COVID-19がインドの内政外交に大きく影響

福永 正明

  <一>

 総人口世界第2位の13億人のインドでは、新型コロナウイルス(以下、COVID-19)感染の拡大が続いている。7月10日現在の累計感染者数は世界第3位となる80万人、死亡者数は22,000人を記録した。感染者数70万人を記録してからわずか4日間で10万人を超えたことになり、7月10日の1日当たりの新規感染者数も27,000人以上であった。6月の死亡者12,000人に対して、7月は感染が爆発的拡大状況に悪化、わずか10日間で4,733人が死亡した。
 これら感染者の6割以上が、デリー首都圏、ムンバイを州都とするマハーラシュトラ州、チェンナイを州都とするタミール・ナドゥー州が占め、各州で感染者数は10万人を超える。

 インドでの最初の感染者は1月30日、南部のケーララ州に中国の武漢大学から帰国した学生1人であった。在デリーの日本大使館も同日、「インドにおける新型コロナウイルスに関する注意喚起」を発表した。
 その後、世界各国からの帰国者たち、さらにイタリアを中心とする欧州からの旅行者による感染もあり、全国へ拡大した。

 中央政府のモディー首相は、3月24日夜の全国中継演説にて、3月25日0時から21日間の「完全封鎖措置(ロックダウン)」を発表、国内外航空便の停止、入国禁止、外出禁止などを断行した。
 だが感染拡大は続き、人口最大州である北部のウッタル・プラデーシュ州政府(インド人民党政権)は4月8日、特に感染者が多く確認された15県(District)における9日0時から15日朝までの完全封鎖措置を決定した。そして、特別通行証保持者以外、市民は一切外出を許されず、生活必需品もデリバリー購入が求められた。

 第1段階でのロックダウンの期限となる4月15日にインド政府は、新ガイドラインとして、5月3日まで国内・国際航空路線・鉄道による旅客の移動、公共バス・メトロ・ タクシー・リキシャ、州境を越える個人の移動、映画館・ショッピングモールなどの原則的な禁止・封鎖の継続を発表した。また同時に、4月20日以降の規制緩和の方針も示された。
 しかしインド全国の感染拡大は継続、5月1日に中央政府は現行のロックダウン措置を4日以降、2週間延長を発表した。国内線・国際線・鉄道による旅客の移動、州間移動、映画館・ショッピングモールなどは、国内全土で禁止・封鎖が継続した。だがこの措置も、5月31日までの延長が5月19日に発表され、感染防止ができない状況を明らかにした。

 そして6月1日、インド政府は、封鎖ゾーン(Containment Zone)を除き、今後ロックダウ ン措置を段階的に解除することを発表した。また6月8日からホテル、レストラン、ショッピン グ・モールなどの営業を再開を認め、州間・州内における人や物資の移動も制限撤廃するとした。
 6月29日、インド内務省は、ロックダウン措置の更なる緩和に伴う新たな ガイドラインを発表、州間移動の制限はなくなり、夜間外出自粛の時間帯が午後10時から午前5時までに短縮された。だが学校や大学などの教育機関、映画館、体育ジム、劇場などは閉鎖継続となった。

 しかし、ウッタル・プラデーシュ州での感染拡大は続き、7月9日に州政府は10日から13日までの新たなロックダウンを命じた。
 そして冒頭紹介の通り、現在も日々感染者は増大し、インドでのCOVID-19の状況は最悪となっている。

  <二>

 3月からの全面的なロックダウンにより、経済活動は大きく混乱、産業や貿易も停滞した。
 特に注目されたのは、ジャールカンド州、ビハール州など北部の貧困州から大都市周辺に出稼ぎに出た、「国内移民」への影響であった。かれらは、3月25日の最初のロックダウンで雇用先を突然解雇となり、宿舎を追い出されて住居を失った労働者とその家族たちは行き場を失った。地元へ帰ろうとしても鉄道・バスなど長距離交通機関は全面運休が続き、徒歩、自転車などで帰るしか方法はなかった。日本メディアも含め、「長距離を歩いて帰省する移民労働者と家族」の姿は、大きく報じられた。

