【オルタ広場の視点】

2020年 年金制度改正に向けてのメモランダム(2)

山口 希望

 前稿では、2004年の年金制度改正が、現在にいたる保険料率引上げ、給付引下げの発端となったことを指摘した。すなわち当時の小泉純一郎首相の「給付は厚く、負担は軽くというわけにはいきません」との発言そのままの法改正が行われたのであった。
 その後、安倍、福田、麻生政権が比較的短命に終わり、2009年には民主党政権が登場、その後再び安倍政権となり、現在に至る。本稿では2004年改正以降の経過と、今やあまり顧みられることのない民主党政権時代の年金政策を追うこととする。

◆◆ 2004年法の成立以後

 2004年改正時は、政治家の保険料未納・未加入問題や国民年金保険料の未納率の高止まりなどから国民の不信を招き、与野党激突の法案となった。このため同年5月6日、自由民主党、公明党及び民主党の幹事長・国会対策委員長の間で、年金制度改革に関する3党合意がまとまり、社会保障制度の全般的見直しについて、①衆参両院の厚生労働委員会に小委員会を設置して、年金一元化を含む社会保障制度全般の一体的見直しを行い、2007年3月までに結論を得る、②小委員会設置に合わせて与野党協議会を設置し、社会保障制度全般の見直しを検討する、等の5項目が示された。その結果、国民年金法改正案は衆議院で修正され、同年6月5日の参議院本会議で可決・成立し、2004年金制度改革が実施されることとなった。
 その後2005年4月、衆参両院本会議においてそれぞれ「年金制度をはじめとする社会保障制度改革に関する決議」が行われた。同決議に基づき、全会派の議員から構成される「年金制度をはじめとする社会保障制度に関する両院合同会議」が開かれた。決議が行われた背景には、当時の合計特殊出生率が低位推計をも下回ったことなどによって、「100年安心」に疑問符が付いたからである。両院合同会議は7月まで8回にわたって開催され、取組みの遅れていた被用者年金の一元化などの議論を行った。だが、2005年9月の小泉首相による「郵政解散」とその後の与野党の対立によって、同会議は立ち消えとなった。

 2007年の166回国会では「被用者年金制度の一元化等を図るための厚生年金保険法等の一部を改正する法律案」が提出された。共済年金制度を厚生年金保険制度に合わせる見直しとともに、パート労働者に対する社会保険の適用対象範囲の拡大を行おうとするものだったが、衆議院において継続審査となり、2009年7月 21日の衆議院解散に伴って審査未了、廃案となった。

◆◆ 民主党政権における改革の方向性

 民主党は2009年、戦後初めて第一党と第二党が交代する形で政権の座に就いた。衆議院は民主党だけで過半数を制していたが、政権は社民党と国民新党との連立となった。
 鳩山由紀夫代表の下でまとめられた『マニフェスト2009』における年金政策は、①年金制度を一元化し月額7万円の最低保障年金を実現する、②「消えた年金」「消された年金」問題の解決に2年間集中的に取り組む、③「納めた保険料」「受け取る年金額」をいつでも確認できる「年金通帳」を全ての加入者に交付する、などが柱となっていた。

 これら政策の実現を期すため、政権交代後、鳩山首相を議長とする「新年金制度に関する検討会」が設置され、2010年6月に「新たな年金制度の基本的考え方について(中間まとめ)―安心・納得の年金を目指して―」が出された。年金制度の一元化、最低保障年金、負担と給付の明確化、「消えない年金」の原則、未納・未加入ゼロの原則などを柱に、国民的議論を行った上で議論を進めていくこととされた。

 同年10月には政府・与党社会保障改革検討本部が設けられ、12月に「社会保障改革の推進について」を決定し、これはそのまま閣議決定となった。そこでは改革の基本的方向は民主党「税と社会保障の抜本改革調査会中間整理」や「社会保障改革に関する有識者検討会報告~安心と活力への社会保障ビジョン~」において示されているとされた。
 政府・与党においては、それらの内容を尊重し、社会保障の安定・強化のための具体的な制度改革案とその必要財源を明らかにするとともに、必要財源の安定的確保と財政健全化を同時に達成するための税制改革について一体的に検討を進め、その実現に向けた工程表とあわせ、23年(2011年)半ばまでに成案を得、国民的な合意を得た上でその実現を図るとされた。

 翌2011年1月、検討本部に「社会保障改革に関する集中検討会議」が設置され、同会議での議論を踏まえた厚生労働省から出された案を検討し、6月に「社会保障改革案」がまとめられた。
 この間、民主党内においても議論が行われ、民主党「社会保障と税の抜本改革調査会」は、同年5月、「『あるべき社会保障』の実現に向けて」をまとめた。所得比例年金と最低保障年金を組み合わせた年金制度を創設し、全国民がこの制度に加入する公的年金制度の一元化を掲げた。

