩根邦雄氏(オルタ執筆者)によって東京・世田谷で組織されたころ
からの、いわば草の根仲間なので一瞬驚いた。なんで、いまさら菅内閣にという
思いは強いが、せっかくの機会だから、せめて内閣の内側から「国民の生活第
一」の原点に戻るよう菅総理に生活者の声を届けて貰いたいと思う。

◎【お便り】
  編集部には三重県津市の高木一さんから、『"日中戦争・太平洋戦争"生き延び
て語る』という九条の会・津の出版活動関連の催しや資料について詳しいお便り
があった。(この一部はオルタに掲載予定)。また、大阪府堺市の木村寛さんか
らは、神戸映画資料館でドキメンタリー『442日系部隊―-アメリカ史上最強の陸
軍』が上映されたとき、その背景を「戦時下アメリカ本土における日系人の収容
」として木村氏が「オルタ」32号で説明されていたので、ニコルソン氏の著書『
悲しむ人たちをなぐさめよ』とともにメールマガジン「オルタ」の宣伝をプログ
ラムに載せたとのお知らせがあった。

◎「地球環境問題解決へのアプローチ」(2)は分載となり、また力石定一・岡
田一郎・木下真志各氏から本号にご寄稿がありましたがページ数の制約で載せら
ず執筆者・読者にお詫びします。

                 (加藤宣幸記)