 多数の大都市からの移民労働者たちが地元に到着した後、農村地域へのCOVID-19感染拡大が浮上した。総人口の6割が居住する農村地域の医療施設は整備されておらず、行政サービスも少ない。例えば、2018年のインドの農村地域における乳幼児死亡率は、千人当たり32人と高い。それは、周産期医療を含め基本的な医療制度の欠落を示していた。これに対してインド現地NGOは、「COVID-19による乳幼児死亡率の上昇」について、警告を発表している。
 農村地域での感染拡大、さらに「ロックダウン緩和」により都市での再拡大も報告されており、COVID-19問題での国家的危機は重大である。

 インド政府が、感染者が増加しながらも「ロックダウン緩和」を段階的に実行するのは、経済低迷が理由である。5月29日のインド政府発表(速報値)では、2020年度(FY20、20年4月~21年3月)の実質国内総生産(GDP)の予測値は4.2%、リーマンショックの影響を受けた2008年から11年振りの低迷であることを明らかにした。
 さらに政府は、2020年1月~3月の成長率が、前年同期比3.1%であることも発表した。これは製造業や建設業の低下が大きく、さらに個人消費の小幅伸びが影響し、2019年初から継続する経済失速の継続を明らかにした。そして、COVID-19の世界経済への悪影響はインド不況にも直撃しており、輸出入の減少、さらに経済活動の「停止」も危惧された。

 そこで政府は、感染拡大が継続するなかであるが、「経済再生優先」として、5月末から「ロックダウン」延長と、段階的な「ロックダウン」の解除を決めたのであった。
 インド社会は「ロックダウン」による疲弊も深刻であり、人びとの生活苦が直撃している。

  <三>

 内政から外交に視点を変えると、インド人民党(BJP)の第二期モディー政権の最大の課題は、中華人民共和国との関係であることが顕在化した。
 近年のインドと中国は、インドによる輸入増大と対中貿易赤字の巨額化という経済関係の飛躍的拡大が続き、「経済は熱く・政治は停滞」との状態であった。
 その一方で、アメリカが主導する日本、オーストラリアなどによる「インド太平洋戦略」において、対中けん制策としてインドは注目されていた。
 インド外交の伝統的手法である「バランス外交」として、中国、アメリカ、ロシアなどとの距離を調整し、偏らない立場を貫いてきた。だが、2020年に入り、大きな転換が生じようとしている。
 すなわち2020年5月、インドの個人消費停滞の影響から対中輸入減少が膨らみ、二国間貿易は激減した。

 インドの中国本土(Main land China)および香港(Hong Kong)との貿易は、FY2019に15億ドル減少の7%以上減少となり総額109億7,600万ドルを記録した。これは、FY2013以来最大の急落である。
 FY2019において減少したのは、テレビ、冷蔵庫、エアコン、洗濯機、携帯電話に入る電子機器であり、インドにおける個人消費沈滞が大きな理由となった。しかし、モディー首相が主導する「メイク・イン・インディア(Make in India)」による輸入代替製品の生産拡大も影響している。またインドと香港との間での貿易も減少傾向が続いている。

 この結果、インドと中国本土間の貿易不均衡の縮小、すなわちインド貿易赤字の縮小となり、長期間継続した500億ドル以上の赤字額が、486.6億ドルに下落した。2017年から18年の期間、両国間の貿易不均衡での対中赤字は630億ドルに達していた。これは、経済運営の最重要課題であったことから、明るい兆しである。
 中国本土は、FY2014からFY2018までの期間においてインドの最大貿易相手国であった。しかし、FY2019にはアメリカに追い抜かれ、第2位に転落したことが明らかになっている。
 昨年からの経済低迷、COVID-19による「ロックダウン」と経済封鎖は、製造業やサービス業を痛打した。それは経済規模の縮小、特に個人消費の激減が大きな要素である。

