■ 海外論潮短評(37)               初岡 昌一郎

~欧州統合の将来をめぐる対立激化 ― 深淵をみつめながら~

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  憂慮されたギリシャの財政経済危機が、他の南欧諸国に連鎖的に拡大する懸念
は一応下火になったものの、中長期的に事態はまだ楽観を許さない。7月10日
号の『エコノミスト』誌は、ブリュッセル発の長文の解説記事をタイムリーに載
せているので、その骨子を紹介する。これによると、ユーロ通貨圏の危機が域内
諸国政府を狼狽させるにつれて、欧州統合の目的と展望について見解が劇的に分
かれつつある。同誌はもともと欧州統合を批判的に支持してきており、急テンポ
な統合には慎重な立場をとっている。欧州危機をもたらしている基本的原因の財
政赤字、低成長、人口減という"三悪"は、日本が直面している将来的な諸問題を
惹起している理由と同じ。


◆欧州統合の将来をめぐる対立激化 ― 深淵をみつめながら


  EUは生き残れるだろうか。この設問は、つい先頃までは馬鹿げたものと一笑さ
れたに違いない。今や統合の積極的な主唱者たちでさえも、債務、人口減、低成
長の"バミューダ・トライアングル"(事故多発ゾーン)に欧州が突入していると
論じている。

 共通通貨のルールがあるために、これまでのように各国が個別的通貨切り下げ
によって事態に対処できなくなっている。したがって、問題を抱える政府は、は
るかに困難な自らの政治的決定による緊縮削減的経済政策の採択を余儀なくされ
ている。

 強弱格差のあるユーロ圏経済が将来的に統合されうるという見通しに、市場が
信頼を失っている。それにもかかわらず、欧州単一通貨を如何にして救済するか
について議論が行き詰まっている。その理由は、ユーロ圏の支配的大国であるド
イツとフランスが、域内の協調を深める必要性には合意しているものの、その協
調を達成する方途について大きく食い違っているからだ。

 ドイツは、借り入れ、支出、競争条件などのルールを厳しくする事で、ユーロ
を救うべきだと考えている。逸脱する国には、EU基金の支出停止や、閣僚会議で
の投票権停止を含む罰則を課すべきだと主張する。他方、フランスを先頭とする
"南部陣営"は、ユーロ圏内に"ヨーロッパ経済統治機構"を創設する事を提案して
いる。これは一種の政治主導で、富裕国から低所得国に富を移転させる金融財政
政策、企業所得税や労働コストの引き下げ競争防止など、域内各国間の経済社会
政策の協調を行おうとするものである。

 だが、EUを見限るのは時期尚早だ。世界最大の通商ブロックであり、その内部
市場では他の貿易圏よりも商品、資本、労働の移動がはるかに自由である。EUは
グローバル化の鋭いエッジを食い止め、資本主義をもっと調和的なものにするこ
とを目指してきた。


◆回避された崩壊


 欧州の近未来にたいして、二つのシナリオが描きうる。一つは驚くほど積極的
なものであり、二つめはより消極的なものだ。

 積極型シナリオは、事態がもっと悪化しうるものであったという認識から出発
している。暗黒の一年半は、ギリシャ、ラトヴィア、リトアニア、ブルガリアに
おける暴力的な抗議運動に彩られていた。スペイン経営者連盟は、政府の介入を
許すために自由競争の一時"休戦"を示唆していた。スペインとイギリスの政治家
は、国内の企業と消費者に優先的な貸し出す条件付で、銀行の救済をもとめてい
た。

 2008年12月のEUサミットは、自由主義経済にとって最も危険な場であった。
フランスのサルコジ大統領がEUルールを厳しく適用しすぎるとEU委員会を批判し
た時、彼の周囲の首脳が皆うなずいていた。もし採決が求められたならば、圧倒
的多数のEU首脳がEU内部ルールの棚上げに賛成していただろう、とEU高官が回想
している。

