■ 迷走する改憲、疾走する壊憲』
~「克服しようとしない過去」を抱えて~ 森 英樹
この講演記録は、去る2月9日、九条の会・津主催で行われた森英樹教授の講演内
容を会員の高木一氏が要点筆記し、それを話文に綴り、文責は高木で森教授のご
承諾を頂き掲載するものです。
(1)毎日のニュースを見聞きしていると、次々に新しいニュースが報道される
本当にめまぐるしいまでの現在です。しかし、このめまぐるしい動きの中で、
私たちは冷静な判断ができなくなってきているのではないか、と思うのです。
相次ぐ「偽」事件の中で、マスコミに欠けてきているのは、中国のギョウ
ザ事件で、農薬がどこで混入されたのか、犯人は誰なのか、ということに報道
が集中されて、日本の食料が殆ど輸入に頼っていて、自給率が30%台しかな
い事にもっと力を入れないのか、また、中国のギョウザをはじめ輸入品が、中
国の低賃金労働者の労働によって造られ、日本の業者が利益をあげ、国民も安
い食料を得ている、という点が、一つも報道されていない、真実が隠されてい
るわけです。
年金問題が大問題になっていますが、年金の歴史を見ると、1942年(昭
和17)戦費をどう造り出すか、という発想から厚生年金制度が発案され、掛
金を徴収することしか考えなかったわけです。
1956年(昭和31)企業の発展に向けて財政投融資が必要で、再び年金制
度が復活し、年金支給は何十年も先だから、徴収された掛金はすべて企業の復
興を中心に使われてきたわけです。ですから、年金を支給してゆく事は全く考
えていなかったため、その仕組みも、体制も極めてずさんで、いま、長年の欠
陥が出てきていると言えます。
防衛省の疑獄の構造も、守屋・前防衛次官に対する宮崎・元山田洋行専務の接
待についても、その裏には米国から購入する軍備調達費の巨大な価格差、例え
ば戦闘機17億円のものが、商社は50億円で防衛省に売り込む、基地の米軍
宿舎でも一戸1900万円のものを8000万円で売り込む、といった調子
で、軍事利権が日米防衛体制の中で飛び交い、国民の税金が闇の中で湯水のよ
うに使われているわけです。
次に、「建国記念日」の歴史をみると、天皇制と一体ですが、幾つも変化して
います。
旧紀元節は、1872年(明治5)11月、神武天皇の即位日を「紀元」とし
、祝日に決定(太政官布告342号)。その根拠は、日本書記が伝える神武天
皇の即位日、紀元前660年の旧暦で1月1日というものでした。しかし18
72年11月9日に太陰暦を太陽暦に変更し、12月3日をもって新暦の1月
1日と決め、その旧暦である1月29日を祝賀行事日としました。ところが民
衆は旧正月の祝賀行事だと思い、(この日は孝明天皇の命日でもあった)これ
を変更、翌年2月11日を即位日として「紀元節」と命名(布告344号)。
こうして1889年2月11日、紀元節の日に、大日本帝国憲法を発布したの
です。
当時、国民は憲法の事はごく一部の者以外、知らされていず、憲法発布の事を、
「天皇から絹布の法被が下される」と喜んだという逸話が残っています。
1889年の大日本帝国憲法によって91年から全国の小学校において天皇の
写真が飾られ、祝日には御真影拝礼、万歳奉祝、教育勅語奉読の儀式が強制さ
れ、天皇を大元帥とした富国強兵が国策とされてきました。
1904年(明治37)2月11日に、日露戦争が開戦、その後は、中国大陸
での侵略戦争にむけて国家戦略が進められてゆきます。
この間、1914年(大正3)全国の神社で紀元節祭が行われ、1926年
(大正15)、青年団、在郷軍人会などが地域毎に建国祭式典が開かれ、19
28年(昭和3)からは「四大節」のひとつとして「臣民」、「皇軍」が国民
総動員にむけての役割を果たしてゆきます。
1月1日は四方拝、2月11日紀元節、11月3日明治節、4月29日天長節
(大正天皇は8月31日を暑いので、10月31日に変更)など制定します。
特筆すべきは、太平洋戦争の中で、軍は1942年(昭和17)2月11日に
シンガポールを陥落する目標をたてていたことです。
次に憲法制定と紀元節の廃止についてですが、戦後、新憲法のできるまでは、
1946年2月11日、紀元節の日に文化勲章が授与されています。吉田内閣
は新憲法を2月11日に施行したい、とめざしましたが、審議が長引いて実現
しませんでした。
戦後は革新勢力が強まり、片山社会党内閣が誕生しましたが、片山内閣も祝日
法案で2月11日を建国の日として出しました。しかし、支配権をもつGHQ
に削除され、1948年7月、元日を四方拝、春分、秋分の日(春季、秋季皇
霊祭)、文化の日(明治節)、勤労感謝の日(新嘗祭)、天皇誕生日(天長
節)となりました。
紀元節が「建国記念日」として復活したということは、憲法第九条と深い関係
があります。
第二次世界大戦で連合軍に敗れた日、独、伊の三国のうちで国と戦争の最高責
任者が罰せられたのは、独のヒトラー(自殺)、伊のムッソリーニ(民衆に殺
害される)と命を断ったのに対して、日本は東条他A級戦犯の人々は処刑され
てきたが、天皇は処刑されず、人間天皇として許されてきました。
世界の人々の中から、天皇が処刑されないのはおかしいじゃないか、という声
や、再び日本は軍国主義となり、皇軍が出来るのではないか、という疑惑を生
みました。
そこで、日本は、国民を静め安定させるために天皇制は認めるが、再び戦争は
