■ 農業は死の床か再生のときか

~たまには私の養鶏法の話など~         濱田 幸生

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 私は養鶏が生業ですが、同じ養鶏業といってもわずか3千羽しか飼育していな
い小規模というのもおこがましい零細農家です。飼育方法は、いわゆる自然卵養
鶏法という地べたで放し飼いにする方法です。
 
  これは昭和30年代以前にいったん消滅した方法でしたが、私たちの世代が再
度見直して25年ほど前から復興したものです。復活させるにあたって、私は古
い農文協の本や、先駆者である中島正先生の本も参考にしましたが、実際には私
自身の体験の中から一から作ったというところです。
 
  この自然卵養鶏法は、まず大量飼育-大量販売-大量消費という近代養鶏の前
提そのものを疑うところから始めます。一般に大規模養鶏場では、一農場100
万羽単位で設計されており、それを数人の従業員が全自動で操業しています。
 
  私の農場は夫婦のふたりで、わずか3千羽の採卵鶏と600羽の雛を育ててい
ます。比較するほうが愚かというか、まったく別次元だと考えたほうがいいでし
ょう。あちらも同業者だとは思ってもいないでしょうしね(笑)。

 大規模養鶏は多くが、ウインドレスという無窓鶏舎です。のっぺりと窓がな
く、外からは臭気さえなければ(ちなみにわが農場は無臭が自慢)、養鶏場だと
気がつかないほどです。舎内は密閉されて、気温と湿度管理がされており、要す
るに卵製造工場だと思ったほうがいいでしょう。
 
  すべてがフルオートで、餌やり、採卵、包装まで一貫して人間が手を触れるこ
とはありません。このような養鶏場の従業員に、鶏は生き物であるとか、経済動
物以外の側面もあるのだ、などと言っても虚しいだけでしょう。

 一方私たちの農場は、機械に金をかけないだけ、手間をかけています。餌やり
は鶏の体調とご機嫌を知る最良のコミュニケーションの場ですし、採卵も腰にき
ますが、一個一個の卵重をチェックできるいい機会です。
 
  今年の夏の酷暑では、さすがにうちの女性従業員たちのニワトリもバテ気味で
したが、その時に餌を工夫したり、与える時間を早朝にしてみたり、やる量を細
かく見ながら餌やりをします。 このようなことは自動給餌機にはまねできない
はずで、わずかの匙かげんで、ニワトリと会話をしています。

 また餌やりの時だけ、鶏舎内に立ち入りますが、そのときに具合の悪いニワト
リがいないか、いじめられている者がいないか、たべられなくなっている者がい
ないか、糞に異常がないか、などを観察しています。
 
  餌はかつて凝りまくりました。お茶の屑や撥ね出しの小麦や玄米、そして私の
グループの有機野菜の屑などをやるようにしています。これはその季節季節、鶏
の体調によって微妙に変化をしていきます。 私は耄碌してヨイヨイになるま
で、この餌やりは自分の仕事だと思っています。

 卵も一個一個自分の手で拾うわけですが、そのときにザラ玉があるとか、変形
が出る、あるいは色が白っぽくなるなどの変化を確認しながら拾っていきます。
それを観ることで、その棟のニワトリの体調を知ることができます。
 
  管理上一番気をつけているのは、舎内が湿気を帯びないことです。舎内が締め
切るとてきめんに呼吸器系の病気が発生します。また、新鮮な空気がいくつも通
うように気を配っています。
 
  この換気と採光は私たちのような飼い方をする上で最も重要で、ただ地べたに
放し飼いにすればいいというものではありません。劣悪な環境で放し飼いにする
と、地べたからアンモニアや硫化硫黄がガスとして発生して、鶏を苦しめます。
臭い養鶏場の原因は、換気不良によるアンモニアガスの悪臭です。

 飼育密度もたいへんに重要です。私の農場では、坪10羽以下、平均8羽てい
どで飼っています。100万羽飼育の養鶏場は、たぶん私の農場の数十倍の密度
だと思われます。病気がでないほうが不思議です。どうやっているんでしょうか
ね。
 