 かつては放漫財政だった国も、単一通貨ルールによって構造改革を強制される
ので、その財源内でやり繰りするものと想定されていた。ところが、フランスと
ドイツが自らに火の粉が降りかかりそうだと見るや、安定成長協定のルールに率
先して背く先鞭をつけた。それが他の国にやりたい放題可能のサインを送った。
ユーロ圏で競争力の弱い諸国、特に"地中海クラブ"諸国が安易な信用供与を膨張
させ、資産バブルと賃金高騰をすすめたのに手を拱いていた。

 先進諸国も偽善の罪に問われている。ドイツとフランスの銀行が、ギリシャと
スペインにたいする貸し出しの道を先導した。貸し手は、ユーロ圏の政府債務は
全て岩盤のように固いものと想定していた。より高い金利の南欧諸国の債券は銀
行にとってまたとない儲けをもたらすとみなされていた。ソブリン(主権国)債
務危機が発生してはじめて、ギリシャにたいする貸し出しはオーストリアにたい
する債務よりもリスクが大きい事を学んだ。

 先進諸国はまた、危機を認めた段階で初期的な防止策を怠った。放漫財政を取
ったギリシャ保守派のカラマンリス前首相を庇護したのは、EU多数派の中道右派
政治家たちであった。遅まきながら教訓がベルリンでも学ばれた。本来の安定成
長協定を自ら壊したことが自国に跳ね返ってきたのだ。


◆正常化への道


  EU諸国政府は相互に構造改革を実行するように迫り、がみがみ言いあってきた
が、成果を上げていない。問題は、ルクセンブルグのユンカー首相が言うよう
に、「何をすべきかを政治家は皆承知しているが、それをした後で自分が再選さ
れるかどうかが分らない」ことにある。

 市場の不信を受けて、引き伸ばされてきた幾つかの改革が動き出した。ヨーロ
ッパ実業界の中心的な要求の一つであった、27ヶ国共通の特許権制度をヨーロ
ッパ委員会が本格的に打ち出した。労働や公務制度の改革に長年抵抗してきたス
ペインのザパテロ首相は、その圧力に譲歩すると同時に、ドイツなどが抵抗して
引き延ばされてきた、銀行の体力テストの結果を公表するよう、6月のEUサミッ
トで要求した。支払い能力を立証するのには、透明性に勝るものはないと彼は述
べている、

 2005年から30年までに、EUの労働人口は2000万人減り、65歳以上人口が4000万
人増える。公共財政の崩壊が懸念されているので、人口上の時限爆弾がヨーロッ
パで共通した議論の的になっている。イギリスやオランダの政府は、年金受給年
齢を67歳より70歳に引き上げる事を激しい抗議なしに提案することができた。6
月の世論調査で、退職年齢を62歳に引き上げる提案を有権者の大多数が"不当"と
回答したフランスでも、現在の年金制度が破産に瀕している事に反論する人はほ
とんどいない。改善するのに誰が費用を負担すべきかについて、左右両派に違い
はほとんどない。

 ギリシャでも激しい抗議ストが労働組合内共産党系強硬派によって行なわれた
が、ほとんどの組合は抑制的であった。報道機関は支出を支払い能力の範囲内で
行うべきという論調一色で、現状改革の必要性が強調されている。

 ヨーロッパで大きな懸案となっている構造的問題の一つは、公共支出の不適当
な配分である。公務員人件費の肥大が批判され、早期退職割増金や強力な特殊権
益集団に対する補助金などが暴露されている。

 楽観論者は、公共支出削減が支払い能力論による構造改革を推進すると期待し
ている。迅速な削減に迫られる政府は、公共部門の賃金を始めとして、自らが直
接に管理する支出の抑制に躍起になっている。成長にたいする渇望が、根深い構
造的問題に関心を向けざるを得なくしている。ヨーロッパに産業政策が必要かと
いう昔からの論争は、優遇策をとる資金的余裕がないので不要となった。

