【コラム】
1960年に青春だった!(13)

20年前に共同経営者にならなかった運命の二人

鈴木 康之

 電話番号が1805と2805、結婚記念日が2月9日と2月10日などなど、ボクとヒサノさんには偶然のイチ違いが多く、くすぐったい二人でありました。
 というのが前号までのあらすじ。

 犬なら異な気配を感じて低く「ウウーッ」だったでしょう。
 住う横浜から互いのオフィスのある都心に向かう渋滞のなか、ボクの思い出話の展開に運転席のヒサノさんが思わず唸りはじめました。

 大手デザイン会社に勤めて2年目の年。ボクは学校時代の仲間とグラフィックデザインの公募展・日宣美展に挑戦しました。
 テーマは都市部の昼間人口が1千万人を超えて、建築家・丹下健三さんが立ち上げた『東京計画1960』。新聞全面に7日間連載して世に訴えるシリーズ作品でした。

 二人の大御所の親切に恵まれて、奨励賞をとれました。

 一人は丹下健三さん。許諾を頂くべく東大の研究室を訪ねると、相好をくずして喜ばれ、一番弟子の黒川紀章さんをボクたちの仲間に入れてくれました。
 東大建築科の若き天才、その長広舌拝聴はみんな欠伸に堪える難行でしたが、いつの間にかボクたちの大作に強靭な構造体ができたことは確かでした。

 もう一人はボクの勤め先のチーフデザイナー・片山利弘さん。
 革新的な造形作家でした。レコード・ジャケットや映画のポスターなどの応募作品が多いなか、社会的・今日的テーマでかつ提案性の高いボクたちのチャレンジに好意的でした。なんどかお宅の食事会に招いてくれて、遠回しながらデザインとは何か、いまでいうコーチングを施してくれました。

 そして、日宣美展の翌年、ボク一人がお宅に呼び出されました。
 いきなり「きみ、会社を辞めて独立しなさい」。

 20年も前の話ですが、この話はダレかがドコかでつながって差し障りがあるかもしれないと案じて、ボクは片山さんなどの名を伏せて話しました。

 「Kさんがね、会社を辞めて独立しなさい、と真顔で迫ったんですよ。
 ある百貨店から広告や販促の制作を受け持つ自前のスタジオをつくりたい、と相談を持ちかけられているという話。

 はじめは4、5人でスタートする。資本金は百貨店側が用立てる。オフィスはすでにビルのワンフロアをおさえてある。マネージメントとプランニングのできる男が大阪から来る。話はついている。で、クリエイティブは君がやる、と。

 まだ素人同然、無茶な話です。汗かきながらボクはお断りしましたよ」

 低く唸っていたヒサノさんがいきなり吠えました。
 「Kさんって片山さんでしょ、ワン! 西武百貨店でしょ、ワン! オフィスは電車から見えた赤いビルでしょ!」

 そうでした、ヒサノさんは大阪時代、有名印刷会社にいて、プロデュース的な仕事をしていたと聞いたことがありました。
 片山さんは大阪でデザイナーとして名をあげた人。
 二人が大阪で親しくつながっていたとしても不思議ではありませんでした。

 「東京の人ってスズキさんだったんですか、ワン!」
 「大阪から来る人ってヒサノさんだったんですか、キャン!」

 東京の男が話に乗ってこない。この話はなかったことに、と片山さん。
 ヒサノさんは計画が頓挫して苦労されたと思いますが、ともかく東京進出に成功し今日に…。
 片山さんはその後スイスの薬品メーカー・ガイギー社に招聘され、さらに米国ハーバード大学で教鞭をとりながら、世界を活動の場とする人になりました。

 謝して、笑って、涙したいけれど、片山さんはボクたちよりひとまわり上、いまは黄泉の人。

 しかし、このめぐりあい、どーにも不思議で不思議でなりません。

 片山さんがボクたちに出会いを仕掛けてくれたのが1962年──。
 相棒がダレか知ることなく未達に終わり──、
 不発弾のように埋れて時を経て──。
 1976年、ボクたちはまったく別な動機で邂逅し──、
 他愛ないイチ違いの偶然を楽しみながら肝胆相照らす仲となり──。
 1980年某朝、自分たちは片山さんの仕掛けた不発弾だったと分かって──、
 「ワン!」「 キャン!」と心騒がしく──!

 クリスチャンは「これも神様の美事なご計略です」と賛美します。

 かのジェームズ・レッドフィールドは名著『聖なる予言』のなかで「物質的なものだけに心を奪われ、目の前のことだけに一生懸命だったことに、ようやく我々は気がつく。そして心を開き、目覚める」と書いています。

 小柴昌俊博士はニュートリノの天体の図絵を見せてくれました、『大気中に目には見えない無数の微粒子が地球に降り注ぐように飛んできていて、1秒間に何兆個もが我々の身体の中を通り過ぎている』と。

 大著『偶然とは何か』を著わした数学者・イーヴァル・エクランドはそのあとがきで「本書は偶然に捧げられているけれども、わたしが研究者として仕事しているのは、偶然の入りこむ隙のない別の領域だ」と気をもたせています。

 次号は、実の父とゴルフの父とがボクの執念に負けて、別の次元の偶然で会っていたという遺骨発掘のような話です。

 (元コピーライター)

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