■臆子妄論  

~国鉄民営化よしあし~      西村  徹


◇◇私鉄化といえばよいのに


 国鉄のいわゆる「民営化」は本来ならば私鉄化とか私企業化というべきところ
民営化という誤用がすでに定着してしまっているので、ミスリーディングではあ
るがそのまましたがうこととする。それにしても、こういう場合どうして日本の
学者の先生方はもっと素早く用語の欺瞞性を衝こうとしないのか、基本の概念を
表す用語がこんなに粗雑に扱われてよいのだろうか。どうせ自前ではなく輸入す
るだけにしても、せめてレッテルだけでも偽装は避けてほしいものに思う。

 それはさておき、とにかく国鉄は民営化されて私鉄になった。民営化されて良
くなったところもあれば悪くなったところもあるだろう。民営化のよしあしは簡
単に言えないが、国鉄時代には民営化後にはありえないような悪いところもない
わけではなかった。しかし、それは、国有鉄道が国民有鉄道(すなわち真の民営
=NGO,NPO)でなくて国家有あるいは国権有鉄道だったからであって、いわゆる民
営でなかったからというわけではなかった。とにかく、そのような、国家権力が
直接に管理運営する従来の国有鉄道にはどういうことが生じうるか、あるいはえ
たか、いまだに忘れられないことが二つばかりある。


◇◇威張るチンピラ駅員


 戦争が終わって兵隊から帰ったものの、学校に戻ろうにも食っていくのがやっ
とで、それどころではなかった。インフレに追いかけられて容易に復学の機をつ
かめないまま秋は深まり、どうにか学校所在地の金沢に戻る踏ん切りがついたの
はもう冬にさしかかる頃だった。関西本線で伊賀上野から東へ三つ目の柘植とい
う駅まで行き、そこで草津線に乗り換えて、草津から北陸線ということになる。

 辛うじて列車は動いているという状態だったが柘植までは無事に着いた。柘植
で東から入ってくる亀山発の列車を待った。いくばくかの時を経て列車は来るに
は来るらしかった。ところが列車の入線前に駅員がメガホンをかざして「次の列
車には乗ってはならぬ。進駐軍が乗っているのだ」と言う。進駐軍専用列車では
なくて一部車両に進駐軍が乗っているのであるらしい。一部車両に進駐軍が乗っ
ていて他の車両には日本人が乗っているのに、なぜ柘植からは乗れないのか、い
くら考えても理由が分からない。
 
なんとか乗らないと駅で夜明かしになる。辞を低くして乗せてもらえないかと
頼んだが、頼めば頼むほど相手の姿勢は高くなる。尻上がりに高くなる。「進駐
軍だ」と言ってはそのたびにいよいよ反り返る。「そんなバカな」だったか「そ
んな無茶な」だったか忘れたが、迂闊に発した私の言葉尻を捉えて矢庭に彼は激
昂した。激昂して頻りに喚いた。居丈高に喚いているが、なにを喚いているかは
不明であった。

 戦時中はなにかにつけて威張る奴は軍の威光を背にして威張った。加えて天皇
を持ち出して威張った。戦後は軍のかわりに進駐軍を笠に着て威張るようになっ
た。その駅員は年配者ではなく年のころは私よりやや下。あるいは予科練かなに
かの戻りだったのかもしれない。メガネだったから、メガネの予科練はありえな
いから、もっと胡散臭い背景だったかもしれない。威張った経験はないが威張る
のを見るだけは見て、それで威張り方を学んだような威張り方だった。声が上ず
って腹に力の入らない、したがって威力のない、唐突で吃驚はするが、むしろ吹
き出したくなるような軽輩らしい威張り方だった。

 大岡昇平の『野火』に「致命的な宣告を受けるのは私であるのに、何故彼がこ
れほど激昂しなければならないのか不明であるが、多分声を高めると共に、感情
を募らせる軍人の習性によるものであろう」とある。駅員の精神のはたらきはこ
れに準ずるもの、あるいはこれのまがい物のごとくであった。「声を高めると共
に、感情を募らせる」クレッシェンドに、古手の下士官のような凄みと迫力がな
かったから、これは明らかにまがい物であった。