 ベルギー政府閣僚は、55-64歳層の僅か35%が働いているに過ぎないという惨
状を認めている。スウェーデンではその年齢層の就労率は倍も高い。ドイツでは
育児ケアが不十分なので、多くの女性が職場を離れざるを得ない。こうしたひず
みを是正することは、赤字支出以上に内需を拡大するだろう。


◆翼賛的協調主義の影


  今日の緊縮耐乏政策はリスクの多いもので、短期的中期的に失業の急増につな
がりかねない。政治家は高失業を恐れる。それは強固な政府をも揺るがす。若い
ときに失業したものは、一生まともな仕事に就けないことが多く、その子どもた
ちも社会のアウトサイダーになりやすい。親たちの解雇を難しくする労働法は、
子どもの利益にも密接に関わっている。

 公共部門の労働者は特権的なインサイダーとみなされやすい。しかし、削減は
彼らを犠牲者と思いこませるだろう。ヨーロッパの公務員は薄給のことが多く、
給与は雇用保障と表裏の関係にある。

 EUは、国境の開放が一般市民の利益になる事を納得させなければならない。特
に、金融部門のやりたい放題を止めさせる規制を工夫しなければならない。さも
なければ、保護主義と大衆迎合主義が勃興するだろう。ヨーロッパ内部市場担当
EU委員のフランス人、ミシェル・ベルニェは、ヨーロッパに"社会的経済"が必要
だと主張している。それは資本主義をもっと包容力のあるものにすることであ
り、彼は特に地場の零細企業を守ることに熱心だ。

 危険は二重に存在する。第一は、金融部門などを対象に大衆を納得させる規制
措置をとるよう、EUに圧力がかかっている。第二は、包容力のある資本主義が縁
故贔屓資本主義になりやすい事である。かつてヨーロッパの脅威であった翼賛的
協調主義(ムソリーニなどのコーポラティズム)は、それよりも遥かに大きな脅
威である。

 ブリュッセルのEU本部規制担当者は、補助と規制を止め、ヨーロッパが国際競
争のチャンピオンとするように、財界ロビーや多くの政府から圧力を受けてい
る。このようなロビイングは、現在のEUが目指すべき目的について根深い対立が
あることを示している。

 かつてのEUは、西欧諸国の気楽なクラブであった。今や、バルト海からキプロ
スに広がり、旧共産主義10ヶ国を包含する27ヶ国の連合体として、グローバリゼ
ーションを制御する砦となることが最上の存在理由となっている。

 自由市場主義論者にとっては、拡大EUの規模と多様性自体が利点である。EUは
労働移動の自由をあたえ、はるかに安い労働力を持つ東欧諸国を取り込む事によ
って、事実上その内部をグローバル化した。自由経済主義論者にとっては、フレ
キシビリティとダイナミズムが生き残る最上のチャンスをヨーロッパに提供して
いる。

 しかし、ヨーロッパの左翼とフランスのほとんどの政治党派を含む他の陣営
は、グローバリゼーションの制御、少なくともその力を抑制する事に欧州統合の
目的を置いている。この考え方によれば、グローバルな競争下で福祉国家の高コ
ストを維持するには、単一国家では規模が小さすぎる。5億の人口を持つEUなれ
ばこそ、市場に対する政治的意思の優位を行使できる。この観点に立つと、多様
性は問題であり、先進的な社会モデルを弱体化する。不当な競争は、東欧からの
労働移民制限、富裕国での生産補助金廃止、欧州一律の最低賃金制などの社会的
協調によって抑制されなければならない。


◆フランスとドイツの妥協は可能か


  基本的なユーロ圏統治政策に関してフランスとドイツの合意が欠けているもの
の、今後とも不一致が続くと想定するのは間違いであろう。衝突のほとんどは容
易に解決されそうにはないが、究極的には妥協が図られざるを得ない。