  飼育密度を上げるといっけん経済効率が高まるような錯覚をしますが、自然と
はよくしたもので、飼育密度を上げると糞尿が乾くより先に堆積してしまうの
で、たちまち地表は湿りけを帯び、ガスを発生させ、病気を多発するようになり
ます。
  病気が多発すれば、当然産卵は低下し、死亡鶏も増え、経済はガタガタになる
という具合に自然から手厳しいお叱りを食うわけです。

 雛は一貫して初生といって餌付けからわが農場で育てられます。いわゆる一貫
飼育です。これは今ではほとんど見られなくなった飼育方法で、だいたいの養鶏
農家は、初生から産み出し寸前までを余所の業者に委託して、すぐに生む鶏だけ
で農場を回転させています。
 
  私はこの方法を好きではありません。確かに鶏舎の回転は高まるのですが、結
局余所で飼ってもらったトリはひ弱で、私の農場のスケスケの通風、冬にも遮蔽
しないようなシビアな環境には適しません。
 
  余所で育てられたやつはモヤシっ子なんですな。うちの農場の鶏は、家保の獣
医がびっくりするほど羽根の下の羽毛がびっしりと生え、股の筋肉はたくましく
盛り上がっています。まぁ毎日走ったり飛んだりしていますからね。
  クチバシもダテではなく、カボチャなど舎内に入れようものなら、あっという
間に薄皮一枚まで喰ってしまいます。野菜クズなどほぼ5分で完食。さすがごぼ
うは食わないなぁ。

 こんな話をしだすときりがないのですが、こんな飼い方をしている私は、単な
る「経済動物」だなんて思ったことは一度もありませんよ。確かにペットではな
く、経済動物には違いありませんが、同じ生き物として遇しているつもりです。
  そんな悠長な飼い方で食えるのかって、大丈夫喰っています。金持ちにはなれ
ませんが、25年間この方法で生活してきました。うちの卵は安くありませんか
ら。 私から見れば経済動物であり、「家族」です。


■低速回転養鶏法


  もう少し私の養鶏の話を続けます。
  私の自然卵養鶏法は、「古い革袋に新しい酒を入れる」というものでした。
  私は自分の農場が「5分の3経営」でいいと思っています。5分の3、つまり稼働
率6割でわが農場は回っています。わが農場には鶏舎が5棟あります。私の同業者
は、仮に5棟あれば目一杯産む鶏を入れようとします。私はそのうち3棟しか生産
には使いません。
 
  ちょっと算盤をはじいてみましょう。私の農場では、この1棟に収容できる限
界を600羽~650羽としていますから、め一杯入れると約3千羽です。しかし現実
には、私は3棟分しか産む鶏に使いません。約1800羽~2千羽といったところで
す。実に千羽強の差があります。我ながらゼイタクな使い方です。
 
  これを収益に置き換えてみます。産卵率80%として、目一杯10割入れると
2400個/1日が生まれます。一方、6割入れた場合1600個/1日です。800個/1日の
差です。これを30円/1個で販売するとして、24,000円/1日、そして月で実に
720,000円、年にするとなんと864万円もの収益の差があることが分かります。
どひゃ~、こんなにあるのかぁ。計算すんじゃなかった(汗)。
 
  気を取り直して、近代畜産は、施設を高速回転させて効率よく生産することを
至上課題としました(←いきなり教師口調になる)ちょうど工場のベルトコンベ
アーを高速でぶんぶん回すのに似ていますね。
 
  どんどんと家畜を入れて、がんがん出荷しようという考え方です。私のように
わずか6割の鶏舎しか使わず、のんびりとやっている低速回転農場など、現代畜
産農家のいわば辺境だと思われてきました。 では、どうして私はこんな辺境農
法をとっているのでしょうか?それは私の農場が「一貫」だからです。さてと、
ここでまたひとつ専門用語が出てしまいました。説明をします。「一貫」とは、
雛から最後の淘汰まで、文字通り「一貫」して自分の農場の責任で飼うことです。
 