 しかし、そのためには所得の捕捉を確実に行うための番号制度の導入、税と社会保険料の一体徴収など、現在の行政の仕組みを大きく転換することが必要であり、これを短時間で実現することは困難であることが表明され、公的年金制度の抜本改革を実現するための環境が整備されるまでの間、現行制度の問題を可能な限り是正し、国民の年金制度に対する信頼を回復するとされた。すなわち抜本改革の先送りが与党の中から表明されることになったのである。

 6月には、「社会保障改革案」を受けて、社会保障・税一体改革成案の案文がまとめられ、翌7月に閣議報告がなされた。ここでは、OECD先進諸国の水準を踏まえた制度設計を行い、中規模・高機能な社会保障体制を目指すこととされた。
 これを受けて厚生労働省は12月、「厚生労働省社会保障改革推進本部の検討状況について(中間報告)」をまとめ、個別分野ごとに、2012年の通常国会への法案提出を検討するものや中長期的課題とするもの等の整理を行った。

 その後、2012年2月に社会保障・税一体改革大綱が閣議決定され、6月には民主党、自由民主党、公明党の三党間において取り決められた、社会保障と税の一体改革に関する「三党合意」がなされた。これを受けて8月に社会保障・税一体改革関連8法が成立した。この時、消費税率の引上げによる増収分については、すべて社会保障の財源に充てるとされたのである。

◆◆ 民主党政権下での年金政策の評価

 上記のような民主党政権下での議論はどのように実現されていったのか。先に述べた三本の柱、①年金制度を一元化し月額7万円の最低保障年金を実現する、②「消えた年金」「消された年金」問題の解決に2年間集中的に取り組む、③「納めた保険料」「受け取る年金額」をいつでも確認できる「年金通帳」を全ての加入者に交付する、に沿って検証してみよう。

年金制度の一元化と月額7万円の最低保障年金
 2012年8月に成立した被用者年金一元化法によって、共済年金制度を厚生年金制度に合わせる方向を基本(公務員及び私学教職員の保険料率や給付内容を民間サラリーマンと同一化)として被用者年金の一元化がなされた(施行されたのは2015年10月から)。
 だが最低保障年金については、前述の「『あるべき社会保障』の実現に向けて」において事実上の断念が表明されていたこともあり、そこまでの制度設計には至らなかった。
 だが、2012年8月の年金機能強化法によって、年金の受給資格期間を25年から10年に短縮したこと、基礎年金国庫負担2分の1を恒久化する年度を2014年度としたこと、短時間労働者に対する厚生年金・健康保険の適用拡大を行ったこと、厚生年金、健康保険等で産休期間中の保険料免除を行ったこと、遺族基礎年金の父子家庭への支給を行ったこと、などは制度の成熟化に貢献したものといえよう。

「消えた年金」「消された年金」問題の解決への取組み
 野党時代の民主党の追及で発覚した未統合の年金記録、いわゆる「消えた年金」5,000万件の解決は積極的に取り組まれた。『マニフェスト2012』では、それまでに2,860万件の記録が解明され、1,671万件を統合、このことによって1.7兆円の年金給付額を回復させた実績が述べられている。また、年金記録が訂正されてから支払われるまでの期間が、政権交代前の10ヶ月から4.2ヶ月に大幅に短縮されたことも評価しうる実績である。

「年金通帳」を全ての加入者に交付
 『マニフェスト2009』では、納めた保険料と受け取る年金額がひと目でわかる「年金通帳」を手元に置いておけば、いつでも自分の年金記録をチェックできる紙の年金通帳の交付が想定されていた。だが、2011年11月に行われた厚労省のねんきん定期便・ねんきんネット・年金通帳等に関する検討会では、全国銀行協会が「銀行ATMで記帳を行うのは巨額のシステム改修費がかかり、現実的ではない」と反対していたことなどもあり、紙の通帳は断念された。
 代わりに同検討会では「e-年金通帳」を導入することが提案された。厚労省は、「年金記録をより手軽に確認できるよう、ねんきんネットを活用した「e-年金通帳」を開始するとともに、スマートフォンでの利用を可能にするなどの充実を図る。また、インターネットを活用できない方のために、「e-年金通帳」の印刷交付サービスなどを推進する」ことを2013年度予算概算要求で行っている。だが、ねんきんネットにおける通帳形式での閲覧は現在に至るも実現していない。

◆◆ 民主党政権下の政策の評価

 このように、マニフェストに掲げられた抜本改革は当面の実現の容易な制度改革に後退していき、自公政権時の政策の延長線上にあるともいえるほどに変質していった。民主党政権は、マニフェストに掲げた政策がバラマキであると野党自民党などから激しく批判され、これらの改革案が財務省主導の財源論に傾いていった側面は否定できない。
 民主党が目指した年金改革は、それまでの年金改革議論の集大成的なものであった。だが、個々人の加入期間が40年以上にもわたる年金制度は、改革にあたって様々な移行期間を置かなければならないなどの精密な議論は野党時代には難しく、また、政権担当期間も抜本改革を行うには短かったといえ、政権担当の難しさを実感させるものになったといえよう。
 次稿では、年金改革の論点についての整理を行いたい。

 (国会議員政策担当秘書)

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