 さて、COVID-19後にインドの個人消費や生産活動が回復した際、中国からの安値既製品の圧倒的輸入という従来の経済活動に復帰するのかは疑問であろう。それは、COVID-19が中国発の感染であることから、インドの若者たちに「反中感情」を強く生み出した。ごく普通の人たちが、「初期段階でのCOVID-19の感染防止失敗が、世界的感染の理由である」と考えており、公然と「中国の責任」を語る。
 3月からのCOVID-19での混乱のなか、インドでは中国再認識と、「反中感情」の形成が進んだと言える。
 そうしたごく普通の人たちの「反中感情」を増大させたのが、インド・中国国境地域における両国軍対立状態であった。テレビを中心とする主要メディアは、扇動的なトーンにて両国軍の衝突を伝え、連日のテレビ討論番組では「対中強硬論」が華々しく論じられた。

 インドと中国の国境全体は4,056kmであり、インド側は西北部の連邦直轄領ラダック・ウッタラーカンド州、ヒマーチャル・プラデーシュ州、北東部のシッキム州、アルナーチャル・プラデーシュ州、中国側ではチベット自治区が接している。
 5月以来の印中緊張は、両軍兵士の素手での戦闘、投石、軍営地緊急設置などであり、「にらみ合い」の状態であった。この発端は5月5日以降に両国の未画定な国境区分を暫定的に定める「実効支配線(LAC)」が通るパンゴン・ツォ湖(「インドと中国をまたぐ天空の湖」と呼ばれる)周辺、ラダック、シッキム州など数カ所で両軍がにらみ合いを続けた。それは、中国軍による3カ所での大規模な軍隊の展開であった。

 両国の軍司令官が6月6日に交渉し、両軍撤退で合意したが中国側はこれを実行しなかった。
 そしてインド軍によれば14日、中国軍によるラダック地方のガルワン渓谷において拠点(基地)再建を確認、中国側の合意破りであった。ついに翌15日に中国軍が攻撃を開始し、素手、投石、鉄条網を巻き付けた鉄棒などでインド軍と衝突した。高度の山岳地帯での白兵戦により、インド側は将兵20人が死亡した(負傷後に軍営地で凍死した者も多い)。インド軍が対中衝突において死者を出したのは、1962年以来であった。一方インドメディアは、インド軍が「少なくとも中国軍兵士40人を殺害した」と報じた。
 なお、両国は1962年領土紛争の停戦協定において、LACから一定距離の非武装化に合意しており、今回の衝突も武器を用いない素手での敵対となった。

 両国は現地指揮官会談、閣僚級会談などを行い、「事態冷却の措置」と、「対話維持」、「平和維持のための共同努力に合意した」と報じた。
 だが中国国防省報道官は、24日の定例記者会見において、「衝突の責任は完全にインド側にある」とする主張を展開、「中国軍死亡情報」を確認しなかった。
 一帯は山岳地帯であり、両軍の了解ないままLACの正確な位置を確定することは難しく、これまでも緊張の現場となってきた。直近の2017年、印中両軍はブータンを含む3カ国の国境地帯付近にて、約2カ月間も対峙した。これは、1962年の中印国境紛争以来の緊張となった。

 国際的には「COVID-19後の中国」による積極策の一つではないか、と注目された。しかし、中国への風当たりは非常に厳しく、医療資材の支援、資金援助などにも、厳しい監視がある。すると、中国側の5月上旬時点での対インド積極策の理由は、明確ではない。なぜなら、中国への国際世論が厳しく、大国のインドと対立するのは避けたいのが本音とみられたからである。米中関係の悪化、香港支配強化批判などの対外関係の重要問題を抱えるからである。