 この種情動のスパイラルはかならずしも軍人にはかぎらない。たとえば子供を
叱る母親が叱ることによって自分が激してしまい、危うくDVに陥る危険を自ら感
じたということを、その母親自身から聞いたことがある。それゆえ仏教では三毒
の根源として瞋恚をもっとも強く戒める。「神の怒り」などといいながらキリス
ト教でも怒りを七つの大罪の一つとする。全共闘が流行ったころの討論ではこれ
が猖獗を極めた。寛容は敗北の選択。まず狂って、先に大声を出す奴が勝った。


◇◇車両を列車に拡大解釈


 やがて入ってきた列車は相変わらず買出しの日本人で超満員、赤帯の入った三
等車ばかり。その中に青帯の二等車(今でいうグリーン車)が一両まじって進駐軍
が一人だけ乗っていた。今みたいに真っ昼間から室内灯を点けたりしないから空
っぽの客車は薄暗かった。その中にアメリカ兵が一人ぽつねんと座って窓の外を
見ている有様は、一輌を独り占めしているというより、なにか奇妙な生き物を隔
離して護送しているように見えた。動物園の檻の中の動物のように淋しそうで、
かわいそうに見えた。
 
吠える駅員を尻目に動き出した列車の最後尾に跳び乗って、私はその場を切り
抜けた。この時代、こういう局面はありふれていたから、格別してやったりとい
う気にさえならなかった。おそらく「アメリカ兵の乗っている車両には日本人を
乗せるな」という連絡が誤って拡大解釈されて車両が列車になったのであろう。
北朝鮮のロケット発射の「誤探知」も似たようなものだったらしい。その種の滑
稽な拡大解釈は今日でもしばしば見られる。3月3日の東京地検による小沢一郎衆
議院議員公設秘書大久保氏の逮捕なども政治資金規正法の恣意的拡大解釈による
検察の誤探知であろう。

 検察と駅員。見れば見るほど虎の威を借るトンチンカンはよく似ている。テレ
ビも新聞も似ている。木を見て森を見なかった。というより小沢という木を見て
、大木なので森だと思ってしまって、はるかに大きい自民金権の森は目に入らな
かった。なによりも自由と人権の大前提をなす推定無罪の原則が踏みにじられよ
うとするのをテレビも新聞も座視した罪は大きい。その後草彅という俳優の「逮
捕」が報じられたときにも優等生化した疑わざる記者の人権感覚の鈍摩が如実で
あった。


◇◇マックス・ウェーバー『職業としての政治』再読のすすめ


  「美しい国へ」とかなんとか、やたら情緒的なことを言って安倍晋三が首相に
なったとき、田中真紀子が質問に立って「マックス・ウェーバーの『職業として
の政治』を読んだことがあるか」と質した。政治家のみならず、ほとんど軒並み
御用になってしまった感のあるテレビや新聞の人々も、いまいちどこの書を読む
ことが望ましいように思う。

 同書は「善い目的を達成するには、まずたいていは、道徳的にいかがわしい手
段、少なくとも危険な手段を用いなければならず、悪い副作用の可能性や蓋然性
まで覚悟してかからねばならない」と言い、「政治にタッチする人間、すなわち
手段としての権力と暴力性とに関係を持った者は悪魔の力と契約を結ぶものであ
ること。さらに善からは善のみが、悪からは悪のみが生まれるというのは、人間
の行為にとって決して真実ではなく、しばしばその逆が真実であること」(脇圭
平訳)とも言う。

いたずらに心情倫理(Gesinnungsethik)にのみ寄りかかって、じつはこれも新
聞テレビが勝手に煽った大衆世論に迎合し、責任倫理
(Verantwortungsethik)を回避してナイーブな自己満足に浸っていればやがて後々、
衆愚に同調して客観性を失ったという自己嫌悪の苦汁を舐めることになるだろう。
主観の純粋性は結果責任を免責しないのである。
(注) Gesinnungsethik は英訳ethics of convictionのほうが「心情倫理」とい
うよりいっそう分かりやすいかもしれない。つまり客観的であるより「確信犯的」
「独善的」な倫理觀を指すものらしい。