 ドイツが厳格な財政規律を求めているのは外向けの立場である。EU高官は、制
裁論議はナンセンスだともらしている。フランスやドイツが自ら制裁を受け入
れ、投票権剥奪を容認する事などありえない。東欧のひ弱な民主主義国は投票権
剥奪などの制裁に猛反発し、民主化を進めようとするEUの努力を台無しにしかね
ない。EUメガプロジェクトの凍結も同様に実行できない。このようなプロジェク
トはほとんど国境を越えたもので、特定国だけを罰する事にならない。

 救済措置、ユーロ共通債券、"財政融通同盟"を通じた再配分を推進しようとす
るフランスにとっても、ヨーロッパの民主主義的不均等をどう地ならしするかは
根本的な問題である。再配分には政治統合を飛躍的に深化させる必要がある。こ
のような同盟深化に、多くの加盟国が今のところ意欲をまったく持っていない。

 それでは、ヨーロッパは単一通貨をどのようにして救済するのだろうか。どう
考えても、対策は継ぎはぎ細工とならざるをえない。"救済策"と名づけられない
救済策がとられ、ユーロ圏の弱体国にたいする"臨時的"基金の恒久化が止められ
なくなり、加盟国政府間で予算プログラムが"非公式に"討議される事になるだろ
う。

 それだけで十分か。ほとんどの問題は、経済成長の可能性と、この危機の教訓
を正しくヨーロッパが学びうるかにかかっている。オープンで、フレキシブルか
つ競争力のあるヨーロッパが、グローバリゼーションに太刀打ちする最上の道で
ある。しかし、これだけが今のEUにとって提案されているのではない。大きな政
治的選択が有権者の前に立ちはだかっている。


◆コメント


  この記事を読んでの第一の印象は、EUの将来をめぐる独仏の根深い対立と、
もう一つの大国であるイギリスの不在である。これはイギリスが単にユーロに加
盟していない事からだけくるものではない。英ポンドのこの間の下落は、ユーロ
に劣らない。イギリスは伝統的にアメリカとの大西洋同盟を重視して、労働党内
閣ですらブッシュの対外政策に追随して来た。新保守・自民政権も、共和党外交
政策と決別しようとするオバマ政権の国際政策に追随する"ネジレ"が続きそうだ。
冷戦の脅威が消滅すると、米欧関係には協調だけではなく、競争関係が特に浮
上している。米英両国の報道からは、欧州の分解は望まないとしても、欧州統合
の、特にユーロの強化に手を貸したくない気持ちもちらほら散見される。

 低成長とそれからくる"不景気"は今や全ての先進国に共通しており、過去20
年にわたる"景気浮揚"のための公共支出がほとんど全て不毛であることは立証さ
れている。 少なくとも先進国においては、もはや高成長期のような"好景気"は
もはや望むべくもない時代に突入しているので、景気対策のための財政支出は無
駄に終わり、企業の海外逃避に追い銭を出す効果しかないだろう。腹をくくっ
て、生活と労働の質の向上を目指すべきで、この点では西欧諸国から学ぶべきも
のがまだある。

 危機は根深いが、日本の論壇の一部に見られるようなEU崩壊論は実証的根拠
に基づくというよりも、八卦見的な予想に過ぎない。EUは単なる経済的統合体
ではなく、安全保障上の政治統合体であり、同時に社会労働面でのコモンスペー
スを拡大してきているので、紆余曲折はあっても簡単に崩壊する事は考えられな
い。本稿が指摘しているように、グローバル化に名を借りた金融資本による世界
的な不正と支配を制御するためには、地域統合が不可欠な政治的装置となってい
る。地域統合は時代の追い風を受けたものであり、これは欧州だけではなく、全
ての地域に当てはまる。

 東アジアの地域統合にとっても、経済的共通市場だけではなく、安全保障上の
合意や、社会的次元での協調が不可欠である。鳩山政権はあっけなく退場を強い
られたが、それが提起したアジア共同体を追及しようとする独自的外交政策まで
が一緒に流されてしまわない事を祈る。

                (筆者はソシアルアジア研究会代表)

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