しない、という第9条を作って、日本軍国主義の復活のないことを世界に示す
こととなった、というものです。この結果、象徴天皇制とともに、「建国記念
日」を紀元節の日にしたということが言えます。
建国記念日というのは、主な国の例でみると、国民が納得できる日を選んで制
定しています。
アメリカ合衆国は独立記念日の7月4日、フランスは革命記念日の7月14日、
中国は人民共和国樹立の10月1日、ドイツは東西統一の日、10月3日等で
す。このように見れば、日本の新しい建国記念日は、終戦の日の8月15日
か、憲法制定日の11月3日、又は5月3日などを当てるのが正しいのではな
いでしょうか。
(2)迷走する改憲としましたが、まず、安倍首相のとき、参議院選挙で争点の中
心に「改憲」を掲げて行いましたが、大敗北しました。改憲を強調した自民党
候補が多く落ち(8月7日朝日新聞)、改憲派は2004年調査のとき71%
が、選挙後は52%に減少しました。
9条については、変える方は31%に対し、変えないが50%となっています。
この結果、憲法が定める衆・参両院の3分の2以上の賛成による改憲発議は、
参議院では出来なくなりました。確かに遠のいたと言えるでしょう。
しかし、参議院議員当選者に(1)改正すべき、(2)気運が高まれば改正すべき、
(3)急ぐ必要なし、(4)改正すべきでない、を設問したところ、(1)と(2)合わせ
て自民党議員89%、公明党議員78%が改憲志向です。
民主党の参院選のマニフェストは、「別枠」で「憲法の平和主義原理は国民の
確信」だが、足らざるは補い、改めるべきは改めるよう国民に責任をもって提
案する、と公約しました。また小沢代表は、国連での安保理決議さえあれば、
憲法9条の実現のために派兵すると言っています。
では福田内閣はどうでしょうか。
福田康夫は癒し系?リベラル?改憲に消極的?などと言う人がいますが、憲法
改正を掲げるタカ派の清和会(父親の元首相が作った)の幹部です。自民党内
にあって、改憲起草委員会の小委員長として9条改憲をまとめた人です。
いま参議院で野党が多数なので、正面からではなく、「壊憲」の方に力を入れ、
迷走し、疾走する壊憲策動に必至です。
「壊憲」は、防衛庁の省昇格、米軍再編推進法とこれによる自治権の破壊、自
衛隊法の改正による海外活動の本務化、先遣隊の設置、そして極めつけは、5
7年振りという国会での衆院再議決による「テロ特措法」の延長強行成立。直近
の民意を問うた参議院の反対を無視する暴挙で、議会制民主主義さえ踏みにじっ
たものです。
<中略>
(3)「日米同盟」が基軸で平和が守られている。だから強化を、として「集団的
自衛権」を行使できるようにしよう、というのが進められています。新中期防
衛計画は05~09年で26兆円を投入し、米国の高額なミサイルを多数購入
してミサイル防衛体制をつくる(ミサイルは1発6億円)、次期主力戦闘機F
22(1機250億円)を40機配備する計画です。
アメリカの51番目の州ではないのか、と海外から思われるような基地の強化
が強行されています。
座間は米陸軍第一軍団司令部が昨年12月設置され、アメリカ4軍の統合作戦
司令部設置となりました。横田基地には米空軍前方司令部が移設され、横須賀
は米原子力空母の母港となりました。岩国ではF15戦闘爆撃機の移転受入れ
が防衛省から強引に押しつけられ、アジア最大の艦載機訓練基地にされようと
しています。岩国市長選挙では、政府防衛省は、国からの補助金、交付金をテ
コに圧力を強化しました。沖縄ではすでに普天間基地の返還とバーターで、
辺野古海上基地の建設が強要されて、沖縄県民の憤激が高まっています。また
沖縄海兵基地を本土とグアムに分散移動するのに、政府は3兆円も日本の国民
の税金をつぎ込もうとしています。
国民にとって、軍事費が巨額になり、この税金に群がる「軍事利権」が汚職を
生んでゆく構造を許すわけにはいきませんし、ましてや憲法9条が変えられて
軍隊が公然化すれば、軍事大国への道に一直線に進んでゆくこととなります。
最後に、日本は戦前、「米英鬼畜」とののしってアメリカと戦争し、敗戦後は親
米一辺倒という大きな矛盾を示しています。またブッシュ政権に追随する「国
際協力」が国際性を失い世界的孤立という矛盾、「改憲」を求めながら、「集団
的自衛権」という違憲を合憲にしようとする矛盾、そして、9条の会(現在、
全国に約7000組織あり)など、民意の拒否を知りながら、「壊憲」の道を疾
走する大きな矛盾を示しています。
9条の会の一層の活躍を心から願っています。
(名古屋大学名誉教授)
■森英樹教授 プロフィール
・1942年三重県生まれ。名古屋大学理事・副総長・教授を経て、現在龍谷大学教授
・全国憲法研究会代表。法学館憲法研究所客員研究員。
・主な著書に、『憲法の平和主義と「国際貢献」』(新日本出版社、1992年)、
『現代憲法講義』(浦部法穂らと共著、法律文化社、1993年)、『新版・主権者は
君だ』(岩波ジュニア新書、1997年)、『市民的公共圏形成の可能性』(編著、
日本評論社、2003年)
・『国際協力と平和を考える50話』(岩波ジュニア新書、2004年)、『国家と自
由』(樋口陽一らと共編著、日本評論社、2004年)など
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