◇◇背に腹は変えられず


 ちょっと風呂敷は広がったが、とにかく発車した列車に乗務員でない駅員が手
出しする手立てはない。私のような要領の悪い人間でも咄嗟にそれぐらいは読め
た。背に腹は変えられない。この頃はこんなことも日常的だった。臨機応変、応
用動作が機敏でないと生きていけない、スリリングなアヴァンチュールが連続の
無政府状態でもあった。そのくせまるで無警察というのでもなくて、食糧の買出
しはブッチャケという警察のいっせい手入れでせっかく手に入れた米や芋を取り
上げられるリスクがあった。対外的には滅ぼされてぺちゃんこになった国家権力
も対内的には進駐軍の威を借りて芋列車を襲うような姑息な形で辛うじて暴力装
置の面影をとどめていた。国民は常に警察の隙を狙わなければならなかった。い
までも高速道路などでは白バイやパトカーによるモグラ叩きみたいな、いたちご
っこみたいなことがあるのだから、いつの世も同じで特筆すべきことではないの
かもしれない。

 国民は鳩のように素直なばかりでなく、蛇のように賢くもなければならない。
インフレで金貸しの利息は月一(割)から十一(トイチ)にまで進んだ。大学の
授業料はインフレがさらに進んでから払えば負担はかぎりなくゼロに近くなった
。卒業式に授業料滞納だと卒業証書をくれなかったが演壇の裏にまわったら山積
みしてあって、そこから自分のを抜き取って持って帰った仁もいた。卒業証書は
くれなくても卒業はさせるというような間が抜けていて牧歌的なところが当局に
もあった。二例とも、実際に私の、故人となった友人の実践例である。


◇◇傲岸冷血の国鉄車掌


 もう一つ、それから十年ぐらいは経って1950年代のことだった。もはや米軍占
領下ではなくなっていたと思う。大阪にも環状線があるが、もとは梅田(大阪駅)
から天王寺まで東片側だけの城東線といった。梅田を出て終点天王寺に着いた電
車から当然ながら乗客はみな降りた。運転手も車掌も降りた。私も降りた。とこ
ろが中年の女性が一人、降りたはずが閉まったドアに手を挟まれて悲鳴をあげて
いた。直ぐ前をたったいま乗務を終えた車掌が赤と緑の手旗を巻き込んだ超特大
のショルダーバッグを肩にかけて、のっしのっしと歩いていた。
 
居合わせた私は当然ながら車掌に声をかけて注意を喚起した。しかし車掌はま
ったく反応しない。再三にわたり声をかけたが馬耳東風、まじろぎひとつしない
で傲然と歩み去った。私の声のみならず当該女性の悲鳴もその車掌の耳には当然
届いていたはずである。所管が違うというのだろうか。順法闘争というのだろう
か。とかくのうちに、あるいは運転手が気付いたのか、どうしたのか、その女性
は苦境を脱したらしくはあったが、この傲慢とも不遜とも、なんとも形容に窮す
る車掌の態度には、ただただ唖然とするほかなかった。

 私はこういう軽蔑すべき車掌が生じる由来をあえて分析せず、これを一つの過
去の事実として伝えるにとどめる。民営化以後にはありえないのは確実であるが
、そればかりでもないように思う。「昔はよかった」説にもかかわらず、社会は
やはり進歩しているのだと私は確信している。陰湿ないじめにしても昔はそれが
もっと公然と行われていただけのように思う。身障者を公然とからかう悪童を昔
はよく見かけた。
 
クルマ社会になる前は盲人の按摩(「目の不自由なマッサージ師」というはな
はだ不完全な現在の表現に該当する当時の表現)が笛を吹いて路上を流していた
。それをからかうチンピラやくざがいた。ある時そのチンピラの腕を盲人が捩じ
上げて悲鳴を上げさせるのを目撃した。按摩で鍛えた膂力は目を見張るに足るほ
ど強いものであった。チンピラの腕は労働しないからなまってへなへなである。
そういうスキャンダラスな場面を今は目にしないが、このチンピラとこの車掌は
民営化に関係なく同質である。 (5月10日記)

           (筆者は堺市在住)

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