【コラム】風と土のカルテ(29)

TPPと日本の皆保険制度 強まる? 医療の沙汰も金次第

色平 哲郎


 参加国間で「合意」が報じられた環太平洋連携協定(TPP)。この報道を地域医療のエキスパートとして名高い医師の色平哲郎さんはどう見ているのだろうか。

●「医者どろぼう」の教訓

 日本では国民皆保険制度に対するありがたみが薄れている気がしてなりません。
 同様の制度を「先進国」のほとんどは持っていますが、米国にないのは有名な話です。

 「医者どろぼう」という言葉がかつてありました。国民皆保険ができる以前の話です。「どろぼう」といっても実際に医師が盗みをはたらくわけではありませんし、そんなつもりがあるはずもありません。以前は庶民がなけなしのお金をはたいて、やっと医師に診てもらえたとしても、満足な治療を受けられない、金の切れ目がいのちの切れ目でした。医者どろぼうという言葉は、そんな時代に戻るようなら困るよな、というたとえ話だったのです。

 ところが、それが今後はたとえ話ではすまなくなる可能性が出てきました。数年前の民主党政権時代、政府と国民の間で、初めて環太平洋連携協定(TPP)をめぐる公開討論会があったとき、医療関係者を代表して、日本政府に直接質問する機会を得ました。そのとき、締結されれば「米価は下がるが薬価は上がる」と申し上げたのです。根拠は米国が採用している自由薬価制度。米国では医薬品の価格を製薬企業が勝手に決めてもよいとなっていて、薬はどんなに高く販売してもかまわないというのが常識になっています。

 逆に日本では公定薬価で比較的安めにもっていこうとしていて、しかも毎年価格は下がっていきます。そんな制度間の違いを日本国民は知りませんよね。
 他国と比べても、過去の現実から考えても、日本が恵まれた医療制度を持っているという事実に、ほとんど無自覚でいるのが日本国民の現状だと感じています。

 といっても皆さんを責めているのではなく、日本の医療制度の良さというか特徴について、まったく学ぶ機会はなく、社会保障とは何か、健康で文化的な生活をおくる権利を下支えする諸制度をきちんと学校で習うことがないのではないかと感じるのです。

 わたしも医師であり、自画自賛めいてしまいますから、めったに口にはしませんが、日本の医療制度や医師の資質は決して悪くはないと考えています。多くの臨床医は不器用で口もうまくないかもしれませんが、諸外国に比べれば信用してもらっていいと言い切れます。

 一方、他国にはうそで丸めて不必要な手術をして多くの報酬を得る不心得者の
医師も少なくはなく、医療者の言うことが信用されていません。

●公的医療保険という「安心」

 仮にTPP時代がやってきたとしても、国民皆保険制度そのものはすぐには崩壊しないでしょう。しかし、実質的な内容が大きく変貌するというか、後退を余儀なくされるのではないかと思っています。皆保険とは、すべての人が保険料を支払い、その対価として医療サービス(現物給付)が受けられる仕組みです。
同様の制度は残るでしょうが、肝心の中身が変質し、そのときになっていまの現状が恵まれすぎていたと痛感する人が続出しかねません。

 たとえば先端医療なるものは本当に必要でしょうか。必要どころか、害がありやしませんか。先端医療なるものを、わたしなら家族には受けさせませんし自分も受けません。でも、もしその医療が保険の適用を受けていたらどうされますか。わたしは使いますよ。というのも、日本では有効な技術は自動的に公的医療保険の給付対象に入ることになっているからです。

 日本の皆保険制度の長所は、公的機関が対象となる治療法の効果を検証し、薬害をひき起こすかもしれないというリスクも勘案した上で「これなら大丈夫」「本当に良いね」となったものに保険適用するのです。つまり、保険の適用が受けられる医療行為は安全である可能性が高く、そうでないものはリスクが高いか、リスクが不分明と考えた方がいいのです。

 ところが、多くのメディアが保険給付対象外の新技術なるものへの過度な幻想を振りまきがちです。多くはまだ実験段階で安全とは言い切れないものであるにもかかわらずです。

 わたしは保険診療しかしていない医師ですが、治療に何ら不都合を感じていません。しかしこの前提が変わってきたらどうなるかが最大の問題です。本当に治療に必要なものが保険給付の対象外とされ、「この技術を使わなければ患者が危うい」というときに、保険適用がされておらず、お金を積み増ししなければどうにもならないという事態になるかもしれません。

 しかし、この治療法が本当に必要か否かの判断は医療者にしかできず、患者側にはわかりかねますよね。だから、いくらでも患者が医師の口車に乗せられる構造にもなりかねず、その最たる例が米国の医療といえると思います。

●誰のための皆保険制度か

 一方、日本でも医療をビジネスにしていないわけではありませんし、多くのメディアが医療を経済成長のためのビジネスモデルとして持ち上げようとしている現実さえあります。

 とはいえ日本の医療は必要とするすべての人のためにあり、必要でない人から金を取らない原則はいまだ崩れていません。その一線を超えてはいないと、自信を持って言い切れます。

 ところが、「一線を超えたほうが(ある人々には)お得」という制度変更が着々と進められようとしています。だから危ういと繰り返し訴えてきたのです。
 わたしのような古いタイプの医師は、医療を担うこと、人の命を預かる自らの仕事にプライドを持っていますから、そんなことで金をとったら駄目だと思っているのです。

 でも若い世代はどうでしょうか。これから医師になろうとする人たちが、現在のわたしたちの年齢に達したとき、日本の医療はどうなっているかと考えたら、とても穏やかな気持ちではいられません。

 米国では地獄ならぬ医療の沙汰も金次第。お金がなければ救急車にも乗せてくれません。つまり、お金がある人には、よりよいサービスを、ということです。
 では、いまの日本はどうかといえば、手薄いなかではあっても、お金と関係なく、重症の人にこそ必要な医療を提供しようと頑張っているのです。現行の国民皆保険制度に守られているからです。
 では、この制度で守られているのは患者側か、医療側か、と問われたら、どちらだと思いますか。この点を次号で話そうと思います。(談)

 (筆者はJA長野厚生連 佐久総合病院・医師)

※この記事は著者と生活クラブ生協連合会(http://seikatsuclub.coop/)「生活と自治」編集部の許諾を得て『生活と自治』2016年5月号から転載したものです。


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