 その後、インドと中国の政府・軍関係者は協議を行い、「平和的解決」をめざす方針で一致したが、両国の国境問題が抜本的に決着したわけでもなく、今後の火種となることは明らかである。
 これに対してインド社会は、COVID-19での困難な状況のなか、激しく反発した。インド軍将兵が多数死亡したことで、インドは急速に「反中国」へ転換した。1962年からの怨念とも言えるような、中国への敵愾心が炎上し、同時にヒンドゥー国家擁護の機運が高まった。
 街頭で中国国旗や習近平国家主席の写真、人形を焼き、反中国姿勢を示した。このような動きを先導したのは、BJPとその支持基盤である民族奉仕団(RSS)傘下の人びとであった。

 武漢発のCOVID-19への不満と批判、さらに山岳地帯での衝突により、反中国感情は増大した。数年前までには予想もできないことであるが、インド社会に広く普及した安価な中国産製品や中国企業の締め出し(ボイコット)の動きが拡大している。
 特徴的であるのは6月29日、インド政府がIT法規定を根拠として、人気の動画投稿アプリ「Tiktok」や、インド国内1億2,000万人のユーザーのチャットアプリ「ウィーチャットなどを閉め出したことである。その他、中国の関与と判断されたスマホ用アプリなどを多数使用禁止する措置が実行された。もちろん、中国は激しく反発している。

  <四>

 インドは2021年1月から国連安全保障理事会の非常任理事国に就任することが決定する。国連総会国連総会(加盟国193)で正式決定だが、COVID-19の影響で会合の9月開催は不確実であり、信書投票の可能性が大きい。インドは「アジア太平洋地域枠」で立候補しており、同枠では他に立候補国はなく、当選は確実である。
 過去7回、非常任理事国として活動したインドは、直近では2011-2012年に就任した。
 地域大国から世界大国、さらに「6番目の核武装国」であるとして国威発展をめざすインドには、今回の非常任理事国に就任は大き試練となろう。
 つまり、国際的課題にいかなる主導的立場を果たすができるのか、が問われている。特に、70年以上も緊張と対立、社会混乱と貧困が続く南アジア地域のリーダーとして、地域発展のためにどのような活動が展開できるであろうか。

 インドは、国連諸機関、外国政府、国際NGOなどによる国内行政や統治、人権問題についての関与を否定してきた。つい最近では、アメリカ議会専門委員会による「宗教の自由に関する報告書」において、インドを「懸念国」として認定したことに反発している。中央政府によるNGOやジャーナリストへの強圧的な規制、民主主義における平等や自由の原則を無視するかのような諸政策には批判も多い。
 安保理のメンバーとして、中国とアメリカの対立関係のなか、どのようにインドが立ち振る舞うのかも興味あるところである。

 だが対中関係が悪化したから、アメリカ・日本・オーストラリアが主導する「インド太平洋戦略」に同調するなどの見込みは甘い。20名死亡事件の直後となる6月25日、ラージナート・スィンフ国防相はロシアを訪問、「武器の早期引き渡し」を求め、ロシア側も同意した。これらの武器には、S-400「トリウームフ」(ロシア連邦で開発された同時多目標交戦能力を持つ超長距離地対空ミサイルシステム)、Su-30(スホーイ30)、Su-27UBを発展させた複座多用途戦闘機も含まれている。簡単に、中国と対立したことから直ちにアメリカに接近するとか、日本との同盟関係強化に進むとは思われず、インド外交サークルのなかにも「親中論者」は多い。注目は、駐米大使を経験し外務大臣に就任した、ジャイシャンカル氏の「親米」的な態度であろう。インドメディアは、ジャイシャンカル氏の「親米」が対中関係悪化の要因とする指摘もある。

 依然としてCOVID-19の拡大は続いており、インドはまさに苦境にある。そうしたなか、中国との対抗の視点からのみインドを語ることは、あまりに偏りすぎであろう。今のインドを、その人びと、正確な経済数値を追うことから、インドの姿をしっかりと把握できるのではないだろうか。

 (大学教員)
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