  なんだ、あたりまえじゃないかと思われるでしょうが、私の農場のような「一
貫」は今やまったくの絶滅危惧種、レッドブック入りです。養鶏家は、外部の育
成業者から産み出し寸前の120日齢(生まれてから120日め)の大きな鶏を入れて、
ものの1カ月以内で産ませることになんの疑問を感じていません。
 
  言ってみれば、苗を自分の農場で育てず、よそから買ってくるようなもので
す。こうすれば、仮に5棟あれば、全部に産む鶏を入れてしまえることになります。

 残念ながら、今や平飼養鶏も含めて、大部分の養鶏農家はこのような方法で飼
育しています。(私が属するグループは全員が一貫飼育です)生育技術を持たな
い養鶏家などざらです。 ついでに言えば、完全配合飼料を使った場合、餌もな
にか知らないという知らない尽くしの人すらいる有り様です。これで鶏に愛情を
持てるはずもないではありませんか。
 
  では、なぜこのような「手抜き」をするのか?理由は、さきほど述べた経営的
に施設稼働率を上げられるという事以外に、雛を育て上げるというのは神経がく
たびれることだからです。

 先日入った雛の様子を見に、今日も私は夜でも見回りを絶やしません。しっか
りとした硬い羽根が生えるまでの1カ月間は寝不足の日が続きます。暴風雨や台
風のときには、彼女たちを守るためにつきっきりで側にいます。
 
  濡れた雛は、一羽一羽よく拭いてやってぬるいドライヤーで温め、自宅のコタ
ツに入れたりもします。食欲がない弱った雛には餌を練って口に運んでやりま
す。そしてうまく育った時のなんとも言えない充実感と爽快感、彼女たちへの愛
情これが鳥飼という職業の醍醐味なのです。  

 このようなことを養鶏農家は忘れかかっています。企業養鶏はそもそも話の外
です。彼女らを採卵マシーンとしか思っていません。農家が企業と張り合えるの
は、そのきめの細かい愛情なのに、それを忘れかかっています。悲しい。

 養鶏農家は高い雛を買い込み、淘汰をした後にすぐに鶏糞出しと消毒をし、そ
して数日以内にまた産み出し寸前の鶏を導入するという作業します。過酷な腰が
痛む労働で、実際、養鶏農家の職業病は腰痛でなのです。
 
  人は毎日鶏糞出しと消毒作業をし、腰を痛め、消毒農薬による肝臓障害などを
起こしたりします。一方、産み出し寸前で入れた大雛は、新たな飼育環境に馴れ
ないためにひ弱で、おまけに私の眼からみればバカ高い値段です。
 
  これを次から次に入れていけば、年間の雛代だけで膨大なものになります。計
算したことはありませんが、たぶん私のような一貫飼育の数倍ではきかないので
はないでしょうか。
 
  私の農場では5分3しか鶏舎を動かしていませんし、育成期間中は1棟5部屋のう
ちの一部しか使わず、大部分は遊休期間としています。 鶏舎を休ませるのが、
最大の予防防疫なのです。
 
  このように、近代畜産では、確かに入ってくる売り上げは一見大きくなったよ
うにみえても、消毒代、薬剤費、人件費、施設費などがかさんで、農家は心身と
もよれよれにくたびれ果て、腰痛を患い、そこで一回どこかで事故が起きようも
のなら、倒産しかねません。これではヒヨコ屋、薬屋、資材屋を儲けさせるため
に農家が身を粉にしているようなものです。
 
  実際、茨城トリインフル事件の時には収入が途絶えたために、破産の瀬戸際ま
で行った農家が数件出ました。 そう考えると、私のようなグータラが5分の3
回転などと言ってやっている辺境農法と、結局はさほどの収益的な差はなくなり
ました。そして人と家畜の幸福という価値を考えると、高速で突き進むベルトコ
ンベアーから降りるのが幸せではないかとふと思うのです


■ありがとうございました、そして、ありがとうございます


  昨日、わが農場の古い鶏を淘汰しました。だいたい生み出してから400日~
450日でさようならをします。 通常の大手養鶏場では、生み出しから300
日というところでしょうから、そうとうなオババ鶏になるまで飼っているわけです。
 
  毎回のことですが、出さなければ、次が入らないのが道理なのですが、やはり
移動コンテナに鶏を詰めていく作業は気が重いものです。彼女たちとは生れた時
からの付き合いでしたからね。胸がふさがれるような気分です。
  短い期間でしたが、彼女たちの生命力を開花させてきたという自負はありま
す。いや、むしろ短いが故に。彼女たちの命は重い。畑でホウレンソウを抜くの
とはわけが違うのですから。

 そう思ってはならないと思っても、自分の手にぬぐっても取れない血が付いて
いると思う時があります。だから、私たちは自分の稼業を因果だと思い、だから
優しい人も多いのです。
 
  昨日淘汰の加工をお願いした廃鶏屋さんのSさんの優しさは底抜けです。もは
やそこいらの坊主などの域ではありません。引き取りに行った老鶏が、手をかけ
られていないと気がつくと、その飼い主を本気で怒ります。「お前などに鶏を飼
う資格はない。やめてしまえ!この鶏たちが毎日、自分の食っている餌の半分を
お前のために生んでいることを知らないのか!」、と。

 淘汰前日に餌を無駄だからと思って切ってしまう者もいるのですが、それを知
った彼は、その場で無言で引き上げてしまったそうです。これから死に行く者に
最後の餌もやれない者には、根本的に生きものと関わる何かが欠落しているの
です。彼はそれをその男に言いたかったのでしょう。

 昨日も、私がお願いする鶏の前胃が膨れていることをさりげなくチェックして
納得して持っていって頂きました。そして彼の最高の褒め言葉をもらいました。
  「あんたのとこの鶏は幸せだったね」
  Sさんの働き者で愛嬌よしの奥さんが、昨年癌の大病を患い、それを必死に支
えている毎日が続くそうです。彼は奥さんを救うために、全財産を投げ打つ覚悟
です。私は、農場から去っていくSさんのトラックに、小さく礼をして合掌しま
した。


■ありがとうございました、そして、ありがとうございます。


  さて、去って行く鶏と 入れ換わるようにして、生れたばかりの雛が入ってき
ました。とうぶんの間は、子育てで神経が休まりません。
  まだ、この時期はいいのですが、これからの冬の入雛(にゅうすうと読みま
す)は、コタツ2ツを入れ、更にヒヨコ電球という温熱ランプをつけています。
  徐々に温度を下げていって、だいたい2~3週間で完全に廃温となるわけです
が、急激に下げてもダメ、かといっていつまでも加温していると弱い雛になると
いう塩梅を見ながらの毎日となります。

 入って一週間は、夜と早朝の見回りが欠かせません。特に夜の見回りは、懐中
電灯を持ってブルブル震えながら行くわけですが、部屋の外で耳をそばだてて静
かなら一安心です。というのは、寒いとピヨピヨと寒さを訴える雛の声が止まな
いからです。 生まれたての雛を冷やしてしまったり、濡れさせたりすれば、た
ちどころに一晩で数十羽があっけなく死ぬ場合もあります。

 なにが鳥飼をしていて嫌な一瞬かといえば、この、自分自身の不注意による死
です。哀しさと悔しさで自分の頭をボカボカ殴りたくなります。
  温かく、お腹も一杯ハッピーに眠っている雛は、まるでつきたてのボタモチを
並べたようにペターっと静かに眠っています。温度計もありますが、なにより雛
の状態をよく見て観察することです。

 これを見て、人も安心して眠れるというわけです。昔から、苗半作、雛半作と
いって、強い苗や雛が出来れば、後はうまくいきます。だから、この一週間は眠
い。フワ~。

        (筆者は茨城県・行方市在住・農業者)

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